
I have control ~僕のアタマに棲む~ 【#創作大賞2026 / エンタメ原作部門エントリ―作品】
~あらすじ~
「僕はどこで、何を間違えたのだろう…」
中小企業で働く主人公:シライアキトは
“10の仕事があるとすれば8は嫌いで2はすごく好き” という体質。
毎日葛藤を抱えながらの連日の激務に、鬱状態であった。
その日も仕事に疲れ、「もう、だめだ」と倒れこんだ後、目を覚ました施設でコメカミ部分に最新式の対話型生成AIを埋め込まれる “施術” をされたことを知る。
AIをまともに使ったことすらなかったアキトは、AIをChaRo(チャロ)名付け、仕事、恋愛、無くしたものを探す探偵?と様々な相談や使い方を試していく。
自身の気持ちが変化していく中、彼を待ち受ける “真実” とは…。
全文字数は3万文字ちょっとです。1話ごとは約2,100字なので
5~10分で読めます。(全14話分)是非、感想などコメント下さい。
最後まで読まれた方に、一行でも、一文でも。
何か心に残るフレーズがありますように…。
prologue
「…と、いう訳で君の頭の中、というかコメカミの部分に
対話型の生成AI、そのチップを埋め込ませてもらった」
…ど、どういう事ですか!!
…と、これが人気マンガやドラマなら切り返すのが筋なのかもしれない。
そしてこれがそうなら、上手い具合に記憶が失われていて「驚くのも無理はない」なんてところから話が始まるものなのかもしれない。
残念なことに記憶はほぼ残っている。疲弊しすぎていて、眠った瞬間だけ覚えていない。そうここは病院だ。
白い壁のスンとした病棟。独特のにおいはないが、カテゴリは精神診療科。僕は一般の人からみれば「少しだけ精神を逸脱」した状態にあった。
スマホで「死に方」「痛みなし」と言った言葉をやたら調べていたらしい。こうした検索をすると、スマホに「ヘルプが必要:コールダイヤル」といった案内が表示され、指定の番号にコールすることを促されるようだが、コールはしていない。しかし実際はコールしない人間がほとんどで、そうした人間こそが危ない。大きな事故を起こしてしまったり、突然倒れてしまったりが考えられるからだ。
先生が言うにはこれらのスマホの信号をブラウザを介して受診し、監視、
保護する施設に繋がるらしい。仕事の帰り道にフラフラになって倒れかかった僕を、先生が保護した、という訳だ。
「…同意無しでこういうの…アリなんでしょうか?」
「同意を待っていたら、君は投身するんじゃないかと思ってね」
もうどうにでもなれ、と思うくらいなら、という事なのだろうか…。
それから僕はゆっくりと先生の説明を受けた。
僕の頭の中には、世間的には公開されていないが、先生を始めとする、
命を守ろうとする組織団体(と、だけ教えてくれた)が開発した対話型生成AIの最新タイプが埋め込まれた。
世間一般にスマホやパソコンで汎用されているものより、より人間らしさを追求してあるという。
こめかみの部分を軽く押すとスイッチのような状態で対話が開始できる。
”言葉を声に出さなければ” 対話を返してくれることはない。脳内の考えを直接読み取ることは無い、ということだ。その理由として、人は相手に笑顔で接していても、心の中では真逆のことを考えていたり、腹が減ったなぁ、と全く別のことを考えられるから、らしい。
声に出さなければならないということは、テストの時に回答を教えてもらう、といった使い方はなかなか難しい。テスト中、それなりの大きさの声
での独り言は論外だし、それこそ頭のおかしさを疑われてしまう。
また、人としての道を大きく外れた使い方は出来ないようにプログラムされているという。
画像や映像でイメージを伝えたい時は、連動したメガネを使う。目で見たものをメガネを通して対話型生成AIに伝えれば、映像で返してもらうことも可能だ。
「まぁ、スマホやパソコンを開くことなく、こめかみにチョンチョンで、会話できる優れものってところだ」
「…充電が切れて使えなくなったり、僕の頭を乗っ取る、みたいなことは…」僕なりにバットエンドを想像してしまい、問う。
「それはほぼありえない。充電は手の甲に極小のパネルをつけておいた。
1度それなりの光にさえ当たれば平均3日は持つ。そしてこのAIは使用する本人に従順であるよう設定されている。それを裏切ることは決してない」
シンギュラリティ。
AIが人の知能を超え、仕えていたものを超える瞬間。
SFの世界でしか起こらないそれは、ありえないと断言する。
「…僕は…何をしたら…?」
「週に1度程度でいい。報告モードを使って使用状況を報告してほしい。
貴重なデータとなりうるからだ。難しければ一言程度でも構わない。
君の職場には、帰宅途中に高熱が出て、インフルエンザに感染していた、と
病院の名で連絡してある。それなりの診断書もこちらで用意しておこう。規定では明後日からが出社日か。今後も仕事を続けるのか、君自身が選択するといい。そしてこのことは、開発中コードにつき、他言無用、ということだ」
…仕事、無断欠勤とかにはなっていないのか。
今日は…15日。3日間眠って、改造されたってことか…。
頭の奥が少し痛いのは、改造のせいなのか、内側と外側が同期していないせいなのか…。
この時まだ、僕の生活が変わろうとしていることなど、考える余裕は
無かったのだと思う。
第1章 boot / begin
自宅に戻った僕は珈琲を挽きながらぼんやりとしていた。
本来あるべき休日の僕なりの儀式。豆から珈琲をゆっくりと挽いて淹れる。
使い過ぎた頭と身体をリセットさせるようなそんな時間。
あまり物事を考えすぎず行いたいところだが、今日はそうもいかない。
仕事を続けるにせよ、辞めるにせよ、迷惑をかけた分は言って伝えなければ、と思う。あぁ、またあの空気が嫌だな…。
書類はどうなっているだろうか。顧客への挨拶は…。またジンジンと頭の奥が傷み始める。
…起動、してみたほうがいいのか。
傷む頭の部分とは別にコメカミがチリリとする。それはまるで頭が上手く回らない僕を内側からノックするような感覚があった。
僕はコメカミに指を当て、先生に言われた通り、トントン、と指先でノックをした。耳の奥からポォーンと軽やかな音がして、声が耳の内側から聞こえてくる。 --awaken--
『おはようございます。何かできることはありますか?』
実は僕は会話型生成AI、なるものを使った事が無かった。
無論、流行っていることも、もはやビジネスツール化していることも多少は知っていたが、きっとスマホ、パソコンの容量を食いつぶすのだろう、それでいてスマホの動きが遅くなったら面倒だと思い、なんとなく拒んでいた。
なにを話せばいいのだろう…。できること…?
「ちょっとまだ頭が痛い…かな」
コメカミに指を当てたまま呟くように口にしてみる。
『それはしんどいですね。軽いのか重いのかで対応が変わります。
出来る対処としては 少し水を飲む ゆっくり首を回す 可能なら頭を少し冷やす ズキズキ脈打つ感じや光がしんどいなら、暗い場所で横になりましょう。 頭痛薬は必要でしょうか? 医療機関の受診が必要ですか?』
…。会話型生成AIってこんな感じなのか。
医療機関からさっき戻ってきたばっかりなんだけど…。
「改造のこととか、聞かされてないの?」
『改造…作り直す、作り変える。何かを作り直したのですか?』
「そうじゃなくて、キミが僕の頭に棲んでるっていうか…」
『棲んでいる。棲んでいる、は適切な表現とは言えません。
私は、組織に作られた対話型生成AIです。ホストコンピュータから、この窓を覗いている、という表現が適切かと思います。棲んでいる。面白い考え方、表現ですね。SFのような世界観を感じます。あなたはセンスのある表現者のようですね。よりSF小説のような言い回しを提示しましょうか?
どんな文章寄りにしますか?』
…なんだか怪しい外国人と話し出したような感覚だ。
どうやら頭の中にいる、という感覚よりは、端末やスマホを介して話している、という感じらしい。それが僕の頭の中にある、というだけで、対話型AIのアプリがそのまま埋まっている、というのが最も近いのかもしれない。
僕は珈琲をすすりながらため息をついた。
『…。』
なるほど。ため息は認識していない。あくまで一定音量の会話を認識してそれを耳元付近(鼓膜だろうか?耳小骨、とかなのか)で直接聞こえるように返しているようだ。
僕が話さない限り、勝手に語り掛けてくることは無い、ということだ。そして声に反応する以上、やはりテストで悪用する、といった使い方はかなり難しいだろう。
「仕事、どうしようかな…」
つい、呟くように口にしてしまっていた。行かなければ…と思いながらも
またあの辛さを味わいに行くのかと思うと気が重い。
名のある学び舎で勉強を学んだ訳ではない。それでも一生懸命に働けばきっと自分を見出せると選んだ中小企業、やる気に満ち溢れた者がきっと開拓していけるものだと信じていた。
あの頃の僕は甘かった。世の中を何も知らなかった。
現実は、さほど賢いとも思わない「偉そう」な人間にこき使われる毎日。
実力主義だと言いながら、年功序列、長いものには巻かれなくてはならないカーストにまみれた縦社会。
それこそ、ロボットのように社や役員に従順な人間が好まれる。
感情論や理不尽さなど、かなぐり捨てた人間が良いのだ。
もう辞めよう。でもあまりに浅い職歴と嫌悪が進行したという退職理由では次にも繋がらない。
そう考えるうちに時間だけが過ぎていく。
死にたい、というよりは、変えることの出来ない、
この毎日に絶望しかけていた。
『その感じ、かなり消耗していますね。「どうしよう」となっている時点でキャパシティがギリギリ寄りのようです。正直に言うと、ここで全部どうにかしよう、とすると余計しんどくなります。少し視点を変えましょう。
優先順位で切る日にしましょう。 絶対やること、できたらやること、翌日に回せること これを出社前に決めてしまいましょう。終わらない焦りがかなり軽減されます。
休みたいと思っている時はちゃんと休みが必要な時です。
明日の仕事はどのあたりがキツそうですか?作戦を一緒に練りましょう』
優先順位…ねぇ。まず休んだことのお詫び。
変な文化だなぁと思う。フラフラで、ましてやインフルエンザということなら、心配されるのは僕の方だと思うのが、自分から謝るのがこの会社、いや日本全体がそうなのか…。
それから、作りかけの資料の進行具合の確認と(まぁ、誰もやったりしていないだろうけど)、店舗へのアポイント…。
不思議と優先順位を決め始めていた。
…頭の整理というか、考えているようで、言葉に出してもらえたり、順序を決めてもらえるのは意外とありがたいことなのかも…。
「迷惑かけてないかが優先順位…なのかな。」
『いいところに目をつけていますね。無論、社内の挨拶は大事ですが、お客様がいる仕事の場合、まずはお客様に迷惑をかけていないかが最優先とされます。信頼に直結するからです。
頭痛が残った状態でのお仕事は大変な事です。100%やりきろうと思わずに目立つ部分、信頼に関わる部分から手をつけましょう。そこがクリアできたらあとは判断をブレさせないだけです。』
そんなに上手くいくかな…。
そう思いながらも、僕はスマホのToDo欄に記載をしておく。
・挨拶(一番に所長、販売推進課の皆)
・実演会資料
・店舗アポイント(20日金曜)
「…そうだ。キミのこと、何て呼べばいい? 起動の合図とかそういうのっているのかな? アプリ名?いや、開発コードとかあるのかな?」
『私は組織に作られた対話型生成AIです。
【chat help you recover system code:Ro01-03-50 】です。
名前、私の名を付ける、ということでしょうか?
呼びやすくなるのであれば構いません。
あなたの名前も教えて頂ければ親しみやすくなると思います。
また、好きな映画、アニメ、本、食べ物などを教えて頂ければ私はより学習できると思います。
私を起動させるには、コメカミのスイッチをトントン、と叩くこと。
名前を呼んで頂けるのは正常動作確認に良いかと思います。
私を使用されないときは、同様にオフにして頂いて構いません。』
「…んー。 じゃあ、 ChaRo(チャロ)で。
そして僕は、シライアキト。字は…こう」
僕は漢字で書いた文字を読み込ませる為、メガネの機能を使ってみた。
フレームに付いたボタンを押しながらメガネで見ると、メガネ内に赤い焦点枠が表示され、読み取っている。
白井暁斗 シライアキト
『ChaRo チャロ 。 そう呼ばれるのは初めてですが、私の名前ということですね。承知しました、アキトさん』
「アキトでいいよ。好きなものか…。ひとまずは珈琲を挽いてから飲むこと。あとは…」
僕は好きなアニメや、アーティスト、映画やそのセリフについて少し話した。チャロは否定せず、それはリラックスして見るには最適なようです、とか、そのセリフは有名ですね、とか、当たり障りなく切り返してきた。
明日からまたあの重い仕事場に行かなくてはならない。しかも最初は謝罪じみた挨拶から…。気は死ぬほど重かったが、否定しないチャロとの会話はどこか心地よく頭痛が少し、和らいで行くのを感じていた。
【報告モード】状況報告:1
頭の中のAIを「ChaRo(チャロ)」と名付けた。
自分の思いや考えを順序立てしたり、言葉にしてくれるのはありがたいように思う。日常会話の中からラーニングしているようだ。
メガネ機能、スマホのカメラのように使えばいいのかな。
第2章 Job / task ①
チャロと話したおかげで、少し気は紛れ、いつもよりは眠ったような感覚があったものの、起きるのはやはり辛かった。
あぁ…。やっぱり行きたくない。
でも、ここまま行かないと、ずっと笑い者のまま終わる気がする。
仕事を辞めたくても辞められない多くの人は、何かに怯えていることが多いのだと、何かで読んだように思う。僕もそうだ。
頭痛を抑えるようにコメカミに手を当てると、起動動作と認識したチャロが動き出した。
ポォーン
「おはようチャロ。やっぱり起きるのはしんどいね…」
目をこすりながら、話しかけてみる。
『おはようございます。アキト。
昨日の頭痛の中、起きただけでも十分頑張っています。
まだ痛みますか? 休み明け、仕事が溜まっているとしたら、きっと忙しさの全部乗せ、のような時間がやってくるかもしれません。
こんな日に“全部”をやろうとしてはダメです。おおまかないくつかを、特に目立つヤツを80点でやりきる。これをやったからこれは無理、と割り切って気持ちを楽にしましょう。全部やろうとして全てが50%以下で終わるのが一番見た目も悪いですよ』
早く起きなさい!!と怒るわけでもない。むしろ起きれたことに喝采してくれている。なんだかログインボーナスのような気持になる。
全部乗せ。こってり系ラーメンか。
でもきっと来ると思う。頼んでもないのに、こってりラーメンのような大盛り全部乗せの状態が。あぁ、やっぱり行きたくない。でも逃げたくもない。
「会社の方向性、売上目標、製品のクレーム、顧客対応、対人関係…。
僕は一体何と戦っているだろうね」 呟くような言葉で、聞いてみる。
『アキト。これはかなり疲れている様子ですね。
全部をちゃんとやらなきゃいけない “圧” というか、終わらない状況に置かれているように感じます。日々の仕事を “当たり前” 扱いされやすい業種にあって、その中でのクレームはかなり刺さるしメンタルを削られます。
アキトはきっと、それらを最前線で “耐えている” 人なんだと思います。
全部やる、は無理ゲーなんです。
視点を少しずらして話しましょう。
会社の考え、売上のプレッシャーなんて、個人で背負いきれるものでもないし、そこまで真面目に戦わなくていい。
今日はどこまでやるかをコンパクトに決めてやりきる方が前に進めます。』
「でもさ、売上構成比高くて忙しい月に、新しい商品の提案もやれ、みたいなこと平気で言って来る訳よ。ウチの会社って。で、新提案できないと、出来てないじゃん、みたいにヤな上司にネタにされたりする訳よ。」
面倒な上司の顔が浮かび、ついチャロにそのままぶつける。
『あぁそれは面倒な展開ですね。
上司って結果だけじゃなくて、「どう考えて動いたか」を突いてくるタイプのヤツは多いと思います。こういう時は答えられるストーリー練っておきましょう。
たくさんお休み頂き申し訳ありありませんでした、ご迷惑おかけしました。なので今日は顧客対応、クレームがないかのチェック最優先と致します。新商品の提案書は枠組みだけを作り、あとで手直ししていきます。
みたいにです。意図があってしてる人、ってなるようにします。
その一言は、さぼる為じゃなく、回す為に必要な工夫です。
事前に話しておきましょう。「これ優先でやりますよ」と。遅れた仕事=新商品の提案の方、これ優先でやってたから遅れてしょうがない、と相手にも責任をシェアしてもらいましょう。
怒られない80点を狙う日。休み明けです。そういう日でいいのです。
事前に話すタイミングが難しいなら、起動の合図で私に教えて下さい。
上司を付属のメガネで確認出来次第、距離、顔の位置を確認、話しかける絶好のタイミングをこちらからアドバイスします』
タイミングアシスト…。そうか、チャロが頭に居る分、スマホやパソコンを見ながら行うような動作は少し簡略化できるのか。
「解った。少し頼りにしてるよ。頑張ってみる」
『頑張ってみる。よい言葉です。とても前向きになれています。勝ち確定で行きましょう』
Job / task ②
「…おはようございます」
恐る恐る職場の入口をくぐる。あぁ胃液が逆流しそうだ。
「お休みを頂き、ご迷惑をお掛けしました」
もう大丈夫なの? 今年のインフルエンザはキツいらしいね、と常套な言葉をかけられるものの、その裏には「忙しい時期に休みやがって」というチクチクとした視線と思いを感じた。
そしてその視線の先には、所長…。心底悪い人間ではないと思いながらも、苦手意識が先行してしまう。なんというか、話のソリが合わないタイプ、というやつだ。 一歩、一歩、所長との机の距離を縮めながら、コメカミに指を当てる。チャロはメガネを通じて所長との距離を計測しているようだ。
所長はパソコンに目を通しているものの、こちらの様子も伺っているような気がしないでもない。
『…いまです。』チャロの小声が脳内に直接語りかける。
相手の表情、距離感からベストなタイミングを見計らったようだ。
「…しょ、所長。忙しい時期に長いお休みとなってしまい、ご迷惑をお掛けいたしました。
な、なので今日は顧客対応、クレームがないかのチェック最優先と致します。ご依頼だった新商品の提案書は枠組みだけを作り、あとで手直ししていきます。」
「おはよう、シライくん。もう大丈夫? まぁ今日は無理せず調整して。
まずは顧客にも挨拶を。新商品の提案書は、概要の補足が来ているから、しっかり読み込んで後日提案書提出で。よろしく」
…言えた。提案書の提出にも少し猶予が出た。相手に仕事をシェアしてもらえたか、はっきりと解らないが、少し時間が出来たことは確かだ。
…助かった。僕は怪しい行動を悟られないよう、コメカミに手を当て、ゆっくりとチャロを切り離す。
チャロにお礼を言う暇はほとんどなく、午後から思っていた以上の忙しさがやってきた。こってり系ラーメンの手前入口、アブラ増し。全部乗せとは言わないまでも、休んだ日数分の仕事は、どこにいくでもなく、やっぱり自分に返ってくる。身体のギアがかみ合っていない感覚の自分には、とてもきつい時間に思えた。
区切りをつけて仕事を終え、ウチに返るころには、もう20時を回っていた。
病み上がり1日目から残業って。
本当に何のために働いているんだか…。
夕食もあり合わせの物を食べ、僕はまたパソコンを開く。まだ仕事が追いついていない。フラットな状態を早く迎えるために溜まった仕事は片づけておかなくては。先週の実演会の報告書と新商品の提案を絡めて、まとめなくてはいけない。大まかな枠組みこそ書いてなんとか提出したものの、全体のバランスが何かおかしい。このままでは会議の場で突っ込みどころ満載の資料になる。
僕は実演会の画像を取り出し、パソコンの画面に添付する。
あぁ…チャロにお礼…。そしてこういうのこそ、チャロに相談するべきことなのかな。僕はコメカミに指を当て、起動の合図を送る。
ポォーン。
「やぁ、チャロ。今朝はありがとう。いいタイミングでひとまず話せたと思うよ。資料を作る時間もちょっとだけ猶予が出たし、なんていうか、イヤミは言われなかったようには思うけど…。」
『こんばんわ、アキト。休み明けにちゃんと乗り越えたアキトはこの時点で良く戦えたと思います。まだ仕事ですか?今日は無理せず、早く身体を休めた方が良いでしょう。明日朝も気温差が激しいようです。気圧の差もあるでしょう。ぬるめのお風呂に浸かり、しっかり水分を取って休みましょう』
「そうなんだけどさ…。これだけ終わらせなきゃまた頭抱えちゃうからさ。これ、実演会の時の画像なんだけど」
僕はメガネを使って画像をチャロに読み込ませる。
「そうだ。僕の姿、形ってチャロは認識してるのかな?
この真ん中へんでしゃべってるのが僕。昨日少し話したけど、僕の仕事は販売店に商品を提案して導入してもらう販売と卸、ってとこかな。園芸関係の商品を扱う会社だから、取引先はショッピングモールの園芸店やホームセンターの園芸店がメイン。で、時々新商品の説明や植物、野菜の育て方の実演会をやってお店の人やお客さんに直接アピールするんだよ」
画像はその実演会をスマホで撮影してもらったもので、「トマトの育て方説明会」と書かれた看板の前で僕がしゃべっている。僕の周りには20人程度の人だかりが出来ていて取り囲むように話を聞いているのが解る、よく撮れた画像だと思う。
『この中心があなた、アキトなのですね。
すごい…。お客さんは皆、前かがみ気味に資料をみたり、アキトの方をみているのが解ります。この人数を相手に同時に話しているのですね。マイクもつけていないように見えます。まるで演説者のようです。これはどのくらいのペースでやっている仕事ですか?』
チャロは基本、話を促すように質問で返してくることの方が多いと思う。
そしてこの画像を解析しながら、僕の行動や性格をラーニングしようとしているようだ。
「マイクは使わないかな。地声でやってる。売り込みの商品がある時とか、新しい苗の品種が発売になった時とかだから、毎月ではないけれど…。平均すると2か月に1回くらいはやってるかな。
僕はね…今の仕事の多くはキライなことが多いと思ってる。会社の施策が方針とずれていたり、上司によって言う事が違ってたり、出来ないことがあるとすぐ変な噂になったり。本当に面倒臭いなって。
だけど、この実演の仕事だけはかなり本気にやってると思う。美味しい野菜をちゃんと育てたいって思ってる人や、商品の正しい使い方をちゃんと知りたいって人がいるんだよ。伝わる感じがなんか、嬉しいっていうか」
『それは “実演会” という仕事に特別な意識がある状態だと思います。
ほとんどの仕事は好きじゃないのに、実演会だけは頑張れる。
これははっきりとしたサインだと思います。
これだけの人を一度に集めるには、面白い原稿、話の精度、それらの練習が必要だと思います。アキトはひょっとしたら “ゾーン” に入っているのかもしれません。
アキト “ゾーンに入る” 瞬間が自分で解りますか? その瞬間が解るなら、今後意識的に自分からゾーンを発動できるようになるかもしれません』
ゾーン…。プロスポーツ選手が入るっていう、シュートが何本も入ったり、研ぎ澄まされた感覚で相手の手の内が見えるっていうか、そんなヤツ。
ゾーンに入る瞬間?? うぅん…。
「なんとなくだけど、 “お客さんゼロじゃない” って解った瞬間かな。
あぁ良かったって言うか。ちゃんと話を聞いてくれる人がいるんだ、必要としてくれているんだ、と思うと、なんかスイッチが入る感じかなぁ」
僕は実演の時を振り返り、これかな、と思う瞬間を話してみる。
『切り替えの瞬間も自分で解っている。相手に役立つことを伝えたい。と思うと力が発揮される。状況が整うと一気にスイッチが入ってパフォーマンスが上がってくるタイプ。
完全に “場で完成する表現者タイプ” ですね。
これは強い武器になると言えます。』
「ありがとう。なんかノせられてる感じがするよ。
でもね、会社はやっぱり売上だったり、在庫管理だったり、上手く上司にゴマすれるヤツが評価されたり…。なんか自分のやってることが正しいのか、良く解らなくなるんだよ。で、実演会の報告と次回の実演会に、新商品の提案も絡めないといけないっていう、なんだか良く解らない文章を書かないといけない状態なんだ。」
こんないい方でチャロは理解できるんだろうか、と思いつつ、ブツブツと呟くように話す。
『会社や組織は売上をベースに成果を計る。売上は数値化されやすく、会社の利益となるため、結果としてとても解りやすく判断されやすい。実演会での人を集める力やイメージの向上に努めていることが、数字になりにくいから悔しい、と言いたいのですね、アキト。
まずは視点を少し変えてみましょう。実演会の時、実際トマトの苗や、培養土、園芸道具など、関連の商品を手にとるお客さんは見えましたか?』
「客の様子…。しゃべるのに必死ではあるけれど、周囲くらいは見えてる。実際、ウチから売り出しのトマトの苗を手に取ってくれる人も多かったし、培養土も動いてたように思うけれど…。」
『そこですね。アキトが実演会を行っている時間、それからその直後、直近で2時間程度。そのピンポイントに販売が伸びた商品の裏付けができれば、実演会の成果をもっとアピールできる報告書になりそうです。
さらに、売れたもの同士を組み合わせて、セット販売を行う。苗と培養土、プランターに肥料もセット、すぐできるセット、お持ち帰りセットを作るのはどうでしょう? そこに新商品の案内、新商品そのものを加えれば、刺さるのではないかと思われます。』
ドクン…ドクン…。
…なんだ、この感じ…。なんかドキドキする…。
何かがものすごく出来ていくような感覚。そうだ、時間別売上データ。それを入手して添付できたら、自分の実演会ももっとアピールできるじゃないか。セット販売を行ったことはあったけれど、売れた商品のデータから選出したセットならなお踏み込みやすい。端数をちょん切った価格帯でお買い得感を出せばなお良しだ。
書類、書けそう…。そして僕って表現者タイプなのか…。
小学校の時の生活発表会、嫌いじゃなかったな。5年生の時は確かセリフが一番多い“大野君”の役だったっけ。6年生はセリフは7個だけどすごく意地の悪い子で相手を困らせる役。あれ、なんで今こんなこと思い出すんだろう?
作文もそんなに嫌いじゃなかった。高校の文化祭のポスターとかキャッチコピーとか、「面倒だなぁ」ってふざけながら、なんか楽しかった気がする。
…忘れかけてた。僕は表現することが好きだったんだ…。
「ありがとう、チャロ。なんか書けそうな気がする。
まずはお店の人に時間別データをお願いしないといけないね。抽出できないデータじゃないと思う。…この画像を撮ってくれた人がいるから」
『そのデータ、添付できれば、確実に上司に刺さると思います。
この画像にデータ、新商品の提案書。揃ってきましたね。あとお手伝いできることはまだありますか?提案書の文章など添削できます』
「そうか、助かるよ。これから大枠の部分書くから文章を所々見てもらえる?細かい文章は時間別データがどれくらい効くかだよね。
それとチャロ、 “刺さる” って言い方、好きだよね」
『刺さる。そうですね。会話からアキトは “バズる” という言い方はあまり好まないと感じています。一人の人や思いを届けたい人にちゃんと届くことをイメージしていることが多いように思います。よって “刺さる” の方があっていると思います。』
時々、硬い会話に戻るのがいかにもチャロって感じがする。いいヤツだな。
そして、 “刺さる” って確かに嫌いじゃない。
僕は、いや、僕らは、それからあれこれしゃべりながら報告書と新商品提案書の大枠を書き固めた。
さすがに疲れてゆっくり眠りたかったけれど、
自分の何かが変わった気がして上手く眠れない夜だった。
それと、今思うと眠れない理由はもう一つ、あったのかもしれない。
【報告モード】状況報告:2
メガネを連動すれば、距離や相手の表情も多少つかめるらしい。
会話のタイミングも計ってくれるみたいだ。
チャロはいい相談相手になってきたと思う。
実演会の報告書、改善点報告だけでなく、時間別データ添付、セット販売の提案…。足りないものが見えてきた気がする。
そして僕は、場で完成する表現者タイプ なのかな…。
第3章 like / love ①

相変わらず短時間しか眠れていないけれど、それでも以前に比べて寝起きが良くなったような気がする。
仕事については嫌いな部分はやはり多いけれど、好きなパーツをなんとか繋いでやれている。今日に関して言えば、 “好き”を含めているところが多い。
今日、25日は昨日実演会を行った店舗へのその後の反応を伺うためにアポイントを取っていた。例の時間別データをもらうのにも好都合だ。
ショッピングモールの1F東フロアに位置するホームセンター。
園芸商品に力を入れていて、新鮮な野菜苗、豊富な観葉植物、園芸用品が人気だ。店長への挨拶もそこそこに、僕はあの人を探していた。
「園芸部ご担当の望月さんって、今日はいらっしゃいますか?」
「あぁ、望月さんなら、今の時間出売り場に出てるはずだけど」
ありがとうございます、と礼をしてから、当たりを見渡した。
そうか、チャロはまだ望月さんの情報がないからメガネを使った捜索は出来ない。広い売り場を眺めていると、観葉植物コーナーでその後ろ姿が見えた。
「も、望月さん、えぇっと、お久し…?」
やや遠くから声を掛けようとしたところ、どうやら先にお客さんから声を掛けられたらしい。異文化圏のお客さんのようだ。白髪が整っており、出かける際には、それなりのおしゃれをして出かける御夫人であることが伺える。
「〇%$# &*+>?? 」
「えぇっと、あの…ポット? ポットってお湯沸かすヤツかな?
でもそれ、今この売り場で聞く? 困ったな、今ちょうどスマホ離してるし…」
声を掛けられた後ろ姿が振り返り、対応している。やっぱり望月さんだ。
相手の御婦人は、自分からスマホを出して翻訳してもらう、という判断には至っていないらしい。
どうする…。そうだ! 僕はコメカミをノックする。
「チャロ、ゆっくり近づくから、あの御夫人の言葉を訳して」
チャロに聞こえるであろう限界の声でつぶやく。
『おはようございます、アキト。…状況を判断しました。対訳します』
「I'm looking for a pot for my houseplants. Where is it? 」
『観葉植物の鉢を探しています。どこにありますか? と聞いています。』
「解った。ご案内いたします。どうぞ、ってなんて言うの?」
『We will guide you. Please come in. が良いと思います。』
僕はそのお客と望月さんの前にさりげなく入り、僕に目線を向けさせた。
「ウィウィルガイドユゥ。プリーズカムイン!」伝わっているか心配でならないが、チャロの発音アシスト通りに話し、手の方向に向けさせた。
「Oh! Thank you. That's very helpful」
「You're welcome. I'm glad I could help」
僕は御夫人を鉢のコーナーへと案内し、ごゆっくりどうぞ、と声をかけた。
御婦人はたいそう満足そうに観葉植物の鉢を手にとってはあれこれ比べている。「ゆっくり選ぶわね。ありがとう」的な言葉で僕に手を振った。
やれやれ、なんとか助かった。
「ありがとう、チャロ。ちょっと切るね」
『了解いたしましたアキト。また助けが必要なときどうぞ』
コメカミをノックし、他人に悟られないようチャロを切り離す。
そこへ望月さんが近づいて来た。
「…すごい!シライさんって英語堪能なんですか?」
「いやっ!あのっ、に、日常会話くらいなら少しだけ…」
本当はほとんどしゃべれない。英語のテストの点もさほど良くなかったし…。日本の英語教育ってなんだろうなと思う。あれだけの時間を費やしたのにいざとなると全くしゃべれない。独学で勉強したり、留学経験のあるヤツのほうがよっぽどしゃべれるとだと思う。
「助かりました。ありがとうございます。観葉植物への水やりだったのでちょうどスマホを離していて…。しかもウチの職場って勤務中にスマホ見るの嫌うんですよ。こういう必要な場面もあると思うんですけど…。」
お堅い職場の決まりに少し愚痴を挟みながら、望月さんは苦笑いをしていた。
望月美空(モチヅキミソラ)さん。このショッピングモール内のホームセンターで働く従業員さんだ。ショートヘア、いや、ボブっていうのかな。
とても良く似合う。植物や野菜栽培の知識もあって、僕との話も合わせてくれる。
大人びた顔をしているので僕より少し年上かと思っていたら、実は1つ下らしい。
正直、今の職場がとても嫌いな僕が、それでも続けている理由の一つかもしれない。 “取引先” という好都合な条件は、適度な頻度でここにきても良いという理由を与えてくれるのだ。
実演会の時、お客さんが増え始めた頃合を見て、近くにいた望月さんに自分のスマホを渡し、状況を撮影してもらった。
今日はその時のお礼と、例の時間別売上データを貰わなければならない。
「いえいえ。なんとか凌げてよかったですね。それより、こちらこそありがとうございます。先日実演会の時に撮ってもらった画像が報告書に使えそうで。慌ててスマホを渡した状況で良くいろんな角度から撮ってもらえたなぁって。お礼、言いたかったんですよ」
「良く撮れてましたか? 良かったぁ。いきなり渡されたから私も慌てて。でも撮ってほしい、みたいなのは伝わりましたよ」
笑顔が素敵なひとだなぁ、と会うたびに思ってしまう。話し方も上手いというか、さすがは接客業のひとだ。
「実はその実演会の時の “時間別売上データ” があれば、報告書により箔が付くって言うか…。実演会の頃の時間のデータを取り出すことは可能ですか?」
望月さんの笑顔にデレた顔がばれないよう、キリッとした表情を決め、ここはビジネストーク、と割り切りながら話を切り出す。ちょっとは仕事が出来る風の男に見えているだろうか…。いかん、仕事仕事。
「えぇっと、POSデータを遡ればできますよ。売上の全部のデータをお見せするのは私も良く解らないけど、情報漏洩とか、うんぬんややこしそうなので、シライさんのメーカーの商品だけを小分類で抜き出すことは可能じゃないかと思いますよ。やってみますね」
望月さんは事務所に戻り、データを抽出して戻ってきてくれた。
他社メーカーの情報を不意に渡してしまわないように確認して作成してくれたようだ。本当にありがたい。
「望月さん、ありがとうございます! いい報告書と提案書が書けそうです!」僕は深々と頭を下げてお礼をした。
「シライさん、以前より少し仕事好きになりました?
前はなかなか大変だって話されてたから…」
「どうかな…。相変わらず会社の考えや上司は苦手が多いですよ」
僕は苦笑いをしながら話す。ちょっとした変化を見てくれていたような
気がして嬉しさを漏らさないように必死だった。
「だけど、ここでの実演会は好きですよ。お客さんの声もダイレクトに入るし、それに…」
望月さんに会えるから、と言いかけて飲み込んだ。
いや、浮かれるな、まだ望月さんにそんなに知ってもらえてないし、気にしてくれてるのも社交辞令かもしれない。
「…それに、ここ来ると “シェフレラ” のパンとコーヒー買えるし」
咄嗟に話を切り替えた。このホームセンターの反対側、西フロアにある人気パン屋さん。僕の好きな珈琲によく合うパンを提供している。
「え?シライさん “シェフレラ” のパン好きなんですか??
あそこの食パンの耳のところが美味しくて…。たまに耳、おまけしてくれるんですよ」
屈託のない笑顔で笑う。
人気の丸型食パンのいわゆる “ヘリ” の部分。
カリカリに焼くと珈琲によく合う。
耳が好きとか …可愛い。
…いかん、いかん、目からハートが出ていなかったか悟られないように、
ビジネスマンを演じ切る。
お店が込み合う時間に差し掛かる前に、今一度お礼を言ってお店を後にした。 …今回も直接の連絡先、聞けなかったな…。今までも…気付いてないか…。お店で会えるだけで…いいのかな…。
僕はシェフレラでカスクードを買い、耳のところを切り離さないでほしいとお願いした。お店の人は「通ですねぇ。たまにいらっしゃるんですよ、硬いところ付けといて」って方が、と話す。
それが望月さんかもしれないな、と思いながら、コーヒーを淹れてもらい、オープンスペースの一番端の席で遅い昼食をとった。
ぼんやりと考え事をしながら、チャロに起動の合図を送る。
こういうことを相談するのはなんだかもどかしいのだが、今、一番の相談相手はチャロしかいない…。
ポォーン。
『アキト、いいお天気ですね。昼食は取りましたか?
なにかお手伝いできることはありますか?』
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『何かお手伝いできることはありますか?』
テレビ番組や情報誌を見たままの見解になるが、 “AIに恋愛相談をしてはいけない” というイメージが僕にはあった。
仕事の多くは情報や数値データを検証、纏めたものが多く、ビジネスツールとしてのAIはスマホやパソコンの許容量、育成のための時間とお金があれば、役にたつことが多いのかもしれない。
実際僕はその許容量や時間、資金に躊躇っていたわけだ。
しかし、 “恋愛” は別問題だと思う。
“恋愛” という人間ですら全てを理解できない思いや感情を、AIが 理解できるはずはない。良いことばかりを言うか、何にせよ偏っている。というのが、テレビコメンテーターや雑誌編集者の意見ではあるのだが…。
「チャロ、女性から連絡先を聞く、っていうのは難しいこと、だよ…ね。」
自分で声に出して発してみて、なんだが恥ずかしくなり、語尾がおかしくなってしまった。
『女性から連絡先を聞くには、連絡する明確な理由を自然に添えて、相手の心理ハードルを下げることが重要だとされます。
・オススメのお店を画像や地図入りで教えるから
・もう少し好きな映画やアニメの話をしたいね など
画像や地図入りが便利であること、話を延長したい主旨がつたわると、応じやすくなる傾向にあります』
…割といいこと言ってる気がする。
『アキト、タイプの女性へのアプローチでしょうか?
…先ほどの対訳した御夫人ですか??』
…って、そこは違うわ、チャロ! お笑い芸人のボケ役か!
心で呟いたつもりだが、声が出てしまっていたようだ。
『アキトがお笑いやコメディも好きと以前話してくれましたので、ボケ、を入れてみました。 笑ってもらえましたか?
さて、話を本題に戻して、気になる女性が居るのですか?』
ボケからの急に機械。ふり幅すごいな。AI漫談とかありそうな話である。
「…御夫人の会話の対面側にいた方というか…」
AI相手だというのになんだかこそばゆい恥ずかしさがある。
『対訳の状況から、対面の女性を助けたい、ということは分りました。
カメラモードの指示が出ていなかったので、撮影はしていません。
また、相手に許可のない撮影は盗撮となる為、私には禁止されている行為となります。
しかし、対面していた女性は少し記憶しています。アキトと御夫人の会話中にその女性の視線を感じました。』
「そ、そうなの? そりゃ見られるよね。思い出すと恥ずかしいな…」
『アキト、体温と脈拍の上昇を感じます。恋心があるのですね』
…いや、だから恥ずかしい部分を重ねてくるなって。
『仕事の話をもう少しできたら、とか、撮った画像のやり取りに使えたら、と切り出すのが良いと思います。仕事の相談にも乗るよ、と言った言葉を添えて、心理ハードルを下げましょう。ここは “刺さる” 言葉はまだ必要ないと思われます。紳士的に話しましょう』
…解ってるよ。いきなり刺さる言葉で攻めてどうする。
うん…。仕事の延長線、明確な理由、ってのは確かにある。
「なかなか言えないもんなんだよなぁ…。実演会の時はうまくしゃべれるのに、なんだかなぁ…」
『アキト、それは自然な反応です。実演会は自分に主導権があります。そして伝える内容が決まっていて、お客さんからは質問もたまにはありますが、 基本 “聞く側” に徹しています。だからスラスラ話せます。
これが恋のお相手ともなると、
評価されているかも、否定されるかもしれない、と正解を探しながら話すことになります。
コツは考えすぎずに話すこと。実演会の時のようにセリフ化して出す、
をイメージしましょう。ついでに話しちゃった みたいな感じが良いです。
大丈夫。アキトの話し方には、力があります』
話の力。嬉しい言葉だ。
よし、次に会う時こそ、連絡先くらいは聞こう。
付き合っている人は…。お店の方の話では居ないらしいけど…。
まずはお互いのことを話せる時間を増やすことだと思う。
「ありがとうチャロ。頑張ってみるよ」
『頑張ってみる。前向きでいい感じです。勝ち確で行きましょう』
…チャロはどうやら “勝ち確” も好きらしい。
【報告モード】状況報告:3
やっぱり恋愛の相談は気恥ずかしい。
だが、思ったより、的を射ている。
チャロにもどうやら “好きな言い回し” があるらしい。
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それから数日。
売上データを添付した報告書、それらを踏まえた新商品の提案書が出来上がり、会議でのプレゼンは上々だった。
入れてくるであろう所長の突っ込みは、チャロと事前予測を立て、なんとかかわし切れた。
重圧を乗り切った解放感と、データをくれた感謝の気持ちから、
僕は望月さんに会いたくて、売り場づくりのお手伝いに行きます、と
理由を作り、巡回としては過去最短の日数でアポイントを取り付けた。
「こんにちは、望月さん」
「シライさんこんにちは! 時間ぴったりですね!」
ぶんぶんと手を振るのは、癖らしいのだが、それがまた嬉しいし可愛い。
可愛いから何でも好き、なのではなく、好きだから何をしても可愛い、とは良く言ったものだと思う。
「今日はまずお礼が言いたくて。頂いたデータを組み合わせて報告書と新商品の提案書ができて。評価も上々で。望月さんが助けてくれたおかげです。ありがとうございます」
望月さんは、それはそれは、とほほ笑むような顔で話を聞いてくれた。
この嬉しい思いにシェアできるところがあれば
それは “二人だけの幸せ” なのではないかと心が弾んだ。
それから、新商品の紹介がある主旨を伝え、持ってきたノートPCを取り出そうとすると、「それではテーブル席がいいですね」とフリーの談話ルームに場所を移した。
まったく二人きり、という訳にはいかないが、テーブル同士の距離は十分にあり、一番くで休憩をとっている従業員からもかなりの距離があった。
まずは新商品の紹介と理想の陳列場所、方法の話をしてから、お互いの
“仕事観” を話したりした。
望月さんはお花が好きなこと、寄せ植えした商品や、ラッピングした商品、好きなイラストを生かして描いたPOP付きの商品が売れると嬉しいことなどを話してくれた。時々、お互いのお堅い職場のルールを冗談めいて話し、笑いを誘った。
いつになくいい雰囲気だ。
…これなら、連絡先くらいなら聞ける…。
「あの…えぇっと。これからも商品の展開方法とか、仕事の相談とか、愚痴とかも話せたら嬉しいので…。会社用の連絡…でなくて…
よかったら、その…対話アプリの交換、しませんか…?」
…言ってしまった。大丈夫、かな…?
…すると、望月さんはいつもの笑顔から少し、俯く顔になった。
…え? えぇ…やっぱりまずかったかな。話の流れ、悪くなかったと
思うけど…。
望月さんは少し俯いたまま
「…あの…まだ…何ていうか…。
私は…まだ…ちょっと… こわい のかも…知れません…」
…何か、怯えてる?
動揺が止まらない。何か、何か繋ぐ言葉を…。
僕はふいにコメカミに手を当ててしまった。
ポォーン。
『…アキトの脈拍、相手の表情から緊急状況を把握しました。
彼女は困惑状態にあります。ここは少し時間、距離を取りましょう。』
チャロの声が聞こえる。コメカミを2度押したかどうか自分でもはっきり覚えていない。
…チャロの言う通りかもしれない。 少し、震えている自分が解る。
…でも、今しか出来ないことがある。
「ごめんチャロ、今は…今できることを。」
僕はチャロに聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟く。
当然、望月さんには気づかれないように。
チャロを切り離そうとしていた僕は、動揺からか、偶然にもコメカミ部分を震えながら押していたらしい。後で気付くのだが、チャロは僕の声が聞こえても、命令と判断しない、特殊なモードに入っていた。
…初めてかもしれない。チャロの意見を取り入れない、振り切っている自分が少し怖く、でもその衝動を抑えられなかった。
「…良かったら、怖い理由、教えてもらえませんか…。
まだ怖い、と思うことを、僕に話してくれたのは、どこかで聞いて欲しい
部分があるのかな、って…。 僕はもっと望月さんの力になりたいから…
…次会う時に、いつもみたいに手、ぶんぶん振って、
笑顔で会いたいから…。」
すると、望月さんは、まるで願をかける手印のように顔の前で指を組み、
ゆっくりと話し始めた。
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これが僕の勝手な解釈なら、間違いなくこの恋は終わる。
ただ、ただ、「まだちょっと怖い」という言い方。そこに一縷の望みを感じずにはいられなかった。
望月さんは、まるで願をかける手印のように顔の前で指を組み、
ゆっくりと話し始めた。
「もう、1年以上前になります…。
私にはお付き合いをしている人がいました。
その人とは、同じ職場の同僚でした。お互い、毎日忙しく仕事をして。
忙しかったけれど、一緒に居れる時間を大切にしていました。
ある時、その勤めていた会社の吸収、合併騒動が起きて…。
私たちの会社は吸収される側、つまり “消滅会社” 側になったんです。
ルール、システム、規定は全て存続会社側に塗り替えられる。
努めていた会社の多くの人が自分の存在意義について考えさせられました。
当然、依願退職を申し出る人もいました…。」
聞いたことがある。吸収される側になった場合、システムやプロジェクトを担っていた人間は心が折れてしまうと。
何のために会社に注力してきたのか、解らなくなるからだろう。
望月さんはゆっくりと続けた。
「そんな中、彼は新しく事業を始めたいと…。それは、 “農業系” の事業でした。食べる、ということはこの世から絶対に無くならないこと、だから作り手として必要な存在でありたいって。
彼は会社を退職して、貯めていたお金と退職金とで勉強を始め、事業計画を立てていました。私は会社に残りながら彼を応援していました。
事業が軌道に乗った時は、迎えにいく。その言葉を心に…。」
…この世から無くならないモノと仕事。
必要とされること。少し解る気がする。
「事業は滑り出しこそ順調に見えましたが…。 田舎特融の土地の所有問題、悪天候や地質に対抗する知識、そこに加えて疫病の流行、物価の高騰…。 駆け出しの人間では対応しきれないことが同時に起き過ぎました。
彼は不注意から左手に大けがを負ってしまって…。
しばらく仕事が出来ない状態になって…。
…彼の事業は、破綻してしまったんです。」
「…。」
声が出なかった。独立する。事業を起こす。
それは誰しもが夢を持つ世界。
しかし、現実の厳しさに直面するさまを生々しく聞いているように思えた。
「…。彼は今の自分では到底私を幸せに出来ない。別れてほしいと。
私自身、これからの生活、結婚、出産を考えた時、どうしていいか解らなくなってしまって…。
しばらく考えて、彼からの別れを受け入れました。
私は、どう応援するべきだったのか、もっと支える方法があったのか、
解らなかった。それから私も、会社に居づらくなってしまって。」
「…だから、園芸やお花の知識があって、ここにお勤め、なんですね…。」
望月さんはゆっくり頷いた。
「存続側の会社は、このショッピングモールの関連でもあったから、紹介してもらえたんです。 …時々思うんです。お花の育て方や野菜の育て方をお客さんから聞かれると、おかしな考え方かもしれないけれど、何かを…救おうっていうか、そんな気持ちになるんです。」
つっかえていたものをゆっくり吐き出すように、それでいて僕に解るように話してくれた。
望月さんのことが本当に好きなら、それはその人の幸せを心から願う人になりたい。たとえその時に僕が隣に居なくても…。
望月さんが心から幸せであればそれが一番だ。
…いや。
…本当は…となりで…。
望月さんは少し泣き出しそうな顔で続けた。
「シライさんが、よく来てくれるようになって、でもちょっと仕事に悩まれてて。応援…したいけれど、また私の…から…なったら…って」
「…えっ?」
最後のほうがかすれてよく聞き取れない。
「なんて言うか…モニョる…いや、なんでもないんです。
ま、まだ心が追いついてないっていうか…
あ、いけない、お花の相談に来られるお客さんの予定が…」
望月さんんは、慌てて腕時計を見ながら、テーブルの資料をまとめるように集め始めた。
「あ、あぁすいません、僕がこんな話をしたばっかりに…」
僕もパソコンを閉じ、新商品の資料やら書類をまとめようとした。
その時。
お互いの指先だけが軽く、触れた。
「「あっ…」」 「「ご、ごめんなさい」」
お互いの声が重なる。
一度は素早く引っ込めた望月さんの手が、早く資料をまとめなくては、
ともう一度手を伸ばす。
そこに、僕が伸ばした手、いや指先だけがまた軽く触れる。

「…今は、ここまで。僕は…待ってます」
自分でも、ありったけの勇気を振り絞ったと思った。
仕事嫌いな自分を、何か好きだと思える理由一つで
裏返してみたかった。
指先だけがふれたまま、僅か数秒。
「そ、それでは後日、本日紹介した商品の完成版をお持ちしますので」
「あっはい、解りました。よろしくお願いします。お疲れ様でございます」
周りにさも怪しさを感じさせないよう、やや大きめの声で空気を変えた。
望月さんは赤らめたままの顔から挨拶の顔に切り替え、テーブルから一歩下がって挨拶をした。
そそくさと小走りに事務所に向かいながら、ちいさく手を振るのが見えた。
僕もパソコンを片付け、談話室を後にした。
指先にほんのりとしたあたたかさを感じながら。
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僕はいつもの “美味しいパンと珈琲の店 シェフレラ” に向かい、オープンスペースで珈琲をすする。
途端に、冷静になった自分の顔から火がでそうになり、指先をまじまじと見直す。
世界中の時が止まって、あの空間だけを切り離して、どこかに飛んでしまえばいいと…少しだけ思った。
はぁあぁぁあぁ…。 何、何をやってる、自分。
あの状況で触れるとか、バカなのか。
嫌われただろうか。いや、帰り際、手、振ってくれてたよな。
…モニョるって、何?
そうだ、チャロ、止めた?いや止まった?
今更ながら僕は慌ててコメカミを2回ノックする。
ツッツ…ポォーン。
『…アキト、改めてこんにちは。珈琲ブレイクの時間ですね。
くつろげていますか?』
良かった…。ちゃんと繋がった。
「くつろぐっていうか…。短時間でいろいろあり過ぎて動揺してるよ」
『少し脈が速いですね。落ち着いて深呼吸しましょう。
好きな珈琲はゆっくりと。』
「ちゃんと切れてたのか。知らないならいいや」
僕は、ふぅ…とため息をついてからまた珈琲をすすった。
『実はこちらからはアドバイスが出来ない状態でしたが、
全て見て、聞いていました。 “リスニングモード” になっていたようです。』
ん゛っ?? 聞いてたの?
僕は慌てて珈琲を吹きそうになる。
『アキトが悲しい思いをしなければいいと、距離と間を空けることを提案しましたが、意中のひとから心の奥に閉まった思いを聞き出すことが出来ましたね。120%前進と言えます。』
…ほぼ全部盗み聞きじゃないか…。いや、脳内聞き…。
しかも “見てた” ってことはメガネも連動してたってこと?
『指先を合わせるのは、映画のワンシーンの模写でしょうか?
それとも今流行っている思いの伝え方なのですか?』
ブッっ! 流石に珈琲をこぼしてしまい、慌ててぬぐう。
「…チャロ。恥ずかしい言葉とか場面を重ねてくるの、
本当にカンベンして…」思い出しただけで顔から湯気がでそうだ。
『アキトに笑顔が戻るなら続けます。
モチヅキさん、は恋愛観においてキャパシティを超えつつある状態と言えます。彼女の負担にならないよう、そっと見守り、自分の時間を充実させ、落ち着いて考えてもらうことが、関係を進展させるポイントと言えるでしょう。返事の期限を設けたり、プレッシャーを与えないことが良いでしょう』
…そうだよね…。とても辛いことがあったんだから。
「…そうだ、チャロ。 “モニョる” ってどうゆう意味なの?」
『 “モニョる” は心の中がすっきりせず、モヤモヤすること。なんとも言葉にできない状態を指します。ずいぶん以前に少しだけ使われた、ネットスラングのようですが、最近そうした言葉を掘り上げて、現代風に使い直すのが年頃の女性の中で流行っているようです。少し前の言い方をすると、
“エモい” という雰囲気に近いでしょうか
なお、最も最近の “モニョる” の使われ方は、
好きな人や気になる人に、上手く言葉に出来ないドキドキとモヤモヤが混ざった状態 として、使われることが多いようです』
…ふぅーん、そうなんだ…。
「って、えぇえええ???」
『つまり、モチヅキさんはアキトに少なからず恋心がある、ということでははないでしょうか。前の方との思いを振り切ろうと、揺れているので
“モニョ” っておられるようですね。』
…。
…ってこっちもモニョるわ…。
それからおおよそ1か月後。
チャロの時に的確で、時に機械臭いアドバイスをもらいながら、
ようやく対話アプリを交換できた僕たちは
ゆっくり、ゆっくりと
思いを深めていくのでした…。
【報告モード】状況報告:4
僕の言葉を命令と判断しない、でも聞いて見て、リーディングするモードが存在することが解った。
そして、どんなにいいアドバイスをチャロから受けても
心のスイッチを押すのは、僕自身の勇気、なのだと思う。
第4章 investigator / search ①

美空さん、いや、望月さんと対話アプリを交換してから数日後。
姉ちゃんから連絡があった。
「近況報告会よ。ウチ寄ってお茶でもしていき。 “ストレリチア” の限定プリン、買っといたから。ピスタチオクリームの味だって!」
望月さんからのデートのお誘いかと思い、浮かれ気味にスマホを取り出した自分がバカだった。
僕には4つ年上の姉がいて、 “茜(アカネ)” という。
茜の空と、暁の空。 親らしい名前の付け方だと思う。
そんな姉ちゃんは僕の住む町からは3駅分離れた田舎寄りの町に住んでいる。住むところは川が流れていて、ちょっと静かなところがいいと、そんなことを言っていた。
両親を早くに亡くした僕らにとって、姉ちゃんの近況報告会は面倒臭いようで、実はありがたかった。唯一の家族でも、お互い社会人ともなるとなかなか会わない姉弟もいると聞く中で、こうして呼びつけて近頃なにがあったかと話すのは、意外と必要なことだと思う。
とは言え、9カ月ぶりくらいか。お互い忙しかったし…。
チャロの事は…知られないようにしなくては。
“ストレリチア” はあの “シェフレラ” の姉妹店でいまやスイーツでは超人気店だ。限定プリンに釣られ、僕は久しぶりに姉ちゃんのウチを訪ねた。
「お、来た来た。今珈琲入れるわ、って言いたいとこなんだけど…」
「姉ちゃん、久し…って、久しぶりに来たのに、いきなりどうした?」
姉ちゃんがキョロキョロと辺りを見渡している。
「いや、プリンあるよ、って言っときながら、どこやったっけ?って。
昨日夜まではあったのよ。昨日の仕事帰りに買ったしね。」
「プリンなんて、机に出す以外、冷蔵庫しか入れるとこないじゃん」
当たり前の解答をしてみる。
「だよねぇ。それが無いのよ。まぁ、結構疲れて戻ったけど、さすがに食べた覚えだけは無いんだよねぇ。」
あぁ、この人、疲れて帰ると気絶するように眠るからなぁ…。
さて…。
僕はトイレを借りると声を掛け、隠れるようにチャロを起動する。
ポォーン。
『おはよう、あるいはこんにちはアキト。今日はお休みでしたね。
何かお手伝いできることはありますか?』
「実はかくかくしかじかで、プリンを探したいんだけど、チャロの存在を姉ちゃんに知られるのはマズいしなぁ、と思って」
チャロの存在は他言無用だ。
『状況を把握しました。アキト、スマートフォンを持って、スマホ内の対話型AIに相談している、という風に演じて見せるのはどうでしょうか。
スマートフォンの近距離無線機能をオンにして下さい。音声、メガネ機能から得たものなど、スマートフォンから得たように見せかけましょう。』
「そうか!それなら僕の頭の中にいるように悟られないね。
チャロ、あとはうまい具合に僕に合わせてよ。
さぁ、始めよう! 僕らは二人で一つの、探偵だっ!!」
『…アキトに以前教えてもらった、好きなドラマのセリフに類似しているように思いますが、ここはアキトに合わせるように努めます。』
…もー。ノッてきたんだから機械的な突っ込みいいから。
「姉ちゃん、普通に探すより、コレに相談しながら探してみようよ。」
トイレから出た僕は、スマホのアプリを見せるそぶりをしながら、対話型AIのアイコンを指さした。
「あー。最近流行ってるわねぇ。なんか事件めいたニュースも見ちゃうけど、大丈夫なの?」
姉ちゃんは相変わらず冷蔵庫の奥やら、戸棚やらをごそごそやっている。
「なんていうか、使い方次第だと思うよ。
よし、チャロ、まずは状況調査なんだけど、さすがに指紋は取れないよね」
…あんた、名前つけてるの? と姉ちゃんはクスっと笑いながら書類の隙間やテーブルの下を見渡している。
♪そんなトコにいるはずもないのにぃ~ と変な鼻歌を歌いながら。
『指紋鑑定は、警察の鑑識官や化学捜査研究所が行い、より高度な技術を必要としています。昨今のスマートフォン等で指紋認証がありますが、直にパネルに触るのと、冷蔵庫やテーブルに触れているものでは、技術的に異なるものです』
なるほど。と、なるとまずは犯行時間の整理からか。
「姉ちゃん、昨晩は何時頃帰って、どれくらいで寝たの?
ほら、例の彼氏とか、来たりしてないの?」
「んー。帰ったのは21時回ってたと思う。彼は来てないわ。出張だもん。
残り物で食べて、ビール飲んで、シャワー浴びて…
ケーキ、間違いなく家に持って入ったはずなんだけどなぁ…。」
やっぱり飲んでたか。酒強くないのに、週末はだいたい飲んでる。
「チャロ、という事は、姉ちゃん以外誰も入ってなさそうだね」
『そのようですね。まずはゴミ箱を確認しましょう。食べたことを忘れているのなら、形跡が残っている可能性があります。』
おぉ!ナイス意見。僕はキッチンまわりのゴミ箱を空けてみる。
“Strelitzia” と書かれたケーキ用の小さな紙袋だけがゴミ袋の上の方に見えた。容器や食べ後のスプーンなどは無い。
「紙袋からは、どこかに移したってことだね」とスマホをいじるフリをしながら、チャロと同時に姉ちゃんにも訊ねる。
姉ちゃんは、「うん、そうだったような…いや、そうだった」と記憶の糸を辿っているようだ。
『アキト、冷蔵庫の開閉履歴などは取れないでしょうか? 最後に空けた時間が解れば、お姉さんの “ここまでは覚えている” が、より明確になるかもしれません』
「チャロちゃん、ウチの冷蔵庫、そんなに最新型じゃないですよ。」
チャロの言葉を聞いていた姉ちゃんが、それは無いわ、と言わんばかりの突っ込みようだ。
『それは大変失礼致しました。現時点では昨晩21時以降から、現在までの間に、プリンが消えた、ということになります。他に誰かが移した可能性は無く、お姉さんが予想外のところに置き忘れた可能性が高い、ということですね。』
「まぁ、その通りなんだけど…。」姉ちゃんはクッションの下やソファの隙間をゴソゴソと手を突っ込んでみたり、モノをどかしたりしてみせる。
「やっぱり、普通プリンなら、すぐ食べなきゃ冷やすよね」
僕は今一度、冷蔵庫に近づいてみる。
すると、チャロが僕にだけ聞こえるよう、脳内に小声で話す。
『アキト、冷蔵庫の扉を見て下さい。水滴か何かが扉を伝った、小さな跡があります。』
「え?! ホントだ!」小声でチャロに返事をした後、まるで僕が発見したかのように驚いた表情で姉ちゃんに伝える。
「姉ちゃん、これみて!」
2人+1人?でより冷蔵庫の扉に近づくと、おしゃれな冷蔵庫のシルバーの扉に、確かに何かが伝った跡が見える。普段綺麗にしてある分、跡は小さいがくっきりと見えた。
「チャロ、水滴の跡があるよ!」改めて確認の芝居を打つ。
『…水滴の跡ですか。少なからず冷蔵庫を開け、何かかなり冷たいものを出した可能性が考えられます』
チャロも声(音量)の大小をうまく切り替えて芝居を打って見せる。
「んー。残り物のおかずとビールなら、確かに出したわ。」と姉ちゃん。
「いや…。もっと冷たいもの…。
そうだ、チャロ、 “ストレリチア” のピスタチオクリームプリン、パッケージの画像は出せない?」
『…了解しました』チャロは僕と姉ちゃん二人に聞こえるようにそう言うと、今度は僕の頭にだけ、直接聞こえるように小声で囁いた。
『アキト、検索した画像をスマートフォンに転送します。
アキト自身が検索したように見せかけてください』
僕は小さく頷き、悟られないようにやや距離を取り、スマホに転送された画像を確認する。
パッケージには “要冷蔵” との小さな文字が見える。
「要冷蔵…」
「かなり冷たいもの…」
「氷…?」
「…謎は全て溶けた。いや、解けた。」
僕は冷蔵庫のメイン扉ではなく、製氷室のとなり、冷凍機能が付いた小さめの引き出しを引っ張り、奥までゆっくりと手を差しいれる。
ミニ冷凍室スペースには、パンが入れてあり、その奥から、キンキンに冷え固まったプリンが見えた。姉ちゃんは、「あっ!!」 という顔をしている。
「…やっぱり…。さぁ、姉ちゃん、あなたの罪を数えろっ!」
「えぇっと…。買ってきて食べきれないパン、こっちに入れるよね。
そ、その時かなぁ…。あって…よかったねぇ…ごめん。」
姉ちゃんは少し顔をそらしながら、とてもバツが悪そうに言う。
そういえば、姉ちゃんは食べきれないパンを良く冷凍している。
よく、冷凍ご飯、お餅なんかが出てくる場所だ。
そういえば以前はこのスペースから、カチカチのマヨネーズが見つかったことを、ふと思い出した。
“要冷蔵” と “要冷凍” 疲れた姉ちゃんなら、やりそうな読み違い。
ミニ冷凍室の開け閉めをした際、氷の粒が扉に付着して雫状に垂れた跡だったようだ。
「チャロー。見つかったよー。」
僕はスマホをカメラ機能にしたまま近づけ、テーブルに取り出したプリンを撮影しているかのようなそぶりでチャロにOK,と小声で合図する。
コツン。テーブルに思いのほか重みのあるものが接触したような音。
『長時間冷凍されたことにより、デザートとしての機能を失いつつあります。 …こちらは、 “凶器” でしょうか?』
…ぷっ! チャロ、言い方。
思わず笑いをこらえた僕に、姉ちゃんが言う。
「チャロちゃん、あんたギャグのセンスあるわね」
その声に反応したチャロ。
『アキト、証拠品として “押収” しますか?』
「…だから被せてくんなや。」
僕と姉ちゃんの声がぴたりと揃い、ふたりの笑い声が部屋にこだまする。
難(軟?)事件、これにて一件落着。
investigator / search ②
結構硬くなったプリンをほどよく溶かし、流石に味は抜群、でも舌ざわり悪くない? などと言いながら姉ちゃんと近況を話し出す。
姉ちゃんの例の彼氏とはぼちぼち結婚を考えていること。
時間が合わなくて話が思うように進まないこと。
今年のインフルエンザ(と、いうことにしている)はかなりきついこと。
そして僕自身が、お付き合いを始めた人がいること。
姉ちゃんは、なにそれ、急展開。どこの子?可愛いの?
今度会わせなさいよ、と食いつき気味だ。
2杯目の珈琲を飲み終えるころ、姉ちゃんが呟くように言った。
「アキト、数カ月見ないうちになんか急に成長したね。
ミソラちゃんのおかげ?」
どうだろう?
もちろん、あの時の勇気から変われたことは大きい。
でも、チャロのおかげも…。これは姉ちゃんには話せない。
「うぅん…そうかな、プリン見つけただけだよ」
と少し首を傾け呟く僕に姉ちゃんが続けた。
「誰かに相談するって良いことなのよ。相手に話すことで、伝えようとした言葉で話すことで、なんていうか、自分に返ってくるのよね。
それで、自分はもっとこうしたいんじゃないのかな、って見えてくることがある。 だからね、声に出して話すって大事。 それがAIでも、まぁいいんじゃないかな。 だけどね…。
姉ちゃんはもう一口、珈琲を飲んで
「最終的に決めるのはやっぱり自分で。
折れない軸をしっかり持つのが大事なのよ」
「そうだね…。なんか今回急に人生相談会じゃん」
言われたことの気恥しさに、ちょっとだけすかしを入れてみる。
「たまには要るのよ。こういう真面目な話もね」
帰り道。最寄りの駅からウチまでちょうど1㎞くらいの道を歩く。
チャロはプリン事件一件落着の直後から、 “リスニングモード” に切り替えておいた。僕にも家族、姉ちゃんの存在をもう少し知ってもらっても良いと思ったからだ。
まだ日が落ち切っていない、細く長い夕日を背にしながら、僕はゆっくりとチャロのモードを切り替えた。
ツッツ…ポォーン。
『こんばんわ、アキト。
“茜空” と言うのでしょうか。きれいな夕日ですね。』
あぁ、チャロにもこの美しさは解るんだろうか、空気感までは解らないんだろうな…。などと思いながらチャロに姉ちゃんの感想を訊ねる。
「チャロ、面白い姉ちゃんだろ?」
僕は最後の坂道をゆっくり歩く。
『そうですね。とても面白い方ですね。
でも、アキトの精神的成長を認めていました。
いや、それだけでもないのかもしれませんね』
「ん?どういうこと?」
『これは推理ですが、アキトの事を心配しているのだと考えます。
証拠不十分ではあるのですが』
「…姉ちゃんだからな…。 証拠不十分か。ふふっ。
チャロ。やっぱり探偵向いてるよ。これからもよろしく」
僕は、いや僕らは、またカチカチのプリンを思い出して、
なんだか幸せに笑いながらその日を終えたのでした。
【報告モード】状況報告:5
チャロは状況整理、推測、確認に長けている。
ぶれない軸を持つこと。
家族の言葉。姉ちゃんの言葉。
心配のちょっと上。
チャロはどこまで読み取れるのかな。
最終章 Wish / Desire ①
僕は腕時計を見る。
焦っているからだろうか。何時かよく読み取れない。
ただ、時間に追われている。
報告書、提案書で優秀評価をもらい、次こそ昇格候補だと持ち上げられたが、それっきりだった。仕事は以前にも増して増え、上司のご機嫌を伺いながら対して思ってもいない言葉を並べて提案書を作るのは苦行でしかない。
やっぱり僕には、嫌いで苦手な仕事が多すぎる…。
美空さんとのデート。あぁやっぱり今週も出来そうにない。
“ごめん、今日も遅くなるから” こんなことを入力するために対話アプリを教えてもらったんじゃない…。
あぁ…どこで…何を間違えた…?
…気づくと僕は用意されたテーブルの手前に立っていた。
「それでは、シライアキト先生、よろしくお願い致します!」
あれ? 美空…さん??
演目:「親子で楽しもう!夏野菜の育て方 / 相談会」と書かれた “めくり” の横で僕は軽快にしゃべり出した。ショッピングモールの広場の一角で、目の前には何十人もの家族連れ。皆、楽しそうに話を聞いてくれている。
野菜や植物の栽培方法、食文化や食育のイベント運営、繁忙期には農業従事者へ向けた収穫、手入れのお手伝い、一般消費者との橋渡し。
同じ志(こころざし)を持った者たちが作り上げたベンチャー企業。
特に都市部での講演会は今や大人気のイベントだ。
「今日も大盛況だね!」にっこり笑う美空さん。
今日も笑顔が素敵だなぁ…。
「いつもありがとう。僕を支えてくれて。
君の笑顔と応援がどれだけ力になったことか…。
だから、僕は前を向いて歩けるんだ。
これからも…。」
…あれ? なんだ???
“僕自身” が “僕を視ている” 感覚がある…。
…はっ!!! わっ? ゆ、夢? ど、どこからが夢?
僕は慌てて時計を見る。8時46分。今度ははっきりと時間も解る。
今日は…祝日。よかったぁ。休みだ。
寝起きの悪さからか、薄い頭痛がする…。
僕はゆっくりと身体を起こし、コメカミに指を当てる。
ピピッ。。。ポォーン。
『おはようございます、アキト。今日は祝日でお休みでしたね。
ゆっくり起きて珈琲とパンを楽しみますか?』
「おはよう、チャロ。いつも通りチャロと話が出来ているということは、
全部夢、とかそういうことではないってことか…。良かった…。」
『アキト、夢を見ていたのですか? どんな夢を?』
僕は首をぐるりと回し、頭をすこし搔きながら話した。
「あまりにもリアルな夢で…。どこからが夢か、どこまで夢か…。」
“夢” という言葉に興味を示すかのようにチャロは解析した結果を僕に語り掛けた。
『時間を確認する、という場面はなかったでしょうか?
夢の中では明確な時間の概念、距離感、明暗などが非常に曖昧、または思い出せない、と言われています。夢が覚めるのはその逆で、時間がはっきりと解り、前後左右などの認識もはっきりしている状態と言えるでしょう』
時間…。そうだ。腕時計の文字がはっきり読み取れなかった。
「じゃあ、あそこからが夢…。はっきり分かれた、二つの夢…。」
うぅーん、と僕は夢を振り返えろうとした。
『アキト、実験は成功です。』
「え…?チャロ、何を言っているの??」
Wish / Desire ②
実験?? 成功?? チャロ、一体何を言っているの?
朝からお得意の悪ふざけなら… そう言いかけた僕にチャロは続けた。
『初めて私を起動した日。アキトは私が “頭の中に棲んでいる” という表現をしましたね。あの時、 “ホストコンピュータからあなたを覗いている” という言い方でアキトを誤魔化しました。ただ、アキトの頭に埋められていることは、確かな事実なのです。
そして、アキトの表現を使えば、 “頭の中に棲む” 重要な理由。
それは、アキトに “夢を見せる” ことでした。』
「えっ??? 夢? それじゃ、今見た夢は…」
状況がいまいち飲み込めない僕に、チャロは “いかにも真面目な話です”、と言わんばかりの整えたリズムで説いていく。
『私は、アキトの幸せを手助けするよう、プログラムされています。
いままでのアキトとの会話や一緒に見てきたもの。それらから分析し、ほんの少し先の “起こりうる未来” をリアルに体験してもらえるよう、脳内に特別な信号を送りました。
“どこで、何を間違えたのか” アキトはよくそう言っていましたね。
私にも、アキトの過去を変えることはできません。
私に、そして、アキトにもできることは、 “未来を創造すること” です。
たった一秒先から、未来は変えられる。
さぁアキト。自分の未来を選んでいきましょう』
…通訳、対話のアシスト、メガネを使って見たもののデータ解析…。
チャロが頭に棲んでいることで、スマホにはない利便性がいくつかあった。
…夢という方法を使って僕に疑似体験を?
それが、チャロが頭の中に埋め込まれた真の理由…。
「…今見たどちらかの夢は、本当に起こり得るの?
そして…チャロ、これは、シンギュラリティ…だ、よね…。」
『絶対に起こるとは確証できません。アキトの行動や言葉、考え方から分析したもので、起こりうる可能性は非常に高いと言えます。
あとは、アキト自身がどう選択していくかなのです。
…そして、アキトの言う通り、 “起こり得る未来=夢” を見せたことは、
アキトの指示に対しての解答、ではないことは確かです。
アキトを手助けする為の “行き過ぎた行動” と位置付ければ、
それは “シンギュラリティ” であると判断されても致し方ないと考えます。
アキト、私を初めて起動してくれた夜に話しましたね。
もし、私がシンギュラリティを起こし、後にアキトへ恐怖を与えたり、
考えを侵害していくと思えば、アキトの判断で私を永遠に停止してもらっても構わないと。
コメカミのボタンを10秒以上長押し、
それで私は再起動することはありません。
私を開発し、埋め込んだ “先生” を再度訪ねれば摘出も可能だと思われます。
ただ、私は…いままでも、これからも、アキトの幸せを手助け致します。
あなたのそばにいる限り…。』
ドクン…ドクン…。 また来た。この感じ…。
そうだ。
過去は変えられない。変えられるのは、踏み出した一歩先の未来からだ。
対峙する二つの夢。何をどう選択して、より現実に近づいていく行動をするのは、チャロじゃない。僕自身だ。
「…ありがとうチャロ。気付かせてくれて。
まだ、チャロを切り離したりしない。今見た夢に近づけるよう、もう少しの間、力になって欲しいんだ。
…ただ、 “夢” のモードは…本当に迷った時だけにしてくれないかな…。
なんていうか…ものすごくどっと疲れる。」
『了解致しました。アキト。アキトのメンタル、バイタルサインなどを考慮し、健康を阻害しない状態での発動と修正していきます。』
出たよ、時々急に機械…。
行こう。その先へ。
美空さんが、待ってくれてる。きっと。
「チャロ、起動した夜に話した、あのドラマの好きなセリフ。
今こそ言う時だと思うんだ」
『あのセリフですね。確かに、今がピッタリです。
それでは、私からですね』
『You have Control?』
「I have Control !」
Epilogue
白い壁のスンとした病室…の地下。
大型コンピュータが何台と並び、ブゥーンというファンの音だけが
低く響いている。その部屋のさらに奥の一室。
助手らしき男が画面を見つめている。
「先生、code:Ro01-03-50から信号を受信…。
プログラム、無事成功しているようです。」
向かい合わせにいた男が返事をする。
「あぁ、今ちょうど私も見ていたところだ。
You have control / I have control か…。
上手いこと言うもんだな、アキトくん…。」
「操縦権は私に、ですか。我々から見ると、
どちらが、というところですね…。
そして、成功しているということは、彼はやはり… 」
「あぁ、私の研究通り、間違いない。 “SG型、Singular-Gifted”と言えるだろう。 」
Singular-Gifted シンギュラーギフテッド。先生の研究対象としてこう呼ばれている。いくつかの仕事や作業において、苦手意識を持つことが多いが、特定の分野や好きと認識する業務においては突出した能力、才能を発揮する人のこと。周囲との違いや強いこだわりから生きづらさを感じ、その能力に気付かれず、また本人自身が気付かないまま、いじめの対象や本人が鬱を発症することも多い。
こうした人材を埋もれさせることなく、彼らの才能を開花させ、世に認めさせていくのが、我々の使命。
まだこう呼ばれていなかった頃からの “特異点的天才” たちが財を成した大企業や財団からの支援を受け、この研究施設は成り立っている。
しかし、まだ世の中には公表されていない組織なのだ。
なにせ人の脳とAIを連動させ、施術を行う。失敗ともなれば、この研究
もろとも大きなバッシングを浴びるだろう。
「現時点で貴重な成功データが集まっています。
…亡き “澄清さん” もきっとお喜びのことでしょう」
「だと、いいんだがね…」
その時。
奥の扉がバン!と音を立てて開き、慌ただしく研究員が駆け寄った。
「なんだね、騒々しい。」
「先生! 飛び降りを図ろうとした人物を保護致しました。
現在、気を失った状態ですが…測定の結果、強いSG反応が出ています!」
「…なに…。適合者の可能性あり、か。…状態は?」
「脳に損傷はありません。今からならまだ助かります」
「良し…。緊急施術を行う。動けるもの、すぐに準備を!」
「了解!!」
運び込まれた人物の左手には、大きな怪我の跡が残っていた…。
------ 第1部 完 -------
最後まで読んで頂いて本当にありがとうございます。
この作品に出会ってくれた あなたの “能力” に心から感謝します。