
春琴抄~倒錯の温度差
序章:そもそものはじまり
何がきっかけで「春琴抄」という映画を見たのかは思い出せない。
その昔、当時絶大な人気を誇る山口百恵&三浦友和で「春琴抄」が作られたということだけは記憶にあった。
別に山口百恵&三浦友和版を否定するつもりはない。
アイドルのイメージを崩さないよう、慎重につくられたのだろう
口調・仕草に良い意味でも、悪い意味でもえぐみがなく
美しく可哀想なお師匠さまという風にしか見えなかった。
三浦友和も余りにも好青年過ぎて、
悲壮感がなく「春琴抄」の倒錯した世界を
描き切れていない、物足りなさを感じた。
そこで……偶然に見つけた、
まだ、殆ど無名だった頃の斎藤工版の「春琴抄」
第1章:言葉にできない
愛どころか情の欠片もないと見えるもうひとつの「春琴抄」
この作品の表層は「傲慢な支配と献身という名の絶対的服従」
日常のやり取りはひたすら春琴の我が儘とそれを文句ひとつ言わず聞き入れる佐助の献身を描いているだけのように見える。
この二作品の違いをと、ある人に話したけれど
口に出す言葉が苦手で上手く説明できなかったのもあり
「結局、斎藤工の方がかっこよかったって事やろ」
とひと言で片付けられた。
私が言いたいのはそんな上辺だけの話じゃない、
この物語の本質が言いたかった。
頭の中にはちゃんと言葉があるのにそれを
言語化できなかった悔しさがある。
確かに私個人としては、好青年の三浦友和より
少し影のある斎藤工の方が好みではあるけれど……
純粋に映像として、このストーリーに相応しいと感じたのは
斎藤工版だった。
実はこの原作は知識として小説があることは
知っていたけれど、唯の一度も読んだ事がなく
作品を見比べた後、やっと小説を買った。
ところが、読みにくくてストーリーが頭に入ってこなかった。
第2章:傲慢という寂しさ
そして、もう一度斎藤工&長澤奈央版を見てみた。
序盤、捕まえた芋虫をすりつぶし佐助がウグイスの餌を
準備するところから物語が始まる。
少しグロテスクなシーンの筈なのに、佐助の指(手の動き)が
妙に色っぽく思えた。
また、夕飯を掻き込む姿にでさえ所作の美しさを感じた。
改めて見直して春琴を演じていたのは私がこれまで知らなかった
長澤奈央という女優さんだと分かった。
過去作品を含め、この人に対する予備知識なしで見たお陰で
純粋に春琴という人物像をこの女優さんを通して見る事ができた。
琴や三味線の才能があるのに目が見えないという不遇さが加わるせいか
世間の評判は傲慢だか美しいお師匠さん。
そんな世間からの自分の評判をよく知っている春琴はその美しさを鼻にかけ、また自分の対する才能に酔っているような……
目は閉じたままの顔、表情を見て美人かそうでないかの判断は
私には難しいが絶世の美女という程ではないと思う。
また、却ってその方が現実味というか、
佐助が惹かれたのが見かけの美しさでないというのが分かる。
ではどこに惹かれたのだろう……
傲慢さはある意味寂しさの裏返しで、
常に愛を確かめずにいられない
弱さでもあると思う。
それに対し献身という形で愛を返す。
身の回りの世話をやき、我が儘を聞き入れる。
それが春琴の愛を受け止め、そしてそれに応える唯一の方法だと
思っていたから。
第3章:声の温度差
「佐助」と呼ぶ声色がその時々で少しニュアンスが違い
微妙な温度差があることを感じた。
絶対的な命令や指示の時は語気が荒く
冬の寒空に放たれた言葉のように冷たい。
一方、これは明らかにただの我が儘と
春琴が自覚しているような時は
その声の中に僅かばかりの甘えが見える。
佐助は物言わず目だけでその気持ちを表しているように思えた。
春琴を介助する姿はどことなく誇らしく見え、
いざ稽古の時など、改めて春琴を目の前にすると、
自分の気持ちを悟られるのを恐れるかのように伏し目がちになる。
(春琴にはその様子は見ることはできないのに……)
物語自体は思いの外割と淡々としている。
短い時間、春琴の入浴シーンがあり、
佐助が手の指の一本一本、足先まで丁寧に洗う、
そこが色っぽいと言えば色っぽい。
だけど、決していやらしいという風には思えない。
当然の如くトイレも介助が必要。
その様子を想像する事自体無意味であり、それがふたりの日常。
簡単な言葉では言い表せない信頼こそが愛なのだろう。
第4章:言葉にできない気持ち
端から見ると歪であり、理解しがたい暮らしではあるが
それなりに淡々と平穏に過ぎる日々。
その日々が大きく変わる出来事が……
春琴の美貌を目当てに弟子入りした
名家の息子、利太郎が春琴に火傷を負わせる。
火傷そのものは良くはなるものの傷が残る。
”醜くなった顔を佐助にだけには見られたくない”
”好きな人には綺麗と思われたい”
”いち番綺麗な自分を見せたい”という女心。
浅はかかもしれないけれどそれが恋というものなのかもしれない。
愛されていたいという切実に願う
春琴の人間らしい感情を初めて見た気がした。
第5章:極限へ
春琴の奏でる琴の音。
その音を聞く佐助の表情は何を言わんとするのか……
まだ、ここではよく分からない。
テルを探し酒を買いに行くようにと用事を言いつける。
>「酒、3合ほど買うてきてくれ、ゆっくり行くんやで、落としたりこぼしたりせんように」
>「早よう行き」
>「ゆっくり」
>「どっちかわからしまへんわ」
>「お前の部屋に鏡、あったな?」
このやり取りの間に、極限の選択を決意していたんだ……
テルの部屋に行き
そこで鏡と針を手に取る。
僅かばかりの躊躇いの間、脳裏に浮かぶのは
一瞬だけ目を見開いた美しい春琴の顔。
その躊躇いを吹っ切ったのは……
そうすることでしか愛を伝えきれない佐助の切実な思い。
妄想であれ、美しいお師匠さまの顔を目に焼き付け
自らの手で自身の目を潰す……極限の選択をしてしまう。
『これから、春琴のお世話は誰がするの?』
なんて、つまらぬ突っ込みをものともしない行動は
やっぱり常人には理解し難い。
>「佐助、佐助」
何度も呼ぶのに返事がないと、いつもなら癇癪を
おこしてしまうのに、この時は違った。
どこか優しく響く声で何度も
>「佐助、佐助」と呼びかける。
その声を頼りにやっと春琴の前に辿り着いた佐助。
その佐助の異変を……目を潰してしまったいう事実を
どうやって春琴は知ったのか?
もしかしたら、自分の発したあの言葉に佐助は何らかの形で
答えてくれることが分かっていたのかも……
>「佐助、いとうなかったか?」
>「へっ」
春琴のこのたったひと言に、今までに感じなかった慈愛が見えた。
実際映画の中で交わされた言葉はたったこれだけだったけど
『へっ、いとうお、おまへん、これでお師匠はんの顔を
見る事はできまへん、安心してください』
そう、伝えたかったのではないかと思う。
傷があろうがなかろうが、愛する人に変わりはない
佐助がいくらそう言ったとしても春琴は納得はしない。
傷の残った顔を見られたくない。
見せたくない、それがお師匠さんの望みなら
その望みを叶えることが佐助ができる
春琴へ自分の愛を伝える唯一の術。
”どこまで春琴に惚れてんねん!”
やっとここで私も泣けた……
第6章:薄灯りの中で~静かな狂気
最後の最後は、大人になったテルの一人語りで終わる。
昔の佐助と同じようにウグイスの餌を作り、籠を掃除をする。
その鳴き声と共に、佐助の言葉を思い出す
「お師匠さまが見ておられたのは、暗闇ではなく
ほんのり灯りの差す世界」
「目が見えなくなってやっと分かった」
テルが語った
「その灯りとやらの元お二人にしか分からない世界で
寄り添うようにして生きていらっしゃる」
最終章:歪こそが
「物言わず、態度で表す献身」
“静かな狂気”
それが佐助の愛……
それを当然の如く高慢な態度で
受け取る。
この高慢な態度に文句ひとつ言わず
尽くしてくれることで自分が愛されている事を
確かめたかった春琴の弱さ。
ふたりにしか理解できない歪の中の狂気
この倒錯の世界こそがふたりの愛だったのだろう。
誇りと羞恥
高慢と甘え
理解し難い
歪こそが
ふたりの愛