
水の上より愛を込めて 〜東京スワンボート偏愛記〜① 井の頭恩賜公園編
はじめに
これから、都内のスワンボートに乗った時のことを書いていこうと思う。いずれはZINEにしたい。東京都在住、23歳、書店アルバイトの文章を、どうか暖かな目で読み通していただきたい。
スワンボートへの憧れはいつからだろうか。煌めく水の上で、穏やかに風を切る。慣れない操縦に焦りながら、カーブしてみたりバックしてみたり。制限時間は約30分、そのロマンは、想像よりもあっという間だ。
幼い頃の私は、恥ずかしがり屋で目立つことがとても苦手だった。保育園の発表会では、袖から半分しか体を出さなかったため、客席の母が私を見つけられず焦っていたそうだ。習っていたピアノの発表会も苦手。たとえ、1、2曲の演奏だけだとしても、自分一人にスポットライトが当てられるあの緊張感を、私はどうしても楽しむことができなかった。その日だけ世界中の時計が20倍の速さで進めばいいのにと念じていた。そして、スワンボートに乗ることも、当時の私の中では「苦手なこと」にカウントされていた。池の周りを歩く人たちに見られていることを想像するだけで、足の裏から不快な熱を帯び、その場から逃げ出したくなるほどだった。そのような感覚が自意識過剰であるという自覚もまた、苦手意識に繋がっていた。苦手というより、もはや恐怖の対象である。
幸い、誰かに無理に誘われるということもなく、結局20歳を過ぎる頃まで、私はスワンボートのときめきを知ることはなかった。
そんな私のスワンボート体験、今回は井の頭恩賜公園でのこと。
自意識シャボンにさようなら
吉祥寺は井の頭恩賜公園。(普段は「井の頭公園」と言っているので、以下の文章から、「恩賜」を抜いて書くことをお許しください。調べたところ、天皇や家臣からの贈り物という意味らしいが。祟りが怖い。)晴れた日の週末は、「幸せだなあ」と全身から幸が溢れ出る人々で賑わっている。その表情は皆、加山雄三に負けず劣らず。
平日の空いている時間を狙って公園を満喫する私もまた、その中の一人だ。たくさんの木々の隙間から、日光が肌に程よく届く。最高に心地よい。幸せだなあ。黄色いハンカチを持って来ればよかった、持っていないけど。このようにしてまた一人、武蔵野の加山雄三が生まれゆくのである。
吉祥寺駅の南口を抜けて、丸井のビルを横切り、坂を下ると井の頭公園は現れる。池の真ん中に橋があり、左右に隔てられたその半分がスワンボートのエリアになっている。池の淵に植えられている桜が満開になる季節は、ボートに乗ったままお花見を満喫できる。頑張って手を伸ばすと、花びらに軽く触れる近さだ。しかし、頑張り過ぎると勢い余って池に落ちる可能性があるので、要注意である。池に落ちてはいけないので、やはりお花見は触ろうとせず文字通り見ることに限る。お花触りになってしまったら、この国の春はおしまいだ。字面も何だか嫌である。
私が井の頭公園のスワンボートに初めて乗ったのは、大学3年になった4月。そしてそれは、人生で初めてスワンボートに乗った日でもある。つまり、記念すべきスワンボートデビューの日。バイト先の同僚と一緒だったからか、特に過剰な自意識や緊張も感じることはなく、とても純粋な気持ちで、「スワンボートに乗るのだ!」と意気込んでいた。券売機でチケットを購入し、足場をウキウキしながら慎重に歩く。いくら楽しみだからといって走ってしまい、ボートに乗る前に乗り場で転ぶなんてことがあったら、ボートから池に落ちることより大恥である。
井の頭公園には、スワンボートの他に2種類のボートがある。1つ目は、1番低価格の500円で、大人3人まで乗ることができるローボート。オールで漕ぐタイプのいわゆる手漕ぎボートだ。ボディは黄色や水色で、海外の映画でも見かけるような、シンプルな作りがとても可愛らしい。もう1つは、700円で乗ることができるサイクルボート。大人2人、子ども1人の合計3人まで可能。屋根がついており、その名の通り足漕ぎで進むタイプ。そして3種類の中で、最も価格が高いのがスワンボートである。800円だ。ただ、2人乗りであるため1人当たり400円と計算できる。ロフトでプリクラを撮って、まだ残っている100円玉で乗れるチャンス!これぞ井の頭ロマン!
ちなみに、井の頭公園のスワンは2種類ある。キリッと眉毛のデザインのスワンと、クリクリまつ毛の可愛らしいスワン。眉毛スワンは1艇だけなので、乗れたらラッキー。
係の人に、スワンのチケットを見せる。ボートの上からぶら下がっている洗濯バサミに挟まれたチケットには、制限時間が記されている。井の頭公園は、どのボートも30分ごとの計算。
私たちはスワンの中に入り込み、とりあえずの進行方向を決める。しかし水の上に道などなく、池に浮かぶボートは皆、縦横無尽に漕ぐ、進む、止まる。ざっくりとボートの少なそうな池の淵まで行こう。おっと、右から賑やかなインバウンドのお客様。楽しそうに写真を撮っておられる。目が合うので、こちらもにっこり。にっこりしつつ、ぶつからないように方向転換。午後17時を過ぎた太陽は、だんだんと穏やかな表情。ささやかな非日常の中にいる私と同僚は、幸せですねと言い合う。ダブル加山雄三である。遠くに見える桜も、近くの桜もとても綺麗だ。人生で初めてスワンボートに乗った季節が、春で良かった。思いつきだったけれど本当に楽しい。私は今、いつも遊歩道から眺めていた池の上にいる。池の上から歩く人を見ている。西陽が煌めき、水の上も陸の上も皆眩しい。スワンボートに乗る私を、誰も馬鹿になどしていないことに気づく。最初からそのような世界線など、私の想像上でしかないのだけれど。このようにして、スワンボートに乗る以前の私の中にふよふよと存在していた過剰な自意識が、シャボン玉のように弾けて消えた。
ボートはハンドルを操縦して方向転換をする。そのため私は、自動車免許を持っていないことが、少し気掛かりであった。しかし、一度乗ってしまえば、そんなことはあっという間に忘れてしまうほどの多幸感。もしも、マリオカートに「井の頭公園池コース」があったら、順位などどうでも良くなり、いかにのんびり楽しむかに重きが置かれるだろう。早くゴールするためのアイテムも必要ない。バナナの皮なんて投げれば池の底に沈み、鴨も驚くなかれ。マリオカートも自動車免許は必要ないのだけれど。
制限時間の10分前ごろになると、そろそろ降り場へと向かう準備を始める。大抵早くつき過ぎてしまい、何となく勿体ぶって降り口の付近でぐるぐるするのである。心配性の私は1分でも過ぎてしまったら、係の人を怒らせてしまうのではないかと考えるのだ。あるいは、追加料金が課せられてしまったらどうしよう。そんなことでは絶対に怒られないし、1分過ぎただけでは料金も発生しない。しかし、心配は加速する。楽しみ過ぎて油断して、制限時間を守らなかった罰として降りる寸前に、池に落ちてしまったらどうしよう。これはもう、神のみぞ知ることなので、絶対に起こり得ないとは言い切れない。やはり時間厳守。最後の最後で水浸しになってたまるか。(あれ、これも結局自意識過剰ということなのでは。)
尽きない心配事が頭によぎりながらも無事に返却。ボートに数十分乗っていただけで、しばらくは陸の上でも少しゆらゆらの感覚。スワンボート初体験、この余韻が堪らないと最後の最後で新たなときめきを感じた。
ふと池を振り返る。わたしたちが乗っていたスワンボートは、また次の誰かを楽しませている。
同じ顔のスワンたちが並ぶ水辺、夜が来て静けさが水面を包み込むまで。
また今度、お世話になりますね。