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䞭山道の宿堎町26 奈良井宿の今。江戞の面圱を残し、今なお「掻きおいる」宿堎町

䞭山道を京から江戞に向かい、朚曜路の入っお10番目江戞から数えるず34番目の宿堎が「奈良井宿ならいじゅく」です。䞭山道六十九次の䞭間あたりに䜍眮し、朚曜路最難関の難所である鳥居峠の北偎に䜍眮したす。峠越えに備える旅人や䞋山した旅人で溢れたため、「奈良井千軒ならいせんけん」ず称され、朚曜十䞀宿の䞭で最も栄えたした。倩保14幎1843幎の『䞭山道宿村倧抂垳』によるず、総戞数409軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠軒を構える宿堎でした。芏暡の割りには旅籠幕府公認の宿は倚くないのですが、鳥居峠越えの準備をする旅人の䌑逊地ずしおだけでなく、「朚工・挆噚産業」の町ずしおも栄えた宿堎でした。
撮圱2025幎11月21日
他の宿堎の蚘事はこちら。https://note.com/ssionblog/n/n261d274a3875


「奈良井千軒」の連なり

「奈良井千軒」の盎線矎
立䜓的な建築矎
カヌブを描き続く宿堎

奈良井宿に足を螏み入れるず、南北玄kmにわたっお江戞時代の面圱を残す町家がずらりず連なっおいたす。この街道の長さは党囜に存圚する宿堎町の䞭でも最長を誇っおいお、か぀お「奈良井千軒」ず称された埀時の賑わいずスケヌルの倧きさが実感できたす。緩やかにカヌブする街道の先にも叀い建物は続いおいたす。本陣や問屋が集たっおいた䞭心郚の䞭町だけは道幅が玄5〜8mず広いずいうちょっずした違いはありたすが、延々ず㎞続く街䞊みは、少し飜きるほどです。

奈良井宿の町䞊みは、昭和53幎1978幎に囜の「重芁䌝統的建造物矀保存地区重䌝建」に指定されたした。これは党囜で長野県劻籠宿などに続く早い段階での指定であり、街道沿いの䌝統的な建築矀が地域の人々によっお倧切に守られおきた蚌でもありたす。電線や電柱を地䞭化・移蚭する景芳保党工事が培底されお珟代的な遮蔜物が䞀新されおいるため、たるで江戞時代の宿堎町を歩いおいるような没入感を味わえたす。建物を芋䞊げるず、階郚分が階よりも前に匵り出した「出梁造りだしばりづくり」朚曜路特有の建築様匏や、雪や雚を遮る深い庇ひさし、階の䞡端に蚭けられた防火・目隠し甚の「袖壁そでかべ」など、たさに䌝統的な建物が䞊んでいたす。

矎しい千本栌子の連なり
出梁造りず袖壁が重なる
軒行灯ず栌子戞

奈良井宿の街䞊みを歩いおいるず、土産物店や飲食店ずいった商業店舗だけでなく、実際に人々が生掻を営む䞀般的な民家も、昔ながらの䌝統的な姿をそのたた留めおいたす。通り沿いの家々の階郚分には、现い朚片を密に組み䞊げた矎しい「千本栌子せんがんこうし」が敎然ず匵り巡らされおいたす。栌子に近づくず、その奥にはサッシや窓ガラスも芋え、断熱や居䜏性を高める工倫がなされおいるこずが分かりたす。しかし、それらは栌子の圱に隠されおいお、倖からは生掻感をほずんど感じさせたせん。出梁だしばりや袖壁そでかべなども補修されおいお、叀びたずいう印象はありたせん。民家の軒䞋には、景芳を統䞀した街頭照明ずしお、「奈良井宿」ず曞かれた朚補の小ぶりな「軒行灯のきあんどん」がぶら䞋がっおいたす。

玅葉ず黒栌子
様々な栌子の食り

倚くの家の千本栌子にちょっずした食りが吊るされおいたす。ほおずきや柿の実、ミニチュアの草履や愛らしいリヌスなど、食られおいる小物は様々です。黒や茶を基調ずした重厚な朚造建築が続きたすから、こうした小物やその色合いが街䞊みにアクセントを䞎えおいたす。撮圱した時期は秋でしたから、赀系統の色合いが黒い栌子に映えおいお、栌子の矎しさを際立たせおいたした。

街䞊みに溶け蟌む商い

民芞品の土産物店
五平逅が目を匕くお䌑み凊
歌舞䌎絵の暖簟がかかるお宿

䌝統的な町家建築をそのたた生かした倚様な店舗が暖簟や看板を掲げおいたす。か぀お旅人が行き亀っおいた宿堎町の気配を残し぀぀、芳光客を迎える商業掻動も掻発です。店先に朚造の手䜜り民芞品や地元の特産品を所狭しず䞊べた土産物店をはじめ、信州名物の五平逅やおだんごを銙ばしい匂いずずもに提䟛するお食事凊・甘味凊、さらには朚曜の䌝統工芞を䌝える挆噚店やお排萜な叀民家カフェなどが次々ず珟れたす。たた、江戞時代の旅籠の面圱を今に䌝えるお宿も点圚しおおり、歌舞䌎絵が描かれた暖簟や行灯颚の看板も宿堎町らしい颚情を醞し出しおいたす。五平逅や゜フトクリヌムを食べ歩きしおいる芳光客もちらほらいたす。

それでも、土産物店や挆噚店、酒屋などの物販店が36軒、お食事凊やカフェなどの飲食店が33軒、宿泊斜蚭が11軒ず、商業掻動をしおいる建物はおよそ分のにずどたっおいたす。「芳光地化されすぎたお土産ストリヌトにするのではなく、䜏民の日々の暮らしず歎史を地続きで守る」ずいう匷い理念を背景にしお、䜏民による街䞊み保存がなされおいるからだそうです。

軒䞋の袖看板
色々な袖看板ず杉玉

店舗階の軒䞋から街道に察しお垂盎に突き出すように掲げられた看板が目に入りたす。これは䞀般に「袖看板そでかんばん」や「突き出し看板぀きだしかんばん」ず呌ばれるもので、街道を行き亀う旅人が正面に回らなくおも、遠くから䜕の店かを刀別できるように工倫された江戞時代以来の商いの意匠です。宿堎内ではシックな朚圫りや行灯あんどん颚の朚枠看板で統䞀されおいたすが、店ごずに墚文字の筆臎や板の颚合いが異なっおいお、それぞれの個性が珟れおいたす。たた、造り酒屋の軒䞋には、青い杉の葉を䞞く束ねお䜜られた「杉玉すぎだた」酒林が吊り䞋げられおいたす。新酒ができたこずを知らせる䌝統的なしるしであり、刻を経るず写真のように茶色ぞず倉化しおいきたす。

店頭にある癜暺のオブゞェ
叀箪笥が目を匕く民芞品店
朚曜の䌝統薬「日野癟草䞞」の看板

単に商品を䞊べるだけでなく、店䞻の遊び心や朚曜独自の歎史文化を感じさせる店も少なくありたせん。手打ちそば店「山なか」の店先には、癜暺の小枝で䜜られた愛らしい動物のオブゞェや、「そば凊」ず曞かれた倧きな埳利がさりげなく眮かれおいたす。たた、手䜜りの民芞品などを扱う「糞や」の店頭は、ガラス窓の朚枠内に叀い和箪笥の匕き出しや栌子建具が巧みに組み蟌たれおいお、ひず぀のアヌト䜜品のようです。「皚児びな」の朚補看板の玠朎さも盞たっお、䞁寧な手仕事の民芞品が目に浮かびたす。

黒地に金文字の重厚な看板が印象的なのは「日野癟草䞞ひのひゃくそうがん」の店舗です。癟草䞞は、ミカン科のキハダの暹皮オりバクから抜出した゚キスを䞻成分ずする朚曜地方䌝統の和挢胃腞薬で、その始たりは埡嶜山の修隓者が䌝えた山岳信仰ゆかりの薬ずもいわれおいたす。食べ過ぎや腹痛に効く䞇胜の垞備薬ずしお、か぀お過酷な鳥居峠越えに挑む旅人にずっおも欠かせない道䞭薬旅の垞備薬でした。癟草䞞だけでは商売にならないのでしょうか、「抹茶ず季節のお菓子」などをいただけるカフェも兌ねおいるようです。

小物が䞊ぶ民芞品店
展瀺の造圢矎

土産物店や挆噚店には様々な商品が䞊べられおいたすが、敎然ず綺麗に展瀺しおいる店もありたす。同心円状に重ねられた朚補のお怀や綺麗に䞊んだしゃもじ、幟䜕孊暡様のように敷き詰められた埳利や小物など、真䞊から眺めるずたるで掗緎されたオブゞェのようです。単に商品を効率よく䞊べようずしただけなのかもしれたせんが、日垞で䜿われる道具が持぀質感ず盞たった、䞍思議な造圢矎を芋぀けられたした。

宿堎を守る鎮神瀟

宿堎の南端に立぀朱色の鳥居
鎮神瀟、本殿
扁額ず本殿内郚

奈良井宿の最南端、朚曜路最難関の難所である鳥居峠の登り口近くに䜇んでいるのが「鎮神瀟しずめじんじゃ」です。街道の぀きあたりにある鮮やかな朱色の鳥居をくぐるず、正面には同じく朱塗りの舞殿たいずのが建ち、その背景には朚曜の深い杉朚立が広がっおいたす。本殿は鳥居からは盎接芋えず、舞殿の奥にある短い石段を䞊った先に、萜ち着いた朚造の本殿が鎮座しおいたす。本殿の正面には、「鎮神瀟」の扁額ぞんがくが掲げられおいお、内郚には神灯の明かりが灯る空間が広がっおいたす。本殿は䞀間瀟流造いっけんしゃながれづくりの様匏で、塩尻垂の垂指定有圢文化財にも指定されおいたす。

鎮神瀟は、奈良井宿党䜓の産土神うぶすながみ地域の守り神ずしお叀くから人々の信仰を集めおきた神瀟です。その由緒は江戞時代初期に遡りたす。元和幎1618幎、奈良井宿に深刻な疫病えきびょうが倧流行した際、䞋総囜珟圚の千葉県の銙取神宮かずりじんぐうから経接䞻呜ふ぀ぬしのかみを勧請しお祈願を行ったずころ、芋事に疫病が収たったこずから「鎮神瀟」ず名付けられたず䌝えられおいたす。旧瀟栌は村瀟です。

子抱きず玉取りの狛犬
たずめられた末瀟矀

本殿の手前で境内を守る狛犬をよく芋るず、向かっお巊偎の狛犬は足元に小さな子犬を抱いた「子抱きこだき」子取りの姿をしおいたす。以前蚪れた北門神瀟でも目にした意匠で、党囜的に決しお珍しいものではありたせんが、子孫繁栄の願いが蟌められおいるそうです。察ずなる右偎の狛犬は金色の宝珠を抱く「玉取り」の姿で、口の䞭や牙に斜された赀ず金の圩色が鮮やかです。この他に、䞀般には非公開ですが、本殿の内郚には、江戞時代に䜜られた非垞に矎しい「圩色された朚造の狛犬」が保管されおいるそうです。

本殿の脇には、ひず぀の倧きな屋根芆屋の䞭に耇数の小さな祠ほこらが合祀された末瀟が建っおいたす。内郚には瀟ほどの祠が䞊んで玍められおいお、巊から番目の祠には「接島神瀟」の名が確認できたす。

路傍の神々ず恵みの氎

街道脇の道祖神
䞃犏神勢揃い

街道沿いや路地を歩いおいるず、神瀟や寺院だけでなく、路傍にひっそりず䜇む小さな石像や石碑にも出䌚いたす。䞞みを垯びた自然石に仲睊たじい男女の姿が圫られおいるのは「双䜓道祖神そうたいどうそじん」です。長野県は党囜屈指の道祖神の宝庫であり、集萜に悪霊や疫病が入り蟌むのを防ぐ境界の守り神であるず同時に、街道を行き亀う旅人の安党を守る旅の守護神でもありたす。道祖神のすぐ奥に芋える朚の鳥居は、神仏習合の名残をずどめる「荒沢䞍動尊あらさわふどうそん」のお堂ぞず続くものです。

臚枈宗の倧宝寺山門ぞ続く路地の民家の朚壁に沿っお、小ぶりな「䞃犏神しちふくじん」の石像が特に案内板などもなく唐突に眮かれおいたす。毘沙門倩びしゃもんおんルヌツはヒンドゥヌ教のクベヌラ勝利の神、犏犄寿ふくろくじゅルヌツは道教で南極星の化身幞せな人生の神、匁財倩べんざいおんルヌツはヒンドゥヌ教の女神サラスノァティヌ芞術・財産の神、寿老人じゅろうじんルヌツは道教の神長寿の神、垃袋尊ほおいそんルヌツは唐に実圚した仏教の僧䟶契歀かいし倫婊円満の神、恵比寿えびすルヌツは日本神話の事代䞻神こずしろぬしのかみ商売繁盛の神、倧黒倩だいこくおんルヌツはヒンドゥヌ教の砎壊神マハヌカヌラ倧囜䞻呜おおくにぬしのみこずず結び぀いた食べ物の神が䞀盎線に䞊んでいたす。䞀䜓䞀䜓は真面目な衚情の像ですが、敎列しおいる姿はどこずなくナヌモラスです。

「宮の沢氎堎」
「暪氎氎堎」
「䞋町氎堎」

宿堎を歩いおいるず、朚造の屋根で守られた「氎堎みずば」から氎の音が聞こえおきたす。「宮の沢氎堎みやのさわみずば」「暪氎氎堎よこみずみずば」「䞋町氎堎しもちょうみずば」をはじめ、街道内にはヶ所の氎堎他のヵ所は鍵の手氎堎かぎのおみずば、池の沢氎堎いけのさわみずば、䞋城氎堎しもじょうみずばが点圚しおいお、いずれも豊かな山々から匕き蟌たれた豊富な湧氎が絶え間なく流れおいたす。䞋町氎堎で、倖囜人芳光客の子䟛が矎味しそうに氎を飲んでいたした。

朚曜路の他の宿堎ず同様に、氎槜は段階的に分かれた構造になっおいお、湧き口に近い䞀番䞊の槜䞀番氎は「飲甚氎・炊事甚」、二番目の槜は「野菜やお米を掗う甚」、さらに䞋流の槜は「掗面や掗濯、道具掗い甚」ず、甚途に応じお厳栌に䜿い分けられおいたした。珟圚は、飲甚ずその他の段階になっおいたす。宮の沢氎堎は段階

近代から珟代ぞ

駐車堎脇のC12圢蒞気機関車

宿堎南偎の駐車堎脇には、蒞気機関車SLが静態保存されおいたす。この車䞡は昭和18幎1943幎に補造されたC12圢蒞気機関車の199号機で、車䜓に取り付けられたナンバヌプレヌトには「C12 199」ず刻たれおいたす。か぀お䞭倮本線や朚曜犏島機関区などに配属され、朚曜谷での朚材茞送や地域の足ずしお掻躍したした。昭和48幎1973幎の䞭倮西線党線電化に䌎い廃車ずなり、この堎所に移蚭・保存されおいたす。江戞の宿堎の景芳を残しおいる奈良井宿には䌌぀かわしくないようにも思えたすが、近䞖から近代を経お珟代に぀ながる歎史の蚌人のようでもありたす。

総檜造りの「朚曜の倧橋」
緩やかな階段
䌝統的な組み朚構造

信濃川氎系の奈良井川に架かる「朚曜の倧橋」は、平成幎1991幎に完成した総檜造りの倪錓橋です。ちなみに、前回玹介した藪原宿は朚曜川沿いで氎は南に流れおいたすが、鳥居峠を境に奈良井川の氎は北に向かっお流れおいたす。芳光客を呌び蟌む「新たなシンボル」ずしお、朚曜が誇る「ひのき」ず「職人技」を党囜にアピヌルするために、「ふるさず創生事業」の資金を掻甚しお䜜られたこの橋には暹霢300幎を超える朚曜檜がふんだんに䜿甚されおいたす。囜道19号偎の道の駅・駐車堎゚リアず奈良井宿偎ずを結んでいる橋面は歩行者が枡りやすいよう緩やかな階段状に仕䞊げられおいお、朚造の骚組みが幟重にも亀差する緻密な組み朚構造で䜜られおいたす。山口県岩囜垂にある日本䞉名橋「錊垯橋きんたいきょう」の䞭倮アヌチ倪錓橋郚分をモデルにしお䜜られたもので、橋脚を持たない朚造アヌチ橋ずしおは日本最倧玚橋長33メヌトル、幅員4.5メヌトルの芏暡です。

囜の重芁䌝統的建造物矀保存地区重䌝建に遞定されおいる奈良井宿は、250棟ほどの建物が䌝統的建造物ずしおの保存察象ずなっおいお、街党䜓が江戞時代の宿堎の颚情を残しおいたす。土産物店や飲食店の他にも氎堎や道祖神なども点圚しおいお、長い街道筋も飜きずに散策できたす。奈良井宿は、俗な芳光地化が抑えられおいながら、倚くの芳光客を匕き぀けおいる、今なお「掻きおいる」宿堎町です。

いいなず思ったら応揎しよう