
人は、人で動く。
「僕、ほんとにダメな息子でさ」
初対面の女性を目の前にして、
僕はそんな弱さを吐き出していた──。
母の日。
その日が近づくと、
街には数週間前から、
赤やピンクの広告が並び始める。
“ありがとうを贈ろう”
そんな言葉たちを見るたび、
僕は胸が少しだけぎゅっとしていた。
母親に、感謝を伝えたい。
でも、恥ずかしい。
そんなの、できない。
僕はほんとにダメな息子だと思う。
母の日にありがとうを伝えるなんて、
もう何年、いや十何年やっていないだろう。
感謝はある。
けど、
恥ずかしさが勝ってしまう。
そんな自分勝手な気持ちで、
ずっと言えずにいた。
しかも今年は、特別だった。
5月第二日曜日。
今年の母の日は、父親の誕生日でもあった。
2週間くらい前から、
そのことには気づいていた。
けどきっと今年も、
ほんとはめちゃくちゃ気にしているけど気にしていないふりをしながら、
なんでもない一日として通り過ぎていくんだろうな。
そう思っていた。
そんな前日の、5月9日。
僕は、初対面の女性と夜ご飯をご一緒していた。
なにかの流れで、
話題は母の日になる。
すると彼女が、
「お母さんにお菓子作るんだぁ」
と、うれしそうに笑いながら話してくれた。
すごく、いいなと思った。
それに引き換え僕は、
自意識が邪魔をして、
ありがとうの一言すら言えない。
そんな胸の内を、
「僕、ほんとにダメな息子でさ」
と、自嘲気味に打ち明けた。
でも不思議だった。
彼女と話しながら、
僕の中の何かが、
ほんの少しだけ溶けるのを感じた。
翌日。
僕は、しずかに意を決して、
両親にLINEギフトを贈った。
こんなメッセージを添えて。
Happy Mother's Day!
いつもありがとう。
今こうして幸せに暮らせてるのは、
ママのおかげだよ。
Happy Birthday!
今こうして幸せに暮らせてるのは、
パパのおかげだよ。
いつもありがとう。
最大級にドキドキしながら
メッセージを打った。
送信ボタンを押すまで、
10分くらいスマホを握って固まっていた。
送ったあと、
たしかに送られている画面を見つめて、
怖くなって、スマホを遠ざけた。
数十分後。
返ってきた返信は、
意外とあっさりしていた(笑)
でも数行の中に、
こんな一文があった。
「あなたの幸せが、ママの幸せです」
…やっぱり、恥ずかしさがこみ上げてきた。
でも同時に、
胸の奥がじんわりあたたかくなった。
ちゃんとありがとうと言えて、よかった。
今回、
何年も越えられなかった恥ずかしさを越えて、
ありがとうを伝えられたのは。
間違いなく、
前日の会話のおかげだった。
別に、
何か特別なことを言われたわけじゃない。
長いこと、
母の日について話したわけでもない。
ただ、
「お母さんにお菓子作るんだぁ」
その一言を聞いただけ。
でもそこには、
彼女のあったかい心が宿っていて。
それに触れたとき、
なんかいいなって思ったんです。
もしも誰かに、
「親に感謝を伝えるメリット」
みたいなものを理屈で説かれても、
僕はきっと変われなかったと思う。
街中の母の日ポスターだって、
何年見ても、結局ありがとうは言えなかった。
けど。
彼女の心に触れたことで、
僕の中の何かが、
たしかに溶けた。
最後に人を動かすのは、
正しい情報なんかじゃない。
“こうすべき”という正論でもない。
人はきっと、人で動くのだ。