
軽井沢。
森の中の、小さなチャイニーズアフタヌーンティーの店。
女性シェフのワンオペ。
一回転一組、昼過ぎの静かな時間。
いつものカップルが、窓際の席に座っている。
彼女
アフヌン来たかったんだよね。
彼氏
ね。軽井沢で来れるとは。
彼女
ホテルのアフヌンって、ちょっと港区感あるじゃん。
彼氏
ある。
皿の上で全員、自己実現してる。
彼女
そうそう。
「私、季節のジュレです」って顔してる。
彼氏
ここは違うね。
森だし、中国茶だし、ワンオペだし。
窓の外。
木の枝に、小さな巣箱や、小鳥の腰掛けみたいなものが吊るされている。
彼女
あ、小鳥来てる。
彼氏
ほんとだ。
彼女
ずっと見てられる。
彼氏
鳥から見たら、俺たちもだいぶ変だよね。
でかい生き物が、昼にちまちま甘いもの食べてる。
彼女
しかもネット予約して。
彼氏
予約する大型哺乳類。
彼女
嫌だな。
店主がお茶を注ぎに来る。
窓の下に、しょうゆ皿のような水皿がふたつ。
彼女
あれ、かわいいですね。
店主
リスとか小鳥用なんです。
一日二、三回、お水を替えてます。
彼女
え……。
彼氏
へえ。
店主、去る。
少し沈黙。
彼女
妖精の暮らしだ。
彼氏
うん。
彼女
毎日のルーチンに、
「リスの食器を替える」
が入ってる。
彼氏
東京だったらSlackで流れるね。
「リス水、対応済みです」
彼女
誰かが「助かります!」ってスタンプ押す。
彼氏
リスは押さないけどね。
彼女
でも助かってる。
彼氏
そこがいいね。
感謝が可視化されない仕事。
彼女
妖精だ。
彼氏
ただ、俺たちもこの妖精に世話されてるリスみたいなものだけどね。
彼女
え?
彼氏
時間になったら来る。
座る。
出されたものを食べる。
お茶をもらう。
窓の外を見る。
完全に給餌。
彼女
言い方。
彼氏
有料給餌。
彼女
急にかわいくない。
彼氏
でも構造はそう。
リスもアラサーカップルも、おなじ。
彼女
アラフォー寄りだけどね。
彼氏
妖精から見たら誤差。
彼女
「今日も大きいリス来たわ」って思われてる?
彼氏
思われてる。
「雄のほう、また理屈が多いわね」って。
彼女
見抜かれてる。
彼氏
「雌のほうも、今日はちょっと森に寄ってるわね」って。
彼女
私はもう少しで枝に座れる。
彼氏
やめて。
店に迷惑。
彼女
でも、人間として大事にされるより、リスとして世話されるほうが、今日はちょうどいい。
彼氏
わかる。
彼女
「お疲れさまです」より、
「お水替えておきました」のほうが泣ける。
彼氏
だいぶまいってるね。
彼女
東京で乾いてたのかも。
彼氏
リス水が?
彼女
リス水が。
彼氏
人間には普通の水でいいんだよ。
彼女
違うよ。
人間にもリス水が必要な時がある。
彼氏
リス水って何?
彼女
こういう、説明されないやさしさ。
彼氏
急にいいこと言うじゃん。
彼女
でも、しょうゆ皿。
彼氏
落差がすごい。
少し間。
彼氏、窓の外の小皿を見る。
彼氏
でもさ、リスってすごいよ。
彼女
何が?
彼氏
リスは、自分を説明しない。
彼女
まあ、しないね。
彼氏
「私はこういうリスで、こういうビジョンで木の実を集めています」とか言わない。
彼女
言ったら嫌だね。
彼氏
ただ来る。
食べる。
逃げる。
必要ならまた来る。
彼女
かなりいい。
彼氏
東京だとさ、俺たちずっと説明してるじゃん。
仕事、服、店、住んでる場所、なんで疲れてるか、なんで忙しいか、なんでそのわりにアフヌン来てるか。
彼女
最後ちょっと刺さる。
彼氏
でもリスは違う。
皿の前に来ただけで、もう許されてる。
彼女
皿の前に来ただけで。
彼氏
そう。
リス化って、社会から一回アンインストールされることなんだよ。
彼女
リス化って言葉が嫌すぎる。
彼氏
退化じゃない。
軽量化。
彼女
軽量化。
彼氏
人間として重くなりすぎたものを、一回しっぽに逃がす。
彼女
しっぽないけど。
彼氏
概念として持つ。
彼女
一番嫌な持ち方。
彼氏
リスは予定を詰めない。
自分の市場価値も気にしない。
過去の失敗を正当化しない。
彼女
あなたに一番ないものじゃん。
彼氏
だから憧れてる。
彼女
素直。
彼氏
俺はリスになりたいんじゃない。
リスができていることを、人間のまま少し取り戻したい。
彼女
ちょっといいこと言ってる。
彼氏
でしょ。
人間とリスのあいだに、いま俺たちはいる。
彼女
森で?
彼氏
森で。
中国茶を飲みながら。
彼女
かなり限定的な進化だね。
彼氏
進化じゃない。
帰還。
彼女
どこに?
彼氏
水皿の前に。
彼女
着地点が小さい。
彼氏
でも人間って、最後はみんな皿の前に帰ってくるから。
彼女
ごはんの話?
彼氏
ごはんと存在の話。
彼女
まとめすぎ。
窓の外で、小鳥がはばたく。
彼女
あ、来た。
彼氏
あの子も皿の前に帰ってきたね。
彼女
鳥も、リスも、私たちも。
彼氏
うん。
彼女
みんなちょっとずつ、皿を必要としてる。
彼氏
いい話にしてるけど、皿はかなり小さいよ。
彼女
大きさじゃない。
置かれてることが大事。
彼氏
ああ。
都市には、置かれてない皿が多いからね。
彼女
なにそれ。
彼氏
俺も今わかってない。
彼女
でも、ちょっとわかる。
彼氏
わかるんだ。
彼女
うん。森だから。
彼氏
森、便利だね。
少し間。
彼女
また来たい。
彼氏
来よう。
次は木の実とか持ってくる?
彼女
やめて。
人間客とリス客の境界を越える。
彼氏
まだ人間客でいたい?
彼女
会計だけは人間でいたい。
彼氏
そこは大事。
彼女
口コミも人間で書く。
彼氏
なんて?
彼女
「森の中で、一時間ほどリスとして扱われます」
彼氏
営業妨害だね。
彼女
星は五つ。
彼氏
ならぎりぎり妖精サイドも許すか。
彼女
サイドって言わないで。
少し沈黙。
彼氏、まだリス水を見ている。
彼女
なに?
彼氏
いや、俺、リスになってもずっと説明してそうだなって。
彼女
してそう。
彼氏
木の上で?
彼女
木の上で、他のリスに、
「この木の実を選んだ理由」を話してそう。
彼氏
嫌なリスだね。
彼女
うん。
森で一番嫌なリス。
彼氏
じゃあ俺はまだ、人間でがんばるか。
彼女
そのほうが森のためだね。
彼氏
最後だけ人間に戻る?
彼女
うん。人間として会計して。
彼女
あと、あなたのリス水だけ、ずっと濁ってる。
彼氏
俺のリス水?
彼女
うん。
彼氏
……理屈で?
彼女
わかってるじゃん。
彼氏
替えたほうがいい?
彼女
一日二、三回は。
暗転。