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記憶の糸

    掘り炬燵でみかんを食べ、将棋を指し、姉たちはお手玉に興じる。
    かるたを囲む正月の風景を思い出すと、懐かしい記憶が静かに蘇る。

    銘仙の町に生まれ、上毛かるたの中で育った。
    実家の機織り機も、甘かった桑の実も。今はもう遠い。
    桑畑が住宅地へと姿を変えても、あの頃の情景だけは、私の中に織物のように残っている。

    あの日、海に入ってわずか二十分。
    足首を走ったのは、電流のような痛みだった。

    犯人はブルーボトル。
    青く美しいその姿とは裏腹に、触手は容赦なく肌を焼き、私の自由を奪った。
    友人たちが笑い合う浜辺の端で、私はひとり、腫れ上がった足首を抱えていた。

    こんなはずじゃなかった、と
    自分の中で何かがほどけた。

    わずか二十分の出来事
    けれど振り返れば、この痛みもまた、私の物語を形作る1本の糸だったのだと思う。

    完璧に整った布地よりも、
    思いがけない痛みや、理解できない笑いが織り込まれたほうがいい。

    少し歪んで、
    それでも、残る。

    夕暮れの商店街には、豆腐屋のラッパが遠くまで響く。
    朝顔に水を打てば、土の匂いが立ちのぼる。
    田んぼではカエルが鳴き、空にはトンボが舞い、川のせせらぎがすべてをつないでいく。

    何気ない、けれど温かい日常の音。
    それは、今でも確かに私の中で鳴り続けている。

    最近、私はあえて雑踏のなかを歩く。
    情報の波に身を置き、記憶を鍛えるためだ。

    そんなある日、ふと昔の記憶が蘇った。
    隣を歩いていた友人の頭に、鳥の糞が落ちた日のこと。
    あまりにも見事で、不謹慎ながら笑ってしまった、あの瞬間。

    その直後だった。
    足元、わずか二十センチ先に、「ピチャッ」と
    音が落ちた。

    そこにあったのは、小さな半熟卵のようなもの。
    ーー鳥の糞だった。

    四歩進んで立ち止まり、私は振り返る。

    そして、翌日。

    仕事帰り、ふと立ち寄った公衆トイレ。
    用を済ませて外に出たその瞬間、頭に「カサッ」と何かが当たった。

    思わず身をすくめる。
    昨日の記憶が、鮮やかによみがえる。

    ついにやられた。
    あのカラスに追いつかれたのだと。

    恐る恐る頭に触れる。
    ――何もついていない。

    足元を見ると、落ちていたのは一枚の紙だった。
    壁に貼られていた注意書きが、剥がれ落ちただけだったのだ。

    なんだ、紙か。

    安堵と同時に、少しだけ可笑しくなる。
    昨日と今日のあいだで、私はすっかり「被害者」になっていたらしい。

    けれど、確かに私はそこにいた。
    カラスの糞に怯え、剥がれた紙に驚き、
    その一つひとつを、勝手に物語へと編み込んでいく。

    人生は、いつも整った布ではない。
    思い込みや偶然が交差し、糸はときに歪む。

    それでも、だからこそ。

    その歪みごと、私は自分の記憶として織り続けていく。




     
     
    言葉になりきらない感覚や、わずかな違和感をすくい上げるように書いています。 主に短編のかたちで投稿しています。

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