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『完璧な男』第13話03「お前はわしの宝だ」13-05

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    ■【前回までの話】

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    メディコアの職員食堂。
    立真、岩村、日下部は、殺伐とした日々の中で、
    つかの間の穏やかな食事をともにしていた。

    しかし、日下部がうっかり口にした「前髪」をめぐる一言に、
    その場の空気が止まる。立真は怒らなかった。
    表情すら変えないまま、ただ一筋の涙をこぼした。

    日下部が言葉を失い、岩村が呆れた視線で静かに会話を収める。
    そこには、三人にしか成立しない不器用な親密さと、
    立真の身体に残された喪失があった。

    その夜、誰もいないメディコア中枢執務エリアで、
    立真は一人、システムに向き合っていた。
    それは、かつて自分からすべてを奪った「構造」を終わらせるための準備だった。

    仲間には何も告げない。助けも求めない。
    青白いモニターの光の中、冷静な横顔の奥に昼間の涙を残したまま、
    立真は一人で最後の決断を進めていく。

    ◆年表:お前はわしの宝だ◆

    ◆構造起点◆
    葛城立真は、もともと少女として生まれた。
    十三歳の春、父・葛城顕臣の判断により、
    「完璧な男」を実現する国家計画の中核に据えられた。
    その過程で身体は制度的に再構築され、
    声を失い、戸籍は上書きされ、
    女性としての将来は完全に断絶された。
    この改変は不可逆であり、
    彼の人生は父の決断から始まっている。
    【第一段階:再構築】
    2019:団地→愛宕邸(01-01〜01-05)/監視選定開始
    2019:身体改変・声喪失/完璧な男の誕生
    2019年4月:嶺征学園高等部2年に13歳で編入
    2019秋:「ドーナツ事件」
    2019晩秋:「桐塚高校事件」
    
    【第二段階:制度への固定】
    2021:成人式、「成人登載儀礼」
    2022:性別変更に抵抗、タカ(高橋孝)と共に逃亡
    2023:捕縛・タカの死/「再構成」による少女性の根絶
    2024:国際戦略応用大学(ISAU)開校
    2026:メディコア・ホールディングス登壇式、身体完全体へ
    2029:北郷と会い、目覚める
    
    【第三段階:覚醒】
    2035:制度輸出段階(虎ノ門・ISAU)
    2035冬:「黒硝子の間」事件
    
    【第四段階:全面抗争】
    2035夏:「六本木KK抗争」
    2038夏:長女の認知
    2038冬:芝浦マザー号制圧戦
    
    【第五段階:構造の解体と清算】
    2041冬:構造庁解体宣言
    2041年(〜2046年):父・葛城顕臣の死
    2046年春:四女の認知
    2046年初夏:メディコア中枢システムの全ライン停止/立真の逮捕
    
    【第六段階:自己奪還】
    2058:カフェ再会・告白開始(01-01)/過去記録の覚醒

    ■ 本編


    Scene13-05【場所:港区愛宕葛城邸・台所/直談判前夜】

    直談判を翌日に控えた夜、葛城邸の台所には、
    換気扇が低く回る音と、
    水がステンレスのシンクを叩く音だけが響いていた。

    表向きは葛城邸の「家政婦」
    として振る舞う馬場房子は、手際よくグラスを拭き上げていた。
    その背中に向かって、栗栖が絞り出すように口を開いた。

    「……また徹夜です。
    私たち女性陣が次々と倒れている分まで、
    あの子は全部一人で被ろうとしてる。
    自分の儀式を止めることも休息も後回しにして……っ」

    馬場はグラスを戸棚に戻し、ゆっくりと振り返った。
    「あの子はね、
    『自分が犠牲になれば、この構造ごとみんなを救える』
    と思い込んでるのさ。
    自分が止まれば誰かが死ぬ。
    だから一人で全部背負う。
    それが、完璧な男として生きるってことだと信じて疑わない」
    「でも、変わろうとしないその姿を見せられ続けることが、
    逆に私たちを一番苦しめてるのに!
    あの子はそれに全く気づいてない!」
    栗栖の目に悲痛な色が滲む。

    「明日、女性スタッフ全員で突撃します。
    直談判してでも、あの子に自己犠牲をやめさせます」
    馬場はふきんを畳み、事もなげに言った。

    「……どうだかね。まあ、やってみな」

    修羅場をくぐり抜けてきた馬場には、
    直談判の「結果」がすでに見えているようだった。
    だが、彼女はそれ以上何も言わなかった。

    翌日の午後、メディコア・ホールディングスの中枢執務エリアでは、
    立真と岩村が机を挟み、積み上がった書類を整理していた。
    重厚なドアが、ノックもそこそこに開かれた。
    立真と、書類整理をしていた岩村が振り返る。
    そこには、分厚いファイルを手にした栗栖を先頭に、
    旧構造の女性秘書や女性スタッフたちがずらりと並んでいた。
    皆、ただならぬ悲壮な決意を顔に浮かべている。

    「……なんだ?」

    立真が怪訝そうに問うと、
    栗栖が無言でファイルをデスクに叩きつけるように置いた。
    表紙には太字で
    《葛城立真氏の、
    毎朝の剃髪儀式および男性化維持処置の中止を求める嘆願書》
    と記されている。

    「……は?」

    立真と岩村は、完全に絶句した。
    「もう、あなたを縛る人は誰もいないんです!」
    栗栖が声を震わせる。

    「こんなこと、もうやめてください!
    身体を休めて、元のあなたに──」

    背後の女性陣も、口々に

    「これ以上自分を削らないで」
    「どうかお願いです」

    と詰め寄る。
    その熱量と圧に、さすがの岩村も一歩後ずさった。

    栗栖は嘆願書の上に、薄い包みを置いた。
    「いつか戦いが終わったら、なんて言いません。
    これなら、今のあなたのままでも、
    今すぐ身に纏うことができるはずです。
    私たちからの、願いです」

    立真は包みを手に取り、中を開いた。
    紺色のシルクのスカーフが現れる。
    立真の瞳孔が開いた。

    「あっ……」

    と声が漏れ、口元に微笑みが浮かぶ。

    「……ありがとう」

    スカーフを両手で持ち上げ、頭へと持っていく。
    シルク越しに、自身の頭をそっとなでた。
    その手が止まる。
    背筋が伸びる。
    目に悲しみの色が浮かび、すぐに冷徹な目つきへと変わった。

    立真はスカーフを嘆願書の上に置いた。
    立真はしばらく呆然としていたが、
    やがて小さく息を吐き、静かに口を開いた。

    「……気持ちはありがたい。本当に」

    立真は嘆願書にそっと手を置き、
    女性たちを落ち着かせるように、ゆっくりと語り始めた。
    「でも、戻れないんだ。
    ……もし私が今、前髪を伸ばし、
    女性に戻る兆候を見せれば、この国はどう動くと思う?」

    女性陣が言葉に詰まる。

    「『完璧な男』という記号。
    それがあるから、政治家も公安も、
    構造の残党も私に手出しできない。
    私がこの姿でいること自体が、
    お前たちや、施設から救い出した少女たちを守る“最大の防壁”なんだ」
    立真は自らのつるりとした頭を指先でなぞる。

    「もし私が『女』に戻れば、連中は言うだろう。
    “神輿は壊れた”と。
    彼らは私を単なる『処理対象』に格下げし、
    一気に牙を剥く。
    ……社会が許容し、ひれ伏すのは、
    『完璧な男』という幻想だけだ」
    立真の目は冷徹に現実を見据えていた。

    「イメージチェンジの実害は、私の命だけじゃない。
    私が守るべきすべてのものの崩壊だ。
    ……だから、降りられないんだよ。
    この神輿からは」

    その圧倒的な現実と恐怖を前に、女性陣は言葉を失った。

    立真が
    「女に戻りたくない」
    のではなく、
    「女に戻れば皆が死ぬから戻れない」
    という絶望。
    栗栖が顔を覆う。
    ほかの女性たちも涙ぐみながら俯いた。

    立真は困ったように目を伏せ、
    「すまない」
    とだけ呟いた。

    Scene13-06【場所:港区愛宕葛城邸・台所/夜】

    その日の夜。
    愛宕邸の台所は、重苦しい沈黙に沈んでいた。
    小さな作業用テーブルの椅子に深く沈み込み、
    栗栖は両手で顔を覆っている。
    その肩が微かに震えていた。

    コトリ、と陶器の鳴る硬い音が響く。
    湯気を立てる琥珀色の紅茶。
    淹れたのは馬場だった。

    「……飲みな。
    あんたが泣いて脱水症状になったって、
    あの子の決意は変わらないよ」

    馬場は自分用のマグカップを手に取り、静かに言い放つ。
    栗栖は顔を上げず、震える声で絞り出した。

    「私たちが……あの子を、あんな風にした加害者なのに。
    あの子はまだ、自分を盾にし続けてる。
    自分が『完璧な男』の防壁でいなければ、
    私たちが殺されるからって……!」

    昼間の執務室での光景が、呪いのように栗栖の網膜に焼き付いていた。

    「そうさ。
    あの子は『神輿』から降りる気なんてさらさらない」

    馬場はマグカップの縁をなぞり、ドライな視線をシンクの蛇口へ向けた。
    「自分がボロボロになってでも、
    最後まで『完璧な男』として責任をとりきるつもりだろうさ。
    それが、あの子に刻まれた呪いだからね」

    栗栖が顔を上げる。
    その目には、後悔と痛覚の涙が滲んでいた。

    「じゃあ、どうすればいいの……っ。
    このままじゃ、あの子は自分を殺し尽くしてしまう!」
    「簡単さ」
    馬場は一口だけ紅茶を含み、事もなげに言った。

    「本人が男の神輿から降りられないって言うなら、
    私たちがその神輿ごとピンク色に塗っちまえばいいのさ」
    「……え?」
    栗栖が目を丸くする。

    馬場の口角が、修羅場をくぐり抜けてきた女特有の、好戦的な弧を描いた。
    「あの頭とスーツは脱げないんだろう。
    だったら、吸ってる空気と座ってるソファくらいは、
    こっちの権限で女の子のものに改造してやる。
    環境ごと『女の子の部屋』にハッキングしてやるのさ」
    それは、制度の中枢を担ってきた女たちによる、
    前代未聞のクーデター宣言だった。

    「……怒られるわよ。絶対」

    栗栖が鼻をすすりながら、わずかに吹き出す。

    「いいじゃないか。
    あの子が『女の子』として私たちを怒ってくれるなら、本望だろ? 
    私たちが加害者だっていうなら、
    最後まであのコを甘やかす責任があるだろ」
    馬場が差し出したふきんを受け取り、栗栖は静かに立ち上がった。
    冷え切っていた台所の空気が、確かな熱を持ち始めていた。

    数日後、メディコア・ホールディングスの中枢執務エリアでは、
    ささやかな変化が起きていた。
    昼。
    会議室、各部門の報告を受ける立真。
    午後。
    旧工場棟の視察。
    構内は静まり返っている。
    夕刻。
    元職員との面談。
    重い空気、うなずくだけ。
    夜。
    書類の山と再編計画。
    照明が消えてもPCの明かりだけ残る。
    深夜。
    仮眠。
    手元にスケジュール表。
    眼鏡を外す暇もない。

    ──その合間。

    立真のロッカーに、
    肌触りの良いピンクのタオルが掛けられていた。
    用途不明。
    翌日には、休憩所に明るい色のマグカップ。
    誰のものかは不明。
    冷蔵庫にはいちご味のプロテイン。
    本人は飲まない。
    棚の端に色とりどりのヘアゴム。
    用途はない。
    さらには、加湿器からローズとカモミールの香りが漂い、
    休憩用ソファにはクマのぬいぐるみが置かれた。
    誰が置いたかは、誰も言わない。
    けれど、それらは確実に“増えていた”。

    その執務室は、気づかぬうちに、
    ゆっくりと“女性サロン”のようになっていった。

    「おい、岩村……ここ、司令室だよな?」

    後始末の手伝いで出入りしている日下部が、
    アロマの香りにむせながら目を丸くする。
    岩村が呆れたようにため息をついた。

    「……女たちのクーデターだ。
    『本人の外見を変えられないなら、
    せめて空気と空間だけでも女の子にしてやる』ってな。
    栗栖たちの差し金だろ」

    立真は、その「女性サロン」
    と化した執務室のど真ん中で、
    クマのぬいぐるみが置かれたソファに座り、
    冷徹な顔で防衛省の資料を読んでいた。

    「……立真さん、それ、落ち着くのか?」

    日下部が恐る恐る聞くと、
    立真は静かに顔を上げ、眉一つ動かさずに答えた。

    「……香りがいい。悪くない」

    その顔は完全に「葛城立真」だったが、
    傍らに置かれたハーブティーのカップを持つ両手は、
    しっかりと温もりを確かめるように添えられていた。

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    阿野全成研究32年。沼津週末移住、阿野館こと大泉寺で2021年より土日祝に観光ガイド実施中。小説『阿野全成伝』を2025年に全50話、毎週土曜21時更新で連載予定。エジプト考古学からイスラーム法学と性別越境を研究。平日は「IT傭兵」稼業中。AL-QASAS株式会社代表取締役。

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