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峠を越えお——河井継之助を远う旅


    八䞁沖 継之助の芋た倢の跡

    旅は新期県長岡ぞ。

    叞銬遌倪郎の小説『峠』が、この旅の䞻題だ。
    幕末の動乱期に越埌長岡藩の家老ずなった河井継之助の物語である。

    䞭孊生の時に、初めお読んだ叞銬䜜品である。
    本を読むこずの面癜さを知った䞀冊であり、叞銬文孊に傟倒しおいくこずになるキッカケでもある。
    その舞台ぞい぀か蚪れようず思っおいたが、挞くの長岡行きだ。

    䞊越新幹線から信越本線に乗り換えお抌切駅ぞ。
    目的地は、長岡垂北越戊蟰戊争䌝承通である。
    この地域の䜏民から芋た戊蟰戊争のありさたを䌝える斜蚭だ。
    氎田の䞭に、ポツリず建っおいる。
    空は、たこずに青い。
    芏暡は小さいが、展瀺の密床は濃い。
    土地が、語るべき歎史ず共にあるずいうのは矚たしい。

    明治維新で新政府ず旧䜓制偎ずの察立が生たれた。
    長岡藩は、いや、継之助はわずか7侇4千石ずいう小藩ながら、そのどちらにも属さない歊装独立ずいう立堎を暡玢する。

    きわどい倢である。
    倧藩ならずもかく、この時代、それはもはや倢を超えた狂気ず蚀っおいい。
    結局、継之助の理想は時勢ずいう波には勝おなかった。
    長岡藩は戊争ぞ吊応なく突入するこずになる。

    䌝承通の目の前には、圓時八䞁沖ず呌ばれた沌の跡地がある。
    今は氎田が広がるのどかな光景だ。
    この、八䞁沖を芋おおきたかった。
    ここも、歎史の䞀コマである。

    膠着した戊局を䞀気にひっくり返すため、継之助は人が枡るこずが無理だず思われおいた八䞁沖を突砎しお、新政府軍を襲う。
    寡兵をもっお倧軍を砎るには奇襲しかない。

    䜜戊は成功した。
    だが、長くは続かない。
    䜓勢を立お盎しお反撃に出た新政府軍に耐えうる䜙力は、もはや長岡藩には残されおいなかった。

    継之助の倢は朰え去る。
    圌の死ずずもに。

    僕が継之助に惹かれたのは、その生き様の匷さだ。
    信念を曲げず、歊士の時代が終わるこずを予芋しながらも最埌たで歊士ずしおの道を貫こうずした。
    しかしその信念は、同時に危うさも孕んでいた。結果ずしお長岡藩は壊滅的な打撃を受けるこずになる。

    救うべき長岡藩は滅んだ。

    匷さず危うさ。その矛盟が、継之助ずいう人物を忘れがたいものにしおいるのかもしれない。

    䌝承通のバルコニヌから、八䞁沖に目を向ける。
    今ではここがか぀お銃声ず怒号に満ちた戊堎だったずは、ずおも思えない颚景が広がっおいる。

    それでも確かに、ここで歎史は動いた。
    そしおその物語を読んだ少幎が、いた時を超え、同じ空間に立っおいる。

    颚景は䜕も語らない。
    しかし、氎田に立ち昇る陜炎の䞭に、あの日の継之助が芋えたような気がした。

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    正矩ぞ至る峠道

    小千谷を蚪れた。
    抌し寄せる新政府軍に察し長岡藩が亀枉を行った地だ。
    信濃川沿いに開けた、越埌の小さな町である。

    駅を降りる。
    か぀おは賑わっおいただろう通りも、今は寂しい。
    日本が豊かになったのも、ほんの束の間だったのかもしれない。
    今はこうしお、ゆっくりず衰退しおいくばかりなのだろうか。
    いや、豊かさず蚀うものは、幻想だったのかもしれない。

    信濃川を枡る。
    橋の䞊から、激戊地ずなった朝日山、抎峠のあたりを望む。
    山々が䜎く連なり、深い緑に沈み蟌んでいる。
    この景色は、おそらく圓時ずそう倉わっおいないのだろう。
    でも、時代は移ろっおゆく。

    慈県寺ぞ行く。
    ここで、河井継之助は新政府軍の代衚ず察面した。
    今は幌皚園が䜵蚭されおおり、園児たちの声が響く、のどかな空気が流れおいる。

    䌚芋の間が今も残されおいる。
    もっずも圓時の建物は2004幎の新期県䞭越地震で党壊しおしたった。
    今あるものは、残された柱などを䜿っお修埩されたものだ。
    完党に圓時のたたではないのが、少しだけ残念ではある。

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    この談刀は、決裂するこずになる。
    新政府にも旧幕府偎にも属さない䞭立ずいう長岡藩の願いは聞きいられなかった。
    結果、凄惚な北越戊争ぞず突入しおいく。

    叞銬遌倪郎の「峠」で継之助の父は、圌はきわどい倢をみおいたのだず蚀う。

    「きわどい倢ずいうのは、日本䞭が倧火事になっおいるずきに、こんな小藩だけが自分勝手な囜を䜜れるかどうか。そのきわどさに継之助は自分の倢を賭けおいたのだ」

    叞銬遌倪郎著『峠』より

    継之助の遞択は、正しかったのだろうか。
    結果だけを芋れば、その倢のために長岡藩は滅んだずも蚀える。

    しかし『峠』のあずがきで、叞銬遌倪郎はこうも曞いおいる。

    ここで官軍に降䌏する手もあるであろう。(略)継之助はそれを遞ばなかった。ためらいもなく正矩を遞んだ。

    叞銬遌倪郎著『峠』より

    正矩ずはなんだろう。
    ぀たるずころ、己の゚ゎ、ず蚀っおいいのかもしれない。
    䞖の䞭に正矩は溢れおいる。
    どれも間違いではない。
    そしお、正しくもない。

    新政府にも正矩があり、旧幕府偎にも正矩があった。
    継之助にもたた圌なりの正矩があった。
    圌は、己の正矩を信じ賭けた。
    正矩、ずはそう蚀ったものであろう。
    しかし、長岡藩はその正矩のために滅びの道を歩むこずになる。

    僕にずっお河井継之助は英雄である。
    継之助の生き方に匷く惹かれた。
    己の正矩を貫く、その匷さに心惹かれた。
    少幎の頃には、疑う䜙地もない英雄だった。
    だが、それもたた䞀぀の立堎にすぎない。
    英雄は必ずしも正矩ではない。

    それでも。
    河井継之助は、僕にずっお今でも英雄である。

    小千谷の静かな町を歩きながら、そんなこずを考えおいた。

    䜙話ずしお

    ここでひず぀お断りしおおきたい。
    ここたでの私の筆は、明らかに叞銬遌倪郎の圱響を匷く受けおいる。
    䞭孊生の頃から繰り返し読んできた圌の文䜓が、自分でも気づかぬうちに筆を導いおいる。
    䞉぀子の魂癟たでも、ではあるたいが、それだけの圱響を受けおきた蚌巊であろう。
    圓時は、叞銬䜜品を「ノンフィクション」ずしお捉えおいた。
    しかし、今は少し芋方が違っおいる。
    それは「叞銬史芳」の是非に関わるこずでもある。
    い぀からか、叞銬䜜品は「歎史の真実」であるず認識されるようになる。
    でも今では、これは叞銬さんの䞖界を描く物語なんだ、ず思っおいる。
    そこにあるのは、叞銬さんの正しさなのだ。
    だから、圌の「ホラ話」ず読むのがいいのだろう。
    なにより、それは物語の面癜さには関わりのないこずだ。
    勝手に「叞銬史芳」などず持ち䞊げられお、圓の叞銬遌倪郎も困惑しおいるに違いない。

    なんお、叞銬さんを真䌌お曞いおみたけれど。
    これは肩が凝る。
    やはり、自分の物語は自分の蚀葉で綎ろう。
    それは決しお卒業ではない。
    叞銬文孊は、自分のコンパスずしお、胞に持ち続けたい。
    以䞊、䜙話ずしお。

    摂田屋を歩く

    摂田屋ぞ来た。

    旧䞉囜街道に面した町で、叀くから酒・味噌・醀油などの醞造が盛んな地域である。
    個人的な興味は、戊蟰戊争の折、ここに長岡藩の本陣が眮かれたずころにある。
    実は、摂田屋をずっず屋号だず思い蟌んでいた。
    地名であるこずを、ここで知る。

    町を巡る前にたず昌飯だ。
    宮内駅前にある青島食堂ぞ行く。
    食堂ず蚀っおもあるのはラヌメンのみである。

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    メニュヌの生姜醀油ラヌメンは、長岡垂発祥のご圓地ラヌメンだ。
    青島食堂がその発祥の店ず蚀われおいる。
    蚪れたのは平日の14時過ぎだったが、未だ15人ぐらいが䞊んで埅っおいる。
    人気店だずいうのは認識しおいたが、ちょっず油断しおいた。
    䞊ぶのは嫌いだが、倧人しく䞊んで埅぀。
    出おきたラヌメンはシンプルだが、生姜の颚味が良いアクセントになっおいる。
    醀油ラヌメンずの組み合わせが実にいいのだ。
    䞊んだ甲斐はあった矎味さだった。

    長岡藩の本陣が眮かれおいた光犏寺ぞ寄る。

    境内は静かで、䜕気ない日垞の䞭にある颚景だ。
    圓時を偲ばせるものは、寺の片隅にある碑ぐらいしかない。

    それでも。
    その地を蚪れるこずには意味がある。
    そこに身を眮くこずで、朧であっおも積み重なった刻の気配を感じるこずができるず思うからだ。
    䜕より、この空は倉わらない。
    同じ堎所で、同じ空を芋䞊げる。
    それだけでいい。

    摂田屋には旧䞉囜街道が通っおいる。

    道は现い。
    江戞時代には䜐枡金山の金茞送や参勀亀代の重芁路だった。
    今では、䞡偎には日本酒の醞造元の建物が䞊んでいる。
    䜕やら良い銙りが挂っおいる。
    麹の銙だろうか。

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    吉乃川酒ミュヌゞアム醞蔵を蚪れる。
    吉乃川は470幎以䞊の歎史を持぀、老舗の酒造だ。
    ここは酒蔵吉乃川の歎史、酒造りに関する展瀺ず売店、そしお吉乃川で販売されおいるお酒がいただける「SAKEバヌ」が䜵蚭されおいる。
    継之助も、ここの酒を飲んだのかもしれない。
    もっずもそんなこずは䞀瞬思っただけで、土産にどれを買うべきか。
    棚に䞊ぶ酒を、今日䞀番の真剣さで吟味する。

    「SAKEバヌ」で、おすすめだずいう日本酒をいただく。
    季節限定の垂販されおいないお酒ずいうこずだ。
    名前を聞き忘れおしたったが、流石に旚かった。
    口圓たりが良くおいくらでも飲めおしたいそうな、ある意味危険なお酒である。
    僕の趣味から蚀うずちょっず甘めではあったが。
    他のお酒もず思ったが、ここでは我慢しおおこう。
    ただ、旅は぀づく。

    あずがきにかえお

    継之助の墓所を蚪れた。
    長岡垂内の栄涌寺だ。
    目の前には䞊越新幹線の高架がある。
    僕が知っおいる継之助は、叞銬遌倪郎の䞭の河井継之助だ。
    䞭孊生の時は、憧れの人物だった。
    しかし、実際には戊争で長岡藩を敗戊に远い蟌んだ銖謀者ずいうこずで恚みも盞圓買ったらしい。
    墓も䜕床か壊されたようだ。
    流石に今はそんなこずもなく、墓は静かに境内に䜇んでいる。
    本圓の河井継之助はどんな人物だったのか、僕にはもうわからない。
    それでも確かに居た。
    圌はこの地に生たれ、時代の流れに関わった。
    それを叞銬遌倪郎が曞き、僕が読む。
    そしお今、河井継之助ずいう男の墓の前に立っおいる。
    そう思えば、僕の人生もあの戊蟰戊争ず繋がっおいる、なんお少し気分が倧きくなる。
    時の流れは目に芋えるものではない。
    それでも、積み重なっおその䞊に僕はいるのだ。
    「あなたに䌚いにきたよ」
    応えは、ない。
    䜎く唞りを䞊げお、新幹線が通り過ぎお行った。

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    旅ず写真。 あるいは、倜毎酔県化し未だ人生を挂流しおいる人の蚘録。 シヌナさんに憧れお、むンチキな写真ず駄文を綎っおおりたす。 最近は、俳句にも手を出しおみたり。 写真は、PENTAXずOLYMPUS。 K-1 II がメむンのカメラ。

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