
『書く習慣』で人生激変——素人が「東洋経済オンライン」で連載を持つまで
「うわぁ、本人だ……!」
司会の合図で手を叩くと、普段は画面越しに見ていた人が、目の前に現れた。想像していたよりも、細くて、顔が小さくて、とにかくかわいい。
「あれが、本物のゆぴさん……」
「ゆぴさん」とは、作家・ライターのいしかわゆきさんのことだ。この日、私は彼女が講師を務めるライタースクール「Marble」主催のイベント、「ライター交流会2026」に参加していた。
視界にしっかり捉えているのに、なぜだか現実味が湧かない。フワフワとした高揚感に包まれるのと同時に、私の脳内は4年前にタイムスリップしていった。
***
「……10月末で、退職させていただきたいと思ってます」
そう申し訳なさそうに告げると、向かいに座っていた上司はガクンと肩の力が抜けたようだった。
「え、なんで急に!?どうしたの?」
勢いに気圧されて、次の一言がいっそう小声になる。
「あの、ライターに、なりたいんです……」
私の答えに、上司の頭上には大量の「?」が浮かんでいるように見えた。それはそうだろう。当時、私が勤めていたのはインフラ系の会社で、「書くこと」とは何の関係もない、営業企画の仕事をしていたのだから。
軽い気持ちで始めた、「1ヶ月チャレンジ」
ことの発端は、1ヶ月前のこと。その頃の私は、女性向けのキャリアスクール「SHElikes」で、WEBスキルを身につけようと学んでいた。当時5歳の息子が小学生になるタイミングに合わせて、在宅ワークができる仕事に転職したいと思っていたからだ。保育園への行き渋りがひどかった息子は、小学校にスムーズに通えるようになるとは思えなかった。どんな状況に置かれても、柔軟に対応できる体制を整えておきたかったのだ。
昔から読書が好きで、作文を書くのが苦じゃなかった私は、育休中からぼんやりと「ライティング」に惹かれていた。そこで、次々とライター講座の受講を進めていると、スクール仲間からよく勧められた本があった。2021年に発売されたゆぴさんの著書、『書く習慣 〜自分と人生が変わるいちばん大切な文章力〜』だ。
手に取ってページをめくると、巻末に「1ヶ月チャレンジ」と題した30のテーマが並んでいた。 日記・SNS・ブログ……なんでもいいから、テーマに沿って文章を書いてみようというワークだった。
Day1 今抱いている目標や夢
Day2 今やっている仕事、学んでいること
Day3 今1番やりたいこと
Day4 今1番変えたいこと
(続く)
「試しにやってみようかな」
34歳でスクールに入会したあと、初めて作ったX(当時はTwitter)のアカウントで、Day1の投稿を済ませた。

でも、正直に言うと、「三日坊主で終わるだろうな」と思っていた。あの頃の私は、自分自身を信用していなかった。
というのも、息子を妊娠している間、「整理収納アドバイザーになりたい!」と1級資格を取得。育休が明けたら動き出そうと思っていたのに、いざ職場に戻った途端、あれほど燃えていたはずの気持ちがどこかに消え失せてしまっていたのだ。
「また、あのときと同じようになるかも……」
そう思いながらも、次の日も、そのまた次の日も、140字を投稿し続けた。
「退職」しか選択肢がなかった
チャレンジも2週間を過ぎてくると、「あれ、私続けられてるじゃん」と自分でも驚き始めた。テーマが決まっているせいか、はたまた文字数が少ないせいか、通勤電車で取り組むのにちょうどいいワークだった。そのうち、「自分は本当に『書く』ことが好きなのかもしれない……」という気持ちが、恐る恐る顔を出し始めた。
「1ヶ月続けられたら、自分の素直な気持ちとして認めよう」
そう決めた。
迎えた30日目……ではなく、先走った27日目の投稿がこちら。

夫に「もうすぐ30日連続投稿できそうなの!私、ライティングが本当に好きみたい!」と打ち明けたところ、「いいんじゃない?」と賛成してもらった数日後の投稿だと思われる。
「……いや、退職するの急すぎない!?」と思うだろう。私もそう思う(笑)。でも、この時点で息子の小学校入学までに残された時間は、約1年8ヶ月。学んで、仕事を獲得して、自分のメンタルが落ち着いた状態で入学式を迎えることを考えたら、「今辞めなきゃ間に合わない」と思った。
時短勤務を終えて、子どもを保育園に迎えに行って、急いで夕食を作って、お風呂に入れて——そんなことをしていたら、平日は疲れて勉強どころじゃなかった。かといって、休日に学ぶだけだと、ライターになるまで何年かかるかわからない。
「先に仕事を辞めよう」
論理的な判断というよりは、「追い詰められた末に見つけた選択肢が、これしかなかった」と言う方が正しいと思う。
そして迎えたのが、冒頭の上司への報告シーンだ。「会社や仕事に不満があるわけじゃない」「集中してライターの勉強をするために、退職したい」「次の仕事は決まっていない」——上司に説明しているうち、その言葉が自分の首に巻きついていくような感覚があった。「あぁ、もう後戻りできないんだ」と思うと、やけに胸が苦しかった。
ちなみに、退職翌日にストレス性の蕁麻疹が出たことは、前職の同僚には内緒にしている。私はもともと、大学の指定校求人でインフラ系の就職先を選ぶような、超・超・安定志向の人間なのだ。そんな人間が思い切った選択をしたものだから、心と体が追いついてこれなかったのだろう。骨の髄まで染み渡っていた「安定感」は、一晩寝たらすっからかんに抜けきっていた。
「フリーランス」しか方法がなかった
退職の申し出から数日後、Xのタイムラインに流れてきた投稿に、目が釘付けになった。キャリアスクールの卒業生・仲奈々さんが、インタビューライターを目指す人向けのレッスンを始めるらしい。

期間は退職前の2ヶ月間。詳細を見て、すぐさま相談会に申し込んだ。もう退路を断ってしまっているのだから、前に進むしかなかった。
のちに仲さんはゆぴさんの友人だと知り、不思議な縁を感じたのを覚えている。レッスン期間中に自主企画の取材記事を制作し、テーマ設定から執筆まで、一通りの流れを学んだ。その後、レッスン終了と同時に、開業届を提出。2022年11月、フリーライターとして一歩を踏み出した。

ここでまた、「いきなりフリーランスって、展開が早すぎない!?」と思うだろう。これには理由がある。私みたいな未経験者は、ライターとしてどこかの企業に雇ってもらうなんて、土台無理な話なのだ。採用してもらうには、何かしらの「執筆実績」が必要になる。その実績を作るために、まずはフリーランスで活動を始めるしか選択肢がなかった。
独立初日にして、キャリア迷子
迎えたフリーランス初日。膝裏の蕁麻疹に薬を塗りながら、「えーと、ここからどうやって仕事を獲得していこうかな……?」と一人考えに耽っていた。情けないことに、初日にしてすでに迷子状態だったのだ。ここでヒントをくれたのが、翌日お会いしたライター・エッセイストの中村洋太さんだ。
当時、中村さんは「雑談朝活」という取り組みをしていて、「素性のわかる方、勧誘目的でない方であれば、どなたでも大丈夫です」と相手を募っていた。「私なんかでもいいのだろうか……」と迷っていたが、思い切ってDMを送ったところ、快くご了承いただけた。

中村さんは生まれたてほやほやのライターに、現実的かつ具体的なアドバイスをくれた。
「収入を安定させたいなら、企業とお仕事をした方がいいですよ」
私は2年目に会社員並みの収入を得られるようになったのだが、それはこの言葉通りに行動したからに他ならない。ちなみに、なんと中村さんもゆぴさんの友人で、今思えば駆け出し期のライター人脈図の中心には、常にゆぴさんがいたことになる。
思うように伸びない収入
そんなこんなで終了した独立初月。気になる収入は33,000円だった。これは知人を経由して仕事を依頼いただいたおかげで、振込明細を見たときはしばらくその数字をじっと見つめていた。会社員時代は毎月決まった日に、決まった額が口座に入ってきた。でも、この33,000円は自分が書いた文章に価値を感じてもらった結果、いただいたお金だ。金額なんて問題じゃない。みぞおちの奥から、じんわりと熱が広がっていくのがわかった。
ちなみに、翌月の収入は0円だった。厳しい。だが、駆け出しライターは待っていても仕事が来ない。自分から営業をかけ、求人案件に応募する日々が始まった。
3ヶ月目には前職の会社と業務委託契約を結び、SEO記事と地域の取材記事を担当することに。パート代くらいの収入を得られるようになった。しかし、そこからしばらく抜け出せない時期が数ヶ月続いた。
「稼働時間を考えると、収入の天井がすでに見えてる……」
早々に目標額に届きそうにないことに気づいた私は、出口が見えないまま、同じことをぐるぐると考え続けていた。
念願のWEBメディアデビュー
景色が変わり始めたのは、2年目に入ってからだ。案件の数が増え、執筆単価が上がり、気づけば会社員時代と同じくらいの収入が安定して入るようになっていた。このタイミングで、「人生を深掘りするような記事を書きたい」と、川内イオさんが主催する「稀人ハンタースクール(通称:稀ハン)」に参加。WEBメディアへ提案する企画書の作り方や、読み応えのある記事の書き方を学んだ。
稀ハン生は、バイタリティの高い人たちが多く集まっていた。同期生が次々とWEBメディアデビューを果たしているなか、私は他の案件に時間がかかることを言い訳に、なかなか企画書を提出できずにいた。でも、今思えば、単に尻込みしていただけなのだと思う。「メディアが求める企画力がない」「編集者が面白いと思える原稿が書けない」という現実を突きつけられることが、怖かった。
ところが、翌年の3年目に企画提案した取材記事が、「プレジデントオンライン」で公開されることに。企業の深掘り記事だったが、多くの方に読まれたことで、少しだけ自信がついた。
その後も、同メディアで地元・神奈川ゆかりの企業経営者の取材を続けた。子どもの頃から親しんでいる「鳩サブレー」を取り上げたときは、特に感慨深い気持ちになった。
あの日の言葉が現実に
4年目には、「東洋経済オンライン」の副編集長・岡本拓さんと、都市ジャーナリスト・チェーンストア研究家の谷頭和希さん主催の「経済ゼミ」を受講。ビジネスメディアの第一線で活躍するゲスト・ゼミ生の話は想像以上に刺激的で、回を重ねるごとに視野が広がっていく感覚があった。
そのときのご縁で、「東洋経済オンライン」では「変わり続けるロングセラー」という連載を、また「文春オンライン」でも取材記事を書かせてもらっている。
「退職したい」と申し出たあの日、席を立つ直前に「どんな記事を書くライターになりたいの?」と聞かれたことを覚えている。そのとき私は、「ビジネスメディアで記事を書けるようになれたらいいな、って……」と答え、視線を泳がせた。本当にそう思っていたわけではない。当時の仕事と関連するような目標を言えば、まだ何のスキルもない不安や、新卒から10年超勤めた会社を辞める後ろめたさが、少し薄まるのではないかと思ったからだ。
元上司はこんなやり取りをしたことなど、とうに忘れているだろう。でも、なぜだか私の頭にはこのときの言葉が楔で打ちつけられていて、気づいたら本気でそのゴールを目指していた。
ビジネスメディアで記事が公開されたその日、私はやっと自分のことを、心の底から信用できるようになった。4年前、「三日坊主で終わってもおかしくない」とXへの投稿を始めて以来、私は毎日文章を書き続けている。
『書く習慣』で人生が変わった
「いつか、胸を張って『ライターの仕事をしています』と言えるようになったら、ゆぴさんにご挨拶したい」
ずっとそう思っていた。安定思考が強く、自分を信じられないばかりに動き出せなかった私に、踏み出すきっかけをくれた人。
「実は私、ゆぴさんの『書く習慣』がきっかけで、ライターになったんです。今は、ビジネスメディアで記事を書いています」
交流会の中盤でご挨拶しに行くと、「え、すごいエモい!本書いて良かったー!!」とゆぴさんはとても喜んでくれた。

その言葉を聞いて、また4年前の自分を思い返す。過去の私にこう声をかけたら、絶対に信じてもらえないだろう。
「その『1ヶ月チャレンジ』、試しにやってみなよ。人生変わっちゃうかもよ?」
(タイトル画像はGeminiで作成しました)