
『AFRIKA BABY BAM来広直前スペシャル座談会(前編)』
2026年10月16日、広島4.14にて開催される【AFRIKA BABY BAM SHUT THE FUCK UP TOUR in HIROSHIMA】。
Native Tonguesの中心であり、ヒップホップ史に燦然と輝くジャングル・ブラザーズのAFRIKA BABY BAMが来日を果たす。そしてこの夜、共演として名を連ねるのが、日本初のクラブ・ミュージック・レーベル「MAJOR FORCE」の高木完氏とK.U.D.O氏。 両者のステージでの共演は、実に1989年の芝浦インクスティック(ジャングル・ブラザーズ初来日公演)以来、37年ぶりとなります。
今回そのお二人をお招きし、当店のオーナーであるGODBIRD(STEREO RECORDS)司会、そして編集担当の森川の立ち合いのもと、ツアーのキーパーソンであるHatchuck (REBEL DREAD HARDWARE) を交えて行われた特別座談会を公開。
伝説の「PROP-MASTER'S PARTY!!」レコーディングの裏話から、80〜90年代のロンドン/ニューヨーク/東京を巡るカルチャーの交差点、さらには二人の「驚異的な記憶力(と、忘却?)」が炸裂する脱線トークまで——。日本のヒップホップ/クラブミュージックの黎明期をリアルタイムで作り上げてきた当事者だからこそ語れる、貴重なエピソードが満載のスペシャルインタビューです。
10月16日、会場の4.14に向かう前に、ぜひご一読ください。
GODBIRD
司会進行を務めさせて頂きますGODBIRDと申します。STEREO RECORDSを経営して21年目です。スタッフの森川は2019年に入って、ま、スタッフが何人かいるんですけど、レコード屋を主体に、レーベル業と、イベント製作をやってるんですけど、レコード屋はスタッフ全員で、レーベルは僕主体で、イベントに関しては、それぞれスタッフの適性に合わせてやってるような感じで。今回はJUNGLE BROTHERSやMAJOR FORCE周辺のカルチャーが大好きな森川が参加して、編集、文字起こしをさせていただきます。よろしくお願いします。
(一同)
お願いします!
GODBIRD
まず最初に、高木完さんとK.U.D.Oさんにお訊きしたいのが、AFRIKA BABY BAM (*1)との出会い。
高木完
ジャングル·ブラザーズ (*2)初来日の時。
GODBIRD
初来日の時が出会いなんですね。
高木完
そうですね、東京で。
GODBIRD
へえ〜。
K.U.D.O
あっ、「PROP-MASTER'S PARTY!! (*3)」のレコーディングだよね?その前?
高木完
いやいや、レコーディングは後から決まったんで、元々はインクスティック (*4)でライブをやること。
GODBIRD
へえ〜。
K.U.D.O
それ、六本木インク?
高木完
六本木インクと芝浦インク両方。
K.U.D.O
両方やったんだっけ?
高木完
両方やったよ (笑)
K.U.D.O
へえ〜。
高木完
二人とも両方いたよ (笑) 芝浦インクは出てるし。
K.U.D.O
芝浦インク出たの?
高木完
出たよ (笑)
GODBIRD
あ、もう初来日の時から共演されてるんですね。

高木完
共演っていうか、そもそもセックコーポレーション (*5)の田中哲弘 (*6)っていうのが、当時そういう向こうのロンドンやニューヨークのアーティストを呼ぶっていう企画を立ててて。それでニューヨークからまず最初にやったのが、レッド・アラート (*7)とジャングル・ブラザーズで。その時の、まあ芝浦インクの時はサポートがメジャー・フォース (*8)とマッシヴ・アタック (*9)。
K.U.D.O
それ何?僕なんか、じゃあTYCOON TOSH (*10)で出たの?
高木完
違う違う (笑) 工藤ちゃんと僕とECD (*11)だよ。
K.U.D.O
ええっ?何それ。
高木完
あとORCHiDS (*12)が入ったかもしれない。
K.U.D.O
DJっぽいじゃん。
高木完
「何それ」って (笑) いやいやいや。それと、あとマッシヴ・アタックはマイロ (*13)と3D (*14)。その時が多分、マッシヴ・アタック名義で最初にやったんだと思う。
K.U.D.O
あー、あの時だ!
Hatchuck
ワイルド·バンチ (*15)じゃなくてマッシヴ・アタック!
高木完
ワイルド・バンチじゃない。マイロと3D。だってそのフライヤーあるし、そのフライヤーがブルックリンのヒップホップ・ミュージアムででっかくポスターにして貼ってあるらしいよ。

GODBIRD
へ〜、すごい。えっ、今手元にはお持ちではない?
高木完
僕は持ってない。どっかで、ネットで探せば転がってると思う。
GODBIRD
へぇ〜。
K.U.D.O
何やったんだろう、その時って。
高木完
だから (笑) 工藤ちゃんDJで、僕とECDと、、、CHAPPIE (*16)もやったかな?
K.U.D.O
CHAPPIEもいたんだ。
Hatchuck
ああ、じゃあ初期……。
高木完
いや、うっすらだけどね。でもECDは絶対いたと思う。あとORCHiDS。僕がECDを紹介した。ほとんどECDと僕だったのかな。
K.U.D.O
トシちゃん (*17)は出なかったの?
高木完
トシちゃん、もうその時ヒップホップやめてたもん。
K.U.D.O
何年?それ何年の話?
高木完
だから89年。
K.U.D.O
89年か。
高木完
やめてはいないんだけど、ステージ立つのはやめてたね。「マイクは下ろす、やんない」っつって。
K.U.D.O
Down To Earthの方に行ってたんだね、気持ちは。
高木完
うん、でもまだその時期じゃないんだけど、とりあえずマイクはやめるみたいな。
K.U.D.O
89年って言ったら、もうT.K.O. (*18)とかそういうのやってた?
高木完
T.K.O.はやってた。だってその流れで、ほら、ジャマイカでミックスもしに行ったり。
K.U.D.O
あぁ、そうか。その年代?
高木完
その年代だよ。
K.U.D.O
へぇ、よく覚えてんね、しかし。
高木完
いや、よく覚えてるっていうか、自分のことはね (笑) そこら辺だけは。2000年代のことよりその辺の方が僕、覚えてるから。
K.U.D.O
本当これ、完ちゃんのまだ記憶があるうちに、ボケる前に……。
高木完
いや、「まだ」って僕、ずっとあるから!(笑) 僕、記憶はずっとあるから大丈夫だから (笑)
GODBIRD
工藤さんが忘れてるのか、完さんが異常に記憶がいいのか。
高木完
いや、「異常」は余計だから (笑) 「異常」は余計だよ。
K.U.D.O
完ちゃんは異常に記憶がいい (笑)
高木完
だから「異常」は余計だっつーの (笑)

GODBIRD
なるほど (笑) で、そのファーストアルバムと初来日があるんですけど、当時日本の現場とかシーンに与えた影響っていうのは、例えばどういうような感じだったんでしょう?
高木完
多分、ショーアップしてない割と若い子が来たっていうのが初めてだったんじゃないの? でも分かんない。『ワイルド・スタイル (*19)』があるから、ちょっとそこら辺は僕もそこと合わせることはできないんだけど。Run-D.M.C. (*20)以降のやつだと、だいたいRun-D.M.C.とかLL・COOL・J (*21)とか、ショーアップしたのが多かったから。そこまでのショーアップじゃない感じのが。
K.U.D.O
なんか当時のことを俺も一生懸命思い出そうとしてたんだけど、全然やっぱその辺の記憶はなくて。唯一思い出したのは芝浦インクで、クイーン・ラティファ (*22)とか。
高木完
それは次。その時じゃないよ。
K.U.D.O
そうだけど、そのあたりしか思い出せないんだよね。
高木完
そう、だからそれはその次だから。
K.U.D.O
全然後だよね。
高木完
全然でもないけど、数ヶ月あと。それを仕切ってたのがデイブ・ファンケンクライン (*23)って言って、レッド・アラートのマネージャー。彼がその時にね。死んじゃったけど。それで彼と仲良くなったんだよね。

K.U.D.O
じゃあ、ジャングル・ブラザーズとレッド・アラート初来日の時に、「PROP-MASTER'S PARTY!!」のレコーディングの話はしたんだっけ?
高木完
あっ、そうそう。「やれたらな」って。「レッド・アラートのミックスみたいなの作れたら嬉しくない?」みたいな話を。それこそその時はトシちゃんも「やりたいね」って言ってたし、そういう話をしたんだよ、みんなで。みんなって主に3人かな。3人とタキシン (*24)もいたかもしれない。それでそれを実際問題振ったら、全然オッケーになって。多分すごい安かったんじゃないかな?1000ドルぐらいでやったんじゃないかな。1000ドルかそこらでやったんだよ。

K.U.D.O
「PROP-MASTER'S PARTY!!」のレコーディングは結構鮮明に覚えてる。エコーハウスでね。
高木完
エコーハウスって、S-KENスタジオだった所だけど。その時の写真って宝島の『LAST ORGY (*25)』に出てるはずだよ。ヒロシ (*26)もその時映ってるよ。 あっ、そうだ。ヒロシも「オッケー、いいんじゃない」って言ってたかも、その時は。
K.U.D.O
「PROP-MASTER'S PARTY!!」はメジャー・フォースのレコード2枚使ってレッド・アラートがミックスしてるんだけど、その時にKISS FM (*27)のラジオジングルもちゃんと持ってきてくれて。
GODBIRD
あぁ、KISS FM!
高木完
それをそのまま使ってくれた。
K.U.D.O
すごい感動した。多分ハットラ(8トラック)かなんかのテープなんだよね。それを再生してくれて、もう耳に馴染んだやつがすごいクオリティのいい音で聞こえてよかったな。
高木完
来る前から「それやってくれ」って話になってたのかな。
K.U.D.O
で、その時にアフリカとかもみんな来てて。
高木完
見に来てた。もちろん暇だからね。
K.U.D.O
で、ケンタッキーフライドチキンを食べてて、油のついた手でレコードを触っててめちゃくちゃ怒られたっていう (笑)
高木完
彼らまだ高校生だからね、高校出たてぐらいじゃない? ジャングル・ブラザーズ。 17か18歳だったけど、全員。 マイク・G (*28)はレッドの甥っ子じゃん。
Hatchuck
もう日本に知られてたんですか、ジャングル・ブラザーズは?
高木完
知られてたよ。だってファーストアルバム、めちゃくちゃ人気あったし。
Hatchuck
なるほど。
高木完
ファーストアルバムっていうか、その前に12インチがいっぱい出てて。東京っていうか日本ってすごくヒップホップの12インチを掘ってるやつが、まあ一部かもしれないけどいたから。 全世界的に売れる前から東京とか大阪の都市部ではね。
GODBIRD
じゃあ初来日の時からもうフロアはパンパンみたいな?
高木完
パンパン、パンパン!
GODBIRD
そうなんですね。じゃあもういきなり人気があったと。
高木完
人気っていうか、ヒップホップのそういうのが来るのはね。もうヒット曲もあったしね。「I'll House You (*29)」もお披露目してたよね。 多分まだレコードが出たか出てないかぐらいの時にやってたな。
GODBIRD
なるほど。で、ちょっと次の話を聞きたいんですけど、当時から現在に至るまで、メジャー・フォースとネイティブ・タン (*30)のグループ間にはどういう……まあ、これちょっと話がものすごく広がってしまう可能性が大なんですけど。
高木完
僕、ジャングル・ブラザーズ初来日の時、テイ・トウワ (*31)とも初めて知り合ったもん。テイ君が映像を撮ってたんだけどさ、芝浦インクで。8ミリのバッテリーがなくなっちゃったから、僕が貸してあげたの覚えてる。それでなんか初めて話した。
Hatchuck
テイさん、まだその頃はニューヨークに住んでて、一緒に来たみたいな?
高木完
一緒に来たっていうよりも、なんとなく「日本行くなら僕も帰ろうかな」みたいな感じじゃない? Jungle DJ Towa Towaって名前で。 で、テイ君と一緒にやってたのがCG GEN (*32)って言って、それが工藤ちゃんとかと仲良かったんだよね、
K.U.D.O
ゲンちゃん (CG GEN)ね。
高木完
CG GENが工藤君と仲良くて、その辺の繋がりもあったよね。そのCG GENがジャングル・ブラザーズのセカンドのロゴとか作ってた。
Hatchuck
そうですね。
K.U.D.O
そうだそうだ。 なるほど、色々繋がってきたね。
高木完
繋がってきたね。工藤くんがようやく思い出してきた (笑)
K.U.D.O
「このロゴ、ゲンちゃん (CG GEN)がやってんだよ」みたいな。「へえ」みたいな、それ思い出して。
高木完
そうそう。ゲンちゃん (CG GEN)は、だから工藤くん仲良かったんだよね。そのテイくんの相方のさ。 CG GENって。なんで仲良かったんだっけ?デプト (*33)?デプトじゃないか。ゲンちゃん (CG GEN)とはどこで仲良かったの?
K.U.D.O
いや、わからん、俺も。
高木完
あれ?(笑)
K.U.D.O
その後は知ってるよ。その後なんかね、フミヤ (*34)とかもやったもんね、ゲンちゃん (CG GEN)。
高木完
いや、それはだいぶ後で。でもニューヨークでほら、一回一緒に会ったじゃん。細谷ゲン。
K.U.D.O
ニューヨークで会ってる?(笑)
高木完
会ってる、会ってる (笑)
K.U.D.O
すごい記憶力だね。なんか、ニューヨークって言っても、いつのニューヨークかもわかんないもん、俺 (笑) 頭の中はちゃんと整理されてんだね。
高木完
うん、部屋は散らかってるけどね (笑)
K.U.D.O
すごいわ、記憶力。それはもうちゃんと記録しといた方がいいね、やっぱね。完ちゃんの記憶は。 (モニターに映る完さんを見て) 今なんか思い出したな?
高木完
え?
K.U.D.O
今なんか思い出したでしょ?言いたいでしょ?
高木完
いやいやいやいや。そうだよ、でもあんまりあの、人前で喋るような内容じゃなかった。(笑)「録音されています」って書いてあったから、危ねえわ。
K.U.D.O
ピー入れるから大丈夫 (笑)
高木完
ピー入んない、入んない (笑)
GODBIRD
勝手には上げないんで (笑)
高木完
危ない内容だったから (笑) 危うく喋るとこだった。
K.U.D.O
ゲンちゃん (CG GEN)ね。そうかそうか、そういう繋がりもある。
GODBIRD
工藤さんはどうですか?その、なんかジャングル・ブラザーズとの交流など。
K.U.D.O
俺、全然覚えてないの (笑)
高木完
でもさ、最初12インチがKISS FMでかかってて、「Same Beat (*35) 」を使ってて "サムビー!"っていってて。だから「サミー・B (*36) 」が「DJ Same Beat」だと思ってたとかさ、そういうのあったよね?
K.U.D.O
えっ、誰が?俺が?
高木完
いや、みんながみんなが。
K.U.D.O
あ、DJ Same Beat。
高木完
「サミー・B」って言ってるのが「サムビート」だと思ってて、「DJ Same Beat」かもと思って。 だから、そのラジオのテープを僕らよく聴いてたんだよね。 ラジオをテープでね。KISS FMの。
K.U.D.O
僕らも録ったよね、ジングルね。KISSの。
高木完
僕らも録ったよ。
GODBIRD
へぇ〜。
K.U.D.O
多分、そのニューヨーク行ってる時かかったの。
高木完
あ、そうだそうだ、日本で録ったんじゃん。
K.U.D.O
たまたま僕らニューヨーク行ってる時にライブで聴かなかった?それ、ラジオで。
高木完
聴いた、聴いたよ。 聴いたし、僕はその後一人でもKISS FM行って。
K.U.D.O
あっ、行ったんだ。
高木完
行った行った。レッドのところに。
K.U.D.O
レッドさん家行ったのは覚えてるんだけどね。
高木完
レッドさん家、みんなで行った (笑) ハーレムの。 で、なんかシルビア(*37)っていう有名なソウルフードのレストラン連れてかれて。
K.U.D.O
あっ、そうだそうだ。なんかジャークチキンかなんか食ったよね。
高木完
ジャークチキンっつうか、ソウルフードだよ。豆類。
K.U.D.O
そうだよね。豆とチキンのね。
高木完
なんか凄かったな……あれはあんまりちゃんと食べられなかったな。シルビアっていう有名なレストラン。
K.U.D.O
店の名前まで覚えてない。
高木完
うん、なんか有名なんだよ、シルビア。 ハーレムの家行って、お母さんに挨拶して (笑)
K.U.D.O
そうだそうだ (笑)
高木完
「いつもレッドがお世話になってますぅ〜」みたいな。「イエーイ!」って言われて (笑)
GODBIRD
これもうやっぱりHatchuckくんさ、大先輩すぎて、もう我々が何も入り込む余地ないよね。
Hatchuck
いや、もう聞いてたいね (笑)

高木完
だってさ、僕、マイク・Gかなんかがさ、まだこういうインターネットがない時代にさ、国際電話がかかってきて。「どうしたのかな?」と思ったら「大事件だ!」っつって。「レッド・アラートがKISS FMをクビになった!」っつって(笑) 「マジか」と思ったけど、「そこで電話してくるか?」って(笑)
一同
(爆笑)
高木完
いや、実際KISS FM、一回ヒップホップやめたんだよね。 そんなことが90年代になってあって。それで電話かかってきたの覚えてる。「大変なニュースだ」っつって。「それは大事件だね」って、すぐFine (*38)に書いたけど (笑)
GODBIRD
ちょっと、こんな濃い会話の後にすげえ普通な質問して大変恐縮なんですけど、ジャングル・ブラザーズの好きな楽曲とか、当時DJでよくかけてたよみたいな、そういうのってなんかあったりしますか?

高木完
ファースト (*39)はすごい好きだったし、セカンド (*40)もなんだっけ、あの……ああ、セカンドもやたらかけたよね。クラブヒットしてるのいっぱいあったから。『What "U" Waitin' "4" (*41)』とかさ。
ビヨンド・ザ……なんだっけ、ドン・レッツ (*42)がビデオやってるやつ。『Beyond This World (*43)』だっけ?
Hatchuck
『Beyond This World』です。
高木完
『Beyond This World』か。
GODBIRD
工藤さんは?
K.U.D.O
俺も『I'll House You』とか。
高木完
あ、そうだね。『I'll House You』。 そこは流行ったよね。ヒップハウス (*44)。
GODBIRD
ヒップハウスね。
高木完
ヒップハウスって言われる前だと思うよ、まだ。
K.U.D.O
前だよね。
高木完
だってヒップハウスってみんな『It Takes Two (*45)』だったけど、
『I'll House You』はほら、もろロイヤル・ハウス (*46)、トッド・テリー (*47)そのままみたいな。
K.U.D.O
あと『Straight Out The Jungle (*48)』とか、その辺はもう今でもかけてる。
高木完
アフリカが結構ダンスミュージック好きなんだよね。だからあの時もライブでマーシャル・ジェファーソン (*49)使ったりしてたし。
Hatchuck
あぁ。
高木完
ハウスとか普通に好きそうだったもん。ダンスミュージック、あの人大好きでしょ。
K.U.D.O
若いからね、やっぱね。その辺はすごい感化されてんじゃない?
高木完
若いのもあるけど、なんかディスコ好きそうだなと思った。最近になって一緒になる時も。
GODBIRD
そのジャングル・ブラザーズがやってたヒップハウスと、シカゴのあのヒップハウスって、やっぱちょっと文脈的には違うんですか?
K.U.D.O
まあ違うと思うよね、その辺は。
高木完
ニューヨークのノリだもんね。アフリカたちはね。 ほら、ずっと工藤ちゃん一緒にニューヨークに90年代初期に行った時、MCライト (*50)とかも踊ってたじゃん。
K.U.D.O
あ、そうだね。
GODBIRD
へえ〜。
高木完
ハウスがまだその割といろんなBボーイっぽい子もね、みんなハウスのクラブ行ってて。 "Hoo!Hoo!Hoo!"って言いながら、あの結構普通に踊ってたよ、ハウスで。みんなアフリカっぽいトライバルなハウスが結構流行ってたから。
GODBIRD
あー、なるほど。
高木完
割となんつうの、その四つ打ちっつっても四つ打ちなんだけど、トライバルな感じとかね。 僕らも好きだったもんね、それ。大好き。
K.U.D.O
アフリカ系だったもんね。
高木完
うん、トライバルハウス (*51)みたいな。
Hatchuck
ジャンブラはトッド・テリーでしたっけ?
高木完
うん。あれはレコードもろ使ってんじゃない?
Hatchuck
あ、もろ使ってるっていう。
高木完
もろ使っただけだと思う (笑)
Hatchuck
あ、そういうことか。
高木完
その上でやって、ラップしてるみたいな。 それが面白いなと思ったけど。
K.U.D.O
うん、まあ僕らもそうだね、トライバルハウス的なものは結構その当時もかけてた。
高木完
そうそう、かけてたし、やっぱりかっこいいねってね。
K.U.D.O
「Nu Groove (*52)」とかのレーベル。
高木完
あー、そう、「Nu Groove」とか。 多分その辺が一緒だよね、ジャングル・ブラザーズとかもね。
K.U.D.O
確かに。共通してる部分。
GODBIRD
あの、レコ屋だからあれなんですけど、「Nu Groove」のレコードって今でもすっごい人気あるんですよ。
高木完
え、そうなの?まだレーベルあんの?
GODBIRD
いや、もうレーベルは存続してないんですけど、あの、中古盤でずっとこう回転し続ける。
K.U.D.O
あのレーベルのロゴのTシャツは見たことあるよ。
GODBIRD
ああ、そうですよね。
高木完
ああ、DJ's CHOICE (*53)で売ってたんじゃない?
K.U.D.O
このTシャツいいかもって。
(以降、後編に続く)

『AFRIKA BABY BAM SHUT THE FUCK UP TOUR in HIROSHIMA』
■ 日時
10月16日(金)
開場 18:30 / 開演 19:00
■ 会場
広島 4.14
■ 出演
【LIVE】
・STFU / AFRIKA BABY BAM (from JUNGLE BROTHERS) & JAI D、FABIAN YUSUKE
・高木完 & K.U.D.O (MAJOR FORCE PRODUCTIONS)
【DJ】
・Hatchuck (REBEL DREAD HARDWARE) / DJ YAN (MIZO)
■ チケット(全自由・整理番号付 / ドリンク代別 ¥600)
・前売 ¥6,500 / 当日 ¥7,500
・U25 ¥4,500 / 当日 ¥5,500
■ プレイガイド
e+ / STEREO RECORDS / MIZO
■ 問い合わせ
STEREO RECORDS(082-246-7983)
主催:STEREO RECORDS
協力:REBEL DREAD HARDWARE / MIZO
■ アーティストプロフィール
AFRIKA BABY BAM (from JUNGLE BROTHERS)
ラッパー、DJ、プロデューサーのナサニエル・ホールは、アーティスト名「アフリカ・ベイビー・バム」として最もよく知られている。
伝説的なヒップホップ・スーパーグループ「ネイティブ・タンズ」の共同設立者であり、自身のグループ「ジャングル・ブラザーズ」、そして、「ア・トライブ・コールド・クエスト」と共に、しばしば「黄金時代」と呼ばれるヒップホップの時代を切り拓いた。
バムは、まさにヒップホップ界のレジェンドと言える存在だ。 彼は2025年にヒップホップ・ホール・オブ・フェイムに殿堂入りした。
彼の社会意識に根ざした前向きな姿勢と、幅広いサンプリング手法により、JBのデビューアルバム『Straight Out the Jungle』(1988年)は、Allmusicから5点満点の最高評価、The Source Magazineからは5micsを獲得した。このアルバムには、ダンスフロアの定番曲『I’ll House You』が収録されている。
その続編となる『Done By The Forces of Nature』(ワーナー・ブラザース、1989年)は傑作と評されており、『シカゴ・トリビューン』紙のリック・リーガーが「ヒップホップ史上最も想像力豊かで魅力的な作品の一つ」と的確に表現した通りである。
バムは、ネネ・チェリー、ステレオ・MCs、キャロン・ウィーラー、モニ・ラブなどのレコードをプロデュースしてきた。また、クインシー・ジョーンズの楽曲のリミックスも手掛けている。
MAJOR FORCE PRODUCTIONS
Major Forceは、1988年にMELONのメンバー3人(中西俊夫、K.U.D.O、屋敷豪太)とTiny Punxの高木完、藤原ヒロシによって設立された東京を拠点とするプロダクション&レーベルカンパニーです。Wild BunchのDJ Miloと制作した「Return of Original Art Form」は世界的に話題を呼び、Tiny Punxの「Last Orgy」は高橋盾やNIGO®など、後の原宿シーンに大きな影響を与えました。1990年代には、中西とK.U.D.Oはロンドンに拠点を置くMajor Force Westを設立し、Mo Waxから重要な作品をリリースしました。レーベルは一時休止状態でしたが、2018年に30周年を迎え、復活。不定期に楽曲をリリースしていましたが、2025年にMAJOR FORCE PRODUCTIONS名義での配信を再開。8月末には新曲をリリース。さらにK.U.D.Oと高木の2人でMAJOR FORCEとして活動を開始。2025年8月にはジャイルスピーターソン主催のWE OUT HEREに出演。
Hatchuck (REBEL DREAD HARDWARE)
東京都台東区生まれ。 2023年、20年来の友人であるロンドン出身のDJ/映像作家 ドン・レッツと共に 【REBEL DREAD HARDWARE】 を始動。
15年続く自身のレギュラーパーティー『YELLOW CAVE MIX』をスチャダラパー・シンコと共に主催するなど、DJとしても精力的に活動を行う。 音楽とカルチャーの視覚化を紡ぐ。
DJ YAN (MIZO)
DJ / Beatmaker。Coffee & Record Shop MIZO店主。
Rock Partyやライブハウスでのプレイを出発点に、ドラムブレイクやサンプリングネタへの探究心からHIP HOPへと辿り着いた異色のDJ。
ルーツであるRockを軸に、Soul,Funk,和モノや、東欧/旧ソ連圏のレコードまで幅広く掘り下げ、独自の感性でHIP HOPへと再構築する。
〈注釈〉
(*1) AFRIKA BABY BAM
伝説的なヒップホップグループ「Jungle Brothers」のリーダー兼創設メンバーであり、ヒップホップの歴史的な重要クルーである「Native Tongues」の創始者の一人であるアメリカ・ニューヨーク出身のヒップホップアーティスト。2025年にヒップホップの殿堂 (Hip Hop Hall of Fame)に認定された。日本での来日ツアーやイベント出演など、国境を越えて活動を続けている。
(*2) ジャングル・ブラザーズ
1987年に結成されたアメリカ・ニューヨーク出身の伝説的なヒップホップ・グループ。マイク・G、アフリカ・ベイビー・バム、DJサミー・Bの3名を中心に始動し、ア・トライブ・コールド・クエストやデ・ラ・ソウルらと共に、1980年代後半~90年代のヒップホップ黄金期を牽引した名門クリエイター集団「ネイティブ・タン」の中心人物としてヒップホップシーンに多大な影響を与えた。
(*3) PROP-MASTER'S PARTY!!
1989年に日本の伝説的クラブミュージックレーベル「MAJOR FORCE」がリリースした、NYの重鎮DJ「KOOL D.J. RED ALERT」と「MAJOR FORCE POSSE」による歴史的な12インチレコード。70~80年代のファンクやブレイクビーツをベースに、MAJOR FORCE初期の音源やTINY PANX(高木完・藤原ヒロシ)らの楽曲をカットアップ&ミックスして構築された、日本のオールドスクール黎明期のクラシック作品。
(*4) インクスティック
1980年代~90年代にかけて東京に存在し、当時の音楽シーンやクラブカルチャーに大きな影響を与えた伝説的なライブハウスグループ。通称「インク」と呼ばれていた。
(*5) セックコーポレーション
当時「インクスティック」や、西麻布の伝説のクラブ「P.PICASSO」、カフェ・バー「RED SHOES」などを企画・運営していた空間プロデュース企業。当時のバブルカルチャーやウォーターフロントブームを仕掛けた代表的な企業の一つ。
(*6) 田中哲弘
1980年代~90年代の東京のインディーズ音楽シーンやクラブカルチャーを陰で支えた伝説的なライブハウス・ディレクター/プロデューサー。通称「てっちゃん」。当時、芝浦にあった大規模ライブハウス「インクスティック芝浦ファクトリー」の店長・支配人的なポジションを務め、数々のミュージシャンやクリエイターから絶大な信頼を寄せられていた。スカフレイムスやJAGATARA、MUTE BEATといった当時の東京の先鋭的なインディーズバンドの活動を強力にサポートした人物としても知られている。
(*7) Kool DJ Red Alert
1980年代から98.7 Kiss-FMやHot 97、WBLSなどのニューヨークのラジオシーンを牽引し、ヒップホップやラップ音楽をメインストリームの電波に定着させた伝説的なアメリカのヒップホップDJ。ジャングル・ブラザーズのメンバーであるマイク・Gの叔父でもある。
(*8) メジャー・フォース
1988年に高木完、藤原ヒロシ、中西俊夫、K.U.D.O、屋敷豪太によって設立された、日本初のヒップホップ・クラブミュージック・レーベル。今回の広島公演では高木完&K.U.D.OのMAJOR FORCE PRODUCTIONSで参加。
(*9) マッシヴ・アタック
イギリス・ブリストル出身の音楽ユニット。ヒップ・ホップ、レゲエを中心に、ジャズ、ソウル、ロックなど様々なサウンドをミックスした独自の音楽性を有するグループ。
(*10) TYCOON TOSH
日本のニュー・ウェイヴやヒップホップシーンを牽引した伝説的なミュージシャン、中西俊夫が使用していたソロ活動名義・アーティスト名。
(*11) ECD
1980年代後半から活動を開始し、1996年に伝説的イベント「さんピンCAMP」を主催するなど、ジャパニーズヒップホップの礎を築いた重要人物。
(*12) ORCHiDS
1988年にメジャー・フォースが全面プロデュースした女性ヒップホップ・デュオ。メンバーはモデルの中川比佐子と、スタイリストの佐藤ケイコ(のちに佐藤に代わり、女優の渡辺真起子が加入)
(*13) DJ MILO
ブリストル発、MASSIVE ATTACKの前身DJ/サウンドシステム・ユニット"THE WILD BUNCH"のオリジナル・メンバーであり、クラブミュージック・シーン発展前夜を知る男。
(*14) 3D
イギリスの美術家、ミュージシャン、歌手、作詞家でMASSIVE ATTACKの創設メンバーの1人。本名はロバート・デル・ナジャ。バンクシーの正体の1人と噂された事もある。(本人は否定している)
(*15) THE WILD BUNCH
イギリス・ブリストルにて、サウンド・システムを母体としてダディ G、DJ Milo、ネリー・フーパーの3人により結成され、後にロバート・デル・ナジャ(3D)、マッシュルーム、Willie Weeの3人が加入した結成されたヒップホップ・グループ。
(*16) CHAPPIE
日本のレゲエ黎明期から活躍する東京出身の先駆的なレゲエDJ。1989年、スチャダラパーなども輩出した『第2回DJアンダーグラウンドコンテスト』で優勝。同年、日本の伝説的ヒップホップレーベル「MAJOR FORCE」からシングル『RUN RUN RUN』でデビューを果たした。
(*17) トシちゃん (中西俊夫)
1970年代後半から世界的に活躍した日本のミュージシャン、音楽プロデューサー、イラストレーター。「TYCOON TOSH(タイクーン・トッシュ)」などの名義でも知られ、日本のテクノポップやニュー・ウェイヴ、そしてクラブミュージック(ヒップホップ、レアグルーヴなど)の黎明期を築いた最重要人物のひとり。
(*18) Sexy T.K.O.
TYCOON TOSHこと中西俊夫とK.U.D.Oこと工藤昌之によるユニット。チルアウト、グラウンド・ビート、ハウス、ラヴァーズ・ロックなどを取り入れた、メロウで心地よいダンスミュージックを展開していた。
(*19) ワイルド・スタイル
1982年にアメリカで制作されたヒップホップ黎明期のニューヨーク・サウスブロンクスを舞台に、当時のリアルなストリートカルチャーを描いたヒップホップカルチャーの金字塔となるドキュメンタリータッチの劇映画。
(*20) Run-D.M.C.
アメリカ・ニューヨーク出身の伝説的な3人組ヒップホップグループ。ヒップホップとハードロックを掛け合わせた先駆けで、エアロスミスとの共演曲「ウォーク・ディス・ウェイ」などが大ヒット。アディダスのスニーカーやジャージ、カンゴールの帽子を身につけ、ヒップホップファッションの定番を作った。
(*21) LL・クール・J
1984年に設立されたDef Jam Recordingsの第1弾アーティストとしてシーンに登場したニューヨーク・クイーンズ出身のラッパー。ラップにメロディアスな要素を取り入れた『I Need Love』などのヒット曲を生み出し、ヒップホップをメインストリームへと押し上げた。
(*22) クイーン・ラティファ
1989年にアルバム『All Hail The Queen』でデビュー。女性ラッパーの地位を確立し、「ヒップホップ界の女王」と呼ばれている。2006年には、ヒップホップアーティストとして初めてハリウッド・ウォーク・オブ・フェームに名前が刻まれた。
(*23) デイブ・ファンケンクライン
1990年代初頭のヒップホップ・シーンにおいて重要な足跡を残した、アメリカのヒップホップ専門レーベル「Hollywood BASIC」を運営・指揮していた人物。当時流行していた商業的なラップとは一線を画す、DJ Shadowなどアヴァンギャルドでエッジの効いたアーティストを次々と発掘した。
(*24) タキシン (滝沢伸介)
日本のファッションブランドNEIGHBORHOODの創業者兼クリエイティブディレクター。1988年「MAJOR FORCE」の立ち上げ時にファイルレコードへ入社し、同レーベルの運営やマーチャンダイジングを担当。
(*25) LAST ORGY
1987年から雑誌『宝島』で、高木完と藤原ヒロシが始めた音楽、ファッション、カルチャーの批評コラム。当時の日本にはなかった画期的な内容で、裏原宿カルチャーの原点となった。
(*26) 藤原ヒロシ
ファッション・カルチャープロデューサー、ミュージシャン、大学教授、フラグメントデザイン主宰。80年代、東京のストリートカルチャー黎明期から、現在に至るまでシーンを牽引し続ける。
(*27) KISS FM (98.7 KISS FM)
かつてアメリカ・ニューヨーク州ニューヨーク市で放送されていた伝説的なFMラジオ局の名称。ブラックミュージック(R&B、ソウル、ヒップホップ、ダンスミュージックなど)を中心に放送し、同分野で長年ニューヨークのトップを争った。
(*28) マイク・G
1980年代後半から活躍するアメリカのヒップホップグループ、JUNGLE BROTHERSの創設メンバーであり、メインラッパー。
(*29) I’ll House You
JUNGLE BROTHERSが1988年に発表したヒップホップとハウス・ミュージックを融合させた彼らの代表曲にしてヒップハウスの歴史的な超名曲。
(*30) ネイティブ・タン
1980年代後半から1990年代にかけてアメリカのヒップホップシーンに現れた、知性的でポジティブな思想を持つアーティスト集団で、自由なサンプリングやジャズを取り入れた音楽性、そして平和や一体感を訴えるリリックで「ニュースクール」と呼ばれる新しい時代を切り開いた。主要メンバーはジャングル・ブラザーズ、デ・ラ・ソウル、ア・トライブ・コールド・クエスト、ブラック・シープ、クイーン・ラティファなど。
(*31) テイ・トウワ
日本在住のDJ・音楽家・音楽プロデューサー。1990年に「Deee-Lite」のメンバーとして全米デビューし、シングルが全米4位の大ヒットを記録。1994年のソロデビュー以降は日本を拠点に活動し、カラフルで洗練された独自のダンスミュージックやポップスを発表している。
(*32) CG GEN
日本のクリエイティブディレクター、アートディレクターである細谷ゲンがVJ活動を行う際に使用していた名義。
(*33) デプト(DEPT)
1980年代から日本の古着・ヴィンテージシーンを牽引してきた老舗ショップ。独自のセレクトやリメイク衣装で若者文化に影響を与えた。
(*34) 藤井フミヤ
元チェッカーズのメインボーカルでソロ歌手。音楽のみならず、ファッションやアートなど多岐にわたる分野でトレンドを生み出したアーティスト。
(*35) Same Beat
James BrownのバックバンドであるFred Wesley & The J.B.'sが1973年にリリースしたファンクの傑作ナンバー。1980年代から90年代にかけて、HIP HOPの黄金期を中心に数多くのアーティストにサンプリングされたことでも非常に有名。
(*36) サミー・B
伝説的なヒップホップグループJUNGLE BROTHERSの初期オリジナルメンバーであり、DJを務めた人物。1997年作のアルバム『Raw Deluxe』をリリースした後にグループを脱退。
(*37)シルビアズ・レストラン
ニューヨーク・ハーレムにあるアフリカ系アメリカ人の伝統料理「ソウルフード」の聖地として世界的に有名な老舗レストラン。
(*38) Fine
日之出出版が発行する大人の男性向けライフスタイル・ファッション雑誌。創刊当時は日本のサーフィンブームを牽引し、ファッションとボードスポーツを融合させた雑誌として人気を集めた。高木完氏による「HARDCORE FLASH」を長年連載していた。
(*39) Straight Out the Jungle (LP)
ジャングル・ブラザーズが1988年に発表した記念すべきデビュー・アルバム。オールドスクールからニュースクールへの移行期を象徴する、ヒップホップ史に輝く名作。
(*40) Done by the Forces of Nature
ジャングル・ブラザーズが1989年発表したセカンド・アルバム。メジャーに移籍してリリースされた作品で、ヒップホップの音楽性やその後の発展に多大な影響を与えた名作。
(*41) What "U" Waitin' "4"
1989年にリリースされたジャングル・ブラザーズのヒップホップ・クラシック。C.J.マッキントッシュやトニー・ハンフリーズなど著名なDJ/プロデューサーが手がけた多彩なリミックスも人気。
(*42)ドン・レッツ
イギリスの映画監督、ミュージシャン、DJであり、1970年代のロンドンでパンク・ロックとレゲエを融合させた重要人物。今春広島クラブクアトロでもマッシヴ・アタックのダディGと共にDJ公演を行なった。
(*43) Beyond This World
セカンド・アルバム「Done by the Forces of Nature」からのシングル。Jimmy Bo Horne「Is It In」のベースラインを軸にした、疾走感とエレクトロなテイストが融合したヒップホップ・ナンバー。
(*44) ヒップハウス
1980年代後半に米ニューヨークやシカゴで生まれた、ハウスミュージックの高速なビートにラップが融合した音楽ジャンル。ハウスのファンキーなベースラインやシンセ音に、ラッパーがライムを乗せるパーティーチューンが特徴。
(*45) It Takes Two
ニューヨーク出身のヒップホップデュオ Rob Base & DJ E-Z Rockが1988年に発表した、ヒップホップの歴史に残る伝説的なパーティー・アンセム。
(*46) ロイヤル・ハウス
1980年代後半のニューヨーク・ハウスシーンを代表する、天才プロデューサー、トッド・テリーの変名プロジェクト名。代表曲「Can You Party」はJungle Brothers 「I'll House You」の元ネタとしても知られる。
(*47) トッド・テリー
1980年代後半〜90年代初頭のダンス・ミュージックシーンに多大な影響を与えたDJ兼プロデューサー。クラシック・ディスコ、シカゴ・ハウス、ヒップホップのブレイクビーツを融合させたサンプリング手法で、1990年代のニューヨーク・ハウスシーンを形作った。
(*48) Straight out the Jungle (12")
ジャングル・ブラザーズのファースト・アルバムに収録されている表題曲。オールドスクールな掛け合いとアフリカ回帰的なイメージを感じさせる代表曲。
(*49) マーシャル・ジェファーソン
アメリカ・シカゴ出身のハウス・ミュージックの先駆者であり、伝説的なプロデューサー兼DJ。1986年に発表した楽曲『Move Your Body(The House Music Anthem)』は、ハウス・ミュージックの歴史における最初のピアノハウス・トラックの一つとして知られ、世界中のダンスフロアに大きな影響を与えた。
(*50) MCライト
1980年代後半から活躍するアメリカの女性ラッパー。1988年にデビューアルバム『Lyte as a Rock』をリリースし、女性ソロラッパーとして初めてフルアルバムを発表した歴史的なアーティスト。
(*51) トライバルハウス
ハウスミュージックのサブジャンルのひとつで、4つ打ちのビートにアフリカやラテンなどの民族打楽器(コンガ、ボンゴ、ジャンベなど)のパーカッションを重ねた音楽スタイル。
(*52) Nu Groove
1988年にニューヨークで設立された、アンダーグラウンド・ハウスの伝説的な名門レコードレーベル。ディープ・ハウスを中心に、アシッド、アンビエント、ミニマルなど幅広いスタイルを展開し、ハウスミュージックの礎を築いた。
(*53) DJ's CHOICE
1989年12月に東京・渋谷のファイヤー通りにオープンし、1996年頃まで存在した伝説的なセレクトショップ・レコード店。アメリカから買い付けた輸入衣類や小物(ストリートブランドなど)を中心に、アナログレコードや海外のミュージックビデオ、ラジオショーを録音・編集した貴重なテープなども販売していた。