
『私はウナギだ』がやっと分かった日
「私はウナギだ。」
初めて聞いたとき、
正直、違和感しかなかった。
人がウナギになるわけがない。
でも、日本語では普通に使われる。
ずっと引っかかっていた言葉だった。
分かる瞬間は、知識じゃなくて接続だった!
助詞の勉強をしていた。
「は」と「が」の違い。
新情報と旧情報。
主題と焦点。
理屈は分かる。
でも、
「分かった気」だったよ。
そこに出てきたのが、
「昔々、おじいさんがいました。」
そして、
「おじいさんは山へ行きました。」
この流れを見たとき、
すっと腑に落ちた。
👉 「が」は登場させる
👉 「は」は話を続ける
これは知識じゃなかった。
経験だった。
1000冊の絵本が、ここで繋がる
幼稚園で先生をしていると、
毎日絵本の読み聞かせをする。
何度も何度も読んだ。
色々まジャンルの絵本を読んできた。
同じ構文。
同じリズム。
同じ入り方。
あのときは、
絵本が持っているテーマやメッセージを
教えるため伝えるために読んでいた。
でも今、
自分の理解のために、
その記憶が働いた。
👉 あれは全部、「が」と「は」の構造だった
特に、古めの本。
日本の昔話や古い紙芝居系ね。
知識は後からついてきた。
理解は、先にあった。

「私はウナギだ」の正体
ここで、あの言葉に戻る。
「私はウナギだ。」
何を言っているんだと思うでしょ?
当たり前だけど
これは、
「私=ウナギ」ではない。
👉 「注文の話に関して言えば、私はウナギにする」
この文は、
ほとんどが省略されている。
でも成立する。
なぜか。
👉 すでに話題が共有されているから
「何を食べる?」という前提がある。
だから、
「私は〜」で通じる。
ここでも同じだった。
👉 「は」は、枠を作る
日本語は、
正しく言うことより、
共有されている前提の中で成り立っている。
だから、
全部言わない。
でも、
ちゃんと伝わる。
正直に言うと、
助詞の説明ができるようになったことよりも、
「昔の自分の経験が、今の理解を助けた」
その感覚の方が印象に残っている。
学び直しって、
新しく積み上げることだと思っていた。
でも違った。
👉 すでに持っているものに、名前がついていく作業だった
もし今、
「分からない」と感じていることがあるなら、
それは本当にゼロなんだろうか。
あなたの中にすでにある感覚に、
まだ名前がついていないだけかもしれない。
あなたにもそんな瞬間ありますか?
#LearnJapanese
#JapaneseCulture
#JapaneseLanguage
#日本語学習
#日本語チューター
#日本語教育能力検定