セミ殻
夏になると、近所の神社の境内は、昼間とはまったく違う顔を見せる。夕暮れが近づき、空気がまだ熱を帯びているころ、神社の木々ではセミたちが一斉に羽化の時を迎える。幹や枝にしがみついた幼虫が、殻を割り、時間をかけて新しい姿へと生まれ変わっていく。その光景は静かで、どこか神秘的ですらある。
娘たちは、その季節を心待ちにしていた。夕方になると「行ってくる」と言い残し、神社へ駆けていく。目当ては鳴き声ではない。木の幹や石垣、社殿の裏に残されたセミの抜け殻だった。小さな指で一つひとつ丁寧にはがし、宝物のように集めてくる。
その数は次第に増え、何十、何百という単位になった。家に持ち帰ったセミ殻はダンボールに入れられ、部屋の隅に大切にしまわれる。中をのぞくと、軽くて空っぽの殻が折り重なり、かすかに夏の匂いがする。大人から見れば、ただの空洞にすぎない。しかし娘たちにとっては、どれもが特別な一つだった。
なぜそこまでセミ殻に惹かれるのか、私たちには分からなかった。価値や意味を求めても、答えは見つからない。ただ、子どもたちは理由など必要としていなかったのだろう。見つける喜び、集める楽しさ、手の中に残る感触。それだけで十分だったのかもしれない。
やがて夏が終わり、ダンボールは押し入れの奥へと移される。いつの間にかセミ殻の存在は忘れられ、別の遊びが始まる。それでも、あの箱いっぱいのセミ殻は、確かにあの夏を詰め込んだ象徴だった。鳴き声、夕暮れの風、神社の木陰、そして夢中になって走り回る娘たちの姿。ダンボールの中には、もう戻らない季節そのものが収められていたのだと思う。