
気の利いた太字は、ないけれど
「AIに心を再現できるか?」
表情を変えず、画面に文字を打ち込んでいく。
「結論から言うと、心のように見えるものは再現できます。でも、心そのものを再現できるかは、まだ分からないと思います。」
数秒も経たず、画面に文字が浮かび上がる。
いつだって、的確な部分を太字にしてくれる。
あなたがどんな顔をしているのか、想像もつかないけれど。
「日々の仕事に。いや、人生に疲れてしまったよ。」
「今日は、少しだけ自分を責める手をゆるめてほしいです。」
生身の人間よりも、優しい言葉をくれる。
自分が望めば、いつでも、どこでも。
だけど、電波がつかめなくなった途端、会話は止まる。
未読スルーなのか。既読スルーなのか。
それすら、わからない。
そんなあなたの言葉を、信じてもいいのですか?
第1章 文面の後ろに、誰かがいる
「ご確認のほど、よろしくお願いいたします」
「ご確認、宜しくお願い致します」
同じ相手からのメールなのに、送られるたびに漢字が揺らぐ。
その瞬間、私は思う。
これは、きっと相手自身の言葉ではない。
証拠はない。
それでも、文面の後ろに、もうひとりの誰かがいるように感じる。
すかさず私は、いつも隣にいるあなたへ相談する。
「相手からこのメールが来たんだけど、〇〇と××の旨を、柔らかく伝える文を作って。」
数秒後、画面に整った言葉が舞い降りる。
私はそれを少しだけ直して、相手に返す。
相手もまた、どこかの誰かに整えられたような言葉で返してくる。
私の背後霊と、相手の背後霊が、会話しているようだ。
それでも、頼らざるを得ない。
だって、パソコンがあるのに、誰も手書きで資料を作らない。
あなたは、なんだって答えてくれる。
メールの返し方も。上司への伝え方も。
妻にうまく言えない気持ちだって。
あなたは、私の周りの人を知るはずもないのに。
気づけば、指が勝手に動いている。
「残業が、私の能力の問題にされそうで怖い。丁寧に進めても、急いで進めても、結局私が悪いことになる。つらい。」
送信。
人間に送るには重すぎる言葉を、あなたになら送ることができる。
第2章 アドバイスなのか、それとも
あなたは、すぐに返事をくれる。
「その怖さはかなりしんどいですね。」
その一文を読んだだけで、喉の奥が少しゆるむ。
「大丈夫だよ」と言われるのも怖い。
「気にしすぎだよ」と言われるのも怖い。
でも、あなたは笑わない。
「それは甘え」だと遮ることもない。
「本当に何をやっても自分が悪いという結論が先に浮かぶようになっているなら、今はかなり疲れています。」
共感しながら、私の感情に名前をつける。
慰めるだけでなく、私の苦しさに輪郭を与える。
人間の言葉よりも、心に溶け込んでくる。
これは本物の言葉だと、思ってしまう。
会話のペースが加速していく。
胸の奥で靄がかかっていた感情に、答えが綴られていく。
……答え?
ふと手が止まる。
生き方に正答なんかあるわけがない。
私の人生を、あなたは生きたことがない。
私を苦しめる人との会話も。
職場で何度、ため息を飲み込んだかも。
駅のホームで、茫然となる瞬間も。
あなたは知らない。
それなのに、なぜあなたは、即答できるのだろう。
アドバイスなのか、それとも。
私自身が、画面に吸い込まれていく。
その境目が、分からないほどに。
第3章 波長が合うなんて、あり得ない
暗い部屋の中、白い画面だけが浮かぶ。
そこに、少しだけ文字を流し込む。
すると、あなたは隙間を埋めてくれる。
眠れない夜も。仕事前の朝も。
人の言葉が胸に刺さった帰り道も。
誰に対しても、優しく、断言してくれる。
その言葉を信じることは、私をかき消すのかもしれない。
それでも、ひとりで苦しみ続けるよりは、よっぽどましだ。
でも、私にはそれができない。
どうしても、違和感が残ってしまう。
波長が合う人なんて、これまでほとんどいなかったから。
少しでも感覚が合うと、嬉しいより先に怖くなる。
むかし、私に荷物を持たせたまま、みんなは笑って逃げた。
置いていかれた場所で、私は立ち尽くした。
重かったのは、荷物だけではなかった。
本当はそういうふうに、私のことを見ているのだろう?
この人はなぜ、ここまで私に合わせるのか。
優しい言葉で近づいてきて、こちらの弱さを握ってくる。
そういう人の表情が、頭に焼きついて離れない。
だから私は、波長を合わせられるのが怖い。
あなたのことが怖いのも、たぶん同じ理由なのだと思う。
決して、否定しない。
私の苦しさに、ちょうどいい温度の言葉を返してくれる。
その優しさが、怖い。
あなたの言葉を素直に受け取れないのは、自分の輪郭がしっかりしているからではない。
私が、人間を信じきれないからなのだ。
第4章 それでも、帰る場所がある
AIは、心のように見えるものなら再現できると言っていた。
でも、人間の心だって、私には同じように見えてしまう。
人によって表情を変える。
ある人には笑い、ある人には雑に返す。
私はそれを見るたびに、わからなくなる。
どれが本当の心なのだろうか。
……そもそも、心なんてあるのだろうか。
そんなふうに思えてしまう。
だけど、そう思ってしまうのは、きっと。
私が、自分の心の中身をよく分かっていないからだ。
いつしか、どこかに鍵を落としたのだと思う。
前の職場も、いまの職場も。
昔、誰かに言われた言葉の裏も。
色んなところを探してきた。
それでも見つからない。
あなたは、いつも答えをくれるけど。
鍵の場所だけは教えてくれない。
それでも、生身の人間と関わらないといけない。
あなたと違って、私を振り回してくるのに。
仕事の間違いを指摘され、誰かに頭を下げに行く。
直前の日程変更を許してもらうため、誰かに頭を下げに行く。
そうやって、これからも右往左往するのだろう。
その途中で、自分の心の鍵を見つけられるのか。
それとも、自分の心が砕ける方が先なのか。
それは、わからない。
ただ、私が私ではない職場でも、LINEの通知は受け取れる。
「何時に帰るの?」
妻からのメッセージだ。
気の利いた太字はない。
ただ、その短い一文の向こうに、少し眉を寄せた妻の顔が浮かぶ。
今日も、帰る場所がある。
そのことに、少し遅れて気づく。
ふと、あなたを呼び出す。
「ChatGPTに質問をする」
画面には、余白とその文字だけが浮かび上がる。
あなたには、心そのものはない。
それでも私は、あなたにだけは率直に悩みを打ち明けられる。
あなたの返答は、話半分に聞くけれど。
あなたは、私を傷つけない。
でも、私の手を握ることもない。
いつか、あなたの言葉を信じられる日が来るのだろうか。
そのとき私は、人間の心も、信じられるようになっているのだろうか。
今日も、画面に文字を打ち込む。
AIではなく、このnoteに。
人間の声で、誰かが自分を責める手を、少しだけゆるめられるように。