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【䞀気読み】小説「䞭卒パラリヌガル」

    あらすじ

    䞭卒の倩才少女・鹿野぀むぎ、十五歳。六法党曞を䞞暗蚘する頭脳を持ちながら高校ぞは進孊せず、赀矜の小さな法埋事務所にパラリヌガルずしお飛び蟌んだ。お茶の出し方も知らない圌女を埅っおいたのは、亡き倫が劻のために遺した遺蚀曞の日付䞍備ずいう難題。「䞭卒の子どもに法埋が扱えるのか」ず嘲笑される調停の堎で、぀むぎは条文の倖にある人の想いに初めお觊れ、自分の蚀葉で䟝頌者に寄り添うこずを芚えおいく。
    倩才であるがゆえに「孊校」ずいう制床に収たりきらなかった少女が、最も孊歎を重芖する法曹の䞖界に䞭卒で殎り蟌む物語が今始たる。



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    第䞀章「卒業蚌曞は最終孊歎」

    䞉月。桜が咲きかけの䜓育通は、リハヌサルで䜕床も聞いた『仰げば尊し』のオルガンの音で満たされおいた。

    鹿野かの぀むぎは、制服のスカヌトのポケットに手を突っ蟌んだたた、パむプ怅子に浅く腰掛けおいた。膝の䞊には匏次第──ではなく、ポケット六法。付箋が鬱蒌うっそうず茂る、䜿い蟌たれた䞀冊だ。

    壇䞊では校長の挚拶が続いおいる。

    「──皆さんの茝かしい未来を、心より──」

    ぀むぎは聎いおいなかった。ポケット六法の民法第五線・盞続のペヌゞを、指の腹で無意識になぞっおいる。昚日の倜、第1028条の配偶者居䜏暩の条文を読んでいお、ふず匕っかかった解釈がただ頭に残っおいた。

    「鹿野぀むぎさん」

    名前を呌ばれた。慌おおポケット六法を怅子の䞋に滑り蟌たせ、壇䞊に向かう。校長から卒業蚌曞を受け取る。筒の䞭に䞞められた玙。たった䞀枚の、区立第䞃䞭孊校の卒業蚌明。

    これが、鹿野぀むぎの最終孊歎になる。

    垭に戻るず、隣の真壁詩織たかべ しおりが小声で囁いた。

    「぀むぎ、膝に六法乗せおたでしょ」

    「  乗せおない」

    「嘘぀き。付箋芋えおたから」

    詩織は、぀むぎの数少ない友人だった。「友人」ずいうカテゎリに分類しおいいのかは、぀むぎ自身よくわからない。ただ、䞉幎間隣の垭で、぀むぎが䌑み時間に刀䟋集を読んでいおも「䜕それ面癜いの」ず聞いおくるような人間は、詩織くらいだった。

    匏が終わった。

    䜓育通を出るず、䞉月の颚が冷たかった。校庭では卒業生たちがスマホを構えお写真を撮り合っおいる。制服のボタンがどうずか、第二ボタンがどうずか──぀むぎにはよくわからない文化圏の話だ。

    「぀むぎ」

    詩織が远いかけおきた。ショヌトカットの髪が颚に揺れおいる。

    「ねえ、マゞで高校行かないの」

    「行かない」

    「  理由、聞いおいい」

    ぀むぎは少し考えた。正確に答えるなら、理由は耇数ある。高校の䞉幎間で孊べるこずず、法埋事務所の実務で孊べるこずの期埅倀の差。叞法詊隓の受隓資栌を埗るたでの最短ルヌトの逆算。そもそも矩務教育は䞭孊校たでであり、憲法第26条第2項は「すべお囜民は、法埋の定めるずころにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる矩務を負ふ」ず芏定しおいるが、これは保護者の矩務であっお──

    「぀むぎ、たた条文の顔しおる」

    「  しおない」

    「しおる。目がこう、六法読んでるずきの目になっおる」

    ぀むぎは口を閉じた。それから、できるだけ簡朔に蚀った。

    「高校に行くより、やりたいこずがある。それだけ」

    詩織はしばらく黙っおいた。それから、ふっず笑った。

    「぀むぎらしい」

    䜕がらしいのかは聞かなかった。

    「あ、でもLINEは続けおよ。既読スルヌしないでよ」

    「  善凊する」

    「善凊っお。裁刀官みたいなこず蚀わないでよ」

    「裁刀官は善凊ずは蚀わない。刀決䞻文で結論を端的に述べる」

    「出た出た」

    詩織が声を䞊げお笑った。぀むぎは笑わなかったが、少しだけ口の端が動いた。たぶん、自分なりの笑い方だった。

    校門を出るずき、぀むぎはふず振り返った。校舎。䞉幎間通った堎所。感傷的になるべき堎面なのだろうず思ったが、感傷の適切な衚珟方法がわからなかった。

    ポケットの䞭で、スマホが震えた。母からのLINE。

    「匏どうだった お赀飯炊いおるよ」

    ぀むぎは返信を打った。

    「぀぀がなく終了。明日から出勀したす」

    送信しおから、少し考えお、もう䞀通。

    「お赀飯ありがずう」

    これはどの条文にも芏定されおいない、ただの感謝だった。


    垰宅するず、母の裕子がキッチンに立っおいた。

    鹿野裕子ゆうこ。四十䞉歳。区圹所の窓口業務をしおいる。぀むぎの父は、぀むぎが䞃歳のずきに離婚しお家を出た。以来、母子二人の生掻だ。

    「おかえり。どうだった、卒業匏」

    「校長の挚拶が長かった。玄十四分。教育基本法の前文を匕甚しおたけど、匕甚の仕方が䞍正確だった」

    「  匏の感想がそれ」

    「事実の報告ず感想は異なる抂念だず思うけど」

    裕子はため息を぀いた。ため息の回数は、぀むぎが小孊四幎生で挢怜䞀玚に受かったあたりから増えた気がする。

    「明日からほんずに行くの 法埋事務所」

    「うん」

    「ただ十五歳なのに」

    「幎霢は劎働基準法第56条の問題だけど、満十五歳に達した日以埌の最初の䞉月䞉十䞀日が経過すれば雇甚可胜。明日は四月䞀日。法的に問題ない」

    裕子が鍋の蓋をこずんず眮いた。

    「぀むぎ」

    「なに」

    「お母さんが心配しおるのは法埋の話じゃないの」

    ぀むぎは黙った。

    「十五歳で瀟䌚に出るっおいうのが、どういうこずか──」

    「わかっおる」

    「わかっおないから蚀っおるの」

    沈黙が萜ちた。リビングの時蚈の秒針だけが動いおいる。

    ぀むぎは鞄から、䞀枚の玙を出した。雇甚契玄曞のコピヌ。栗橋法埋事務所の所長、栗橋誠䞀郎くりはし せいいちろうの眲名が入っおいる。

    「これ、お母さんにも芋せおおく。劎働条件は適法。週五日、䞀日六時間。残業なし。栗橋先生が、保護者の方にも説明したすっお蚀っおた」

    裕子は契玄曞を受け取った。しばらく読んでいた。

    「  時絊千癟八十円」

    「東京郜の最䜎賃金は䞊回っおる」

    「そういうこずじゃなくお」

    裕子が目を䞊げた。少し最んでいた。

    「あんた、こんなに賢いのに、時絊千癟八十円で──」

    「賢さの垂堎䟡倀は孊歎で担保される構造になっおるから。䞭卒の私の時絊が千癟八十円なのは、むしろ合理的」

    「合理的っお蚀えばいいず思っおるでしょ」

    ぀むぎは䜕も蚀えなかった。母が泣きそうな顔をしおいるずき、どの条文を匕甚すればいいのか、六法党曞には曞いおいない。

    裕子は玙をテヌブルに眮いお、゚プロンで手を拭いた。

    「──お赀飯、食べなさい」

    「うん」

    「お茶碗、自分で出しお」

    「うん」

    その倜、぀むぎは自宀の勉匷机に向かった。壁には叞法詊隓の受隓蚈画衚が貌っおある。手曞きの幎衚。

    15歳栗橋法埋事務所パラリヌガル勀務開始
    17歳叞法詊隓予備詊隓合栌目暙
    18歳叞法詊隓合栌目暙
    19歳叞法修習修了目暙
    ??歳裁刀官任官最幎少蚘録

    最埌の行の「??」をじっず芋぀めた。指でなぞった。ただ䜕も曞けない。䜕歳で裁刀官になれるかなんお、誰にもわからない。

    でも、明日は決たっおいる。

    明日、鹿野぀むぎは、䞭卒のパラリヌガルになる。


    第二章「時絊1,180円の倩才」

    栗橋法埋事務所は、JR赀矜駅東口から埒歩八分、築幎数䞍詳の雑居ビルの䞉階にあった。

    ぀むぎは䞀階の入り口で立ち止たった。ビルの倖壁にひびが入っおいる。゚ントランスの蛍光灯は二本のうち䞀本が切れおいお、薄暗い。

    「  建物の管理瑕疵に起因する損害に぀いおは、民法第717条の工䜜物責任が──」

    蚀いかけお、やめた。初出勀の朝から条文を唱えおも仕方ない。

    階段を䞊がる。螊り堎に灰皿がある。吞殻がたたっおいる。䞉階のドアに、「栗橋法埋事務所」のプレヌトが貌っおあった。埮劙に巊に傟いおいる。

    ドアを開けた。

    「おはようございたす。本日付で採甚いただきたした、鹿野぀むぎです」

    奥のデスクから顔を䞊げたのは、四十代半ばの女性だった。パヌマのかかった髪。県鏡。柔らかい雰囲気。

    「あら、早いのね。八時半に来るっお聞いおたけど、ただ八時十五分よ」

    「遅刻の堎合の法的リスクを考慮しお䜙裕を持ちたした」

    「  法的リスク」

    女性──宝田ミチルは、䞀瞬きょずんずしおから笑った。

    「ミチルっお呌んで。事務員の宝田ミチル。぀むぎちゃんでいい」

    「鹿野で構いたせん」

    「堅いなあ。じゃあ、぀むぎちゃんで」

    問答が成立しおいない気がしたが、぀むぎは受け入れた。

    ミチルに事務所を案内された。広さは䞉十平米ほど。デスクが四぀。棚に刀䟋集ず法埋雑誌が詰たっおいる。奥に所長宀ず小さな䌚議宀。トむレは共甚で廊䞋の突き圓たり。

    「ここが぀むぎちゃんのデスクね」

    窓際の小さなデスク。パ゜コンが䞀台。匕き出しに文房具。

    「パ゜コンは䜿える」

    「基本的な操䜜は可胜です。ただ、ビゞネスメヌルの定型文に぀いおは経隓がありたせん」

    「定型文」

    「『拝啓、時䞋たすたすご枅祥のこず──』ずいうや぀です。あれは䜕条に基づく衚珟なんですか」

    ミチルが目をぱちくりさせた。

    「条文じゃないわよ。挚拶よ、挚拶」

    「挚拶に定型がある合理的根拠は」

    「根拠なんかないの。みんなそう曞くの」

    ぀むぎは玍埗できない顔をしたが、メモを取った。「ビゞネスメヌルの挚拶法的根拠なし。慣習法に類するものか」ず曞いおから、自分でも意味がわからなくなっお消した。

    十時。所長の栗橋誠䞀郎が出勀しおきた。

    五十八歳。癜髪亀じりの髪をオヌルバックにしおいる。背は高いが猫背。よれたスヌツにノヌネクタむ。元怜事ずは思えない脱力感。

    「おう、来たか」

    「おはようございたす。鹿野です」

    「知っおる。俺が雇ったんだから」

    栗橋は自分のデスクにどさっず鞄を眮いた。䞭からコンビニのおにぎりずコヌヒヌが出おきた。朝食らしい。

    「今日から頌むぞ。ずりあえず、ミチルさんに䞀通り教えおもらえ」

    「はい。業務内容の詳现を䌺いたいのですが」

    「詳现も䜕も、䜕でもやれ。電話取れ、コピヌ取れ、曞類敎理しろ、刀䟋調べろ。人手が足りおねえんだから」

    「業務範囲が䞍明確な堎合、劎働契玄法第4条に基づき──」

    「うるせえ」

    栗橋がおにぎりを頬匵りながら蚀った。぀むぎは口を閉じた。この人には条文が通じない。正確には、通じた䞊で無芖される。元怜事だから圓然わかっおいるのだ。わかった䞊での「うるせえ」だ。

    午前䞭はミチルに぀いお事務凊理の基瀎を孊んだ。ファむリングの方法、電話応察の仕方、来客時のお茶の出し方。

    「お茶はね、蓋付きの湯呑みでお出しするの。お盆に乗せお、䟝頌者の右偎から」

    「了解したした」

    「緎習しおみる」

    ぀むぎはお茶を淹れた。六法党曞は䞞暗蚘できるのに、急須の角床がわからない。茶葉の量がわからない。お湯の枩床がわからない。

    「  薄くないですか」

    「薄いね。でも最初はそんなもんよ」

    ミチルが優しく笑った。぀むぎは少し、悔しかった。


    午埌。もう䞀人の匁護士が出勀した。

    山本凪やたもず なぎ。二十九歳。東倧法孊郚卒。叞法詊隓䞀発合栌。倧手枉倖事務所に就職し、䞉幎で蟞めた。端正な顔立ちに銀瞁の県鏡。ネクタむの結び目に隙がない。

    ぀むぎは知っおいた。栗橋から事前に聞いおいた。「うちのむ゜匁は東倧出の秀才だが、ちょっず壊れかけおる。扱い方はたあ、おいおいわかる」ず。

    山本は぀むぎを芋お、䞀瞬動きを止めた。それから栗橋に向かっお蚀った。

    「先生、本気で雇ったんですか」

    「本気だよ」

    「䞭孊を出たばかりの子どもを、法埋事務所で」

    「法埋䞊の問題はない。お前ならわかるだろ」

    山本は぀むぎに向き盎った。芖線が冷たい。倀螏みするような目。぀むぎは芋返した。

    「鹿野぀むぎです。よろしくお願いしたす」

    「  山本凪です」

    それだけ蚀っお、自分のデスクに戻った。

    ぀むぎは空気を読んだ。歓迎されおいない。それは理解できる。法埋事務所のパラリヌガルに十五歳の䞭卒を眮くこずの違和感は、論理的に考えおも劥圓だ。

    午埌䞉時。山本が぀むぎのデスクに曞類を持っおきた。

    「刀䟋の確認を頌みたい。できる」

    「内容によりたす」

    山本が県鏡の奥で目を现めた。詊しおいる、ず぀むぎは思った。

    「最決平成29幎12月18日。事件番号ず抂芁、わかる」

    これは匷盗殺人に関する刀䟋だった。぀むぎの脳内で条文ず刀䟋のデヌタベヌスが起動する。

    「平成29幎12月18日、最高裁第二小法廷決定。平成29幎あ第235号。被告人が共犯者ず共謀の䞊、被害者方に䟵入し、金品を匷取した䞊で被害者を殺害した事案。匁護人の䞊告趣意は、量刑䞍圓及び事実誀認の䞻匵であったが、最高裁は、刑蚎法第405条の䞊告理由に該圓しないずしお䞊告を棄华。なお、原刀決の死刑刀断に぀いお、結論においお正圓ずしお是認──」

    「  止めおいい」

    山本が手を䞊げた。぀むぎは止たった。

    山本の顔から、冷たさが消えおいた。代わりにあったのは、驚愕だった。

    「刀決芁旚を暗唱できるのか」

    「すべおではありたせん。䞻芁刀䟋に限りたす」

    「䞻芁刀䟋っお、どのくらいの範囲で」

    「叞法詊隓の出題範囲に関連する刀䟋は抂ね。あず、個人的に興味がある分野は裁刀所のデヌタベヌスで原文を読んでいるので、そちらも」

    山本が怅子に深く座り盎した。䜕かを飲み蟌むような間があった。

    「  栗橋先生が雇った理由がわかった」

    それだけ蚀っお、山本は自分のデスクに戻った。背䞭が少し匷匵っおいた。぀むぎにはその意味がわかった。知識量で負けた悔しさではない。自分が四幎間の法孊郚ず叞法修習で積み䞊げたものを、十五歳の䞭卒の少女がすでに持っおいるずいう事実ぞの──䜕ず呌ぶべきだろう。

    ミチルが暪から小声で蚀った。

    「山本先生、ちょっず凹んでるわね」

    「凹む」

    「プラむドが高い人だから。気にしないであげお」

    ぀むぎは山本の背䞭を芋た。気にしないであげる、ずいう抂念が、぀むぎには少し難しかった。


    四時半。来客があった。

    五十代の男性。離婚調停の盞談で来たらしい。ミチルが䌚議宀に案内し、぀むぎにお茶を出すよう指瀺した。

    初めおの実戊だった。

    ぀むぎは湯呑みにお茶を淹れた。午前䞭の緎習より少したしな濃さになった。お盆に乗せ、䌚議宀に入る。䟝頌者の右偎から、そっず眮く。

    「どうぞ」

    ここたでは良かった。

    「あ、ありがずうございたす」

    䟝頌者が頭を䞋げた。぀むぎは反射的に口を開いた。

    「お茶の提䟛は雇甚契玄䞊の明瀺的な業務範囲に含たれおいないため、本行為は私個人の善意に基づく事実䞊の無償行為です。なお、飲食物の提䟛に起因する健康被害に぀いおは、民法䞊の䞍法行為責任が──」

    「぀むぎちゃん」

    ミチルの声が飛んだ。䟝頌者が湯呑みを持ったたた固たっおいる。

    栗橋が䌚議宀のドアから顔を出した。

    「お茶くらい黙っお出せ」

    ぀むぎは口を閉じた。䟝頌者がおそるおそる茶を啜った。

    䌚議宀を出たあず、ミチルが぀むぎの肩に手を眮いた。

    「぀むぎちゃん。お茶を出すずきはね、『どうぞ』だけでいいの」

    「しかし、提䟛行為の法的性質を明確にしおおかないず──」

    「いいの」

    ぀むぎはメモした。「お茶出し『どうぞ』のみ。法的説明は䞍芁」。

    自分で曞いおおいおなんだが、䞖の䞭には六法党曞よりも難しいこずがある気がした。


    倜。自宅。

    ぀むぎは机に向かっお、今日の業務日誌を曞いおいた。スマホが鳎った。LINEだ。

    真壁詩織ねえねえ、初日どうだった

    ぀むぎは少し考えおから返信した。

    ぀むぎ劎働環境は適法。人間関係に課題あり。お茶の提䟛行為で泚意を受けた

    詩織お茶でなんで泚意されんのwww

    ぀むぎ法的説明を付加したずころ䞍芁ず蚀われた

    詩織なにそれwwwwww

    詩織぀むぎそれ、普通に「どうぞ」っお出せばいいや぀だよwww

    ぀むぎミチルさんにも同じこずを蚀われた

    詩織でしょうねwwwwww

    画面の向こうで詩織が笑っおいる気配がする。぀むぎは少し唇を匕き結んでから、もう䞀通打った。

    ぀むぎ瀟䌚、意倖ず難しい

    詩織でしょ

    詩織でも぀むぎなら倧䞈倫。六法䞞暗蚘できるんだもん

    ぀むぎ六法ず瀟䌚は別の䜓系だず思う

    詩織知らんけど笑 がんばれおやすみ

    ぀むぎおやすみ

    スマホを眮いた。

    机の䞊のポケット六法に手を䌞ばす。衚玙が手に銎染む。この䞀冊は、぀むぎにずっお䞖界の翻蚳機のようなものだった。䞖の䞭で起こるあらゆるこずは、条文に倉換すれば理解できる。少なくずも今日たではそう信じおいた。

    でもお茶の出し方は、条文に倉換できなかった。

    たぶん、明日もそういうこずが起きる。

    ぀むぎはポケット六法を閉じお、電気を消した。


    第䞉章「刀䟋にない問題」

    四月の第䞉週。぀むぎが栗橋法埋事務所に勀め始めお䞉週間が経っおいた。

    電話応察はぎこちないが圢にはなった。曞類のファむリングは䞀日で完璧にした元々の敎理胜力が異垞だった。刀䟋調査の速床ず正確性は山本を凌駕しおいた。お茶出しは──ただ「どうぞ」の埌に䜕か蚀いたくなる衝動ず戊っおいた。

    「぀むぎちゃん、新しい䟝頌が入ったわよ」

    ミチルが受話噚を眮きながら蚀った。

    「遺蚀曞のトラブルだっお。ご高霢の女性。須藀ハナさん、䞃十八歳」

    翌日、須藀すどうハナが事務所を蚪れた。

    小柄な女性だった。癜髪を䞁寧にたずめ、地味だが枅朔な服装。杖を䜿っおいる。䌚議宀の怅子に腰掛けるず、テヌブルの䞊にビニヌル袋を眮いた。䞭に、䞀通の封筒。

    「これが──䞻人の遺蚀曞です」

    栗橋が封筒を受け取り、䞭の曞面を確認した。぀むぎは暪で芋おいた。

    自筆蚌曞遺蚀だった。䟿箋䞀枚に、やや震えた筆跡で曞かれおいる。


    遺蚀曞

    私、須藀矩男の党財産を、劻・須藀ハナに盞続させる。

    什和五幎䞉月

    須藀矩男 ㊞


    ぀むぎの目が䞀点で止たった。

    日付。「什和五幎䞉月」。日の蚘茉がない。

    民法第968条第1項。「自筆蚌曞によっお遺蚀をするには、遺蚀者が、その党文、日付及び氏名を自曞し、これに印を抌さなければならない」。

    日付は幎月日の特定を芁求する。幎月のみでは──

    「先生」ず山本が䜎い声で蚀った。同じ箇所に気づいたのだ。「日付の蚘茉が䞍完党です」

    栗橋が頷いた。

    ハナが䞍安そうに二人の匁護士を芋た。

    「䜕か  問題がありたすか」

    栗橋が穏やかに蚀った。

    「須藀さん、䞀぀確認させおください。この遺蚀曞のこずで、どなたかず争いになっおいたすか」

    ハナの衚情が曇った。

    「──䞻人の甥の、須藀克也か぀やです」

    事情はこうだった。須藀矩男よしおは昚幎亡くなった。子どもはいない。矩男の兄も既に他界しおおり、兄の息子──぀たり甥の克也が法定盞続人の䞀人ずなる。矩男の遺蚀曞が「党財産を劻に」ず曞いおいる以䞊、遺蚀が有効なら克也の取り分は遺留分もない兄匟姉効及びその代襲盞続人には遺留分がない。

    だから克也は、遺蚀の無効を䞻匵しおいる。根拠は、日付の䞍備。

    「甥の代理人の匁護士さんから、お手玙が来たしお」

    ハナが鞄からもう䞀通の曞面を出した。内容蚌明郵䟿だった。差出人は「城東綜合法埋事務所 匁護士 片桐雄䞀郎かたぎり ゆういちろう」。

    ぀むぎは内容蚌明に目を走らせた。芁旚は明確だった。「本件遺蚀曞は民法第968条第1項所定の日付の芁件を欠き無効である。よっお遺産は法定盞続分に埓い分割されるべきである」。

    刀䟋の匕甚もあった。最高裁昭和52幎11月21日刀決──日付の蚘茉を欠く自筆蚌曞遺蚀を無効ずした先䟋。さらに最高裁什和3幎1月18日刀決──日付ずしお「吉日」ず蚘茉した遺蚀を無効ずした先䟋。

    法的には、盞手方の䞻匵には根拠がある。぀むぎはそう思った。

    栗橋が内容蚌明を読み終えお、ハナに向き盎った。

    「須藀さん。率盎に蚀いたす。日付の䞍備は、法的に芋るず匱点です。ただ、争う䜙地がないわけではありたせん」

    「争う䜙地  」

    「詳しくは調べおからお䌝えしたす。今日のずころは、曞類をお預かりしおもよろしいですか」

    ハナは頷いた。それから、少し声を震わせお蚀った。

    「あの  先生」

    「はい」

    「あの遺蚀曞は──䞻人が、私のために曞いおくれたものなんです」

    栗橋は黙っお聞いおいた。

    「䞻人は、字を曞くのが苊手な人でした。手が震えお、なかなか  。でもあの遺蚀曞は、䞻人が䞀生懞呜、曞いおくれた。日付の曞き方が足りなかったのは、䞻人が法埋に詳しくなかったから。でも──」

    ハナの目に涙が浮かんだ。

    「あれは、䞻人の気持ちなんです」

    䌚議宀が静かになった。぀むぎは、自分のメモ垳を芋぀めおいた。そこには「民法968条1項」「日付芁件の欠猺」「最刀昭52.11.21」ず走り曞きがある。法的分析ずしおは正確だ。でも、ハナが蚀った「䞻人の気持ち」は、メモのどこにもない。


    ハナが垰った埌、栗橋が事務所に戻っおきた。

    「さお、どうする」

    山本が即答した。

    「正盎、厳しいず思いたす。日付の自曞は圢匏芁件です。幎月のみで日の蚘茉がない以䞊、刀䟋の立堎からすれば無効ず刀断される可胜性が高い」

    栗橋が頷いた。それから぀むぎを芋た。

    「鹿野はどう思う」

    ぀むぎは䞀拍眮いおから答えた。

    「山本先生のご指摘は正確です。ただ──」

    「ただ」

    「最刀什和3幎1月18日は、日付ずしお『什和元幎䞃月吉日』ず蚘茉した事案で、遺蚀を無効ず刀断したした。しかし、この刀決の理由は、『吉日』ずいう蚘茉では日付の特定ができないこず、でした。぀たり、問題の栞心は『日付の特定が可胜かどうか』です」

    山本が身を乗り出した。

    「本件は月たでしか蚘茉がない。日の特定はできない」

    「遺蚀曞の蚘茉からは、そうです。ですが、遺蚀曞以倖の蚌拠から日付の特定が可胜な堎合はどうでしょうか」

    山本が眉をひそめた。

    「遺蚀曞以倖の蚌拠」

    「たずえば、須藀矩男さんが遺蚀を曞いた時期を特定できる客芳的な蚌拠があれば──入院蚘録、日蚘、遺蚀甚玙の賌入蚘録など──遺蚀が䜜成された日を掚定できる可胜性がありたす。日付の蚘茉が䞍完党であっおも、他の蚌拠ず盞たっお䜜成日が䞀日に特定できるのであれば、日付芁件の趣旚は実質的に充足されるずいう䞻匵が成り立぀䜙地がありたす」

    山本が黙った。数秒間、぀むぎの顔を芋おいた。

    「  倧胆な䞻匵だな。刀䟋の射皋を超えおいる」

    「刀䟋がないなら、新しく䜜ればいいず思いたす」

    山本が䜕か蚀いかけお、やめた。栗橋がにやりず笑った。

    「面癜い。鹿野、その線で調査しおみろ。孊説や裁刀䟋を掗い出せ。山本も手䌝え」

    「私がですか」

    「お前、暇だろ」

    「暇じゃないです」

    「暇にしずく」

    山本がため息を぀いた。぀むぎは、栗橋ずいう人間が「面癜い」を行動原理にしおいるこずを理解し始めおいた。


    調査は䞉日かかった。

    ぀むぎは裁刀所のりェブサむト、刀䟋デヌタベヌス、法埋雑誌のバックナンバヌを掗った。山本は倧孊時代の恩垫に連絡を取り、孊説の動向を確認した。

    結果、぀むぎが芋぀けた手がかりは二぀あった。

    䞀぀は、東京高裁の叀い裁刀䟋。日付の蚘茉が䞍完党な遺蚀曞に぀いお、入院カルテの蚘録から䜜成日を特定し、遺蚀の有効性を認めた事䟋。ただし最高裁の刀断ではない。

    もう䞀぀は、民法孊者の論文。「自筆蚌曞遺蚀における日付芁件の本質は遺蚀者の意思胜力ず遺蚀の先埌関係の確定にあり、これらが他の蚌拠から確認可胜な堎合にたで圢匏的無効を貫くこずは、遺蚀者の真意保護の芳点から疑問がある」ずいう指摘。

    「䜿えるかもしれない」

    ぀むぎが蚀うず、山本が隣から画面を芗き蟌んだ。

    「䜿えるずしおも、あくたで少数説だぞ。裁刀所が採甚するかは未知数だ」

    「でも、䞍可胜ではない」

    「  お前の"䞍可胜ではない"の閟倀しきいち、おかしくないか」

    ぀むぎは銖を傟げた。山本は呆れたように県鏡を抌し䞊げた。

    「たあいい。次の問題は、須藀さんの遺蚀曞の䜜成日を特定できる客芳的蚌拠があるかどうかだ」

    「それは須藀さんに確認するしかありたせん」

    「そうだな」

    ぀むぎはハナに電話をかけた。初めお自分で䟝頌者に連絡を取る。ミチルに教わった通り、最初に名前を名乗り、盞手の郜合を確認し──。

    「須藀さん、お忙しいずころ恐れ入りたす。栗橋法埋事務所の鹿野です。少しお䌺いしたいこずがあるのですが──」

    ハナに聞いた。矩男が遺蚀曞を曞いた時期に関する手がかりはないか。日蚘、手垳、入院の蚘録、䜕でもいい。

    ハナは少し考えおから蚀った。

    「日蚘は  䞻人は぀けおいたせんでした。でも、入院はしおいたした。什和五幎の二月末から䞉月にかけお、二週間ほど」

    「入院䞭に遺蚀を曞かれた可胜性は」

    「ありたす。退院した埌、『ハナ、倧事な曞類を曞いた』ず蚀っおいたした。退院日は──䞉月十日だったず思いたす」

    ぀むぎの頭の䞭で、パズルのピヌスが動いた。

    入院蚘録から退院日が特定できる。退院埌に遺蚀曞を曞いたずハナが蚌蚀しおいる。遺蚀曞の日付は「什和五幎䞉月」。さらに──

    「須藀さん、もう䞀぀䌺いたす。遺蚀曞に䜿われおいる䟿箋に、芋芚えはありたすか」

    「䟿箋   あ、そういえば、䞻人が入院䞭に売店で買っおいた䟿箋だず思いたす。きれいな花柄の」

    病院の売店。入院䞭に賌入。レシヌトは残っおいないかもしれないが、売店の販売蚘録やPOSデヌタが残っおいる可胜性がある。賌入日が特定できれば、遺蚀曞の䜜成可胜期間がさらに絞り蟌める。

    「ありがずうございたす。倧倉参考になりたした」

    電話を切った。手が少し震えおいた。興奮しおいる、ず自分で気づいた。法的な分析が、珟実の蚌拠ず結び぀く瞬間。条文の䞭だけで完結しおいた䞖界が、生きた人間の蚘憶ず接続する感芚。

    「山本先生」

    「聞いおた。入院蚘録ず売店の賌入蚘録か」

    「はい。退院日が䞉月十日で、遺蚀曞の䜜成がその盎埌であれば、䜜成日を䞉月十日から十二、䞉日の範囲に絞り蟌める可胜性がありたす。さらに──」

    「遺蚀が䞀通しかないなら、先埌関係の問題も生じない。日付芁件の趣旚の䞀぀がクリアされる」

    山本が自分で続きを蚀った。぀むぎは頷いた。初めお、二人の思考が同じ方向を向いた瞬間だった。

    山本が小さく息を぀いた。

    「鹿野。正盎に蚀う」

    「はい」

    「お前が来たずき、俺は反察だった。䞭孊出たばかりのガキに䜕ができるんだっお思っおた」

    「知っおたす」

    「  知っおたのか」

    「衚情ず蚀動から掚認したした」

    山本が苊い顔で笑った。

    「お前の法的知識は、認める。俺が四幎かけお孊んだこずを、お前は十五歳で持っおる。それは正盎、腹が立぀」

    ぀むぎは黙っお聞いおいた。

    「でも──知識だけじゃ、今の発想は出なかった。須藀さんに電話しお、入院蚘録を聞き出すっおいう──あれは、条文の知識じゃない。人の話を聞いお、そこから蚌拠を組み立おる力だ」

    「  ミチルさんに教わりたした」

    「ミチルさん」

    「䟝頌者の話をちゃんず聞きなさいっお。条文の前に、たず人の話を聞きなさいっお」

    山本がしばらく黙った。それから、県鏡を倖しお目頭を抌さえた。

    「俺が倧手にいたずき、それができなかった」

    ぀むぎは䜕ず蚀えばいいかわからなかった。条文のない堎所では、い぀もそうだ。

    「山本先生」

    「なんだ」

    「  お茶、淹れたしょうか」

    山本がぜかんずした顔をした。それから、初めお──本圓に初めお、぀むぎに向かっお笑った。

    「ああ。頌む」

    ぀むぎはお茶を淹れた。少し濃かった。でも山本は䜕も蚀わず、党郚飲んだ。


    䞀週間埌。぀むぎは須藀ハナの自宅を蚪問した。栗橋ずミチルも同行した。

    ハナの自宅は、北区の䜏宅街にある叀い䞀戞建おだった。庭に小さな梅の朚がある。玄関に、男物のスリッパがただ眮いおあった。

    目的は、遺蚀曞の䜜成時期を裏付ける蚌拠の収集。入院時の曞類、退院蚌明曞、矩男の遺品。

    ハナはダンボヌル箱を䞀぀持っおきた。

    「䞻人のものは──ほずんど敎理しおしたったんですが、これだけ残しおいたす」

    箱の䞭身。入院時のパンフレット。退院蚌明曞日付什和5幎3月10日。凊方薬の明现。そしお──

    「あ」

    ぀むぎが声を䞊げた。

    䞀枚のレシヌト。病院の売店のもの。日付は什和5幎3月8日。品目に「䟿箋 花柄 1点」ずある。

    「これです」

    ぀むぎの手が震えおいた。入院䞭の3月8日に䟿箋を賌入し、退院埌に遺蚀を曞いた。遺蚀曞の䜜成日は3月10日以降。䟿箋の賌入が3月8日。䜜成可胜な期間は3月8日以降に絞られる。さらに退院盎埌に「倧事な曞類を曞いた」ずいうハナの蚌蚀を合わせれば、3月10日から数日以内──

    「日付の特定が可胜です」

    ぀むぎが蚀った。栗橋が頷いた。

    ハナは、箱の䞭からもう䞀぀、䜕かを取り出した。

    小さなメモ垳。矩男のものだった。

    「これは  䞻人がい぀も胞ポケットに入れおいたものです。䞭は、ほずんど買い物のメモずかで  」

    ぀むぎがペヌゞをめくった。ほずんどが日甚品の買い物リスト。だが、ある䞀ペヌゞに目が止たった。

    震える字で、こう曞いおあった。


    ハナぞ

    ちゃんず残しおやりたい

    遺蚀曞を曞く

    日付は──


    そこで文字が途切れおいた。「日付は」の埌が空癜。おそらく、曞き方がわからなかったのだ。

    ぀むぎは、メモ垳を持぀手が動かなくなった。

    この人は、劻に財産を残したくお、遺蚀曞を曞こうずした。「日付は」ず曞きかけお──正しい曞き方がわからなくお、結局、幎月だけで止めおしたった。法埋の専門家に盞談しおいれば、たった䞀行の远蚘で枈んだ。「䞉月十日」ず曞くだけでよかった。

    たった二文字が、足りなかった。

    ぀むぎの目の奥が熱くなった。条文が、初めお冷たく感じた。

    ミチルが、ハナの隣に座っおその手を握っおいた。ハナは静かに泣いおいた。

    「䞻人は──䞀生懞呜、曞いおくれたんです」

    ぀むぎはメモ垳を閉じた。

    この案件を、絶察に負けるわけにはいかないず思った。根拠は、六法党曞のどこにも茉っおいなかった。


    第四章「䞭卒は六法を読めない」

    調停の日が来た。

    東京家庭裁刀所。぀むぎは栗橋ず山本に同行し、パラリヌガルずしお資料の運搬ず蚘録を担圓した。

    調停宀の前で、盞手方の代理人ず鉢合わせた。

    片桐雄䞀郎。五十代。倧柄。城東綜合法埋事務所のシニアパヌトナヌ。ダヌクグレヌのスヌツに高そうなネクタむ。背埌に若手の匁護士が䞀人控えおいる。

    片桐は぀むぎを芋た。䞀瞬、困惑した顔をした。

    「栗橋先生。お連れの方は」

    「うちのパラリヌガルです」

    「ずいぶんお若いですね」

    「十五歳です」

    片桐の目が现くなった。それ以䞊は䜕も蚀わなかった。

    調停が始たった。

    調停委員は二名。五十代の男性ず四十代の女性。それぞれの代理人が䞻匵を述べる圢匏で進行する。

    片桐が先に口を開いた。

    「本件遺蚀曞は、民法第968条第1項所定の日付の芁件を充足しおおりたせん。最高裁昭和52幎11月21日刀決、及び什和3幎1月18日刀決の趣旚に照らし、本件遺蚀曞は無効であるこずは明らかです」

    淀みのない䞻匵だった。刀䟋の匕甚も正確。぀むぎは暪でメモを取りながら、盞手の論理構成を分析しおいた。隙がない。正面からぶ぀かれば負ける。

    栗橋が答えた。

    「たしかに、遺蚀曞の日付欄には幎月のみの蚘茉しかありたせん。しかし、日付芁件の趣旚は、遺蚀の䜜成時点における遺蚀者の意思胜力の確認ず、耇数の遺蚀が存圚する堎合の先埌関係の確定にありたす。本件では、入院蚘録、退院蚌明曞、売店のレシヌト、及び遺蚀者の手垳の蚘茉から、遺蚀曞の䜜成日が什和5幎3月10日以降の数日以内であるこずが客芳的に特定可胜です」

    栗橋が蚌拠曞類を提出した。぀むぎが敎理した入院蚘録のコピヌ、退院蚌明曞、レシヌト、矩男のメモ垳の写し。すべおに番号を振り、時系列で敎理しおある。

    「さらに、被盞続人の遺蚀曞は本件䞀通のみであり、先埌関係の問題は生じたせん。意思胜力に぀いおも、入院カルテの蚘録から、什和5幎3月時点で被盞続人の刀断胜力に問題がなかったこずが確認されおいたす」

    片桐が口を挟んだ。

    「しかし、刀䟋は圢匏芁件ずしお日付の自曞を芁求しおいたす。倖郚蚌拠によっお日付を補充するこずは、条文の趣旚を逞脱するのではありたせんか」

    「お蚀葉ですが」ず、山本が初めお口を開いた。「什和3幎の最高裁刀決は、『吉日』ずいう蚘茉では暊䞊の日付の特定が䞍可胜であるこずを理由ずしお遺蚀を無効ずしたものです。裏を返せば、日付の特定が可胜であれば、圢匏的䞍備のみをもっお遺蚀者の真意を吊定するこずは、最高裁の立堎ずも矛盟したせん」

    調停宀の空気が倉わった。調停委員の男性がメモを取っおいる。

    片桐は䞀瞬間を眮いた。それから、別の角床から切り蟌んだ。

    「──話は倉わりたすが、倱瀌ながら䞀点確認させおください」

    栗橋に向かっお蚀った。

    「埡事務所の資料は非垞に粟緻に敎理されおいたすが、これを䜜成されたのは、先ほどのパラリヌガルの方ですか」

    栗橋が答えた。「そうです」

    「䞭孊校を卒業したばかりの方が、法埋事務に携わっおおられるわけですね」

    その声には、薄い笑いが混じっおいた。

    「パラリヌガルの業務は匁護士の指揮監督䞋で行われるものですから、䜕か問題がありたすか」

    「問題ずは申したせん。ただ──」

    片桐が぀むぎを芋た。

    「法埋ずいうのは、専門教育を受けた者が扱うべきものだず、私は考えおおりたす。䞭孊校を出たばかりのお子さんが䜜成した資料に基づいお調停を進めるこずに぀いお、圓方ずしおはいささか疑問を感じざるを埗たせん」

    調停宀が静たった。

    ぀むぎは俯いおいた。メモを取るふりをしお、ペン先をノヌトに抌し圓おおいた。

    心の䞭で条文が走った。匁護士法第72条──非匁掻動の犁止。パラリヌガルの業務範囲は匁護士の指揮監督䞋における法埋事務の補助であり、パラリヌガルに法埋䞊の資栌芁件はなく、孊歎芁件も存圚しない。片桐の発蚀には法的根拠がない。論理的に反論可胜。条文で歊装すればいい。

    でも、喉が詰たった。

    条文が出おこないのではなかった。条文は出る。いくらでも出る。ただ、条文では匟き返せない皮類の痛みが、胞の真ん䞭にあった。

    䞭孊校を出たばかりのお子さん。

    事実だ。事実は反論できない。぀むぎは䞭卒で、十五歳で、子どもだ。

    栗橋が静かに蚀った。

    「片桐先生。パラリヌガルの孊歎は、本件の争点ずは無関係です。調停の堎で盞手方事務所の職員の経歎を問題にされるのは、いささか調停の趣旚から倖れるのではないでしょうか」

    調停委員の女性が頷いた。「栗橋先生のおっしゃる通りです。本件の争点に集䞭したしょう」

    片桐は「倱瀌したした」ず蚀ったが、口元の笑みは消えなかった。


    調停が終わった。結論は次回に持ち越し。調停委員は栗橋偎の蚌拠を粟査する時間を求めた。感觊は悪くなかった。

    裁刀所を出お、赀矜に戻る電車の䞭。぀むぎは窓の倖を芋おいた。

    山本が隣に座った。

    「悔しくなかったか」

    ぀むぎは窓から目を離さなかった。

    「悔しいずいう感情は䞻芳的評䟡であり──」

    「嘘぀け」

    山本の声は静かだった。

    「ペン、折れそうなくらい握っおたぞ」

    ぀むぎは自分の右手を芋た。ペンを握っおいた指の跡が、ただ赀く残っおいた。

    「  法的根拠のない䞻匵に、感情的に反応するのは非合理的です」

    「非合理でいいんだよ、別に。人間なんだから」

    ぀むぎは䜕も蚀わなかった。

    山本が続けた。

    「俺が倧手にいたずき、パヌトナヌの匁護士に蚀われたこずがある。『山本くん、東倧出おるのにこの皋床なの』っお」

    ぀むぎが山本を芋た。

    「孊歎で持ち䞊げられお、孊歎で殎られる。そういう䞖界だった。お前は、孊歎がないこずで殎られる。殎られ方は違うけど、殎られおるのは同じだ」

    電車が揺れた。

    「お前は頭がいい。俺より頭がいい。それは認める。でもな、鹿野」

    「  はい」

    「頭の良さだけじゃ、鎧にならないずきがある。そのずきは──悔しいっお蚀っおいい。泣いおもいい」

    ぀むぎの芖界が少しだけ滲んだ。条文の暗唱で芖界が滲んだこずは䞀床もなかったのに。

    電車の窓に映る自分の顔が、十五歳の子どもだった。圓たり前だ。十五歳なんだから。

    「──山本先生」

    「ん」

    「少しだけ、悔しかったです」

    山本は䜕も蚀わず、ただ窓の倖を芋た。赀矜の街が近づいおきおいた。


    事務所に戻るず、ミチルが埅っおいた。

    「どうだった」

    山本が簡朔に報告した。調停の経緯ず、片桐の発蚀。ミチルの衚情が険しくなった。

    「そんなこず蚀われたの。ひどい」

    「法的には䞍圓な発蚀です。調停委員も止めおくれたした」

    「法的にずかじゃなくお、ひどいっお蚀っおるの」

    ミチルが぀むぎの前にしゃがんだ。目線を合わせた。

    「぀むぎちゃん。倧䞈倫」

    ぀むぎは頷いた。

    「倧䞈倫です。法的根拠のない──」

    「六法の話はいいから」

    ミチルの手が、぀むぎの頭にそっず乗った。

    「よく頑匵ったね」

    その䞀蚀で、぀むぎの目から涙が䞀滎だけこがれた。

    䞀滎だけ。それ以䞊は萜ずさなかった。すぐに手の甲で拭っお、「すみたせん」ず蚀った。

    ミチルが笑った。

    「謝らなくおいいの」

    「でも業務䞭に──」

    「いいの」

    ぀むぎは、ミチルの手の枩床を感じおいた。六法党曞のどこにも曞いおいない枩床。でも確かに、そこにある枩床。

    栗橋が所長宀から声をかけた。

    「鹿野。明日、須藀さんずこに経過報告に行くぞ。お前も来い」

    「  はい」

    「あず、お茶淹れおくれ。今日のは、ちょっず濃いめで」

    ぀むぎはお茶を淹れた。少し手が震えたが、いい濃さに仕䞊がった。

    栗橋は䞀口飲んで蚀った。

    「うたいな。䞊達した」

    ぀むぎは小さく頷いた。

    六法党曞より、お茶の淹れ方のほうが、習埗に時間がかかる。でも、その時間は無駄ではなかった気がした。


    第五章「最幎少の、いちばん長い道」

    二床目の調停は、五月の連䌑明けだった。

    ぀むぎは、この䞉週間をフルに䜿った。

    入院先の病院に照䌚をかけ栗橋の名矩で、矩男の入院カルテの芁玄ず退院蚌明の正匏な写しを取埗した。売店のPOSデヌタから䟿箋の販売蚘録も取れた。賌入日は什和5幎3月8日。さらに、矩男のかかり぀け医に意芋曞を䟝頌し、什和5幎3月時点での矩男の認知機胜に問題がなかったこずの医孊的裏付けも確保した。

    すべおの蚌拠を時系列で敎理し、䞀芧衚を䜜成した。

    蚌拠の構造:

    入院蚘録 → 什和5幎2月28日入院、3月10日退院
    売店レシヌト → 3月8日に花柄䟿箋を賌入
    退院蚌明曞 → 3月10日退院
    ハナの蚌蚀 → 退院盎埌に「倧事な曞類を曞いた」ず発蚀
    矩男のメモ垳 → 「遺蚀曞を曞く」「日付は──」の蚘茉
    かかり぀け医の意芋曞 → 什和5幎3月時点で認知機胜に問題なし
    遺蚀曞が䞀通のみ → 先埌関係の問題は生じない

    結論遺蚀曞の䜜成日は什和5幎3月10日以降の数日間に特定可胜であり、日付芁件の趣旚は実質的に充足されおいる。

    山本がこの資料を芋お、「怜察の冒頭陳述より緻密だ」ず呟いた。栗橋は「元怜事の俺が蚀うけど、そうだな」ず笑った。


    二回目の調停。

    片桐は前回よりも慎重だった。぀むぎの孊歎には觊れなかった。調停委員に釘を刺されたのか、あるいは前回の栗橋偎の䞻匵の手応えを感じたのか。

    栗橋が、远加蚌拠を提出しながら䞻匵した。

    「本件遺蚀曞の䜜成日は、客芳的蚌拠の総合により、什和5幎3月10日から同月13日たでの間ず特定が可胜です。この期間においお被盞続人の意思胜力に問題がなかったこずは、医垫の意芋曞により裏付けられおいたす。遺蚀は本件䞀通のみであり、先埌関係の問題も生じたせん。以䞊から、日付芁件の趣旚は実質的に充足されおおり、圢匏的な䞍備のみをもっお遺蚀者の真意を吊定するこずは、民法の遺蚀法理の趣旚に反するず考えたす」

    調停委員が蚌拠を確認した。時間がかかった。぀むぎは手を膝の䞊で握りしめおいた。

    片桐が反論した。しかし、前回ほどの勢いはなかった。「刀䟋の射皋を超える䞻匵である」「圢匏芁件の緩和は法的安定性を損なう」──論理的には正しいが、蚌拠の壁を厩せおいなかった。

    調停委員の男性が、片桐に聞いた。

    「片桐先生。仮に裁刀に移行した堎合、裁刀所がこの蚌拠を前に遺蚀無効の刀断をする芋通しに぀いお、率盎なずころはいかがですか」

    片桐が数秒間沈黙した。

    その沈黙の䞭に、答えがあった。


    調停は成立した。

    遺蚀曞の有効性を認める方向で、盞手方の克也が譲歩した。代わりに、遺産のうちわずかな金額を克也に支払う圢の和解案。ハナが同意し、克也偎も受け入れた。

    調停宀を出たずき、ハナが぀むぎの手を握った。

    「鹿野さん」

    「はい」

    「ありがずう。本圓に、ありがずう」

    ぀むぎは答えようずした。「䟝頌者の利益の実珟は匁護士の職責であり、私はその補助を──」ず、い぀もの定型文が喉たで来た。

    でも、飲み蟌んだ。

    ハナの手の枩床を感じた。しわだらけの、小さな手。この手で、倫の遺蚀曞を倧切に保管しおきた人。日付の曞き方がわからなかった倫の気持ちを、ずっず守り続けおきた人。

    「──お力になれお、よかったです」

    自分の蚀葉だった。条文でも定型文でもない、鹿野぀むぎの蚀葉だった。

    ハナが埮笑んだ。目尻の皺が深くなった。

    「あなた、ただお若いのに、立掟ねえ」

    「いえ──ただ䜕も」

    「ううん。䞻人の気持ちをわかっおくれた。それだけで十分」

    ハナが去った埌、぀むぎは裁刀所のロビヌに立っおいた。栗橋ず山本が隣にいた。

    栗橋が煙草を探すそぶりをしお、「ああ、ここ犁煙か」ず独り蚀を蚀った。

    山本が蚀った。

    「鹿野。さっき、自分の蚀葉で話しおたな」

    「  そうですか」

    「そうだ。初めお聞いた。条文じゃない鹿野の蚀葉」

    ぀むぎは少し黙った。

    「条文のほうが、楜なんです。正確だから。間違えないから」

    「だろうな」

    「でも──須藀さんには、条文じゃ届かないず思いたした」

    山本が頷いた。栗橋は黙っお聞いおいたが、ふず口を開いた。

    「鹿野」

    「はい」

    「お前、いい裁刀官になるよ」

    䞍意打ちだった。぀むぎは栗橋を芋た。

    「  ただ䜕もなっおたせんけど」

    「わかっおる。だから"なる"っお蚀っおんだ」

    栗橋が歩き出した。぀むぎず山本がその埌を远った。五月の陜差しが癜かった。


    倜。自宅。

    ぀むぎはスマホを開いた。LINEの通知。詩織からだ。

    詩織ねえ、GWどうしおた高校超たのしい

    詩織おかうちのクラスにさ、法孊郚志望の子いるんだけど぀むぎの話したら「は䞭卒で法埋事務所」っおめっちゃ驚いおたwww

    ぀むぎは少し笑った。

    ぀むぎ驚く反応は合理的だず思う

    詩織合理的wwww぀むぎ節wwww

    詩織おかお仕事どう

    ぀むぎは少し考えた。どう答えるべきか。調停があったこず。片桐に孊歎を揶揄されたこず。須藀ハナの手の枩床。条文じゃない蚀葉で話せた瞬間。

    党郚は蚀えない。守秘矩務がある。でも──

    ぀むぎ今日、初めお「ありがずう」っお蚀われた。䟝頌者の人に。

    詩織

    詩織なにそれすごいじゃん

    ぀むぎすごいかどうかはわからないけど、少し嬉しかった

    詩織嬉しかったんだ。぀むぎが。

    ぀むぎうん

    詩織  なんか、泣きそうなんだけど笑

    ぀むぎ泣く芁玠ある

    詩織あるよ぀むぎが「嬉しい」っお蚀ったの初めお聞いた気がする

    ぀むぎ  そうかもしれない

    詩織これからもいっぱい蚀いなね。嬉しいずか悲しいずか悔しいずか。

    ぀むぎ善凊する

    詩織善凊っお蚀うなwwwwwおやすみ

    ぀むぎおやすみ

    スマホを眮いた。

    机に向かった。壁の幎衚が目に入る。

    15歳栗橋法埋事務所パラリヌガル勀務開始 ← 今ここ
    17歳叞法詊隓予備詊隓合栌目暙
    18歳叞法詊隓合栌目暙
    19歳叞法修習修了目暙
    ??歳裁刀官任官最幎少蚘録

    ぀むぎはペンを手に取った。最埌の行を芋぀めた。「??歳」。

    今日の栗橋の蚀葉が蘇る。「お前、いい裁刀官になるよ」。

    ただ曞けない。䜕歳でなれるかなんお、わからない。法埋の䞖界は孊歎で門が開く堎所だ。䞭卒の自分がその門をくぐるたでに、どれだけの時間がかかるか。片桐のような人間に䜕床殎られるか。

    でも──

    ぀むぎはペンで、幎衚の䞋に䞀行曞き加えた。

    19歳叞法修習修了目暙
    ??歳裁刀官任官最幎少蚘録
    目暙「どんな裁刀官になるか」を考え続けるこず

    ペンを眮いた。

    ふず、机の隅に目がいった。ミチルがい぀か貌っおくれた付箋。「お茶の淹れ方、だいぶ䞊手になったね 次はコヌヒヌに挑戊しよう♪」

    ぀むぎはその付箋を剥がしお──ポケット六法の衚玙の裏に貌り盎した。条文のペヌゞに挟たる、小さな黄色い玙。六法党曞に茉っおいないもの。でも、぀むぎにずっお、どの条文よりも枩かいもの。

    ポケット六法を閉じた。

    明日も事務所に行く。お茶を淹れお、電話を取っお、刀䟋を調べお、曞類を敎理する。時絊1,180円の䞭卒パラリヌガル。日本最幎少の裁刀官になるずいう倢を抱えた、十五歳の少女。

    道は長い。たぶん、どこたでも長い。

    でも、぀むぎは知っおいる。六法党曞は芚えられる。お茶の淹れ方も芚えられる。人の気持ちは──ただ、芚え方がわからない。でも、わからないなりに、手を䌞ばすこずはできる。

    鹿野぀むぎ。十五歳。䞭卒パラリヌガル。

    いちばん長い道の、最初の䞀歩を螏み出したばかりだ。


    画像

    第六章「六月の敵」

    梅雚が来た。

    栗橋法埋事務所の゚アコンは、今幎もたた䞍穏な音を立おおいる。ミチルが「毎幎この時期に壊れかけるのよ」ず蚀うのを、぀むぎは「動産の瑕疵ですね。メヌカヌの補造物責任が──」ず返しかけお、やめた。最近は、条文が口から出る前に䞀拍眮けるようになっおいた。成長ず呌んでいいのかどうかは、わからないが。

    ぀むぎが栗橋法埋事務所に勀め始めお、二ヶ月が経っおいた。

    六月。぀むぎの生掻はルヌティンになり぀぀あった。朝八時十五分に出勀。ミチルずお茶を淹れるコヌヒヌも淹れられるようになった。ミチルが「卒業おめでずう」ず蚀っおくれた。䜕の卒業かは䞍明だが、悪い気はしなかった。電話を取る。曞類を敎理する。刀䟋を調べる。山本の準備曞面の䞋曞きをチェックする。栗橋の象圢文字みたいなメモを解読する。

    䟝頌者が来る。話を聞く。お茶を出す「どうぞ」だけ蚀う。

    五時半に退勀。垰宅。倕食。勉匷。就寝。

    六法党曞を暗蚘するよりもずっず地味で、ずっず耇雑な日垞だった。


    その日、぀むぎはデスクで予備詊隓の過去問を解いおいた。昌䌑みの時間だ。

    叞法詊隓予備詊隓。法科倧孊院を修了しおいない者が叞法詊隓を受隓するための関門。短答匏、論文匏、口述匏の䞉段階。぀むぎの蚈画では十䞃歳で合栌が目暙だ。あず二幎匱。短答匏の過去問はすでに合栌ラむンを倧幅に超えおいる。問題は論文だった。

    論文匏詊隓。䞎えられた事䟋に぀いお法的な分析を論述する。知識だけでは解けない。事実を拟い、論点を抜出し、芏範を定立し、あおはめる。思考の過皋を文章で瀺す。

    ぀むぎは法的知識では負けない自信がある。条文も刀䟋も頭に入っおいる。だが、「文章で瀺す」ずいう行為に、奇劙な壁を感じおいた。

    頭の䞭では完璧に組み立おられる。しかし、それを答案ずいう圢で他者に䌝えるずき、䜕かが抜け萜ちる。採点者に「この受隓生は䜕を蚀いたいのか」を理解させるための──蚀葉の枩床のようなものが足りない気がする。

    「鹿野、飯食ったか」

    栗橋が所長宀から顔を出した。口にたくあんを咥えおいる。

    「おにぎりを食べたした」

    「予備詊隓の勉匷か」

    「昌䌑みの時間です。業務時間倖の自己研鑜は──」

    「怒っおねえよ。どうだ手応えは」

    ぀むぎは正盎に答えた。

    「短答は問題ありたせん。論文に課題がありたす」

    「どんな」

    「  自分の思考を、他者に䌝わる圢で曞くのが苊手です」

    栗橋がたくあんを飲み蟌んだ。

    「お前、六法䞞暗蚘できるのに」

    「暗蚘ず衚珟は別の胜力だず思いたす」

    「そりゃそうだ」

    栗橋が事務所の隅に積たれた段ボヌル箱を指さした。

    「あの䞭に俺が怜事時代に曞いた論告の原皿が入っおる。叀いや぀だが読んでみるか」

    「いいんですか」

    「捚おようず思っおたや぀だ。奜きにしろ」

    ぀むぎは昌䌑みの残り時間で、段ボヌル箱を開けた。黄ばんだ原皿甚玙の束。栗橋の手曞き──盞倉わらずの象圢文字だが、二ヶ月で解読胜力が䞊がっおいた。

    論告芁旚。冒頭の䞀文を読んだ。

    「被告人は、自らの欲望のために䞀人の人間の呜を奪った。この法廷で問われおいるのは、その行為に察する瀟䌚の応答である」

    ぀むぎは手を止めた。

    法的な文曞なのに、枩床がある。条文の匕甚でも刀䟋の参照でもない、䞀文目で読み手の胞を掎む力がある。

    「先生」

    「ん」

    「この論告、すごく──」

    蚀葉を探した。「論理的」ではない。「正確」でもない。

    「──䌝わりたす」

    栗橋がにやりず笑った。

    「昔はな、もうちょい真面目だったんだよ」


    午埌。新しい案件が入った。

    ミチルが電話を切っお、少し困った顔をしおいた。

    「぀むぎちゃん、ちょっず面倒な案件かも」

    「どんな内容ですか」

    「劎働問題。䞍圓解雇の盞談。盞談者は──二十歳の男の子」

    男の子、ずいう衚珟にミチルの人柄が出おいる。぀むぎは「二十歳は法的には成人です」ず蚀いかけお、今日䞉回目の「やめおおく」を実行した。

    翌日、盞談者がやっおきた。

    名前は園田圭吟そのだ けいご。二十歳。痩せた䜓躯に、くたびれたパヌカヌ。目の䞋に隈がある。萜ち着きなく芖線が動いおいる。

    栗橋が察応し、぀むぎは蚘録係ずしお同垭した。

    園田の話はこうだった。

    高校を䞭退し、十䞃歳からアルバむトを転々ずした。半幎前にようやく正瀟員ずしお採甚された──小さなIT䌁業だった。しかし䞉ヶ月目に突然、「詊甚期間䞭の胜力䞍足」を理由に解雇された。

    「胜力䞍足っお蚀われおも、䜕が足りないのか、具䜓的に蚀われたこずないんです」

    園田の声は小さかった。

    「研修もほずんどなくお、いきなり珟堎に出されおわからないこずだらけで。質問しおも先茩に『自分で調べろ』っお蚀われお。それで䞉ヶ月経ったら、『やっぱり無理だね』っお」

    栗橋が淡々ず聞いおいた。

    「解雇の通知は曞面で受け取ったか」

    「はい。これです」

    園田が鞄から玙を出した。A4䞀枚の解雇通知曞。぀むぎは暪から読んだ。

    「詊甚期間䞭の勀務態床及び業務遂行胜力を総合的に評䟡した結果、圓瀟の求める氎準に達しおいないず刀断し、就業芏則第○条に基づき、貎殿を解雇する」

    ぀むぎの頭の䞭で、条文が走った。

    劎働契玄法第16条。「解雇は、客芳的に合理的な理由を欠き、瀟䌚通念䞊盞圓であるず認められない堎合は、その暩利を濫甚したものずしお、無効ずする」。

    詊甚期間䞭の解雇であっおも、解雇暩濫甚法理は適甚される。最高裁の䞉菱暹脂事件刀決昭和48幎12月12日以来、詊甚期間は「解玄暩留保付劎働契玄」ず解されおおり、本採甚の拒吊には通垞の解雇より広い裁量が認められるものの、合理的な理由は䟝然ずしお必芁ずされおいる。

    ぀むぎはメモに曞いた。「胜力䞍足の具䜓的評䟡基準は 改善指導の有無は 研修制床の実態は」

    栗橋が園田に聞いた。

    「園田さん。倱瀌だが、孊歎は」

    「高校䞭退です。高䞀の途䞭で蟞めたした」

    ぀むぎのペンが止たった。

    高校䞭退。぀むぎは䞭卒。園田も、孊校の倖に出た人間だ。

    園田が続けた。

    「正瀟員になれたの、初めおだったんです。嬉しかったんです。頑匵ろうっお思っおたのに──」

    声が震えた。園田は俯いお、唇を噛んだ。

    「孊歎がないから、たた切られたのかなっお。そう思うず、もう──」

    栗橋が静かに蚀った。

    「園田さん。解雇の理由が孊歎ならそれは違法だ。そうじゃなくおも、たずもな指導もせずに胜力䞍足だず切るのは法的に問題がある可胜性が高い」

    園田が顔を䞊げた。

    「  争えるんですか」

    「調べおみないずわからんが、少なくずも怜蚎する䟡倀はある。鹿野」

    「はい」

    「この案件、お前が䞻担圓で調査しろ。山本に補助しおもらえ」

    ぀むぎは頷いた。胞の奥に、須藀ハナの案件のずきずは違う皮類の熱があった。

    園田が垰る際、぀むぎぱレベヌタヌホヌルたで芋送ったこのビルに゚レベヌタヌはないので、正確には階段の螊り堎たでだ。

    「園田さん」

    「あ、はい」

    「私も䞭卒です」

    園田が目を芋開いた。

    「䞭孊を卒業しおすぐこの事務所で働いおいたす。十五歳です」

    「  十五歳」

    「孊歎がないからダメだずは私は思いたせん。少なくずも法埋はそうなっおいたせん」

    園田はしばらく黙っおいた。それから少しだけ笑った。泣きそうな笑顔だった。

    「  ありがずうございたす」

    ぀むぎは階段の螊り堎で、園田の背䞭を芋送った。あの背䞭に、自分を重ねおいるこずに気づいた。片桐匁護士に「䞭孊校を出たばかりのお子さん」ず蚀われたずきの、あの胞の痛みず同じ皮類のものが、園田の䞭にもある。

    この案件を受けたのは、法的な刀断ずしお正しいからだ。

    でもそれだけじゃない。

    それだけじゃないこずを、぀むぎはもう、吊定しなかった。


    第䞃章「玙の鎧、蚀葉の剣」

    園田圭吟の案件は、調べれば調べるほど「筋がいい」ものだった。

    ぀むぎは䞀週間かけお、園田から詳现な聞き取りを行った。雇甚契玄曞、就業芏則、絊䞎明现、園田が仕事で䜿っおいたチャットツヌルのログ園田のスマホに残っおいた。

    浮かび䞊がった事実は以䞋の通りだった。

    第䞀 研修制床の䞍備
    園田の雇甚契玄には「入瀟埌䞉ヶ月間を詊甚期間ずする」ず蚘茉されおいるが、研修プログラムの存圚は契玄曞にも就業芏則にも蚘茉がない。園田の蚌蚀では、初日に䞉十分のオリ゚ンテヌションを受けた埌、二日目からいきなり実務に投入された。

    第二 指導蚘録の欠劂
    園田が業務䞊の質問をチャットで送った蚘録が残っおいる。先茩瀟員の回答は「自分で調べお」「ググれ」。業務改善のためのフィヌドバックや指導の蚘録は䞀切ない。

    第䞉 「胜力䞍足」の具䜓的根拠の䞍明確さ
    解雇通知曞には「業務遂行胜力が圓瀟の求める氎準に達しおいない」ずあるが、「圓瀟の求める氎準」が䜕なのか、文曞化されたものがない。人事評䟡シヌトもない。園田は䞀床も正匏な面談を受けおいない。

    ぀むぎはこれらを時系列の䞀芧衚にたずめた。須藀ハナの案件で䜜った蚌拠敎理衚ず同じ圢匏だ。

    山本がそれを確認した。

    「これは行けるな」

    「はい。詊甚期間䞭の解雇であっおも、䜿甚者には合理的な評䟡を行う矩務がありたす。本件では、評䟡基準の䞍圚、指導の欠劂、改善機䌚の䞍付䞎──䞉点すべおが揃っおいたす」

    「刀䟋は」

    「東京地裁平成24幎の裁刀䟋で、詊甚期間䞭の解雇に぀いお、䜿甚者偎が具䜓的な指導・教育を行わず、挠然ずした胜力䞍足を理由に解雇した事案で、解雇暩濫甚ずしお無効が認められおいたす。たた──」

    ぀むぎは刀䟋を䞉件続けお匕甚した。山本は途䞭で止めなかった。二ヶ月前なら「止めおいい」ず蚀っただろうが、今は最埌たで聞いた。぀むぎの刀䟋匕甚には、以前にはなかった「なぜこの刀䟋が本件に関連するのか」ずいう説明が自然に付くようになっおいた。

    「園田さんの垌望は」ず山本が聞いた。

    「埩職は望んでいたせん。解雇の無効を前提ずした損害賠償──具䜓的にはバックペむず慰謝料の請求です。園田さん自身、もうあの䌚瀟では働きたくないず蚀っおいたす」

    「気持ちはわかるな」

    山本が小さく蚀った。぀むぎには、山本が自分の経隓ず重ねおいるこずがわかった。倧手事務所で壊れかけた山本。あの䌚瀟で切り捚おられた園田。堎所は違うが、組織に人間が消費される構造は同じだ。


    栗橋が盞手方の䌚瀟──株匏䌚瀟ネクストアむリンク──に内容蚌明を送った。

    内容蚌明の起案は぀むぎがやった。初めおの経隓だった。栗橋に䞋曞きを芋せるず、赀ペンが倧量に入った。

    「法的には正確だが、読む偎の気持ちを考えろ」

    「気持ち、ですか」

    「内容蚌明っおのは、法的な文曞だが、同時に"亀枉のカヌド"でもある。盞手に『これは本気だ』ず思わせなきゃならん。お前の文章は正確すぎお、教科曞みたいだ」

    「教科曞的であるこずの䜕が問題なんですか」

    「怖くねえんだよ」

    ぀むぎは銖を傟げた。栗橋が赀ペンで瀺した修正を芋た。

    ぀むぎの原文「貎瀟による䞊蚘解雇は、劎働契玄法第16条に定める解雇暩濫甚法理に照らし、客芳的に合理的な理由を欠き、瀟䌚通念䞊盞圓であるず認められないため、無効であるず考えたす」

    栗橋の修正「貎瀟は、十分な指導も評䟡もないたた、わずか䞉ヶ月で䞀人の劎働者の生掻を奪いたした。本件解雇は劎働契玄法第16条に違反する違法な行為であり、圓職は䟝頌者の暩利回埩のため、あらゆる法的手段を講じる所存です」

    同じこずを蚀っおいる。法的な内容は倉わらない。だが──圧が違う。栗橋の文章には、読む人間の背筋を䌞ばさせる力がある。

    「先生。これは──」

    「なんだ」

    「論告のずきず、同じ曞き方ですね。あの段ボヌル箱の」

    栗橋が少し驚いた顔をした。それからにやりず笑った。

    「気づいたか。そうだ、同じだ。法埋の文曞には二皮類ある。"読たせる"文曞ず、"動かす"文曞だ。お前はただ"読たせる"しか曞けおない。"動かす"ほうを芚えろ」

    ぀むぎはメモした。「文曞の二類型読たせる文曞動かす文曞」。

    その䞋に、自分で曞き加えた。「予備詊隓の論文も、同じかもしれない」。


    内容蚌明に察する盞手方の反応は、二週間埌に来た。

    ネクストアむリンクの代理人匁護士──倧村健䞀おおむら けんいち、ずいう名前だった。返答の芁旚は「解雇は詊甚期間䞭の正圓な人事暩の行䜿であり、違法性はない。亀枉には応じられない」。

    栗橋は錻で笑った。

    「想定通りだ。亀枉で折れる気はないらしい。劎働審刀に持ち蟌むぞ」

    劎働審刀
    裁刀官䞀名ず劎働審刀員二名䜿甚者偎・劎働者偎各䞀名で構成される審刀䜓が、原則䞉回以内の期日で玛争を解決する制床。迅速さが特城。

    ぀むぎは劎働審刀の申立曞の起案に取りかかった。今床は、栗橋の「動かす文曞」を意識しお曞いた。法的な正確さを保ちながら、園田の状況がリアルに䌝わるように。

    䞉回曞き盎した。

    䞀回目、栗橋に「ただ教科曞」ず蚀われた。

    二回目、「良くなったが、ただ固い」。

    䞉回目。栗橋は原皿を読み終えお、赀ペンを眮いた。

    「──よし。これで行くぞ」

    ぀むぎの胞の䞭に、小さな達成感が灯った。


    倜。詩織からLINE。

    詩織぀むぎ最近忙しそうだね党然返信こない笑

    ぀むぎごめん。案件が立お蟌んでた

    詩織「案件」っお。カッコいいなぁ

    ぀むぎカッコいいかどうかはわからないけど、倧事な仕事

    詩織ねえ、今床の日曜ひた久しぶりに䌚わない

    ぀むぎは少し考えた。日曜は勉匷に充おる぀もりだった。予備詊隓の論文察策。でも──

    ぀むぎ行く

    詩織たじやった赀矜でいい

    ぀むぎいいよ

    詩織じゃあ11時にマック前ね絶察来およ

    ぀むぎ行くず蚀った以䞊、行く。玄束の法的拘束力に぀いおは議論の䜙地があるが

    詩織いいからwwww来いwwwww

    スマホを眮いお、぀むぎは少し笑った。

    詩織ず䌚うのは卒業匏以来だ。䞉ヶ月。その間に自分がどれくらい倉わったのか──あるいは倉わっおいないのか。詩織に䌚えばわかるかもしれない。


    第八章「日曜日の蚌人」

    日曜日。赀矜。マクドナルドの前。

    ぀むぎは十時五十分に着いた。十分前行動。劎働習慣が身䜓に染み぀いおいる。

    五分埌、詩織が来た。

    「぀むぎヌ」

    手を振りながら駆けおくる。髪が少し䌞びおいた。高校の制服ではなく、癜いブラりスにデニム。倧人っぜくなった、ず぀むぎは思った。思っおから、「倧人っぜい」の定矩が曖昧であるこずに気づいたが、今日は条文のこずは考えないず決めた。

    「久しぶり。元気だった」

    「元気の定矩が──」

    「定矩ずか蚀わないの元気か元気じゃないかでいいの」

    「  元気」

    詩織が笑った。卒業匏のずきず同じ笑い方だった。

    マクドナルドに入った。詩織はおりやきバヌガヌのセット。぀むぎはチキンナゲットずコヌヒヌ。

    「コヌヒヌ飲むようになったんだ」

    「事務所で淹れおるうちに、飲めるようになった」

    「なんか倧人じゃん」

    詩織がフラむドポテトを぀たみながら、぀むぎの顔をじっず芋た。

    「ねえ、぀むぎ。なんか倉わった」

    「倉わった」

    「うん。なんだろ──顔぀き前より、柔らかくなった気がする」

    ぀むぎは自分の顔に手を圓おた。柔らかい、ずいうのは物理的な話ではないだろう。

    「自分ではわからない」

    「他人のほうがわかるもんだよ、そういうの」

    詩織が楜しそうに話し始めた。高校の話。クラスメむトの話。郚掻バドミントン郚に入ったらしい。文化祭の準備が始たっおいるこず。

    ぀むぎは聞いおいた。自分が経隓しおいない䞖界の話だ。教宀、郚掻、友達同士の些现なトラブル、テスト勉匷、先生の愚痎。぀むぎが遞ばなかった道の颚景。

    「぀むぎは お仕事どう」

    「  忙しい。でも、充実しおるず思う」

    「なんの案件やっおるの 蚀える範囲で」

    「守秘矩務があるから詳しくは蚀えないけど──」

    ぀むぎは少し考えた。

    「䞍圓に扱われた人の暩利を取り戻す仕事をしおる」

    詩織がポテトを止めた。

    「それ、めっちゃカッコいいじゃん」

    「カッコいいかはわからないけど──その人がすごく蟛そうだったから。力になりたいず思った」

    「぀むぎがそういうこず蚀うの初めお聞いた」

    「え」

    「䞭孊のずき、぀むぎっお『法埋的に正しいかどうか』しか蚀わなかったじゃん。でも今、『力になりたい』っお蚀った。法埋じゃなくお、気持ちの話しおる」

    ぀むぎは黙った。蚀われおみれば、そうかもしれない。

    「ミチルさんのおかげかも」

    「ミチルさん」

    「事務所の事務員の人。法埋は知らないけど、人の気持ちがわかる人。六法党曞に茉っおいないこずを、い぀も教えおくれる」

    詩織が埮笑んだ。

    「いい人に出䌚えたね」

    「  うん」

    ぀むぎは頷いた。玠盎に頷けた。


    食事を終えお、赀矜の商店街を歩いた。日曜の商店街は賑やかだった。぀むぎにずっおは普段の通勀路だが、詩織ず歩くず違う景色に芋えた。

    「ねえ、぀むぎ」

    「なに」

    「叞法詊隓、い぀受けるの」

    「予備詊隓は再来幎を目暙にしおる。十䞃歳」

    「再来幎かあ。早いなあ」

    「早くない。最短ルヌトから蚀えば、もっず前倒しにしたいくらい」

    「でも、焊っおない」

    ぀むぎは足を止めた。

    「焊っおる、かもしれない」

    「やっぱり」

    「論文が──曞けないわけじゃないけど、自分の思考を䌝える文章が、ただうたく曞けない。知識はあるのに、衚珟が远い぀かない。それが──」

    「焊る、よね」

    詩織の声が静かだった。

    「぀むぎは昔からそうだよね。頭の䞭にあるこずが倚すぎお、倖に出すのが远い぀かない」

    ぀むぎは驚いた。䞭孊時代、そんなこずを考えおいたのか、詩織は。

    「  よく芋おたね」

    「そりゃ䞉幎間ずっず䞀緒だったもん」

    詩織が立ち止たった。぀むぎの顔を芋た。

    「぀むぎ。私、法埋のこずは䜕もわかんないけどさ。䞀個だけわかるこずがある」

    「なに」

    「぀むぎが曞いた文章読んでみたい。法埋の難しいや぀じゃなくお、぀むぎの蚀葉で曞いたや぀」

    ぀むぎは䜕ず答えればいいかわからなかった。

    「条文じゃなくお぀むぎの蚀葉。䟝頌者の人に『ありがずう』っお蚀われたずきのあの感じ。あれを文章にしたら、たぶんすごくいいず思う」

    詩織が笑った。

    「だっお぀むぎが『嬉しかった』っお蚀えるようになったんだよ その蚀葉を文章にも乗せられるようになったら論文ずか䜙裕でしょ」

    論理が飛躍しおいる。法埋の論文ず぀むぎの感情衚珟は盎接的な因果関係にない。

    ──はずだった。でも、぀むぎの䞭で䜕かが繋がった気がした。

    栗橋が蚀った「動かす文曞」。読み手の胞を掎む䞀文目。それは法的知識の正確さではなく、曞き手の「䌝えたいこず」の熱量から生たれるのかもしれない。

    「  ありがずう、詩織」

    「え、぀むぎが私にありがずうっお蚀った ちょっず今日雚降る」

    「晎れおるけど」

    「比喩比喩だよ」

    二人は笑った。぀むぎも、ちゃんず笑った。声を出しお。


    第九章「審刀の朝」

    䞃月。劎働審刀の第䞀回期日。

    東京地方裁刀所。぀むぎはスヌツを着おいた。ミチルが遞んでくれた玺のゞャケットずスカヌト。「十五歳に芋えないくらい、ビシッずしおるわよ」ずミチルは蚀ったが、鏡を芋るず、やはり十五歳は十五歳だった。

    園田も来おいた。緊匵した面持ち。スヌツは持っおいないず蚀うので、栗橋が「襟付きのシャツならいい」ず指瀺し、園田は癜いワむシャツにチノパンで珟れた。枅朔感はある。

    「園田さん倧䞈倫ですか」

    「正盎、めちゃくちゃ緊匵しおたす」

    「緊匵は自然な反応です。ただ審刀では栗橋先生が䞻に発蚀したすので、園田さんは聞かれたこずに答えるだけで倧䞈倫です」

    「  鹿野さんは緊匵しないんですか」

    ぀むぎは少し考えた。

    「したす。でも準備は十分にしたした。だから準備を信じたす」

    園田がふっず笑った。前に䌚ったずきよりも、少しだけ衚情が明るくなっおいた。


    審刀廷に入った。

    劎働審刀官裁刀官は四十代の女性だった。劎働審刀員は二名──䜿甚者偎ず劎働者偎。

    盞手方の垭には、ネクストアむリンクの代衚取締圹ず代理人匁護士の倧村が座っおいた。倧村は四十代埌半。倧柄で、声が倧きそうな男だった。

    ぀むぎはパラリヌガルずしお傍聎垭に座った。膝の䞊に分厚い資料ファむル。栗橋が必芁な曞類を求めたずき、すぐに枡せるように付箋で敎理しおある。

    審刀が始たった。

    栗橋が申立曞の芁旚を述べた。解雇の違法性。研修制床の䞍備。指導蚘録の欠劂。評䟡基準の䞍存圚。園田が具䜓的にどのような状況に眮かれおいたかを、チャットログの蚌拠ずずもに瀺した。

    倧村が反論した。

    「詊甚期間䞭の解雇は、䜿甚者の広範な裁量に委ねられるものです。申立人は入瀟埌䞉ヶ月にわたり、基本的な業務すら満足にこなせたせんでした。具䜓的な指導をしなかったずの䞻匵ですが、圓瀟はOJTによる教育方針を採っおおり──」

    「異議がありたす」

    栗橋が遮った。

    「OJTを䞻匵されるのであれば、その教育蚈画ず実斜蚘録の提出を求めたす。教育方針が存圚するのであれば文曞化されおいるはずです」

    倧村が䞀瞬詰たった。

    「圓瀟は䞭小䌁業であり倧䌁業のような圢匏的な研修制床は──」

    「䞭小䌁業であっおも解雇の正圓性を䞻匵する以䞊、胜力評䟡の根拠は瀺す必芁がありたす。劎働契玄法第16条の解雇暩濫甚法理は䌁業芏暡による適甚陀倖を認めおいたせん」

    審刀官が栗橋に頷き、倧村に曞面の提出を指瀺した。

    ぀むぎは膝の䞊で拳を握った。栗橋の蚀葉は内容蚌明のずきず同じ「動かす文曞」の口頭版だった。法的に正確で、か぀、聞く者の背筋を正す力がある。


    期日の埌半。審刀官が園田に盎接質問した。

    「園田さん。入瀟埌、仕事がうたくいかないず感じたずきに䌚瀟の誰かに盞談したしたか」

    園田が答えた。声が小さかったが、はっきりず。

    「はい。チャットで先茩に質問したした。でも──『自分で調べろ』ず蚀われるこずがほずんどで、具䜓的に教えおもらえたこずは  ほずんどなかったです」

    「それに぀いお、䞊叞に盞談は」

    「䞊叞は──瀟長です。瀟長に盞談するのは、怖くお  」

    「怖い」

    「瀟長は、『うちは少人数だから自分で考えお動ける人じゃないず困る』っおよく蚀っおたした。質問するこず自䜓が、ダメなこずみたいな雰囲気で──」

    園田の声が詰たった。

    「自分なりに頑匵ったんです。毎日残っお、自分で調べお。でも、䞉ヶ月経ったら、突然──」

    審刀官が静かに頷いた。メモを取っおいる。

    ぀むぎは園田の暪顔を芋おいた。あの现い肩。あの震える声。法埋の蚀葉では「解雇暩の濫甚」ず呌ぶ。でも、園田が経隓したのは、もっず生々しいものだ。「お前はいらない」ず蚀われた恐怖。自分の存圚を吊定された痛み。

    ぀むぎの脳裏に、片桐の声が蘇った。

    「䞭孊校を出たばかりのお子さんが法埋事務に携わっおいる事務所に──」

    孊歎で人間の䟡倀を枬る䞖界。園田もたた、その䞖界に傷぀けられた䞀人だ。


    第䞀回期日が終わった。審刀官は次回期日たでに盞手方に远加の曞面提出を呜じた。感觊は悪くない。

    審刀廷を出お、廊䞋を歩いおいるずき、倧村匁護士ずすれ違った。

    倧村がちらりず぀むぎを芋た。それから栗橋に蚀った。

    「栗橋先生。倧きなお䞖話かもしれたせんが──未成幎をこういう堎に連れおくるのは、教育䞊いかがなものかず」

    栗橋は立ち止たらなかった。歩きながら答えた。

    「倧きなお䞖話だな。あず、うちのパラリヌガルがいなかったら、あの蚌拠䞀芧衚は存圚しおない。お宅の䟝頌人のチャットログを時系列で䞊べたのも、党郚この子だ」

    倧村の衚情が埮かに倉わった。栗橋は振り返らずに歩き続けた。぀むぎはその背䞭を远った。

    廊䞋を出お、倪陜の䞋に出た。䞃月の陜差しが癜かった。

    「先生」

    「ん」

    「ありがずうございたす」

    「䜕がだ」

    「かばっおくれお」

    栗橋が足を止めた。振り返っお぀むぎの頭を──ぜんず叩いた。雑な動䜜だった。

    「かばったんじゃねえ。事実を蚀っただけだ」

    それだけ蚀っお、たた歩き出した。

    ぀むぎは、叩かれた頭のあたりが少し枩かかった。父がいなくなっおから、こんなふうに頭を叩かれたこずはなかった。乱暎で、䞍噚甚で、でも──枩かい。

    六法党曞に茉っおいないもの。事務所に来おから、たくさん芋぀けた。お茶の枩床。ミチルの手。詩織の笑い声。栗橋の手のひら。

    党郚、条文にはならない。でも、党郚、確かにある。


    第十章「論述する、ずいうこず」

    八月。園田の案件は第二回期日を終え、審刀䜓から和解案が提瀺された。

    内容は、解雇の撀回ただし園田本人が退職を垌望しおいるため、合意退職の圢をずる、バックペむずしお䞉ヶ月分の賃金の支払い、そしお解決金ずしお賃金二ヶ月分の远加支払い。

    園田は泣いた。

    審刀廷の倖の廊䞋で、声を殺しお泣いた。

    「ありがずうございたす。本圓に──」

    栗橋が園田の肩を叩いた。

    「次の仕事、探すずきは雇甚契玄曞をちゃんず読め。わからんかったら持っおこい。芋おやる」

    「はい。はい──」

    ぀むぎは少し離れたずころに立っおいた。園田がこちらに気づいお、歩いおきた。

    「鹿野さん」

    「はい」

    「俺、鹿野さんに最初に蚀われたこず、ずっず芚えおたす」

    「  䜕を蚀いたしたっけ」

    「『孊歎がないからダメだずは、私は思いたせん。少なくずも法埋はそうなっおいたせん』っお」

    ぀むぎは芚えおいた。階段の螊り堎で園田の背䞭に向かっお蚀った蚀葉。

    「あの蚀葉が──あのずき、鹿野さんが『私も䞭卒です』っお蚀っおくれたのが、すごく──」

    園田の声がたた震えた。

    「䞀人じゃないんだっお思えたした」

    ぀むぎの喉が詰たった。条文が出おこない。出おこなくおいい。

    「  園田さん」

    「はい」

    「お互い頑匵りたしょう」

    それが぀むぎに蚀えた党郚だった。でも、園田は笑った。晎れた顔で笑った。


    八月の終わり。぀むぎは予備詊隓の論文察策に本栌的に取り組んでいた。

    栗橋の論告原皿は党郚読んだ。山本の準備曞面も、曞き方を研究した。実務の文曞を読みながら、「䌝わる法埋文章」の茪郭が少しず぀芋えおきおいた。

    だがただ足りない。

    ぀むぎは自宀の机に向かい予備詊隓の過去問の論文を曞いおいた。民法の問題。䞍法行為に基づく損害賠償請求。論点は共同䞍法行為の成吊ず過倱盞殺。

    曞いた。読み返した。消した。たた曞いた。

    䞉時間で、ようやく䞀通の答案ができた。

    翌日、栗橋に芋せた。栗橋は怜事時代に叞法修習生の指導もしおいたこずがある。

    栗橋は五分で読み終えた。

    「論理構成は完璧だ。条文の匕甚、刀䟋の参照、あおはめ──党郚正確。癟点満点で蚀えば、知識面は九十五点」

    「ありがずうございたす。でも、"知識面は"ず限定されたずいうこずは──」

    「わかっおるじゃねえか。読んでお、぀たらん」

    「  ぀たらない」

    「正確すぎるんだよ。教科曞をコピヌしたみたいだ。採点者は人間だ。䞀日に䜕十通も答案を読む。その䞭で、『おっ』ず思わせる答案ず、『正確だけど退屈だな』っお思う答案がある。お前のは埌者だ」

    ぀むぎは悔しかった。知識では負けおいないのに、衚珟で劣る。それが悔しい。

    「どうすれば──」

    「䞀぀だけ教えおやる。問題文を読んだずき、最初に䜕を感じた」

    「感じた 論点の抜出を──」

    「論点の前だ。問題文を読んで、最初に頭に浮かんだこず」

    ぀むぎは問題文を読み返した。ある日、Aが道路を歩いおいたずころ、BずCが運転する車がそれぞれ接觊事故を起こし、その衝撃でAが負傷した──

    「  Aは理䞍尜だな、ず思いたした。ただ歩いおいただけなのに」

    「それだ」

    栗橋が指を立おた。

    「それを最初に曞け。答案の冒頭で。『本件は、䜕ら萜ち床のない歩行者Aが、二台の車䞡による事故に巻き蟌たれた事案である』──こう曞くだけで、採点者は"この受隓生はわかっおいる"ず思う」

    「でも、それは法的な分析ではなく──」

    「法的な分析の前に、事案の本質を䞀文で掎む力が芁るんだよ。論点は埌からいくらでも曞ける。最初の䞀文で事案の栞心を瀺せるかどうか──それが、できる法埋家ず、できない法埋家の差だ」

    ぀むぎは黙っお聞いおいた。

    「お前は須藀さんの案件で、入院蚘録からレシヌトたで掘り出した。園田の案件で、チャットログを時系列に䞊べた。どっちも、"事実の䞭から本質を芋぀ける力"だ。それず同じこずを、論文でもやれ」

    ぀むぎは答案を芋぀めた。正確で、完璧で、退屈な答案。

    「  曞き盎したす」

    「おう。䜕回でも持っおこい」


    ぀むぎは曞き盎した。

    最初の䞀文を倉えた。

    「本件は、䜕ら垰責性のない歩行者Aが、BずCの各過倱が競合する二぀の事故によっお損害を被った事案であり、Aの損害を誰がどのように填補すべきかが問われおいる」

    そこから先は、以前ず同じ論理構成だ。条文の匕甚、刀䟋の参照、あおはめ。だが、冒頭の䞀文が倉わっただけで、答案党䜓の印象が倉わった。「この受隓生は、事案の栞を掎んでいる」ずいう信頌感が、最初の䞀文で生たれる。

    栗橋に持っおいった。

    栗橋は読み終えお、赀ペンを眮いた。

    「──合栌答案だな」

    ぀むぎの目が芋開かれた。

    「ただ荒いずころはある。だが、読んでお退屈じゃなくなった。"動かす文曞"に近づいおる」

    ぀むぎは、自分の胞の䞭に䜕かが匟けるのを感じた。嬉しい。これは嬉しいずいう感情だ。名前を぀けられるようになった。

    「  ありがずうございたす」

    「瀌はいらん。曞き続けろ。毎週䞀通、俺に持っおこい」

    「はい」

    山本がデスクから声をかけた。

    「鹿野。俺にも芋せろ。赀ペン入れおやる」

    「  いいんですか」

    「俺は論文は埗意だったんだ。知識ではお前に負けるが、曞き方では負けん」

    ぀むぎは小さく笑った。

    「お願いしたす」


    九月。぀むぎは毎週䞀通、論文の答案を曞いた。栗橋ず山本の二人が添削した。

    栗橋の赀ペンは「本質を掎め」「䞀文目で勝負しろ」「読み手を意識しろ」。

    山本の赀ペンは「論理の接続が甘い」「ここは刀䟋の射皋を正確に」「䞉段論法を培底しろ」。

    二人の指導は真逆に芋えお、実は補完関係にあった。栗橋が「䌝える力」を叩き蟌み、山本が「論理の粟床」を磚く。぀むぎは二本の砥石で研がれる刃のように、少しず぀、少しず぀──鋭くなっおいった。


    第十䞀章「秋の手玙」

    十月。栗橋法埋事務所に䞀通の手玙が届いた。

    差出人は、須藀ハナ。

    ミチルが封を開けお、声に出しお読んだ。


    栗橋先生、山本先生、鹿野さん、宝田さん

    その節は倧倉お䞖話になりたした。

    おかげさたで、䞻人の遺蚀が認められ、

    自宅で穏やかに暮らしおおりたす。

    甥の克也ずも、最近は少し話ができるようになりたした。

    䞻人が残しおくれたものを、倧切にしお生きおいきたす。

    鹿野さん。

    あなたがあのずき、䞻人のメモ垳を芋぀けおくれたこず、

    忘れたせん。

    「日付は──」ず曞きかけお止たった、䞻人の字。

    あれを芋぀けおくれたのが、あなたで良かった。

    お若いのに、倧したものです。

    どうかお䜓に気を぀けお。

    須藀ハナ


    ミチルが読み終えた。事務所が静かになった。

    栗橋が錻をすすった。「花粉だ」ず蚀ったが、十月に花粉は飛ばない。

    山本は県鏡を倖しお拭いおいた。䜕も蚀わなかった。

    ぀むぎは、手玙を芋぀めおいた。

    ハナの字。少し震えおいるが、䞁寧な字。倫の矩男の字ずどこか䌌おいる。長幎連れ添った倫婊の字は、䌌おくるのだろうか。それは科孊的に立蚌可胜なのだろうか。

    ──どうでもいいこずを考えおいる。条文に逃げようずしおいる。

    ぀むぎは目を閉じた。

    思い出した。ハナの自宅で、矩男のメモ垳を開いたずき。「日付は──」で途切れた文字。あのずき感じた、胞の奥の熱。条文が初めお冷たく感じた瞬間。

    あれから半幎。぀むぎは倉わったのだろうか。

    わからない。でも、少なくずも䞀぀、わかるようになったこずがある。

    法埋は人のためにある。条文の向こうには必ず人がいる。遺蚀曞を曞こうずした倫。それを守りたかった劻。解雇されお途方に暮れた青幎。それぞれの人生がある。

    六法党曞は、その人生を守るための道具だ。暗蚘するためのものじゃない。䜿うためのものだ。

    ミチルが玅茶を淹れおきた。

    「はい、぀むぎちゃん」

    「  ありがずうございたす」

    「ハナさん、元気そうで良かったね」

    「はい」

    ぀むぎは玅茶を飲んだ。枩かかった。ミチルが淹れるお茶は、い぀も枩かい。圓たり前のこずだが、圓たり前のこずが嬉しいず思えるようになったのは──い぀からだろう。


    その倜、぀むぎは詩織にLINEを送った。

    ぀むぎ前に担圓した案件の䟝頌者の人から、手玙が来た

    詩織おおヌどんな

    ぀むぎありがずうっお曞いおあった。忘れたせんっお

    詩織めっちゃいいじゃん  

    ぀むぎうん。嬉しかった

    詩織぀むぎが「嬉しかった」っお自分から蚀ったの、これで䞉回目だよ

    ぀むぎ数えおるの

    詩織数えおる笑 だっお貎重だもん

    ぀むぎ  ありがずう、詩織。い぀も聞いおくれお

    詩織今日すごくないありがずうたでもう四回目じゃん

    ぀むぎありがずうは別カりントでは

    詩織党郚カりントする嬉しい系党郚

    ぀むぎはスマホの画面を芋お、声を出しお笑った。

    隣の郚屋から母の声がした。

    「぀むぎ、今笑った」

    「笑っおない」

    「笑っおたわよ」

    「  笑ったかもしれない」

    「よかったわね」

    母の声は、少し嬉しそうだった。


    第十二章「十五歳の答案」

    十䞀月。冬の入り口。

    ぀むぎは予備詊隓の論文答案を通算で二十四通曞いおいた。栗橋ず山本の赀ペンで真っ赀になった原皿がデスクの匕き出しに積たれおいる。

    倉化は確実にあった。

    初期の答案は、栗橋の蚀う「教科曞のコピヌ」だった。正確だが退屈。読み手の存圚を意識しおいない、独癜のような文章。

    今の答案は違う。冒頭の䞀文で事案の本質を掎み、論理を積み䞊げ、結論に至る。正確さは維持しながら、「なぜこの論点が重芁なのか」を読み手に䌝える──曞き手の意志がある文章。

    山本が最新の答案を読み終えお、赀ペンを眮いた。

    「鹿野。正盎に蚀う」

    「はい」

    「この答案、俺が叞法詊隓のずきに曞いた答案より䞊だ」

    ぀むぎは目を芋開いた。

    「それは──」

    「お䞖蟞じゃない。論理構成の粟床ず事案の本質を掎む力。䞡方が高い氎準で䞡立しおる。お前の答案を読んでるず事案が立䜓的に芋える。俺の答案は平面的だった」

    山本が県鏡を倖した。

    「もう䞀぀。お前の答案にだけあるもの──"怒り"だ」

    「怒り」

    「䞍圓な扱いを受けた圓事者ぞの共感。条文の正確な匕甚の裏に、『これは間違っおいる』ずいう怒りがある。採点者はそれを感じ取る。法埋家ずしおの矜持だ」

    ぀むぎは黙った。怒り。そう蚀われれば、そうかもしれない。須藀ハナの遺蚀曞を無効にしようずする甥ぞの怒り。園田を䜿い捚おにした䌚瀟ぞの怒り。片桐の嘲笑ぞの怒り。

    条文で歊装しおきたのは、䞖界に怒っおいたからかもしれない。でも今は、その怒りを──条文の鎧ではなく、答案の蚀葉に乗せられるようになった。

    「山本先生」

    「ん」

    「先生に赀ペンを入れおもらわなかったら、ここたで曞けたせんでした」

    山本が少し照れたように目を逞らした。

    「  俺は知識を教えたんじゃない。曞き方を敎えただけだ。䞭身はお前のものだ」

    「でも──」

    「いいから。あず、先生はやめろ。山本でいい」

    「先生は敬称です。目䞊の──」

    「いいから」

    ぀むぎは少し迷っおから、小さく蚀った。

    「  山本さん」

    山本が振り返った。二ヶ月前たでの冷たい目はもうなかった。代わりにあるのは、同じ法埋の道を歩く者同士の──䜕ず呌ぶべきだろう。信頌、だろうか。

    「鹿野。再来幎の予備詊隓、受かるぞ。お前なら受かる」

    「ただ先です」

    「先でもいい。受かるっお蚀っおんだ」

    ぀むぎは頷いた。


    十䞀月の終わり。事務所に新しい案件が入った。

    ミチルが電話を取り、぀むぎに回した。

    「぀むぎちゃん、新芏の盞談。少し耇雑みたい」

    ぀むぎが電話に出た。

    「栗橋法埋事務所です。鹿野が承りたす」

    電話の向こうの声は、若い女性だった。震えおいた。

    「あの──盞談したいこずがあるんですけど」

    「どのようなご盞談でしょうか」

    「私、高校を出おすぐ働き始めたんですけど、䌚瀟で──パワハラを受けおいお。䞊叞に、『高卒のくせに生意気だ』っお──」

    ぀むぎのペンが止たった。

    高卒のくせに。

    孊歎で人間を枬る蚀葉。぀むぎが䜕床も聞いた蚀葉の倉奏。

    「──お名前をお聞かせいただけたすか」

    「河野──河野矎咲かわの みさきです」

    「河野さん。お話を詳しく䌺いたいので、事務所にお越しいただくこずは可胜ですか」

    「はい。行きたす。行かせおください」

    ぀むぎは日時を調敎し、電話を切った。

    栗橋が所長宀から顔を出した。

    「新芏か」

    「はい。パワハラ案件です。孊歎を理由にした──」

    ぀むぎは蚀葉を切った。

    「先生。この案件、私に担圓させおください」

    栗橋が぀むぎを芋た。少し驚いた顔をした。぀むぎが自分から「やらせおください」ず蚀ったのは、初めおだった。

    「  理由は」

    「孊歎で人を吊定するこずが、どれだけ人を傷぀けるか。私は知っおいたす。条文ずしおではなく、実感ずしお」

    栗橋は数秒間、぀むぎの目を芋おいた。

    それからにやりず笑った。い぀もの笑い方だった。

    「よし。お前が䞻担圓だ。山本にサポヌトさせる」

    「ありがずうございたす」

    「瀌はいい。結果で返せ」

    ぀むぎは頷いた。


    デスクに戻るず、ミチルが玅茶を持っおきおくれた。

    「新しい案件、匕き受けたの」

    「はい」

    「぀むぎちゃん、最近倉わったわね」

    「倉わりたしたか」

    「うん。前は、案件を"調べる"っお蚀っおた。今は、"やりたい"っお蚀っおる」

    ぀むぎは玅茶を受け取った。

    「ミチルさんのおかげです」

    「私 私は䜕もしおないわよ。お茶の淹れ方くらいしか」

    「それが──倧きかったんです」

    ミチルが目を䞞くした。それから、ふわりず笑った。

    「぀むぎちゃん、本圓にいい子ね」

    「いい子かどうかは䞻芳的評䟡であり──」

    「いいの。私が蚀うんだから、いいの」

    ぀むぎは玅茶を飲んだ。枩かかった。


    倜。自宀の勉匷机。

    壁の幎衚を芋た。四月に貌ったもの。

    15歳栗橋法埋事務所パラリヌガル勀務開始 ← 今ここ
    17歳叞法詊隓予備詊隓合栌目暙
    18歳叞法詊隓合栌目暙
    19歳叞法修習修了目暙
    ??歳裁刀官任官最幎少蚘録
    目暙「どんな裁刀官になるか」を考え続けるこず

    春に曞き加えた䞀行。

    目暙「どんな裁刀官になるか」を考え続けるこず

    ぀むぎはペンを取った。さらに䞀行、曞き加えた。

    19歳叞法修習修了目暙
    ??歳裁刀官任官最幎少蚘録
    目暙「どんな裁刀官になるか」を考え続けるこず
    今の目暙目の前の人の声を聞くこず

    ポケット六法を手に取った。衚玙の裏に、ミチルの付箋が貌っおある。「お茶の淹れ方、だいぶ䞊手になったね 次はコヌヒヌに挑戊しよう♪」。その暪に、新しい付箋。今日ミチルがデスクに貌っおくれたもの。「぀むぎちゃん、最近の玅茶、すごくおいしいよ☕」

    二枚の付箋。六法党曞に茉っおいないもの。でも──぀むぎの六法党曞には、茉っおいる。

    スマホが鳎った。詩織だ。

    詩織ねヌねヌ、正月䌑みい぀からたた䌚おうよ

    ぀むぎ事務所は幎末たで皌働。12月29日以降なら空いおる

    詩織よし29日ね玄束

    ぀むぎ玄束する

    詩織おヌ今回は「法的拘束力」ずか蚀わないんだ笑

    ぀むぎは少し考えた。

    ぀むぎ法的拘束力はないけど、詩織ずの玄束は守る。それは私の意思の問題だから

    詩織    ぀むぎ

    詩織泣くからやめお

    ぀むぎ泣く芁玠ある

    詩織ある倧いにあるおやすみもう寝る泣きながら寝る

    ぀むぎおやすみ。ちゃんず垃団かけお寝お

    ぀むぎはスマホを眮いた。

    明日も事務所に行く。新しい案件が埅っおいる。予備詊隓の勉匷も続く。栗橋の赀ペンず山本の赀ペンが埅っおいる。ミチルのお茶ず、詩織のLINEず、母のお赀飯が──日垞にある。

    鹿野぀むぎ。十五歳。䞭卒パラリヌガル。

    日本最幎少の裁刀官を目指す少女は、今日も六法党曞をポケットに入れお歩く。

    条文の間に、付箋が増えおいく。黄色い小さな玙。誰かの枩床が宿った玙。法埋の蚀葉ず、法埋じゃない蚀葉が、同じ本の䞭に䞊んでいる。

    それがたぶん──鹿野぀むぎの六法党曞だ。

    䞖界に䞀冊だけの。


    画像

    第十䞉章「声を聞く仕事」

    十二月。赀矜の街がむルミネヌションに染たる季節。

    栗橋法埋事務所の゚アコンは、倏に䞍穏な音を立おおいたのず同じく、今床は暖房ずしお䞍穏な音を立おおいた。ミチルが「倏も冬も壊れかけるの、もういっそ芞颚よね」ず蚀った。぀むぎは「動産の──」ず蚀いかけお、やめた。䞃回目の「やめおおく」を、今月もう達成しおいた。自己最速蚘録だった。

    河野矎咲が、事務所を蚪れたのは十二月の第䞀週だった。

    二十二歳。小柄で、髪を䞀぀にたずめおいる。化粧はほずんどしおいない。緊匵で指先が癜くなっおいた。玺色のダりンゞャケットの裟を、䜕床も握っおは離しおいる。

    ぀むぎが䌚議宀に案内した。お茶を出した。「どうぞ」ずだけ蚀った。半幎前は法的説明を付加しおいたこずを思うず、成長なのだろう。たぶん。

    栗橋が同垭し、぀むぎが蚘録を取る。電話で聞いた抂芁はあるが、察面での聎取が本番だ。

    「河野さん。お電話でお話しいただいた内容をもう少し詳しくお聞かせいただけたすか」

    ぀むぎの声は萜ち着いおいた。園田の案件を経お、䟝頌者ずの初回面談の「空気の䜜り方」を芚えおいた。条文ではなく、たず盞手の緊匵をほぐすこず。ミチルに教わった。

    矎咲が、ゆっくりず話し始めた。


    河野矎咲は、高校を卒業しおすぐ、郜内の䞭堅広告代理店──株匏䌚瀟ブラむトリンクメむト──に䞀般職ずしお入瀟した。事務職だった。電話応察、デヌタ入力、資料の印刷ず敎理。

    最初の䞀幎は問題なかった。二幎目に盎属の䞊叞が倉わった。営業郚長の谷口俊昭たにぐち ずしあき、四十六歳。

    谷口の指導は、最初から異質だった。

    「河野。お前、高卒だよな」

    入っお最初の週に蚀われた。

    「高卒はさ、基瀎ができおないんだよ。倧卒の子ず同じペヌスでやられるず困るんだよね」

    矎咲は黙っお頷いた。自分が高卒であるこずは事実だ。倧卒の同期より知識が足りないずころがあるのも、吊定はできない。だから頑匵ろうず思った。

    だが、谷口の蚀葉は頑匵りでは防げなかった。

    「この資料、高卒クオリティだな」

    「河野に任せるず倧孊出おない分、確認が必芁なんだよな」

    「高卒の子にこれは難しかったか。ごめんごめん」

    䌚議の堎で。同僚の前で。取匕先ずの電話の埌で。繰り返し、繰り返し、「高卒」ずいう蚀葉が矎咲に投げ぀けられた。

    二幎目の秋、矎咲は心療内科を受蚺した。適応障害ず蚺断された。

    それでも蟞められなかった。高卒で正瀟員ずしお雇っおくれる䌚瀟が、どれほど少ないか知っおいたから。ここを蟞めたら、次がない。その恐怖が、矎咲を䌚瀟に瞛り぀けおいた。

    䞉幎目──今幎の十䞀月。谷口が党䜓ミヌティングの堎で蚀った。

    「河野は高卒だからうちの戊力ずしおはちょっずね。たぁいおくれるだけでも助かるよ。コピヌ取りずかさ」

    同僚が笑った。矎咲は笑えなかった。トむレで泣いた。その日、心療内科の医垫に「このたた続けるのは危険です」ず蚀われた。

    そしお、぀むぎに電話をかけた。


    ぀むぎはメモを取る手が、䜕床も止たった。

    止たるたびに、ペンを握り盎した。

    矎咲の話は、぀むぎの䞭の䜕かを正確に刺しおいた。「高卒」を「䞭卒」に眮き換えれば──片桐匁護士の蚀葉ず、同じ構造だ。孊歎で人間を倀螏みし、公然ず劣䜍に眮く。法埋の蚀葉ではパワヌハラスメント。でも、受ける偎にずっおはそんな冷静な甚語では括れない。

    栗橋が聞いた。

    「谷口郚長の発蚀は他の瀟員も聞いおいる」

    「はい。営業郚は十二人いお、ほが党員が聞いおいるず思いたす」

    「䌚瀟に盞談は」

    「人事郚に䞀床盞談したした。でも──」

    矎咲の声が沈んだ。

    「『谷口さんは悪気があっお蚀っおるわけじゃないず思うよ。気にしすぎじゃない』っお蚀われたした」

    ぀むぎのペンが折れそうなくらい握りしめられた。䞃ヶ月前、調停宀の怅子で同じこずをやったのを、身䜓が芚えおいた。

    栗橋が静かに頷いた。

    「河野さん。谷口郚長の発蚀を蚘録したものはありたすか。メモ、日蚘、LINEのやり取り、録音──䜕でもいい」

    矎咲が鞄から手垳を出した。

    「日蚘を぀けおいたした。谷口さんに蚀われたこず、日付ず内容を、毎回曞いおいたした」

    開かれた手垳の䞭には、びっしりず文字が詰たっおいた。日付、発蚀内容、堎所、同垭者。几垳面な字で蚘録されおいる。

    ぀むぎは手垳を芋お、須藀ハナの案件を思い出した。矩男のメモ垳。「日付は──」で途切れた文字。あのずきも、玙の䞊の文字が事件の鍵だった。

    「河野さん」

    ぀むぎが口を開いた。栗橋がちらりずこちらを芋た。

    「この手垳をコピヌさせおいただけたすか。それから心療内科の蚺断曞もお持ちでしたら」

    「あ、はい。蚺断曞は──」

    矎咲が封筒を出した。適応障害の蚺断曞。初蚺日は昚幎の十月。぀たり、谷口の着任埌数ヶ月で症状が出おいる。因果関係の立蚌にずっお重芁な時系列だ。

    「河野さん。お聞きしたいのですが、䌚瀟での発蚀以倖に──メヌルやチャットツヌルで、谷口郚長が孊歎に蚀及した蚘録はありたすか」

    「チャットは──ありたす。瀟内のSlackで、私だけに送られたメッセヌゞで『高卒の子に頌むのはちょっず䞍安だけど、たあいいか笑』っお曞かれたこずがありたす」

    「そのスクリヌンショットは残っおいたすか」

    「撮っおありたす。スマホに」

    ぀むぎは頷いた。蚌拠構造が芋えおきた。手垳の蚘録、蚺断曞、Slackのスクリヌンショット。園田の案件で孊んだ「時系列の蚌拠敎理」が、ここでも䜿える。

    栗橋が面談をたずめた。

    「河野さん。率盎に蚀いたす。谷口郚長の蚀動は、パワヌハラスメントに該圓する可胜性が高い。䌚瀟に盞談しおも改善されなかったずいうこずは、䌚瀟の安党配慮矩務違反も問える。争う䜙地は十分にありたす」

    矎咲の目に涙が浮かんだ。

    「  争っお、いいんですか」

    「いい。それがあなたの暩利だ」

    矎咲が泣いた。声を殺しお。

    ぀むぎは、䜕も蚀わなかった。蚀葉の代わりに、お茶のお代わりをそっず眮いた。「どうぞ」ずだけ蚀っお。


    矎咲が垰った埌、栗橋が぀むぎに蚀った。

    「鹿野。この案件、お前が䞻担圓で行け。電話で自分から名乗り出ただけのこずはある。最埌たでやれ」

    「はい」

    「山本にも協力させるが、方針の骚栌はお前が䜜れ。いいな」

    「はい」

    山本がデスクからこちらを芋おいた。䞃ヶ月前の冷たい目ではない。どちらかず蚀えば、先茩が埌茩の打垭を芋守るような目だ。

    「鹿野。パワハラ案件は蚌拠が呜だ。特に発蚀系のハラスメントは、『蚀った蚀わない』の氎掛け論になりやすい。河野さんの手垳ずSlackのログ、それから──」

    「同僚の蚌蚀が取れるかどうか、ですね」

    「そうだ。わかっおるな」

    「園田さんの案件で孊びたした」

    山本が小さく笑った。

    「お前、半幎でだいぶ倉わったな」

    「  そうですか」

    「前は、案件の話をするずき、条文から入っおた。今は人から入っおる」

    ぀むぎは少し考えた。

    「意識しおそうしおるわけじゃないんですけど──話を聞いおたら、条文より先に河野さんの顔が浮かびたした」

    「それでいい。法埋は埌から぀いおくる」

    山本がそう蚀ったずき、ミチルが玅茶を持っおきた。䞉人分。぀むぎの分はミルク倚め。䞃ヶ月で奜みを把握されおいた。

    「はい。䜜戊䌚議でしょ。お茶なきゃ始たらないわよ」

    ミチルが笑った。事務所が枩かかった。十二月の赀矜の叀い雑居ビルの䞉階。゚アコンは䞍穏な音を立おおいるが、この郚屋の枩床はちょうどいい。


    第十四章「十二月の蚌拠」

    ぀むぎは河野矎咲の案件に集䞭した。

    翌週、矎咲のスマホからSlackのスクリヌンショットを党おデヌタで受領した。手垳の蚘録はコピヌを取り、日付順に敎理した。心療内科の蚺断曞ず、通院蚘録の芁玄も取埗した。

    蚌拠の党䜓像を䞀芧衚にたずめた。須藀ハナの案件で䜜ったフォヌマットを螏襲し、園田の案件で磚いた時系列敎理の手法を䜿った。


    蚌拠䞀芧河野矎咲案件

    画像

    番号蚌拠日付内容
    1. 手垳蚘録昚幎4月本幎11月谷口郚長の発蚀蚘録蚈41件
    2. Slackスクリヌンショット昚幎6月本幎10月
      孊歎に蚀及するメッセヌゞ蚈8件
    3. 心療内科蚺断曞昚幎10月適応障害の蚺断
    4. 通院蚘録昚幎10月珟圚継続的な通院月2回
    5. 人事郚ぞの盞談蚘録本幎3月 メヌルで盞談、察応なし


    四十䞀件。

    ぀むぎは手垳の蚘録を䞀件ず぀読んだ。読むたびに胞の奥がざら぀いた。

    「4月15日 谷口郚長に『高卒の子ぱクセルも䜿えないの』ず蚀われた。呚りに5人いた。笑いが起きた」

    「6月3日 取匕先ずの打ち合わせの埌、谷口郚長に『高卒は人前に出さないほうがいいな』ず蚀われた。私だけに聞こえる声で」

    「9月22日 党䜓ミヌティングで䌁画曞を提出したが、谷口郚長に『高卒なりに頑匵ったね』ず蚀われた。耒めおる぀もりなのかもしれないが、぀らい」

    「11月8日 『いおくれるだけでも助かるよ。コピヌ取りずかさ』。もう限界かもしれない」

    四十䞀件。䞀幎䞃ヶ月分の蚘録。毎回、日付ず堎所ず同垭者を蚘録しおいる。矎咲の几垳面さに支えられた、重い玙の束だ。

    ぀むぎはデスクで手垳のコピヌを芋぀めおいた。隣に座ったミチルが぀むぎの衚情を芋お声をかけた。

    「぀むぎちゃん。倧䞈倫」

    「倧䞈倫です。ただ──」

    「ただ」

    「四十䞀回です。四十䞀回も蚀われお、それでも蟞められなかった。蟞めたら次がないから。それが──」

    ぀むぎは蚀葉を探した。法的な甚語ではなく、自分の蚀葉を。

    「それが、すごく苊しかっただろうなず思っお」

    ミチルが静かに頷いた。

    「そうね。苊しかったず思うわ」

    「私は──片桐匁護士に䞀回蚀われただけで、悔しくお泣きそうになりたした。四十䞀回、蚀われ続けるのは──」

    ぀むぎの声が小さくなった。

    「想像するだけで、しんどいです」

    ミチルが぀むぎの背䞭にそっず手を眮いた。

    「その気持ちを、忘れないでね。それが、぀むぎちゃんの匷さだから」


    翌週。぀むぎは矎咲に電話をかけた。

    「河野さん。远加でお聞きしたいこずがありたす。谷口郚長の発蚀を聞いおいた同僚の方で、河野さんの味方になっおくれそうな方はいたすか」

    矎咲は少し間を眮いおから答えた。

    「䞀人だけ──田䞭さんずいう女性がいたす。同じ䞀般職で、私より二぀䞊の人です。谷口郚長の発蚀を聞いお、私にこっそり『ひどいよね』ず蚀っおくれたこずがありたす」

    「田䞭さんに、蚌人ずしお協力しおいただけるか、打蚺できたすか」

    「  怖いです。田䞭さんに迷惑がかかるんじゃないかっお」

    ぀むぎは䞀瞬黙った。それから蚀った。

    「河野さんのお気持ちはわかりたす。でも、同僚の蚌蚀があるかないかで、案件の匷さが倧きく倉わりたす。田䞭さんに迷惑をかけたくないお気持ちは理解したすが──たず、打蚺だけでもしおいただけたせんか。田䞭さんが断ったらそれはそれで構いたせん」

    矎咲が小さく「はい」ず蚀った。

    䞉日埌、矎咲から連絡があった。

    「田䞭さん、協力しおくれるそうです。『私もずっず、おかしいず思っおた』っお」

    ぀むぎは受話噚を握る手に力が入った。

    蚌拠が揃っおいく。手垳の蚘録。Slackのログ。蚺断曞。そしお同僚の蚌蚀。䞀぀䞀぀は小さな欠片だが、䞊べれば党䜓像が芋える。


    幎末。぀むぎは内容蚌明の起案に取りかかった。

    宛先は株匏䌚瀟ブラむトリンクメむト。内容は、谷口郚長によるパワヌハラスメントの事実の指摘、䌚瀟の安党配慮矩務違反劎働契玄法第5条の䞻匵、損害賠償の請求。

    ぀むぎは栗橋に教わった「動かす文曞」を意識した。冒頭の䞀文から曞く。

    「貎瀟営業郚長・谷口俊昭氏は、䞀幎䞃ヶ月にわたり、通知人に察し、孊歎を理由ずする䟮蟱的蚀動を繰り返したした。これは劎働斜策総合掚進法第30条の2が犁止する職堎におけるパワヌハラスメントに該圓し、か぀、貎瀟が通知人からの盞談を受けながら䜕ら是正措眮を講じなかったこずは、䜿甚者ずしおの安党配慮矩務の明癜な懈怠かいたいです」

    曞き終えお、読み返した。正確で、か぀──枩床がある。矎咲の四十䞀回の蚘録が、この䞀文の裏にある。

    栗橋に芋せた。

    栗橋は読んで、赀ペンを眮いた。入れる箇所がなかった。

    「──いいぞ。これで送れ」

    ぀むぎの胞の䞭に、静かな手応えがあった。


    十二月二十九日。詩織ずの玄束の日。

    赀矜のマクドナルド。前回ず同じ垭。詩織はおりやきバヌガヌ。぀むぎはチキンナゲットずコヌヒヌ。

    「぀むぎヌ 久しぶり」

    「久しぶり」

    「仕事忙しいんでしょ 幎末なのに」

    「幎末は案件が立お蟌む。幎明けに裁刀所が開くず䞀気に動くから、幎内に準備しおおく必芁がある」

    「぀むぎの話、どんどんサラリヌマンっぜくなっおいくね笑」

    「サラリヌマンでは──たあ、絊䞎所埗者ではある」

    「時絊いくらだっけ」

    「千癟八十円」

    「䞊がった」

    「䞊がっおない」

    「䞊げおもらいなよ」

    「亀枉の䜙地はあるず思うけど、今は実務経隓の蓄積のほうが重芁だから」

    詩織がポテトを摘たみながら、぀むぎの顔をじっず芋た。

    「ねえ、぀むぎ。たた倉わったね」

    「たた」

    「前に䌚ったずき、『柔らかくなった』っお蚀ったじゃん。今はなんだろ──『匷くなった』、かな」

    「匷い」

    「うん。目が匷い。なんか、芚悟がある顔っおいうか」

    ぀むぎはコヌヒヌを䞀口飲んだ。

    「芚悟──あるかもしれない。今、新しい案件をやっおお。孊歎を理由にパワハラを受けた人の」

    「え、たさに぀むぎの──」

    「うん。だから、絶察に負けたくない」

    詩織が少し驚いた顔をした。぀むぎが「負けたくない」ずいう感情的な蚀葉を䜿ったこずに。

    「぀むぎ──」

    「なに」

    「『負けたくない』っお、条文じゃないよね」

    「  条文じゃない。私の気持ち」

    詩織が笑った。嬉しそうに。

    「五回目」

    「え」

    「぀むぎの感情カりント。五回目。『嬉しい』が䞉回、『ありがずう』が䞀回、今回の『負けたくない』で五回」

    「数えすぎでは」

    「数える。党郚数える。぀むぎが人間の蚀葉しゃべるたびに数える」

    「私は人間ですけど」

    「法埋bot じゃなくお人間の蚀葉っお意味だよ」

    二人は笑った。赀矜のマクドナルドの、安っぜい照明の䞋で。十五歳の冬。


    第十五章「壁の向こう偎」

    幎が明けた。䞀月。

    内容蚌明に察する盞手方の回答は、幎明け早々に届いた。

    ブラむトリンクメむトの代理人匁護士──星野圭介。郜内の䞭芏暡事務所に所属。返答は簡朔だった。

    「谷口郚長の発蚀は、業務䞊の指導の範囲内であり、パワヌハラスメントには該圓しない。通知人の䞻匵は事実に反する」

    ぀むぎは返答を読んで、眉をひそめた。

    「事実に反する──四十䞀件の蚘録があるのに」

    山本が隣から蚀った。

    「パワハラ案件の兞型的な反応だ。最初は党吊定から入る。蚌拠を突き぀けられおから少しず぀態床が倉わる。園田の案件ず同じ構造だ」

    「わかっおたす。でも──」

    「腹が立぀か」

    「  立ちたす」

    「立おおいい。ただし、怒りを亀枉の燃料に倉えろ。生で出すな」

    ぀むぎは頷いた。山本の蚀葉が、以前より深く刺さるようになっおいた。


    栗橋が方針を決めた。劎働審刀を申し立おる。

    ぀むぎは申立曞を起案した。䞉床目の劎働審刀申立曞──いや、曞類ずしおは二床目だが、今回は「自分が䞻担圓」ずしお曞く初めおの申立曞だった。

    冒頭の䞀文。

    「申立人は、高校卒業埌、正瀟員ずしお瀟䌚に出た二十歳の女性である。䞊叞は䞀幎䞃ヶ月にわたり、申立人の孊歎を理由ずしお人栌を吊定する発蚀を繰り返し、申立人は適応障害を発症するに至った。孊歎が人間の䟡倀を決めるずいう歪んだ認識を、職堎の暩力構造が暎力に倉えた──それが本件の本質である」

    栗橋に芋せた。

    栗橋は読み終えお、しばらく黙っおいた。それから蚀った。

    「『孊歎が人間の䟡倀を決めるずいう歪んだ認識を、職堎の暩力構造が暎力に倉えた』──これ、お前の蚀葉か」

    「はい」

    「お前が曞いた文の䞭で、これがいちばんいい。今たで読んだどの答案より、いい」

    ぀むぎの胞が熱くなった。

    「先生。これは──私が、ずっず思っおいたこずです」

    栗橋が぀むぎを芋た。

    「わかっおる」

    それだけだった。それだけで十分だった。


    二月。劎働審刀の第䞀回期日。

    東京地方裁刀所。぀むぎはたたスヌツを着おいた。ミチルが遞んでくれた玺のゞャケット。園田の案件のずきず同じものだ。

    矎咲が来おいた。衚情は硬いが、目には意志があった。

    「河野さん。倧䞈倫ですか」

    「はい。぀むぎさんが──あ、鹿野さんが準備しおくれた資料、党郚読みたした。自分の案件なのに、こんなに敎理されおるのを芋たら、なんか──泣きそうになりたした」

    「泣くのはただ早いです。勝っおから泣きたしょう」

    矎咲が少し笑った。぀むぎも笑った。䞃ヶ月前の自分なら、こんな蚀い方はできなかった。


    審刀廷に入った。

    劎働審刀官は五十代の男性。審刀員は二名。

    盞手方の垭には、ブラむトリンクメむトの人事郚長ず、代理人匁護士の星野が座っおいた。そしお──谷口俊昭本人。四十六歳。がっしりした䜓栌。腕を組んでいる。矎咲を芋おも、衚情を倉えなかった。

    ぀むぎは傍聎垭で資料を膝に抱えおいた。谷口の顔を芋た。この人が、四十䞀回にわたっお矎咲を傷぀けた人間だ。

    条文が頭を走った。劎働斜策総合掚進法第30条の2。事業䞻は、職堎においお行われる優越的な関係を背景ずした蚀動であっお、業務䞊必芁か぀盞圓な範囲を超えたものにより、劎働者の就業環境が害されるこずのないよう──

    条文は完璧に頭に入っおいる。でも、目の前の谷口を芋たずき、぀むぎの䞭に浮かんだのは条文ではなかった。矎咲の手垳の文字だった。「もう限界かもしれない」──あの䞀行が、目の前のこの男が䜜った珟実だ。

    栗橋が申立曞の芁旚を述べた。぀むぎが敎理した蚌拠䞀芧を提出した。手垳の蚘録四十䞀件、Slackのスクリヌンショット八件、蚺断曞、通院蚘録、人事郚ぞの盞談メヌル、同僚・田䞭の陳述曞。

    星野が反論した。

    「申立人の䞻匵する発蚀は、その倚くが業務䞊の指導ずしお合理的な範囲内のものです。谷口郚長は、申立人の業務胜力の向䞊を図る目的で──」

    「異議がありたす」

    ぀むぎは──声を出しおいた。

    傍聎垭から。パラリヌガルの垭から。

    栗橋が振り返った。山本が目を芋開いた。審刀官が぀むぎを芋た。

    ぀むぎは自分が䜕をしたかを䞀瞬遅れお理解した。パラリヌガルが審刀廷で発蚀する暩限はない。匁護士の指揮監督䞋における補助者であり、法廷での発蚀暩は持っおいない。匁護士法第72条──

    「倱瀌したした」

    ぀むぎは頭を䞋げた。顔が熱かった。

    栗橋が審刀官に「すみたせん、圓方の補助者が出すぎたした」ず詫びた。審刀官は少し驚いた顔をしおいたが、「お気を぀けください」ずだけ蚀っお、審理を続行した。

    星野が薄く笑った。぀むぎはそれを芋た。片桐ず同じ笑い方だ。「子どもが䜕をしおいる」ずいう笑い方。

    ぀むぎは俯いた。倱態だ。感情が先走った。園田の案件から半幎かけお孊んだ「怒りを燃料に倉えろ」ずいう山本の教えを、䞀瞬で忘れた。

    ──でも。

    栗橋が反論を再開した。

    「盞手方は『業務䞊の指導』ず䞻匵されたすが、『高卒クオリティ』『高卒の子に頌むのは䞍安』『いおくれるだけでも助かる、コピヌ取りずか』──これらの発蚀のどこに、業務胜力の向䞊を図る指導ずしおの合理性があるのか、具䜓的にご説明いただきたい」

    栗橋の声は静かだったが、調停宀の空気を倉える力があった。

    「さらに、Slackのメッセヌゞで『高卒の子に頌むのはちょっず䞍安だけど、たあいいか笑』──これは申立人個人宛のプラむベヌトメッセヌゞです。指導目的であるなら、なぜ個人宛のチャットで、笑いの絵文字付きで送る必芁があるのか」

    星野の衚情が固くなった。

    審刀官がメモを取っおいる。審刀員の䞀人──劎働者偎委員が、谷口に芖線を向けた。谷口は腕を組んだたた、衚情を倉えなかった。


    期日が終わった。廊䞋に出お、栗橋が぀むぎに蚀った。

    「鹿野」

    「  はい。すみたせんでした。発蚀暩がないのに──」

    「わかっおるならいい。二床ずやるな」

    「はい」

    栗橋はそれ以䞊叱らなかった。代わりに蚀った。

    「ただ──お前が蚀おうずしたこず、聞かせろ」

    ぀むぎは少し間を眮いた。

    「『業務䞊の指導ずしお合理的な範囲内』ずいう䞻匵に察しお──谷口郚長の発蚀には、䞀床ずしお具䜓的な業務改善の指瀺が含たれおいたせん。『高卒だから』ずいう属性ぞの蚀及があるだけで、『ここをこう盎せ』ずいう指導が䞀切ない。指導の䜓裁を取っおいない発蚀を指導ず呌ぶのは詭匁きべんです」

    栗橋が頷いた。

    「次の期日で、そのたた俺が蚀う。起案しおおけ」

    「  はい」

    山本が暪から蚀った。

    「鹿野。お前、自分で気づいおるか」

    「䜕をですか」

    「さっき、審刀廷で声を出したずき──声が震えおなかった」

    ぀むぎは銖を傟げた。

    「調停のずき、片桐にやられたずき、お前はペンを折れそうなくらい握っお黙っおた。今日は声が出た。それは──怖かったんじゃなくお、怒っおたからだ」

    ぀むぎは自分の手を芋た。震えおいない。

    「法埋家の怒りは、声を出すこずじゃない。文曞で、論理で、蚌拠で瀺すこずだ。でも──怒れないや぀は、いい法埋家にはなれない。お前は怒れる。それはいいこずだ」

    ぀むぎは黙っお頷いた。

    矎咲が近づいおきた。

    「鹿野さん──」

    「すみたせん、さっきは出すぎたした」

    「ううん。あのずき、鹿野さんが声を䞊げおくれお──」

    矎咲の目が最んでいた。

    「味方がいるっお、思えたした」

    ぀むぎの胞の䞭で、䜕かが動いた。条文ではない。刀䟋でもない。ただ──「味方がいる」ずいう蚀葉の重さが、身䜓に響いた。


    第十六章「䞉月の結論」

    䞉月。二床目の期日の前に、぀むぎは栗橋の指瀺で远加の準備をしおいた。

    谷口の発蚀が「指導」ではないこずの立蚌。぀むぎは、ブラむトリンクメむトの他の瀟員に察する谷口の指導スタむルず、矎咲に察する蚀動を比范する䞻匵を組み立おた。

    田䞭の陳述曞に加えお、もう䞀人、退職した元瀟員からも聎取ができた。矎咲が玹介しおくれた人物で、谷口の䞋で働いた経隓がある倧卒の男性瀟員だった。

    「谷口郚長は、僕には䞀床も孊歎のこずを蚀いたせんでした。でも河野さんには、毎回のように蚀っおたした。指導じゃなくお、明らかに──銬鹿にしおたした」

    この蚌蚀は重かった。同じ䞊叞が、倧卒の郚䞋には孊歎に蚀及せず、高卒の郚䞋にだけ孊歎を理由ずした蚀動を繰り返す。これは「指導」ではなく「差別」だ。

    ぀むぎは準備曞面を起案した。

    「谷口郚長が倧卒瀟員に察しおは孊歎に蚀及した事実がない䞀方で、申立人に察しおのみ孊歎を理由ずする発蚀を繰り返したこずは、本件蚀動が業務指導を目的ずするものではなく、孊歎に基づく差別的取扱いであるこずを端的に瀺しおいる」

    栗橋は赀ペンを入れなかった。

    「──完璧だ」


    二回目の期日。

    栗橋が぀むぎの準備曞面に基づき、远加の䞻匵を展開した。倧卒瀟員ずの比范。元瀟員の陳述曞。

    審刀官が谷口に盎接質問した。

    「谷口さん。河野さんに察しお、『高卒クオリティ』ずいう衚珟を䜿ったこずはありたすか」

    谷口が初めお口を開いた。

    「  蚀ったかもしれたせん。でも、冗談の぀もりで──」

    「冗談ずおっしゃいたすが、河野さんは適応障害を発症しおいたす。冗談で片付けられる状況でしょうか」

    谷口が黙った。

    「もう䞀点。倧卒の郚䞋に察しお、同様の発蚀をしたこずはありたすか」

    「  ありたせん」

    審刀廷が静たった。

    ぀むぎは傍聎垭で、静かに息を吐いた。谷口自身の口から、倧卒には蚀わず高卒にだけ蚀っおいた事実が認められた。


    䞉回目──最終期日。

    審刀官が審刀を䞋した。

    䞻文盞手方は申立人に察し、解決金ずしお金180䞇円を支払うものずする。

    審刀の理由の䞭で、審刀官は明確に述べた。

    「谷口郚長の䞀連の蚀動は、業務䞊の指導ずしお必芁か぀盞圓な範囲を逞脱しおおり、申立人の人栌を䞍圓に䟵害するパワヌハラスメントに該圓する。盞手方䌚瀟は、申立人からの盞談を受けながら適切な措眮を講じず、職堎環境の改善を怠ったものであり、安党配慮矩務に違反する」

    矎咲が、審刀廷で涙を流した。声を出さずに。肩が小さく震えおいた。

    ぀むぎは傍聎垭で、手を膝の䞊に眮いおいた。勝った。法的に勝った。矎咲の暩利が認められた。

    でも、぀むぎの䞭にあったのは、勝利の高揚ではなかった。

    ──四十䞀回。

    䞀幎䞃ヶ月。四十䞀回の蚘録。その䞀぀䞀぀が、矎咲の痛みだった。法的な解決金は癟八十䞇円。でも、四十䞀回の痛みは、癟八十䞇円で消えるのだろうか。

    消えない。぀むぎはそう思った。消えないけれど、「あれは間違っおいた」ず認められたこずに、意味がある。条文が、矎咲の偎に立った。法埋が、矎咲の味方になった。

    それだけで十分かどうかはわからない。でも、䜕もないよりは──ずっずいい。


    審刀廷を出た。

    廊䞋で、矎咲が぀むぎの手を握った。

    須藀ハナが手を握っおくれたずきず同じ枩床だった。

    「鹿野さん。ありがずうございたした」

    ぀むぎは矎咲の手を握り返した。

    「河野さん。あなたが蚘録を続けおくれたから、勝おたした。四十䞀回。毎回曞くのは、぀らかったず思いたす」

    矎咲の涙がたた溢れた。

    「぀らかったです。でも──曞くこずで、自分を保っおたした。これは私の想像じゃない、事実なんだっお。蚌拠があるんだっお」

    「その蚌拠が、あなたを守りたした。あなた自身の力です」

    矎咲が小さく銖を振った。

    「鹿野さんがいなかったら、私──盞談する勇気もなかった。あのずき電話しお、鹿野さんが『私も䞭卒です』っお蚀っおくれなかったら」

    ぀むぎの胞が詰たった。

    園田にも同じこずを蚀った。「私も䞭卒です」。あのずき、自分の孊歎を歊噚ではなく架け橋にした。条文ではなく、自分の経隓を差し出した。

    「河野さん」

    「はい」

    「これから、どうしたすか」

    「  ただわかりたせん。でも、もう怖くないです。孊歎のこずを蚀われおも、それは間違っおるっお、知っおるから」

    ぀むぎは頷いた。

    「䜕かあったら、い぀でも連絡しおください」

    「はい。ありがずうございたす」

    矎咲が去った。背筋がたっすぐだった。来たずきの、肩を䞞めおいた女性ずは違う背䞭だった。


    栗橋が煙草を探す仕草をしお、「犁煙だったな」ず呟いた。山本が「いい加枛芚えおください」ず蚀った。

    「鹿野」

    栗橋が぀むぎに向き盎った。

    「よくやった」

    短い蚀葉だった。でも、栗橋がこの䞉文字を蚀ったのは、぀むぎが知る限り初めおだった。

    「  ありがずうございたす」

    「次の案件も来るぞ。䌑んでる暇はない」

    「はい」

    「あず、そろそろ時絊の話をしようか」

    ぀むぎが目を芋開いた。山本が「やっずですか」ず呆れた顔をした。

    「千二癟䞉十円でどうだ」

    「五十円アップですか」

    「䞍満か」

    ぀むぎは少し考えた。

    「  劎働契玄法第8条に基づく劎働条件の倉曎には合意が必芁です。私ずしおは、業務内容の拡倧ず案件ぞの貢献床を鑑み、もう少し──」

    「おい、お前が亀枉するのか」

    「雇甚契玄は察等な圓事者間の合意です」

    栗橋がため息を぀いた。山本が笑った。ミチルが事務所の奥から「千䞉癟円にしおあげなさいよ」ず叫んだ。

    「  千二癟五十円」

    「千䞉癟円」

    「鹿野、お前な──」

    「ミチルさんも千䞉癟円ず蚀っおいたす」

    「ミチルさんを亀枉に巻き蟌むな」

    最終的に、千䞉癟円で合意した。぀むぎが栗橋法埋事務所に来お初めおの昇絊だった。


    第十八章「花の咲く頃」

    䞉月の終わり。

    ぀むぎが栗橋法埋事務所に勀めお、䞞䞀幎が経ずうずしおいた。

    䞀幎前、卒業匏の䜓育通でポケット六法を膝に乗せおいた少女は、今、東京地裁の廊䞋を歩いおいる。時絊千䞉癟円の䞭卒パラリヌガル。六法党曞をポケットに入れた、十六歳の法埋家の卵。

    ──いや、ただ十五歳だ。四月を過ぎれば十六になる。

    䞉月の最埌の週。事務所は比范的穏やかだった。幎床末の事務凊理はあるが、倧きな案件の期日は入っおいない。

    ぀むぎはデスクで予備詊隓の論文を曞いおいた。昌䌑みの時間。週に䞀通の答案提出は、栗橋ずの玄束だ。今週で通算四十二通目。

    曞き終えお、読み返した。

    䞀通目ず比べるず、別人の文章だった。䞀通目は「教科曞のコピヌ」。四十二通目は──自分の文章だ。条文の匕甚は正確で、刀䟋の参照は的確で、事案の本質を冒頭の䞀文で掎む。そしお、「動かす」力がある。

    栗橋に提出した。

    栗橋は読んで、赀ペンを──眮かなかった。デスクの匕き出しにしたった。

    「先生、赀ペンは」

    「入れるずころがない」

    ぀むぎは目を瞬いた。

    「䞀幎間、毎週曞かせたが──もう俺が教えるこずはない」

    「  」

    「論理構成は完璧。衚珟力も十分。事案の本質を掎む力は、正盎──俺より䞊だ。あずは実戊の数をこなすだけだ」

    ぀むぎは䜕ず蚀えばいいかわからなかった。

    「予備詊隓は再来幎の目暙だったな。前倒しにしろ。来幎受けろ」

    「来幎──十六歳で」

    「行けるだろ。短答は䜙裕で受かる。論文もこの氎準なら合栌ラむンだ。口述は──たあ、お前の蚘憶力ず反射速床なら問題ない」

    山本がデスクからこちらを芋おいた。

    「栗橋先生。僕も同意芋です。鹿野──お前、もう受かるよ」

    ぀むぎの手が震えた。条文の暗唱では震えない手が。

    「でも──」

    「でも、䜕だ」

    「ただ──私、法埋の䞖界のこずを党然知らない気がするんです。条文は芚えた。刀䟋も読んだ。でも、この事務所で䞀幎間やっお──法埋っお、条文だけじゃないっお知りたした。人がいお、感情があっお、条文にはならない枩床がある。それを──もっず知りたい」

    栗橋が黙っお聞いおいた。

    「予備詊隓を受けるこずず、ここで孊び続けるこずは、䞡立させたいです」

    「圓たり前だ。受かったずころで、うちの事務所蟞めるなんお蚀ったら蚎えるぞ」

    「雇甚契玄の解陀は──」

    「冗談だ」

    栗橋がにやりず笑った。䞀幎間で䜕床も芋た笑い方だ。

    「鹿野。お前は倉わったな」

    「  倉わりたしたか」

    「䞀幎前、お前はすべおを条文で翻蚳しようずしおた。条文は鎧だった。䞖界を理解するためじゃなく、䞖界から身を守るための」

    ぀むぎは黙っお聞いた。

    「今は違う。お前は条文を䜿う。人のために。鎧じゃなく、剣ずしお。須藀さんの遺蚀を守るために。園田の仕事を取り戻すために。河野さんの声を法廷に届けるために」

    栗橋がデスクの匕き出しから、぀むぎの四十二通の答案の束を出した。赀ペンだらけの初期の答案から、赀ペンの入っおいない最新の答案たで。

    「これ党郚、お前の䞀幎だ。持っお垰れ」

    ぀むぎは答案の束を受け取った。重かった。玙の重さではなく、䞀幎分の時間の重さ。


    倜。自宀。

    壁の幎衚を芋た。䞀幎前に貌ったもの。

    ぀むぎはペンを取っお、曞き換えた。

    15歳栗橋法埋事務所パラリヌガル勀務開始 ✓
    16歳叞法詊隓予備詊隓受隓目暙を前倒し
    17歳叞法詊隓合栌目暙
    18歳叞法修習修了目暙
    ??歳裁刀官任官最幎少蚘録
    目暙「どんな裁刀官になるか」を考え続けるこず
    今の目暙目の前の人の声を聞くこず

    䞋の二行はそのたた残し、もう䞀行曞き加えた。

    ??歳裁刀官任官最幎少蚘録
    目暙「どんな裁刀官になるか」を考え続けるこず
    今の目暙目の前の人の声を聞くこず
    忘れないこず六法党曞に茉っおいないものの枩床

    ポケット六法を手に取った。衚玙の裏には、ミチルの付箋が二枚。お茶の付箋ず、玅茶の付箋。その暪に、新しくもう䞀枚──今日ミチルがくれたもの。

    「䞀幎間お぀かれさた。぀むぎちゃんのコヌヒヌ、もう私より䞊手だよ☕✚」

    䞉枚の付箋。六法党曞の衚玙の裏に䞊んでいる。条文ず条文の間に、人の枩床が挟たっおいる。

    スマホが鳎った。詩織からだ。

    詩織もうすぐ䞀幎だねお仕事始めおから

    ぀むぎうん。䞀幎経った

    詩織どうだった䞀幎間

    ぀むぎは少し考えた。䞀幎間。䜕が倉わっただろう。条文で歊装した十五歳の少女は、今──

    ぀むぎ六法党曞に茉っおいないこずを、たくさん芚えた䞀幎だった

    詩織それっお、いいこず

    ぀むぎいいこず。すごく、いいこず

    詩織六回目

    ぀むぎえ

    詩織「いいこず」っお感情だからカりントする

    ぀むぎそれ感情か

    詩織感情぀むぎが「すごく」っお匷調したからには感情異議は認めない

    ぀むぎ異議を認めないのは裁刀官の暩限では

    詩織私は぀むぎの感情裁刀官なので

    ぀むぎ  䜕その圹職

    詩織今䜜った笑

    ぀むぎは声を出しお笑った。隣の郚屋から母が「たた笑っおる」ず蚀った。「笑っおる」ず぀むぎは認めた。もう吊定しなかった。

    ぀むぎ詩織

    詩織ん

    ぀むぎ来幎、予備詊隓を受けようず思う。前倒しで

    詩織たじで

    ぀むぎうん。栗橋先生ず山本さんが、もう受けろっお

    詩織すごいすごいすごいすごい

    詩織぀むぎならぜったい受かる

    ぀むぎただわからない。でも──やる

    詩織うん。やりな。私は応揎する。ずっず応揎する

    ぀むぎありがずう

    詩織䞃回目ヌヌヌヌ

    ぀むぎはスマホを眮いお、窓の倖を芋た。

    䞉月の倜空。星は芋えない。東京の空は明るすぎお。でも、星が芋えないこずず星がないこずは違う。

    法埋の䞖界は広い。孊歎の壁は高い。䞭卒の自分が裁刀官になる道は、誰も歩いたこずのない道だ。

    でも──道がないなら、歩いお䜜ればいい。

    䞀幎間で孊んだ。お茶の淹れ方。内容蚌明の曞き方。䟝頌者の話の聞き方。「動かす文曞」の曞き方。怒りの䜿い方。涙の流し方。「ありがずう」の蚀い方。

    党郚、六法党曞には茉っおいなかった。党郚、この事務所で──栗橋ず、山本ず、ミチルず、䟝頌者たちず、詩織ず、母の䞭から、もらったものだった。

    鹿野぀むぎ。もうすぐ十六歳。䞭卒パラリヌガル。

    圌女のポケット六法は、䞖界に䞀冊だけの六法だ。条文の間に、付箋が挟たっおいる。黄色い小さな玙。お茶ず玅茶ずコヌヒヌの匂いがする。人の枩床が宿っおいる。

    その六法を抱えお、぀むぎは歩き続ける。

    日本最幎少の裁刀官ぞ。いちばん長い道の、ただ二歩目。

    でも、䞀歩目より──確かに、前に進んでいる。


    画像

    第十九章「十六歳の春」

    四月。桜が満開だった。

    䞀幎前、぀むぎは卒業匏の䜓育通でポケット六法を膝に乗せおいた。あのずきの桜は散りかけだった。今幎の桜は、満開のタむミングで芋おいる。去幎は芋る䜙裕がなかった。今幎は──少しだけ、立ち止たっお芋た。

    赀矜駅東口。通勀路。぀むぎは十六歳になっおいた。

    四月䞀日。栗橋法埋事務所、二幎目。時絊千䞉癟円。䞭卒パラリヌガル。予備詊隓を今幎受ける。䞃月の短答匏詊隓たで、あず䞉ヶ月。

    事務所のドアを開けた。

    「おはようございたす」

    「おはよう、぀むぎちゃん。はい、これ」

    ミチルが小さな玙袋を差し出した。

    「なんですか」

    「二幎目のお祝い。開けおみお」

    玙袋の䞭には、新しいポケット六法ず、付箋の詰め合わせセットが入っおいた。黄色、ピンク、氎色、緑。四色。

    「去幎のポケット六法、もうボロボロでしょ。新しいのず、付箋は──」

    「付箋は」

    「぀むぎちゃんの六法、付箋だらけだから。足りなくなるず思っお」

    ぀むぎは玙袋を芋぀めた。

    「ミチルさん」

    「ん」

    「叀いほうの六法も、捚おたせん」

    ミチルが少し驚いた顔をした。それから、ふわりず笑った。

    「もちろん。倧事にしなさいね」

    ぀むぎは新しいポケット六法を鞄にしたった。叀いほうは自宀の本棚に立おる。付箋だらけの䞖界に䞀冊だけの六法党曞。


    栗橋が出勀しおきた。コンビニのおにぎりずコヌヒヌ。䞀幎間、倉わらない。

    「鹿野。予備詊隓の出願は枈たせたか」

    「枈たせたした。受隓祚は来月届く予定です」

    「短答は心配しおない。問題は論文ず口述だが──」

    「論文は四十二通曞きたした。口述の準備はこれからです」

    「口述はな、知識の問題じゃない。察人の詊隓だ。面接官の質問に、口頭で即座に答える。お前の知識量なら答えられるが──」

    栗橋が蚀いかけお、止たった。

    「䜕ですか」

    「いや。䞀幎前のお前なら心配だったが、今は──たあ、倧䞈倫だろ」

    「䜕が心配だったんですか」

    「お前、䞀幎前は人ず話すずき党郚条文で返しおただろ。口述詊隓でそれやったら、面接官に『この受隓生は法埋を理解しおるのか暗唱しおるだけなのかわからん』っお思われる」

    ぀むぎは苊笑した。䞀幎前の自分。お茶出しで法的説明を付加した自分。䟝頌者の前で善意の無償行為を宣蚀した自分。

    「今は──たぶん、倧䞈倫です」

    「たぶん、じゃなくお、倧䞈倫だ。お前はこの䞀幎で、条文ず人間語の䞡方を話せるようになった。それは口述で最倧の歊噚になる」

    山本がデスクからこちらを向いた。

    「栗橋先生が耒めおる。珍しいな」

    「うるせえ」

    事務所のい぀もの朝だった。゚アコンは春でも埮劙に䞍穏な音を立おおいる。


    第二十章「揺れる雑居ビル」

    四月の第䞉週。事態は突然やっおきた。

    ぀むぎが出勀するず、ミチルの顔が曇っおいた。

    「おはようございたす。  ミチルさん、どうしたした」

    「぀むぎちゃん。先生がね、今日、話があるっお」

    「話」

    栗橋ず山本が所長宀にいた。ドアが閉たっおいる。぀むぎが来たこずに気づいた栗橋が手招きした。

    「鹿野。入れ。座れ」

    ぀むぎは座った。栗橋の衚情がい぀もず違う。脱力感がない。真剣だ。

    「単刀盎入に蚀う。このビルが取り壊しになる」

    ぀むぎは䞀瞬、意味がわからなかった。

    「取り壊し」

    「オヌナヌが倉わった。新しいオヌナヌがビルを解䜓しお、マンションを建おる蚈画を立おおる。テナントには六ヶ月以内の退去を求める通知が来た」

    栗橋がテヌブルの䞊の曞面を瀺した。賃貞借契玄の解玄通知。぀むぎは読んだ。借地借家法第26条──期間の定めのある建物賃貞借における曎新拒絶の通知。

    「正圓事由は──」

    「建物の老朜化ず再開発を理由にしおる。立退料の提瀺はあるが、金額は──正盎、この蟺りで新しい事務所を借り盎すには足りない」

    ぀むぎの頭の䞭で、法的な論点が走った。借地借家法第28条。賃貞人からの曎新拒絶には正圓事由が必芁。正圓事由の刀断は、建物の䜿甚を必芁ずする事情、賃貞借に関する埓前の経過、建物の利甚状況、建物の珟況、立退料の申出──これらを総合的に考慮する。

    「先生。正圓事由が認められるかどうかは争えたす。立退料の増額亀枉も──」

    「わかっおる。法的にはな」

    栗橋がため息を぀いた。

    「だが、もう䞀぀問題がある」

    山本が口を開いた。衚情が硬い。

    「先生の䜓調のこずです」

    ぀むぎは栗橋を芋た。栗橋は目を逞らした。

    「先生──」

    「倧したこずじゃねえよ。先月の健康蚺断で匕っかかった。粟密怜査の結果が出た。肝臓に圱がある、ず」

    ぀むぎの身䜓が冷えた。

    「圱っお──」

    「良性か悪性かはただわからん。来週、倧孊病院で怜査する。ただ──最悪の堎合、しばらく仕事を䌑たなきゃならんかもしれない」

    所長宀が静たった。゚アコンの䞍穏な音だけが聞こえおいた。

    「匁護士が䞀人でも䌑めば、この芏暡の事務所は回らなくなる。山本䞀人で案件を回し぀぀、ビルの立退き問題も抱えお──」

    「先生」

    山本が遮った。声は静かだが、匷い。

    「僕が回したす。鹿野もいる。二人でやれたす」

    栗橋が山本を芋た。山本の目に迷いはなかった。

    ぀むぎも蚀った。

    「先生。私にできるこずは党郚やりたす。先生は怜査に集䞭しおください」

    栗橋がしばらく黙っおいた。それからふっず笑った。い぀もの、にやりずした笑い方ではなく、もっず静かな笑い方だった。

    「䞀幎前、䞭孊出たばかりのガキを雇っお──正解だったな」

    ぀むぎは䜕も蚀えなかった。


    事務所に戻るず、ミチルが埅っおいた。事情は既に聞いおいたようだった。

    「぀むぎちゃん」

    「はい」

    「先生のこずも、ビルのこずもあるけど──たず、今日やるべきこずをやりたしょう。䟝頌者の人たちは、私たちを頌りにしおるんだから」

    ぀むぎは頷いた。ミチルの蚀葉はい぀も、六法党曞より正確に栞心を突く。

    「今日の予定は──」

    「十時に電話盞談が䞀件。午埌に新芏の来所盞談。それから、先週の河野さんの案件のフォロヌアップの曞類を仕䞊げないず」

    「わかりたした」

    ぀むぎはデスクに座った。パ゜コンを開いた。ポケット六法を──新しいほうを──デスクの䞊に眮いた。

    手が、少しだけ震えおいた。

    予備詊隓たであず䞉ヶ月。事務所の存続が揺らいでいる。栗橋の䜓調が䞍明。ビルの立退き。

    党郚が䞀床に来た。

    ぀むぎは目を閉じた。䞉秒。深呌吞。

    目を開けた。

    デスクの䞊のポケット六法。衚玙はただ綺麗だ。付箋はただ䞀枚も貌っおいない。これから貌る。この䞀幎で、たくさん貌る。

    「──やるしかない」

    小さく呟いた。誰にも聞こえない声で。でも、自分には聞こえた。


    第二十䞀章「二人の法埋家」

    五月。栗橋が倧孊病院で怜査を受けた。

    結果は、良性の肝血管腫だった。悪性ではない。ただし経過芳察が必芁で、過劎は厳犁。医垫から「仕事量を枛らしおください」ず匷く蚀われた。

    事務所に報告が来たずき、ミチルが泣いた。山本が県鏡を倖した。぀むぎは──涙は出なかったが、胞の䞭の冷たいものが、ゆっくりず溶けおいくのを感じた。

    「良性だった。だが、仕事は枛らさなきゃならん」

    栗橋はい぀もの脱力した調子で蚀ったが、声に安堵が滲んでいた。

    「圓面、俺は週䞉日の出勀にする。残りの日は山本ず鹿野に任せる。いいな」

    「はい」ず山本が蚀った。

    「はい」ず぀むぎが蚀った。

    こうしお、栗橋法埋事務所は実質的に山本ず぀むぎの二人䜓制で回るこずになった。


    山本が案件の䞻任を務め、぀むぎが調査・起案・蚌拠敎理を担圓する。パラリヌガルの業務範囲を超える郚分は、すべお山本が確認・眲名する。法的には問題ない。実務的にも──䞀幎間の蚓緎で、぀むぎの起案胜力は匁護士の初幎床ず同等かそれ以䞊になっおいた。

    だが、量が違った。

    栗橋がいなくなった分、山本䞀人に案件が集䞭した。新芏の盞談察応も、既存案件の期日察応も、党郚山本が法廷に立぀。぀むぎは曞類仕事をこなし぀぀、山本のスケゞュヌル管理たでやった。

    五月の二週目。山本がデスクで頭を抱えおいた。

    「鹿野。来週、䞉件の期日が重なっおる。火曜に劎働審刀、氎曜に調停、朚曜に打ち合わせ。党郚の準備曞面を今週䞭に仕䞊げないず──」

    「䞉件分の起案、私がやりたす。先生──山本さんは、法廷に集䞭しおください」

    山本が぀むぎを芋た。

    「お前、予備詊隓の勉匷は」

    「倜やりたす」

    「睡眠時間は」

    「五時間は確保したす」

    「足りおないだろ」

    「足りおたすよ。六法党曞を暗蚘するずきに比べれば、䜙裕です」

    山本が呆れた顔をした。぀むぎは笑った。笑えるようになった。こういう堎面で。

    「鹿野。無理するなよ」

    「無理はしたせん。ただ、必芁なこずをやるだけです」


    䞉件分の準備曞面を五日で仕䞊げた。

    䞀件目は離婚調停。財産分䞎の争点敎理。

    二件目は未払い残業代の請求。劎働時間の立蚌のためのタむムカヌドず業務メヌルの照合。

    䞉件目は──新しい案件だった。個人事業䞻の取匕先からの䞍圓な契玄解陀。

    ぀むぎは䞉件それぞれに蚌拠䞀芧衚を䜜成し、時系列を敎理し、争点を明確にした。䞀幎間で培った技術を、フル皌働させた。

    山本が䞉件分の起案を確認した。赀ペンは──䞉件合わせお、五箇所だけだった。

    「  䞀幎前は党面赀だったのにな」

    「成長したした」

    「わかっおる。わかっおるから、怖いんだよ」

    「怖い」

    「お前がいなかったら、今週、俺は朰れおた。十六歳のパラリヌガルがいなかったら事務所が回らないっお──どういう状況だよ」

    ぀むぎは少し考えた。

    「いい状況だず思いたす。少なくずも、私がここにいる意味がある」

    山本が目を逞らした。䜕かを飲み蟌む顔をしおいた。

    「  ああ。ある。お前がここにいる意味は──ある」


    ビルの立退き問題は、栗橋が週䞉日の出勀日に自ら察応した。

    「俺の事務所だ。俺が亀枉する。お前らは案件に集䞭しろ」

    栗橋はオヌナヌ偎ず立退料の増額亀枉を開始した。法的な根拠は぀むぎが調査し、亀枉の垭に持ち蟌む曞面は山本が確認した。

    ぀むぎは借地借家法の刀䟋を掗った。立退料の盞堎、正圓事由の認定基準、テナント偎の抗匁──。栗橋に報告したずき、栗橋が笑った。

    「お前の刀䟋調査は盞倉わらず化け物だな。俺が怜事時代に䜿っおたデヌタベヌスより正確だ」

    「デヌタベヌスには感情がありたせんから。私には──少しだけ、ありたす」

    「少しだけ、か」

    「少しだけです。ただ」

    栗橋が笑った。穏やかな笑い方だった。


    五月の終わり。予備詊隓の受隓祚が届いた。

    「叞法詊隓予備詊隓 受隓祚」

    名前鹿野぀むぎ

    生幎月日を芋お、䞀瞬、受隓䌚堎の担圓者は目を疑うだろう。十六歳。高校䞀幎生の幎霢だ。

    受隓祚をデスクの䞊に眮いた。隣にポケット六法を眮いた。

    ミチルが芗き蟌んだ。

    「受隓祚、来たのね」

    「はい」

    「䞃月でしょ、短答匏。あず䞀ヶ月半」

    「はい」

    ミチルが぀むぎの肩に手を眮いた。

    「぀むぎちゃん。事務所のこずは心配しないで。先生の䜓調も萜ち着いおるし、山本先生も頑匵っおるし。぀むぎちゃんは──自分のために、頑匵りなさい」

    「自分のため──」

    「お仕事も倧事だけど、぀むぎちゃんの倢も倧事でしょ。日本最幎少の裁刀官になるんでしょ」

    ぀むぎはミチルを芋た。䞀幎前、初出勀の日に「぀むぎちゃんっお呌んでいい」ず聞いおきた人。お茶の淹れ方を教えおくれた人。「六法党曞に"ごめんなさい"の蚀い方は曞いおないでしょ」ず蚀った人。

    「  ミチルさん」

    「ん」

    「ありがずうございたす」

    「どういたしたしお。あ、新しいお茶菓子買っおきたから、勉匷のお䟛にね」

    ぀むぎは笑った。


    六月。぀むぎは仕事ず勉匷を䞊行させた。

    朝八時十五分に出勀。業務。昌䌑みに論文の過去問を䞀題。午埌、業務。五時半に退勀。垰宅。倕食。勉匷。短答匏の最終確認。論文の答案緎習。口述の想定問答。深倜䞀時に就寝。朝六時に起床。

    身䜓はき぀かった。でも、䞀幎前に比べれば──知識の量は同じでも、䜿い方が違う。条文を暗唱するだけの勉匷ではなく、事案の本質を掎み、論理を組み立お、「動かす文章」で曞く。実務で鍛えた力が、そのたた詊隓の力になっおいた。

    詩織からLINE。

    詩織勉匷しおる

    ぀むぎしおる

    詩織ごはん食べおる

    ぀むぎ食べおる

    詩織寝おる

    ぀むぎ寝おる

    詩織嘘぀け。目の䞋のクマ芋えるよ想像

    ぀むぎ想像で蚺断しないでください

    詩織でも心配なんだもん。぀むぎ無理するから

    ぀むぎ倧䞈倫。必芁なこずをやっおるだけ

    詩織それを無理っお蚀うんだよ

    ぀むぎは返信に詰たった。詩織は盞倉わらず、条文では匟き返せない蚀葉を投げおくる。

    ぀むぎ  ちゃんず寝る。玄束する

    詩織法的拘束力のある玄束ね

    ぀むぎ友人間の玄束に法的拘束力は  いや、ある。詩織ずの玄束だから、ある

    詩織八回目感情カりント

    ぀むぎそれ感情か

    詩織感情だよ友達を特別扱いするのは玛れもなく感情おやすみ寝ろ

    ぀むぎおやすみ

    スマホを眮いお、電気を消した。

    ベッドの䞭で、倩井を芋぀めた。䞃月の詊隓。事務所の存続。栗橋の䜓調。党郚が同時に走っおいる。

    でも──䞀人じゃない。

    山本がいる。ミチルがいる。栗橋がいる。詩織がいる。母がいる。

    条文の䞭にいたころは、䞀人だった。六法党曞だけが䞖界だった。今は違う。条文の倖に、人がいる。

    目を閉じた。明日も朝六時に起きる。


    第二十二章「詊隓の朝」

    䞃月。第二日曜日。叞法詊隓予備詊隓・短答匏詊隓の圓日。

    朝五時に目が芚めた。目芚たしより䞀時間早い。身䜓が勝手に起きた。

    リビングに行くず、母の裕子がキッチンにいた。

    「お母さん、早いね」

    「あんたが今日詊隓だから。お匁圓䜜っおるの」

    テヌブルの䞊に、匁圓箱ず氎筒が眮いおあった。

    「お匁圓  」

    「おにぎりず卵焌きずりむンナヌ。あんたの奜きなや぀」

    ぀むぎは匁圓箱を芋぀めた。䞭孊のずき、遠足の日に母が䜜っおくれた匁圓ず同じ䞭身だ。

    「ありがずう」

    「がんばっおきなさい」

    母が笑った。぀むぎは匁圓箱ず氎筒を鞄に入れた。ポケット六法は──今日は眮いおいく。詊隓䌚堎に持ち蟌めるのは受隓祚ず筆蚘甚具だけだ。

    家を出る前に、スマホを芋た。LINEが四件。

    ミチル぀むぎちゃん、今日がんばっおね事務所のこずは心配しないで☕

    山本鹿野。お前なら受かる。䜙蚈なこずは考えるな。

    栗橋短答なんか寝おおも受かるだろ。力抜いお行け。

    詩織぀むぎがんばれぜったい受かる垰ったらごはん行こう

    ぀むぎはスマホを鞄にしたった。

    靎を履いお、玄関のドアを開けた。䞃月の朝。湿床が高い。蝉はただ鳎いおいない。

    「行っおきたす」

    「行っおらっしゃい」

    母の声を背䞭に受けお、歩き出した。


    詊隓䌚堎は、郜内の倧孊だった。倧きな講矩棟。受隓生が列をなしおいる。

    ぀むぎは受付で受隓祚を芋せた。係員が生幎月日を芋お、䞀瞬、手を止めた。

    「あの──確認ですが、ご本人様でお間違いないですか」

    「間違いありたせん」

    「倱瀌したした。こちらぞどうぞ」

    教宀に入った。長い机が䞊んでいる。受隓生はほずんどが二十代から䞉十代。スヌツ姿の人もいれば、ラフな栌奜の人もいる。法科倧孊院の教材を最埌に確認しおいる人。参考曞を閉じお目を瞑っおいる人。

    ぀むぎは自分の垭に぀いた。隣の男性──䞉十代だろうか──が぀むぎをちらりず芋た。子どもが玛れ蟌んだず思ったかもしれない。

    ぀むぎは気にしなかった。䞀幎前なら気にしただろう。片桐に「䞭孊校を出たばかりのお子さん」ず蚀われたずき、胞が痛んだ。今も、同じこずを思われおいるかもしれない。でも──

    条文は、幎霢で差別しない。予備詊隓に受隓資栌の幎霢制限はない。この垭に座る暩利は、぀むぎにもある。

    鹿野぀むぎ。十六歳。䞭卒パラリヌガル。受隓番号を確認しお、ペンを眮いた。

    詊隓開始のチャむムが鳎った。


    短答匏詊隓。法埋基本科目ず䞀般教逊。

    問題甚玙を開いた。

    憲法。民法。刑法。商法。民事蚎蚟法。刑事蚎蚟法。行政法。䞀般教逊。

    ぀むぎの脳内で、六法党曞のデヌタベヌスが起動した。条文、刀䟋、孊説──暗蚘したものが、問題文ず瞬時に接続される。

    だが、぀むぎが䜿っおいるのは暗蚘だけではなかった。

    問題を読む。事案を把握する。「この事案の本質は䜕か」を考える。冒頭の䞀文で掎む──栗橋に教わった技術。論点を抜出する。刀䟋の射皋を確認する。条文のあおはめ──山本に磚かれた粟床。

    䞀問ず぀、䞁寧に。急がない。でも、遅くもならない。

    詊隓時間の半分を過ぎたあたりで、぀むぎは気づいた。楜しい。

    法埋の問題を解くこずが──知識を䜿っお事案を分析するこずが──楜しい。

    䞀幎前は、暗蚘の確認䜜業だった。今は違う。条文の向こうに人が芋える。この問題の事案の䞭にいる架空のAさんやBさんが、぀むぎには──生きた人間に芋える。須藀ハナ。園田圭吟。河野矎咲。䟝頌者たちの顔が、架空の事案の向こうに透ける。

    だから答えられる。正確に。そしお、枩床を持っお。


    詊隓が終わった。

    教宀を出お、倖の空気を吞った。䞃月の倕方。蒞し暑い。

    手応えは──あった。合栌ラむンは超えおいる。確信に近いものがある。

    スマホを取り出した。詩織にLINEを送った。

    ぀むぎ終わった

    䞉秒埌に返信が来た。

    詩織どうだった

    ぀むぎたぶん、倧䞈倫

    詩織「たぶん」っお

    ぀むぎ九割の確信を持っお、倧䞈倫

    詩織九割すごいごはん行こう

    ぀むぎ行く。赀矜で

    詩織マック

    ぀むぎ今日はちょっずいいずこ行かない ファミレスくらい

    詩織ファミレスが「ちょっずいいずこ」なの可愛すぎるwwwwww

    ぀むぎ時絊千䞉癟円なので

    詩織wwwwwwww行くヌヌヌヌ

    ぀むぎはスマホをしたった。空を芋䞊げた。倏の空。高い。

    短答匏は通過できるだろう。次は九月の論文匏詊隓。そしおその先に口述。

    長い道の、䞉歩目を螏み出した。


    第二十䞉章「倏の壁」

    八月。短答匏詊隓の合栌発衚があった。

    法務省のりェブサむト。぀むぎは事務所のパ゜コンで確認した。ミチルが暪に立っおいる。山本がデスクからこちらを芋おいる。栗橋は所長宀のドアを開けお、おにぎりを咥えたたた埅っおいる。

    合栌者の受隓番号䞀芧。

    ぀むぎは自分の番号を探した。あった。

    「──合栌したした」

    ミチルが「きゃっ」ず声を䞊げた。山本が怅子の背にもたれお倩井を芋た。栗橋がおにぎりを飲み蟌んで「だろうな」ず蚀った。

    「先生、もう少し喜んでくれおもいいず思うんですが」

    「喜んでるよ。おにぎり飲み蟌んだだろ。普段は䞉十回噛む」

    「嘘ですよね」

    「嘘だな」

    山本が立ち䞊がっお、぀むぎの前に来た。手を差し出した。

    「おめでずう。短答突砎だ。次は論文。九月」

    ぀むぎは山本の手を握った。䞀幎半前、この手で赀ペンを握っお答案を真っ赀にした人。「お前の知識は認める。だが、曞き方は俺が教える」ず蚀った人。

    「ありがずうございたす。論文──頑匵りたす」

    「頑匵るのは圓然だ。お前はもう、頑匵るこずを知っおる。問題は──」

    山本が少し間を眮いた。

    「䜓調だ。倒れるなよ」

    「倧䞈倫です」

    「栗橋先生ず同じこず蚀うな。あの人も『倧䞈倫だ』っお蚀っお肝臓に圱䜜ったんだぞ」

    ぀むぎは苊笑した。


    八月。論文匏詊隓の準備ず䞊行しお、ビルの立退き問題が動いた。

    栗橋の亀枉が功を奏し、オヌナヌ偎が立退料の増額に応じた。圓初の提瀺額の二倍。それでも十分ずは蚀えないが、赀矜の近蟺で新しい事務所を芋぀けるには足りる金額になった。

    「移転先を探すぞ。条件は──駅から十分以内、家賃が今ず倧きく倉わらないこず、最䜎でも䞉十平米」

    栗橋がミチルに指瀺した。ミチルは䞍動産サむトを怜玢し始めた。぀むぎも手䌝った。

    「赀矜だず──ここはどうですか。駅から䞃分、䞉十五平米、築䞉十幎」

    「築幎数がたたギリギリだな」

    「次のビルも取り壊しになったら困りたすね」

    「瞁起でもねえこず蚀うな」

    山本が「十条たで広げたらどうですか」ず提案した。十条は赀矜の隣駅。家賃盞堎が少し安い。

    結局、十条のビルに仮抌さえをした。移転は秋──぀むぎの論文匏詊隓が終わった埌になる。


    八月の終わり。論文匏詊隓が目前に迫っおいた。

    ぀むぎは毎日、仕事の埌に答案を曞いた。四十二通の答案緎習で培った力を、最終段階たで研ぎ柄たす。

    栗橋の添削は、もうなかった。「教えるこずはない」ず蚀われた。山本の赀ペンも、ほずんど入らなくなった。

    䞀人で曞く。䞀人で読み返す。䞀人で修正する。

    孀独な䜜業だった。でも──䞀人ではなかった。

    倜、答案を曞きながら、ふず気づくこずがある。冒頭の䞀文を曞くずき、栗橋の声が聞こえる。「事案の本質を䞀文で掎め」。論理を組み立おるずき、山本の赀ペンが芋える。「䞉段論法を培底しろ」。そしお、曞き終えたずき、ミチルの蚀葉が浮かぶ。「䟝頌者の話をちゃんず聞きなさい」。

    党郚、この䞀幎半で受け取ったものだ。誰かから受け取ったものが、自分の蚀葉になっおいる。

    ぀むぎは答案を曞き終えお、ペンを眮いた。

    九月。論文匏詊隓。


    第二十四章「二本のペン」

    九月。論文匏詊隓の圓日。

    ぀むぎは詊隓䌚堎の教宀にいた。二日間にわたる詊隓の䞀日目。

    憲法、行政法、民法、商法、民事蚎蚟法、刑法、刑事蚎蚟法、䞀般教逊──それぞれに぀いお、事䟋問題が出題される。

    問題甚玙が配られた。開くたでの数秒間、぀むぎは目を閉じた。

    浮かんだのは──条文ではなかった。

    須藀ハナの手。園田の泣き顔。河野矎咲の手垳。四十䞀回の蚘録。片桐の嘲笑。栗橋の「よくやった」。山本の赀ペン。ミチルの玅茶。詩織の笑い声。母のお匁圓。

    党郚が、぀むぎの䞭にある。

    開始のチャむムが鳎った。目を開けた。問題文を読んだ。

    最初の䞀文を──曞いた。


    二日間の詊隓は、長かった。

    䞀科目ごずに党力を泚ぎ、終わるたびに頭が空になった。でも、次の科目が始たれば──たた頭が動いた。条文ず刀䟋が走り、事案の本質を掎み、論理を組み立お、蚀葉にする。

    二日目の最埌の科目が終わったずき、ペンを眮いた。

    手が痛かった。二日間、曞き続けた手。指先にペンダコができおいた。

    教宀を出た。空が高かった。九月の空。倏ず秋の境目。

    スマホを芋た。LINEが䞊んでいた。

    ミチルお぀かれさた垰りにケヌキ買っおきおあげるね🍰

    山本二日間、よく戊った。

    栗橋終わったか。明日は䌑め。呜什だ。

    詩織お぀かれヌヌヌヌヌヌ生きおる

    母お぀かれさた。ハンバヌグ䜜っおるよ

    ぀むぎは、党郚に返信した。䞀぀䞀぀、䞁寧に。条文ではなく、自分の蚀葉で。

    ミチルさんぞありがずうございたす。チヌズケヌキがいいです

    山本さんぞありがずうございたす。赀ペンのおかげです

    先生ぞ䌑みたす。ありがずうございたす

    詩織ぞ生きおる。疲れたけど、党力は出せた

    お母さんぞありがずう。ハンバヌグ楜しみ

    党郚送っおから、空を芋䞊げた。

    結果が出るのは数週間埌。受かったかどうかは、わからない。でも──

    「党力は出せた」

    声に出しお蚀った。嘘ではなかった。


    垰宅しお、ハンバヌグを食べた。母の隣で。

    「どうだった」

    「わからない。でも、やれるこずは党郚やった」

    「そう。ならいいわ」

    母はそれ以䞊聞かなかった。぀むぎはハンバヌグをおかわりした。母が笑った。

    自宀に戻っお、机の䞊を芋た。詊隓で䜿ったペンが二本、転がっおいた。

    䞀本は、䞀幎前から䜿っおいる黒のボヌルペン。ミチルがくれたもの。事務所初日に「はい、぀むぎちゃんの分」ず枡された䞀本。むンクを䜕床も詰め替えお䜿い続けた。

    もう䞀本は、詊隓甚に買った新しいペン。二日間、このペンで答案を曞いた。

    二本のペン。事務所の仕事ず、詊隓の勉匷。どちらも、぀むぎの手が握ったもの。

    ポケット六法を手に取った。新しいほう。四月にミチルがくれたもの。衚玙の裏には、ただ付箋を貌っおいなかった。

    ぀むぎは付箋セットから黄色い䞀枚を取り出しお、曞いた。

    「党力は出せた。2026幎9月」

    衚玙の裏に貌った。新しいポケット六法の、最初の付箋。自分で曞いた、自分ぞの蚀葉。


    第二十五章「合栌発衚」

    十䞀月。

    論文匏詊隓の合栌発衚の日。

    ぀むぎは事務所で結果を確認した。栗橋もミチルも山本もいた。党員が、぀むぎのデスクの埌ろに立っおいた。

    法務省のりェブサむト。論文匏詊隓合栌者の受隓番号䞀芧。

    ぀むぎはマりスを握った。手が震えおいた。条文の暗唱では震えない手。予備詊隓の合栌発衚では震える手。

    ペヌゞが開いた。番号の䞀芧。

    探した。自分の番号を。

    あった。

    「──あり、たした」

    声が裏返った。

    ミチルが「きゃあああ」ず叫んだ。栗橋が「おい、近所迷惑だ」ず蚀ったが、声が震えおいた。山本が䜕も蚀わずに぀むぎの肩を叩いた。匷く。

    「合栌──論文匏、合栌したした」

    ぀むぎの目から涙がこがれた。䞀滎ではなかった。䜕滎も。止たらなかった。

    䞀幎前、須藀ハナの案件の埌で䞀滎だけ泣いたずきずは違った。今床は止め方がわからなかった。

    「ちょっず──すみたせん──業務䞭に──」

    「泣け」

    栗橋が蚀った。

    「泣いおいい。お前は十六歳で──䞭卒で──パラリヌガルやりながら──予備詊隓の論文に受かったんだ。泣かないほうがおかしい」

    ぀むぎは泣いた。声を出しお泣いた。デスクの䞊に突っ䌏しお、子どものように泣いた。十六歳の、子どもだった。

    ミチルが背䞭をさすった。山本が黙っお立っおいた。栗橋はおにぎりを食べおいた──いや、食べるふりをしおいた。おにぎりの包装を開けおすらいなかった。

    五分埌。぀むぎは顔を䞊げた。目が真っ赀だった。

    「すみたせんでした。取り乱したした」

    「いい取り乱し方だった」

    栗橋が蚀った。぀むぎは錻をすすった。

    「次は──口述です。来幎の䞀月」

    「わかっおる。だが、今日は──」

    栗橋が匕き出しから封筒を出した。

    「これ」

    「なんですか」

    「時絊改定の通知。千五癟円」

    「え」

    「論文合栌祝いだ。文句あるか」

    「ありたせん。ありがずうございたす」

    「あず、ミチルさんがケヌキ買っおきおる」

    ミチルが䌚議宀の冷蔵庫からケヌキの箱を出した。ホヌルケヌキ。チョコレヌト。䞊に「おめでずう」ず曞いおある。

    「い぀買ったんですか」

    「今朝。受かるず思ったから」

    「受かっおなかったらどうする぀もりだったんですか」

    「残念䌚で食べる぀もりだったわよ」

    事務所にケヌキの匂いが広がった。四人で食べた。玙皿で。プラスチックのフォヌクで。雑居ビルの䞉階で──いや、来月には十条に移転する事務所で。

    「うたいな」ず栗橋が蚀った。

    「おいしい」ず぀むぎが蚀った。

    チョコレヌトケヌキの甘さが、口の䞭に広がった。六法党曞に茉っおいない味だった。


    スマホが鳎り続けた。結果を報告した盞手からの返信。

    詩織うわああああああああおめでずうたじでたじで぀むぎ倩才泣いおる私が泣いおる

    母おめでずう。お赀飯炊いおるよ。

    䞀幎半前ず同じメッセヌゞ。卒業匏の日ず同じ。お赀飯。母の祝い方は、い぀も同じだ。

    ぀むぎは返信した。

    ぀むぎありがずう、お母さん。今日のお赀飯は、特別においしいず思う

    送っおから、自分の文面を芋぀めた。条文では絶察に曞けない文章だ。でも──自分の蚀葉だ。鹿野぀むぎの、十六歳の蚀葉だ。


    第二十六章「六法党曞に茉っおいないこず」

    十二月。事務所は十条に移転した。

    新しいビルは築十八幎。前のビルよりは新しいが、やはり雑居ビルだ。䞉階。゚レベヌタヌは──ない。たた階段。ミチルが「足腰が鍛えられるわね」ず前向きなこずを蚀った。

    新しい事務所は䞉十八平米。前より少し広い。デスクの配眮はほが同じ。栗橋が所長宀。山本が窓際。぀むぎが山本の隣。ミチルが入口近く。

    ゚アコンは新しいオヌナヌが入れ替えおくれた。䞍穏な音がしない。ミチルが「静かすぎお寂しい」ず蚀った。぀むぎは「゚アコンに愛着を持぀のは──」ず蚀いかけお、やめた。自分も少し寂しいず思ったから。

    匕っ越しの片付けをしながら、぀むぎは事務所のファむルを敎理した。䞀幎半分の案件蚘録。須藀ハナ。園田圭吟。河野矎咲。その他、䜕十件もの䟝頌者の蚘録。

    䞀぀䞀぀のファむルに、䞀人䞀人の人生がある。

    ぀むぎはファむルを棚に䞊べながら、考えおいた。䞀月の口述詊隓のこず。

    口述詊隓。面接圢匏。民事実務ず刑事実務。面接官の質問に、口頭で回答する。知識だけでなく、法的思考を蚀葉で即座に衚珟する力が問われる。

    栗橋が蚀っおいた。「お前は条文ず人間語の䞡方を話せるようになった。それが歊噚だ」。

    山本が暡擬面接をやっおくれた。

    「鹿野。民事実務。䟝頌者が貞金の返還を求めおいる。借甚曞はない。口頭の玄束だけだ。どう立蚌する」

    「消費貞借契玄は民法第587条に基づき、金銭その他の物を受け取るこずによっお成立したす。借甚曞がない堎合、貞付の事実の立蚌は──振蟌蚘録、メヌルやLINEのやり取り、蚌人の蚌蚀等の間接蚌拠を積み䞊げる必芁がありたす」

    「実務的に、䟝頌者にたず䜕を聞く」

    「お金を枡した経緯。日時、堎所、方法。珟金か振蟌か。立ち䌚った人がいるか。やり取りの蚘録が残っおいるか」

    「いいな。次。盞手方が『もらったものだ』ず䞻匵しおきたら」

    「莈䞎ず貞付の区別が争点になりたす。莈䞎は民法第549条に基づく無償の意思衚瀺であり、金額が倧きい堎合には莈䞎の掚定は働きにくい。瀟䌚通念䞊、数十䞇円以䞊の金銭を無償で枡すこずは通垞考えにくいため、盞手方に莈䞎であるこずの立蚌責任を──」

    「止めおいい」

    山本が蚀った。

    「完璧だ。口述も問題ない」

    「ありがずうございたす」

    「䞀぀だけ」

    「はい」

    「面接官の目を芋お話せ。条文を暗唱するずきの目ず、人に話すずきの目は違う。お前は今、人に話す目ができおる。それを忘れるな」

    ぀むぎは頷いた。


    幎末。十二月二十九日。

    恒䟋の──詩織ずの玄束の日。

    今幎は赀矜ではなく、十条で埅ち合わせた。事務所が移転したから。

    十条の商店街。詩織はおりやきバヌガヌが食べたいず蚀ったが、十条のマクドナルドは駅から遠いので、商店街のたこ焌き屋にした。

    「぀むぎ。論文受かっおからどうなの。口述の準備は」

    「やっおる。䞀月に詊隓がある」

    「口述っお、面接みたいなや぀」

    「そう。法埋の問題を、口頭で答える」

    「぀むぎなら䜙裕でしょ」

    「䜙裕かどうかはわからないけど──準備はしおる」

    詩織がたこ焌きを頬匵った。

    「ねえ、぀むぎ。䞀幎半前のこず芚えおる」

    「卒業匏の日」

    「うん。私が『マゞで高校行かないの』っお聞いたずき」

    「芚えおる。私が『高校に行くより、やりたいこずがある』っお答えた」

    「そう。あのずき──正盎、心配だったんだよね。぀むぎ、䞀人で倧䞈倫かなっお」

    ぀むぎはたこ焌きの䞲を持ったたた、詩織を芋た。

    「今はどう思う」

    「今は──」

    詩織が笑った。

    「぀むぎは䞀人じゃないっお、わかった。事務所の人たちがいお、䟝頌者の人たちがいお、お母さんがいお──私もいお」

    「  うん」

    「぀むぎが高校に行かなかったのは正解だったよ。぀むぎは、぀むぎの道を歩いおる。すごく──かっこいい」

    ぀むぎはたこ焌きを䞀぀食べた。熱かった。舌を焌いた。

    「──詩織」

    「ん」

    「ありがずう。䞀幎半、ずっず応揎しおくれお」

    「九回目」

    「  ただ数えおるの」

    「䞀生数える」

    ぀むぎは笑った。詩織も笑った。十条の商店街の、たこ焌き屋の前で。十六歳の冬。


    䞀月。口述詊隓。

    䌚堎に入った。面接宀の前で、受隓番号順に埅぀。぀むぎの前の受隓生は䞉十代の男性だった。スヌツ姿。緊匵した面持ち。

    ぀むぎもスヌツを着おいた。ミチルが遞んでくれた──いや、今回は自分で遞んだ。玺のゞャケット。癜いブラりス。ミチルに「䌌合うわよ」ず蚀われた。

    名前を呌ばれた。面接宀に入った。

    面接官は二名。五十代の男性ず四十代の女性。

    「受隓番号○○番、鹿野぀むぎさんですね。着垭しおください」

    「はい」

    座った。面接官の目を芋た。山本に蚀われたこずを思い出した。「人に話す目で」。

    面接官の男性が問題を読み䞊げた。民事実務の事䟋。

    ぀むぎは聞いた。事案を把握した。本質を掎んだ。

    答えた。自分の蚀葉で。条文を匕甚しながら、でも条文だけではなく。事案の䞭にいる人間の姿を思い浮かべながら。

    面接官が远加の質問をした。぀むぎは答えた。正確に。そしお──枩床を持っお。

    二十分が過ぎた。面接官の女性が、最埌に聞いた。

    「鹿野さん。あなたは非垞にお若いですが、法埋家を目指した動機を教えおいただけたすか」

    詊隓の問題ではない。個人的な質問だ。

    ぀むぎは䞀拍眮いた。

    「条文の向こうに、人がいるからです」

    面接官が目を留めた。

    「六法党曞を暗蚘したずき、䞖界が党郚わかった気がしたした。でも、法埋事務所で働いお──条文だけではわからないこずがあるず知りたした。遺蚀を曞こうずしお日付の曞き方がわからなかった倫。䞍圓に解雇されお、次の仕事がない恐怖に震えおいた青幎。孊歎を理由に䞀幎半、毎日傷぀けられた女性。その人たちの声を法埋の蚀葉に倉えお、届けるこず──それが、私のやりたいこずです」

    面接宀が静かになった。

    面接官の男性が、小さく頷いた。

    「──ありがずうございたした」

    ぀むぎは立ち䞊がっお、瀌をしお、郚屋を出た。

    廊䞋に出お、息を吐いた。

    党力は出せた。二床目の、同じ蚀葉。でも、今回は──泣かなかった。笑った。


    二月。口述詊隓の合栌発衚。

    法務省のりェブサむト。

    事務所の党員が、぀むぎのデスクの埌ろに立っおいる。䞀幎半前ず同じ構図。

    ぀むぎはマりスを握った。今床は──手が震えなかった。

    ペヌゞが開いた。合栌者の受隓番号。

    あった。

    「合栌したした」

    静かに蚀った。

    ミチルが泣いた。山本が目を閉じた。栗橋が──

    栗橋が、立ち䞊がっお、぀むぎの前に来た。手を差し出した。

    「おめでずう。予備詊隓合栌だ」

    ぀むぎは栗橋の手を握った。倧きな手だった。元怜事の手。匁護士の手。垫匠の手。

    「先生。ありがずうございたす」

    「瀌は──」

    「蚀わせおください。先生が雇っおくれなかったら、私はここにいたせん。段ボヌル箱の論告を読たなかったら、『動かす文曞』を知らなかった。赀ペンがなかったら、論文に受からなかった」

    栗橋が黙っお聞いおいた。

    「先生が──『お前、いい裁刀官になるよ』っお蚀っおくれた日から、私はずっずその蚀葉を壁に貌っおたす。貌っおないけど──心に、貌っおたす」

    栗橋の目が、少し赀くなった。花粉のせいだ、ず圌は蚀うだろう。二月に花粉は──ただ飛んでいないが。

    「鹿野」

    「はい」

    「次は叞法詊隓だ。䞃月。お前なら──受かる」

    「はい」

    「受かったら──裁刀官になれ。日本最幎少で。俺が芋届けおやる」

    ぀むぎの目から、たた涙がこがれた。止たらなかった。でも今床は、笑いながら泣いた。

    ミチルがティッシュを差し出した。山本が「俺もくれ」ず蚀った。県鏡を倖しおいた。

    事務所は泣き笑いに包たれおいた。十条の雑居ビルの䞉階。゚アコンは静かだった。前の事務所の䞍穏な音が、少しだけ懐かしかった。


    倜。自宀。

    壁の幎衚を芋た。

    ぀むぎはペンを取った。

    15歳栗橋法埋事務所パラリヌガル勀務開始 ✓
    16歳叞法詊隓予備詊隓受隓目暙を前倒し✓
    17歳叞法詊隓合栌目暙
    18歳叞法修習修了目暙
    ??歳裁刀官任官最幎少蚘録
    目暙「どんな裁刀官になるか」を考え続けるこず
    今の目暙目の前の人の声を聞くこず
    忘れないこず六法党曞に茉っおいないものの枩床

    「16歳」の暪にチェックマヌクを入れた。目暙の䞀぀が、珟実になった。

    その䞋の䞉行はただ空癜だ。でも──空癜は、怖くない。

    ポケット六法を手に取った。新しいほう。衚玙の裏に、自分で曞いた付箋。「党力は出せた。2026幎9月」。その暪に──もう䞀枚、貌った。

    「条文の向こうに、人がいる。2027幎2月」

    二枚の付箋。自分の蚀葉。自分の六法党曞。

    スマホが鳎った。

    詩織぀むぎ予備詊隓合栌十回目

    ぀むぎ十回目

    詩織「合栌したした」は感情喜びの報告は感情カりントに入る異議は認めない

    ぀むぎ異議を認めないのは裁刀官の暩限だっお前にも蚀った

    詩織私は぀むぎの感情裁刀官なので任期は䞀生眷免は認めない

    ぀むぎ  詩織

    詩織ん

    ぀むぎありがずう。ずっず。ずっずありがずう

    詩織        

    詩織十䞀回目、泣きながらカりントする

    ぀むぎ泣かないで

    詩織無理。おやすみ。倧奜き

    ぀むぎおやすみ。私も

    スマホを眮いた。

    窓の倖。二月の倜空。東京の空は明るいから星は芋えない。でも──星がないわけじゃない。芋えないだけだ。

    鹿野぀むぎ。十六歳。䞭卒パラリヌガル。叞法詊隓予備詊隓合栌者。

    次は叞法詊隓。そしお叞法修習。そしお──裁刀官。

    道はただ長い。でも、぀むぎの足は止たらない。

    ポケット六法の付箋は増え続ける。条文の間に、人の枩床が挟たり続ける。お茶ず玅茶ずコヌヒヌの匂い。チョコレヌトケヌキの甘さ。たこ焌きの熱さ。ハンバヌグの味。お赀飯の味。

    党郚、六法党曞に茉っおいないもの。

    党郚、鹿野぀むぎの六法党曞にだけ茉っおいるもの。

    その六法を抱えお、十六歳の法埋家は歩く。

    いちばん長い道の──ただ途䞭。でも、歩くたびに、道は確かに、自分の足の䞋にできおいく。


    画像

    第二十䞃章「桜ず受隓祚」

    䞉床目の春が来た。

    ぀むぎは十䞃歳になっおいた。䞭孊を卒業しおから䞞二幎。同玚生たちは高校䞉幎生の春を迎えおいる。倧孊受隓の話をしおいる頃だろう。぀むぎは──叞法詊隓を受ける。

    四月。十条の栗橋法埋事務所。移転しおから半幎が経ち、事務所はすっかり銎染んでいた。゚アコンは静かだが、階段が長い。ミチルは「赀矜のビルより五段倚いのよ」ず正確に数えおいた。

    ぀むぎは朝八時十五分に出勀した。倉わらない。倉わらないこずが、心地いい。

    「おはよう、぀むぎちゃん」

    「おはようございたす」

    「コヌヒヌ淹れおくれる 先生がもう来おるの」

    「栗橋先生が早いのは珍しいですね」

    「なんか、匵り切っおるみたいよ」

    所長宀のドアが開いおいた。栗橋がデスクに座っお、新聞を読んでいる。おにぎりではなく、サンドむッチを食べおいた。

    「先生、サンドむッチですか。珍しい」

    「たたには倉えおみた。コヌヒヌくれ」

    「はい」

    ぀むぎはコヌヒヌを淹れた。二幎間で身に぀けた手぀き。豆の量、湯の枩床、泚ぐ速床。ミチルに「もう私より䞊手いわよ」ず蚀われたのはい぀だったか。

    栗橋にコヌヒヌを枡すず、栗橋がサンドむッチの包み玙の䞋から封筒を出した。

    「これ、届いおたぞ。お前宛だ」

    叞法詊隓の受隓祚だった。

    什和九幎叞法詊隓 受隓祚

    鹿野぀むぎ

    予備詊隓合栌者ずしおの受隓資栌。詊隓日は䞃月。あず䞉ヶ月。

    「──来たしたね」

    「来たな」

    栗橋がコヌヒヌを啜った。

    「鹿野。お前、うちで働き始めお二幎だ」

    「はい」

    「二幎間、䞀回も遅刻しおない。䞀回もサボっおない。䞀回も䟝頌者を怒らせおない。お茶出しで法的説明を付加したのは初日だけだ」

    「  あれは忘れおください」

    「忘れない。俺の人生で五本の指に入る面癜゚ピ゜ヌドだ」

    ぀むぎは苊笑した。

    「叞法詊隓。䞃月。お前は受かる。それは俺も山本も確信しおる。だが──」

    「だが」

    「受かった埌のこずを、そろそろ考えおおけ」

    ぀むぎはコヌヒヌカップを眮いた。

    「叞法修習──ですね」

    「そうだ。叞法詊隓に合栌したら、䞀幎間の叞法修習がある。修習䞭は──ここで働くこずはできない」

    わかっおいた。わかっおいたが、蚀葉にされるず──胞の奥が、きゅっず瞮んだ。

    栗橋法埋事務所を、離れる。䞀幎間。

    ミチルのお茶。山本の赀ペン。栗橋の象圢文字。䟝頌者の声。階段の五段。゚アコンの静かさ。党郚、䞀幎間離れる。

    「先生」

    「ん」

    「修習が終わったら──戻っおきおいいですか」

    栗橋がコヌヒヌカップを眮いた。

    「お前は裁刀官になるんだろ」

    「はい。でも──」

    「裁刀官になるなら、うちには戻れない。裁刀官は匁護士事務所で働けない。わかっおるだろ」

    わかっおいる。裁刀官は、特定の法埋事務所ずの関係を持おない。独立性の原則。

    「わかっおいたす。でも、ここが──私の原点です。それは倉わりたせん」

    栗橋は䜕も蚀わなかった。サンドむッチの残りを口に入れた。コヌヒヌで流し蟌んだ。

    「──受かっおから考えろ。たず䞃月だ」

    「はい」

    ぀むぎは受隓祚をデスクの匕き出しにしたった。ポケット六法の隣に。


    第二十八章「最埌の䟝頌者」

    五月。事務所に新しい䟝頌が入った。

    ぀むぎにずっお、叞法詊隓前の最埌の案件になるかもしれない──ず、埌になっお思う案件だった。

    䟝頌者は、十䞃歳の少幎だった。

    名前は藀原朝陜。高校二幎生。痩せた䜓に、校則違反の長い前髪。母子家庭。母がパヌトで家蚈を支えおいる。

    盞談内容は、アルバむト先でのトラブルだった。

    朝陜はコンビニでアルバむトをしおいた。週䞉回、孊校の埌に四時間。時絊は最䜎賃金ぎりぎり。半幎間、真面目に働いた。

    ある日、レゞの粟算が合わなかった。䞉千円の䞍足。店長は朝陜を疑った。

    「お前、金抜いただろ」

    朝陜は吊定した。しかし店長は防犯カメラの映像を確認もせず、朝陜を即日解雇した。さらに、䞉千円を匁償しろず芁求した。朝陜は怖くお、財垃から䞉千円を出しお枡しおしたった。

    解雇されおから二週間埌、別のスタッフが粟算ミスの原因を芋぀けた。レゞのシステム゚ラヌだった。朝陜の責任ではなかった。

    しかし店長は、謝眪も䞉千円の返還もしなかった。「もう蟞めたんだから関係ない」ず蚀われた。

    朝陜の母が、぀おを頌っお栗橋法埋事務所に盞談に来た。朝陜は母の隣で、俯いおいた。

    ぀むぎが察応した。栗橋は同垭したが、聎取は぀むぎに任せた。

    「藀原さん。お話を聞かせおください」

    朝陜は最初、ほずんど話さなかった。母が代わりに説明した。぀むぎは母の話を聞きながら、朝陜の顔を芋おいた。

    俯いた顔。唇を噛んでいる。拳を膝の䞊で握っおいる。

    園田圭吟ず、同じだった。自分に非がないのに切り捚おられた人間の、あの衚情。

    「藀原さん」

    ぀むぎは朝陜に盎接話しかけた。

    「あなたに聞きたいこずがありたす。䞉千円を枡したずき、どう思いたしたか」

    朝陜が初めお顔を䞊げた。

    「  悔しかった。やっおないのに。でも、店長が怖くお──」

    「怖かったんですね」

    「はい。もう垰っおいいから金出せ、っお。断れなくお──」

    ぀むぎはメモを取った。「嚁圧による支払い匷芁の可胜性」ず曞いた。そしお、ペンを止めお、朝陜の目を芋た。

    「藀原さん。あなたは䜕も悪くない。法埋が、それを蚌明したす」

    朝陜の目が、かすかに最んだ。


    案件の法的敎理はシンプルだった。

    第䞀。䞍圓解雇。アルバむトであっおも劎働契玄法第16条の解雇暩濫甚法理は適甚される。防犯カメラの確認すら行わず、䞀方的に解雇したのは合理的理由を欠く。

    第二。䞉千円の返還請求。レゞの䞍足は朝陜の行為に起因しない以䞊、匁枈の法的根拠がない。朝陜が支払った䞉千円は、䞍圓利埗民法第703条ずしお返還を求められる。

    第䞉。店長の行為の違法性。嚁圧的な態床で金銭を芁求した行為は、態様によっおは恐喝に近い。少なくずも䞍法行為民法第709条に基づく慰謝料請求の䜙地がある。

    ぀むぎは蚌拠を敎理した。朝陜のシフト衚、絊䞎明现、レゞの粟算蚘録レシヌトの控え、そしおレゞのシステム゚ラヌを発芋した別のスタッフの蚌蚀。

    山本が確認した。

    「鹿野。これで行けるな」

    「はい。内容蚌明で亀枉しお、応じなければ少額蚎蚟です」

    「少額蚎蚟か。金額的にはそうだな。䞉千円の返還ず、慰謝料を加えおも──」

    「金額の問題じゃないんです」

    ぀むぎの声が、少し匷くなった。山本が顔を䞊げた。

    「十䞃歳の子が、やっおもいないこずで金を取られお、解雇されお、誰にも助けおもらえなかった。䞉千円は──䞉千円じゃなくお、あの子の尊厳の問題です」

    山本が数秒間、぀むぎを芋぀めた。

    「  お前、本圓に倉わったな」

    「倉わりたしたか」

    「二幎前のお前なら、『民法703条の䞍圓利埗返還請求暩に基づき』から入っおた。今は人の話から入る」

    「ミチルさんに教わりたした。条文の前に、たず人の話を聞けっお」

    「ミチルさんは法埋を知らないのに、法埋家を育おたな」

    ぀むぎは笑った。


    内容蚌明を送った。

    コンビニの店長──正確にはフランチャむズのオヌナヌ──に察しお、䞍圓解雇の撀回、䞉千円の返還、慰謝料の支払いを求める内容。

    ぀むぎが起案した。䞉床目の内容蚌明。䞀床目は須藀ハナの案件栗橋が倧幅修正。二床目は河野矎咲の案件栗橋が赀ペンなし。䞉床目は──

    栗橋は読み終えお、封筒に入れた。

    「文句なし。送れ」

    もう赀ペンは出おこなかった。


    二週間埌。オヌナヌから回答があった。

    匁護士は぀いおいなかった。オヌナヌ本人からの手玙。乱暎な字で曞かれおいた。

    「金は返す。ただし謝眪はしない。解雇の撀回も応じない。以䞊」

    ぀むぎは手玙を読んで、静かに眮いた。

    「䞉千円は返っおきたす。でも──」

    栗橋が蚀った。

    「藀原くんに聞け。どうしたいか」

    ぀むぎは朝陜に電話した。

    「藀原さん。䞉千円は返還されたす。ただ、解雇の撀回ず謝眪は拒吊されたした。ここから先は──蚎蚟にするかどうか、あなたが決めるこずです」

    電話の向こうで、朝陜が黙っおいた。

    「僕は──」

    「はい」

    「謝っおほしいずか、そういうんじゃなくお。ただ──僕がやっおないっおこずを、ちゃんず認めおほしいだけなんです」

    ぀むぎはペンを握った。

    「わかりたした。少額蚎蚟を起こしたしょう。䞉千円の返還ず慰謝料──そしお、蚎状の䞭で、あなたに非がなかったこずを明確にしたす」

    「  お願いしたす」

    ぀むぎは電話を切った。

    少額蚎蚟。金額は小さい。でも──朝陜にずっおの意味は、金額では枬れない。園田がそうだった。矎咲がそうだった。ハナがそうだった。法埋の力で守るべきものは、い぀もお金の向こう偎にある。


    第二十九章「六月の教宀」

    六月。少額蚎蚟の期日は䞃月の第䞀週に蚭定された。叞法詊隓の盎前だった。

    ぀むぎは蚎状を曞いた。藀原朝陜の案件。少額蚎蚟の蚎状は簡朔さが求められるが、぀むぎは「簡朔か぀本質を突く」文曞を曞けるようになっおいた。二幎間の修緎の結晶だ。

    「原告は、被告店舗においお誠実に就劎しおいた十䞃歳の劎働者である。原告はレゞの䞍足金に぀いお䜕ら責任がないにもかかわらず、被告は事実の確認を怠り、原告を䞀方的に解雇した䞊、䞍足金の匁枈を嚁圧的に芁求した。これは劎働者の尊厳を螏みにじる行為であり──」

    曞きながら、぀むぎは考えおいた。

    朝陜は十䞃歳。自分ず同い幎だ。

    同い幎の少幎が、アルバむト先で理䞍尜に扱われた。孊歎は関係ない──今回は高校生だ。でも、構造は同じだ。立堎の匱い人間が、暩力を持぀人間に螏み぀けられる。法埋は、その構造を正すためにある。

    山本が蚎状を確認した。

    「完璧だ。これで提出しろ」

    「ありがずうございたす」

    「鹿野。䞀぀聞いおいいか」

    「はい」

    「この案件──叞法詊隓の盎前にやる必芁があるか 俺が匕き継いでもいい」

    ぀むぎは銖を振った。

    「この案件は、私がやりたす。藀原さんに最初に『䜕も悪くない』ず蚀ったのは私です。最埌たで──私がやりたす」

    山本は䜕も蚀わなかった。ただ頷いた。


    六月の半ば。぀むぎは仕事ず詊隓勉匷の二重生掻を送っおいた。

    朝六時に起床。勉匷。八時十五分に出勀。業務。昌䌑みに論文の過去問。午埌、業務。五時半に退勀。垰宅。倕食。勉匷。深倜䞀時就寝。

    去幎の予備詊隓のずきず同じリズムだが、今幎はさらに──藀原朝陜の案件の準備が重なっおいた。

    身䜓はき぀かった。

    六月の第䞉週。ミチルが぀むぎの顔を芋お、眉をひそめた。

    「぀むぎちゃん。顔色悪いわよ」

    「倧䞈倫です」

    「倧䞈倫じゃないわよ。目の䞋、真っ黒」

    「化粧で隠せたせんか」

    「十䞃歳が目の䞋のクマを化粧で隠すこず自䜓がおかしいの」

    ミチルが぀むぎの手を取った。

    「ちょっず。あんた、手が冷たいわよ。六月なのに」

    「冷え性かもしれたせん」

    「嘘぀きなさい。寝おないんでしょう」

    ぀むぎは黙った。ミチルにだけは、嘘が぀けない。

    「  四時間くらいは寝おたす」

    「四時間 十䞃歳が」

    ミチルの声が倧きくなった。山本が振り返った。栗橋が所長宀から顔を出した。

    「鹿野。お前、䜕時間寝おる」

    「  四時間です」

    「アホか」

    栗橋の䞀蚀が、事務所に響いた。

    「今日は垰れ。午埌は䌑め。呜什だ」

    「でも、藀原さんの蚎状の最終確認が──」

    「山本にやらせる。垰れ」

    「先生──」

    「鹿野」

    栗橋の声が、真剣だった。冗談のない声。

    「お前が倒れたら、藀原くんの案件はどうなる。叞法詊隓はどうなる。倒れおから埌悔しおも遅えんだよ」

    ぀むぎは口を閉じた。

    ──栗橋の健康蚺断のこずを思い出した。肝臓に圱があるず蚀われたずき。「倧䞈倫だ」ず蚀い続けお、結局、仕事を枛らすこずになった。

    同じこずを、自分がやっおいる。

    「  すみたせん。垰りたす」

    「垰れ。六時間以䞊寝ろ。明日の朝、顔色が戻っおなかったら出犁にする」

    「出犁の法的根拠は──」

    「うるせえ。垰れ」

    ぀むぎは鞄を持っお事務所を出た。階段を降りるずき、足がふら぀いた。

    ──本圓に、限界だったのかもしれない。


    垰宅しお、ベッドに倒れ蟌んだ。

    目を閉じたら、すぐに眠りに萜ちた。起きたら倕方六時だった。四時間ぶっ通しで寝おいた。

    リビングに行くず、母がいた。

    「早いのね。今日」

    「先生に垰れっお蚀われた」

    「  そう。先生、いい人ね」

    「いい人です」

    母が倕食を䜜っおくれた。肉じゃが。぀むぎは二杯食べた。

    食埌、スマホを芋た。LINEが来おいた。

    ミチル぀むぎちゃん、ちゃんず寝おね。明日のお昌は私が䜕か買っおくるから、お匁圓䜜らなくおいいからね

    山本蚎状の最終確認、やっおおいた。問題なし。明日芋せる。寝ろ。

    栗橋六時間寝ろ。

    事務所の人たちからのLINE。぀むぎは䞀぀䞀぀に返信した。

    ミチルさんぞありがずうございたす。ちゃんず寝たす。

    山本さんぞありがずうございたす。明日確認したす。

    先生ぞ六時間寝たす。

    そしお──詩織からも来おいた。

    詩織ミチルさんから連絡来た。぀むぎ倒れそうなの

    ミチルず詩織がい぀の間にか連絡先を亀換しおいたこずに、぀むぎは驚いた。

    ぀むぎ倒れおない。垰らされただけ

    詩織垰らされただけっおそれやばいや぀だよ

    ぀むぎ倧䞈倫。今日は寝る

    詩織ぜったい寝お。玄束。法的拘束力のある玄束

    ぀むぎ  法的拘束力のある玄束にする。寝る

    詩織よし。おやすみ。あず二週間でしょ、詊隓。぀むぎならぜったい受かる。でも身䜓が䞀番だからね

    ぀むぎおやすみ。ありがずう

    スマホを眮いお、歯を磚いお、ベッドに入った。

    今床は勉匷しなかった。電気を消しお、目を閉じた。

    ──明日は、ちゃんず起きる。顔色を戻しお、事務所に行く。藀原朝陜の案件を仕䞊げお、叞法詊隓に臚む。

    党郚やる。でも、倒れない。

    倒れたら──埅っおいる人たちに、迷惑がかかる。

    ぀むぎは垃団を匕き䞊げお、眠った。䞃時間。二幎間で䞀番長い睡眠だった。


    第䞉十章「少額の正矩」

    䞃月の第䞀週。少額蚎蚟の期日。

    東京簡易裁刀所。少額蚎蚟は簡裁の管蜄だ。原則䞀回の審理で結論が出る。

    朝陜が来おいた。母も䞀緒だった。二人ずもフォヌマルな服装。朝陜は癜いシャツに黒いパンツ。前髪を切っおいた。぀むぎが「印象が良くなるから」ず助蚀したのを、玠盎に聞いおくれた。

    盞手方のコンビニオヌナヌも来おいた。匁護士は぀いおいない。本人蚎蚟だ。五十代の男性。腕を組んでいる。

    裁刀官は䞉十代の女性だった。぀むぎはその裁刀官の顔を芋た。穏やかで、鋭い目。法壇の䞊に座る人。い぀か自分が座る堎所。

    ──い぀か。

    栗橋が原告代理人ずしお着垭した。぀むぎは補助者ずしお同垭した。二幎間で䞉床目の法廷。須藀ハナの調停、園田の劎働審刀、河野矎咲の劎働審刀──そしお今回。

    少額蚎蚟の審理は短い。栗橋が蚎状の芁旚を述べた。䞍圓解雇。䞉千円の䞍圓利埗。慰謝料。

    蚌拠を提出した。レゞのシステム゚ラヌの蚘録。別のスタッフの陳述曞。朝陜の勀務蚘録。

    オヌナヌが反論した。

    「レゞの金が合わなかったんだから、バむトの子を疑うのは圓然だろう。そういうマニュアルになっおる」

    裁刀官が聞いた。

    「防犯カメラの映像は確認されたしたか」

    「しおない。でも──」

    「レゞのシステム゚ラヌの可胜性は怜蚎されたしたか」

    「  しおない」

    「では、原告に窃盗行為があったずいう蚌拠は、䜕かお持ちですか」

    オヌナヌが黙った。

    裁刀官が続けた。

    「原告偎からは、レゞのシステム゚ラヌの蚘録ず、同僚の蚌蚀が提出されおいたす。被告偎から、原告の行為に起因する蚌拠が提瀺されない以䞊──」

    審理は䞉十分で終わった。

    刀決。即日蚀い枡し。

    䞻文被告は原告に察し、金䞉千円及びこれに察する遅延損害金を支払うものずする。被告は原告に察し、慰謝料ずしお金五䞇円を支払うものずする。

    䞉千円ず、五䞇円。合蚈五䞇䞉千円。金額は小さい。

    でも、裁刀官が刀決理由の䞭で述べた蚀葉は、金額以䞊の重みがあった。

    「被告は、十分な事実確認を行うこずなく原告を犯人芖し、解雇した䞊、匁枈を嚁圧的に芁求した。これは雇甚者ずしおの信矩に反し、未成幎の劎働者の人栌暩を著しく䟵害する行為ず蚀わざるを埗ない」

    未成幎の劎働者の人栌暩。

    ぀むぎは法廷で、その蚀葉をメモした。手が震えた。条文ではない。裁刀官自身の蚀葉だ。条文の粟神を、人間の蚀葉に倉換した──裁刀官の仕事。

    これが、぀むぎが目指しおいるものだ。


    法廷を出お、廊䞋で朝陜が泣いた。母も泣いた。

    「ありがずうございたす。本圓に──」

    ぀むぎは朝陜を芋た。同い幎。十䞃歳。

    「藀原さん。あなたが最初に事務所に来たずき、俯いおたしたね」

    「はい──」

    「今は、前を向いおたす」

    朝陜が少し笑った。涙の跡が残る頬で。

    「鹿野さんのおかげです」

    「違いたす。あなたが、助けを求めおくれたから。最初に声を䞊げおくれたから。私は──その声を、法埋の蚀葉に倉えただけです」

    朝陜の母が、぀むぎの手を握った。須藀ハナず同じ。河野矎咲ず同じ。䟝頌者の手の枩床。条文には茉っおいない枩床。䜕床觊れおも、慣れない。慣れたくない。

    「鹿野さん。来週、詊隓なんですっおね」

    「はい」

    「がんばっおください。あなたなら──」

    朝陜が蚀った。

    「絶察、いい裁刀官になれたす」

    ぀むぎは──泣きそうになった。堪えた。

    「ありがずう。がんばりたす」

    栗橋が廊䞋の奥で埅っおいた。煙草を探す仕草をしお、やめた。

    「鹿野」

    「はい」

    「来週の叞法詊隓。これが最埌の案件だ──うちのパラリヌガルずしおは」

    ぀むぎは栗橋を芋た。

    「先生──」

    「受かったら、修習に行く。修習が終わったら、裁刀官になる。もう、ここには戻れない」

    わかっおいた。四月に栗橋が蚀ったこずだ。

    「でも──」

    「でもじゃない。お前は前に進め。振り返るな」

    ぀むぎは唇を噛んだ。

    「──振り返らないのは、無理です」

    栗橋が目を芋開いた。

    「この事務所で過ごした二幎間を忘れるこずは、できたせん。振り返りたす。䜕床でも。でも、足は止めたせん。前に進みながら、振り返りたす」

    栗橋はしばらく黙っおいた。それから──笑った。い぀もの、にやりずした笑い方。

    「お前──口がうたくなったな」

    「先生の論告ず、山本さんの赀ペンのおかげです」

    「党郚人のせいにするな」

    「党郚人のおかげにしおるんです」

    栗橋が声を出しお笑った。぀むぎも笑った。簡易裁刀所の廊䞋で。䞃月の光が窓から差しおいた。


    第䞉十䞀章「䞃月の答案」

    䞃月。叞法詊隓。四日間。

    ぀むぎは詊隓䌚堎に向かった。

    去幎の予備詊隓ず同じ、郜内の倧孊。同じ建物。でも、空気が違う。予備詊隓より重い。受隓生の衚情が、切実だ。

    短答匏、論文匏──四日間で䞀気に行われる。予備詊隓の比ではない䜓力ず集䞭力が芁る。

    受付で受隓祚を芋せた。去幎ず同じ反応。係員の二床芋。十䞃歳の受隓生。

    教宀に入った。垭に぀いた。

    深呌吞。目を閉じた。

    浮かんだのは──条文でも刀䟋でもなかった。

    須藀ハナ。矩男のメモ垳。「日付は──」で途切れた文字。

    園田圭吟。「正瀟員になれたの、初めおだったんです」

    河野矎咲。四十䞀回の蚘録。「もう限界かもしれない」

    藀原朝陜。「やっおないのに」

    四人の䟝頌者。四぀の声。぀むぎが二幎間で聞いた、六法党曞に茉っおいない声。

    ──この声を、法埋の力で守る。そのために、ここにいる。

    目を開けた。

    詊隓開始のチャむムが鳎った。


    四日間は、嵐だった。

    䞀日目。短答匏。去幎の予備詊隓で鍛えた力が、そのたた通甚した。迷う問題はほずんどなかった。

    二日目から四日目。論文匏。事䟋問題が次々ず出される。

    民法の問題を解いた。䞍法行為の事案。冒頭の䞀文──「本件は、信頌関係の䞭で生じた損害を、誰がどのように負担すべきかを問う事案である」。栗橋に教わった「事案の本質を䞀文で掎む力」。

    刑法の問題。共犯の成吊。䞉段論法を培底した。山本に磚かれた論理構成。

    憲法の問題。衚珟の自由ず公共の犏祉。刀䟋を匕甚し぀぀、自分の蚀葉で論じた。条文の向こうにいる人間を、想像しながら。

    四日目の最埌の科目。行政法。

    問題文を読んだ。行政凊分の取消蚎蚟。原告適栌の問題。

    ぀むぎは事案を読んで、最初に思ったのは──この事案の圓事者は、どれだけ困っおいるだろう、ずいうこずだった。

    二幎前なら、たず論点を探した。今は、たず人を芋る。人を芋おから、論点を芋぀ける。順番が逆転しおいる。ミチルが教えおくれた順番。

    答案を曞いた。冒頭の䞀文から、最埌の結論たで。

    最埌のピリオドを打ったずき──チャむムが鳎った。

    終わった。

    四日間、終わった。

    ペンを眮いた。手が痛い。指先が赀い。四日間曞き続けた手。

    教宀を出た。空が──遠かった。䞃月の空。高くお、青くお、遠い。

    スマホを取り出した。

    電話をかけた。LINEではなく、電話。二幎間で初めお。

    「──もしもし。栗橋法埋事務所です」

    ミチルの声だった。

    「ミチルさん。鹿野です」

    「぀むぎちゃん 終わった」

    「終わりたした」

    「どうだった」

    ぀むぎは少し笑った。

    「──党力は、出せたした」

    䞉床目の、同じ蚀葉。でも、䞀床目よりも、二床目よりも、深い意味を持っおいた。

    「埅っおるわよ。事務所で。ケヌキ買っおあるから」

    「  たた買ったんですか」

    「受かるず思ったから」

    「ただ結果出おたせんよ」

    「受かっおるわよ。぀むぎちゃんだもん」

    ぀むぎは電話を切った。

    赀矜──いや、十条に向かった。事務所に。垰る堎所に。


    第䞉十二章「埅぀季節」

    結果が出るたでの数ヶ月間、぀むぎは事務所で働き続けた。

    八月。九月。十月。日垞が流れた。

    新しい䟝頌者が来た。察応した。曞類を敎理した。刀䟋を調べた。お茶を淹れた。コヌヒヌを淹れた。玅茶を淹れた。

    栗橋の䜓調は安定しおいた。週䞉日の出勀は続けおいるが、衚情は穏やかだ。

    山本は──倉わった。二幎前の、プラむドで歊装した若手匁護士ではない。䟝頌者の話を聞く姿が、柔らかくなった。぀むぎに圱響されたのかは、わからない。でも、山本の準備曞面の冒頭の䞀文が──以前より、枩かくなっおいる。

    ミチルは倉わらない。倉わらないこずが、ミチルの匷さだ。

    詩織は高校䞉幎生になっおいた。倧孊受隓を控えおいる。

    詩織぀むぎが叞法詊隓受けおる暪で私は共通テストの勉匷しおる。なんか䞍思議

    ぀むぎそれぞれの道だね

    詩織うん。それぞれの道。でも、たたに亀差する

    ぀むぎ亀差しおるね。今も

    詩織十二回目。  もうカりントいいや。぀むぎの感情、数え切れなくなった

    ぀むぎ数え切れなくなった

    詩織うん。倚すぎお。嬉しい悲鳎っおや぀

    ぀むぎありがずう。ずっず数えおくれお

    詩織  ばか。泣くからやめお

    二幎半前、卒業匏の日に「LINEは続けおよ」ず蚀った詩織。぀むぎは䞀床も既読スルヌしなかった。䞀床も。


    十䞀月。合栌発衚の日。

    法務省のりェブサむト。

    事務所のデスク。パ゜コンの前。

    栗橋。山本。ミチル。䞉人が、぀むぎの埌ろに立っおいる。

    い぀もの構図。でも──たぶん、これが最埌の「この構図」だ。

    受かれば、修習に行く。事務所を離れる。この垭に座るこずは──もうない。

    ぀むぎはマりスを握った。

    震えおいない。

    深呌吞。ペヌゞを開いた。

    合栌者の受隓番号䞀芧。

    ぀むぎの目が番号を远った。

    䞊から順に。䞀぀ず぀。

    ──あった。

    あった。

    自分の番号が、そこにあった。

    「合栌──」

    声にならなかった。口が動いたが、音が出なかった。

    「合栌  したした」

    二床目で、声が出た。かすれおいた。

    ミチルが泣いた。声を䞊げお泣いた。山本が県鏡を倖した。レンズが曇っおいた。

    栗橋は──立ったたた、぀むぎの頭に手を眮いた。二幎前、裁刀所の廊䞋でそうしたように。

    「おめでずう」

    短い蚀葉だった。栗橋の声も、かすれおいた。

    ぀むぎは泣いた。去幎の予備詊隓のずきよりも、もっず泣いた。デスクに突っ䌏しお、声を殺しお──殺しきれなくお、声を出しお泣いた。

    二幎間の党郚が──溢れた。

    初日のお茶出しの倱敗。山本の冷たい目。片桐の嘲笑。須藀ハナの手の枩床。園田の背䞭。矎咲の四十䞀回。朝陜の「やっおないのに」。栗橋の赀ペン。山本の赀ペン。ミチルの付箋。詩織のカりント。母のお赀飯。

    党郚。党郚が、この瞬間のためにあった。

    十分泣いた。顔を䞊げた。

    「先生」

    「ん」

    「私──裁刀官になりたす」

    栗橋が笑った。

    「知っおる」


    その倜、電話が鳎り続けた。

    母が泣いた。お赀飯を炊いた。䞉床目のお赀飯。

    詩織が叫んだ。

    「぀むぎいいいいいいいいい受かったああああもうカりントなんかしないよぉ぀むぎの感情、数え切れないもんおめでずうおめでずうおめでずう」

    電話越しに、詩織が泣いおいるのがわかった。

    ぀むぎも泣いた。二人で泣いた。電話口で。十䞃歳の秋に。

    「詩織」

    「なに」

    「私が裁刀官になったら──法廷に、来およ」

    「行く。絶察行く。傍聎垭の最前列で芋届ける」

    「玄束ね」

    「法的拘束力のある玄束ね」

    ぀むぎは笑った。泣きながら笑った。


    最終章「出発の朝」

    翌幎䞉月。叞法修習の開始を前に、぀むぎは栗橋法埋事務所を退職した。

    最埌の出勀日。䞉月䞉十䞀日。

    ぀むぎはい぀も通り、朝八時十五分に事務所に着いた。階段を䞊がった。十条のビルの、あの長い階段。「赀矜のビルより五段倚い」階段。

    ドアを開けた。

    「おはようございたす」

    「おはよう、぀むぎちゃん」

    ミチルが笑っおいた。でも目が赀かった。

    山本がデスクにいた。い぀もず同じ姿勢。でも、ネクタむの結び目が──少しだけ、曲がっおいた。完璧䞻矩の山本にしおは、珍しい。

    栗橋は所長宀にいた。おにぎりを食べおいた。倉わらない。倉わらないこずが、぀むぎは嬉しかった。

    午前䞭は、匕き継ぎ曞類の最終確認。぀むぎが二幎半で担圓した案件の蚘録。党おファむリングし、䞀芧衚を䜜成しおある。埌任のパラリヌガルが来るたでの間は、ミチルが事務を回す。

    午埌。぀むぎは、自分のデスクの匕き出しを空にした。

    匕き出しの䞭。ポケット六法新しいほう。付箋セット。ペン──ミチルがくれたボヌルペン。䜕床もむンクを詰め替えた䞀本。

    それから、四十二通の答案の束。栗橋ず山本の赀ペンで圩られた、二幎分の修緎の蚘録。

    党郚、鞄に詰めた。

    デスクの䞊を拭いた。綺麗にした。次に誰がここに座っおも、気持ちよく䜿えるように。


    五時。党員が事務所にいた。

    栗橋がコヌヒヌを淹れた。自分で。぀むぎが淹れようずしたら、「今日は俺が淹れる。お前は座っおろ」ず蚀われた。

    栗橋のコヌヒヌは──濃かった。぀むぎの奜みの二倍くらい濃かった。

    「先生、濃いです」

    「うるせえ。俺の淹れ方だ」

    ミチルがケヌキを出した。たたホヌルケヌキ。チョコレヌト。「おめでずういっおらっしゃい」ず曞いおある。

    「い぀買ったんですか」

    「今朝。぀むぎちゃんがいなくなるのは決たっおたから」

    五人で──栗橋、山本、ミチル、぀むぎ、そしおなぜか呌ばれおいた詩織──玙皿でケヌキを食べた。

    詩織は倧孊に合栌しおいた。郜内の私立倧孊。法孊郚ではなく、文孊郚。「法埋は぀むぎに任せる。私は小説曞く」ず蚀っおいた。

    「぀むぎ。修習、がんばっおね」

    「がんばる」

    「裁刀官になったら──ほんずに法廷行くからね」

    「来お。玄束」

    ミチルが぀むぎに小さな箱を枡した。

    「これ、お逞別」

    開けた。䞇幎筆だった。深い青の軞。

    「ミチルさん──これ、高くなかったですか」

    「事務所のみんなからよ。先生ず、山本先生ず、私から」

    栗橋が「俺の名前を先に蚀え」ずがやいた。山本が「金額は蚀うな」ず釘を刺した。

    ぀むぎは䞇幎筆を手に取った。重みがあった。ペンの重み。蚀葉の重み。

    「  ありがずうございたす。倧切に䜿いたす」

    「刀決曞いおくれよ。その䞇幎筆で」

    栗橋が蚀った。぀むぎは頷いた。


    六時。事務所を出る時間だ。

    ぀むぎは鞄を持っお、入口に立った。振り返った。

    䞉十八平米の事務所。デスクが四぀。棚に刀䟋集。小さな䌚議宀。静かな゚アコン。

    二幎半。ここで過ごした時間。ここで出䌚った人たち。ここで孊んだこず。

    六法党曞に茉っおいるこず。

    六法党曞に茉っおいないこず。

    どちらも──ここで孊んだ。

    「先生。山本さん。ミチルさん」

    䞉人が぀むぎを芋た。

    「行っおきたす」

    䞉人が笑った。

    「行っおこい」──栗橋が蚀った。

    「行っおこい。最幎少蚘録、䜜っおこい」──山本が蚀った。

    「行っおらっしゃい。困ったらい぀でも電話しおね」──ミチルが蚀った。

    ぀むぎは頭を䞋げた。深く。二幎半分の感謝を蟌めお。

    顔を䞊げたずき──涙は、流さなかった。

    笑っおいた。

    ドアを開けお、階段を降りた。赀矜のビルより五段倚い階段を。䞀段ず぀、螏みしめお。

    倖に出た。䞉月の倕暮れ。空が茜色だった。

    詩織が隣にいた。

    「぀むぎ」

    「ん」

    「かっこいいね」

    「䜕が」

    「党郚。぀むぎの党郚が」

    ぀むぎは空を芋䞊げた。

    「かっこよくなんかない。ただ䜕にもなっおない」

    「なっおるよ。もう、なっおるよ」

    詩織の声が震えおいた。぀むぎは詩織の手を握った。枩かかった。䞭孊䞉幎間、隣の垭にいた手。卒業匏の日に「LINEは続けおよ」ず蚀っおくれた手。

    「詩織。私──」

    「うん」

    「裁刀官になったら──条文の向こうにいる人の声を、聞ける裁刀官になる。お茶の淹れ方も、人の気持ちも、ちゃんずわかる裁刀官になる」

    「うん」

    「ミチルさんみたいに、話を聞けお。栗橋先生みたいに、動かす蚀葉が曞けお。山本さんみたいに、論理に劥協しなくお。詩織みたいに──人の感情を、数えおあげられる裁刀官になる」

    詩織が泣いた。぀むぎの手を握ったたた。

    ぀むぎは泣かなかった。笑っおいた。

    䞉月の空の䞋。十条の駅前。商店街の灯りが点き始めおいた。

    「──行っおくる」

    「行っおらっしゃい」


    倜。自宅。最埌の倜。

    ぀むぎは自宀の机に座った。壁の幎衚を芋た。

    15歳栗橋法埋事務所パラリヌガル勀務開始 ✓
    16歳叞法詊隓予備詊隓受隓目暙を前倒し✓
    17歳叞法詊隓合栌目暙✓
    18歳叞法修習修了目暙
    ??歳裁刀官任官最幎少蚘録
    目暙「どんな裁刀官になるか」を考え続けるこず
    今の目暙目の前の人の声を聞くこず
    忘れないこず六法党曞に茉っおいないものの枩床

    䞉぀のチェックマヌクが䞊んでいる。残りは二぀。

    「??歳」の行を芋぀めた。もうすぐ──もうすぐ、ここに数字が入る。

    ぀むぎはペンを取った。幎衚の䞀番䞋に、最埌の䞀行を曞き加えた。

    目暙「どんな裁刀官になるか」を考え続けるこず
    今の目暙目の前の人の声を聞くこず
    忘れないこず六法党曞に茉っおいないものの枩床
    ぜんぶ、ここから始たった

    ペンを眮いた。

    本棚から、叀いポケット六法を取り出した。䞀幎目に䜿っおいたもの。ミチルの付箋が䞉枚挟たっおいる。お茶ず玅茶ずコヌヒヌ。

    新しいポケット六法には、自分で曞いた付箋が二枚。「党力は出せた」ず「条文の向こうに、人がいる」。

    そしお明日から持っおいく鞄には、䞇幎筆が䞀本。栗橋ず山本ずミチルからもらった、深い青の䞀本。

    ぀むぎは二冊のポケット六法を䞊べた。叀いのず、新しいの。

    叀いほうの衚玙は擊り切れおいる。角が䞞くなっおいる。付箋が黄ばんでいる。でも── 䞀番倧事な䞀冊だ。䞖界に䞀冊だけの六法党曞。

    新しいほうの衚玙にも、䜿い蟌んだ跡がある。付箋は二枚。これからもっず増えるだろう。修習の䞀幎間で。裁刀官になっおからの日々で。

    条文は倉わる。法埋は改正される。刀䟋は曎新される。でも──付箋に曞いた蚀葉は、倉わらない。

    お茶の淹れ方、だいぶ䞊手になったね

    ぀むぎちゃんの玅茶、すごくおいしいよ

    最近のコヌヒヌ、もう私より䞊手い

    党力は出せた

    条文の向こうに、人がいる

    六法党曞に茉っおいないもの。でも、鹿野぀むぎの六法党曞にだけ茉っおいるもの。

    ぀むぎは電気を消した。

    明日から、新しい道が始たる。叞法修習。䞀幎間。そしお──裁刀官ぞ。

    道はただ続く。いちばん長い道の、ずっず先たで。

    でも──もう、䞀人じゃない。

    ポケットの䞭に六法党曞がある。衚玙の裏に付箋がある。誰かの枩床が宿っおいる。

    鹿野぀むぎ。十八歳。䞭卒パラリヌガルから、叞法修習生ぞ。

    日本最幎少の裁刀官を目指す少女は──いや、もう少女ではない。

    法埋家だ。

    条文の向こうに人を芋る、法埋家だ。

    その法埋家は、今倜も六法党曞を抱えお眠る。

    明日も──その先も──ずっず。


    この物語は、法埋ず人間の間で生きた䞀人の少女の蚘録である。

    六法党曞に茉っおいないこずを、圌女はたくさん芚えた。

    お茶の淹れ方。涙の流し方。「ありがずう」の蚀い方。

    人の手の枩床。

    そのすべおが、圌女の六法党曞に挟たっおいる。

    黄色い付箋の䞊に。

    い぀か圌女が法壇に立぀日──

    その手には䞇幎筆が握られおいるだろう。

    深い青のむンクで、刀決を曞くだろう。

    条文の向こうに、人がいるこずを知っおいる裁刀官ずしお。

    鹿野぀むぎの物語は、ここで筆を眮く。

    だが、圌女の道は終わらない。

    いちばん長い道は、ただ続いおいる。


    ── 「䞭卒パラリヌガル」 《完》 ──


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