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転職6回、最短4ヶ月で会社を辞めた私が、30代前半で年収1,200万円(月収100万円)になるまでの話

    「4ヶ月で辞めた会社、エージェントにいくら払ったと思ってるの?」

    5回目の転職活動で、面接官に言われた言葉です。

    私の職務経歴書を眺めながら、その人は続けました。

    「転職回数が多い人は、正直、信用できないんだよね。」
    「キャリアに一貫性がない。うちに来ても、どうせすぐ辞めるでしょう。」

    反論はしませんでした。できなかった、というほうが正しいかもしれません。
    数字だけ見れば、面接官の言うとおりだったからです。

    申し遅れました。3年坊主と申します。私の履歴書は、こうです。

    転職回数:6回
    経験社数:7社
    最短離職:4ヶ月
    最長勤務:2年以上3年未満

    経験した業界は、IT、メーカー、人材、通信インフラ、広告代理店。
    職種も、営業、企画、マーケティング、システム開発、ITコンサルタント、PMOと、見事にバラバラです。

    1回目の転職は、実は順調でした。
    新卒で入ったのが、それなりに名の知れた大企業だったからです。
    でも、回数を重ねるごとに、風当たりは強くなっていきました。
    そして冒頭の5回目。
    人事の目に、私の履歴書はもう「地雷」にしか映らないようでした。
    書類で落とされ、面接で説教され、内心「そう思うなら呼ばないでほしい」と思いながら、頭を下げて帰る。

    そんな日々でした。

    その私が、今年30代前半で年収1,200万円、月収にして100万円です。

    初めて1,200万円に到達したのは、6社目でのことでした。
    いまは7社目。
    年収はそのままに、9時に始業して18時に帰る生活で、人生で初めて「この会社で腰を据えて働き続けよう」と思えています。

    誤解のないように書いておくと、私は6社目で突然覚醒したわけでも、何かを一発当てたわけでもありません。
    地頭も働きぶりも、20代の頃からほとんど変わっていません。
    メーカー時代も広告代理店時代も、それなりに必死に働いてきました。
    部内で一番の評価を取った年すらあります。

    それでも、年収は上がりませんでした。

    一番評価が高かった年ですら、昇給は月3万円。
    手元で電卓を叩くと、このペースで年収1,000万円に届くのは40歳。
    「毎年、最高評価を取り続ける」というありえない前提を置いても、です。

    いま振り返れば、答えははっきりしています。

    頑張りが足りなかったのではありません。
    頑張る「場所」を、間違え続けていたのです。

    ただ、このからくりに気づくまでに、私は7つの会社を渡り歩き、心と体を壊しかけ、履歴書に「4ヶ月離職」という消えない傷をつけることになりました。

    この記事は、その全部を書いた記録です。
    7社分の失敗と、最後にたどり着いた一つの答えを、順番に書いていきます。

    • 就職先を間違えたと感じている人

    • 転職回数が多くて、もう市場で戦えないと思っている人

    • やる気はあるし頑張ってもいるのに、報われていない人

    そういう人にこそ、読んでほしくて書きました。
    私がお金と時間を払って学んだ失敗を、あなたの近道にしてもらえたら本望です。少
    し長くなりますが、お付き合いください。


    第1章:能力では、年収の天井は超えられない

    「今期、君の評価は部内で一番だった。本当によくやってくれた。」

    2社目のメーカーで働いていた頃、上司にそう言われたことがあります。
    素直に嬉しかったです。
    年に2回の貴重なプレゼンを控えた2週間、毎日22時まで働き、その後終電まで付き合いの酒を飲む。そんな日々が報われた気がしました。

    そして、続けてこう言われました。

    「だから、来年の昇給は……月3万円アップだ。」

    月3万円。年間で36万円。
    部内で一番の評価を取って、これか。
    それが正直な感想でした。

    メーカーの仕事自体は、嫌いではありませんでした。
    職種は商品企画。
    自分が担当した商品が世の中に出て、たくさんの人に使ってもらえる。
    やりがいはありました。
    実際、私の入社前後で、自社のシェアは2倍以上に伸びています。

    ただ、一つだけ、どうにもならない壁があることを確信しました。

    給与の天井です。

    会社の中、もっと言うと自分がいる部署の中でどれだけ評価されても、昇給テーブルは決まっている。
    部内最高評価でも月3万円。課長になっても部長になっても、その延長線上にある数字は、だいたい予想がついてしまう。

    このとき、初めてうっすらと気づきはじめました。

    「もしかして、頑張りの量と、もらえる金額は、あまり関係ないんじゃないか?」

    当時はまだ、その正体がはっきり見えていませんでした。

    「自分の頑張りが足りないのかもしれない」
    「もっと評価される動き方があるはずだ」

    と、自分の中に原因を探していました。

    でも、冷静に、客観的に考えると、別の景色も見えてきます。
    私が働いていたメーカーは、同業他社に、はっきり言って遅れを取っていました。それも、一社員の頑張りではどうにもならないレベルで。
    もしそこがAppleやSONYやトヨタだったら、同じ働きで、もらえる額は違ったはずです。

    問題の99%は、私個人ではなく、私がいた「場所」つまりは、業界と会社にあった。
    今なら、そう言い切れます。

    ただ、この正体をはっきり突き止めるまでに、私はあと3回、会社を辞めることになります。

    第2章:広告代理店で知った、ビジネスモデルの天井

    メーカーの天井に絶望した私は、次にインターネット広告代理店の世界へ飛び込みました。

    華やかに見えました。
    デジタルで、成長産業で、成果が数字で出る。
    ここなら、頑張った分だけ報われるはずだ、と。

    しかし、そこで二つ目の壁にぶつかります。
    ビジネスモデルそのものの天井です。

    ネット広告代理店の収益構造はシンプルで、クライアントが出す広告費の10〜20%を手数料としていただきます。
    つまり、こういう式が成り立ちます。

    自分が生み出せる利益 = クライアントの広告予算 × 10〜20%

    ここで、一つ質問をさせてください。
    私がいた3社目の代理店は、主に中小企業を支援していました。
    中小企業は、1ヶ月にいくら広告を出すと思いますか?

    100万円でしょうか?
    1,000万円でしょうか?

    答えは、月20万円でした。

    月20万円の予算から手数料20%をいただいて、4万円。
    仮に5社を担当しても、会社に入る粗利は月20万円ちょっと。
    そこから私の給料も、オフィスの家賃も、社会保険料も支払われる。
    どう逆立ちしても、ここから年収1,000万円は生まれません。

    「だったら、もっと大きなクライアントを扱えばいい」

    そう考えた私は、外資系の大型クライアントを抱える代理店へ、さらに転職します。

    この判断で、キャリアで一番高い授業料を払うことになるとは、思ってもいませんでした。

    第3章:4ヶ月で逃げ出した会社

    4社目となるその代理店は、予算規模だけなら申し分ありませんでした。

    「ついに、やりたかった仕事ができる」。

    入社前の私は、期待に胸を膨らませていました。

    現実は、入社して数週間で音を立てて崩れていきます。

    一つ目。深夜の連絡。

    外資クライアントが相手なので、時差や先方の都合で、業務時間外の連絡が当たり前のように飛んできます。

    夜の23時に、平然とチャットが鳴る。

    「明日の朝までに対応をお願いします」。

    プライベートという概念は、早々に消えました。

    20時に予定を入れて、「すみません、友人と食事があるので」と帰ろうとしたら、「先輩が働いているんだ!なんで入ったばかりの君が先に帰るんだ!」と言われたこともあります。

    今、20時です。
    私の仕事は終わっていて、定時もとっくに過ぎている。
    明日ではだめなんですか。

    ——この疑問は、退職する日まで解消されませんでした。

    二つ目。「靴を舐める」ような仕事。

    思い描いていた「大きな予算で大胆な施策を打つマーケティング」は、そこにはありませんでした。
    実際にやらされたのは、クライアントの予算管理システムにログインして、ひたすら数字を入力していく作業。
    頭を下げ続け、雑用に近い業務をこなす日々です。

    クライアントの言い分は、こうでした。

    「毎月1,000万円を払うんだから、こっちがやりたくない業務もやってよね。」

    マーケターとして大成したいと思っていた自分には、耐えがたい屈辱でした。
    便利屋になるために、転職したわけではないのです。

    三つ目。月100時間を超える残業。

    上記のすべてが積み重なった結果です。
    深夜の連絡に対応し、雑務に追われ、気づけば心も体も限界に近づいていました。

    入社して4ヶ月。
    私は、辞表を出しました。

    正直に言います。
    これは、私のキャリアで最大の汚点です。

    たった4ヶ月。

    履歴書に、消えない傷がつきました。
    冒頭に書いたとおり、後の転職面接で、何度もこの4ヶ月を責められることになります。

    「我慢が足りない」と。

    でも、今振り返って分かることがあります。
    あの会社を辞めたこと自体は、間違いではなかった。
    心と体を壊してまで続ける価値のある場所ではなかった。

    本当の失敗は、「辞めたこと」ではなく、「その会社を選んでしまったこと」です。

    入る前に、見抜けたはずでした。

    外資メインなら時間外の連絡は容易に想像できたし、その代理店が「予算管理の代行」のような下流の業務を多く請けていることも、調べれば分かったかもしれない。

    私は「予算が大きい」という一点に目を奪われて、仕事の「中身」と「働き方」を見ていなかった。

    会社選びを、決定的に間違えたのです。

    この4ヶ月の痛みが、後に「会社の選び方」を死ぬほど真剣に考えるきっかけになりました。

    今思えば、高い授業料でした。

    第4章:畑違いの5社目で、「作る側」の世界に触れた

    4ヶ月で会社を辞めて、少し冷静になってから、これまでの3社を並べて振り返ってみました。

    メーカーでは、昇給テーブルが天井でした。
    中小企業相手の代理店では、クライアントの予算が天井でした。
    そして、大きな予算を扱う代理店は、給与レンジがガチガチに固定された固定残業制。
    どれだけ成果を出しても、どれだけ働いても、年収のメーターは決められた範囲でしか動かない。

    クライアントの予算が月20万円でも3,000万円でも、私の給料の天井は、ほとんど変わらなかったのです。

    ここで、メーカー時代の「うっすらした気づき」が、はっきりした確信に変わりました。

    給与は、個人の能力の高低では決まらない。
    給与は、業界とビジネスモデルで決まる。

    稼げる構造の中にいなければ、どれだけ優秀でも、どれだけ働いても、稼げない。
    逆に言えば、稼げる構造の中に移れば、年収は変わるかもしれない。

    とはいえ、その「稼げる構造」がどこにあるのかは、まだ見えていませんでした。

    そんなとき、旧知の経営者から声がかかります。
    「新しいサービスを立ち上げるから、手伝ってくれないか」。

    5社目は、それまでとまったく畑違いの、企業向けの研修コンテンツを作る、20人ほどの小さな会社でした。

    担当は、企画と営業。

    そして、これが後で効いてくるのですが、「開発ディレクション」です。

    顧客のビジネスを分析してコンテンツとして企画し、要件を定義し、画面の設計図を引いて、エンジニアに渡す。
    ガントチャートとWBSで進行を管理し、数ヶ月かけて納品する。
    私はここで、人生で初めて「システムを作る側」の世界に足を踏み入れました。

    そして、気づきました。

    営業や企画やマーケティングで培った「相手のビジネスを理解する力」は、作る側の世界でも、そのまま武器になる。

    要件を決め、エンジニアと話し、納期どおりに完成させる仕事が、自分は意外とできる、と。

    このときはまだ、この経験が年収を2倍にする伏線になるとは、思ってもいませんでした。

    第5章:なぜ、何度でも転職できたのか

    ここまで読んで、こう思った方もいるかもしれません。
    「そんなに何度も転職して、怖くなかったの?」と。

    怖かったです。
    当然、怖かった。

    私の転職は、「同じ職種でより良い条件の会社へ移る」という王道ではなく、「職種そのものを変える」転職だったからです。

    営業から企画へ、企画からマーケティングへ。

    行く先々で「未経験の新人」に戻る。

    年齢は上がっていくのに、スキルはゼロからやり直し。
    収入が一時的に下がったこともあります。

    それでも動けたのは、「動かないことのリスク」のほうが、私には怖かったからです。

    メーカーにいれば、40歳まで年収1,000万円に届かない。
    代理店にいれば、構造の天井に頭を打ち続ける。

    その場に留まることは、安全ではなく、緩やかな停滞でした。

    そしてもう一つ。

    私には、根拠のない確信がありました。

    「未経験でも、根性とコミュニケーションがあれば、どうにかなる」という確信です。
    これは最後の章で詳しく書きますが、私はどの会社でも、手を抜いたことは一度もありません。
    残業が月100時間を超えた月も、土日も年末年始も働いた時期もある。
    「逃げ癖のついたジョブホッパー」と言われればそれまでですが、私の中では、毎回が真剣勝負でした。

    ただ、戦う「場所」を、間違え続けていただけなのです。

    第6章:転機〜自分の「時給」を計算してみた〜

    では、稼げる構造とは、そもそもどこにあるのか。

    抽象的に悩んでいても答えは出ません。
    そこで私は、ある単純なことをやってみました。
    自分の「時給」の計算です。

    代理店時代の年収と労働時間から逆算すると、私の時給は、だいたい3,000〜4,000円。
    試しに、フリーランス向けの案件サイトで広告・マーケティングの仕事を探してみても、提示されている単価はやはり同じくらい、時給換算で3,000〜4,000円でした。

    つまり、会社にいてもフリーになっても、この業界で働く限り、私の値段は「その程度」だと、市場がはっきり示していたわけです。

    ところが、同じサイトで別の職種を眺めていて、目を疑いました。
    システム開発やITコンサルの案件には、月100万〜150万円という単価が、ゴロゴロ転がっていたのです。

    同じ「働く」でも、職種が違うだけで、ここまで値段が違う。
    これが、私が探していた「稼げる構造」の正体でした。
    市場が、これ以上ないほど分かりやすく、答えを教えてくれていたのです。

    そこで立てたのが、「下流から上流へ登る」というキャリア戦略でした。

    システム開発の世界には、明確な「川の流れ」があります。

    下流:実際にコードを書き、システムを作る(システム開発)
    中流:プロジェクトの進行を管理する(PMO)
    上流:そもそも何を作るべきかを企業に提案する(コンサルタント)

    そして、下流から上流に行くほど、単価が上がります。
    同じITという業界の中でも、川のどこにいるかで、年収はまったく違ってくる。

    ただ、いきなり上流のコンサルは名乗れません。
    システムのことが何も分からなければ、コンサルティングなどできるはずもない。
    だからまずは、川の最も下流——実際に手を動かすシステム開発から始めることにしました。

    そしてここで、過去の「未経験転職」の経験が、思わぬ武器になることに気づきます。

    私には、営業・企画・マーケティングという「事業会社側」の経験があります。

    システムを「作る側」の論理と、「使う側」の論理。
    その両方が分かる人間は、意外なほど少ない。

    純粋なエンジニア出身者は、システムには詳しくても、それを使う現場の業務やユーザーの気持ちまでは分からないことが多い。

    一方、私は事業会社で「ユーザーそのもの」だった経験がある。
    だから、上流のコンサルやPMOで「現場の解像度が高い人間」として価値を出せるはずだ、と。

    バラバラだと思っていた転職の経歴が、ここで一本の線につながりました。遠回りが、結果的に近道になっていたのです。

    こうして私は、6社目に飛び込みます。
    源泉徴収票ベースで、年収550万円からのスタートでした。

    第7章:社長が働かない会社で、年収は2倍になった

    正直に書きます。
    その6社目は、いわゆる「裸の王様が経営する会社」でした。

    社長は働かない。

    朝まで飲んで昼まで寝て、午前の打ち合わせや面接を平気ですっぽかす。
    部下は部下で、動かない。

    そのあいだに挟まれて現場を回すのは、私のような人間でした。

    普通に考えれば、「選んではいけない会社」の典型です。
    実際、つらいことは山ほどありました。

    でも、この会社で、私の年収は、550万円から1,200万円へと、2年で2倍以上になったのです。

    なぜ、そんなことが起きたのか。
    まともじゃない会社だったからこそ、起きたことでもありました。

    理由その1:人がいないから、経験が一気に積めた。

    その会社は、仕事は取ってくるのに、それを回せる人材が決定的に不足していました。
    普通の整った会社なら、若手には経験に応じた仕事しか回ってきません。
    でもそこでは、「できる人間がいない」から、難しい仕事も大きな仕事も、否応なく私のところに降ってきた。

    何も分からないままプロジェクトマネージャーとしてフロントに立ち、お客さんの言葉が一つも理解できず、「持ち帰って確認します」を連発していました。しんどかった。
    でも、その分だけ、異常なスピードで実力がつきました。
    整った大企業で5年かけて学ぶことを、私は1〜2年で習得せざるを得なかった。
    裏を返せば、無法地帯は、最高の成長環境でもあったのです。

    理由その2:制度が崩壊しているから、交渉が通った。

    評価制度がまともに整備されていない会社でした。
    他の会社なら「規定でこれ以上は無理」と言われる昇給も、その会社には「規定」自体が曖昧だった。

    そこで私は、正面から交渉しました。

    ちょうど他社から「年収1,100万円で来ないか」というオファーをもらっていたタイミングで、それをカードとして使ったのです。
    「他社からこういう評価を受けている。ここで働き続けるなら、それに見合う待遇がほしい」と。

    結果、月給100万円、年収1,200万円を勝ち取りました。

    理由その3:周りに人材がいないから、相対的に際立った。

    身も蓋もない話ですが、社内にまともに仕事を回せる人間が少なかったことで、私は希少な人材として扱われました。
    これも、交渉が通った大きな要因です。

    ただ、正直に告白します。

    月給100万円が決まったその瞬間、私の中に、ガッツポーズをするような高揚感はありませんでした。
    「やった、ついに!」という達成感も、ほとんどなかった。
    込み上げてきたのは、もっと静かな感情でした。

    「ああ、やっと報われたな」。
    そして「年収1,200万円って、こんなもんか」。

    拍子抜けするほど、あっさりとした気持ちだったのを、今でも覚えています。

    なぜ、こんなに醒めていたのか。
    少し考えて、腑に落ちました。
    私は、6社目で急に人が変わったように頑張ったわけではないからです。

    この記事で繰り返し書いてきたとおり、私はメーカーでも、広告代理店でも、ずっと必死に働いてきました。
    能力も働きぶりも、6社目になって突然2倍になったわけではありません。
    ずっと、同じくらい頑張っていた。

    ただ、報われる「場所」にいなかっただけ。

    だから、年収が2倍になっても、「新しく何かを成し遂げた」という感覚はなかった。

    ずっと前から持っていた実力が、ようやく正当な値段で評価される場所に、たどり着けただけだったのです。

    この「こんなもんか」という拍子抜けこそ、私にとって最大の発見でした。年収は、その瞬間の頑張りで決まるのではない。報われる場所にいるかどうかで決まる。それを、理屈ではなく、感情のレベルで思い知った瞬間でした。

    ただし、ひとつだけ、誤解してほしくないことがあります。

    「場所さえ変えれば、誰でも年収が上がる」という単純な話ではない、ということです。

    私にはそれまでの会社で積み上げてきた、業界や職種を越えても通用する力「営業として人と向き合った経験、企画やマーケティングで事業を考えた経験」が、土台としてありました。
    その土台があったからこそ、最後に「正しい場所」が乗ったとき、一気に開花した。

    土台がなければ、場所を変えても上がらない。
    土台だけあって、場所が悪くても上がらない。
    その両方がそろって、初めて年収は動く。

    私の場合は、土台は前から十分にあって、最後まで足りなかった1ピースが「場所」だった。ただ、それだけのことだったのです。

    もちろん、まともじゃない会社に居続けることを勧めているわけではありません。
    私はそこで市場価値を上げきった後、もっとまともな環境である7社目へと「卒業」しました。
    今は9時〜18時で働き、年収1,200万円を保ったまま、人間らしい生活を送れています。

    こういう会社は、骨を埋める場所ではない。
    でも、消耗するだけで終わらせず、しゃぶり尽くして市場価値を上げ、より良い場所へ卒業するための「踏み台」にはできる。
    私は、結果的にそうしました。

    第8章:未経験の壁を越える、二つの武器

    ここまでが、私が年収1,200万円にたどり着くまでの物語です。
    最後に、より実用的な話をします。

    私のように、未経験の業界・職種に飛び込んで年収を上げたい人に向けて、本当に大事だと思うことを、二つだけ。それは、「根性」と「コミュニケーション」です。

    精神論かよ、と思われたかもしれません。
    でも、6回の転職を経た今、本気でこの二つだと確信しています。

    根性 ※ただし、我慢のことではない

    職種を変える転職は、行く先々で「未経験の新人」に戻ることを意味します。
    プライドが傷つくし、年下に教わることも、思うように成果が出せず焦ることもある。

    その不安と恥ずかしさに耐えて、自分の経験を統合しきる力。
    私はそれを根性と呼んでいます。

    その苦労を逃げずに乗り越えた先で、自分にしかない価値が生まれます。
    私の場合、それが「複数の職種・業界を経験している」という掛け算でした。
    今のITコンサルの仕事で、事業会社側の業務やユーザーの気持ちまで解像度高く理解できるのは、過去に営業や企画として現場にいたからです。
    一つの職種を究めた専門家にはない強みが、遠回りの末に手に入りました。

    コミュニケーション…「教えてもらえる人」になる技術

    未経験で飛び込むということは、周りの人に「教えてもらう」ということです。

    ここで多くの人が勘違いします。
    「教えてください!」と頭を下げれば教えてもらえる、と。

    違います。

    教える側だって、自分の貴重な時間を割くわけです。
    ただ「教えてほしい」と言うだけの人間に、人は積極的に時間を使いません。

    私が一貫して意識していたのは、「教えてくれる上司の困り事を、先に解決する」ことでした。

    上司が資料作りを苦手にしているなら、代わりに資料を作る。
    会議では誰よりも早く議事録を取り、まとめて上司に送る。
    画面共有やカレンダー設定など、細かい段取りは率先して引き受ける。

    過度にへつらえ、機嫌を取れ、という話ではありません。
    「この人が気持ちよく働くために、自分に何ができるか」を常に考えながら動いていただけです。

    すると、「こいつは気が利くな」と思ってもらえる。

    そうやって信頼を積むと、仕事を任せてもらえたり、惜しみなく教えてもらえたりする。

    こうして、「会社からお金をもらいながら、新しいスキルが身につく人間」ができあがります。

    未経験転職で生き残る人は、たいていこれが上手いのではないでしょうか。

    リスキリングなどの転職斡旋ビジネスに大金を払う必要はありません。
    転職した先で、給料をもらいながら教わればいいのです。
    実際、私が6社目で採用する側で面接に臨んだ際、採用するかしないかを決めるのはリスキリング(学習経験)の有無ではなかったからです。
    断言します。実務経験がなければ一切評価されません。

    おわりに:あなたの「場所」は、そこで合っていますか

    長い記事を、ここまで読んでくださってありがとうございます。

    私が、6回の転職を経てたどり着いた結論は、シンプルです。

    あなたの年収は、あなたの能力ではなく、あなたが今いる「場所」で決まっている。

    もし今、あなたが「これだけ頑張っているのに報われない」と感じているなら。その原因は、あなたの努力不足ではないかもしれません。

    あなたがいる業界やビジネスモデルが、構造的に「報われにくい場所」なだけかもしれない。

    そうだとしたら、必要なのは、もっと頑張ることではなく、場所を変えることです。

    ただし、私の「4ヶ月」を忘れないでください。
    場所を変えるなら、選び方を間違えてはいけない。
    予算の大きさや響きの良さだけで飛びつくと、私のように4ヶ月で逃げ出すことになります。

    稼げる構造を見極め、その中で自分が希少になれる場所を選ぶ。
    そして、根性とコミュニケーションで、未経験の壁を乗り越える。

    それができれば、ジョブホッパーと罵られた人間でも、年収1,200万円にたどり着けます。私が、その証拠です。


    ここまで読んで、「で、実際どう交渉したの?」と思った方がいるかもしれません。年収550万円から1,200万円まで、実際にどう動き、何を言って交渉したのか、その実録も、これから書いていくつもりです。

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    30代前半で転職6回・7社目で年収1,200万円。稼げない仕事を転々とし、試用期間での退職も経験しました。「給与は能力でなく場所で決まる」という私の原体験をもとに、稼げる業界の見極め方・年収の上げ方・ヤバい会社との付き合い方を書いていきます。

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