
理解は必須、共感は任意【徒然日和】
さて、日々の何かを徒然語る徒然日和。
今回のテーマは人間関係。
人間関係、なかなかきつい。
職場のお悩み理由でも上位常連となっているこれ、自分も25年ほどの長い社会人をやってきて、「なんだこいつ」で精神をすり減らされた経験は数知れずだ。
ただ、昔はそれに対して深く思考を巡らすということがなかった気がする。苦手な人に対してなぜそう思うのかを、「なんとなく嫌」とか「生理的に無理」みたいな理由になってない理由で説明してしまったりしないだろうか?
自分も結構理由を丸めてしまっていたが、今になって思うとだいぶ雑なことしてたなと感じる。「生理的に」って考えてみると正直意味不明だ。あと自分の場合、雑な考え方をしていたがためにデメリットになっていた部分もある。自分自身が未熟で問題があるために、目の前にいる人を苦手に思っているんじゃないか、という考えに苛まれることだ。
「相手を理解する」、人間関係全般で理想として掲げられる姿勢だ。とりわけビジネスの面では、私情を捨ててメンバーと付き合うというニュアンスも若干含まれているように感じる。しかし、やはりきついものはきつい。無理するとどんどん自分が削れていく感覚にもなる。それができないのは、結局自分の問題ではないかと。
雑な考えは問題があるのではないか?
もう少し相手について考えた後に、距離を取るか関係を続けるかを判断してもいいのではないか?
そう考えて、数年前から思考のパターンを変えたりしている。一例として自分がどう人間関係について考えているか紹介しよう。
前述した「相手を理解する」ということに含まれている意味。これを純粋に理解という部分に絞ってみることにした。私情を挟まず人に接するみたいなのは、いったんバッサリ切り捨ててみる。
目の前にいる人間が苦手だな、話したくないな、関わりたくないな、そう感じた時に、まず相手の何に対して不快に思うのかをはっきり認識してみる。振る舞いなのか、言動なのか、それぞれあると思う。
その後、以下の二つを並行して考えてみる。
自分の譲れない軸と照らし合わせる
相手のこれまでの歴史、環境、感情を想像してみる
相手の言動や振る舞いに不快感を覚えたとき、ほぼ間違いなく自分の中の信念や思想といった、譲れない軸と衝突しているのではないかと思う。ここが、なんとなく、や、生理的に、で雑に丸めてしまうとぼやけてしまう部分である。何に対して自分が不快に思っているのかを、ここではっきりさせてしまう。
それと同時に、相手が自分にとって不快な言動や振る舞いをするに至ってしまった、相手の歴史や環境、そして、今相手はどう思っているのかを考えてみる。これは、相手のことをわかっていればやりやすいが、そうでなければ完全一致は無理だと思う。だから想像や仮説で問題ない。ただ、一つに決めつけるのではなく、複数のパターンを考えておくこと。
「相手はこれまでこういう経歴を辿ってきて、今この立ち位置にいるから余裕を失っているのかもしれない」「もしかしたら、過去に経験した出来事からこういう言動になっているのかもしれない」みたいな感じだ。相手を分析してみる、ということに近いかもしれない。
そして最後、これが多分一番きついのだが、もしかしたら自分に何か問題があることで相手がそうなっている、ということも考慮してみる。自分の発言や行動、振る舞いへの反応を相手がしているだけ、ということも考えられる。自分が悪いかもしれないと考えるのはしんどいが、ここまで考えないと理解としては中途半端になると思う。
ここまでが、最近自分が実践している、相手のことがなぜ苦手なのかを理解するということだ。
ここまではただ理解しただけ。理解したことに対して共感するかどうか。共感して、自分がある程度折れたり、我慢したりして良好な関係を保っていくかどうかは、また別の話になる。
理解は判断材料に過ぎない。理解した上で、「まあそうなっちゃうよね」と感じることもあるし、「いやいや、それってこっちを不快にさせる理由になってないから」と拒絶する場合も十分考えられる。ここは人によって匙加減は違ってくるだろう。
ただ、もしここで人を拒絶するという道を辿ったとしても、理解という判断材料があるのと、雑に丸めているのとでは、自分の中での納得感が全然違ったりする。まだ考慮漏れがある可能性もあるが、それでも一通り考えたという事実は、間違いなく人間関係の整理に対する自信につながる。周囲の第三者に対しても、なぜそうするのかの説明もしやすくなるだろう。
ここ最近、嫌な人とは離れるべきだ、みたいな話はネットのあちこちで見かける。それも自分を守るために必要なことではあるが、なんで嫌なのか、苦手なのか、という思考は放棄しない方がいい。自分が許容できる、できないは人によって違うのだから、雑に大きい括りで当てはめたネットの情報を鵜呑みにすると、精度は確実に落ちると感じるのだ。
まずは理解することを必須として、それを判断材料とすることで、共感するかどうかを決める。必ずしも共感はしなくてもいい。それが、人に対して負の感情を抱いた時に自分を削らず、納得でき、自身を守ることになるのだと思う。
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