
【韓国音楽大百科vol.14】セシボンから生まれた伝説のデュオ、ツインフォリオ
韓国音楽大百科作成中!韓国音楽にハマった私が、年代別・歌手別に韓国音楽界を席巻した名曲たちを調べ尽くすマガジン。 韓国音楽大百科を目指して、トロット、フォーク、バラード、K-POPまで幅広く網羅していきます。 時代背景や歌詞の世界観、歌手たちの歩みとともに、韓国音楽の魅力を深掘りしていきます。
ツインフォリオ プロフィール
グループ名: 트윈폴리오(ツインフォリオ)
活動期間:1968年~1969年
メンバー:ソン・チャンシク、ユン・ヒョンジュ
結成:1968年
代表曲:「하얀 손수건(白いハンカチ)」「웨딩 케이크(ウェディングケーキ)」など
1960年代後半、韓国の若者たちの間で、ひとつの新しい音楽文化が生まれ始めていました。それまでの韓国歌謡とは少し違う、ギターを抱えて、自分たちの好きな歌を歌う若者たち。
その中心となった場所が、ソウル・武橋洞(ムギョドン)にあった音楽鑑賞室「セシボン(C'est Si Bon)」です。
そして、ここから韓国フォークの歴史を大きく動かす、ソン・チャンシク(송창식)とユン・ヒョンジュ(윤형주)の2人が登場します。
2人のアコースティックギターと美しいハーモニーが特徴で、外国のポップスを韓国語に翻案した楽曲を数多く歌いました。
2人が結成した「ツインフォリオ(트윈폴리오)」は、活動期間こそわずかでしたが、韓国の若者たちに「通ギター(통기타)で歌う」という新しいスタイルを広め、後の韓国フォークへ大きな影響を与えました。
通ギター(통기타)とは?
韓国でいう통기타は、アコースティックギター(フォークギター)のこと
今回は、そんなツインフォリオがどのように生まれ、なぜこれほどまでに韓国の若者たちを魅了したのか、その歩みを追ってみます。
1960年代、韓国の若者を夢中にした「セシボン」
1960年代の韓国では、ラジオや音楽鑑賞室を通して、アメリカを中心とする海外のポップスが若者たちの間に広がっていました。
当時の若者にとって、海外のポップスをたくさん知っていることは、それだけでもちょっとした「新しさ」や「かっこよさ」だったといいます。
そこに登場したのが、通ギター(통기타)。ギターを自分で覚え、好きなポップスを弾きながら歌う。それまでの歌謡界とは違う、新しい若者文化が少しずつ形になっていきました。
その若者たちが集まった場所のひとつが、セシボンでした。ここには、後に韓国音楽史に名前を残すことになる多くのミュージシャンが集まっていました。
2人はどうやってセシボンのステージへ?
そもそもソン・チャンシクとユン・ヒョンジュは、どうやってセシボンのステージに立つようになったのか?
先にセシボンに登場したのは、ソン・チャンシクでした。当時、ソン・チャンシクはソウル芸術高校で声楽を学んでおり、クラシックを歌っていました。
本人の回想によると、セシボンの最初のステージで歌ったのは、なんとオペラ「愛の妙薬」に登場するアリア「人知れぬ涙(남몰래 흐르는 눈물)」でした。
▼人知れぬ涙(남몰래 흐르는 눈물)
クラシックの名曲として知られるドニゼッティのオペラ『愛の妙薬』のアリア。声楽を学んでいたソン・チャンシクがセシボンの初ステージで歌い、集まった若者たちを驚かせたという伝説の楽曲です。
※動画はイメージ(他アーティストによる演奏)です。
当時のソン・チャンシクは、ポップスをほとんど知らなかったそうです。ところが、その後、梨花女子大学の講堂で歌うジョ・ヨンナムのステージを見て、「ポップスもこんなにすごいんだ」とポップスの魅力に目覚めます。
そんなソン・チャンシクに、セシボンの店主から声がかかります。「好きな人を2人集めて、3人でグループを作ってみたらどうか」。そこでソン・チャンシクが目をつけたのが、ユン・ヒョンジュとイ・イクギュンでした。
ユン・ヒョンジュは当時、延世大学医学部の学生。そしてイ・イクギュンも大学生で、歌を趣味として楽しんでいました。
3人はそれぞれ違った声を持っていました。ソン・チャンシクがメロディー、ユン・ヒョンジュが高音のハーモニー、イ・イクギュンが低音を担当。3人で声を重ねることで、美しいコーラスが生まれました。
こうして1967年、「トリオ・セシボン」が誕生します。
3人で始まった「セシボン・トリオ」
トリオ・セシボンとして活動を始めた3人は、テレビにも出演するようになります。
TBCの「한밤의 멜로디(真夜中のメロディー)」に出演し、「하얀 손수건(白いハンカチ)」や「안개(霧)」などを歌いました。
ところが、わずか数カ月後。イ・イクギュンに突然、入隊の通知が届きます。3人で活動を続けることができなくなり、ここでグループは一度終わることになります。
しかし、テレビ番組のプロデューサーは、2人になったソン・チャンシクとユン・ヒョンジュに、「じゃあ、2人でやればいい。名前を新しくして出てきなさい」と提案しました。
こうして2人は、新しい名前を考えます。海外のポップスの楽譜「Song Folio」からヒントを得たという話があります。2人だから「Twin」、そして「Folio」、こうして誕生したのが、「ツインフォリオ」でした。
▼映画「セシボン」*フィクションです。
2つの声が重なった、心地よいハーモニー
ツインフォリオの魅力は、何といっても2人の声の重なりです。ソン・チャンシクの個性的で力強い歌声。そして、ユン・ヒョンジュの透明感のある柔らかな歌声。この2つの声が重なると、不思議なくらい心地よいハーモニーが生まれました。
また、当時の韓国では、2人がギターを弾きながら美しいハーモニーで歌うスタイルそのものが新鮮でした。
韓国民族文化大百科事典 でも、ツインフォリオは2人のアコースティックギターと美しいボーカル・ハーモニーによって、初期韓国フォークの「きれいな歌」を確立した存在として評価されています。
外国のポップスを「韓国の歌」に変えた
ツインフォリオのレパートリーには、外国曲を韓国語にした翻案曲が多くあります。
当時はまだ、現在のように韓国のシンガーソングライターが自分で作詞・作曲した楽曲を歌うスタイルが一般的ではありませんでした。
海外から入ってきた新しい音楽を、韓国の若者たちが自分たちの言葉で歌いました。
▼「하얀 손수건(白いハンカチ)」
原曲はギリシャ出身の歌手ナナ・ムスクーリが歌った「Me t'aspro mou mantili(白いハンカチで)」です。
原曲は去りゆく恋人を白いハンカチを振って見送る別れの歌でしたが、ソン・チャンシクによる韓国語版は「愛する人を想いながらハンカチに美しい思い出を刺繍する」という情緒あふれる物語へと翻案されました。
▼「웨딩 케이크(ウェディングケーキ)」
原曲はアメリカの歌手コニー・フランシスが歌った「The Wedding Cake」です。原曲は夫婦の愛と絆を歌う温かい曲でしたが、韓国語版は「愛していない人のもとへ嫁ぐ女性が、一人ケーキの前で涙を流す」という切ない悲恋の物語へと大胆に翻案されました。
韓国に「通ギター文化」が広がっていく
ツインフォリオの人気は、単なる一組の歌手のヒットにとどまらず、彼らのように、ギターを弾きながら歌う。友達と一緒にハーモニーを楽しむ。そんな音楽の楽しみ方が、若者たちの間に広がっていきます。
1960年代後半に始まったこの流れは、1970年代の韓国フォークの大きな盛り上がりへとつながっていきました。
わずか22カ月で活動を終了
大きな人気を得たツインフォリオでしたが、その活動期間は驚くほど短いものでした。1968年から活動を始め、1969年末には解散。わずか約22カ月の活動でした。
1968年12月には南山ドラマセンターでリサイタルを開催。なんと公演は満席となり、会場には入りきれないほどの観客が集まったといいます。まだ活動を始めたばかりの若い2人が、若者たちの憧れの存在になっていきました。
1969年、人気絶頂だったツインフォリオに突然、終わりが訪れます。
理由は、ユン・ヒョンジュが学業に専念するためでした。医学部で学んでいたユン・ヒョンジュは、音楽活動が忙しくなるにつれて学業との両立が難しくなり、家族からも音楽活動をやめるよう求められていました。
そして1969年12月、南山ドラマセンターで行われた年末公演。そこでユン・ヒョンジュは、ツインフォリオの活動を終えることを突然発表します。ソン・チャンシクも、その場で初めて知らされたといいます。
最後のステージで「하얀 손수건(白いハンカチ)」を歌った2人。続いて「떠나야 할 그 사람(去るべきあの人)」を歌おうとしたものの、互いに抱き合って泣いてしまい、会場も涙に包まれたといいます。
▼「떠나야 할 그 사람(去るべきあの人)」4MEN ver
韓国ロックの父シン・ジュンヒョン作詞作曲の名曲。ツインフォリオのラストステージを象徴する一曲です。哀愁漂う原曲の切なさを、実力派グループ4MENが圧倒的な歌唱力でカバーしたバージョンでお聴きください。
解散後、それぞれの道へ
1969年にツインフォリオが解散すると、ソン・チャンシクとユン・ヒョンジュは、それぞれ別の道を歩み始めます。
2人ともその後、韓国フォークを代表する音楽家として活躍することになりますが、その歩みは少しずつ違っていきました。
音楽を追求し続けたソン・チャンシク
ツインフォリオ解散後、ソン・チャンシクは本格的にソロ活動をスタート。1970年にはMBCのテレビ番組「목요살롱(木曜サロン)」に出演し、翌1971年にはソロアルバムを発表しました。
ラジオ番組「별이 빛나는 밤에(星が輝く夜に)」への出演をきっかけに人気を広げ、「창밖에는 비오고요(窓の外には雨が降っていて)」など、自ら作った曲も歌うようになります。
▼「창밖에는 비오고요(窓の外には雨が降っていて)」
ソロになったソン・チャンシクは、少しずつ自分自身の音楽を作るシンガーソングライターへと変わっていきました。
その後も数多くのヒット曲を生み出し、1970年代を代表する歌手の一人となりました。
音楽だけでなく、幅広い分野で活躍したユン・ヒョンジュ
一方のユン・ヒョンジュは、ツインフォリオ解散のきっかけとなった学業に戻ります。しかし、音楽を完全に離れたわけではありませんでした。
1970年代に入ると再び歌手として活動を始め、1972年にはソロ曲「라라라(ラララ)」を発表。その後も人気を集めました。
▼「라라라(ラララ)」
そして、歌手としてだけでなく、司会や番組の進行、企画など、音楽以外の分野にも活動の幅を広げていきます。韓国音楽史の中でさまざまな才能を生かして活動しました。
ツインフォリオ再結成
ソロとして別々の道を歩んだ2人ですが、1981年には、ソン・チャンシクとユン・ヒョンジュが再び2人で活動。
さらに1984年には、同じセシボン出身の歌手・キム・セファンを加えた3人組としても活動しました。
そして2011~2012年には、MBCのトーク番組「놀러와(遊びに来て)」への出演をきっかけに、再び「セシボン・ブーム」が巻き起こります。
わずか2年足らずで終わったツインフォリオ。けれど、2人はそれぞれの場所で音楽を続け、やがて再び同じステージに戻ってきました。そして、再び2人が並んだとき、そこには1960年代の美しいハーモニーが戻ってきました。
年表
・1947年2月22日
ソン・チャンシク、仁川広域市中区・新興洞で誕生
・1947年11月19日
ユン・ヒョンジュ、ソウル特別市で誕生
・1967年末
ソン・チャンシク、ユン・ヒョンジュ、イ・イクギュンの3人で「セシボン・トリオ」を結成。
・1968年初め
イ・イクギュンの入隊をきっかけに、ソン・チャンシクとユン・ヒョンジュの2人で活動。 「ツインフォリオ」と改名。
・1968年
「하얀 손수건(白いハンカチ)」が人気を集め、若者の間で大きな支持を獲得。
・1968年12月
ソウル・南山ドラマセンターでリサイタルを開催。満席となる大成功を収める。
・1969年
「웨딩 케이크(ウェディングケーキ)」などの楽曲で人気をさらに広げる。
・1969年末
ツインフォリオとしての活動を終了。
・1970年1月
解散後、『튄·폴리오 리사이틀』が発売。現在まで代表的な音源として残る。
・1981年
ソン・チャンシクとユン・ヒョンジュが再結成。
・1984年
キム・セファンを加えた3人組として活動。
・2011~2012年
MBC「놀러와」への出演などをきっかけに「セシボン・ブーム」が再燃。
・2015年
彼らの青春時代を描いた映画『セシボン』が公開され、再び大きな注目を集める。
・現在
韓国フォークの礎を築いた伝説のデュオとして、その楽曲とハーモニーは今なお世代を超えて愛され続けている。