
『完璧な男』第9話06「消された父」09-15

■ 【前回までの話】

生き残ってしまった「空の器」の悲哀
暗がりのK-laboで、立真たちは歴史から抹消された男たちの
「空白の記録」を繋ぎ合わせる。
浮かび上がったのは、社会をコントロールしていると信じていたエリート官僚たちが、
搾取され、 用済みになればすり潰されるだけの部品だったという残酷な真実。
「愛する者の傍に自分の名前を残したい」
人間として当たり前の『我欲(エゴや愛)』を
システムは個人の感情を不純物として徹底的に排除する。
「設計した大人たちが全員消え去ったのに、なぜあんただけが頂点にいる?」
松村の問いに、立真は静かな絶望とともに答える。
完璧な男は、愛を抱けない自らの悲哀を背負いながら、
名もなき者たちに「存在」を与えるための戦いへと深く潜っていく──。
◆年表:消された父◆
◆構造起点◆
葛城立真は、もともと少女として生まれた。
十三歳の春、父・葛城顕臣の判断により、
「完璧な男」を実現する国家計画の中核に据えられた。
その過程で身体は制度的に再構築され、
声を失い、戸籍は上書きされ、
女性としての将来は完全に断絶された。
この改変は不可逆であり、
彼の人生は父の決断から始まっている。【第一段階:再構築】
2019:団地→愛宕邸(01-01〜01-05)/監視選定開始
2019:身体改変・声喪失/完璧な男の誕生
2019年4月:嶺征学園高等部2年に13歳で編入
2019秋:「ドーナツ事件」
2019晩秋:「桐塚高校事件」
【第二段階:制度への固定】
2021:成人式、「成人登載儀礼」
2022:性別変更に抵抗、タカ(高橋孝)と共に逃亡
2023:捕縛・タカの死/「再構成」による少女性の根絶
2024:国際戦略応用大学(ISAU)開校
2026:メディコア・ホールディングス登壇式、身体完全体へ
2029:北郷と会い、目覚める
【第三段階:覚醒】
2035:制度輸出段階(虎ノ門・ISAU)
2038夏:立真長女の認知
2038冬:芝浦マザー号制圧戦
2058:カフェ再会・告白開始(01-01)/過去記録の覚醒■本編
Scene09-15【場所:港区六本木K-labo/夜、2038年冬】
白い光が机を照らす。
K-labo。別日の夜。
スクリーンには「巣」に関する断片的な資料が並ぶ。
立真が静かに語る。
「この制度には設計図がある。
だが“設計者”が見えない」
岩村が頷く。
「マザー、か」
「そう呼ばれている。実際には、もう存在しない可能性が高い。
残っているのは制度に埋め込まれた“思想”
──彼女の残滓だけだ」
日下部が訊く。
「じゃあ、依頼してきた“あの女”は?」
「あの女もマザーの子だ。
巣の“次世代の後継者”の一人に指名されていた存在
……彼女は表向き、若き管理責任者として動いていたが、
実態は違う。
“母の思想と構造をそのまま内包した継承体”。
名前ではなく、
男を使い捨てるという“意思”が受け継がれている」
「血だけじゃないってことか」
岩村が忌々しげに呟く。
「だからこそ、自分の恋人すら切り捨てて、
お前を『父』に選べたわけか」
立真は静かに頷いた。
「価値観まで、組み込まれている。
この構造では、男は“役目を終えたら死ぬ”。
そして女──“マザーの子”だけが制度を継ぎ、
輪廻の中心に入る」
「ああ。だが、理由はそれだけじゃない。
この国の社会構造の問題だ」
立真はモニターの光を浴びたまま、
淡々と続ける。
「あの女が就いていた生殖工学の『倫理管理官』という立場は、
どれほど正しい倫理や優れた技術を持っていようと、
“女”である以上、
社会の最終的な意思決定からは弾き出される。
この国にはそういう絶望的なガラスの天井がある」
日下部が顔をしかめた。
「……じゃあ、
自分が社会で生き残る『合理的な未来』のために、
葛城立真っていう最強の“男の看板(神輿)”を利用したってことすか。
娘の本当の父親になるはずだった恋人を切り捨ててまで」
「そういうことだ」
「うわぁ……」
日下部は顔を引きつらせ、
大げさに机の端に突っ伏した。
「自分が生き残るために彼氏見殺しにして、
今度はその彼氏の仇を討ってくれってあんたに頼んでんすか?
……マジで勘弁してくれ。
俺、今のでライフがゼロになったんすけど。
その女、人間の心どこに置いてきたんすか……」
岩村が冷たく吐き捨てる。
「それがこの狂った構造における『合理的』ってやつだ。
女は天井に弾かれ、
男は部品としてすり潰される」
松村が目を伏せる。
「巣の運営者たちも、
“母”の存在には触れていない。
ただ、設計された手順をなぞっているだけだ。
……そこに“命令”は存在しない。
あるのは、“選択肢”という形で与えられる“必然”だけだ」
岩村が机の上の報告書に手を置く。
「なるほどな。
勝手に選んだように見せかけるってことか」
「そうだ。
本人の自由意思に見せかけて、“勝たせる場所”を用意してやる。
あの女たちは“落ちた”んじゃない。
“逸らされた”んだ。
やさしく、静かに……その方が、傷がつかない分、深く残る」
立真はファイルを閉じる。
その手は、どこかしら震えていた。
「この制度の裏には“女が勝つ構造”がある。
だがそれは“産ませる構造”の裏返しでもある。
マザーは選び、
孕み、
産み、
男を使い捨ててきた……そして、
あの女がそれを引き継ぐはずだった」
立真はそこで言葉を区切り、
伏せていた目を上げた。
「だが、その完璧な継承者が今、
自分の恋人を消されたことで、
巣の構造に反旗を翻した。
……内部で何が起きているのかは分からない。
だが、あの女が俺に仇討ちを頼んできたということは、
俺たちにとってこの狂った構造を内側から食い破る鍵になる」
「だが、一つ解せないことがある。
その完璧な継承者であるはずの女が、
なぜ外部の俺に『消された男の仇を討ってほしい』と頼んできたのか」
岩村が険しい顔で呟く。
「……マザーの思想通りなら、
用済みになった男の死なんて無視すればいいはずだろうが」
立真は静かに頷いた。
「ああ。あの女が個人的な感情で動いたのか、
それとも巣の内部で何かが狂い始めているのか……まったく見えない。
あの女の真意も、この巨大な巣の実態も、
俺たちにはまだ手掛かりすらない。
ただ……薄気味悪いほど、底が知れない」
日下部が呟く。
「まるで、神話だな。
蜂の巣の中の女王みたいなもんか」
「神話で終わればよかったが……これは制度だ。
そして俺たちは、
その制度の“最終出力”に立っている」
日下部が怪訝そうに眉をひそめ、
首を傾げた。
「……ちょっと待って。
さっきから聞いてりゃ
……そもそもその『マザー』とか『マザーチルドレン』って、
いったい何なんすか?」
Scene09-16【場所:港区六本木K-labo/夜、2038年冬】
静寂が落ちている。 研究所内の空気が、重力のように沈み込む。
岩村が次の映像ファイルを呼び出そうとしたが、立真が手で制した。
「…次はいい。今は、これで十分だ」
彼の声は低く、静かに続いた。
「この構造の核心は、取り込まれた者ではなく、
“取り込まれなかった者”に現れる。
巣の中に入った者は名前と役割を与えられ、勝者として設定される。」
視線はスクリーンではなく、虚空を見ていた。
「…だが、外にいる男たちは精子提供の資格すらない。
ただ“社会構造の設計外”として置かれている。」
日下部が苦笑のように息を漏らした。
「つまり…選ばれなかった、ってことか」
「いや、“最初から想定されていない”んだ。
愛することも、結婚して子どもを持つこともない。
ただ“世界の外”に置かれる。…静かに、確実に」
岩村が呟いた。
「静かな、抹殺か。」
「そうだ。何も奪われない代わり、
何も与えられない。生きる理由も死ぬ資格もなく、
ただ“なかった者”として沈んでいく」
立真の目に、かすかに怒りの火が灯る。
「俺は、その空白に名前を与える。
語られなかった者たちに“存在”を返す。
それだけが、俺に残された役目だ」
しばらく沈黙があった。
そして日下部がぽつりと口にした。
「それが…あの時、お前が香水に気づいた理由か。
“語られていないもの”を追ってたんだな」
立真は応えなかった。
代わりに、ファイルの一枚を手に取り、机に置いた。
松村がつぶやく。
「…それでも、巣の中にも“落ちる奴”はいるだろ。
全員が勝てるはずがない」
立真は首を横に振った。
「“マザーチルドレンに敗者はいない”。
遺伝子から環境まで、
全てが“勝者の配置”として組み込まれている。
成功したからじゃない。“マザーチルドレンだから成功する”んだ」
「自由でも、努力でもない…ってことか」
「運命だ。彼らにとって“負ける”という選択肢は存在しない。
どこへ行っても、負けを知らない同じ目をした奴らがいる」
松村が声をひそめる。
「普通、ひとりぐらい壊れるだろ…でも、いないのか。“ひとりも”」
立真が応じた。
「それが、いちばん恐ろしい。
外の男たちは“敗者”としてすらカウントされず、
“設計図に描かれなかった空白”として消えていく。
…語られることもなく──」
松村は顔を伏せ、微かに呼吸を荒らげた。
「……なあ、“マザー”って、いったい何なんだ?」
日下部が、耐えきれなくなったように不意に口を開いた。
松村は窓の外へ目を向けた。
埠頭の植え込みに、季節外れの八重桜が咲き残っている。
「“人の名前”じゃない。制度そのものの呼び名だよ」
「富国強兵の時代、
“優秀な兵を産む女”を囲って、思想を維持する巣が作られた。
……その系譜の象徴が、八重桜だ。あの紋は、“家系の証明”なんだ」
「……顕臣が作ったのか?」
日下部が口を挟む。
松村は首を振った。
「違う。あいつは作ったんじゃない。継いだんだ。
“再現者”じゃなく、“保護者”だった。
狂った理念を制度に変えて、守り続けた」
「だが、男を育てても完成しなかった。
だから、“女を男に改造すればいい”──そうやって生まれたのが……」
松村の視線が、立真へと向く。
「……お前だよ、立真」
凍りつくような沈黙が部屋を支配した。
日下部が、探るような目で松村を見た。
「……やけに詳しいな、お前」
「俺も、“そっち”にいたからな」
窓の外に視線を戻し、松村は吐き捨てるように漏らした。
「あの花だけは──今でも、正面から見られない。……嫌いだよ」
松村は乱暴に椅子を立ち上がった。立真たちを見ようともしない。
「……俺は、マザーがいた医療施設や宗教法人の“巣”を洗う。
八重桜の紋の出所だ。……悪いが、今日はもう抜ける」
逃げるように話を打ち切り、松村は背を向けてK-laboを出て行った。
残された立真は、その背中を止めることなく、
静かに残りの二人に視線を向けた。
「岩村は構造の継承例と死者の記録を。
日下部はチルドレンの証言を拾え。
……あの花の髪飾りと同じものが見つかるかもしれん」
「了解した」
「任せろ」
Scene09-17【場所:港区芝浦某ラウンジ/夜、2038年冬】
六本木から一人離れ、
松村は芝浦のラウンジで冷めたコーヒーを握りしめていた。
端末の通知音が鳴るも無視し、窓に映る自分を見つめる。
立真の言葉が耳から離れない。
『外の男たちは“敗者”としてカウントされない。
設計図に描かれなかった空白として消えていく』
ふと、白い服の影が視界を横切る。香りはない。
ただの幻覚だ。
だが、非常階段へ向かう足が自然に動いた。
逃げなければ。
錆びた手すりに触れた瞬間、記憶の濁流が蘇る。
『お前は失敗作』
階下に着いた時、彼は立ち尽くした。
足元にあの施設と同じ、
八重桜の紋が刻まれた髪飾りが落ちているように見えた。
「……あの施設のマークだ」
汗が首筋を伝う。
非常階段の暗がりで、松村の体が激しく震え始める。
視界がゆがみ、壁のコンクリートが波打つ。
「……ここは、夢か?」
声も出せない。 階を下るたび、幼い日の自分が増えていく。
無表情で白衣を着た女たち。 『適性なし』『抹消対象』──
ラウンジの明かりが遠のく。
現実と幻覚の境界で、松村は冷たい床に片膝をついた。
「……あいつらは、消したんだ。俺を」
夜の非常灯が、幻の髪飾りを照らす。
八重桜の花弁が、血の滴のように赤く輝いていた。
