
『完璧な男』第15話03「札を剥がす夜」15-07

■【前回までの話】

拘置室で目覚めた結菜は、朝の光へ手を伸ばす。
「……おはよう。志水結菜。……やっと、ちゃんと目覚めたね」
何十年も奪われていた名を、ようやく自分のものとして受け入れる。
同じ日の夕方、汐留で折口は岩村に告げる。
「葛城立真は死んだ。 ──いや、死んだんじゃない。消えた。女に戻った」
だが岩村は、「葛城立真はもういない」と言われても揺らがない。
名前や姿ではなく、自分が見てきたのはただ「その人」だったと答える。
その頃、「少女X」の写真と医療記録が流出。
13歳の少女と現在の立真を並べた映像が、瞬く間に社会へ拡散していく。
テレビやSNSは「美少女が完璧な男になった」と熱狂する。
松村はその光景に激怒する。
「あいつの痛みを、“改造”の素材にして消費してんだよ!」
葛城立真が消え、志水結菜がようやく現れたその日。
社会は早くも、彼女の人生を新しい「物語」として消費し始めていた。
◆年表:札を剥がす夜◆
◆構造起点◆
葛城立真は、もともと少女として生まれた。
十三歳の春、父・葛城顕臣の判断により、
「完璧な男」を実現する国家計画の中核に据えられた。
その過程で身体は制度的に再構築され、
声を失い、戸籍は上書きされ、
女性としての将来は完全に断絶された。
この改変は不可逆であり、
彼の人生は父の決断から始まっている。【第一段階:再構築】
2019:団地→愛宕邸(01-01〜01-05)/監視選定開始
2019:身体改変・声喪失/完璧な男の誕生
2019年4月:嶺征学園高等部2年に13歳で編入
2019秋:「ドーナツ事件」
2019晩秋:「桐塚高校事件」
【第二段階:制度への固定】
2021:成人式、「成人登載儀礼」
2022:性別変更に抵抗、タカ(高橋孝)と共に逃亡
2023:捕縛・タカの死/「再構成」による少女性の根絶
2024:国際戦略応用大学(ISAU)開校
2026:メディコア・ホールディングス登壇式、身体完全体へ
2029:北郷と会い、目覚める
【第三段階:覚醒】
2035:制度輸出段階(虎ノ門・ISAU)
2038夏:立真長女の認知
2038冬:芝浦マザー号制圧戦
2041冬:構造庁解体
2058:カフェ再会・告白開始(01-01)/過去記録の覚醒■ 本編
Scene15-07【場所:南青山・メディコアホールディングス中枢執務室/2046年初夏夜】
フロアの主照明は落とされ、
青白いモニターの光だけが深夜の執務室を切り取っていた。
無数のキーボードの打鍵音と、
暗号化回線で特命弁護士団へ飛ばされる迅速な指示だけが
フロアの空気を震わせている。
松村は動かない左手を体に引きずるように固定したまま、
右手一本だけでキーボードを叩き、
タイムラインのノイズを冷酷に弾いていた。
重いガラス扉が開き、夜の湿った風を纏った岩村が戻ってくる。
ネクタイを緩め、上着を肩に引っかけた岩村の目の下は、
どす黒く沈んでいた。
灰皿には吸い殻が山をなし、
コーヒーカップの縁には乾いた染みがこびりついている。
岩村はデスクに書類鞄を放り出し、
椅子に深く身体を沈めて、ふーっと長い息を吐き出す。
「……厚労省の局長室で、事業譲渡のスキームを迫られた」
岩村はこめかみを指で強く揉みほぐしながら、低く吐き捨てた。
「午前中は主幹事証券の吊し上げだ。
『違法な人体改造スキームがリークされた。
社会的信用はゼロだ』だとよ。
……笑わせるな。
この十数年、あいつの脳が叩き出すシステムに
どれだけおんぶに抱っこでインフラを維持してきたか、
綺麗さっぱり忘れてやがる」
声を荒らげることはない。
深夜の静寂の奥へ溶かすような、低く、ごく小さな呟きだった。
「自分たちもその設計図の上で甘い汁を吸ってきた共犯者のくせに、
いざ中身が十三歳で壊された少女だと知った途端、
被害者面して手のひらを返しやがった。
……怯えてるんだよ、あいつらは。……クソが」
松村は右手でキーを叩く手を止めず、モニターの光を見つめたまま応じる。
「会社は国家の医療インフラだ。
役所も本気で潰せるわけがないと分かっていて、
神輿の挿げ替えを急がせている」
岩村は短く息を吐き、問いかけた。
「……立真の未完成マニュアルのトレースは?」
「俺の脳が焼き切れるのが先か、
防壁が完成するのが先か、ってところだ。
あいつの頭でしか処理できないクリティカルなバグが山ほど残ってやがる」
「……で、そっちの『お掃除』の進捗は」
松村は右手で、タブレットを岩村のデスクの上へと滑らせた。
「第三陣まで完了。
海外の主要パブリッククラウドと国内プロバイダに対し、
発信者情報開示請求の仮処分を同時多発で申し立てている。
四八時間で全主要ノードのIPを押さえる」
岩村はタブレットのログに目を落とし、冷徹に目を細めた。
「松村、特命弁護士団への指示を切り替えろ。
個人の名誉毀損や表現の自由の土俵で戦うな。
審理の引き延ばしに何ヶ月もかかる。
法律構成は『法人に対する営業権侵害とブランド価値毀損』だ」
岩村は煙草に火をつけ、深く紫煙を吸い込んだ。
「書き込みの主目的が『善意の同情』だろうが関係ない。
あいつの『改造された肉体』をおもちゃにして
『かわいそうに』と
品定めしている一文字ごとに、
株価毀損の実害算定をガチガチに適用してブチ込め。
お前のその安っぽい同情のせいで
数億円の経済的損害が出たという事実だけで、
一般民の人生を社会的に叩き潰す。
今ここで本家のガバナンスを力づくで安定させなきゃならない」
松村は右手一本でキーを叩く手を一瞬だけ止め、岩村を振り返った。
「──要するに、グッド・バッド分離ってやつか?」
「そうだ」
岩村は紫煙を吐き出し、短く頷いた。
「本家に泥を全部残して、盾にする。
その時間稼ぎの間に、あいつの事業を子会社として完全に切り離し、
外部資本を入れて独立・隔離させる防弾壁を作る。
ガバナンスの数値をここで安定させるのは、そのための絶対条件だ」
「了解だ」
松村は右手一本で再びキーを叩き、
岩村のリーガル・コマンドをシステムへノータイムで落とし込んでいく。
「主要な検索エンジンとプラットフォームに対しても、
法的通知を盾にインデックスへ介入させる。
トレンドワードからの隔離、検索導線の非表示化。
タイムラインから消すんじゃない。
一般民の網膜に触れない『世界の外側の空白』へ、システムごと逸らす」
松村の奥歯が微かに鳴る。
右手でタブレットの画面をスクロールさせると、
まだ処理が追いついていないタイムラインの端で、
かつての笑顔と今の改造された肉体の対比画像が、
グロテスクな同情の言葉と共に躍っては消えていく。
「世間も役所も、自分の共犯関係から目を背けるのに必死だ。
あいつが積み上げてきた歴史も業績も全無視して、
安全な場所から綺麗なエンタメの『悲劇の少女』として消費しやがる。
……反吐が出る」
ターン、と。
右手で叩き込まれた重いエンターキーの音が、深夜の執務室に響いた。
「……あいつを終わらせていいのは、
一番底底でその設計図を食らってきた、俺たちだけだ」
岩村は煙草を灰皿に押し付け、短く笑った。
「新CEOの初仕事にしては、悪くない戦いだ。
……残りのノイズも、全部焼き払え」
松村は右手一本でキーボードへ指を走らせ、
残るノイズを容赦なく空白へ叩き落とすべく、
再び暗がりへと戻っていった。
Scene15-08【場所:公安監査医療棟・特別接見室から第2観察室/2046年初夏早朝】
アクリル板越しに、弁護士がタブレットと書面を差し出してきた。
「岩村CEOの指揮で、構造改革は維持されています」
結菜はガウンの袖から指先を伸ばした。
弁護士が画面の一行を指し示す。
「民事仮処分のため、この損害賠償請求の証拠書類をご確認ください」
画面には、冷酷なログが並んでいた。
『貴重な女の子が1人、世界から消えちゃった。
今の姿じゃ、もう一生、誰からも愛されるわけないよね』
結菜の指先が止まる。
喉の仏が微かに上下し、側頭部に青い筋が浮かび上がった。
だが彼女はすぐにペンを握り、書面に署名した。
「私は大丈夫です。
このまま進めてください。心配はいりません」
結菜は椅子を引き、背筋を伸ばして接見室を出た。
重い防音扉が閉まった。
第2観察室には、湿った風が窓を擦る音だけが響いている。
上本が、静かに書類から目を上げた。
結菜はソファの端に深く腰掛け、窓外の曇り空を見つめた。
唇の端が歪に上がる。
「見たんです。コメントも、動画も」
結菜は低く笑い声を漏らした。
「“可哀想”だなんて。
……ふふ、貴重な女の子、ですか」
上本は黙って結菜を見つめた。
結菜は小さく肩を揺らす。
「誰も、今の私を見ていない。
あのときの私が、消費しやすいだけです。
笑えるようになるまでの時間を、誰一人見ていなかったのに」
口元が引き攣る。
結菜は両奥歯を噛み締めた。
爪が手のひらに白く食い込み、息を喉の奥で止めた。
上本がペンを置き、強張った結菜の指先を見る。
「ここは、お前を縛る場所じゃない」
上本は目を真っ直ぐに向けた。
「痛いなら、痛いと言え。
……泣いていいぞ」
──これが、私の自己責任だというの。
──逃げるって、どうすれば逃げられたの。
──何をしたら、私のまま、生き残れたの。
結菜の肩が激しく跳ねた。
指先から力が抜ける。
開いた手のひらがソファに落ちた。
頬を伝い、一筋の涙が静かに床へ零れ落ちた。
