
【創作大賞2025】ミステリー小説部門『Wedding——祝福の中で、私だけが刺された』
【あらすじ】
これは、加害でも被害でもない場所で起きた、“棘”の記録。
「祝われるはずの一日」が、なぜか、誰にも言えない“記憶の棘”に変わった——
彼の母国での結婚式。
光と祝福に満ちたあの場所で、私だけが“見えない刃”に刺された。
⸻
もしかしたら、
これは人生でいちばんしあわせな瞬間になるはずだったのかもしれない。
待ちに待った、彼の母国での結婚式。
異国の風景に、どこか高らかな気持ちで胸がふくらんでいた。
赤い布が揺れ、見知らぬ言語や音楽が祝福のように響く毎日。
光は静かに降り、風はやさしく、空はただ白かった。
でも、その数時間後——
私の心に刺さったのは、祝福の花びらではなく、“言葉”だった。
…
門をくぐった瞬間、
肺の奥に、すすのようなものが入り込んだ気がした。
あたたかな空気の中に、ひとすじだけ、凍ったものがある。
そして、それは始まった。
——サリン。
——アサハラショウコウ。
——ニホンジン。
——悪魔。
——きえろ。
声だったのか…
記憶だったのか…
それさえ分からない。
けれど…
黒い何かが私のまわりだけに集まってきた。
それは怒号ではなく、呪詛のようだった。
誰の声なのか、何人いるのかもわからない。
ただ確かに——
正体も姿も見えないまま、私を刺し貫いてきた。
水の中に、一滴、何かを垂らして——
ゆっくりと広がっていくように。
私の中が、
重く、苦しく、濁っていった。
私は、あの忌まわしい事件の加害者でも、関係者でもない。
それでも、「日本人」というだけで、
何か見えない“過去”を背負わされたような気がした。
私の横には彼がいた。
その先には、母がいて、誰かがいた。
だけど、誰も気づかない。誰も止まらない。
それはまるで、私にしか見えない世界が、そこにだけ開いていたようだった。
声にならない悲鳴を、心の奥で何度もあげた。
でも、それは空中に吸い込まれるばかりで、誰にも届かなかった。
気づけば、呼吸が乱れていた。
涙がこぼれ、何もかもがぼやけてゆく。
「なぜ?」という問いと、
「私は、祝福されに来たはずだったのに」
という思いだけが、胸の奥で何度も反響していた。
過去の罪が、無関係な誰かを傷つける。
傷は、記憶として消えるどころか、
見えない形で、憎しみとなって連鎖していく。
私はその連鎖の、ただの一片にすぎなかったのだ。
あとに残ったのは、誰にも話せなかった沈黙と、
今もふいに蘇る、あの“すす”のような痛みだけだった。
あの日、あの時は——
もう二度と戻らない。
誰かの描いた台本に、これ以上自分を乗せないために。
私は、自分の言葉で、“いま”を生きていく。
⸻
この物語は、実際の出来事に着想を得ていますが、
特定の文化や国、宗教や人物を批判する意図はまったくありません。
被害に遭われた方、ご家族にとって、
この名前や出来事を目にし、耳にすることがどれほど苦しいものであるか、
私には想像でしか触れることができません。
これは、加害者でも被害者でもない——
ただ“見えない傷”に触れてしまった、一人の体験の記録でもあります。
事件が、差別が、記憶の暴力が、
これ以上、誰かを静かに刺すことのないように。
心から、そう願いながら——
もう、誰の心にも、見えない刃が届かない世界を目指して——。
※かつて私にとって「大切な記念日」だった7月7日をきっかけに綴られました。
本来なら祝福されるはずの一日が、なぜか“見えない棘”として心に残った——
そんな現実が、誰かの共感や癒しにつながることを願っています。
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