あなたを守ってくれる人は、応援してくれる人とは限らない。
守ってくれる人、応援してくれる人。
親であれば、これは両立するかもしれない。
それが本来のあるべき親の姿でもあるから。
子供の頃からあなたを守らなければいけない存在であり、子が一人で立てるようになれば守りながらも、応援する。
それができない場合、無関心や、過干渉、毒親などとも呼ばれてしまう。
でもこれが他人であった場合は、なかなか両立が難しい。
親に十分に守られなかった人ほど、
外に守ってくれる存在を求めがちかもしれない。
守ってくれる心強い友達や、先輩や、恋人。
その人もあなたを守ることに喜びを感じているかもしれない。
ここである落とし穴は、守ってくれる人はその分
支配的になりやすいということ。
実はあなたを支配したい存在かもしれない、ということ。
例えば昭和の男女の在り方を思い出してほしい。
あの社会的に性差が圧倒的にあった時代は、
男が女を守ることが当たり前だった。
そして男にはそんな力があり、女は一歩引いて付き従うような関係性だ。
一見ロマンチックで理想的だが
しかしこれは、いざという時に女側がなかなか口出しできない構造にもなっている。
例えば浮気されても、飲み込むのが一昔前は当たり前だった。
女が何かやろうとした時に「そんなことするな!」と旦那に止められたら、それには強い抑止力があった。
彼は守ってくれる存在であり、支配する存在でもあるのだ。
でも令和になった今、
「俺が守ってやる!」なんて言う男はいない。もはや絶滅危惧種だ。
男が頼りなくなったようにも思える。でも悲しいかな、この方が平等ではあるのだ。
守ってくれる旦那とは、亭主関白であり、支配的でもある。
ここでは夫婦(男女)関係に例えたが、
もちろん同性同士でもこの法則はある。
頼りになる、味方してくれる女友達。親友。
いつも頼りになる先輩や恩師。
自分が弱い存在で、ただ守って欲しい時は問題はないかもしれない。
むしろ彼らは助けてくれる心強い存在になる。
けど、自分に自信がついた頃、
「もう大丈夫だな。前に進もう」と力を取り戻り始めると、彼らは血相を変えてそれを全力で止めだしたりする。
それは自分から離れて欲しくなかったり、
実は本当はあなた自身の幸せは願っていなかったり、
いつまでも弱い存在でいてほしかっただけで
本当の意味では応援していなかったのかもしれない。
最近言う“フレネミー”の一種かもしれない。
これは私の実体験でもある。
一人ではなく、私の周りには気付けばそんな人だらけだった。
弱っている時期は何も問題は感じず、
むしろ誰よりも心強い存在になった。
問題は、
自分をもって生きていこうと意志を持ち出した時。
彼らはその時から急変して、応援せず、阻止しようとしてくる。例えハッキリと止めなくても、言動にそれが溢れ出してくる。
これが守られてきた代償なのかもしれないと思う。
自分が弱い時ほど、支配的な人は寄ってくるし、守ってくれるのだから自分にとってもありがたい存在なのだ。
凸凹が合ってきっと仲良くもなれる。
でもそれは、自分がその支配下で大人しくしていられるのであれば、だ。
自分が弱っていて助けをどこかで必要としている時ほど、敵だとは1ミリも思わない。
むしろその時は一番の味方だと信じている。
弱さを自分で受け入れて、強くなれた時に
本当は味方ではなかったことに初めて気付く。
自分が前に進もうとした時に
その人達は、色んな理由を持ち出して
やりたいことを止めてくるかもしれない。
脅したり、恐怖を植え付けてくるかもしれない。
そしてそれはあなたのことが嫌いだからじゃなく、その人たちが抱えている恐怖そのものだから。
挑戦を止めるのなら、その人達自身が挑戦を恐れているのだ。
だから支配下のあなたを、そのまんまにしておきたい。じゃないと彼らは置いていかれてしまうから。
そこの範囲からあなたを出したくなくてたまらないのだ。出してしまったら、仲良くできなくなってしまうとわかってるから。
私も長年、自分の感覚ではなく
どこかで外側の頼りになる人達のアドバイスを重んじているところがあった。
その人たちに答えを求めていた。
それだけ自分の感覚を疑っているところがあったのかもしれない。
そして彼らから受けた恩もすべて覚えていたし、そこから離れるのはとんでもなく恩知らずな気がした。
離れた今でも、たまに罪悪感がよぎることはある。
けど、その罪悪感だって本当は社会から植え付けられたものだ。
私達は心のどこかで、「世話になった人には一生恩を返さなければいけない」と思って生きている。
日本の義理堅い文化や、儒教が根強いから尚更だと思う。
もちろんその相手を本当に「今でも」大切に思っていたり、恩を抜きにしても相手を好きなら何も問題はない。ずっと大切にしたらいいと思う。
でも生きていると、そうもいかないことは沢山ある。心は日々動いているし人は変わり続ける。
そうなった時に、自分を責める必要なんて本当はない。
世話になった時に感謝していれば
それは十分返したことになっているし、
その人達だって「本人がやりたくてやった」、助けたくて助けたはずなのだ。
恩もナマモノ。その時に感謝していれば、
いつまでも恩返しや義理を強要するのは、まさに恩着せがましいのだから。
義理堅さでがんじがらめになっている自分に、
そうやって新しい概念を教え込んだ。
恩も義理もいつまでも抱えていると、重くて重くて動けなくなってしまう。
そしてそれ以上の景色は見れなくなってしまう。
世話になったその件には感謝して、ただ手放せばいい。
だから守ってくれた人に、いつまでも守られる必要はないし
その人は本当はあなたの幸せを望んでいないのに、無理に話し合ってわかってもらおうとしなくていい。
ただ「あ、本当はそうだったんだ」「もうその時のフェーズは終わったんだな」と静かに悟って、離れよう。
すべては自分の心を大切にするために。
これが新しい時代の新しい生き方だと思っている。
