
小説「シン・モブ神様、降臨す」
あらすじ
量子コンピュータが生み出した惑星シミュレーションで、若き技術者アートンは“主役”を支えるために、浅い思考しか持たない軽量人類=モブを設計する。やがて文明が進むと、彼らの浅慮は歪み、世界を破滅へ導く扇動者が現れる。
未来に起こる惨禍を議論する場で、アートンは「我々の愛、我々自身の成長」を訴え、人類の歩みを信じて観察する道を選ぶことを求める。そして創造主=“神”としてシミュレーション世界に介入し、扇動者であるモブに“未来の記録”を見せ、将来を選び直させることで悲劇を回避する。
ほっとした束の間、上層部から世界のリセットが示唆される。
世界は“関係性”であり、“情報”であると問う、存在論的SF。
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第一章:シミュレーション世界の誕生
中流家庭に育ったアートンは二十五歳。
大学では修士課程まで行き、電子工学学科で量子コンピュータを学んだ。
それなりに優秀だった彼は、そのまま学内のインキュベーター企業の技術者となり、シミュレーション世界の設計に関する仕事に携わることになった。
今日、量子コンピュータの完成により科学は飛躍的な発展を遂げ、惑星規模のシミュレーション世界の運用も可能になっている。
アートンが働く企業では教授が惑星を設計し、それを運行させることに成功し、既にその世界のスケールで数十億年の時間を経過するまでに至った。
そもそもこの設計には慎重なパラメーター操作が必要で、重力などの均衡を保つために数値を細かく調整して、シミュレーション世界で動植物が存在できる環境を生み出すための物理法則が展開されていた。
この数値の組み合わせはとても難しく、基本は8つのパラメーターなのだが教授は何と20個の操作でシミュレーション世界を組立てそこに惑星を運行させた。すなわち、4つの力と4つの保存則、12個の対称性原理だ。
教授は長年の研究により対称性原理を組立て、小規模実験を繰り返し、ようやくここで完成形を生み出したということである。
その教授の名声は広く知られることになり、数々の出資の申し出の中からオーナーが決まり、学内にインキュベータ企業の設立が実現された。
アートンのような学生が入社する他にも、他大学から招へいされた者や、出資者周りの常駐技術者など多くの人員を抱え、役員組織も組まれて数百人が関わる企業規模となっている。
そこで働く者が視覚的に認識しやすいように、ラボの中央ホールには巨大なボール状の3Dスクリーンが、宇宙空間に浮かぶ青い惑星の細部を映し出している。
分かりやすい仕掛けなのだが、宇宙空間そのもの——太陽系、銀河系、島宇宙などの大きさまで網羅するような投影は行われることは無い。
それは、何よりもリソースの問題である。
教授の組み立てた物理法則で隅々まで展開された宇宙空間を投影しようとすると莫大なエネルギーが必要となり、学内に供給されているものでは到底賄いきれない。
そのため、惑星単体に絞り込んでシミュレーション実験は行われており、太陽や衛星、宇宙線からの影響はこの惑星に届くものだけ詳細に計算されている。
教授はこの惑星が自立的に進化を遂げていくようプログラムし、次々と成長のステップを登って行くように仕掛けていた。
その中で無機物が有機物化し、生命の誕生から動植物が進化していく過程までの全てをなぞらえることもできた。
しかし、これはあくまで計画の準備段階である。本来の目的を実行させる前のもの。
いよいよここに人類を配置し、シミュレーション世界の本格的な観察を始める段階となる。肝の実験であり、出資者たちの関心もとても高い。
しかしそこで、教授は後進育成の思いから——人類の設計をどのように組み立てるのかは、社内コンペで募るべきだ——と考えた。
教授から出された提案は波紋を呼び、出資者の多くは教授の頭脳から生み出される人類を希望したが、最終的に学者の構成人数が多い役員会が承認し、広くラボの技術者たちにアイデアが求められることとなった……。
この企業のセカンドラボで働くアートンでも、コンペに参加する資格はある。
ある程度自信もあったので挑戦しようと思ったが、それなりに優秀だとしても、そもそも入社して間もなかった。
運用されているシミュレーション世界の基本原則を理解すること——惑星の設計に当たった教授が発表した論文や講演録を学習するのに手いっぱい。
もちろん自分の相棒AIのアシストはあったが、膨大な量の資料を消化するだけで相当な時間を消費してしまった。
そのため、ようやく人類の設計に取り掛かれたのはコンペ締め切り直前で——もう時間が十分に無かった。
シミュレーション世界の物理原則に沿った設計をしないと何事も成立しないのだから、これは入社間もない身では当然、ということである。
アートンはアイデアを固めた段階で、これから設計に取り掛かった場合の時間を試算し、今回はあきらめることにした。きっとこの先まだ何かしらのチャンスがある筈だろうし、そこに食らいつこう、と。
そう切り替えると、様々な技術者からコンペに出された各々の設計プランに関心を向けることにした。共有掲示板に掲載されている、提出プランの概要を熱心に読み込み、同僚たちの間に飛び交う情報からそれぞれの長所と短所を予測する。
中でもブラフ准教授のアイデアは飛びぬけているのだが、リソースの問題があるらしい……。もしこれが採用されると、それを解決するアイデアがきっと求められる筈で——そこに自分のチャンスがあるかもしれない、と踏んだ……。
「さてコンペの結果だが……多機能性と革新性を評価し、シミュレーション世界の人類の設計プランはブラフ君のシステムを採用し、データの蓄積と回収に当たってもらうこととする。但しこれには条件があり、解決せねばならない課題がある……」と教授は視線を傍らに向け、発言を促した。
バーチャルホールの演台に南方系で褐色の中年男が近づき、教授と入れ替わって話し始めた。
「先ずはありがとうございます……この度は私のプランをご採用いただきたいへん嬉しく思っています。必ずや多大な成果を上げ、我々の社会に貢献できるよう尽くして参ります」
礼儀正しく、舞台上に座る役員会連中に向けた挨拶を終えると、ブラフ氏は視線を上げて力強く話し出した。
「さて課題というのは、このキャラクター自走回収運用システム——通称タマシイプログラム——は、とてもデータの容量を必要としているということ。シミュレーションの中でこのプログラムで人類を生み出し続けていくと、いずれは全システムに負荷がかかり、パンクしてしまう恐れがある。個々の活動期間調整や、最低限必要とする人類の数まで絞って計算しても、無理があるという結果だった……。しかしながら、人類の成長には社会生活を経験するために“大衆”が必要。日々の生活ですれ違う“他人”の存在でわが身を知ることや、社会的な勢力を人の“数”で知るためには……。そこで、現状のタマシイプログラムよりもデータ容量を必要としない人類を配置し、代わりに“大衆”の役割をさせたい」
演台の傍らのスクリーンに、視聴するアートンたちラボで働く技術者が映し出され、ブラフ氏の話が続く。
「私は、データ容量が少ない人類のプログラム開発を、ここに集まってくれた技術者諸君に期待したい。私の設計のエッセンスから、どうかそれぞれが考える最適解を提出してほしい。私は私の人類の配置や運用を教授のチームと共に検討に入らなければならないのだ。君たちの中から私に代わって——斬新なアイデアで設計し運用を任せられるようなものを生み出してほしい。よろしくお願いする」そう言うと、技術者各自の目の前には3Dでキャラクター自走回収運用システムの詳細な設計図が現れ、このシステムの要点とデータ容量の多い箇所、求められる開発プログラム要件などが並べられた。その資料データは、同時に各技術者の“ポスト”に届けられた。
求められるのは、ブラフ氏設計の人類——キャラクターたちと同じように、子供から大人までの成長の過程を過ごし、生産や繁殖の社会生活を行い、次世代への連携を自走すること。
但し、経験値を回収する必要は無いので、データ保存領域が少ない設計とすること。
もちろんのこと、仕様の違いがキャラクターたちに気づかれることは無いようにしなければならず、彼ら自身も“主役”に対する“モブ”として存在していることに、疑いを持たないようにしなければならない。
第二章:アートン、モブを創る
「予想通りにブラフのアイデアが採用されたな。詳しい設計図が手に入った。——さて、ブラフのプランをどう評価する」アートンは自室のデスクで相棒AIに問いかけた。
「キャラクター自走回収運用システムをタマシイプログラムと呼ぶのは俊逸ですね。経験を重ねて成長したデータを回収し、システムは再利用し転生させるという考えは、人類の進化実験を効率良く進められるものと思います。社会環境によってどのような因果律が成立させられるのか観察が可能となります。また、シミュレーション世界を観察するだけでは補えないミニマムな情報が記録されたデータを回収することで、多角的な分析が可能となります。とてもバラエティに富んだ興味深いものが得られそうなのが楽しみですね」
「そうだよね……。しかもこのシステムは良くできているからほぼノー・メンテナンスですむ。でも、これを基に容量の軽さを求められるモブを作成した場合、それは無理だろう。自走するようにしていても、できることには限界がある。問題はメンテナンス処理をどうするかだなあ……。君もアイデアを幾つかお願いするよ」それだけ言うとアートンはデスクから席を立ち、ふらふらと部屋の隅に向かった。
いつものようにリトリートチェアに座り、考え事の前に習慣となっている瞑想を始めた——。
期日ぎりぎりに、アートンはモブの設計案を事務局に提出した。
考えれば考えるほど、このコンペは運用方法——特にメンテナンスのアイデアが勝負だろうと思い、誰も思いつきそうにないアナログで安価な方法を提案の形にまとめるのに、設計以上に時間を使った。
ここしばらく、日常の時間の大半をコンペに使って過ごしたので、週末はどこか気分転換の小旅行でもと思っていた矢先——ブラフ氏から連絡が入った。
「やあ、こんにちは。あるいはこんばんは」スクリーンに褐色の顔が映る。
「こんにちは、です。ブラフ先生」一対一で話すのが初めてなので少し緊張する。
「ミスター・アートン、先生はやめてくれ。ミスターあるいは技師長と呼んでくれ」ブラフ氏は砕けた調子の笑顔をアートンに見せてくれる。
「技師長ですか? 古風な呼び方がお好みなんですね」
「そうとも。古の昔からわれわれ技術屋がやっていることは変わらない。文明の火が消えぬようランプの芯を常に新しいものにし続けている。私はそのうちの一人。そして君の上司であるから技師長さ」
「……ということは、私の設計を採用していただいたのですね。ありがとうございます。とても嬉しいです」内心のガッツポーズを隠し、礼儀正しく話すよう努力する。
「礼には及ばない。君のアイデアが求めていた条件をクリアしたということだ。中でも課題解決のメンテナンス作業を、手間だと思わない考えが気に入った。今どき面倒くさいことを本気でやる者が減ったからな」
「そうなんです! もちろん、AIの方が正確であることは間違いありません。でも、人類のことはヒトが専門だろうという発想から、ヒトによるメンテナンスを考えました」
「我々ヒトに似せて作った人類だからなあ……。でもそれをシミュレート世界でヒトによってメンテナンスの作業を行うという発想は私にはなかった。それはともかく——実際に実行する者だが?」
「はい、メンテナンス作業については私自身がしっかりと行います。ブラフ先生……技師長の主役キャラクターの育成プランに、寄り添ってうまく成果を上げられるよう頑張ります」
「うむ。教授もミスター・アートンのアイデアを評価している。『モブの設計に百パーセントの安心を得たわけではないが、メンテナンスでのカバーに期待する』と仰った」
「そうですか……逆に言うと、設計上に安全性の問題がありそうだったのでしょうか?」喜びから一転し不安な気持ちになる。
「技術屋としては、常に付き纏うことさ。この世に完璧なし。トライアンドエラーの精神で事に当たるべし」
「でも——」
時間が来たのか会話は打ち切られ、よろしく頼むという声を残しブラフ氏はスクリーンから消えた。
代わって事務局の担当者が現れて、アートンの昇進とラボにおける立場やサラリーの改定、モブの投入について今後の進行を打ち合わせた。
アートンのモブは、主役キャラクターたちと見た目や基本的な動作は変わらないようにできていた。ただ言動が少し浅はかである。
主役は思考するとき何層ものレイヤーから答えを導いてくるのに対し、モブは一から二、或るいは二から三までのレイヤーしか深みがない。
主役はモブと対話したときに、底の浅さに戸惑うこともあるだろう。言い争いが起こった時に、そのことを指摘することも考えられる。
しかし、モブは怯むことなく自分が正しいという態度を示すので、考えすぎる傾向にある主役キャラクターたちは、その勢いに納得させられてしまうかもしれない。自分たちが間違っているのではないか、と。
それらを確かめるため、シミュレーション世界の限られた区域で本投入前に実験観察を行い、傾向値を求めた。
その結果、基本的にモブが示す浅はかさと根拠のない自信めいた態度は、集団の中では評価されず、そういった者の地位は低い。
しかし、その態度がタフさである、と間違って解釈されてしまうことがある。それにより、当該のモブが集団の中で高い地位に就くことがいくつかあった。
最終的に、主役の数に対してモブの占有比率がどれだけになると、その傾向が高まるのか確かめる必要があるだろう——と結論づけられた。
これは今回の実験観察で済まさず、シミュレーション世界の実証確認課題の一つとすべきだ、という声が役員会から上がり、本投入後の観察の対象となった……。
第三章:寿命問題と“神”としての初介入
いよいよ二種類の人類が本投入され、シミュレーション世界の時間で十数万年経った。
最初の課題が見つかった。
投入された当初は問題とならなかったが、その世界に社会集団が生まれてくる段階で、モブの機能が問題になった。
特に活動可能期間が問題で、主役キャラクターが寿命を伸ばしていく一方で、モブは予想外に短命に終わるようなのだ。
当然のことながら、平均年齢が伸びないと集団の発展と成長に影響が出ることが懸念された。
これは一時的な現象なのか、今後のシミュレーション世界の環境変化で解消されるのか。時間の速度を遅くして、詳細な調査が行われた。
ブラフ氏はアートンに原因分析と問題解決策を求めた。
アートンは相棒AI、ラボの部下たちと共にデータの確認に取り掛かり、間もなく問題がどこで起こっているのか発見し、その解決策も考えた。
肝になるのは、シミュレーション世界の住人たちに抵抗なくそれを受け入れさせ、今後予定される社会への変容と同調させるための工夫であった。
こちらの意図を隠してどうするか、ラボ内で議論を重ねた……。
役員会から戻ってきたブラフ氏から、量子コンピュータの端末で作業中だったアートンは呼び出しを受けた。
作業は強制的に一時保存の状態となり、端末のスクリーンに現れたブラフ氏の表情は、少し険しいものだった。
「ミスター・アートン、今日の役員会でリスク検討が行われたよ。——君のもう一つの人類であるモブの活動可能期間を増やしてもらわないと、バランスの悪さでどうなるか、という見立てだ……。このまま悪化して寿命に二世代分の開きができてしまうと、主役キャラクターたちの育成に影響が出る。そして今後期待する文化の発展が得られず、シミュレーション世界に予期せぬ変容が起きる可能性が高まって行く。更に悪く見積ると、計画の中止を含めた見直しの検討に入ることになるだろうと……。さあ、どうするのか聞かせてくれ」
「技師長。もちろん一刻も早く、解決策を実行させるためのメンテナンスプランを行いたいと思います。許可いただければ、介入ユニットでシミュレーション世界に入ります」
「ふむ。で、寿命延長メンテナンス策の開発は出来たのか?」
「はい。今もその作業中でした。基本的な準備は済んでいます」
「介入に掛かる時間は?」
「はい。介入プランの完成まで二日下さい。それを提出した後……役員会の確認と承認に何日かかりますか?」
「そうだな……一日か、二日。——君も知っての通り、エネルギー消費のことからも、シミュレーションの時間設定をこれ以上低速にし続けられない。後、二週間が限界だ」
「では……それなら……介入は承認が下りたら一時間以内に始めます」
OKと一言残し、ブラフ氏は何時ものように唐突に消えた。
アートンは直ぐに相棒であるAIと介入についてセッションを始めた。
彼が提示したメンテナンスプランは、シミュレーション世界にキャラクターとして潜入し、時間を掛けて個々のモブの改良を行うものだった。
モブの設計者と悟られないように彼らの世界に介入し、そこに居る人類たちに、そうとは知らずに問題解決を自らさせるように仕向けて行動させる。
それが強制的な介入になってしまわぬように、細心の注意で彼らの納得を得られなければならない。何としても、彼らのこの後の社会変容に影響してはいけない。
彼ら自身が選択して行くという、シミュレーション世界での“自然な流れ”が重要視されているからだ。
そのため介入の姿かたちは、人類たちに受け入れられる“姿”が必要となる。
アートンは今回のメンテナンスプランでどのような姿が良いか考えた。
その時の人類は、惑星の色々な場所に散らばり、形成している集団ごとに文化が異なる。
それぞれの集団の前にアートンが現れるとき、自分の姿は彼らが受け入れられる姿に毎回アレンジしなければならない。手間であるが、その面倒くささがかえって楽しいものだと思う。
色々と凝った設定を考えたかったのだが、時間が迫っていたのである程度のラインで妥協した。
今はプラン実行準備のために、シミュレーション世界の時間はスローモードにしてある。課題解決後、予定到達点まで倍速モードで取り戻すということからも、計画の進行がこれ以上遅れないようにしなければならないのだった。
その時代の人類は狩猟採取時代の真っただ中だった。
対象となる民族の一団に介入するため、アートンが考えたのは自分のことを超自然的な存在だと思わせ、彼らを“畏怖させる姿”だった。
他の集団との縄張り意識を持つ彼らに、同じ人類として対面しても——自分のことを受け入れさせるのには時間が掛かりすぎる、という判断である。
「そこを行くお前たちに私から伝えたいことがある」
草木も生えておらず、なるべく何も潜むことがなさそうな峠に対象の一団が差し掛かると声を掛けた。
何も存在しない空間からの大音響に驚き、一団はその場で歩みを止めてしゃがみこんだ。五十人はいる。
皆怯えた様子で左右の斜面を見上げ、声がどこから聞こえたのかキョロキョロ見まわした。
やがてそこから、シャーマンと思しき老女が一団の先頭に出て、地面に伏した。半信半疑に声を上げる。
「これは山の神のお声でございましょうか? われらにはお声は聞こえますがお姿が見えませぬ。どうぞ、お姿をわれらにお現しくだされませ」
「よろしい。見せてやろう」とアートンはフェード・インでゆっくりと、光り輝くエフェクトを施した自分の姿を、老女から数メートル上空に現した。
身に纏っているのは織物のローブで左手には壺を持ち、顔は“人らしからぬ施し”のエフェクト処理をしている。発する声は、サラウンド効果で峠いっぱいに広がるようにしている。
それまで彼らは、世界の中で起こる自然現象に端を発した“神”という概念に恐れを抱いていた。
今、目の前に現れた、想像を凌駕する理解できない現象は、威圧感があり効果てきめんである。
「おお、これは! や、山の……山の神……。わ、われらに……いかなる話が……あるの、あるのでしょう……か?」
老女は内心の畏怖の念を抑えながらも、果敢に声を発する。
アートンはセンサーを通して老女を見た。その身体から主役キャラクター特有の光が発せられていることを確認した。一団を見まわすと——他に四人居る。
十パーセントの標準的な配置バランスが保たれていることをチェックし、うなずいた。
「よし。私はお前たちを見た。お前たちは正しき道を歩んでいることを知った……。正しき道を歩む者たちへ、私は更なる繁栄を約束する。それは繁栄のための知恵である……。これより——お前たちに恵みを与える」
アートンは左手に持っていた壺を老女に向けてゆっくり放った。壺はスローモーション効果でゆっくりと空間を進み、伏している老女の前に着地した。
「その中にある種を黒い土に植え、水と陽の光を与えよ——。やがて成る実の十のうち、五つを食し三つを飢えの日に蓄え、二つを大地に戻し育てよ。それを繰り返すと、お前たちはいつも腹満ち、肥え、多く産み、繁栄することを知るようになるだろう……」
「これはこれは……何たる恵みか! われら一同、深く深く山の神へお礼申し上げます! この長き冬により——獲物を得ること難しく、ようやく春を迎えましたが、次にはどうしたものか、と思うておりました!」
成り行きを見守っていた一団の緊張が解け、一斉に老女が押し戴く壺のまわりに集まり跪いた。男も女も子供も老人もはしゃぎこ踊りしている。
皆口々に「ありがたや」「助かった」「うれしや、うれしや」と声を上げ、アートンに向かい喜びに満ちた顔で、深く頭を下げた。
それを確認したアートンは、達者で暮らせと言い残すと、その場所からフェード・アウトした。
このような介入を、十から二十万人程度人類が分布する地域ごとに数か所行い、彼ら狩猟採集民族に農耕社会移行のきっかけを与えた。
そのきっかけを自らの社会変容と選択した集団は、やがて土地に定着して農耕を盛んに行うようになっていった。
一口に狩猟採集民族と言っても、地域ごとにその進化度合いが異なるため、調整が必要だった。
進化度合いの高い民族への介入が終了すると、シミュレーション世界の時間進行を進め、一定の進化が確認できた地域に再び介入し——また進めては介入し、と何度も何度もそれを繰り返した。
そうして数千年掛けて惑星全体に農耕社会が浸透するようにした。
“こちら側”の時間では、わずか十日ほどのことであったが……。
アートンが配った壺は、使用して空になった筈なのに——翌年にまた中が種子でいっぱいになっている“神が施した不思議な”ものであった。
例え穀物を育てるのに失敗しても、再度やり直しができたのだ。
但しそれは三年で三回まで。それを過ぎると壺は脆く崩れ去り、土に戻ったかと思うと、跡形もなく消えてしまった。
それでもこの充分なる施しにより、収穫された穀物を摂取したモブの寿命は、主役キャクター並みに伸びるようになった。
平均年齢が伸びてリスクは回避された。これで集団の発展と成長が望まれたので、アートンに課せられた問題はクリアとなった。
アートンは課題達成よりも、自分が設計したモブたちの活動期間が延び、彼らなりの人生を謳歌する時間が増えたことが、個人的に嬉しかった。
「よくやった、ミスター・アートン。君の与えた“穀物”は良い効果を示しているようだ。彼らの文化発展に及ぼす影響も最低限で済み、順調に進んでいるようだ。このアイデアは良いな。どう考えた?」ブラフ氏からお褒めの言葉をもらう。
「はい、技師長。モブに持たせている基本性能に解決の糸口がありました。彼らの基本動作であるコツコツと同じことを繰り返す動作を利用することで、地道に種子から育成し“穀物”を摂取するという——寿命延長プログラムを自らインストールさせる活動に、結びつくことを考えました。集団の中の主役キャラクターにリードしてもらい、モブを行動させれば良かった。これにより彼ら自身で、自らの寿命を伸ばす好循環サイクルを作れたのは成功です」
「うむ。教授も私も概ね満足している。ところで——人類たちに“神”と呼ばれた気持ちはどうだね」
「なんとも、気恥ずかしいものでした。なかなか自分の中で消化できない気持ちです。技師長こそ彼らにとって“神”にふさわしい立場なのですから、一度シミュレーション世界へ散歩など、どうですか?」
「もしその時には、彼ら人類の前でどうふるまえば良いのか、君にレクチャーを頼むよ」と言い残してブラフ氏はスクリーンから消えた……。
第四章:文明の発展と新たな危機
それから二週間も経たないうちに、ブラフ氏はシミュレーション世界へ散歩をするわけではなく、「メンテナンス目的ではない——人類への介入を行うので手伝ってほしい」とアートンに伝えてきた。
当初、ブラフ氏は次の段階の計画進行をするにあたり、シミュレーション世界への介入など考えていなかった。
しかし、アートンの行ったユニークな方法こそ——大事な変換点に必要ではないか——と思い直したということだった。
ブラフ氏が介入先としたのは、貴族社会が生まれようとしている南方の部族民たちの、そこから七世代後の集団であった。
シミュレーション計画の進行上、これからどうしても外せない文化の萌芽を生み出さなくてはならず、「自分がチューンナップしたタマシイシステムを実装した主役キャラクターを投入した際、その育成に自ら携わることで成功確率が上がるのではないか、と考える気持ちが強くなった」とアートンに伝えた。
そして“自然な流れ”を考慮した計画を練り、当該キャラクターの具体的な育成を始める前に——シミュレーション世界で数百年の間、その部族を含めた広範囲の人類たちに“神の姿”を見せ、その威光を知らしめなければならないとした。
アートンはブラフ氏の要望に従って“神の御業”のプランを幾つか提示し、具体的なアクションプログラムを設計した。
そうして対象範囲の中に多数ある部族からアトランダムな抽出を行い、彼らの前で“神の御業”をいくつか繰り返して見せた。それを何回か実行して一帯の人類の意識に、深く“神”の存在を植えつけた。
一連の作業が済み、神への畏れの共通概念が育った時期を見計らい、特別なキャラクターが、ある王族の息子に生まれるよう投入された。
そして順調に青年期を迎えた王子の前に、ブラフ氏は“神”として現れた。
先ずはこの王子のタマシイプログラムのチューンナップの具合を確認するために、彼といくつか問答を繰り返した。
彼の人類が持つ苦しみの概念に対する理解への回答は、明確性に欠けてはいたものの、概ね期待通りの反応が得られた。
それに満足すると、ブラフ氏は王子に今後の成長を促すキーワードを話し、一旦その場を去った。
そこから注意深く観察し、王子が自ら厳しい課題を強いて自己の成長を遂げようとする姿を、我慢強く見届けた。
しかし過度な行為により、あわやというところまで来た時には、流石に救済の処置を行うことにした。
事前に用意しておいた、アートン設計の救済を役目としたモブを投入して“乳かゆ”を与え、王子の生命維持機能を活性化させた。
それにより再び活動を始めた王子は、ここに来てようやく「この世界はどのようなものであるか」を理解し、それを意識の目で見る方法を会得できた。
そこまで来て、ブラフ氏は最終的な仕上げに入った。
再び王子の前に現れて、繰り返す議論の末に「会得したものを自分のものだけにせず、民衆にも説いてまわるよう」決心させることに成功した。
このことはシミュレーション計画全体のゴールに関わることなので、失敗は許されず、ブラフ氏の成功はたいへん大きな意義がある。
このシミュレーション世界と、我々の世界との近似点が生まれたのだから……。
ブラフ氏の成功を称えるため、役員会から全メンバーにボーナスが支給され、教授はラボの全ての技術者に氏の偉業を称えるメッセージを送った。
アートンたちもしばらくの間、お祭り気分で楽しい日々が続いた……。
そこから順調に人類の文明が進み、社会の形態が複雑化すると、モブのメンテナンスのための介入案件が増えてきた。
だが内容を精査し検討すると、多くの介入はAIの3Dモデルによる代行処理で済んだ。
AIはヒト、動物、植物、自然現象、精霊、神、仏と様々な形態で人類の前に現れ、アートンが最初に行ったように主役キャラクターがリードしモブの改良を行う——自発的な行動を起こさせた。
ほとんど予定通りの成果を上げているので、よほどの場合を除き、モブに対するメンテナンスはヒトによる介入が必要だと判断されなかった。
但し、ブラフ氏が行う主役キャラクターたちを導く介入はヒトにより続いていた。
シミュレーション世界で三千年ほどは順調に人口は増え、タマシイプログラムによるデータの蓄積も予定通り進んだ。
そこで、この世界の進行スピードを今までより低速なものにして、人類の進歩を様々な角度から観察するフェーズに入った。それに伴い、ラボのメンバーは色々な研究調査に勤しんだ。
しかしそれも束の間、新たな問題が首をもたげてきた。
発展した文明に感化されたモブたちのうちに、浅はかさゆえ歪んだ解釈を持った者が現れ、彼らによる文明社会への破壊的行為が増えてきた。
そもそもの構想では、主役キャラクターの知恵と労力で世界は修正されて戻るということだったのだが、モブ勢力の集団浅慮が強くなった一団にそれが通用しにくくなってきた。
主役キャラクターの進化とモブ双方に必要な行動条件は——彼らを繁栄させる半面、自らを最終的に滅ぼす要素を持っている。
人類は自走するよう仕掛けられている。走り出したら止まらない一面がある。
負の一面として、モブたちの起こす集団浅慮による自走は大きなリスクを抱えるようになり、無視できない段階に近づいていた……。
ブラフ氏と主要スタッフの検討会に、モブ設計者としてアートンが呼ばれた。
「技師長、発言をお許しください」古参のスタッフの一人でブラフ氏の右腕であるミュロックがバーチャル会議室で発言を求めた。アートンを見る。
「ミスター・アートン。このD地区の集団浅慮は日に日に度合いが増していることは気づいているか? 中でも、扇動に長けたモブによる集団の勢いは、最重要観察対象だ」ミュロックがそう言うと、3Dスクリーンに狡猾そうな目をし、髪をぴっちりと左右に分けたちょび髭の男の映像が現れた。何を感じ、何を考えているのか分からない薄気味の悪い印象の男である。
「彼のデータを確認しましたが……思考レイヤーの階層はニしか持ち合わせていません。モブの中でもレベルがそれほど高くありません。彼が今後、これ以上の集団を率いることは難しいのではないかと思われます」楽観的にアートンは答えた。
「このD地区の首長となっている主役キャラクターは、やがて活動停止を迎える。それに乗じてモブによる集団浅慮の拡大も予想される。彼らの陥っている社会運営の困難さは、知性的な思考を放棄し、容易に強い者に流れ、あげくに破滅することが心配される」
「ご心配ももっともですが、この地区の主役キャラクターの比率は低いものではありません」手元に現れるデータを確認しながら、なおもアートンは楽観視して話を続けた。
「新たな首長が集団を取り込み、修正することが期待できるのじゃないでしょうか? まあ懸念するとしたら——モブたちに限ると、思考レイヤー平均値は他地区よりも落下度合が強くなってはいますが……」
「その掛け合わせが、やがて大きな穴を開けてしまわないか不安なのだよ」
両者の議論を見ていたブラフ氏が口を開いた。
「ミスター・アートン。既にミスター・ミュロックから、どれほどのリスクになるか、試算が提出されている」
ミュロックはアシスタントAIに指示を出し、試算結果を共有させた。
「ミスター・アートン。これによると、D地区を含むYグループ一帯に、甚大な人口減少を伴う被害の発生が予想される。これは介入案件と判断できるが……同意するかね?」ブラフ氏がアートンに迫る。
「うーん、そうですね。どの時期にどう介入するか検討が必要ではありますが……分かりました。ミュロックさんの指摘に基づき、介入に同意します」アートンは表向きには降参したが、内心ではまだ懐疑的だった。
「よろしい。立案については、私も入る。——他の者は直ぐ退出してくれ」
アートンはブラフ氏の強い調子の言葉に驚いた。いったい、人払いして話したいこととは何だろう?
第五章:グレート・セーブと悲劇の観測
アートンとミュロックを残したブラフ氏は、開口一番宣言した。
「本件でグレート・セーブを実施する」
思わず、アートンとミュロックは顔を見合わせた。そして同時に視線をブラフ氏に戻した。
「私が大きな負荷をシステム全体に掛けてしまう——セーブに踏み切ると判断したのは、問題の中心にいるのがモブであるからだ」アートンに強い視線を向け、ブラフ氏が言った。
すかさず、ミュロックが意を酌み、自分の考えを纏めるように言葉を発する。
「ん……主役キャラクターならば、なぜその時そのような行動に出たのか、パーソナルデータが残るから個別に対処が可能……ですが、モブ単体にデータを詳細にセーブする機能は無い。——行動要因の解明ができない。と言うことは……一度セーブしてから、そのモブが起こす最悪な事態を記録しておいて——セーブポイントまで戻った後に、未来の記録を利用する!」
我が意を得たり、とミュロックは声を上げたが、ブラフ氏の表情は暗い。
「その通りだよ、ミュロック。緊急対応として——主役キャラクターなら眠っているときに、直接つないで強制的な行動修正ができる。が、接続端子を待たないモブにはそれもできない……。このちょび髭男には、どういう訳か集団をコントロールする力が増している。モブが起こせる力の範疇を越え、もはや異常値だ。モブ同士が引き合う力が、やがては集団的異常行動として認められることになるだろう。——この状態をどうできるのか、われわれは注意深く事に当たらねばならない」
そこまで話したブラフ氏は、大きなため息をついた後にもう一言話した。
「もうすでにデッドラインが近づいていて、計画全体が失敗した際にどの時点まで戻ってやり直しができるのか……見極めるタイミングになっている」
二人の話を聞き、アートンは痛いほど事の重大さが理解できた——。
自分にとってモブは、小さくて容量の少ないプログラムで動く生命体であるが、それぞれ出生してから育ち、人生を歩んでいく感情を持った存在という特別感がある。
設計者という立場から始まった“神”という役割は、彼らに対して指導者であり庇護者であり、愛情を注ぐ存在ということをアートンに与えた。
アートンは彼らを愛していた。
そして、愛すべきモブたちが自分たちが住む世界に破壊的行動を起こすことはどうしても信じられなかった。
しかし、突き付けられた事実がアートンに「目覚めよ」と告げていた……。
「技師長、ミュロックさん。設計にあたった本人なのに気づけていなかったようです。まさかモブが……グレート・セーブで状態確保をするまでの、大きなリスクを引き起こす状況になっていたとは……」
肩をがっくり落とすアートンにミュロックが優しく声を掛ける。
「なかなか理解できなかったのは仕方ないよ、ミスター・アートン。——私自身も何度か彼らの世界に介入して、そこで経験したのは、どちらの人類にも感じた親しみの気持ちだった。所詮、シミュレーション世界の住人だと思おうとしても、彼らの懸命さに胸打たれたことは一度や二度ではない……。そんな彼らが愚かな選択をする筈がない——とバイアスが掛かってしまうのは当然だよ」
「ありがとう……ミュロックさん……」
アートンは先程の会議のときの厳しさから一転し、柔和な笑みを湛えたミュロックに、感謝の気持ちを伝えた。自分が感じているのは親しみ以上であることは黙っていた。そして意を決し、ブラフ氏に告げた。
「介入をします。時期と方法について示唆いただけますか」
「うむ、了解した……。その前に、私とミュロックで教授に説明に上がるので待ってくれ。——ミスター・ミュロックいいな?」
二人は会議室から消え、アートンは急に静かになった自室で一人の寂しさに襲われた。
それを振りほどこうと、相棒AIを呼び出した。
そして、モブの設計書のどこかに見落とされた致命的欠陥はないかと、あれこれ討論して気を紛らわせ次の呼び出しを待った……。
第六章:神の介入と改心
その時間に戻った。
アートンの介入先はD地区の中心地に近い建物の講堂で、大勢の聴衆を集め、異様な熱気に溢れた演説会が行われていた。
集まる男女の衣服は質素な労働者のものから、華美な装飾が施された貴族風なものまで様々であった。
アートンはその中間といった目立たない風体で、講堂の一番奥の窓に掛かるカーテン裏に姿を現した。聴衆の視線は演台の男に注がれており、その場の誰にも見咎められることは無かった。
人混みを押し分けて前に進むと、演台の男が近づいてくる自分の姿を何気に見たのを確かめ——その世界の“時間”を止めた。一瞬でそこは静寂になった。
何も動かなくなった中で、アートンのみが歩き、男に近づいていった。
同時にアートンの身体は発光を始め、全身がまばゆい光に包まれた。
何が起こったか訳の分からない男は、その光に驚愕した。
「何が起こったかお前に教えてやろう。私は、私とお前だけを残しこの世の動きをすべて止めた。もっとも、お前はその目と耳のみが私をとらえることができる。それ以外は、動くことが封じられている」男はまぶしさに目を細めながらアートンを見返そうとする。身体の照度を落としてやり、アートンは男の目をしっかり捕らえて話を続ける。
「さて、私は誰か。——お前たちを造った者だ。お前たちを設計し、この世界の住人として配置し、繁栄することを計画した者だ。——信じられないか? 今ここに起きている事がそれを証明している。お前はそれを理解できるな?」
見開かれた男の目に更に驚きの色が現れたのを認め、アートンは話を続けた。
「私はお前に真実を伝えに来た。それはお前が間違え、民衆を誤った方向に導こうとしているからだ……。お前は自らに備わった力の貧弱さに喘ぎ、苦しみ、その心の慰めになることを求めた。そして今——民衆を熱狂させ、意のままにできることが、空虚な心を満たしてくれる——と信じている。しかし、本当はそこには何も無い……。何も生み出さない“虚無”しかない」
最後の言葉と同時にそこは真っ暗な真の闇となり、何もない足場もない空間に自分が浮かんでいることを男は知った。何とか動かせる眼球だけで周りを見回しても自分以外何もない。やがておぼろげに見えていた自分の身体が徐々に闇に飲みこまれて行く……男は声にならない恐怖の叫びを上げた。
……気がつくと、元の場所に戻っていた。正面に居るアートンにあっと驚いて体を引こうとするも、動くことができない男はパニックに陥った。男の額からどっと汗が流れ出した。
アートンは男の胸ポケットからチーフを抜き、ふき取ってやる。汗に濡れたチーフを男の目の前で振って見せてやり、少し乱暴に元に戻してやる。ポンポンと胸を、次に頬も二、三度叩いた。
そうして男に嫌というほど、“現実感”を持たせてやろうとした。
男は真の闇よりもこちらの“現実感”にすがる気持ちになっていった。汗の流れと顔色でそれを確認すると、よく通る声でゆっくり話を続ける。
「この先お前が得ようとしていた力は、力なのではなく、業が燃える火でしかない……。お前はいくつもそこにくべる薪を増やそうとするが、どれだけ増やしても火は一つでしかない……。火の数は増えることがないことをお前は知らなければならない……」男の目の前に右手の人差し指を突き付けながら、話を続ける。
「いいか? 私はお前たちが間違えを起こさないように設計はしていない。良きものと出会えば良き方向へ……。多少の良からぬものとの出会いで良からぬ方向へ歩むのも、そのままにしている……。それは良からぬものがどんな結果を生み出すことになるのか……知らなければ良きものが何であるか知らず……良きものを望むにはどうするべきか考え……お前たちが自分の足で歩めるようにならないからだ……。ところが何の間違いか、これから先の未来、お前は民衆が出会う良からぬものを越えた“悪”そのものになってしまっていることを見せてやろう」
そう言うと、アートンは演台の男と自分の間の空間に、3Dのスクリーンを出現させた。
そこにはニュース映画の映像が映し出された。
初めは男も見知っている時代の平面のモノクロ映画が立体映像になっており、それが途中からカラーとなり、男の姿がスーツから軍服になり、軍隊を謁見する様子が映された。
どの場面でも参集した人々が熱狂的に男に手を振り、歓声を上げている。
それがしばらく続いた後、映像は一転した。
戦争により討ち死にしていく若者たちが映し出された。戦闘に巻き込まれて死んだ民間人。爆撃で吹っ飛ぶ人々、銃弾で撃ちぬかれた顔、火炎放射で焼かれた兵士。累々たる死体の山、山、山。
そして、貨物列車に乗せられ強制収容所に連れていかれる老若男女。
建物から上る白い煙と、そこから運び出される骸となった裸の人々。
掘られた大きな穴に放り込まれ重なり合う骸。
ひとり生き残り、鳴き声を上げる幼い子供に、銃口を向けるガスマスクをした鉄兜の兵士の紋章が大きく映し出される。
場面が変わり、鉄兜の兵士と同じ紋章をしている初老になった男。
手にはピストルが握られ、化粧を施し優雅な衣装に身を包んだ女に近づく。そこは地下の一室で、銃口を向けられても女は不気味に笑みを浮かべ……。
視点が切り替わり、撃たれて死んだ女の目に写る自分の姿……。
また視点が切り替わり、煙を上げているピストルを握る——震える手が映し出される。
ピストルを持った手が視界から消えた瞬間——銃声とともに映像は消え——男が知っている“真の闇”になった——。
また死んだ女の目に映る自分の姿、震える手、視界から消えるピストル、銃声、闇。
そして、また死んだ女の目に映る自分の姿——銃声——闇。
死んだ女の目に映る自分の姿——銃声——闇。
しばらくの後……闇から声だけが男に届く。
「これから先お前は、多くの者たちをこの世界から亡くし、お前自身をその手で葬ることになる……。その者たちをお前は歪んだ考えで見ていた。自分と違うものだと思い込んでいた。しかしな……私はお前たちを同じものから生み出したのだ。違いと言えないほどの、ほんの少しのバリエーションを持たせたに過ぎない。すべてお前の同類でしかない……。これからお前の歪んだ考えで進めば、心を満たすものは何も得ず、何も満足せず、ただ無に帰するだけ……。これが間違えた道だ……。しかし今、お前は自分がしようとしていたことが、闇を生み出す悪になったことを知った——」
何もない闇の中にアートンの顔がぽっと白く浮かび上がった。怯えて涙を流す男に見えるようになった。
「さあ、何を行うのか考えよ。今からならお前はこの過ちを生み出さない、民衆と共により良き道を歩むことができる……。自分の考えの間違いを正せ、お前自身を愛せ、その愛を民衆に向けよ、努力せよ、そして忘れるな。私は——お前を常に見ている——」
男の眼は衝撃でかっと見開かれ……次に汗と、涙と、鼻水で、ぐしゃぐしゃになりながら——顔を赤くして、声の出ない嗚咽を上げていた。
男にすべて伝わった様子を確認すると——アートンはその世界の時間を再び動かした。
聴衆は演説が突然途切れ、瞬きほどの間に男が汚らしく涙を流していることに気がつき、驚愕した。
声にならないうなりを多くの者が上げ、嗚咽を上げる男の表情を窺い、ひそひそと隣の者と話し出した。
その時、演台近くにアートンが立っていたことや、その場を去っていく姿に注意を向けた者はいなかった。
但し、男だけはアートンから目が離せず、涙と鼻水を垂れ流しながらその姿を追い続けた……。程なく、講堂奥の窓の側まで来たアートンが、カーテンの影に入り姿がふっと消えて無くなったことも見届けた。
声が出るようになった男は悲鳴を上げ、崩れ落ちるように演台を下り、聴衆は騒然とした……。
介入ユニットの接続を切り、立ち上がったアートンをブラフ氏やミュロック、教授と大勢のスタッフが拍手で労ってくれた。みんな口々に「これで大丈夫」と言ってくれる。
グレート・セーブのおかげで起点となる時間に戻り、やり直しができた。
モブが引き起こす悲劇をそのまま観察するだけなのは辛い時間だったが、回収した観察記録を基に介入プログラムを組み立て、あの男が改心するように、見せるべき映像と語るべき言葉の準備ができた——。
みんなに挨拶を促されたアートンは「今度は、人類が明るい未来を歩むことを祈りたい」と短く言うのが精いっぱいだった……。
第七章:愛のある神として
疲れ果てていた。
自室に戻り、ぐったりとソファに崩れ落ちるように座りこんだ。
断片的にセーブポイント以降に起こった数々の悲劇の現場とこれまでのことが思い出される。
多くはあの男が直接命令を下して起こったことではない。せいぜい四割というところ。
しかし、あの男の威光に恐怖し過剰な反応をし判断能力を失った他のモブたちが中心となって起こった悲劇が多数あった。その中には主役キャラクターが巻き込まれ、当事者になったものもある。
一個の狂人による連鎖は一が十になり、百が千になる。それを止めるには膨大なエネルギーが必要となる。負の連鎖で強大になった熱風は、それを正そうとした行動までもを更なる悲劇の着火点にしてしまうのだった。
モブ神様の視点でそれらを見続けることは耐え難い試練であった。
このまま悲劇は終わらないのか、と絶望的な気持ちになった。
他の研究者や技術者ならば、そこまで感情移入することは無かっただろう。しかし、彼にはシミュレーション世界の人類——特にモブたちは、プログラムで動く生命体以上の意味を持っている。
……やがて時間が経過し、悲劇を正す方向に動かせる強い力を持った人類が現れたことを期待するも、結局その者は純粋とは程遠く、利権を守り、覇権を争うことが主な動機であったことに、アートンは淋しさを感じた。
そんな時、初めてこのシミュレーション世界に介入したときの民たちの表情が思い出された。あの老女の周りで喜びの声を上げていた一族の顔がいくつも浮かんだ。若者や子供たち、男も女もすべてが笑顔で自分に礼を言ってくれた。一族が生き永らえることに歓喜していた。
そこには主役キャラクターもモブの区別もなく、生存優先プログラムの遂行を破顔して喜ぶ姿をアートンは嬉しく受け止めた。
なんて愛らしい者たちであろう——モブたちを創り出して良かった!
その思い出で暗い気持ちをやり過ごし、目の当たりにする悲劇にじっと耐えた……。
こちらの世界のスピード換算で四倍速のスピードで観測は進んでいたが、それでも一年近く掛かりようやく悲劇は終息を迎えた。
シミュレーション世界では十数年経過し、ちょび髭男の頭にも白いものが出始めていた。
そして、この男が愛人と共に死を迎える瞬間まで目撃することになった。
男が築いた帝国は崩壊した。そして惑星全体の戦火は消えた。
終わってみれば、ミュロックの試算通りYグループ一帯で千二百万もの人類がこの男の影響下で死んだ。そのうちの半分は男が妄信する、地上から殲滅されるべき民族だった。その一括りの中には当然主役もモブも混在しており、男の種族とはただの見た目の違いと、せいぜい所属する宗教グループが異なるぐらいである。まったく信じ難い理由による虐殺であった。
一人のモブが起こした悲劇は、惑星全体を包み込み、人類に取り返しのつかない深く濃い傷を残した。そして、それは何世代にも亘って今後も人類に悪影響を与え続けることが分かっている。シミュレーション世界の発展に水を差す大いなる損失だ。
観察データが十分に得られたので、これを元にセーブポイントに戻った時にどうやってちょび髭男の行動修正が行えるのか、アートンの立案を元に議論がなされた。
もちろん一番簡単なのは、このモブの行動を停止することである。
セーブポイントで機能停止しこの世界から消すだけである。
しかし、アートンはその提案はしなかった。
ブラフ氏、ミュロック、そして教授でさえ、それを意外なことだとは思わず受け止めていた。
アートンは役員会に訴えた。
我々はすべて“神”であると。
“愛のある神”であると。
それこそが、このシミュレーション実験の本懐ではないかと。
試されているのは彼らシミュレーション世界の住人ではなく、我々自身であると。
我々の愛が試されているのだと。
弱き存在に対して慈悲の心が持てるのかと。
それは我々自身の成長である。
弱きものがゆっくりと成長していくことを観察することで我々自身が成長を遂げていくのだと。
心を大きく持ち、自分自身を観察する。
自分の成長を写す鏡がここにある。
このモブたちがその鏡だ。
アートンはモブを消し去るのではなく、改心させ、変容する行動を見守ることを提案した。それにより世界が正しい方向に進んでいくことをシミュレートすべしと述べた。
役員会は沈黙に包まれ、その場にいる一人一人がアートンの提案を重く受け止めた。
教授は意見を求められ、熟慮の上で役員たちに話し始めた。
「わたしは、ここに居る諸君と同じく、アートンの提案は検討に値すると思っている。彼の言うように、我々は我々自身の進化の過程において、忍耐強くあるべきだと思う。美は一日してならず。美しいものが美しくあるためには、芽吹き育つ時間が必要である……。諸君もご存じの通り、わたしはこの惑星を設計するときに美しくあること、を根本の思想に置いた。数学的美しさ、調和のとれたバランスがこの惑星を形作っている。自然法則という楽譜の上を美しいメロディが波のように走り、たゆたい、渦巻き、押し寄せ、引いていく……。しかし、そこに生まれたほんの小さなほころびが、美しさを台無しにし、醜悪な様相を示してしまうことがある。それは正さねばならない。ただしその方法は、何よりも美しくあらねばならない……。美しい惑星に美しい人類たち。ブラフ君もアートン君もよくやっている。人類たちがこの惑星で何をすべきか、見出し、やり上げていく土壌を作り続けてきた。彼ら人類が自分たちで成長していく道筋を作り続けてきた……。わたしの答えはもうお分かりだろう。人類にやり直しをさせ、我々はそこに咲く花の美しさを愛でようではないか」
役員会は満場一致でアートンの提案を受け入れ、介入プログラムが組まれることになったのだった……。
介入から帰ってきて一時間は経とうとしているが、まだソファに沈み込むアートンの取り留めもない思考は、個人的な強い感情と共に空間を彷徨っている。
主役を支えるために生み出したモブの在り方に、設計者であるからこそ慈しむ感情が湧いてくる。
可笑しいと自覚はしていても、シミュレーション世界のプログラム生命体に対して感情を抱くことが、抑えられない……。
彼らは自分が設計したままに自走しているだけなのに……求められる大衆という集団を構成しているだけなのに……間違いを犯してしまう。
どこにミスがあった?
彼らを愚かに造りすぎた?
設計の段階で、自分に与えられた要件そのものに問題があった?
それとも原因は外にあり……まさか、キャラクターの中の未発見のマイナス因子がモブに影響している?
教授は、シミュレーション世界を“関係性によって成り立つ”ようプログラムした。
その法則性に従って、ブラフ氏はタマシイプログラムでキャラクターを自走させ、データを回収する運用システムを開発した。
そして人類が、他の者たちと出会い関係性を持つことで社会を生み出し、それにより成長していく様を観察するために、モブが必要とされた。
モブという大衆を得ることで、社会には活力が生まれ、様々な工夫と知恵が彼ら自身の生活を豊かでより良いものへ発展させることが期待された。
それはその通りとなった。
しかし、同時に社会には“悪”が生み出された。
これは、二種類の人類による“関係性”が母体となって生まれたのだろうか?
問題があるなら、その起点がどこにあるのか辿ることは基本だ。
両者の“関係性”を今一度、振り返ることで答えがあるような気がする。
——糸口を探す方法は、リプレイされた世界であのちょび髭男からヒントを引き出すしかない。
注意深く観察を続け、改心した彼が周辺、D地区、Yグループ一帯に今後どのような影響を与えていくのか、もしくは別の誰かが違う導き方をしていくのか?
集団浅慮は、教授が望む美しいものにとって代わることは出来るのか?
その時、モブと主役キャラクターとの間でどのような情報交換や衝突が起きているのか、それによりどのように行動が変容するのか、今までとは違った視点で観察し分析すれば何か見つかるかもしれない。
新たな視点を持つために仮説が必要なのかもしれない……。
アートンはともすれば、モブ神様としての慈しみがバイアスとなって事実から目を逸らす思考に陥らないように意識を集中した。
彼らモブを愛する神ならばこそ、彼らの特性、彼らが持つ情報、彼らが持たないことを冷静に見つめることが必要だと自分に言い聞かせた。
彼らプログラム生命体は“情報”である。ということは……。
その時——相棒AIが教授から届いたメッセージを伝えてくれた。
教授は、アートンの介入後にあの男が改心して行動に変化が生まれたことが確認できホッとした、ということであった。
しかし、同時にオーナーの考えも伝えてきた。オーナーは、これから先に同じような悲劇的状況が起きる要因があるのなら、今進んでいるシミュレーション世界のリセットを考える、とも言っているとのことだった。
いくつも同程度の規模のシミュレーション世界に出資しているオーナーにとって、そのうちの一つが失われても大した痛手には思わないらしい。
たぶん、彼らの世界で百年か二百年経過した先に見直して……。
教授はそんな事態にならないことを望むが、もしもの時は共にオーナーを説き伏せることに手を貸すよう頼む、と求めてきた。
アートンは、残された時間の少なさに冷水を浴びせられたような気持ちになり、ソファから起き上がると教授に返信をした。
「すぐに準備に取り掛かります」
<了>