
女性役は仕事ですか?|「ちゃんとした女性」をやり続けて疲れた話
それ、ただの「いい人」?
たとえばその場にいるだけで、
空気がちょっと和らぐ人っていますよね。
これ、ずっと不思議だったんです。
ただの「いい人」では説明しきれない感じがあるというか。
別に笑わせようとしてないし、
気を遣ってる自覚もない。
でもなぜか、「いてくれると助かる人」になってる。
言い方がきついかもしれないけど、
わたしはこれを
分かりにくいかたちの
「空間・共同体の中の搾取」なんじゃないかと思っています。
「助かる」は、いつのまにか期待になる
なぜなら、この「助かる」は、だんだん期待に変わるからです。
期待は、気づくと役割になります。
役割になると、外れた瞬間だけが目立つ。
たとえば、職場や集まりで、いつも場を和ませていた人が、
ある日ちょっと疲れて黙っているとします。
そのとき返ってくるのは、「たまにはゆっくりしなよ」ではなく
「今日は元気ないね?」という言葉だったりします。
こちらはただ疲れているだけなのに、
その場から少し浮いてしまったような感覚が残る。
そうなると、そのポジションからは なんとなく逃げにくくなってしまう。
「空気清浄機」=「女性役」?
これは社会や共同体の落とし穴で、
誰も悪気なく、誰かが引き受けてしまう「名も無い役職」です。
いわば「共同体の空気清浄機」を、人間が背負わされてる状態。
ここで一度、この役割を仮に「女性役」とよんでみたいと思います。
「女性役」は、もともと個人の属性や表現の一部であって、
誰かに割り当てられる役割ではありません。
「女性」はいても、「女性役」というものはないはず。
けれど人間関係の中では、
「やさしい」「気が利く」「空気を和ませる」
といった要素がひとまとめにされて、
期待や機能として扱われることがあります。
たとえば、こんな役割です。
場を和ませる役 (空気を良くする)
受け止める役 (他人の感情を背負う)
調整する役 (自分の気持ちを飲み込む)
これは、「こういう役割をやってね」と誰かにはっきり指示されているわけではありません。
でも、それがあるとないのでは、その場の空気がまったくちがってしまう。
報われない「火消し」ポジション
さらに厄介なのは、この一連の行動が、
火事でいう「火消し」役に近い、ということです。
火事がおきなければ、起きかけていたことは誰にも気づかれない。
現場は確実に助かっているのに。
でも「起きなかったこと」に対して感謝されるということはなく…
それでも、やらなければ「なんかいつもと違う」と空気が変わる。
だからこのポジションは、とても割に合わないですよね。
無報酬で、気づかれず、でも外されることは許されにくい。
「女性役」は勝手に利用されやすい構造
問題なのは、やさしさや、柔らかさ自体ではなくて、
それを「周りが勝手に使っていいもの」と見なしてしまう
関係性の構造です。
この文章は、誰かを責めるためのものではありません。
ただ、「何が起きているのか」を、
一度 名前のある形で置いておくためにまとめました。
その役は、誰が引き受けているのか。
村木映理子 個展
2026年 9/3(木)〜9/5(土)
清澄白河 GALLERY KLYUCH
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