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根本的にサラリーマンに向いていないと思った理由

    前回の記事では、「私がFIREしたい理由」について書きました。

    簡単に言うと、「自分の人生を取り戻したかった」という想いが根底にあったからですが、目先の理由としては、シンプルに「サラリーマンに向いていない」と思ったからです。
    なので、FIREを目指す理由は、それっぽくいえば生存戦略、実態としてはただの逃げです(笑)

    他人軸で生きる人生であっても、もし自分にサラリーマンの適性があったとしたら、恐らくFIREは本気では目指していなかったと思います。
    なんだかんだ言っても、サラリーマンってやっぱり安定していますからね。

    今回は、なぜ自分がサラリーマンに向いていないと思ったか、改めて考えてみました。

    ※動画版はこちら。

    ①興味のないことを続けられないから

    多くの人にとって、興味のないことをするのは面白いものではありませんが、それでも生活のためと割り切って続けられる人と、どうしても続けられない人がいます。

    私は確実に後者のタイプです。
    というより、仕事として取り組む上で興味のある分野・職種というものがありません。

    学生時代に進路を考える際、多くの人は自分の興味がある分野や目指す将来像から逆算して進みたい道を選ぶと思います。
    私も当時の学生の多くがそうしていたように、自己分析を重ねて進路を日々考えていました。
    しかし、どれだけ考えても一向に「やりたい仕事」や「興味がある分野」というものが出てこないのです。

    趣味として、或いはサービスの受け手としてであれば、そこそこ興味がそそられるものは出てくるのですが、「自分が価値を提供する側としてやりたいことは何か?」と問われると、途端に何も出てこなくなります。
    人に何かを提供する、という行為自体に関心がないのかもしれません。

    大学時代に専攻していた分野は金融でしたが、それも興味があったというよりは、「何となく役に立ちそうだから」とか「単位が取りやすそうだから」といった打算的な理由でした。

    本来なら大学を選ぶ時点で将来の職業選択を見据え、それにフィットした学部・専攻を選ぶべきだったのですが、何も考えていなかった高校生の私は、単純に受かった中で最も偏差値が高い大学を選んでしまったのでした。

    こんな調子なので、就職活動では結構苦労しました。
    自分を偽って就活マシーンに徹することでどうにか内定を手にしましたが、本質的に興味のある分野ではなかったので、結局は数年で転職してしまいました。

    転職先に選んだのは、どうにか興味が持てそうだった鉄道業界。
    しかし当たり前の話ですが、趣味と仕事は別です。
    結局、仕事は仕事として淡々と処理する毎日で、楽しさとかやりがいといった感覚は掴めず終いでした。


    ②労働で負う責任と義務が嫌いだから

    私はそもそも責任や義務といったものが嫌いです。
    特に仕事上で発生するものは。
    いい大人がそれはどうなんだという話ですが、嫌いなものは仕方ありません。

    そして世の中には無数の仕事がありますが、この2つが発生しない仕事は恐らく存在しないでしょう。
    どんな仕事もサービスと対価の等価交換ですから、対価を受け取るなら役務を提供する義務がありますし、それが果たされなければ、然るべき責任を取らなければいけません。
    それが契約社会の原理原則です。

    ただ、身も蓋もないことを言ってしまうと「こちとらやりたくもないことやらされてんのに、何で責任とらされたり詰められなきゃいけないのか」という心情が常に頭にあります。

    考え方が幼稚すぎるのは百も承知ですし、好きとか嫌いという話ではないことも理解していますが、できるならば責任も義務も一切負わずに、気楽にのほほんと生きていきたいと思っています。


    ③集団への帰属意識が希薄だから

    世の中には、「仕事は好きではないけど、組織や仲間が好きだから頑張れる」という人が一定数います。

    日本ではメンバーシップ型の組織が多く、異動や配置転換も頻繁に行われるので、仕事そのものが好きだからというより、自分が属する組織に貢献したいから、というモチベーションで働いている人も多いように見受けられます。

    この「集団への帰属意識」という点でも、私はその感覚がかなり希薄です。

    「自分の属する集団」と「個としての自分」を完全に分けて考えているため、会社がいくら成長しようが、金銭的なリターン等の形で自分に直接恩恵がない限り、正直興味が湧きません。
    もし組織が傾いたら離脱すればいいや、という考えが常に頭の片隅にありました。

    もちろん自分に課せられたタスク・役割を全うするように努力はしてきましたが、それは対価をもらっている義務感からそうしているだけで、組織やチームのためではありません。

    よく社長や役員が新年度等の節目で所信演説をしますが、「どうでもいいな」と思ってしまいろくに聞いていませんでした。
    学校で聞く校長先生の長話と大して変わりません(笑)
    一方で、演説の文言を一言一句聞き漏らさずにメモに取っているような人や険しい顔をしながらうんうん頷いている人も見かけます。

    こういう人達は特に中高年社員に多く、組織の成長を自分事として捉えている節があるように見えました。
    目線が自分ではなく組織に向いているので、自分の興味関心とか得意不得意といった「余計なこと」は関係なく、組織が命じた職務を忠実に実行できるのでしょう。
    こういうロイヤリティの高い社員は組織にとっても貴重な存在ですし、サラリーマンとして生きるなら一つの到達点だと思います。
    長年勤めているうちに愛着が湧いたというのもあるでしょう。

    私はその領域には到達できませんでしたし、正直、目指したいという気持ちも湧きませんでした。
    自分が作った会社ならいざ知らず、他人が作った他人の会社で、たまたま雇われて働いているだけです。
    帰属意識が芽生える理由がありません。

    逆に、異様に帰属意識の高い人たちは会社を退職したらどうするんだろうと不思議に思っていました。
    よくOBのおじいちゃんがフラフラと職場にやってくる光景を目にしましたが、はっきりいって仕事の邪魔だなぁと思っていました。

    一方で、組織に愛着を持ち、同僚や会社の人間を家族や友達同然に捉えて仲良くしている人は、やはり傍目から見て楽しそうで、充実しているように見えたのも事実です。


    ④満員電車が嫌いだから

    地味に大きい理由が通勤です。
    通勤時間は人生で最も無駄な時間だと思っています(笑)

    通勤時間は本を読んだり、オーディオ学習でインプットの時間に充てているという人がたまにいますが、そんな意識が高いことはとてもできません。

    まず、単純に疲れるじゃないですか。
    ただ移動するだけならまだしも、首都圏は満員電車に耐えないといけません。
    とある調査によると、満員電車のストレスは戦場の兵士より高いそうです。
    私は通勤するだけで体力の8割を持っていかれます。

    そんな不快感に毎日耐えて行く先が楽しい場所ならまだしも、会社ですからね。
    私は車掌の経験があるので、満員電車に乗ったことも乗せたこともありますが、いずれにしてもあの殺伐とした雰囲気は異様です。
    実際、車掌時代には必ずといっていいほどトラブルに遭いました。

    そんなただでさえ苦痛な通勤ですが、さらに問題なのは通勤費の全額が社会保険料の計算基礎に含まれていること。
    つまり、通勤によって心身が擦り減らされるだけでなく、金銭面でも削られているということです。

    コロナ騒ぎの時はフルリモート勤務だったので非常に快適でしたが、最近はすっかり出社回帰が進み、また以前と同等か、観光客の増加も踏まえるとよりひどくなっているように感じます。
    この一連の流れから、特に首都圏においては満員電車が消滅する未来は当分来そうにないので、自分から離れたいと強く願うようになりました。


    ⑤先が見えなかったから

    あくまで私自身の話ですが、サラリーマンという生き方の延長線上に良い未来が描けなかったのも大きな理由です。

    上司や組織から与えられた仕事をただ受け身でこなしているだけでは、「降ってきたものを処理するだけの人」のままです。
    それでも問題なくやっていける人もいますが、私は前述の通り、興味のないことができない人なので、いずれどこかで詰みます。
    何せ降ってくる仕事は選べませんから。

    ではどうしたらいいか。
    自分で仕事を選べるようになるしかありません。
    興味がない仕事は他人に押し付け、自分はやりたい仕事だけを選び取って、楽しめるように環境を整えていく。
    それができる立場になれば良いのです。

    勿論、平社員がそんな働き方をするのは難しいので、ある程度出世して偉くなる必要があるでしょう。
    要するに、自分の仕事を自分でコントロールできる状態ですね。

    しかし、自分がそのステージに行くのは無理そうだなと思ったのです。
    単純に能力が足りないというのもありますが、それ以上に「面白そう」より「しんどそう」という気持ちが勝っていたからです。

    ポジションが上がれば裁量は増えますが、当然ながら義務や責任も増えます。より経営側に近づくので、組織へのロイヤリティもより強く求められるでしょう。

    多少仕事がしやすくなるのと引き換えに、自分が嫌っているものが割増でのしかかってくるのであれば意味がありません。
    「現状のまま平社員でいる」
    「頑張って出世する」
    そのどちらを選んでも苦しいだけだと思ったのです。


    ⑥人生の選択権がないから

    私が勤めてきた会社では、所属部署、勤務地、仕事内容などに関して、自分で選択できる余地がほとんどありませんでした。
    一応自分の希望を伝える仕組みはありましたが、あくまでも形式的なもので、希望が叶うことなんてまずありません。
    私の職場だけでなく、恐らく日本国内の多くの組織はこんな感じだと思いますし、特に事務系総合職の場合はこの傾向が強いと思います。

    どんな仕事をするのか、どこで働くのか、誰と働くのか。
    これらは生活に直結しかねない大きな問題であるにも関わらず、会社側から一方的に指示された内容をただ受け入れるしかありません。
    辞令ひとつで、全く知見のない仕事を担当させられたり、見知らぬ土地に飛ばされたり、下手をすると出向という形で別の組織に行けと言われることさえあります。

    よく考えてみれば、これはすごいことです。

    まさに人生を会社に左右されているといっても良いでしょう。

    家庭持ちで東京にマイホームを買ったのに、地方を転々とさせられている人。
    英語が全くできないのに海外支店に飛ばされる人。
    逆に帰国子女で海外営業を長年担当していたのにシステム部門に飛ばされる人。
    事務職採用だったのに営業の仕事を担当させられる人。

    私の周囲にはこんな人達が大勢いましたし、私自身も望まない業務に配置換えさせられた経験があります。
    サラリーマン適性のある大人であれば、「まぁしょうがないか」とすんなり受け入れるべきなのでしょうが、私は新卒以来、この仕組みをずっと疑問に感じていました。


    まとめ

    ということで、私がFIREしたい理由を突き詰めると「興味のないことが続けられず、責任と義務が嫌いで、集団への帰属意識も希薄なわがまま人間」だからです。
    改めて文字にしてみると、とんでもない社会不適合者ですね(笑)

    でも、だからこそ私にとってFIREは単なる流行りではなく、この社会で自分らしく生き延びるための唯一の「生存戦略」なのだと考えています。

    適性がない場所で擦り減り続けるくらいなら、自分の弱さを認めて、自分が心地よくいられる場所を自分で作り出す。

    会社に人生の選択権を握らせる日々は終わりにして、これからはわがままな自分のまま自然体で生きる道を歩んでいきたいと思っています。

    それではまた!

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