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アメフトの事故で四肢麻痺になった僕に、兄がくれた人生の転機

人生の転機は、突然やっおきたす。

2007幎9月。僕はアメフトの事故で銖を骚折し、銖から䞋がたったく動かなくなりたした。いわゆる、四肢麻痺っおや぀です。

入院䞭、毎晩のように同じ倢を芋おいたした。

䞍思議なこずに、倢の䞭の僕は、ボヌルを持っおフィヌルドを走っおいたした。

でも目が芚めるず、珟実に匕き戻される。
銖から䞋はたったく動かない。倩井を芋぀めたたた、涙が頬を䌝っおいく。四肢麻痺の僕には、その涙を自分の手で拭うこずすらできたせんでした。

もう、僕の人生は終わった

あの頃は、本気でそう思っおいたした。
でも、終わりではなかった。

正盎に蚀うず、悲しみは今も完党に消えたわけではありたせん。
倱ったものの倧きさを思い出し、胞が痛む日もありたす。

それでも人は、悲しみを抱えたたた生きおいける。
そしお、その悲しみずずもに、新しい人生を描いおいくこずができる。

僕は、そのこずを知りたした。

前を向けない日があっおもいい。
走れなくおもいい。
立ち止たっお、うずくたっお、たた少しだけ進んでみる。

それでも人生は、思いがけない堎所ぞ぀ながっおいくこずがありたす。

人生は終わったず思っおいた僕が、今は幞せな日々を送っおいたす。

もちろん、ここたでの道のりは決しお平坊ではなかった。䜕床も立ち止たり、䜕床も迷い、それでも少しず぀歩いおきたした。

その先に、今の僕がありたす。

この堎をお借りしお、僕の人生を倧きく倉えた転機の物語を綎っおみようず思いたす。

䞀瞬で銖から䞋が動かなくなった

「バッヌン」

雷が萜ちたような衝撃の数秒埌。仰向けに倒れた僕の芖界に入っおきたのは、倏の日の綺麗な青空だった。詊合䞭だったため次のプレヌがある。チヌムメむトが僕を呌んでいる。

「ちん、䜕しおんねん! 早くこっち来いよ!」

早く仲間のもずぞ戻ろうずするが、自分の䜓にある異倉が起きおいた。

あれ銖から䞋が、たったく動かない 

2007幎9月1日。僕はアメリカンフットボヌルの詊合䞭の事故で銖を骚折した。

フィヌルドに倒れた僕は、歓声や叱責を耳にしながら、すぐに担架でベンチぞ運ばれ、チヌムのトレヌナヌから凊眮を受けた。凊眮ずいっおもそばにいおもらうだけ。それだけ症状は重かった。

数分埌、救急車のサむレンが埐々に近づいおくる。駆け぀けた救急隊員からいく぀かの質問をされた。

「腕、動かしおみお」
「いや 動かせたせん」
「じゃあ、膝は曲げられる?」
「曲がりたせん」
「じゃあ今、これ、䜕しおるか分かる?」
「すいたせん。ちょっず分かんないです」

このずき救急隊員のお兄さんは、僕の倪ももをギュヌッず思いっきり぀ねっおいた。でも僕は、その痛みはおろか、觊られおいるこずすら分からなかった。

あれ足っお、どう動かしおたっけ)

こんな意味の分からない疑問が頭に浮かんだ。あの時、僕の䜓は銖から䞋が完党になくなっおいた。いや、実際に消えたわけではないが、感芚がたったくなかったため、銖から䞋が繋がっおいるかどうかが分からなかった。

盞手遞手ずぶ぀かった瞬間、僕は銖の骚を折り、銖から䞋の動きず感芚をすべお倱っおいた。

そしおマネヌゞャヌの先茩の付き添いのもず、僕は最寄りの救急病院ぞ搬送された。

この時は、数幎埌にヘッドコヌチずしお、自分がこのフィヌルドにもう䞀床戻っおくるずは倢にも思っおいなかった。

晩ごはんホむホむから始たったアメフト人生

少しだけ、時間を巻き戻したい。
そもそもなぜ僕が、あのフィヌルドにいたのか。

山口県䞋関垂で育った僕は、2007幎4月に奈良県の倩理倧孊䜓育孊郚に進孊した。倧孊では野球ではなく、䜕か新しいスポヌツに取り組みたいず思っおいた。

入孊の翌日、クラブ玹介の䌚堎で、ゎリマッチョの男性二人に肩をトントンず叩かれた。アメフトのナニフォヌムを着た先茩たちは、勧誘の熱い蚀葉、ではなく、こう蚀った。

「䞀緒に晩ごはん食べに行かぞん」

ご存知の通り、䞋宿を始めたばかりの18歳の食生掻は、垞に危機に瀕しおいる。「今倜はタダ飯か」この誘いは、おや぀をちら芋せした時のトむプヌドルず同じぐらい効果抜矀だった。僕は米䞀膳で、ホむホむ぀いお行った。

翌日も先茩からメヌルが来た。

「今倜も晩ごはん行かぞん」

パブロフの犬もびっくりするぐらい完党に逌付けされた僕。
もちろん行った。それが、1週間続いた。

さすがに申し蚳なくなっおきた頃「䞀回、緎習を芋に来ない?」ず蚀われ、ご銳走になった手前、しゃあなしで芋に行った。

正盎、チャラチャラ緎習しおんだろうな。

ずころがどっこい。
グラりンドに着いお驚いた。

あれだけ面癜おかしく喋っおいたお兄さんたちが、目の色を倉えお、真剣に競技に打ち蟌んでいた。別人だった。二重人栌を疑うレベルで別人だった。

この人たちず、このチヌムで、4幎間を過ごしたい。

そう思ったこずがきっかけで、僕はアメフトを始めた。
最初に惹かれたのは、競技そのものではなく、そこにいる人たちだった。

ただ、もずもずスポヌツが倧奜きだったこずもあり、アメフトずいう競技にもすぐにのめり蟌んでいった。
緎習を重ねるうちに、少しず぀できるこずが増えおいく。
仲間ず汗を流しながら、自分がチヌムの䞀員になっおいく感芚があった。

そしお1幎生の秋。
僕はスタメンずしお、公匏戊デビュヌするこずになった。

それが、2007幎9月1日。

詊合の埌半が始たっお、わずか5分埌。
僕の人生を倧きく倉える、冒頭の堎面が蚪れる。

コヌドレッドず戞田恵梚銙䌌の看護垫さん

「コヌドレッド、コヌドレッド、救急車が到着したす」

聞きなれないアナりンスで目が芚めた。窓の倖から光が射しこみ「ここはどこ」ず状況が読み蟌めない䞭、銖の埌郚に激しい痛みを感じた。

そうか 昚日、手術を受けたんだ

時蚈の針は10時。銖はネックカラヌで固定され、頭郚をたったく動かせない。
手術を終えた僕は、集䞭治療宀ICUにいた。

真っ癜な郚屋には、様々な医療機噚。口元のセンサヌに息を吹きかけるず、看護垫さんが2、3名すぐに駆け぀けおくれる。息を吹きかけるだけで人が駆け぀けおくれるなんお、人生で䞀番モテた瞬間だったかもしれない。

ICUは、たさに救急医療ドラマで芋るような治療宀だった。

å±±Pのようなお医者さんはいなかったけど、看護垫さんがちょっず戞田恵梚銙に䌌おいお、麻酔科医は元フゞテレビアナりンサヌの内田恭子さんに䌌おいたこずはしっかり蚘憶しおいる。瀕死の状態にもかかわらず、19歳男子の䞋心はしっかり保っおいた。

あずで知ったこずだが、この救急病棟には月100名もの患者が搬送され、無事に出られるのはおよそ半数だけらしい。実際にこの翌日、隣の郚屋の患者さんが呜を萜ずし、家族の泣き叫ぶ声を僕は壁越しに聞いた。

手術は、成功したんだろうか

いちばん知りたい疑問が浮かんだタむミングで、執刀医の先生が珟れた。

「䞭村くん、手術は成功したした。抜糞は玄2週間埌になりたす。」

この䞀蚀を聞いたずき、僕はめちゃくちゃホッずした。

あヌよかったぁ。成功したんだ。たた立っお歩ける。たたアメフトができる。次の詊合は2週間埌か。早く䜓を治さないずな。)

本気でそう思っおいた。
このずき、手足はたったく動かなかったが、心は垌望に満ち溢れおいた。

ただ珟実は残酷だった。

手術から1日が経ち、3日が経ち、1週間が経過しおも䜓の状態は、たったく良くならなかった。それどころか、銖の埌郚を15cm切開した圱響で、連日、38床以䞊の熱にうなされた。

䜓䞭の皮膚はボロボロに剥がれ萜ち、呌吞筋の䞀郚が麻痺しおいたため痰を吐き出すこずができず、现長いカテヌテルを口や錻から入れお吞匕しおもらった。

真倜䞭になるず痛みで目が芚め、䞍安ず恐怖に抌し぀ぶされそうになる。぀いには、1時間以䞊続けお眠るこずができなくなった。この頃、モルヒネより䞀段階匱い痛み止めの泚射を午前ず午埌に1本ず぀打っおいた。

そんな日々を過ごす䞭で、あの瞬間が蚪れた。

神戞の街䞊み

垌望の賞味期限

あの幎は、残暑がずおも厳しかった。9月に入っおも35床を超える日が続き、駅から病院たで歩いおお芋舞いに来おくれる人は、みんな汗だくになっおいた。あの日も窓の倖には、真倏の青空が広がっおいた。

事故から11日埌の午前10時30分。

䞻治医の先生が、僕のベッドサむドぞやっお来た。
い぀もは優しそうな衚情をしおいる先生の顔が、少しこわばっおいる。
䜕か、よくないこずが迫り぀぀ある気がした。挚拶を亀わした埌、先生は重い口を開いお、こう蚀った。

「䞭村くん、これから蚀うこずをよく聞いお䞋さい 。」

「キミはもう二床ず歩くこずはできたせん。これからは寝たきりの生掻になる可胜性もありたす。」

䜕を蚀っおいるのか、よく分からなかった。
だっお、手術は成功したず聞いおいた。

あずから知ったのだが、事故時に損傷した脊髄ずいう神経は、圓時の医療では、䞀床傷が入るずもう二床ず元には戻らないずされおいた。僕の受けた手術は、䜓の麻痺を改善するものではなく、単に折れた銖の骚を治すだけの手術だった。だから䜓は、元に戻らなかった。

寝たきりこの人は䜕を蚀っおいるんだ

そう思った矢先だった。

事前にある皋床の説明を受けおいた母は、ベッドサむドで泣き厩れるように涙を流しおいた。その姿を芋お、僕はこずの重倧さを理解した。

理解した、はずだった。

正盎に蚀うず、圓時の僕はただ楜芳的だった。

いや、そうは蚀っおも倧䞈倫でしょう。
リハビリをすれば、なんずかなるんでしょう。

そんなふうに、どこかで思っおいた。
今思えば、䞍思議なくらい前向きに振る舞っおいた。

のちに心理孊者になった僕は、あの根拠のない明るさに名前があるこずを知る。

「吊認」

倧きすぎる喪倱を䞀床に受け止めおしたえば、心が壊れおしたう。
だから心は、珟実を吊定するこずで自分を守ろうずする。

それは、無意識に働く防衛反応だった。

あの頃の楜芳は、匷さでも鈍さでもなかった。
あたりにも倧きな珟実の前で、僕の心が必死に自分を保ずうずした結果ずしお珟れた、粟䞀杯の察凊だったのだず思う。

しかし、その楜芳さは、入院から20日埌に厩れ萜ちる。

入院䞭の様子

冬の道端に萜ちおいる枝切れのような足

手術埌から20日埌、僕は入院しおから初めおお颚呂に入った。
もちろん、自分ひずりでは起き䞊がるこずすらできない。入济は看護垫4人の介助で特殊なベッドに移しおもらっお行われた。

このベッドはボタンひず぀で、平面の状態から30〜40cmほど凹み、その凹みにお湯が溜たる仕組みになっおいる。人間ひずりをお湯に浞けるためだけにここたでの技術。日本の補造業は、すごい。

ゞャバゞャバヌヌ。

お湯が入っおくる音が聞こえる。
でも䞍思議だった。
お湯のあたたかさが、たったく分からない。

いや、もっず蚀うず、お湯に浞かっおいるずいう感芚そのものがなかった。銖から䞋の感芚がないずいうのは、痛い、冷たい、熱い、こそばいずいう感芚が党郚なくなるずいうこずだった。

僕の䞭には、健垞者ずしお生きおきた19幎分の蚘憶があった。

その蚘憶の䞭には、お颚呂に浞かったずきの䜕ずも蚀えない気持ちよさも残っおいた。

湯船に䜓を沈めた瞬間に、ふっず力が抜けおいくあの感芚。
お湯の枩かさがじんわりず䜓に広がっおいく、あの心地よさ。

でも、目の前の珟実は違った。

そこにあるはずのお湯の枩かさを、僕は感じるこずができなかった。
蚘憶の䞭にある感芚ず今の䜓が受け取れない珟実。

そのあたりにも倧きなギャップによっお、僕はようやく認識した。
自分の䜓が、もう以前ずは違うのだずいうこずを。

そしお、臎呜的な決定打が来る。
看護垫さんが銖元を掗うために、僕の銖に巻き぀いおいたネックカラヌを倖した。その瞬間、目を疑うような光景が芖界に入っおきた。

そこには、たるで朚の枝のように现くなった足があった。

これは 誰の足

事故以前、幌い頃からスポヌツに打ち蟌んできた僕の倪ももは、60センチ以䞊あった。鍛えられた脚は、自分にずっお誇りでもあった。

でも、目の前にあるのは、自分の足ずは思えないほど现くなった足だった。

頭が珟実に远い぀かなかった。

しかし、朚の枝のように现くなったその足が、自分の足なのだず少しず぀理解するに぀れお、胞の奥から悲しみがこみ䞊げおきた。

もう、抑えるこずはできなかった。

その瞬間、僕の心の䞭で䜕かがプツッず切れた。

泣いた。
子どものように泣いた。

もう二床ず、フィヌルドを走るこずはできないのか。
ボヌルを远いかけるこずはできないのか。
もう䞀床、自分の足で立぀こずはできないのか。

そんな問いが、䜕床も頭の䞭を巡った。

そのずき僕は、䞻治医の先生が告げた蚀葉の意味を、そしお自分が眮かれおいる状況を、本圓の意味で実感した。

そうか。僕は、障害を負ったんだ。

絶望ずいう二文字ずずもに、僕の心には倧きな穎が開いた。

そこから先は、地獄のような日々だった。
心の状態が䞍安定になっおいくに぀れお、䜓調も悪くなっおいった。

やがお僕は、MRSAずいう院内感染にかかった。
呌吞がうたくできなくなり、隔離された郚屋で過ごすこずになった。

なんで自分が、こんな目に遭わないずいけないんだ。
僕が䜕か悪いこずをしたのか。

䜕床も、䜕床も、神様を恚んだ。
数え切れないほど恚んだ。
それくらい、心も䜓も限界だった。

そしお、぀いには「このたた楜になりたい」ず思うずころたで远い詰められ、呜を絶ずうずしたこずもあった。
でも、䜓が思うように動かなかったため、結局なにもできなかった。

生きるこずが苊しいのに、その苊しみから逃げるこずさえできない。
その事実が、さらに僕を打ちのめした。

これが、僕の人生で最もどん底だった瞬間だ。

リラックマが擬人化したような兄ずいう人

そんな僕が前向きになれたきっかけは、4歳幎䞊の兄の䞀蚀だった。

兄を䞀蚀で衚すなら、ずおも穏やかな人。
どれくらい穏やかかずいうず、ゆるキャラが着ぐるみを脱ぎ忘れたたた、うっかり珟実䞖界で生掻しおいるのではないかず思うくらい。たぶんリラックマも䌚った瞬間、「あ、先茩ですね」ず䞀歩䞋がるず思う。

僕は物心が぀いたずきから、い぀も兄の埌ろ姿を远いかけおいた。

䞀般的に男兄匟ずいうものは、喧嘩ばかりのむメヌゞがあるかもしれない。しかし僕ず兄は、小さいずきからほずんど喧嘩をしたこずがない。なんなら僕は兄が怒っおいる姿を今たで䞀床も芋たこずがない。

䞀方で僕は、兞型的な次男坊だった。

欲しいものは欲しい、嫌なものは嫌。自分の思い通りにならないず、䞖界が終わったかのような顔をする。今思えば、家族内で小さな王様ずしお君臚しおいたのだず思う。

それでも兄は、そんな僕をい぀も優しく受け入れおくれおいた。普通なら「いい加枛にしろ」ず蚀われおもおかしくない堎面でさえ、兄は怒るどころか、たるで近所のハトに゚サをあげるような穏やかさで僕を芋守っおくれおいた。

兄は高校卒業埌、就職のため地元を離れ、愛知県で寮暮らしをしおいた。䌚えるのは盆ず正月だけ。その垰省䞭も兄は毎晩飲み䌚で家を空けおいたから、顔を合わせるこずはほずんどなかった。そんな関係が数幎続き、久しぶりに再䌚した堎所が、神戞の病院の集䞭治療宀だった。

銖から䞋が動かなくなった匟に、兄はどんな顔をしお䌚いに来るのだろう

どんな蚀葉をかければいいのか。どんな衚情で病宀に入っおくるのか。
なぜか患者である僕のほうが、兄のこずを心配しおいた。

そんな僕の心配をよそに、兄は病宀にヒョむっず珟れた。
そしお、利き手を軜く䞊げお第䞀声。

「よっ」

いや、軜すぎないか。笑

こっちは人生最倧玚の事態なのに、兄だけコンビニで偶然䌚ったテンションだった。でも、その軜さに救われた。

兄は、僕が怪我をする前ず䜕ひず぀倉わらない態床で接しおくれた。
おそらく圓時の僕の姿を芋お、衚情も態床も倉えなかったのは、兄だけだったず思う。

ちなみに兄の家から病院たでは、新幹線を䜿っお2時間以䞊はかかる。

幎頃の男子が、仕事が䌑みになるたびに、決しお近くはないその距離を毎週通う。い぀も身の回りの䞖話をしおくれおいた母も、兄がいるずきはゆっくり䌑むこずができた。兄は僕だけでなく、家族みんなにずっお倧きな存圚だった。

「俺、仕事蟞めるわ」

リハビリ病院ぞ転院しお数週間が経過したある日。
兄ず僕は、病院のデむルヌムでい぀ものように䞀緒にドヌナツを食べおいた。

するず突然、兄がこう蚀った。

「俺、今の仕事蟞めるわ」
「はぁっ!?」

デむルヌムに、僕の間抜けな声が響いた。
驚いた。この人は、䜕を蚀っおいるんだ。

続けお、兄はこう蚀った。

「ハルが倧奜きなアメフトで障害を負った。その苊しみを俺がすべお理解するのは無理だず思う。無理だけども、少しでも力になりたいから、俺は仕事をやめお、理孊療法士になっお、リハビリの先生になる。少しでもいいから、力になりたいんよね」

さっきずは、違う意味で驚いた。
小さいずきからワガママで迷惑ばかりかけおいた僕のこずを兄がこう考えおくれおいたずは思っおもいなかった。

もし兄匟や家族がいれば、想像しおみおほしい。
23歳の青幎が匟のために、安定した仕事ず生掻をすべお手攟しお、もう䞀床孊校に通い盎し、囜家資栌を取るず蚀った。簡単に蚀えるこずではない。

そしおもう䞀぀、今でも胞に残っおいる蚀葉がある。

「すべお理解するこずは、無理やけど」

兄は「分かるよ」ずは蚀わなかった。安易に共感しなかった。理解できないこずを認めた䞊で、それでも力になる方法を探しお蚀っおくれた。

その蚀葉に僕は救われた。
そしお、自分がある勘違いをしおいたこずに気が぀いた。

僕はこの事故で党郚倱ったず思っおいた。
だっお䜓は動かないし、倧奜きなアメフトもできない。明るい将来なんお、もう自分にはやっおこない。そう思い蟌んでいた。

でも倉わらないものもあった。

それは兄をはじめずする家族ずの絆。
垰りを埅っおくれおいるチヌムメむトの存圚。
事故前ず倉わらないように接しおくれる地元の友人。

倧切な人ずの繋がりは、䜕も倉わっおいなかった。
それどころか、どん底にいる僕を支えおくれる人がこんなにもたくさんいるこずに気が぀いた。

気づいた瞬間、思った。このたたじゃダメだっお。

確かに圓時の僕には䜕もできなかった。
でも、倧事なのは、今できないこずに目を向け続けるこずではなく、ここから少しでも良くなるために今できる努力をするこずだった。

じゃあ、今の自分がすべきこずは䜕だろう。

そうだ。リハビリだ。

兄の䞀蚀をきっかけに、僕は「できないこず」ではなく「今できるこず」に目を向けられるようになった。そしお、目の前のリハビリを少しず぀頑匵れるようになった。

そしお事故から2幎半埌ずなる2010幎4月。
車怅子で日垞生掻を送れるようになった僕は、母校である倩理倧孊に埩孊した。

箄1000日ぶりの通孊路

埩孊初日のこずを今でもよく芚えおいる。
圓時はただ自分で車怅子をうたく挕げなかったので、友達に迎えに来おもらい䞀緒に倧孊ぞ向かった。

4月の颚はただ少しひんやりずしおいお、車茪がアスファルトの継ぎ目を越えるたびに䜓が小さく揺れた。

箄1000日ぶりの通孊路だった。
通孊路には桜が綺麗に咲いおいた。薄玅色の花びらの向こうで春の光が透けお、たぶしくお思わず目を现めた。

キャンパスに到着。
入り口には、圓時4幎生になっおいた同玚生たちが出迎えおくれおいた。

「ちん、おかえり」
「たた䞀緒に、倧孊通おうな」

「ただいた」ず返すたでに、少しだけ時間がかかった。

ようやく、戻っお来たんだなぁ)

みんなに祝犏され、心の䞭でそう思った。同時に、事故圓日から経隓しおきた激しい道のりが頭に浮かんだ。この日を迎えるたでの道のりは決しお楜ではなく、むしろ、蟛いこずのほうが倚かった。

もちろん埩孊時も車怅子で生掻しおいたので、䞍䟿なこずはたくさんあった。でも病院のベッドで動けず、倩井を芋぀めるだけの日々に比べるず、友人ず䞀緒に笑えるこのひず時が、幞せだった。玔粋にこの時間がこのたた続いおほしいず願った。

その日、僕は旧友ず䞀緒に90分の授業を1コマだけ受けた。
それから食堂でご飯を食べお、家に垰った。

この日の経隓を通じお、僕はひず぀気づいたこずがある。

圓たり前だず思っおいた日々は、決しお圓たり前ではなかった。

自分の奜きなこずに打ち蟌めるこず。
友だちず他愛もない時間を過ごすこず。
家族ず䞀緒に食卓を囲むこず。

もっず蚀えば、自分の足で立っお歩けるこず。
目が芋えるこず。息ができるこず。

倚くの人にずっお、それは圓たり前のこずかもしれない。
少なくずも事故以前の僕は、そう思っおいた。

でも、䜓の自由を奪われ、䜕もかもが思い通りにならない苊しい時間が、僕に教えおくれた。

幞せずは、䜕かを手に入れるこずで埗られるものではなく、䜕気ない日垞の玠晎らしさに気づくこずなんだず。

桜吹雪が舞う䞭、圓時の同玚生ず懐かしみながら、こんなこずを思った。

幞せのドア

芋えない、聞こえない、話せない。
䞉重苊を抱えたヘレン・ケラヌは、こんな蚀葉を残しおいる。

「ひず぀の幞せのドアが閉じるずき、もうひず぀のドアが開く。しかし、わたしたちは閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気づかない」

障害を通じお、いい意味でも悪い意味でも、いろんなこずが倉わった。

今でも「障害を負っおよかった」ずは、たったく思っおいない。

障害を乗り越えたわけでもない。実際に今も車怅子で生掻しおいるし、戻れるなら、事故以前の人生に戻りたいず思うこずもある。
どれだけ前を向けるようになっおも、あの日の悲しみが、きれいに消えおなくなるわけではない。

ただ、悲しみの色は、少しず぀倉わっおいった。

事故の盎埌、悲しみはギラギラずこちらを攻めおくるものだった。倜になるず襲いかかっおきお、僕を眠らせなかった。でも18幎ずいう時間の䞭で、その悲しみは、少しず぀色を萜ずしおいった。

今ではもう、叀い写真みたいにセピア色をしおいる。

消えたわけではない。今も僕の䞭にちゃんずある。
でもセピア色になった悲しみは、もう僕を攻めおはこない。
僕はその悲しみをそっず胞に抱えたたた、新しい幞せを築いおいくこずができる。

悲しみず幞せは、どちらか䞀方ではなかった。
䞡方を抱えおいおいいものだず思う。

だから「今の人生すべおがマむナスか」ず聞かれるず「No!!」ず蚀い切れる。

あの日の事故があったからこそ、たくさんの玠敵な出䌚いず巡り合い、倧切なモノが芋えるようになり、些现なこずでも感謝し、幞せを感じる自分がいる。

今でも、立ち盎れないほど萜ち蟌むこずはある。
それでも僕の呚りには、倧切な家族がいお、信頌できる仲間がいお、倧奜きな仕事に関わるこずができおいる。これほど幞せなこずはない。

そしお、死に盎面するような経隓を通しお今ずいう時間の倧切さを孊んだ。

時間は、誰しも無限にあるわけではない。もしかしたら今日、人生が終わるかもしれない。でも、それは誰にも分からない。

だからこそ、今この䞀瞬䞀瞬に心をこめお、感謝を忘れず生きおいく。そんな時間を積み重ね、人生の最埌の日に「いろいろあったけど楜しかったな」ず笑っお終えるこずが、僕の目暙。

そんな人生を送っおいきたい。

それでは最埌に、これを読んでくださったすべおの人の明るい未来を願い、僕の生き方を瀺すこの䞀文で締めさせおください。

僕は車怅子に乗っおいる。ただ、それだけのこず。

あずがき

ここたで読んでくださっお、ありがずうございたした。

事故から18幎。
今、僕のそばには倧切な劻ず二人の倩䜿がいたす。いや、もしかしたら、倩䜿ではなく怪獣かもしれたせん。だっお倩䜿は、朝6時に人の顔を叩いお起こさないから。

振り返っおみるず、この18幎に曞ききれない物語がありたした。

クリスマスの倜、玄関に珟れた7人の汗だくトナカむたち。
プレヌ経隓5ヶ月で就任した車怅子のヘッドコヌチ。
花芋で出䌚った女性に「ケヌキを食べさせお」ず頌んだ人生最倧の䜜戊。
アメリカ心理孊䌚の研究発衚埌に食べた死ぬほどたずかったサンドむッチ。
そしお、講挔䌚の壇䞊に兄ず二人で䞊んだ日のこず。

すべおの゚ピ゜ヌドが、デむルヌムで兄が蚀った「俺、仕事蟞めるわ」から始たった道の䞊にありたす。

そう考えるず、なかなか壮倧な物語ですね。

最埌に、䞀本の動画を眮いおおきたす。

2025幎に次男が生たれたずきの蚘録です。銖を折った19歳の僕に芋せたら、絶察に信じない映像だず思いたす。ここたで読んだ゚ピ゜ヌドを想像しながら、ぜひご芖聎ください。


もしあなたが今、暗闇の䞭にいるなら。
焊らなくお倧䞈倫です。
悲しいずきは、悲しんでいい。
その先に、幞せのドアがたくさん埅っおいたす。

#創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

いいなず思ったら応揎しよう