
春に出会い、熱い野球の季節に告白を!①
まだ付き合ってもいないのに
収録話
プロローグ まだ付き合ってもいないのに
第1話 紹介、受けてみる?
第2話 焼き芋とベージュのコート
第3話 電話番号を教えて
【あらすじ】
夢はあるのに現実では会社員として働く29歳のスンジ。恋に憧れながらも、いつも相手を好きになりすぎて傷つき、恋を諦めてきた。そんな春の日、友人の紹介で無口で不器用な青年・セイルと出会う。返事は遅く、気持ちは読めない。それでも電話を重ね、野球観戦や小さな思い出を積み重ねるうちに、彼への想いは少しずつ大きくなっていく。先の読めない野球の試合のように、恋にも逆転はあるのだろうか。これは、一人の女性が勇気を出して恋に踏み出すまでを描いた、等身大の青春ラブストーリー。『春に出会い、熱い野球の季節に告白を!』
プロローグ まだ付き合ってもいないのに。
結婚した友人たちに、私は必ず聞いてしまうことがある。
「どうして結婚しようと思ったの?」
「結婚する人って、何か“わかる”ものがあるの?」
「直感みたいなものが来るの?」
不思議なことに、返ってくる答えはいつも似ていた。
「会えばわかるよ」
会えば、わかる?
どうやって?
テレパシーでも飛んでくるのだろうか。
どれだけ詳しく聞いても、答えはいつもぼんやりしていた。
「なんとなく、わかる」
ただ、それだけ。
私には、どうしても理解できなかった。
だから検索もした。
ドラマも見た。
結婚を決めた人たちのインタビューも読んだ。
それでも誰ひとりとして、その感覚をうまく説明してはくれなかった。
春が始まった三月。
私は、ひとりの男の人に出会った。
そして彼を見た瞬間、
生まれて初めてわかった。
あ。
言葉にできない感情だった。
たぶん、この話を最後まで読んでも、
私はあの感覚を正確には説明できないと思う。
まだ付き合ってもいないのに。
彼との未来を、先に想像してしまった。
少しせっかちで、
少し不器用で、
どこにでもありそうな、
二十九歳の会社員の片思いの話だ。
第1話 紹介、受けてみる?
「ふう、はあ、ふう、はあ」
「さあ、あと少しですよ! みんな、もうちょっとだけ頑張りましょう!」
「諦めなければ、終わりは来ます!」
「残り三十秒です!」
画面には、残り三十秒。
顔からは汗がだらだら流れていた。
動きを真似しているだけなのに、見えないダンベルでも持っているみたいに、腕がぷるぷる震える。
スンジの体は、明らかにどんどん遅くなっていた。
息づかいだけが響く小さな部屋は、むっと熱を帯びている。
時計の秒針が、終わりに向かって進んでいく。
「わあ! ここまでついてきてくれたみんな、本当にすごいです!」
「諦めなければ、積み重なって、望む結果につながります!」
「明日も一緒に頑張りましょう!」
膝に手をついてしばらく息を切らしていたスンジは、認証用の写真を撮った。
それから、隣にある全身鏡を見て、お腹をそっと撫でる。
「まだまだ先は長いな。諦めなければ、望む結果か」
スマホを確認した。
画面の上に通知がひとつ浮かんでいた。
友人ジンからのカカオトークだった。
二月。
久しぶりに会って別れる前、ジンはふと思い出したように言った。
「スンジ、誰かに会ってみる気ない?」
「誰?」
「いや、ただね。知り合いにひとりいるんだけど、紹介されたりするのどうかなって」
そのときスンジは、指先だけをいじりながらうつむいた。
ちゃんと返事をしたのだろうか。
彼女の記憶の中に、結果はなかった。
誰かを熱烈に好きになることばかりだった。
好きになるのは簡単だ。
ただ、気持ちを表せばいいから。
けれどいつも、気持ちの大きさに見合うものは返ってこなかった。
運動みたいに、頑張った分だけいい結果になればいいのに。
そんな彼女にも、恋が訪れたことはあった。
二十代の初め。
そのときも彼女は、誰かに片思いをしていた。
そんなスンジを知っていて、見守っていて、家の近くまで送ってくれていた人から告白された。
スンジは驚いた。
いつも自分から始まる片思いが、
今度は自分に向けられていたから。
私も一度くらい、
自分からではなく、
私のことを好きでいてくれる人と付き合ってみたい。
そう思った。
「僕たち、丸と三角みたいだよね」
彼は、淡々と言った。
「え。まだ付き合ってそんなに経ってないのに……」
「これ以上傷つく前に、やめたほうがいい気がする」
「嫌だ」
初めて付き合った人だった。
スンジは、元彼の袖をつかんだ。
淡々と話す彼の前で、スンジの指先は小さく震えていた。
それでも、何度も何度も首を横に振った。
その関係は続いた。
けれど結末は、彼の言った通りだった。
無理やり引いていた荷車だった。
前の車輪は丸。
後ろの車輪は三角。
ぎし、ぎし。
結局、坂道を上ることもできないまま、壊れてしまった。
喧嘩の原因はわからなかった。
きっと、どれも些細なことだった。
その記憶の中で、スンジはいつもうつむいていた。
それでも、手放したくなかった。
壊れた荷車の取っ手を握ったまま、歩き続けるしかなかった。
疲れるだけで、
最後には、よかったはずの記憶まで苦しいものになってしまった。
粉々に壊れてから、ようやく気づいた。
この恋を持っていたのは、私だけだったのだと。
いや、そもそもあれは恋だったのだろうか。
もう思い出すことさえできない。
長く引きずりすぎて、それは灰のようになっていた。
跡形もなくなって、
お互いにとって恋だったのかどうかさえ、わからない。
残ったのは、申し訳なさと、恨みだけだった。
恋は難しかった。
人を値踏みすることさえなかった私に、
境界線ができた。
心を傷つけられるのが怖くて、
もう簡単には近づけなくなった。
そんなとき、またジンから連絡が来た。
スンジはしばらく迷ったあと、文字を打った。
【うーん……
仕事が忙しいだけで、
誰かに会ってみたい気持ちはあるよ】
送信。
メッセージを送ったスンジは、クローゼットの扉を開けた。
太ってしまって、合わなくなった服が並んでいた。
その中から、黒いゴムのズボンを選ぶ。
何度履いたかわからないくらい、少し伸びたゴムのズボンは、彼女の腰にやさしかった。
「お母さん! この服、ちょっと借りるね」
母の赤いふわふわのニットを取り出した。
「よし」
スンジはベージュのコートをそっと羽織ってみる。
合わない服の中から、
ようやく選び出した一着だった。
鏡の中の自分を見て、口元がすっと上がる。
「今度は、一度会ってみよう」
第二話 生焼けのさつまいもとベージュのコート
三月一日。
その日がやってきた。
「キャンプ、キャンプかあ……」
スンジは服を着替えながら、小さくつぶやいた。
「日帰り? 一泊? ……いや、その前に紹介なんだよね」
赤いシャギーニットの裾を整え、
最後にベージュのコートを羽織る。
「はぁ……」
ため息なのか、
あくびなのか。
自分でもわからない息を吐きながら、家を出た。
昨夜、ジンから届いたメッセージ。
【紹介って思わなくていいよ。】
【みんなで遊びに行くくらいの気持ちで来て。】
その言葉を思い出しても、眠れなかった。
「遊ぶだけ。
そう、遊ぶだけなんだから。」
そう自分に言い聞かせても、
布団の中では何度も寝返りを打った。
スマホを見る。
午前二時。
閉じる。
また開く。
また閉じる。
布団を頭までかぶる。
「うぅ……」
小さくうめいた部屋は、
やがて静かになり、
寝息だけが残った。
「次は○○駅です。」
車内アナウンスで目が覚めた。
スンジは飛び起き、
慌てて地図を開く。
汗をかきながら友人ジンの家へ向かうと、
すでに車が待っていた。
そして。
ベージュのコートが目に入る。
「あ、こんにちは。」
白い肌。
黒縁メガネ。
どこか表情の読めない青年。
彼がセイルだった。
「あ……こんにちは。」
スンジは小さく頭を下げる。
そっと顔を上げた瞬間、
気づいた。
コートの色が同じだった。
「二人ともベージュじゃん!」
ジンが笑う。
「え、あ……うん。」
顔が一気に熱くなる。
スンジは慌てて助手席へ逃げ込んだ。
「スンジってアニメの仕事してるんだよね?」
「うん。」
「アニメ?」
初めて、
セイルが興味を示した。
「撮影の仕事をしています。」
「へぇ、すごい。」
ジンが笑う。
「セイルさん、アニメ好きだもんね。」
その言葉だけが耳に残った。
好き?
誰が?
彼が?
キャンプ場へ着くと、
みんなで夕飯の準備が始まった。
「どう?」
ジンが野菜を切りながら聞く。
「まだ緊張してる。」
「こう見えて結構優しい人なんだから。」
その時だった。
「火ついたよー!」
ジンの夫が声をかける。
「はーい!」
食材を持って外へ出る。
鉄板の上では、
豚肉がジュウジュウと音を立てていた。
ジンはスンジの肩を軽く押す。
「ほら、隣。」
促されるまま、
スンジはセイルの隣へ座った。
三月の空気はまだ冷たい。
コートを脱ぐには少し寒い。
それでも炭火の熱に押され、
スンジはコートを脱いだ。
その瞬間だった。
黒いパンツに、
真っ赤なニットの毛がびっしり付いている。
「えっ……!」
一瞬で顔が真っ赤になる。
慌てて毛を取る。
一本。
二本。
三本。
……
取っても取っても、
なくならない。
むしろ増えている気さえした。
「ふぅ……」
小さく息をつく。
鉄板の熱で額には汗まで浮かび始めた。
「寒いなあ。」
「俺の着る?」
セイルはジンの夫から借りた上着を羽織っていた。
「寒いですね。」
スンジはさらに前かがみになる。
パンツを隠すように。
その時。
セイルが上着を脱いだ。
(えっ……
私に貸してくれるの?)
心臓が跳ねる。
でも違った。
ただ膝の上に置いただけだった。
「あ……。」
少しだけ肩を落とした、その時。
「ん?」
セイルと目が合う。
「あ、ズボンに毛が付いてる。」
終わった。
スンジはゆっくり下を向き、
目をぎゅっと閉じた。
セイルの指差す先には、
真っ赤な毛が大量についていた。
慌てて手で隠す。
でも。
真っ赤になった顔までは隠せなかった。
(うわあああああ……!!)
山があったら、
頂上で叫びたいくらい恥ずかしかった。
夕飯も終わり、
炭の中から焼きいもを取り出す。
ジンが笑う。
「セイルさん、スンジの焼きいもむいてあげて。」
セイルは黙って一つ取り、
皮をむき始めた。
その姿だけで胸が熱くなる。
「ありがとうございます。」
両手で受け取る。
ほんの少し指先が触れた。
その瞬間だけで、
指先がじんとしびれた。
小さくひと口。
甘い。
「おいしい。」
そう思ってもう一口。
ガリッ。
……固い。
真ん中だけ、
まだ生だった。
(どうしよう。)
置く?
でもせっかくむいてくれたのに。
「食べないの?」
なんて聞かれたら。
「生だからです。」
そんなこと言ったら、
セイルが気まずくなるかもしれない。
スンジは悩んだ末に決めた。
食べよう。
カリ……
コリ……
できるだけ音を立てないよう、
少しずつ噛む。
みんなの話には笑顔でうなずきながら。
会話になると、
噛むのを止める。
そしてまた小さく噛む。
そんな努力の末。
ついに最後までたどり着いた。
(やった……。)
何事もなかったように
アルミホイルを包み直して置く。
誰も気づかなかった。
夕食の後は、
四人でボードゲーム。
席はいくらでも空いているのに。
彼はずっと隣だった。
偶然だろうか。
「はははは!」
スンジがミスをすると、
セイルは大笑いした。
怒る場面なのに。
その笑顔がうれしくて。
スンジも笑ってしまう。
今日一番、
自然な笑顔だった。
会話は少しずつ増えていく。
スンジは照れて、
なかなか顔を上げられない。
それでも。
時々そっと横を見る。
(誰かに似てる……。)
(私が好きな俳優……だったかな。)
夜になると、
キャンプファイヤーに火が灯った。
パチパチと薪が弾ける音。
それはまるで、
自分の鼓動のようだった。
四人はスープを飲みながら、
火を囲む。
煙が鼻をくすぐる。
セイルは、
やっぱり隣にいた。
その距離だけで、
少しだけ体が温かかった。
スンジは炎を見つめながら、
今日一日を思い返す。
ベージュのコート。
赤いニット。
少し生焼けだったさつまいも。
そして。
隣に座るセイル。
……
また、
会いたい。
そう思ったのは。
誰かに対して、
初めてだった。
第三話 番号、教えてください
「……私、好きになっちゃったみたい。」
お菓子を選んでいたジンの手が止まった。
「えっ、本当に?」
「でも……どうしたらいいのかわからない。」
スンジはお菓子の袋をくしゃっと握った。
キャンプの日以来、
毎週土曜日になるとジンの家へ遊びに行くようになった。
高速バスで往復二時間以上。
普通なら遠いはずなのに。
不思議と遠く感じなかった。
まるで、
近所へ遊びに行くような気持ちだった。
もちろん、
ジンに会うのも楽しい。
でも。
ジンが呼んでくれるセイルに会えること。
それが一番の楽しみだった。
午後三時を過ぎるころ。
サンダル姿のセイルが、
いつものようにやって来る。
「こんにちは。」
「ああ、来たんだ。」
いつも通り、
素っ気ない返事。
それだけなのに。
スンジは胸に手を当てた。
(なにこれ。)
(なんでこんなにドキドキするの。)
笑ってくれるから?
また会いたいから?
……
違う。
夕方までゲームをして遊ぶ。
帰る時間になると、
終バスに間に合うよう駅まで走る。
セイルが手を振る。
それだけで、
帰り道まで楽しかった。
(また土曜日が来ればいいのに。)
そう思った。
そう願った。
そして気づく。
「あ。」
「好きなんだ。」
その日から、
土曜日が待ち遠しくなった。
家へ帰るとすぐ、
次の土曜日の高速バスを予約した。
「うまくいくといいね。」
ジンは買い物袋を持ちながら笑った。
「どうしたらいいかな。」
「困ったらいつでも相談して。」
「ありがとう。」
スンジも袋を持ちながら笑った。
味方ができた。
それだけで、
少し心強かった。
家へ戻っても、
セイルからの連絡はない。
ジンがもう一度電話をかける。
「セイルさん、今日時間ありますか?」
「あ、今起きたんですか?」
「じゃあ、夜ご飯どうです?」
スンジは時計を見た。
午後三時。
(今起きたの!?)
少し驚いたけれど、
そんなことはどうでもよかった。
ただ。
彼が来るのを待っていた。
「よ。」
手を軽く上げて入ってきたセイル。
黒縁メガネ。
濃い眉。
そして、
灰色の作務衣。
スンジは思わず胸を押さえた。
(落ち着いて。)
(見ただけでこんなにドキドキするとか……。)
隣に座ったセイルを、
まともに見ることができない。
(なんで隣なんだろう。)
(近い……。)
セイルはヒョンと世間話をしながら、
スマホを見ている。
スンジもスマホを取り出した。
画面を開く。
閉じる。
また開く。
閉じる。
……
もういい。
「セイルさん。」
目をぎゅっと閉じる。
セイルがこちらを見る。
「はい?」
「その……
番号、教えてください。」
「えっ?」
驚いた拍子に、
セイルはスマホを床へ落とした。
スンジは自分のスマホを差し出す。
セイルは戸惑いながら、
電話番号を入力した。
でも。
スンジにはまだ足りなかった。
確信がほしかった。
入力された番号へ、
その場で発信する。
ブルルル……
床に置かれたセイルのスマホが震えた。
知らない番号。
でも。
これからは、
知っている番号になる。
「私です。」
「登録してください。」
「う、うん。」
ようやく手に入れた電話番号。
登録画面を見つめる。
名前は……
どうしよう。
少し迷って。
結局。
『セイルさん』
そう入力した。
誰にも気づかれないように、
小さく笑った。
心は軽くなった。
でも。
お腹は違った。
頑張って履いた細身のジーンズが、
限界を迎えていた。
(ぐるる……。)
(いやあああ。)
お願い。
今だけはやめて。
隣にいる。
絶対聞こえる。
スンジは口を「お」の形にして、
お腹をそっと押さえた。
笑顔を作る。
汗だけが、
じわっと浮かぶ。
(まずい。)
その時だった。
ぐるるるる……
(うそでしょ!?)
タイミング最悪。
静かな部屋に、
しっかり響いてしまった。
「はははは!」
スンジはとっさに笑った。
笑い声で、
ごまかそうとした。
額から汗が一筋流れる。
泣いてはいない。
でも。
泣きたいくらい恥ずかしかった。
幸い、
誰もその音には触れなかった。
誰も聞こえなかったことにしてくれた。
(お願いだから……
今日だけ記憶から消えて。)
夕食を終え、
またみんなでボードゲーム。
気づけば夜になっていた。
帰りはジンの車。
セイルも一緒だった。
「スンジ、またね!」
ジンが大きく手を振る。
セイルはいつものように、
静かに手を上げた。
「ありがとうございました!
また来ます!」
スンジは深く頭を下げる。
そして。
終バスに間に合うよう、
駅まで全力で走った。
ふと。
ジンが前に言っていた言葉を思い出す。
「後ろ、見てみな。」
走りながら、
そっと振り返る。
まだ。
セイルは手を振っていた。
その姿が見えなくなるまで、
スンジも手を振り返した。
胸が、
自然と温かくなる。
(早く……
また土曜日にならないかな。)
つづく。
次回 第4話「どうして?」
📖 続き(Part2)
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