
若い頃の私は、社会に好かれようと必死だった|不器用でも自分に誠実でいたい
10代や20代といった若いときの私は、やりたいことがたくさんあったと思う。
でも、お金も時間も足りなくてその全部はできなかった。
それでも特に後悔はないと思う。
全部できたとしても、私は満足できていなかったと思う。
むしろ「人生、こんなに簡単でつまらない」と感じただろう。
「なりたい将来像」というのもたくさんあったように思う。
テレビの影響で、ドラマの主人公のようなキラキラとした社会人になりたいとよく思ったものだ。
なりたい将来像に近づくことが運よく何回かあった。
しかしその度にほろ苦い現実を突きつけられて苦しくなった。
世間一般でいう正解に近づきたくて頑張ったときもあったけど、私には「普通」でいることはしんどいことだった。
欲しいものもたくさんあったと思う。
ダブルワークもしたら、お金を稼ぐことは簡単なことなので欲しいものは少しくらいは手に入れることができた。
欲しいものを手に入れた瞬間はとても嬉しかった。
でも、すぐに「なんでこんなものが欲しかったのだろう」と思った。
ブランド物のバッグなんて、ただ重たくて肩こりがして腕が痛くなるだけだった。
ブランド物のハイヒールなんて歩きにくくて足が痛くなるだけだった。
何より、高価なものは手入れが必要なのでそれがとても面倒だった。
苦労して働いて稼いだお金をこんなものに使うなんて、と感じることもあった。
働いているときの自分は仮面を被っていた。
社会に出るということは、ありのままの自分でいたらダメなんだと思っていた。
素のままの自分で社会に出たら舐められると思っていた。
自分が安く見られてはいけないと感じていた。
収入が高く見えるように、能力が高く見えるように、田舎者に見えないように必死だった。
でももう若くないと感じると、そういった見栄を張ることすらアホらしく感じてきた。
こういった遠回りのようなことをしてきて気づけたことがある。
私が本当にやりたかったのは自分に誠実に生きることなんだと。
自分が損をしてでも、自分の気持ちや考えを曲げたくなかったんだと思う。
若いころは、そんな自分のことを気づけなかった。
今になって思うのは、頑固親父並みの頑固さを持ち合わせている自分がいるということ。
そんな自分のことを不器用だと思うけど、愛おしいと思えるようになったのは最近のこと。
少しくらいポンコツな自分でもいい。
それでも自分のままでいたいと思えるようになったことが成長の証なのかな。
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