
僕たちは檻の中のパンダなのかもしれない
こんな意見を聞いたことがある.
アスリートの体は税金でできている.
トップアスリートはナショナルトレーニングセンターの素晴らしい設備で練習し,健康的な食事を取る.遠征の際には海外を飛び回って,手厚いサポートの元で試合に出場する.
こうした活動は税金で支えられている.だからアスリートの体は税金でできている.
体が税金でできていると何が起こるのか.
アスリートの体が国の方針で動かされる可能性がある.国民感情を高めたり,外交の手段として使われたりすることがある.
国の方針で国際大会へのボイコットが決まることがある.
トップアスリートを会談に同行させて,より良い雰囲気づくりをしようとする.
体が税金でできているからこそ,国のためにスポーツをする(あるいはしない)という側面を持つことになる.
この意見に対してどう思いますか?
よくよく聞いてみると,こういう構造や主張はよくある話らしい.ヒト・モノ・カネ・情報の流れを整理してみると,表面化する行動は裏側の誰かによって操作されていると気付く.
自分の体は何でできているのだろうと考えてみた.
両親から「こういう風に育ってほしい」という思いはたくさん受け取っていると思う.その風を感じることはあっても,それに物理的には縛られていない.大学では業界で良しとされる行動について学ぶが,その戦略を実行するかどうかは自分次第だ.
色々パターンを考えてみると,自分の体は何かの約束をした時に操作されているかもしれないと感じた.
約束によって自分のビジョンがゆがむかもしれない.目的無くやっていた遊びに,何かしらの目的が発生した瞬間,今までやっていた遊びから魅力が吹っ飛んで,約束に操作されたタスクが発生する.約束を結ぶ相手が多かったり,莫大なお金が発生していたりすると,その縛りがさらに強くなる.
例えば,僕が出版物に記事を連載するとなったら.「表現者になる」という僕のコンセプトは純度100%ではなくなり,読者にウケる文章を書くことがある程度優先されるのかもしれない(それはそれでとっても面白そう).そうしないと契約を解除されてしまうんだろう.
年齢を重ねるにつれて,約束をさせてもらう機会,約束をしに行く機会が増えていく.油断すると,約束ばかりで生活が埋まってしまうことだってある.報酬と引き換えに誰かとの約束に支配されて,自分の意思を持たなくなってしまっては,潤沢なエサを与えられる代わりに,外交手段として世界各国の動物園を移動し続けるパンダと同じだ.
豊かなはずなのに,自分は何がやりたいのか分からないという苦悩に陥らないためにも,純度100%の自分を維持できる時間や環境は意識的に残しておきたいと思う.