
大阪万博最終日、大屋根リング、柱70番の下で21時に。
大阪万博最終日の10月13日。
夜21時。
私は、大屋根リングの柱70番の下にいた。
結婚して、子どもができて、家族と過ごす時間が生活の中心となっていた。
友人と他愛もない話をして過ごす時間や、
新しい誰かと出会うような時間は少なくなっていた。
そんな頃、あるペンパルアプリを見つけた。
世界中の人と、手紙のようにゆっくり交流できるアプリ。
メッセージはすぐには届かない。
国によって時差があり、送ってから相手に届くまで何時間もかかる。
まるで本当の手紙を待つような時間がある。
顔も、声も、生活も知らない相手。
ただ文章だけで、その人を想像する。
もちろん、やり取りをする中には、少し変わった人や、距離を置いた方がいいと感じる人もいた。
だからこそ、相手との距離感には慎重だった。
そんな中で、ひとりのアメリカ人男性とやり取りが始まった。
彼には2人の男の子がいて、私と同じく子どもをもつ親だった。
そして近々、知人に合う予定もあり、一人旅で日本旅行を予定しているとのこと。
しかも海外旅行がはじめて。
もちろん、日本もはじめて。
ちょうど2025年、大阪万博が開催されている時期だった。
私は大阪万博が大好きで、子どもを連れて何度も足を運んでいた。
彼は万博にも行く予定で、ラーメンも食べたい、団子も食べてみたい、和室や温泉も体験してみたい、と日本でやりたいことがたくさんあるようだった。
観光スポットやグルメでおすすめを聞かれたから、関東から関西、九州まで、知ってる限りの情報を伝えた。
有名なラーメン屋はいくらでもあるけど、たいていどこのラーメン屋もおいしい、ってこと。
カップラーメンも おいしいのがたくさんあるよ、ってこと。
夜中に無性にラーメンが食べたくなって、ホテルで食べるカップラーメンは最高なんだ、ってこと。
団子はスーパーやコンビニでも売ってるし、それで十分おいしいよ、ってこと。
でも浅草に行けるならそこで買った方がいいかもね、ってこと。
和室も温泉もあるおすすめのホテルのこと 。
そして一番盛り上がったのは大阪万博のこと。
混雑状況や交通状況、おすすめのパビリオン、実際に行ってみたパビリオンの感想、パビリオンの予約の取り方や当日予約枠の取り方のコツなど、
はじめての日本旅行を少しでも楽しめるように、知っていることをできるだけたくさん伝えた。
知らない国に来る誰かの旅の一部に、自分の知識が少し役立っている。
それが純粋に嬉しかった。
ただ、彼がいつ日本にやってくるのか、万博に行くのかは、
あえて聞かなかったし、彼も言わなかった。
なぜなら、会うつもりは全くなかったから。
私は警戒心が強い方だと思う。
知らない人には特に慎重になる。
ましてアプリで知り合った、素性のわからない外国人男性。
会うという選択肢はまったくなかった。
だから、彼の日本旅行の日程も聞くことはなかった。
私は変わらず、万博通いを続けた。
万博に行っては、パビリオン情報や徐々に増していく混雑の様子を彼に報告していた。
そんなやり取りを続けて数週間。
猛暑だった8月も過ぎた。
なかなか彼が万博に行ったという報告がないまま、
万博の混雑は日に日に増えていた。
そんな頃、彼のメッセージの流れから、ふと気が付いた。
もしかして、彼は万博最終日に行くのではないか。
そう思ってメッセージを送った。
「あなた、もしかして最終日に万博行くの?」
私が気が付いてそうメッセージを送ったのは、
万博最終日の5日前、10月9日のことだった。
私自身も、あのチケット争奪戦になった最終日のチケットを、ずいぶん前から家族全員分確保していた。
だから、彼へのメッセージはこう続けた。
私も万博最終日は家族で行く予定だということ。
ただ、終盤はとんでもない混雑だから、これまでのアドバイスは役に立たないかもしれないこと。
それでも、大屋根リングを歩くだけでもきっと素敵な思い出になること。
トイレも大行列だから早めに行った方がいいこと。
はじめて訪れる最終日の万博を楽しんでほしいという気持ちを込めて、
できる限りの情報を送った。
そして、最後に、
「万博を最後まで楽しみましょう。
あなたの日本での滞在が素晴らしいものになるよう心から祈っています。」
と締めくくって送信した。
会うことはないけれど、
同じ空の下、同じ場所で、
お互いいい思い出にしよう。
そんな気持ちだった。
私はもう満足だった。
初めて日本を訪れる誰かの旅に、少しでも役に立てた。
10月9日に送信し、彼にメッセージが届くまでには31時間かかる。
彼から返信が届くのも、同じくらい時間がかかる。
だから、返事が来るのは万博が終わったあとだろうと思っていた。
きっと日本旅行を終えた頃に、感想を聞けるかもしれない。
そう思っていた。
ところが。
万博最終日10月13日の早朝、
スマホの通知が鳴った。
彼のニックネームが表示されていた。
何事かと思い開くと、
無事に飛行機で日本に到着していること、
パビリオンの抽選結果、
万博への期待が沢山詰まった内容だった。
そしてこう書かれていた。
「あなたも万博にいるならお会いしませんか?
もちろん無理強いはしませんので、ご安心ください。」
想定外だった。
なぜなら、私は会うつもりなど全くなかったから。
そして何より、時間がなかった。
このアプリには時差がある。
彼は前日の夜に送っていた。
でも私に届いたのは、まさに最終日の朝。
日本に到着した彼との時差は、
アプリのなかでは2時間ほどに変わっていた。
それでも、何度もリアルタイムでやり取りできるほどではなかった。
もし返信をするなら、すぐに決断しなければならない。
会う。
会わない。
さあ困った。
全く会うつもりがなかったし、正直怖い。
やりとりはしてきた。
日本の文化にたくさん興味があって、
悪い人ではなさそうだった。
でも知らない人には変わりない。
いや、普通に怖い。
なんかわからないけど、映画とかみたいな、アメリカのやばい人だったらどうしようとか、マフィアだったらどうしようとか考えた。
数十か国を旅してきた経験があり、体格の大きい夫もいる。
最悪なんとかなるかと思った。
・・・いや、最悪ってどんなだ。
いやでも、最悪のケースがあってはそもそも困るのだ。
何か起きてからでは遅い。
私は慎重に考えた。
連絡先を交換するという選択肢もあった。
この返信に連絡先を書けば、
そうすれば、すぐにリアルタイムでやり取りできる。
でもそれはできない、危なすぎる。
連絡先は交換しない、それは迷いのない選択だった。
けれど、無視することもできない。
悩みに悩んだ末、当日の昼頃に返信した。
「最終日の最後は、プロジェクションマッピングを見に行こうと思います。
21時に、大屋根リングの柱70番の下で、待ち合せましょう。」
ただし、条件をつけた。
万博には楽しいことがたくさんある。
予定通りに動けないかもしれない。
ここでしかできない体験を、どうか優先してほしい。
もし5分以内に会えなかったら、その時はお互い諦めましょう。
私は家族と一緒に行きます。
白いシャツと万博のバッグを持っています。
そう付け加えてメッセージを送った。
目印になるバッグの情報も添えた。
片道約2時間の時差を経て、4時間弱ほどで返信が届いた。
「21時に待っています」
たったの1行だった。
その短い言葉を見て、いよいよ現実になった気がした。
最終公演となった「アオと夜の虹のパレード」を端から見ながら、
子どもと感傷に浸りつつ、
こくこくと約束時間が近づいていることに焦っていた。
まだ自分が提示した待ち合わせ場所に行くかどうか、
決心がついていなかった。
夫は、まあどっちでもいいんじゃん、くらいのテンションだった。
悩んだ末、行かねばきっと後で後悔する。
悩むくらいなら行こう。
そう思って、大屋根リング沿いへゆっくり向かう。
すでに約束の時間から5分が過ぎようとしている時間だった。
どうか、いないでおくれ。
待っていませんように。
いませんように、いませんように。
そう口に出して唱えながら、子どもを抱っこして向かった。
大屋根リングの柱の根本が見えてきた。
遠目に見ても70番と書いてある柱の下に人はいない。
最終日、閉幕間際の場内はとんでもない人でごった返していたが、
70番の下には誰もいない。
よかった。
少し安心しつつ、ドキドキしながら柱までたどり着く。
見回す限りそれらしき外国人が見当たらない。
大屋根リングは、数メートルの幅がある。
70番と書いてある内側の柱から外側の柱まで2往復程してみる。
だが、いない。
いないか。
安心したようながっかりしたような気持ちで、さあ帰ろうと思った。
そのとき、少し離れたところに、
一人で立っている(思ったより)小柄な外国人男性がいた。
もしやと思い、ゆっくり近づいてみる。
目があった。
秒で確信した。
ああ、この人だ。
「〇〇?」と、アプリのニックネームで呼ばれた。
「Yeah!!」
私は笑顔ですぐに答えた。
全くマフィアではなかった。
マフィアがどんなのか知らないけれど。
怖い感じはまったくなかった。
パッと見の風貌だけなら、夫の方が背もでかいし怖そうだ。
英会話が得意でない私と、日本語が得意でない彼は、
英語ペラペラの夫の通訳を通じてしゃべった。
私の家族の紹介。
万博楽しめた?日本楽しめてる?
ぎこちないながら、みんな笑顔でそんなことを話した。
ほんの2分程度、だったかと思う。
すぐに彼はそろそろ行くね、と笑顔で帰って行った。
握手もしないし、写真も撮らなかった。
あっと言う間の数分間だった。
私は、悩んでいたのが嘘みたいに、とてもすっきりした気持ちだった。
各国パビリオンスタッフが楽しそうに打ち上げを始めたり、
来場客に手を振っている姿を見上げながら、
最後の万博会場内をゆっくり歩いた。
大行列の夢洲駅ホームまでの道のりを子どもと手をつなぎ、
数か月間の万博の思い出話で盛り上がりながら帰路についた。
後日、彼からメッセージが届いた。
あの日、彼は慣れない土地で朝から来てへとへとだったと。
電車やタクシーが混むと聞いていたから早く帰らなきゃって焦っていたから早く帰ったけど、
写真をとればよかった、とのことだった。
そうだね、と私も思ったよ。
それでもお互い会えてよかった、
はじめての日本で楽しい時間を過ごせたようでよかった、と伝えた。
それ以降、メッセージのやり取りは途絶えた。
正確には、私が返信をしていない。
冷たく聞こえるかもしれないけれど、あの日の数分間で、私はもう十分に満たされていた。
でも、またいつか気が向いたら連絡すればいい。
それくらいの距離感でもいいかな、と勝手に思っている。
私たちは、たった2分ほどしか話さなかった。
私は今でも彼の本名も、連絡先も知らない。
もしかしたら、これから二度と会うことはない。
それでも、あの日、
世界のどこかにいる誰かと、
同じ場所で同じ時間を共有した。
特別なやりとりをしたわけでもないし、
何かを得たわけでもないかもしれない。
それでも、
70番の柱の下で過ごしたあの数分間は、
私の中に、今も残っている。