見出し画像

あなたの正義は、今日も誰かを傷つけている。私の正義も、きっと。

世の中には、いろんな正義が溢れている。

「それは違うと思う」

「こうするべきだと思う」

「私はこういう考え方が好きじゃない」

SNSを開けば、毎日のように誰かが自分の考えを言葉にしている。

もちろん、私もその一人だ。

つい最近も私は、自分が違和感を覚えたことについて文章を書いた。

ほとんど交流のない人にまで声をかけて、お祝いのメッセージを集めることについて。

私は、人数を揃えるために感情のない言葉を集めるより、少人数でも本当にその人を知っている人からの言葉の方が嬉しいと思った。

だから、その価値観を文章にした。

私にとっては本音だった。

嘘は書いていない。

今でも、その考え自体が間違っているとは思っていない。

でも、ふと思った。

あの記事を読んで、傷ついた人はいなかっただろうか。

純粋に誰かを喜ばせたくてサプライズを企画している人。

たくさんの人から言葉を集めることに意味を感じている人。

過去に同じような企画をして、相手が喜んでくれた経験を大切にしている人。

そんな人が読めば、

「自分のやっていることを否定された」

と感じたかもしれない。

私は誰かを傷つけるために書いたわけじゃない。

ただ、自分の価値観を書いただけ。

でも、

「そんなつもりじゃなかった」

という言葉は、傷ついた人の傷を消してくれるわけではない。

そこで気づいた。

正義って、たぶんこういうことなんだと思う。

自分の中では筋が通っている。

自分なりの理由もある。

誰かを攻撃したいわけでもない。

それでも、その正しさが誰かの心を抉ることがある。

そして、それは私も例外じゃない。

誰かの正義に傷ついたとき、人は簡単に言える。

「そんな言い方しなくてもいいのに」

「人それぞれじゃん」

「自分の価値観を押しつけないで」

でも、自分が言葉を発する側になった瞬間、そのことを忘れてしまう。

「私はただ意見を言っただけ」

「間違ったことは言っていない」

「これは私の価値観だから」

それは全部、本当なのかもしれない。

それでも、その言葉が誰かにとって刃物になる可能性はなくならない。

正しいことと、誰も傷つけないことは同じじゃない。

そしてたぶん、

誰も傷つけない言葉を書くことなんて不可能なんだと思う。

どれだけ丁寧に書いても、

どれだけ言葉を選んでも、

読む人にはそれぞれ違う人生があって、違う経験があって、違う価値観がある。

同じ文章を読んで、

「めちゃくちゃ分かる」

と思う人がいる。

「言ってくれてありがとう」

と救われる人もいる。

そのすぐ隣で、

「そんなふうに言わないでほしかった」

と傷ついている人がいるかもしれない。

一つの言葉が、

誰かにとっては救いで、

誰かにとっては凶器になる。

それが言葉なんだと思う。

だからといって、

「誰かを傷つけるかもしれないから、何も言わない」

という結論にもしたくない。

それでは、自分の言葉で救われるかもしれない誰かにも届かなくなる。

私自身、誰かが書いた文章に救われたことがある。

「それでいいんだ」

「私だけじゃなかったんだ」

そう思えた言葉がある。

きっとその文章だって、別の誰かには不快だったかもしれない。

それでも私には必要な言葉だった。

言葉って、ものすごく面倒くさい。

同じ言葉なのに、

人を傷つけたり、

人を救ったりする。

そしてもっと面倒くさいのは、

自分がどちら側になるのか選べないことだ。

私は誰かの言葉に傷つく側でもある。

同時に、

誰かを傷つける言葉を放つ側でもある。

私は誰かの言葉に救われる側でもある。

もしかしたら、

私の言葉で救われる人もいるのかもしれない。

だから私は、自分の正義を捨てようとは思わない。

思ったことを全部飲み込んで、誰にも嫌われないように生きようとも思わない。

ただ、

自分が「正しい」と思っているときほど、一度だけ考えたい。

この正しさは、

誰かにとって刃物になるかもしれない。

それでも私は、この言葉を届けたいのか。

そこまで考えたうえで、それでも伝えたいなら、私は自分の言葉として責任を持って放ちたい。

誰かの正義で傷ついて、

誰かの言葉で救われる。

そして今度は自分が言葉を放って、

知らない誰かを傷つけたり、

知らない誰かを救ったりする。

たぶん、この繰り返しなんだと思う。

正義と悪が入り乱れた世界で生きている以上、

完全に傷つかず、

完全に傷つけず、

誰とも関わらずに生きることなんてできない。

だからせめて、

「傷つけるのはいつも他人で、自分は傷つけられる側」

だとは思わないでいたい。

あなたの正義は、今日も誰かを傷つけているかもしれない。

そして、

私の正義も、きっと同じだ。