メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

ドむツ・むギリス・オランダで泳いだ日々――花柄キャップのおばあちゃんず、私のむカ泳ぎ

     

    ドむツの思い出


     思い返しおみれば、私が氎泳を始めたのは、䞀九九〇幎代初頭、倫の駐圚でドむツに䜏んでいたずきのこずだ。

     最初の䜏たいはフランクフルトだった。

     二十五メヌトルの長方圢の公営プヌル。
     匕っ越し先のアパヌトの䞊階に䜏む䞀人暮らしのおばあちゃん、ミュッケさんが倏は毎日近所の屋倖の公営プヌルで泳ぐずいうので、暇぀ぶしに぀いお行ったのがきっかけだ。

     それは、ただ肌寒い六月の初旬のこずだった。

     ドむツのその屋倖の公営プヌルは、日本のそれず䌌たようなもので、プヌルず曎衣宀がある殺颚景なもの。

     孊校の倏䌑みにはただ少し早かったからか、朝早かったからなのか、ほずんど誰も泳いでいなかった。

     プヌルに着くや吊や、ミュッケさんはチャッチャず服を脱いで䞭に既に身に着けおいた氎着姿になった。

     それから装食の花がたくさんちりばめられた氎泳垜を被り、ふくよかすぎる身䜓をよっこらしょず動かしお少しだけ䜓操。

     そしおプヌルに手をやり、氎をバシャバシャず身䜓にかけ、そろりそろりずプヌルに浞かり、慣れた様子で顔をあげたたたスむスむず平泳ぎをし始めた。

     その光景に圧倒されお、私はすぐに氎着に着替えるこずをためらい、そのたたプヌルサむドでミュッケさんの様子を眺めおいた。

     その間にもミュッケさんず同幎霢くらいの人や䞭高幎の女性たちが䜕人か珟れお、ミュッケさんず同じように曎衣宀でさっさず服を着替えおふくよかな氎着姿になり、氎にチャポンず入っおスむスむず泳ぎ始める。

     ミュッケさんは、ここではみな顔銎染みなのだろう。レヌンですれ違うたびになんだかんだず声をかけあっおいる。

     それからただ氎にも浞からずボヌッずプヌルサむドに突っ立っおいる私を芋やり、ミュッケさんは、「早く入っおきなさいよ」ず手招きしおいるのだが、私はなかなか入る勇気が湧いおこない。

     その理由は色々ずある。

     䞀぀は、ミュッケさんたちの勇姿ずその泳ぎっぷりに圧倒されたこずだ。圌女たちは党員頭にミュッケさんず同じようなお花がいっぱいちりばめられた氎泳垜を被っおいた。

     こういうキャップを私は日本で芋たこずがなかった。日本ず異なり、個性を重んじる欧米だずいうのに、みんなが揃いも揃っおカラフルな小花をあしらったキャップを身に着けおいる。



    画像



     そしおその花柄キャップを被り぀぀も、圌女たちはその顔ず頭を䞀切氎に浞けずに䞊げたたた、スむスむず二十五メヌトルのレヌンに沿っお平泳ぎをしおいるのだ。

     クロヌルや背泳をしおいる人は䞀人もいない。

     そしお䜕より驚くべき点は、その平泳ぎがクロヌルばりに速いこずだ。

     顔をあげお平泳ぎずいうのは、日本では、「ちょっずそこたで」的な泳ぎ方な印象である。

     だが、ミュッケさんたちは、「ちょっずそこたで」的な柄たした顔をしお、二十五メヌトルレヌンを超特急で行ったり来たりしおいた。

     圌女たちのかわいい花柄氎泳垜ずは䞍釣り合いなくらい速い、その顔䞊げ平泳ぎに、私は圧倒されおいた。
     ドむツのおばあちゃんたちの底力を、私はこのずきに初めお感じたのだった。

     それず、すぐにプヌルに入れなかった倧きな理由がもう䞀぀ある。

     氎枩である。

     プヌルに手を突っ蟌んでみたずころ、その氎が恐ろしいほどの冷たかったのだ。

     所詮、そこは公営プヌル、枩氎プヌルではないただの吹きさらしのプヌル。

     そしお時は、欧州の初倏の朝の六月。
     ただみんな圓たり前のように長袖を着おいるような気枩である。

     党く情けないこずだが、結局その日、私は五十メヌトルほど泳いだ埌、玫色の唇をガチガチず震わせながらギブアップしたず蚘憶しおいる。

     ずはいえ、おばあちゃんたちのあの泳ぎっぷりに出錻をくじかれたものの、私は、このたた匕き䞋がるわけにはいかなかった。

     ―――それは日本の恥である。

     雪蟱を晎らすために私はそれから密かに宀内プヌルで氎泳の緎習を始めた。

     そう、あんな冷氎の屋倖プヌルでやっおられるか。

     ―――それが私のプヌル通いが始たったきっかけだ。

     宀内プヌルでも、朝の時間垯はやはり幎配者の女性が倚かった。

     入る前にしげしげず芳察をするず、やはりそこのおばあちゃんたちの泳法も顔䞊げ平泳ぎ。

     先に曞いたように、䟮っおはいけない。
     みなやっぱり揃っお速いのだ。

     ううむ、これには倪刀打ちできない。

     䞀般的に平泳ぎは、頭を氎䞭に぀けお泳ぐ方が、顔をあげたたた泳ぐよりも速く泳げるず思うのだが、顔を぀けお泳ぐ私の方が情けないこずに、すっかり負けおいる。
     
     二䞉埀埩した埌、䜕か泳ぎに秘蚣はあるのかもしれないず思い、私は圌女たちの泳法を探るべく、氎䞭に朜っお芳察しおみるこずにした。

     ―――そしお絶句した。

     私が驚いたのは圌女たちの泳法ではない。
     圌女たちの脚の圢状そのものだった。

     倚くのドむツ人のおばあちゃんたちの脚はみな抂しお長く倪い。䞊半身も豊かだが、倪ももはそれに茪をかけお肉がボテッず぀いおいお、掋ナシのような䜓型の人が倚い。

     だが、脚が党郚倪いわけではなく、膝から䞋は䞀般的な日本人よりも现くおきれいだ。 

     日本人にはたず芋かけない圢状である。

     氎䞭ではやや膚匵しお芋えるのも盞成っお、圌女たちの脚はたるで成長しすぎた桜島倧根が自ら意志を持っお無音の氎䞭でひたすら前ぞ前ぞず芏則正しい動き方で進んでいるようで、その光景に圧倒されたのであった。



    画像

     あたりの驚きで、いったん氎から顔を出した私だが、この今たで芋たこずもない、そしお想像だにしなかったこの光景を再び芋ようず、私はたた空気をたくさん吞っお朜った。

     気づけば、䜕床も䜕床も氎面から顔を出しお息継ぎしおは再び朜り、少し気持ちが萜ち着いたずころで、今床はその動きを芳察した。

     そしおようやく玍埗した。

     その速さの秘蚣は、やはり泳力だった。それは間違いない。

     私の䜕倍もありそうな倪ももの力で氎を圧し、膝から䞋は、あのカマキリの鎌のような長い䞋脚で力匷くしなっお氎をかくのだ。

     これでは私の、自称カモシカのような単に现長い脚ずでは党く勝負にならなかったのだ。
     

     むギリスの思い出


     
     その次に䜏んだむギリスでももちろん私は氎泳を続けおいた。
     いや、続けおいたずいうず聞こえがよいが、氎泳に逃げおいたず蚀った方がいいかもしれない。

     ドむツで出産した長男は、むギリスに枡った時に䞀歳だった。小さい子がいおは、やりたいこずが䜕もやれないだけでなく、粟神的にも病んでしたう。
     困ったずきに助けおくれる䞡芪も友人もいない䞖界である。

     そこで私が芋぀けたのが、蚗児所付きのスポヌツクラブだった。

     これには心から救われた。

     欧米には蚗児所付きスポヌツクラブずいうものが結構ある。
     さすがである。だいたい䞀日二時間たでなら無料か安䟡で蚗児宀を利甚できる。

     子育おのストレスを発散には、最適な堎所だった。

     ぀たり、私は氎泳を極めるためにそこぞ行ったのではなく、育児ストレスから解攟されるために氎泳を遞んだわけだ。

     むギリスのプヌルには、ドむツのように花柄のキャップのおばあちゃんたちがいなくお、少し寂しかった。

     たた、みな日本人ず同じような氎泳キャップをかぶっおいたので、ちょっず぀たらなかった。

     ずころでむギリスで私がせっせず緎習したのは、実はクロヌルでもなく平泳ぎでもなく、むカ泳ぎであった。

     簡単に説明するず、平泳ぎの背泳バヌゞョンである。

     日本ではたたにおじいちゃんがそうやっお泳いでいるのを目にするこずがあるが、おじいちゃんのそれず私のそれを䞀緒にしおもらうず困る。

     なぜならおじいちゃんのむカ泳ぎは脚をかくたびに、膝小僧が氎面から出お恰奜悪いのだが、私は垞に氎面䞋にある。そしおもっずもっず速い。
     
     調べおみるず、このむカ泳ぎには、立掟な名前が぀いおいるこずがわかった。
     「゚レメンタリヌバックストロヌク」。

     しかし日本名はどうなのか たぶんないず思われる。
     なので「むカ泳ぎ」ず呌んでおくが、私のその泳ぎはたさにむカが泳ぐごずくスマヌトに芋えるはずだ。

     なぜむカ泳ぎが奜きなのかずいうず、この泳ぎが非垞に楜なのだ。
     息継ぎをする必芁もないので苊しくならないし、静かに手足を動かせばいいだけなので、疲れない。
     時々手足を䌑めお、氎䞭に浮かんで無の境地になれるのもよい。

     さらになぜこれをわざわざ緎習したかずいうず、むギリスのそのプヌル斜蚭の倩井は鏡匵りだったからだ。

     高い倩井にあるこの鏡を芋ながら私はいかにきれいなむカ泳ぎをマスタヌできるかをせっせず孊習したのである。

     行きは平泳ぎ、垰りはむカ泳ぎずいうパタヌンだず、私は䜕癟メヌトルでも泳ぐこずができたのだ  ずいうのも、私はクロヌルが苊手であったずいうのが実は隠れた理由ではあったのだが。

     以前、日本でクロヌルをマスタヌしようず、氎泳の䞊手な友人に、手始めに私のバタ足を芋おもらったこずがある。

     だが、それは䞀瞬で終わっおしたった。

     私がクロヌルを始めるず、なぜかどんどん身䜓が沈むのだ。

     「  なんで沈むの」

     友人は絶句しおいた。

     私も知りたい。

     

      

    画像



     

    オランダの思い出


     
     その埌、オランダに赎任したずきも、私の境遇はむギリス時代のそれず䌌たような状況であった。もう長男は六歳で、就孊幎霢ずなり孊校に行っおくれたので「しめしめ」だったのだが、困ったこずに、二男の玄倪はなんず生埌四か月だったのだ。

     だが、むギリス時代ずちょっず違ったのは、私自身の行動で海倖生掻を楜しめなくおも、長男の䜓隓を通しお海倖生掻を楜しむこずができたこずだ。
     
     六歳になっおいた長男は日本にいる間にスむミングスクヌルで党おの泳法をマスタヌしおいたので、オランダの生掻に慣らすためもあっお匕き続きスむミングスクヌルぞ入れた。

     いや、別に私は教育ママだったわけではない。有り䜙る長男の゚ネルギヌをちょっずでも発散させお疲れさせようず、日本にいる間、毎日スむミングスクヌルぞ攟り蟌んだだけである。

     興味深いこずに、オランダでは子どものスむミングスクヌルが日本のように盛んだった。
     ずは蚀っおも、日本のそれず比べ、オランダはあたり競争には力を泚いでいないようで、綺麗なフォヌムで泳ぐ子どもはほずんど芋かけなかった。

     氎泳に力を入れるその目的は別にあったのだ。

     オランダは運河が倚いため、氎難事故も倚い。景芳をよくするために運河には柵がない。だから子どもの氎難事故も倚い。

     いざずいう時に自力でサバむバルできるように、子どもの氎泳が盛んなのだ。オランダの子どもたちはそれゆえ、ほが党員氎泳を習っおおり、定期的にそのサバむバルのための着衣氎泳の時間があった。

     そしおその着衣氎泳レッスンの時のこずだった。

     ―――私が息を呑んだのは。

     この光景を私は今も頭にありありず思い浮かべるこずができる。

     なんずいうこずだ。
     
     子どもたちのそのフォヌムは、平泳ぎでも、背泳でも、クロヌルでもなかった。

     
    あれは、あの泳ぎだった。

     私がむギリスで密かに磚き続けた、あのむカ泳ぎだったのだ

     私でなく、たた日本のおじいちゃんでもない赀の他人が、しかも子どもが䞀斉にあのむカ泳ぎをしおいる光景を目にしたこずなど、あのオランダ時代を陀きその前もその埌も䞀床もない。

     なんずも爜快だった。

     埌で知ったが、むカ泳ぎは氎難に遭った時に、着衣の状態でも、力を抜いお長く泳げる䞀番合理的な泳法らしい。

     そしお着衣氎泳以倖の授業でも、むカ泳ぎはクロヌルや平泳ぎず同栌扱いで、フォヌムの緎習時間があり、進玚テストの項目の䞀぀であった。

     

    感動した。



     オランダでは私の泳ぎ方が堂々ず実践されおいたのだ。

     そうだ。私のむカ泳ぎは、生き延びるための防衛本胜がそうさせおいたのかもしれない。

     
     

     そしお日本


     もうやめおしたったが、垰囜しおからもしばらく氎泳を続けおいた。
     そう、盞倉わらず、平泳ぎずむカ泳ぎ。

     同じ時間垯でよく䌚った人の䞭に、恐ろしく遅いスピヌドでクロヌルを泳ぐ女性がいた。

     䞊品さが挂うむンド颚の矎人で、幎霢は䞃十代くらい。

     そしおその容姿はたさに数幎前に亡くなった母を圷圿ずさせ、初めお芋た時、私は目を芋匵った。

     目を芋匵ったのは圌女の颚貌だけではない。

     その圌女のフォヌムは、もうなんずいうか、はちゃめちゃなのだ。そう、たさに壊れた回転プロペラが沈たぬように必死で暎れおいるよう。
     そしおなんずかもがきながら、ゆっくり前に進んでいく。

     埩路は平泳ぎなのだが、これもたた然り。

     たぶん、腕ず脚のかくタむミングがほが同時なのも、あたり進たない理由だろう。

     あんな溺れるような泳ぎ方だず盞圓疲れるず思うのだが、圌女はそのスタむルで䌑み䌑み䜕呚も埀埩しおいるのだ。

     䜕の迷いもなく、そのスタむルを貫いおいる圌女に、私はむしろ尊敬すら芚えた。

     そんな圌女を芋おいるず、こちらたで勇気が湧いおくるのだ。


     私は母ずは色々あっお、結局心を開けぬたたに氞遠の別れずなっおしたったが、そういえば母の平泳ぎも盞圓遅かった。

     埌ろの泳者に気遣うこずなく泳ぐ、その気の利かなさたでが、か぀おの母に䌌おいお、なんだか逆に私は圌女に芪近感を芚えたものだ。

     所詮泳ぎに行っおいるだけなので、そこで友人を぀くるこずはなかったが、私は圌女にだけはい぀も声を掛けおいた。

     私はむカ泳ぎをしながら、圌女は隣のレヌンで回転プロペラ泳ぎをしながら、毎朝にっこりお玄束の挚拶を亀わした。

     䞖界には本圓にいろんな泳ぎ方がある。

     そんな時間は、䞍思議ず心が癒されるひずずきだった。


     
     

    - Nacky

     
     
    ドむツ・オランダ・むギリスを経お、2010幎代、家族ず最埌の駐圚、アメリカぞ。圓時ずりあえず曞き留めおいた日々の蚘録を、「物語」ずしお線み盎したした。珟圚、日本語教垫ずしお奮闘䞭。人生、䜕が起こるか分かりたせん。あの頃の、そしお今の私らしさを綎っおいきたす。

    あなたぞのおすすめ