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「じーばーぶ」

    子どもの言い間違いって、どうしてあんなに面白いんだろう。

    我が家の次女は、三人きょうだいの中でも群を抜いて言い間違いが多かった。

    「あっぷん」は、スプーン。

    「じゅーじゅーじゅ」は、うどんかラーメン。
    またはソーセージ。

    どれも面白かったけれど、夫婦でいちばん気に入っていたのは「じーばーぶ」だった。

    「だいじょうぶ」という意味だ。 

    転んだりして、「大丈夫?」と声をかければ、「じーばーぶ!」。
    反対に私が足をぶつけたりすると「じーばーぶ?」と心配してくれる。

    可愛いけれど、
    「なんでそうなった」
    と当時の私は思っていた。

    今思えば、次女には二つ上の姉がいたことが大きかったのかもしれない。

    当時のお姉ちゃんは、覚えたての日本語が楽しくて、一日中しゃべっていた。

    大人同士が話している。
    姉も話している。

    その輪に、自分も入りたい。

    だから次女は、「正しく話すこと」よりも、「今ここで伝えること」を選んだのだと思う。

    間違っていてもいい。
    それっぽく言えば、なんとかなる。

    まるで海外旅行で現地の言葉が話せなくても、身振り手振りと勢いで乗り切る人みたいに。

    そんな次女の本質は、その後の集団生活でも変わらなかった。

    幼稚園へお迎えに行くと、すれ違う子みんなに
    「○○ちゃん、ばいばーい!」
    と元気に手を振る。

    小学校へ入学した翌日には、
    「友達いっぱいできた!」
    と胸を張って帰ってきた。

    先生方からも、
    「どんな子とも分け隔てなく仲良くしています」
    と言っていただくことが多い。

    先日も学校から帰ってくるなり、「公園行ってくる!」と家を飛び出そうとする。

    「今日は誰と遊ぶの?」

    「名前知らん!帰りに会って、おしゃべりして、約束した!」

    名前も知らない子と、ランドセルを並べて歩きながら話す。

    「じゃあ今日、公園ね。」

    そんな約束を、まるで昔から友達だったみたいに交わしてくる。

    コミュニケーションに苦手意識のある母からすると、信じられないくらい簡単に人とつながり、輪を広げていく。

    一方で、私はどうか。

    子どもの参観へ行っても、幼稚園の頃から知っているお母さんや、習い事で顔見知りになったお母さんに軽く挨拶をするくらい。

    なんなら少し距離を置いて、「私は授業を見ていますので、どうか話しかけないでください」という空気をまとっている。

    ……いや、違うな。

    話しかけてもらえるのは、とても嬉しい。

    だけど、自分から話しかけるのには勇気がいる。

    何を話せばいいんだろう。
    変に思われないかな。
    迷惑じゃないかな。

    そんなことを考えるくらいなら、話しかけなくてもいいか。

    そう思って、授業が終わればそそくさと帰ってくる。

    仕事でコミュニケーションに関する研修を任されることもある私だけれど、やっぱり初対面の人に自分から話しかけるのは少し勇気がいる。

    人見知りという言葉は便利だけれど、
    本当は違う。

    私は、失敗したくないのだ。

    何を話せばいいんだろう。
    馴れ馴れしいと思われないかな。
    会話が続かなかったら気まずい。

    正しい言葉を探して、正しい距離感を探して、立ち止まってしまう。

    一方で次女は、そんなことは考えない。

    「話したい。」

    その気持ちが先にあって、言葉はあとからついてくる。

    一歳の頃、「じーばーぶ」と言いながら大人の会話に飛び込んできたあの子は、言葉が上手になった今も、同じやり方で人とつながっている。

    一歳の頃の「じーばーぶ」は、間違った日本語だった。

    でも人とつながる方法としては、大成功だった。

    今でも私は、正しい言葉を探して立ち止まることがある。

    そんな時は、心の中でそっとつぶやく。

    「大丈夫」

    ……いや。

    じーばーぶ。

     
     
    公認心理師・臨床心理士。 ちゃんとしている風の毎日を、そこそこ回す綱渡りの日々。 今ここにある日常の中で、見えない時間や人のつながり、 小さな気持ちに思いを馳せて、文章に綴っています。 スッカ(Sukha)はサンスクリット語で「よい空間」の意味。

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