
『完璧な男』第5話03「捕縛」05-11

■ 【前回までの話】

◆年表:捕縛◆
◆構造起点◆
葛城立真は、もともと少女として生まれた。
十三歳の春、父・葛城顕臣の判断により、
「完璧な男」を実現する国家計画の中核に据えられた。
その過程で身体は制度的に再構築され、
声を失い、戸籍は上書きされ、
女性としての将来は完全に断絶された。
この改変は不可逆であり、
彼の人生は父の決断から始まっている。2019:団地→愛宕邸(01-01〜01-05)/監視選定開始
2019:身体改変・声喪失/完璧な男の誕生
2019 4月、嶺征学園高等部2年に13歳で編入
2019 秋、「ドーナツ事件」
2019 晩秋、「桐塚高校事件」
2021:成人式、「成人登載儀礼」
2022:性別変更に抵抗、タカ(高橋孝)と共に逃亡
2023:捕縛・タカの死/「再構成」による少女性の根絶■本編
Scene 05-11【場所:港区 訓練施設/2023年 秋・早朝】
翌朝、立真は目覚ましより早く起き上がった。
洗面台で顔を洗い、剃刀を手に取ると、鏡に向かってにやりと笑った。
「今日も絶好調だな──俺」
声は軽く浮いていた。
口調が不自然に明るい。
だが、それが今の立真を守る鎧だった。
訓練場では冗談を飛ばすようになった。
「教官、タイム縮んでますよ?
そろそろ引退考えたほうがいいんじゃないっすか」
誰も笑わなかったが、立真は一人で笑い続けた。
空元気だった。
誰の目にも明らかな虚勢。
しかし、それが
“制度にとって理想的な完成形”だった。
翌朝の空はまだ薄明るく、警備ドローンの影が漂っていた。
立真は定刻より二分早く起床し、ベッドを寸分の狂いなく整えた。
制服の皺一つなく、点検を待たずに“合格”されるレベルだ。
頭皮は剃られていたが、もはや「剃る」行為自体を意識していない。
「整備する」──それは自律動作の一部に変質していた。
午後の戦闘訓練区域では、
弾着・姿勢反復・無呼吸ダッシュ・30kg耐荷歩行を完遂した。
命令すら不要で、制度の望む最短経路を機械的に駆け抜ける。
教官が呟いた。
「……あれが完成品か」
動作に無駄がなく、視線が揺れない。
反撃の間合いは設計図と一致している。
終了後、立真は誰とも目を合わせようとしなかった。
夜の部屋は無音だった。
点検済みの頭皮、整然としたロッカー、一直線に並んだ軍靴。
ベッドに入る動作さえ計測可能な規律で行われた。
消灯後、寝返りを打つ。
額に汗がにじむ。
夢の中で声なき叫びが響く──
戦場ではない、遠い過去の風景。
掴もうとして掴めなかった髪。
血臭の中、消えていく誰かの背中。
──そして最後に響く声。
「……息子よ」
その声にうなされながらも、
立真は朝を迎える。
Scene 05-12【場所:港区愛宕葛城邸・自室/2023年 秋・深夜から朝】
夢の中の暗い廊下。
誰もいないのに足音だけが響く。
白い服の少女が遠くに立っている。
腰まで伸びた髪が闇の中でなびき、
うつむいた目が何かを訴える。
声は出さないが、唇が動く。
──たすけて。
立真は視線を背ける。
耳を塞ぐ。
それでも少女は近づいてくる。
──おねがい。
──わたしを、ころさないで。
その瞬間、
立真は夢の中で叫んだ。
「黙れ──!!」
あれから、何日が経ったのか。
夜ごと、あの夢は繰り返された。
逃れようのない暗い廊下。
その先に立つ、白い服の少女。
腰まで伸びた黒い髪が、闇の中で意志を持つように凪いでいる。
彼女はうつむいたまま、ただそこにいた。
ときに、震える唇が声なき声を紡ぎ、立真の鼓膜を直接震わせる。
──たすけて。
──わたしを、ころさないで。
「黙れ──!!」
立真は夢の中で絶叫し、己の耳を壊さんばかりに塞いで目を覚ます。
冷たい脂汗が、剃り上げられた項を伝い、軍用ベッドのシーツを汚した。
それでも夢は、寄せては返す波のように彼を侵食し続けた。
だが──
ある朝、その姿が不自然に遠ざかっていた。
翌朝には、彼女の輪郭が陽炎のように曖昧になっていた。
さらに数日後、目覚めた立真は、あれほど執着していたはずの彼女の「髪の長さ」さえ思い出せなくなっている自分に気づく。
声はすでに、聞こえなかった。
それはもはや意志を持つ人間ではなく、ただの影だった。
拭い去れない血臭のような、あるいは何かの残り香のように、
彼女は静かに、夜の底へと沈んでいった。
そして、運命の朝。
秋の冷気が満ちた部屋で、立真は静かに起き上がった。
その瞬間、彼は自らの呼吸が、
かつてないほど深く、静謐であることに気づく。
胸を圧迫していた「重み」が、ひとつ、軽くなっていた。
代わりに、腹の底には冷たく、かつ熱い「芯」が宿っている。
背骨を伝って、肉体が一本の鋼の線へと収束していく。
それは、教官たちが「完成品」と呼ぶ、
無駄のない兵装としての身体そのものだった。
──もう、いない。
その確信だけが、冷徹な真理として体の内側に降りてきた。
かつての自分。
かつての痛み。
それら全てが、制度という機構に塗り潰されたのだ。
誰かが、扉の向こうで気配を整える。
「……立真さん。朝食、お持ちしますね」
いつものように、世話役である馬場の、穏やかだがどこか怯えを含んだ声。
「……ええ。お願いします」
その返事に、廊下で数秒の沈黙が落ちた。
扉を開けようとした馬場の指が、止まる。
「……あら。なんか……」
それ以上、言葉にはならなかった。
馬場には、扉越しに伝わってきたのだ。
中にいるのが、以前の、あの危うい少年ではないということが。
だが、もう説明はいらなかった。
変わったのだ。
立真の中で、少女は完全に、永遠に消えていた。
そこに残されたのは、
ただ立っているだけで崩れることのない、
制度が望んだ「完璧な男」の器だけだった。
Scene05-13【場所:港区愛宕葛城邸・外事管理局第3会議室/2024年 春】
場所:外事管理局 第3会議室
出席:制度統括官、演出課責任者、広報管理補佐、法務局記録官 ほか
重い静寂が室内を覆う。
顕臣は静かに席を立ち、一冊のファイルを広げて淡々と読み始めた。
■ 退院当日・広報資料(マスコミ向け配布文)
葛城立真様は、昨年発生した交通事故により
長期療養を続けておられましたが、
本日、無事に退院されました。
医療チーム・教育機関の連携のもと、慎重なリハビリを経て、
心身ともに順調に回復されております。
徐々に社会復帰を進めていく予定です。
引き続き、ご理解とご支援をお願い申し上げます。
■ 顕臣ノート:退院報告日・父子再会後(演技記録)
記録:005
社会復帰・儀式面会
日時:3月25日
場所:本邸第1会議室(演出用整備済)
目的:対象の社会的復帰に伴う“父子関係再構築儀式”
指導:秘書課・外事管理局合同演出チーム
【演出構成】
対象服装:陸式礼服/背筋固定用アンダーベルト装着
表情訓練:前日20回以上、目線・眉・口角指導済
【所感】
対象は、扉を開けたとき、わずかに右足を強く踏みしめていた。
息を吸う音が大きく、咽喉部が跳ねた。
それ以外のすべての動作は、訓練通り。
私は、数秒の沈黙を置いた後、
静かに立ち上がり、
“抱きしめた”。
それは演技だ。
だが──
それでも、
抱きしめたとき、
胸の奥にわずかに、震えがあった。
私は言った。
「私を悲しませないでくれ、息子よ」
その言葉の意味は、“絶対に裏切るな”だ。
その抱擁の意味は、“おまえはまだ所有されている”だ。
そして私は心の中で、もう一つ言った。
「──誰にも渡さん。たとえお前自身にすら、な。」
だが、立真は、
何も言わず、何もこぼさず、
“腕の中で立ったまま崩れなかった”。
あれは、最後の躾だった。
あとは、
立真が二度と、逃げない限り──
この構造は保たれる。
顕臣は何事もなかったようにファイルを閉じた。
会議室内の空気が、わずかに変わった。
「……つまり、抱擁すら訓練通りに」
制度統括官が低く言った。
「はい」
顕臣は頷く。
「予定通りです。すべてが、順調に進行しています」
「本人の反応は?」
「動揺なし。涙なし。崩れもなし。
身体的徴候は若干見られましたが、演出効果内に収まりました」
「……成功、ということでしょうか?」
顕臣は少しだけ目を伏せ、それから言った。
「うまくいったよ。
これで、“彼女”はもう戻ってこない」
その言葉を、立真は扉の外で聞いていた。
軍靴を揃えた足は微動だにせず、背筋も崩れなかった。
完成した体。
制度が望んだ「完璧な男」。
だが──
その目だけが、深い寂しさを湛えていた。
少女は消えた。
それでも、生きてしまった。
