
レモネードとふたり|第8話【はじまりの味】
第8話【はじまりの味】
朝の光がやわらかい。
並木道の葉は濃くなり、初夏の匂いがしている。
この季節になると思い出す。
レモネードを頼んだ、あの日のことを。
初めて来店してくれたあの日、
別のお客様のレモネードを作っていた。
彼女は来店し、そのレモネードを見て、
席に着きメニューも見ずに
「レモネードを、お願いします」
そう言った声が、静かな店によく響いていた。
グラスを並べながら、湊は小さく息を吐く。
今日は、あの日と似ている気がする。
違うのは、
この時間が
彩られていることくらいだ。
開店の準備を終え、窓を開ける。
風が入ってきて、
鈴の音が小さく鳴り、
レモンの香りが揺れた。
しばらくして、
扉の外で足音が止まる。
鈴の音が静かになる。
顔を上げる前に、
鈴の音でなんとなく誰だか分かった。
「おはようございます」
紬だ。
少し眩しそうに目を細めながら、店の中を見る。
「おはようございます」
樹も、同じ声で返す。
紬は席に座る前に、少しメニューに目を落とす。
でも開かない。
顔を上げて言った。
「レモネード、お願いします」
一瞬だけ、
時間が止まった気がした。
グラスに氷を入れる音。
レモンを切る音。
蜂蜜の甘い香り。
いつもと同じ手順なのに、
今日は穏やかに感じた。
席に置くと、
紬はグラスを見て、少し笑う。
「この季節になると、これですね」
樹は少し考えてから言う。
「最初も、これでしたね」
紬は目を丸くする。
「覚えてるんですか?」
「……覚えてます」
ほんの少し間が空いた。
紬はレモネードをひと口飲んで、窓の外を見る。
並木道の葉が光っている。
「ここに来るようになってから、
季節の移ろいを感じるようになりました」
樹は何も言わずに聞いている。
「前は、毎日同じ感じで過ぎていたのに」
少しだけ迷ってから、
紬は続けた。
「ここに来ると、
ちゃんと時間が流れてる気がするんです」
静かな言葉だった。
けれど、
樹の手が少し止まる。
「それは、よかったです」
それしか言えない。
でも、それで十分だった。
沈黙が続く。
嫌じゃない沈黙。
むしろ、
終わらなければいいと思った。
紬はグラスを置いて立ち上がる。
会計を終え、
扉の前で立ち止まる。
振り返る。
そして、
目が合う。
今までで、一番長く。
紬は少し迷ってから言った。
「また来ます」
いつもの言葉。
でも今日は、少し違う。
樹も、少し間を置いてから答える。
「……お待ちしています」
静かな鈴の音。
扉が閉まる。
外は、初夏の光。
並木道を歩く紬の背中が、軽く見えた。
カウンターに残る、
レモネードの香り。
樹はグラスを手に取って、
小さく息を吐く。
何も変わらないけれど
自分の毎日が、少しずつ彩られていく。
そして、
また明日を待っている自分がいる。
窓の外で、葉が揺れている。
初夏の風が窓から流れ込み、
店内は甘酸っぱい香りに包まれている。
鈴が、ほんの少し鳴った。
何かが始まりかけた音のように。
〈fin…?〉
レモネードとふたり
最後まで読んでいただきありがとうございました│՞. ̫ .՞)
明日21時に【エピローグ】を投稿予定です🍋
短いエピローグではありますが、よろしければ見ていただけると嬉しいです│՞. ̫ .՞)