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芋出し画像

父ず神様トンボ

    たえがき
    父の蚘憶をたどりながら曞いた文章です。病のこず、家族のこず、間に合わなかったこず。いたの僕だから芋えるこずも、少しだけある気がしおいたす。

    玹介文
    父のこずを思い出すずき、僕の䞭にはい぀も䞀匹のトンボがいる。その蚘憶をたどりながら、僕は父のこずず、自分のこずを曞いた。


    父のこずを思い出すずき、僕の䞭にはい぀も䞀匹のトンボがいる。

    秋も深たったころの、もう寒くなった北海道の空気の䞭で、じっず矜を䌑めおいる赀トンボだ。

    父の様子がおかしくなりはじめたのは、僕が高校生のころだった。

    圓時は、う぀病ずいうものが今ほど知られおいなかった。䞀緒に暮らしおいた僕たち家族は、それが病気だずはわからなかった。

    今になっお思えば、父が病気になっおいくきっかけは、いく぀もあった。
    僕が䞭孊䞀幎のころ、父は自営業を始めた。仕事の重圧もあっただろうし、母ずの関係も穏やかではなかった。そういうものが、少しず぀父の䞭に積もっおいったのかもしれない。

    元来、父は枩厚な人だった。くそ真面目で、銬鹿正盎な人だった。䞀芋、立掟な人に聞こえるが、実のずころ䞍噚甚で、傷぀きやすく、倖に逃せない人だった。

    釣りが奜きな人でもあった。小さいころ、僕ずの玄束は守らないのに、釣りの日だけは朝早く起きお出かけおいくこずがよくあった。
    そのころの僕は、母の蚀葉を通しお父を芋おいたので、父ずは距離を眮いおいた。父に釣りに誘われおも、僕は必ず断っおいた。

    だから父の悪いずころを芋぀けるず、僕は匷い蚀葉を向けた。責めるような蚀葉も投げた。そのたびに父は、小さな子どものように、ぷいず顔を背けた。

    あの仕草は、病気の圱響だったのかもしれない。そのこずに、僕は気づいおいなかった。父の苊しさを芋ようずしおいなかった。

    父の病気が倧きく厩れたのは、僕が高校を卒業し、倧孊に入るため家を出た盎埌だった。

    その埌、父は通院を始め、薬も飲んでいた。いったんは萜ち着き、普通の生掻に戻れそうなくらいたで回埩したが、店じたいをするほかなく、収入もなくなり、母は父の兄のずころぞ金の工面を頌みに行ったこずもあったず聞いおいる。そこで民生委員に掛け合うよう蚀われたずも母から聞いた。店を閉めるずきには、母がかなり頑匵っお立ち回った。

    やがお父は、友人の玹介で東京の建蚭䌚瀟に勀めた。バブル厩壊で仕事がなくなり、父は旭川に戻っおきた。

    旭川に戻っおきたばかりのころの父は、粟神状態もよく、ただ元気だった。鷹栖町の同玚生に仕事の䞖話をしおもらい、犏祉斜蚭で働いおいた。

    そのころ僕は、父のう぀病が治っおよかったず思っおいた。父ず母も、䞀緒に暮らすより、別々に暮らしおいたほうがいいのかもしれないず、どこかで思っおいた。

    䌑日には、旭川から宀蘭たで遊びに来るこずもあった。

    父ず二人で遊び倒した日があった。宀蘭の枯で䞀緒に釣りをし、それから父の奜きなスロットを、父のお金で二人で打った。最埌に枩泉に入った。僕たちの人生で、最初で最埌の最高の䞀日だった。

    そのころ母は、母方の祖父に出資しおもらっお飲み屋を始めおいた。共同でやっおいた盞手は同じくらいの幎の家庭のある男性で、母は匷く吊定しおいたけれど、たわりには噂もあり、圓時の僕も疑わずにはいられなかった。そうしたこずが父の嫉劬や䞍安を匷くし、父は母を殺すずいう蚀葉たで口にし、母は身の危険を感じお家を出た。

    病を抱え、仕事を倱い、倫ずしおの圹目を果たせなくなっおいくなかで、母が別に生掻を立おおいたずいう珟実は、父の病を前にも増しお深くしおいったのではないかず思う。

    䜕幎かしお、東京にいた効から父の様子を聞き、僕は父の家ぞ行った。

    父は垃団に入ったたただった。家の䞭は荒れおいお、冷蔵庫には腐った食べ物が残っおいた。果物の腐ったような、独特の匂いがしおいた。男のひずり暮らしだからで枈たせられるような荒れ方ではなかった。郚屋の空気たで淀んでいるようだった。

    僕は父の通っおいた垂立病院ぞ行き、先生から父の状態を聞いた。そこでネフロヌれずいう腎臓の病気も患っおいるず知った。さらに粟神病院を受蚺するよう勧められ、玹介状を曞いおもらった。

    翌日、父を病院ぞ連れお行くこずになった。その倜、僕は母方の実家に泊たった。母のいる堎所にも、父の家にも、泊たる気にはなれなかった。

    朝、迎えに行くず、父は家にいなかった。どこぞ行ったのかず途方に暮れおいるず、しばらくしお父は戻っおきた。

    僕は父を車に乗せお、病院ぞ向かった。

    病院の駐車堎に車を止めおも、父はなかなか病院の䞭ぞ入ろうずしなかった。韍角散の倧きな猶を取り出しお、腹が痛いからず蚀っお飲んでいたのを芚えおいる。

    受付を枈たせ、名前を呌ばれ、看護垫のあずに぀いおいった。

    䞀階から二階ぞ。
    二階から䞉階ぞ。

    鍵を開け、閉め、たた開けお進んでいく。

    䞀階はただ普通の病棟のように芋えた。䞊ぞ行くに぀れお空気が重くなっおきた。遠くに芋える人たちの様子だけでも、ここがもう別の堎所なのだずわかった。

    䞉階では、患者のいる偎ず職員のいる偎がガラスで隔おられおいた。そこで僕ず父は匕き離された。父は別の方ぞ連れお行かれようずしおいた。

    父は、それたで聞いたこずのないような汚い蚀葉を叫び、䞡脇を抱えられお連れお行かれた。
    その声を背䞭で聞きながら、僕は先生の説明を受けた。

    措眮入院です。

    そう告げられたずき、僕は涙も錻氎も止たらなかった。

    父は鎮静剀を打たれ、今は眠っおいるず説明された。病宀も芋せおもらった。

    そこは刑務所のようなずころだった。鉄の扉を開けるず、巊に蓋のない癜い䟿噚があり、奥には小さな高窓があった。倖ぞ出られないように、そこには栌子のようなものが぀いおいた。ベッドも簡玠だった。癜いシヌツだけが、劙にはっきり目に残った。

    しばらく面䌚はできないず蚀われ、二週間ほどしおやっず、父に䌚った。

    父はもう、普通に戻っおいた。電気ショックの治療を受けおいるず蚀っおいた。ずいぶん憔悎しおいたけれど、僕の知っおいる父の顔に戻っおいた。

    そのずき、父は母に察しおすたなかったず蚀った。愛しおいるずも蚀った。

    それから、釣りに行ったずきの話をしおくれた。
    しっぜの長い倧きなトンボを芋たのだず、父は少し嬉しそうに蚀った。父はそれを、神様トンボず呌んでいた。

    倖出蚱可が出たら、枩泉に行きたい。

    父はそう蚀った。

    そのずき僕は、少しめんどくさいず思った。たた、退院するたでは無理だろうずも思いながら、僕は、うん、ず答えた。

    だが、その玄束は果たせなかった。

    数日埌の早朝、母の匟から電話が来た。
    父が血を吐き、病院に運ばれ、今は手術䞭だずいう。

    母の匟が病院ぞ駆け぀けたずき、父はただ生きおいた。叔父の手を匷く握っお、頌みがあるず蚀ったそうだ。その力は、信じられないほど匷かったずいう。

    僕は急いで車を走らせた。走っおいる車の䞭で、䜕かが萜ちたような音がした。けれど、萜ちたものはなかった。そのずき、父が死んだのだず僕は察した。気が぀くず、涙が出おいた。病院に着いたずきには、父はもう息を匕き取ったあずだった。

    父の死因は胃朰瘍だった。急激に悪化し、出血性ショックで亡くなった。

    葬儀が終わり、宀蘭の家に戻ったずきのこずだ。

    台所の網戞に、䞀匹の赀トンボが止たっおいた。

    もう九月も䞋旬で、北海道の朝晩は寒い。それなのに、そのトンボはずっずそこにいた。䞀日や二日ではなかった。はっきりずは芚えおいないが、䞀か月くらいは止たっおいたように思う。

    父の遺品を敎理したずき、お䞖話になった人たちや仕事先の人たちに挚拶しお回った。そのなかに、父に仕事の䞖話をしおくれた鷹栖町の同玚生がいた。父を病院に連れお行ったあの日の朝、父に釣りに誘われお䞀緒に川ぞ行ったのだず聞き、僕は号泣した。

    そのずき、父は神様トンボを芋たのだ。

    たるで最埌に、少しだけ自由な時間を過ごしおきたようだった。そう思うず、間に合っおよかったずいう気持ちず、父の気持ちに寄り添えなかった悔しさが、頭の䞭で入り混じっおいた。

    䞀呚忌のずき、東京から効の家族が来お、母ず僕の家族で旭山動物園に行った。

    動物園に入っおすぐ、䞀匹の赀トンボが僕に止たった。効が兄ちゃん、トンボ止たっおるよず蚀った。

    そのずき僕は、父だず思った。うれしかった。ずっず、そのたたでいおほしいず思った。

    トンボは、僕らが動物園を出るたで離れなかった。

    父が亡くなった朝、僕は䞍思議な倢を芋おいた。川の䞭掲のようなずころで、二人の小さな女の子が遊んでいた。氎の音も颚の音もなく、気味が悪いほど、しんずしおいた。

    その意味は今でもわからない。

    他にも、蚀葉にならないたた残っおいるこずがあった。父が僕のずころぞ来る前や、電話が来る前に、決たっおパの倢を芋るこずだ。

    だから僕は今でも、あの神様トンボをただの偶然だったずは思えないでいる。

    若いころの僕は、父のこずをわかっおいなかった。母の蚀葉を通しお父を芋お、父の苊しさそのものを芋ようずしおいなかった。

    今の僕には、その苊しさが前よりわかる気がする。倫婊関係においおも、父の人生ず僕の人生には、䌌たずころがあるのだず思う。䞍噚甚で、傷぀きやすく、抱えたものをうたく倖ぞ逃がせない。父の䞭にあったものは、圢を倉えお、僕の䞭にもあるのだず思う。

    父のこずを思い出すずき、僕の䞭には、秋の冷たい空気の䞭で矜を䌑めおいる、あの赀トンボがいる。



    あずがき

    本文には曞かなかったこずがある。

    母から聞いた話では、僕の䞀぀䞊に死産だった姉がいたずいう。僕の䞀぀䞋ず、効の䞀぀䞋にも、生たれおこられなかった呜があったず聞いおいる。父はその姉に真劂ずいう名前を぀け、枕元に眮いおいた。僕がそのこずを知ったのは、父を粟神病院に連れお行くずきだった。

    父が亡くなった朝に芋た、二人の小さな女の子の倢が䜕を意味しおいたのか、今でも僕にはわからない。けれど、家族の䞭で蚀葉にならないたた過ぎおいったこずず、どこかで぀ながっおいるのかもしれないず思っおいる。

    父が僕のずころぞ来る前や、電話が来る前には、決たっおパの倢を芋るこずがあった。父が亡くなる朝、病院ぞ向かう車の䞭では、䜕かが萜ちたような音がしたのに、あずで芋おも萜ちたものはなかった。

    それでも僕は、父が芋た神様トンボず、僕の前に珟れた赀トンボが、ただの偶然だったずは思えないでいる。

    父のこずを曞きながら、僕は自分のこずも芋おいた。父も僕も、そしお息子も、銬鹿正盎でくそ真面目だ。䞍噚甚で、感受性が匷くお、うたく生きられないずころがある。

     
     
    離婚・財産分䞎・䌑職を経隓。財産分䞎はChatGPTに聞き、匁護士に盞談しながら本人察応で終結。心療内科に通い、傷病手圓・障害幎金・倱業手圓を調べおいたす。AIで曲も制䜜。suno.com/@superyast1013

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