
旅立ちのラストダンス|映画感想文
映画『旅立ちのラストダンス』を観てきました。
ネタバレなしの感想文ですので、観ていない方もよろしければお読みください。
原題は『破・地獄(The Last Dance)』。
香港のお葬式は道教式で、道士が儀式を執り行います。
そこで行われる儀式に「破地獄」と呼ばれるものがある、と映画冒頭で語られます。
道士が地獄を破り、死者の魂を導き、地獄の苦しみから救う舞です。
映画は主人公トウサンが葬祭業を営む老人を訪ねるところから始まります。
トウサンは50代。ウェディングプランナーとして会社を経営していましたが、コロナ禍で立ちゆかなくなり、多額の負債を負いながら事業をたたんだという背景を持ちます。
トウサンにとって、老人は恋人の親類といった感じの人。その人から葬祭業を受け継ぎ、トウサンは葬祭業の世界に足を踏み入れます。
老人が出した唯一の条件は、長年のパートナーである道士、マン師匠との協業を維持すること。
このマン師匠という人は、もう80代になるのにかくしゃくとした頑固親父といった風情です。
冠婚葬祭とはいうけれど、華やかで明るい“人生の始まり”を象徴する結婚式に慣れ親しんだトウサンにとって、しめやかな“人生の終わり”であるお葬式はまったく勝手の違うもの。
創意工夫をこらして利益を追求しよう!と意気込むトウサンに、マン師匠は冷ややかな目を向けます。
このトウサンという人は、うだつが上がらないけど上がりきらないわけでもなく、いい人だけど混じりっけなしの善人とも言いがたく、中途半端な中年男です。
長年付き合った恋人と入籍せずなあなあにしているのに、その恋人のコネで新しい事業を始めるなんていうのはけっこう無責任に見える。
仕事に対する姿勢も、熱心だしリーダーシップもあるけど、利益偏重で空回り気味。
たとえば、トウサンが初めて手がけるお葬式で、紙でできた張りぼてのスポーツカーがしずしずと会場に入るシーンがあります。
道教では故人があの世で使えるように、紙でできた日用品を焼いてお供えにする風習があるんですね。その一環として作った車らしい。
トウサンは「故人さまのお好きだったマセラティを…」と言いながら、たぶん内心ドヤ顔。
しかし遺族は「その車で死んだんだ!」と怒りをあらわにします。
故人はまだ若い男性でした。趣味のスポーツカーを運転していて事故に遭ったということらしい。
トウサンは、ウェディングプランナー時代に「趣味のものを取り入れれば依頼主は喜ぶ」という法則で成功してきたんじゃないでしょうか。
結婚式とお葬式では、“主役”と“依頼主”のポジションが違うんですよね。
それを理解せず、結婚式の文法をそのまま葬祭業に持ち込んでしまうあたりにトウサンの甘さや野心が出ているように思います。
昔気質のマン師匠は、当然このトウサンが気に入らず、たびたび衝突するようになります。
しかし、ある依頼をきっかけに、トウサンは葬儀屋として自分にできることを強く自覚するようになります。
映画のコピーにもある、「道士は亡き者を弔い、葬儀屋は生きる者の魂を救う」という言葉。
故人だけではなく、その故人を送り出す“まだこの世にいる人たち”を救うのが葬儀屋の仕事だとトウサンは考えるようになるわけです。
マン師匠は道士として、死者の魂を間違いなく導くことを第一に考えて葬儀に携わってきました。
二人は葬儀という一つの場を共有しながら、異なる分野のプロフェッショナルとしてお互いを尊重するようになっていきます。
この映画のメインプロットを主人公トウサンが葬儀屋として立つまでのものだとすると、サブプロットにあたるのがマン師匠一家の物語、特に師匠の娘マンユッのストーリーです。
マン師匠には息子と娘がひとりずつ。息子パンは道士の跡継ぎとして父親のマン師匠の仕事に付き従う日々。娘マンユッは救命看護師として働き、父や兄とは違う立場から生死と向き合っています。
道教では女性は穢れを持つと考えられ、同じ家に暮らしていてもマンユッや息子の妻は時に肩身の狭い思いをさせられる立場です。
マンユッが父に対して抱く、愛憎の入り交じる複雑な感情が、劇中で少しずつ描かれます。
主人公トウサンは、マン師匠一家、父・息子・娘のそれぞれと交流を深めていく中で、師匠とマンユッの葛藤に寄り添います。
映画のラストシーンで、葬儀屋として成長したトウサンは、マンユッにある提案をします。
その提案がどういうものかというのは完全にネタバレになるので、この記事では詳しく書かないことにします。
ぜひ映画を観てたどり着いてほしいラストシーンです。
今ロードショーにかかっているのはディレクターズカット版だそうです。
ストーリーを支えるエピソードが豊かで、贅沢な作りでした。
たとえば主人公トウサンの欠点には過去の経験から来る事情とか、話せばわかる理由があるのだというのがわかるように、エピソードを丁寧に積み重ねていくところ。
マン師匠の長男パンとトウサンの、中年男二人の友情もよかったですね。悪ガキたちみたいでもあり、ずるいおじさん道士でもあり。
というかパン兄さんがめちゃくちゃいいんですよ…。
主人公に勝るうだつの上がらない中年男で、道士の父とカトリックの妻、成績優秀な幼い息子、そしてしっかり者の妹に囲まれてうだうだ生きている。
道士の仕事は食べるためだし父ほど立派にもなれないと手を抜く生臭坊主みたいなところまである。
たぶんこの映画でいちばん人間くさいのがパン兄さん。
わたしが俳優だったらこんな役こそやってみたいと思えるようなすごくいいキャラクターです。でもきっとこの俳優さん(チュー・パクホン)のはまり役なんだろうな。
わたしには「お葬式シーンのある映画は名作率が高い」という持論があるんですけどね。
たとえば言わずと知れた『ゴッドファーザー』。これは結婚式に始まり、お葬式を経由し、洗礼式で終わるというよくばりセットでもある。
それに『フォー・ウェディング』。これは邦題で省略されているけどFour Weddings and a Funeral(4つの結婚式と1つのお葬式)で、この映画を名作たらしめているのは「お葬式」の存在なんだよな。
ひるがえって『旅立ちのラストダンス』、お葬式シーンだらけなので指数的にヤバい。
実は『おくりびと』を観たことがないんだけど、いつか観ないといけないなあと思いました。
香港映画を劇場で観たのはいつ以来か思い出せないくらい久しぶりでした。
この映画は2024年の作品だけれど、ポストコロナの香港という現代を、いろんな切り口から見せてくれたように思います。
邦題に「旅立ち」とついているのは、まず一つにはお葬式という儀式が死者にとっての旅立ちだからだと思いますが、それに加えて生きている者たちにもいろんな場面で旅立ちが訪れるのだということもあるように感じます。
誰かとの別れもそうだし、転職、引っ越し、何かを新しく始めるというのだって、それまでの自分、それまでの生活からの旅立ちです。
大小さまざまな旅立ちが道を作り、たまたま交差したところで誰かと出会い、何かを感じたり学んだりできる。そこからまた旅立っていく。
トウサンとマン師匠が出会い、それぞれ旅立ったように。
そういうメッセージを感じる映画でした。