
【午後四時四十五分のブループリント】第10章『完成した迷路と、午後四時四十五分の約束』
第10章『完成した迷路と、午後四時四十五分の約束』

文化祭の前日。放課後の二年三組の教室には、不恰好だけれど圧倒的な存在感を放つ、巨大な段ボールの建造物がそびえ立っていた。
僕と結城が、毎晩の『Blueprint』での作戦会議を通じて緻密に設計し、僕が現実の教室で一人で組み上げ続けたお化け屋敷の迷路だ。
基礎部分には厚手の段ボールを使い、継ぎ目には結城の指示通り十字にガムテープを貼ってガチガチに補強してある。入り組んだ動線は、狭い教室のスペースを最大限に活かしつつ、万が一の際の避難経路まで計算し尽くされていた。
「おい瀬戸、これマジでびくともしねえな! すげえじゃん!」
お化け役のリーダー格である木村が、迷路の壁をバンバンと乱暴に叩きながら感嘆の声を上げた。最初は僕を単なる都合のいい雑用係としてしか見ていなかったクラスメイトたちが、今では僕の指示を仰ぎ、僕の引いた(正確には結城が引いた)動線に従って、黒いビニール袋や赤いビニールテープで装飾を施している。
段ボールの擦れる匂いと、絵の具の匂いが混ざり合った教室。
誰の目にも留まらない、ただ水流に流されるだけの透明なクラゲだった僕。でも今の僕には、ガムテープの糊で少しベタつく手と、目の前にそびえ立つ「確かな壁」という輪郭がある。この熱気を持った教室の中に、僕の居場所は確実に存在していた。
*
午後九時。
祭りの準備の熱気が体に張り付いたまま、僕は自室のパソコンの前に座り、『Blueprint』にログインした。
僕たちが仮想空間で造り続けていた白い図書館も、ついに屋根の巨大なドーム部分を残すのみとなっている。そこにはすでにハクのキャラクターが座り込んで、モニターの中の星空を見上げていた。
『ナギ:ハク。迷路、今日で全部完成したよ。強度テストもクリアした。木村の奴が全力でぶつかっても揺れなかった』
『ハク:お疲れ。まあ、俺の計算通りなら当然だけどね』
画面越しのハクの言葉には、いつもの強がりと、ほんの少しの安堵が混じっているように見えた。
僕はマウスから手を離し、ズボンに擦り付けて手汗を拭った。膝の上でぎゅっと拳を握りしめ、一度だけ深く深呼吸をする。
これから打とうとしている言葉が、半年間も部屋の遮光カーテンを閉めきって生きてきた彼にとって、どれほど重い意味を持つか、痛いほどわかっていた。
それでも、言わなければいけなかった。僕たちは、この迷路を一緒に造り上げた共犯者なのだから。
『ナギ:なあ、明日。見に来ないか』
『ナギ:俺たちが一緒に造った、現実(リアル)の迷路をさ』
送信ボタンを押した瞬間、画面の中のハクのキャラクターがピクリと動きを止めた。
チャット欄には何も表示されない。五秒、十秒、二十秒。パソコンの冷却ファンの低い音だけが、静まり返った部屋に響いている。
学校という空間は、彼にとって息が詰まる水槽そのものだ。そこに足を踏み入れることがどれほど恐ろしいか。もし断られたら、「冗談だよ、無理すんな」と笑って誤魔化そう。そう思って、キーボードに指を乗せたときだった。
『ハク:……人が多いところは、まだ無理だ。息ができなくなる』
ぽつりと、絞り出すような本音が画面に浮かんだ。彼が僕に初めて見せた、明確な現実の弱音だった。
『ナギ:わかってる。だから、文化祭が終わった後でいい。みんなが帰って、誰もいなくなった時間』
『ナギ:午後四時四十五分。俺、教室でずっと待ってるから』
午後四時四十五分。
それは、僕が初めて結城の家のポストに「五つ目のブロック」を描いた茶封筒を投函した、夕暮れの時間。僕たちの現実が、初めてはっきりと交差した時間だ。
昼でも夜でもない、世界が一番曖昧な色に染まる逢魔が時なら、彼もきっと、現実への境界線を越えられるはずだ。
長い、本当に長い沈黙だった。
僕は祈るような気持ちで、青白いモニターを見つめ続けた。彼がこの真っ白な世界から、現実への重い扉を開けてくれることを信じて。
やがて、画面の左下に、ゆっくりと、震えるような文字が表示された。
『ハク:……わかった』
『ハク:四時四十五分。約束する』
その短い一文を見た瞬間、張り詰めていた息が大きく漏れ、視界がふっと滲んだ。
明日、文化祭の最終日。夕暮れの教室で、僕たちは初めて『瀬戸陸』と『結城湊』として向き合うことになる。
透明なクラゲだった僕と、部屋に引きこもっていた彼が一緒に造り上げた、不恰好で頑丈な迷路の中心で。