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高野山の宿坊で暮らした1ヶ月、私は少し不思議なものを見た 【高野山・体験編】

    前書き


    まだ寒さの厳しい2月上旬、
    私は実家で布団にくるまりながら、次の仕事を探していた。
    この頃の私は、本職を離れリゾートバイトで生活を成り立たせていた。

    仕事検索を写したスマホの画面には、
    「まだまだ楽しめるスキー場で働こう」
    「仲間もいっぱい!思い出作りに最適の職場」
    など、リゾートバイトの“楽しい部分だけ”を切り取ったような
    求人がたくさん並んでいた。

    けれど、どれもなぜかピンと来なかった。

    (もう30だし、もう少し落ち着いた環境のほうがいいなぁ……
    でも旅館はお局がうるさいところも多いし……
    あれ、なんだこれ?)

    その中で、妙に地味な文字列が目に留まる。
    高野山にある「宿坊」でのリゾートバイト。

    思えば以前から、高野山には少しだけ馴染みがあった。
    大阪の実家からは2時間、2000円程度で行けてしまうし、
    地元の仲の良い友人が高野山高校出身で、話にはよく聞いていた。

    働ける期間的にも合ってるし、ここにしてみるか。

    そんな軽い気持ちで応募して、実際に行くことになった私は、
    千年以上の歴史が重なる山の上のとある寺院で、
    1ヶ月間、働きながら生活をしていく中で、
    いくつかの不思議な出来事に遭遇することになる。

    声が聞こえる


    宿坊とはいえ、リゾートバイトはリゾートバイトだ。
    普通の宿泊施設と働き方や仕組みはなんら変わらない。
    宿泊者へのお食事の配膳、お部屋や共有部の清掃、
    チェックイン・アウトの対応や館内のご案内など。
    ここの宿坊では、いわゆるマルチタスク、
    全般業務と呼ばれる仕事をすることになった。

    通し勤務なので生活リズムも落ち着くし、
    寺院の敷地内に寮があって通勤も楽。
    昼と夜はお弁当の支給もあり、コンビニも近い。
    他のリゾートバイターの方も多く、意外と賑やかだった。

    他の施設と圧倒的に違う点があるとすれば、
    修行僧の子たちもいて、彼らと一緒に働くことだろう。
    清掃を手伝ってくれたり、買い出しに行ってくれたり。
    初めは丸坊主の彼らに少し驚いたが、話してみると普通の青年たちだった。

    ただ、どうやらひとり霊感のある子がいるらしく、

    「あの部屋、いますよ」
    「女子寮の方はなんかいるっす」
    「ここ、座敷童子もいるんっすよね〜」

    と、悪気なく教えてくれる。

    まあ、私には霊感ないし関係ないな。
    そう鷹を括っていた、そんなある日だった。

    その日は修行僧の子たちは買い出しへ、
    住職の方も遠方へ出かけていた。
    寺院にいるのは、私を含め女性衆ばかり。
    昼過ぎ、私はいつものようにお部屋の清掃業務を行っていた。

    (そういや、幽霊出るって言ってた部屋近いな〜……)

    そんなことをぼんやり考えながら、
    だだっ広い和室の部屋に掃除機をかけていた、そのとき。

    「うるさい」

    後ろから、はっきり聞こえた。男の人の声で。

    一瞬、時が止まったような間があった。
    掃除機の音が遠のいて、
    自分の生唾を飲み込む音だけがやけに大きく聞こえた。

    もちろん振り返っても誰もいない。
    それに今日は男性衆はこの寺院にいない。
    お客様もすでに全員帰られている。

    頭だけは妙に冷静に動いていた。いや、でも、この状況は何だ?

    私はゆっくり前を向いて、掃除機を手に取り直した。

    うるさいってなんやねん!!! こっちは仕事しとんじゃ!!!

    そう強がってはみたものの、掃除機を持つ手は少しだけ震えていた。
    頭の中の恐怖を振り払いながら、私は掃除機を畳に擦り付けていた。



    海を越えてくる


    昨今、高野山の宿坊利用は海外勢が圧倒的に多い。
    特に北米やヨーロッパからの観光客が後を絶たず、
    イタリアからの団体ツアーやフランスからの家族連れもいる。
    高野山・宿坊という、いかにも“THE JAPAN”な舞台にもかかわらず、
    この寺院でも多種多様な言語が飛び交う毎日だった。

    その日、私がお部屋案内の担当をしていたのは
    スペインから来たカップルだった。
    部屋に入った瞬間、大きな瞳を見開いて感動している。
    簡単に部屋の説明をして、こたつに入ってもらう。
    これまた感動している。

    先ほどまで熱心に説明に耳を傾けてくれていたのに、
    すっかりくつろいでスペイン語で2人で会話している。
    冬のこたつから出られなくなるのは万国共通らしい。
    微笑ましいなぁ、と思ってニコニコしていた、そのときだった。

    「……….has llegado a un lugar estupendo……….」

    自分の後ろから、スペイン語ではっきりと声が聞こえた。

    ん? と思って振り返っても、誰もいない。
    しかも近くのお部屋にも、まだお客さんはいないはずだ。
    内容はわからない。けれど、何やら彼らと会話するように、
    私の耳を横切って、彼らの元へ行ったような、そんな気がした。

    えっと……彼ら、スペインから何か連れてきた?

    目に見えないものにも言語差ってあるんだ。
    そりゃそうか……と妙に納得して、
    私は部屋を出て、ドアをそっと閉めた。

    ドア越しに、彼らの楽しそうな声がうっすらと聞こえていた。
    それが複数人の会話に聞こえたのは、きっと気のせいだと思う。



    姿が見える


    正直、女子寮は最初からいや〜な感じだった。
    寺院の敷地内の奥にある、比較的新しくて綺麗な寮なのだが、
    水場の上に建てられているのかかなりジメジメしていて、
    真冬なのに乾燥機をつけていないと部屋がカビてしまうらしい。

    私も霊感はないが、「ここなんかやだなぁ」くらいの感覚はわかる。
    そしてあの修行僧の彼は言った。

    「女子寮の方はなんかいるっす」

    1ヶ月住まなきゃいけないのに、そんなこと言うなよ……
    と思いながらも、ここで過ごす以外に選択肢はなかった。

    2階建てで全10部屋のこじんまりとした女子寮。
    その廊下は窓が閉まりきっていて、光がほとんど入らない。
    朝でも夜でも、なんとなく気味が悪かった。
    しかもトイレや洗濯機は1階、お風呂は母屋にしかない。

    そう、日々の生活の中で、
    何度も何度もこの廊下を通らなければならない。
    しかも不幸なことに、私の部屋は2階の、
    階段からいちばん遠い奥に位置していた。

    毎日夜20時頃、私は母屋のお風呂へ向かった。
    気味の悪い廊下を歩くので、少しでも気分を上げたくて
    Bluetooth接続のイヤホンをつけて音楽をかける。
    かろうじて豆電球ほどの明かりがついた薄暗い廊下を歩き、
    階段を降りようとした、そのとき。

    イヤホンから「ザザザ」と音が聞こえた。

    気のせいか、とも思ったが、それ以降、何度も何度も、
    ここを通るときだけ「ザザザ」と接続が悪くなる現象が続いた。
    私はイヤホンをつけて廊下を歩くのを、そっとやめた。

    それでも毎日通らないといけない。
    できるだけ最小限にするため、お風呂のついでにトイレも済ませ、
    夜はなるべく廊下を通らないようにしていた。


    だが、その日はどうしても夜中にトイレに行きたくなり、
    意を決して廊下を歩き、1階で用を済ませた。
    ほっとして、急いで2階の自分の部屋の前まで戻った、そのときだった。

    私は、ちら、と廊下を見てしまった。

    廊下の先、階段付近に見えたのは、
    ヒトのような形をした、ヒトではない何かだった。

    どす黒い寸胴の胴体に、かろうじて付いている黒く長い髪。
    女性のようにも見えるし、大きな黒い塊にも見える。
    こちらを見ているようにも思える。

    いや、そもそもあれは存在しているのか?
    見間違いではないのか?
    いろんな考えが一気に浮かんで、鼓動だけが速くなる。

    それでも、目に映るそれは、消えなかった。

    (ダメだ、あれは、見てはいけないものだ)

    私は鳴り止まない鼓動を無理やり押し込めて、
    すぐにピシャ、とドアを閉め、鍵をかけ、布団に潜り込んだ。
    小さな出窓のついたそのドアには、とうとう目を向けられなかった。

    翌朝、まだ薄暗い出勤の時間。
    そーっと廊下を見ると、それはいなくなっていた。

    気のせい、か?
    気のせい、か。

    そう思い込むことにした。


    後から聞いた話では、あの階段に近い部屋には、
    以前からあまりよくない空気がまとわりついていたらしい。

    昔、その部屋にいた女性が職場内で嫌がらせに遭い、
    相当やつれたまま辞めていったことがあったのだという。

    ちょうど私と同時期、その部屋に住んでいた若い派遣の女の子も、
    周囲との関係があまりうまくいっていなかった。
    悪気なく人から恨みを買ってしまうようなタイプで、
    周りからもかなり疎まれていた。
    私もその子の「純粋な悪意」に疲れてしまい、距離を置いていた。
    結局、その子は早めに辞めてしまった。

    何か嫌な波長が、あの場所には溜まりやすかったのだろうか。
    アレが何だったのか、今はもう知る由もない。

    ちなみに、その次にその部屋に入った子は
    明るく天真爛漫な子で、仕事もよく頑張っていた。
    彼女は今までなぜか誰も開けようとしなかった
    廊下の窓を開け、光が入るようにした。
    すると、あの廊下の気味の悪さはずいぶん和らいだ。
    イヤホンの「ザザザ」も、いつのまにか聞こえなくなっていた。

    辞める直前、私はこの話を同僚の派遣の方にしてみた。
    その方は、例の「純粋な悪意」の子のことを
    特によく思っていなかったこともあり、

    「その子がソレ、連れて帰ったんじゃない?」

    と笑っていた。
    その声が、廊下にそっと響いていた。



    存在が感じられる


    その宿坊には大きな炊事場があった。
    お客様の食事はそこで用意され、そこから私たちが各部屋へ運び込む。
    宿坊での食事はいわゆる精進料理だ。
    宿坊によっては調理人がいることもあるし、外部から発注する場合もある。

    私たちの職場の中心地ともいえるその炊事場の近くに、
    一室、休憩室があった。そしてその休憩室の前には階段があり、
    その階段は住職たちの住居へとつながっている。そんな造りだった。

    仕事にも少しずつ慣れてきたある日、
    私はいつものように休憩室でごはんを食べていた。
    掃除の比重が意外と大きいこの仕事は毎日へとへとになる。
    でも、お寺をピカピカに掃除するなんて、なかなかない経験だ。
    一休さんみたい〜、ともぐもぐのんびり考えていた。

    休憩室は静かだった。
    今日はもうみんな退勤し、早々に部屋に戻っている。
    近くには、私ひとりしか、いないはずだった。

    そんなとき、タッ、と音が聞こえたような気がした。

    ん? と思ったが、あまり気にすることなく、
    食器を洗おうと炊事場へ向かおうとした。

    休憩室の扉を開けた先、階段に小さな影が見える。
    その影が、私に背を向けて、階段を駆け上がっていく。

    住職の方にお子さんはいるが、すでに中学生だ。
    5〜6歳くらいの子と見間違うはずがない。

    そのとき、ふっと修行僧の子の言葉を思い出した。

    「ここ、座敷童子もいるんっすよね〜」

    そのまま炊事場に行き、食器を洗っていると、
    徐々に、先ほど認識したその影の輪郭が
    はっきりしてくるような感覚に陥った。

    えっと……黒髪のおかっぱで、男の子で、
    黒い長袖の服に、黒と赤のチェックのパンツを履いていた?

    そういう子が、あの階段を駆け上がって行ったよね?

    イメージを脳内で補完しただけだと言われれば、
    その通りなのかもしれない。
    けれど、どうも私にはそう思えなかった。
    しかも不思議なことに、怖くはなかった。


    とまあそんな話を、またまた同僚の派遣の方にしてみた。
    ちなみにこの方は熱心な真言宗の宗徒さんで、
    不思議な話もすんなり聞いてくれる人だった。

    すると彼女は言った。

    「私もあそこの休憩室で不思議な経験したよ」

    彼女も休憩室で休んでいるとき、
    うっすらと開いたドアの隙間から、
    「〇〇さん」と自分の名前を呼ぶ声を聞いたらしい。
    振り返ったが、誰もいなかった。

    はっきりとはわからないけれど、たぶん男の子だった、と。

    彼女は普段、周囲から苗字で呼ばれている。
    けれど同僚にひとりだけ、彼女を名前で呼ぶ人がいた。
    でもその人は女性だし、その日は外出しているはずだった。
    だから、その場で彼女を名前で呼ぶ人はいるはずがなかった。

    「2人も経験してるとねぇ、信憑性あるよね」

    あの男の子は何だったんだろうなぁ、と思いながらも、
    日々は静かに過ぎていった。
    毎日お寺を掃除して、お客様を迎え入れ、食事を提供した。

    1ヶ月はあっという間だった。

    そしてなぜかその間に、私は前からやりたかった仕事が決まり、
    急遽東京に出向くことになった。
    さらにその少し後には、ずっと気になっていた人と、
    急接近することになった。

    どちらも、もともと私が望んでいたことだった。

    その寺院で、明確に何かを願った覚えはない。
    けれど、あの場所が、私の中にあった
    その望みを引き出してくれたのかもしれない、と思う節がある。

    寺院での住み込み生活が終わるころ、
    布団を片付けようとして休憩室の前を通ったとき、
    あの階段に、あの男の子がいるような気がした。

    ハッとして階段を直視しても何も見えなかった。
    けれどまた徐々にイメージが鮮明になってくる。
    小さな黒髪のおかっぱの男の子が、
    ちょこんと階段に座って膝を抱え、こちらを見ている。

    そんなイメージだった。

    感謝してくれている、のだろうか。

    そのときもやはり不思議と怖くはなく、
    私は「ありがとう」と心の中で呟いた。

    正直、そのとき動き出した願いは、どれも軽いものではなかった。
    東京に出向くことになった仕事は思っていた以上に大変だったし、
    急接近した彼との関係の中では、
    これまで経験したことがないほど感情を揺さぶられた。

    でも、どちらも確実に私の視野を広げ、自分の糧になる出来事だった。
    あの経験がなければ、この宿坊での1ヶ月を含めた
    私のリゾートバイトの生活の2年間は、
    もっと味気ないものになっていただろうと思う。

    もともと私は、自分の知らない世界や知識が
    この世にはいくらでもあると思っているので
    不思議な世界の存在も、頭ごなしに否定していたわけではない。
    存在していてもおかしくない、とどこかで思っていた。

    ただ、この高野山での1ヶ月を通して、
    私はそれを「あるかもしれない」ではなく、
    「たぶん、いや、きっとある」と思わずにはいられなくなった。

    私には霊感なんてないし、
    高野山を離れてからは、こうした不思議な体験もしていない。
    これから先も、たぶんしないと思う。
    それでも、あの場所で見聞きしたものだけは、
    気のせいだったとは思えない。


    後書き


    1ヶ月の生活を終え、自分の部屋を掃除して、
    私はその寺院を後にした。
    ケーブルカーで極楽橋まで降りると、
    もう山はすっかり春の陽気だった。

    さあ、乗り換えよう。

    そう思って前を向いたとき、
    頭の中にいたあの男の子が、小さく手を振った気がした。
    私は一瞬立ち止まったが、そのまま振り返らず前を向いて歩き出した。

    そしてこの1ヶ月は、私にもうひとつ別の問いも残した。
    人はなぜ、見えないものを信じるのだろう、ということだ。
    →【高野山・思考編】に続く



     
     

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