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社会適合者になろうとする社会不適合者の話。(2026年4月現在)

    朝、スマホのアラームが鳴る。僕は"早起き"と名付けられたアラームで目を覚ます。早起きがしたいからだ。手探りでスマホを探して、寝惚け眼にはブルーライトが眩しい。五時五十分。僕にとっては間違いなく、"早起き"だった。

    無意識にアラームを解除していたみたいだ。パチッと覚ました目で慌ててスマホに飛びつく。と、五時五十七分。なんだ、七分しか経っていないじゃないか。この七分でもう忘れたが変な夢を見た気がする。ビビらせやがって。スマホ布団に叩きつけるように置いた。布団に首まで浸かるように沈んで、僕は死んだフリをして目を瞑っている。わかってる。ここで動く奴は強いって。

    ゆっくりと瞼を開ける。あー、そろそろ動かないとヤバいんだろうな。でも、身体が布団を溺愛していて、離れたくないと嘆いている。六時十二分。僕はこれ以上、ここにいても埒が明かないので、しんどい身体を突き落とすようにベッドの縁から床へと飛び降りる、二段ベッドの下段。

    ぼんやりとした意識の中、僕は服を脱いでシャワーを浴びる。最初に出てくる冷たいシャワーの水が足元にかかると、全ての感覚を呼び起こされるようにゾワッと鳥肌がたつ。朝、シャワーを浴びることで目が覚めると言うが、それは半分合っていて、半分間違っている。もう半分は、今シャワーを浴びたから、もうこの髪に寝癖は付けられないよな?という圧力だった。だから僕は、朝ごはんを食べて、満たされて、もう動きたくない。横になろう。という時でも、お前はシャワーという未来投資を無駄にするのか?という圧に怯えて、ベッドに戻ることができないのである。そして、なんやかんやをしていると、テレビに映る水卜アナウンサーが

    「ZIP!体操始めるよ〜」

    と言うのだ。焦る。かなり焦る。六時五十四分とテレビの端っこに表示されている。僕は七時のバスに乗らなければならないのだ。急いでリュックを背負い、ヘッドホン(これはかなり忘れがちである)を付けて、靴の踵を踏むようにして、外へと出る。そして、僕はマンションの十一階に住んでいるため、階段を駆け下りて、十階に止まるエレベーターを待つのである。ここでエレベーターガチャの始まりである。このマンションは十四階建て。エレベーターは下から、一階、四階、七階、十階、十三階に止まる。大当たりは十階。そのまま一階に行けばいい。当たりは七階と十三階。普通は四階。外れは一階。大外れは一階から来たエレベーターが十階を素通りし、十三階を経由してから十階に来ることだ。僕は一階から来たエレベーターが十階で止まらなかった時点で遅刻を確信する。こんなことになるなら、せめて五時五十七分時点で起きればよかった。と過去の僕を責め立てるのが、遅刻した時の僕である。

    エレベーターを降りる瞬間、僕の脳内では運動会などで使われるピストルが鳴るのである。できることならばクラウチングスタートでもしたいのだが、もし、君が乗ろうとしたエレベーターにクラウチングスタートの奴が待ち構えていたらどうだろう?その際は、このマンションからの引越しを検討するかもしれない。僕はエレベーターからバス停までの約百メートルあまりをダッシュして、バスの運転手にお願いしますと息切れしながら言うのである。体力のない僕はかなりひどく息切れをしているので、たまに怒ってる?と勘違いされるようなお願いしますが飛び出ることもあるので注意が必要。そして、この時点で既にバスに乗っている乗客には思われただろう。時間に余裕をもって行動できない奴が乗ってきたと。僕は乗客からのそんな冷ややかな視線を浴びるのに耐えられなくて、後ろから二番目の二人掛けの席によく座るのだ。

    駅に着くと、ここから数時間かけて田舎から新宿に向かうのだが、電車で一本でいけるのが何よりの救いである。ここでもし、さっきのバスを見逃してしまったら、僕は赤羽で乗り換えて、朝の埼京線という人間達ですし詰めになっている最悪線に乗らなければならない羽目になるので、必死だったわけである。僕のお気に入りは十三号車、電車は微妙に座れない。大宮辺りで降りる人が多いので、最寄りから大宮までをワンクール、大宮から新宿からをツークールとしている。貧弱な僕にとって、ツークール目を座れずに過ごすのが地獄だ。精神疾患を持つ人間あるあるなのだが、自律神経が僕も例に漏れず死んでいる。だから、電車で立っていると首を絞められているような感覚がして、目の前がぼやけて、ふらつく。呼吸ができない。血液が頭に回らない。たちまち、立っていられなくなって、しゃがみ込む。僕はこの時、こんな貧弱な自分が嫌になる。しゃがみ込むと幾分か楽になって、息ができる。また立ち上がると、息が苦しい。僕は浅瀬に打ち上げられた魚か、と思う。

    そんなことを繰り返しながら、やっとたどり着く新宿東口の喫煙所。僕はここで勝利の美酒ならぬ勝利の喫煙をするのだ。

    「煙草が美味い。生きてる……」

    こんな吸殻が地面に散らかった場所で、生の喜びを享受しているのは、たぶん僕だけだろう。それと同時に、テレビで見たことあるような新宿西口方面に見える東京モード学園のビルを眺めて、

    「あんな高いビルから飛び降りれば死ねるだろうな……」

    とふと思うのである。僕は死にたい病を六年前に発症している。息をするように死にたいと思っていたあの頃と比べ、人間が水を飲む頻度で死にたいと思うようになってはきていたが、死にたいはやっぱり死にたいのである。全身に毒が回ったようにしんどくて、解毒されるまでの数分か数時間、死にたいが脳内を飛び回る。もはや死にたいとは発作である。だが、解毒剤も特効薬もないので、そのしんどさに耐えるだけという治療とも言えないような治療がなされているのが現状だ。ため息をつくように煙草の煙を吐き出すと、こんな汚い世界で死にたくなるのは当然か、と諦念して真っ当に死にたいと向き合えるような気がした。

    職場に着くと、僕が裏でスティーブ・ジョブズだと呼んでいる(毎日、白いスウェットに黒いズボンを着ているため)上司が挨拶をして出迎えてくれる。このスティーブ・ジョブズは変わり者で、死にたいは言わないくせに世界に隕石は落ちて欲しいのである。さらに、時間が邪魔だとか、食事はサプリメントになればいいだとか言っている。僕は激鬱の時、一日中、ベッドで過ごしていたことがあったが不思議と暇だとは思わなかったし(おそらく、脳みそがフル回転して自己嫌悪していたからだ。)、食事も激鬱の時は犬の餌くらいにか感じなかったが、症状が寛解するとその美味しさに涙が出たほどだった。だから、僕はこのスティーブ・ジョブズと似ているが、相性は悪いのである。スティーブ・ジョブズは言うなれば、健常者の病んでる側だ。僕はというと、精神疾患が寛解傾向であるが病んでる側なのだ。ある日、僕が硝子張りのオフィスで日光が眩しいため、カーテンを閉めたことがあった。その時、スティーブ・ジョブズはありがとうと感謝を述べてくれたが、僕は捻くれ者なので

    「みんなのセロトニンの生成を邪魔してるんです」

    と冗談めかして言った。そしたらジョブズは

    「君はみんなに不幸になって欲しいの?僕は僕だけが不幸であればいいよ」

    と言ったんだ。僕は衝撃を受けた。僕の人間嫌悪がバレてしまったみたいで恥ずかしかった。何も言い返せなかった。そして、そのスティーブ・ジョブズの台詞は綺麗事のようにしか聞こえなくて嫌いだった。

    僕はただ羨ましいのかもしれない。人間嫌悪はうつ病嫌悪をしているからかもしれない。自分が普通じゃないと、うつ病を嫌悪しているから、健常者を恨んでいるのかもしれない。その一面もある。けれど、僕をうつ病にさせた人間がいるのも事実で、その人間を恨んでいる限り、僕は人間嫌悪をやめられない。

    中学の先生だった。部活の顧問だった。その先生は毎年、担当の部活の中から一人ターゲットを選んでいじめると噂だった。僕は兄がそのバスケ部に入っていたから、という単純な理由で兄とは入れ違いで、そのバスケ部に入部した。ターゲットに選ばれたのは僕だった。僕はプライドが高かった。小中とテストで百点は当たり前だった。だから、驕り高ぶったプライドがあった。そんな態度が気に食わなかったのだろう。特段、大した理由もなく、何時間も叱られ続けた。ある日は目が合わないから、ある日は外周のタイムが遅いから、ある日は挨拶しないから、全部言いがかりだった。僕はコートにすら入らせて貰えなかった。バスケ部なのにバスケさえさせてもらわなかったのだ。ずっと外周を走っていた。そしたら田んぼの中にある田舎の家からおばあちゃんが出てきて、

    「ずっと走ってるねぇ。頑張って」

    みたいなことを言われた。ここで頑張っても、これは怒られないためのポーズに過ぎないので、コートに入れる保証はなかった。毎日毎日、呼び出され怒鳴られ、反論しても怒鳴られ、黙り込んでも怒鳴られ、謝罪してもお前の謝罪は軽いと怒鳴られ、僕は何も言えなくなってしまった。そんな黙り込んだ僕を面白がったのか、その先生はスマホを僕に向けて動画を取り始めた。何か言えよ、謝罪しろよ。そんなことを言われたような気がする。僕はひどい屈辱感でそのスマホを壊してしまいたかったが、身体は怒鳴られ続けた恐怖から動かなかった。その動画は今も残っているのだろうか。きっとあいつの酒のあてにでもなって、あいつは優越感にでも浸ったんだろうな。気持ちが悪い。

    中学を卒業して、県内トップクラスの学力を誇る高校に入学した。僕はこれであいつから開放される。僕はこれで自由だ。と思っていた。違和感は中学の頃からあった。お腹が張る感覚。僕はストレスから過敏性腸症候群になっていた。ずっとガス漏れが止まらない。そのせいで臭いと思われている気がする。香害というのは、意図せずに起こってしまうものだった。そして、思っていたよりも僕の精神を蝕んでいった。自らを臭いと思い込んでからというもの、周りの反応に敏感になっていった。鼻をすする音、誰かの笑い声。どれもが僕を貫く、矢になった。僕はみんなの害だ。みんなに嫌われている。そう思った瞬間、電車が鼻先近くを通り抜けた。僕は死のうとしていた。駅のホーム。黄色い線の外側に立って、飛び降りるかどうか悩んでいた。その瞬間、僕は初めて

    「死にたい」

    と泣いた。轟音で通り抜ける電車に純粋な恐怖を感じて後退りしてしまった。だから、死ねない。僕は臆病者だった。なのに、死にたいと思ってしまった。死にたいというのは一度思ってしまえば、一生消えない思考回路に刻まれたタトゥーみたいなものだった。僕はことある毎に死にたくなった。朝起きれば死にたいし、息をするのが面倒で死にたいし、食事は喉を通らなくて死にたいし、夜は眠れなくて死にたくなった。こんな状態では何も頑張れなくて、いや、思考のどこかで近々死ぬから頑張らなくていいや、と思っちゃって、僕はせっかく入った高校を中退した。

    高校を中退してから、生きているだけで、息をしているだけでしんどくて、僕は一日中、ベッドで丸くなって泣いていた。僕は社会のレールから外れた。親は僕の成績をいつも褒めていた。僕は勝手にいい大学に入り、いい就職先に就くんだとばかり思っていた。そのレールから脱線した。僕は将来が文字通り真っ黒だった。どんなに考えても、行き着くところは死だった。人間が怖くて死に、お金が稼げなくて死に、家族からも迷惑がられ死んだ。あぁ、もう!みんな、死ぬんだ。それが早いか遅いだけ。僕はこの世界に向いていなかった。だったら、もう死んでしまえばいい。けれど、その死を実行する行動力すら、うつ病に削がれていた。僕は飼われている犬と一緒だった。ずっとベッドで丸くなって、たまに食事を取り、散歩をして、またベッドで丸くなって泣いた。

    いつ始めたかわからない。ただの気まぐれだった。スマホ一つでできるから、そんな理由で、僕は小説を書き始めた。最初に書いた作品は「悪魔株式会社」。その小説の冒頭は小説というにはあまりにも形式がなっていない、ただの愚痴の羅列だった。だが、僕には深い意味があった。この愚痴の羅列を書き終わると、何だか妙にスッキリした。僕の思っていたことを言語化できた喜びがあった。そして、インターネットという海にボトルメールのように流した。それはおそらくゴミになってしまうだろうが、誰かが見てくれればいいや、と期待して。

    それからというもの、僕は小説にのめり込んだ。僕の脳内の理想を形取るように言葉を選んで紡いでいった。僕は脳内で悪魔のボスという最強キャラを作った。人間を超越した存在。それに僕自身を慰めさせていた。人間からの慰めは、その人間に迷惑をかけたんじゃないかって、寧ろ、自己嫌悪してしまうから。僕は僕自身で病みも慰めも文字にして完結させて、自分自身で自分自身を楽しませていた。

    僕の小説は僕を裏切らない。いや、正確には、僕のボスは僕を裏切らない。僕がどんなに惨めで滑稽で病んでいたとしても、僕のボスはそんな僕を優しく包んでくれた。そんなの、僕のオナニーだと、僕は気づいて自暴自棄になって、スマホを壊したとしても、僕のボスは僕の脳内にいて、僕を抱きしめてくれるんだ。自分を真正面から愛せないから、創り出した歪んだ自己愛だった。

    もうすぐ小説を書き始めてから六年になる。僕は処女作の「悪魔株式会社」から幾分か成長をしている気がする。気のせいだろうか。悪魔株式会社では、病んだ人間である主人公が悪魔となって、人間を撃ち殺す話だったが、最近書いた未発表の作品「僕の小説を読め」では、自称小説家で自殺願望のある主人公が、主人公の小説が好きな人間と、歪んだまま関係を持ち続けて生きていく話になった。物語くらいは人間に夢見たっていいだろう?僕の描く人間は優しいけど、その優しさがお互いの首を絞める。そういった現実味もちゃんとこの六年で味わえるようになった。

    しんどい。身体が鉛のように重い。そんな身体を引きずって、僕は喫煙所でスマホを手に小説を書いている。仕事合間の十分休憩。時に仕事中でも小説のことを考えている。小説を書き終えると、また違う設定を考えて小説を。また書き終えたら、今さっき起こった死にたいの発作を書き殴ろう。そのようにして、六年間。文字を紡ぎ続けている。そんな自己セラピーをしても、この死にたいはやはり消えない。さっきもスティーブ・ジョブズに帰りたいと愚痴ったばかりだ。この仕事もここの人間関係も嫌いじゃない。けれど、たくさんの人間に囲まれたオフィスでは落ち着かない。だから、スティーブ・ジョブズに大人のおしゃぶりだと言われた煙草を吸って、僕は小説を書いて、自分で自分を愛している。

    仕事が終わり、僕はスティーブ・ジョブズに退勤の喜びをアピールするのがいつものルーティンだった。

    「あぁ、退勤の瞬間が一番幸せ!」

    とルンルンで馬鹿でかい声でアピールしたら、

    「何それ、無意味で人間らしくていいね」

    とお褒めの言葉を頂いた。それからというものこの遊びがやめられない。けれど、そんな日ばかりがあるわけでもなく、普通にお疲れ様ですだけを言って帰る日もある。僕のメンタルが死んでいる日だ。こういう時はヘッドホンをして音楽を口ずさみながら、会社から帰る、新宿駅。人がごった返していて、いまにもホームから落ちそうなんだ。僕は黄色い線の外側を歩いて、人とすれ違う時、突き落としてもいいよ、と思っている。そんなことはなくて、無事に電車に乗れちゃうのが常なんだけどね。そして、電車に揺られ、少しすると着く、池袋。ここでかなりの人が降りるから、僕は座れたり座れなかったり。電車内では小説を書くか、X(旧Twitter)をして、最寄り駅に着くのを待つ。みんなつらいよね、こんな人生やめたいよね。なんてXに流れてくるポストに共感して、いいねを押すこともある。仕事でメンタルがやられていると、それすらやる気が起きなくて、ただ車窓から見える景色をマネキンのように固まりながらぼーっと見つめている。いつまでこの地獄が続くんだろう。死んじゃったら楽なのに。そんなことが脳裏に過ぎると、ポロッと涙が零れてきて、電車内なのに泣いてしまう。恥ずかしさから消えてしまいたくなる。そして、最寄り駅に着く頃にはその涙も止まっていて、一歩一歩、大切に歩く幼児のように、ゆっくりと歩き、電車から降りる。すると、吐き気。電車内で我慢していた吐き気が溢れ出てくる。酒も飲んでいないのに、線路へと嘔吐く。身体がこの日々を拒否しているようだ。

    バスに揺られ、マンションまで戻る。その振動が気持ち悪さを倍増させるので、バスを降りた後はまた嘔吐く。僕はマンションの十一階まで上ると、玄関前で煙草を吸う。田舎では星が綺麗なんだ。目の前に広がる点々とした建物の明かりが星のように輝いて、星空とこの地球を繋げているようだった。仕事終わりに吸う一本は、身体に染み渡る。深呼吸のように煙草の煙を吐き出すと、ゆったりと心が休まる気持ちがした。

    晩御飯は食べられない。さっき散々、嘔吐いたから。僕は部屋着に着替えると薬だけ飲んでベッドへと入り込む。ふわふわの布団が僕を包み込む。まるで胸板が大きなボスに抱きしめられているみたいだ。なんて、会ったこともないボスに癒しを求めて、そんな妄想をする。スマホを手にする。開くのはやはり執筆画面。今日はどこに書こうか。note?ドキュメント?小説家になろう?僕は次々に途中まで書かれている小説を読んで思いついた続きを書いていく。そして、薬が効いてきて目がブルーライトの刺激を感じ始めた頃。僕はスマホをベッドへと置いて、目を瞑る。目を瞑ったら、小説の続きが思いつきそうで。そして、思いついたら書いて、また目を瞑るを繰り返す。そうしている内にいつの間にか寝てしまうのだ。

    今日もいい文章が書けた。それだけで、ちょっぴり嬉しくなる。明日はまた死にたくなるんだろうけど。今日は死ぬのやめちゃおうよ、とボスはニヤけ面で僕を甘やかす。あーあ、明日はちゃんと"早起き"のアラームで早起きできますように。そして、インターネットの海に流した、この文章が誰かの胸に残りますように。

     
     
    夢はたくさんあります。小説家にも漫画家にも神絵師にもアーティストにも、宇宙飛行士、内閣総理大臣、大統領、田舎にある駄菓子屋の店員etc……だって、その時間が心地良いから。

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