金鑚(かなさな)神社(埼玉県神川町)~本殿のない神社
2015月08月08日 参拝記録
2015.8.8 金鑚(かなさな)神社に行きました。
金鑚神社(かなさなじんじゃ、金鑽神社)は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社。
関東平野西縁、埼玉県北西部に立つ御獄山(標高343.4メートル)山麓に鎮座し、社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀る。山を神体山とするため、社殿には本殿は設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られる。
また、「武州六大明神(武蔵六所大明神)」の一社にも数えられる神社である。
社名「金鑚(かなさな)」は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている。神流川周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたと考えられており、御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある。
金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社であ る。むかしは武蔵国二の宮とも称された。
地名の二の宮はこれによ っている。社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素盞嗚命を祀ったのが始まりとされている。
鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十 二カ村の総鎮守として祀られていた。
江戸時代には徳川幕府から御 朱印三〇石を賜り、別当の一乗院とともに栄えた。
境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときのものという伝説の遺跡 ”駒つなぎ石””旗掛杉””義家橋” などがある。
なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体 としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのはここのほか、全国 でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。




「これより先は神域なので乗り物から下りて入りなさい。乗り物から下りなさい。乗り物に乗ったまま入ってはいけません」 という意味です。昔の人は、ここで「駕籠(かご)」や「輿(こし)」から降りたのですね。 ちなみに「下馬(げば)」は「馬に乗ったまま入ってはいけません。馬から下りて入りなさい。」という意味。



金鑚神社の御神木で、源義家奥州平定の帰路に植えたイチョウの二代目ともいわれる。

何となく惹かれる空間で、そこは「無」ではなく、「沈黙の気配」を感じました。






拝殿後方奥に本殿はありません。通常の神社であれば、そこに本殿があるはずですが、当社は、奈良の大神神社、長野の諏訪大社同様、本殿を持たない珍しい神社です。 社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀っています。山を神体山とするため、社殿には本殿は設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られています。
御嶽山もしくは御室ヶ嶽は、金華山ともいい、山腹に銅を彫ったあとがあるらしく、その銅は、黄鉄鋼を多く含んでおり、黄金色をしていたという。その銅採掘を神格化したと考える説である。故に、当社の祭神を「金山彦命」であるとする資料もある。






御嶽の鏡岩(昭和三十一年七月十九日 国指定特別天然記念物)
御嶽の鏡岩は、約一億年前に関東平野と関東山地の境にある八王子構造線ができた時の岩断層活動のすべり面である。岩面の大きさは、高さ約四メートル、幅約九メートルと大きく、北向きで 約三十度の傾斜をなしている。
岩質は赤鉄石英片岩で、赤褐色に光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩 がずれた方向に生じるさく痕がみられる。岩面の大きさや、断層 の方向がわかることから地質学的に貴重な露頭となっている鏡岩は古くから人々に知られていたようであり、江戸時代に記された『遊歴雑記』には、鏡岩に向えば「人影顔面の皺まで明細にうつりて、恰も姿見の明鏡にむかふがごとし」とあり、『甲子夜話』にも同様の記述がある。また、鏡岩がある御嶽山の一帯は、中世の山城である御嶽城跡が所在することでも知られているが、 鏡岩が敵の目標となることから、城の防備のため松明でいぶしたので赤褐色になったという伝説や、高崎城(群馬県)が落城した時 には火災の炎が映ったとも伝えられている。このように鏡のように物の姿を映すということから、鏡岩といわれるようになった。
下りはずっと階段でした。ゆっくりしたかったのですが、とにかく蚊がうるさくて参りました。
前後しますが、境内では、参道脇に立つ多宝塔が国の重要文化財に指定されています。





金鑚神社多宝塔(境内案内板より)
金鑚神社の境内にあるこの多宝塔は、三間四面のこけ ら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二重の塔婆である。天文三年(一五三四)に阿保郷丹荘の豪族である阿保弾正全隆が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦 日、大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある。この塔は、建立時代の明確な本県有数の古建築である とともに、阿保氏に係わる遺構であることも注目される。 塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、 国指定の重要文化財となっている。
築500年という事ですね。いや~なかなか渋かったです。存在感満点^^

昨年のお盆休みに行った榛名神社以来ですね。いつ見ても可愛い花です。石垣に咲いていました。


ハグロソウ(キツネノマゴ科 ハグロソウ属)
ハグロソウ(葉黒草)」の名は、花の赤褐色の斑紋を「お歯黒」に似ているのでという説と、葉が黒っぽい緑をしているからだという説があるみたい。私的には、花びらが歯みたいだし、赤褐色の斑紋が 「お歯黒」に似ていると思いますねえ。
2枚の花びらの植物は、日本には数種類しかないらしいです。その一つの ツユクサ は身近だが、このハグロソウは、本州中部よりの森林帯が生育地で、見る機会は少ないそうです。ラッキー^^


2016年11月23日 参拝記録
紅葉を観に行きたいのだけど、どこもかしこも混んでいそうで・・・・^^;
ふと思い出して2015.8.8に行ったことのある埼玉県児玉郡神川町の金鑚神社へ行ってきました。
前回は夏だったので緑豊かな境内でしたが、予想以上に紅葉が綺麗でしたよ^^




いや~、なかなか絵になります。
今回は前回パスした「金鑚元三大師」にも寄ってきました。


埼玉県児玉郡神川町にある天台宗の寺院。山号は金鑚山。院号は一乗院。本尊は十一面観音と元三大師で、「金鑚元三大師」とも称される。この寺は、聖徳太子によって開創され、平安時代になって天台宗の僧円仁が来山して再興したと伝えられる。
古くから天台宗の檀林が置かれた天台宗の中心的な寺院のひとつであり、またこの寺の近くにある金鑚神社の別当寺であった。江戸時代には江戸幕府から朱印状を与えられていた。



さて、金鑚神社(かなさなじんじゃ)の境内風景です。









中門の背後には本殿がなく、神体山とする御室山(御室ヶ獄)を直接拝するという形式。旧官幣社・国幣社でこのように本殿を設けない古例を採るのは、他に 長野県の諏訪大社・奈良県の大神神社のみ。
ちょうど当日11/23に新嘗祭・火鑚祭が行われるようで、稲が奉納されていました。










境内から、神楽殿の背後の「御嶽山」に登ってきました。(神体山は御室ヶ嶽。)鏡岩方向から回りました。


写真には写っていませんが小さなお社がありました。法楽寺跡?
御嶽山の石仏群
武蔵二の宮金鑚神社の神体山である御室ヶ嶽の南に連なる御嶽山(標高343m)周辺には、かつて本山派修験聖護院末法楽寺の回峯行場があり、「袖すり岩」「胎内くぐり」と呼ばれる場所が現在でも残っている。
石仏は、現在70余体を残すのみであるが、当初はこの一帯に88体配置され、弘法大師巡錫の遺跡である四国88ヶ所の霊場を模したようである。
巡礼は、江戸時代にもっとも盛んに行われた。 亡くなった親や子を弔ったり、重病や眼病を患う者には特に巡礼が勧められた。
御嶽山の石仏の中にも、肉親の菩提を弔うものがある。これらの石仏は、その銘文からほとんどが近辺の武州・ 上州の人びとから寄進されたものであるが、中には遠く江戸から寄進されたものもある。
法楽寺は、明治維新の神仏分離令により廃寺となる。 石仏は、明治末期に御嶽山東の観音山に移され、ここでも毎年盛大な祭りが行われた。その後、大正初期頃現在の地に移されたようである。







展望台から一石仏群の広場に戻り、山頂へ向かいます。山頂までは5分位。山頂の手前は結構な急坂でした。

御嶽城本郭跡でもある山頂は木々に囲まれて景色は望めせんでした。




「右脳神社」
「右脳直感の神様」と書かれています。帰宅後、ググって調べましたが解りませんでした。でも、気になりますねえ。ジル・ボルト・テイラー博士の体験から、宇宙と一体感のような悟りの体験をするためには、少なくとも左脳の活動を抑制させる必要があると思われる、との事。・・・・・右脳が良く働きますように祈ってきました^^

前回来た時にも気になっていたのが、この「おやま」


周りにカラマツの紅葉?が点在していますね。

ヤマキ醸造 直売喫茶糀庵
で、すぐ近くで行ってみました。昼食を食べたヤマキ醸造の方に聞いたら、「飯盛山」というそうです。で、ゴルフ場の敷地内にあるそうで、山頂には祠があるとの事。う~む・・・ますます気になる・・・。で帰ってから調べました。
飯盛山烽火台
下阿久原の集落南、埼玉国際ゴルフ倶楽部の敷地内に見える独立丘に物見または烽火台があったといわれます。現在は独立した山にみえますがこれはゴルフ場建設の際に山の南側の尾根が削られた為です。
山頂には神社が祀られ城郭遺構と思われる地形があるとのこと。御嶽城への烽火台として使用されたと考えられています。
近年まで毎年3月3日に山頂の北面において集まった人々が火を焚き時の声をあげる祭典が行われていたそうですがこの風習も烽火台と考える根拠の一つになっているようです。
ゴルフ場に問い合わせをすれば、登れるかもしれません。(登っている方の投稿もググると見られます)ゴルフ場建設の際に削られて、こんな飯盛りのような山になっているようですが、まるで神川町のシンボルのように感じられますね。
お昼は「ヤマキ醸造」の「麹庵」で豆腐関連定食を頂きました。豆腐も塩麹豆腐も湯葉も美味しかった!こんな甘い湯葉を食べたの初めてかも。はとバスツアーや観光バスツアーもお客さんも次々立ち寄っていました。「紫水庵」の豆腐懐石も美味しんだろうなー。
工場見学コースも覗いてきました。湧水も見られ、城峯神社の神棚も見られました。神泉村(すごい名前の村ですね!)は、群馬県との県境、神流川(かんながわ)右岸にある渓谷美の水の里ですが、村の南部、城峯山(じょうみねさん)から湧き出る水は、古くから神前に供えるご神水として大切にされ、城峯山周辺の水源は、林野庁の選定する「水源の森百選」のひとつになっているそうです。ヤマキ醸造では、天然湧水「神泉水」の管理もされているようです。やはり水の良いところは何でも美味しいのでしょうね。
神川町には冬桜があちこちで咲いていました。
近くの城峯公園は埼玉県の北部、群馬県境に位置する神川町にある。下久保ダム建設により誕生した神流湖を見おろす公園として昭和48年に旧神泉村が建設。冬桜は、薄紅色の小さな八重の花をつける「十月桜」で秋から初冬と春に咲く。昭和48年に埼玉県が苗を作り300本を植栽したもので、現在7haの公園内では冬桜が約600本ほどの花を咲かせる。
十月桜の秋の期間中には、約50基で夜間のライトアップも行われ、幻想的な雰囲気の中で夜桜見物が楽しめ、最近はさらにイルミネーションも楽しめる。この公園は、都圏自然歩道「関東ふれあいの道」のコースにも指定されている。
2026月01月21日 参拝記録
2026.1.21 金鑚(かなさな)神社に行きました。





1534年建立なわけですが、応仁の乱(1467)以降の混乱が続く戦国時代(1467–1590)の真っただ中ですね。織田信長た生まれたのが1534年。
1534年に多宝塔を寄進した豪族・阿保弾正全隆は、戦国期の地域武士が、神社仏閣への寄進を通じて権威を示す典型的な行動をとったことになります。
多宝塔とは?
多宝塔の内部には何が「本来」安置されるのか、そして金鑚神社の多宝塔はどうなのかを分けて説明すると、とてもクリアになります。
🏯 多宝塔には何があるのか
多宝塔は、仏教建築の中でも多宝如来(たほうにょらい)を祀るための塔として成立した形式です。
そのため、典型的には次のようなものが内部に置かれます。
🪷 一般的な多宝塔の内部(寺院の場合)
• 多宝如来像
• 法華経「見宝塔品」に登場する仏。
• 釈迦如来と並んで説法する象徴的存在。
• 釈迦如来像(脇に並ぶことも)
• 曼荼羅・仏画
• 経典(法華経)
• 舎利(仏舎利)を納める小塔や厨子
つまり、仏教的な「聖性の核」を収める空間として設計されています。
🏞 金鑚神社の多宝塔の場合
ここが非常に面白いポイントで、金鑚神社の多宝塔は神社境内にある仏塔という特殊な存在です。
🔍 内部はどうなっている?
• 現在、内部に仏像は安置されていません。
• 神仏分離の影響で、仏像や仏具は撤去されたと考えられています。
• 内部は非公開で、一般参拝者は入れません。
🏔 神体山信仰との関係
金鑚神社は本殿を持たず、御室山そのものを神体とする古い神社。その境内に多宝塔があるということ自体が、神道 × 仏教のレイヤーが重なった歴史の証拠です。
阿保氏について
🛡️ 武蔵七党とは
平安末期〜鎌倉期に武蔵国(今の埼玉・東京・神奈川北部)で形成された在地武士団の総称。
七つの大きな武士団があり、それぞれが複数の氏族を束ねていました。

🏯 阿保氏とは(丹党の中核氏族)
丹党の中でも中心的な家系で、現在の埼玉県神川町・児玉郡周辺を本拠とした武士。
ルーツ
• 清和源氏の流れを汲むとされる(諸説あり)
• 平安末期にはすでに地域の有力武士として活動
金鑚神社との関係
• 1534年、多宝塔を寄進した阿保弾正全隆(あぼ だんじょう まさたか)
→ 丹党の中でも相当な財力と影響力を持っていたことがわかる
→ 神体山信仰の中心地に仏塔を寄進するのは、地域支配者としての「権威の可視化」
🧨 阿保氏は最後どうなったのか
ここが歴史的に非常に興味深いポイントです。
① 鎌倉時代
• 丹党・阿保氏は御家人として幕府に仕える
• 地域の有力武士として安定
② 南北朝〜室町
• 地域ごとに分裂し、細分化
• 阿保氏も複数の支流に分かれる
③ 戦国時代
• 上杉・北条・武田の勢力争いの中で翻弄される
• 阿保氏は次第に地域豪族としての力を失う
• 1534年の多宝塔寄進は、むしろ「最後の繁栄の証」とも読める
④ 江戸時代
• 多くの阿保氏は農民化・地侍化
• 武士団としての組織は消滅
• 一部は旗本や藩士として残るが、丹党としてのまとまりは失われる
⑤ 近代
• 姓としての「阿保」は現在も残るが、武士団としての実体は消滅
• 金鑚神社の多宝塔が、阿保氏の存在を示す最も象徴的な遺構になっている




山を登るときにも降りるときにも祈祷が行われていました。
会社関連?正月明け、一段落着いたところで祈祷参拝という感じかな。










🔥 御筒粥神事(おつつがゆしんじ)とは
一年の農作物の豊凶や天候、地域の吉凶を占う「粥占(かゆうら)」の一種。
古代から続く日本の予祝(よしゅく)・占いの神事で、竹筒に入れた米と粥の炊け具合を見て占うのが最大の特徴です。
🌾 どういう神事なのか
基本の流れ
神社によって細部は異なりますが、典型的には次のように行われます。
1.竹筒(御筒)を数本用意する
• 竹を節ごとに切り、筒状にしたもの
• それぞれに米を入れる
2.大釜で粥を炊く
• 竹筒ごと粥の中に沈めて炊く
• 竹筒の中に粥がどれだけ入り込むかが占いのポイント
3.炊き上がった竹筒を割る
• 中の粥の入り具合、米の膨らみ方、色、匂いなどを観察
4.その状態で一年の吉凶を占う
• 五穀豊穣
• 天候
• 病害虫
• 地域の安泰
などを読み取る
🧭 何を占うのか
竹筒は複数あり、それぞれが「作物」や「地域」を象徴します。
例:
• 1番筒 → 稲
• 2番筒 → 麦
• 3番筒 → 豆
• 4番筒 → 雑穀
• 5番筒 → 地域の吉凶
粥の入りが良い → 豊作
入りが悪い → 凶作
色が濃い → 病虫害
香りが良い → 天候安定
など、地域ごとに読み方が伝承されています。
🏞 なぜ「竹筒」なのか
竹は
• 中が空洞
• 水を通しやすい
• 神聖視される植物
• 境界を示す素材
という性質があり、
**「自然の気配をそのまま受け取る器」**として扱われてきました。
御筒粥神事は、
自然の兆しを竹が吸い取る → それを人が読み解く
という構造になっています。
🏛 神社での位置づけ
御筒粥神事は、
• 正月
• 小正月(1月14〜15日)
• 節分前後
に行われることが多く、
一年のスタートに「自然の声」を聞く儀礼として機能しています。
この金鑚神社の拝殿に貼られていた、この筒粥神事には、わせ、なかて、おくて、をかほ、こむぎ、あわ、まめ、はるかいこ、あきかいこ・・・などが書かれていたわけですが、この作物の下の6分とか10分というのは、「何番筒」という意味です。
で、この筒粥神事での占いの結果は、「結果を神に書いて掲示」「神事後に読み上げ」「地域の広報誌に掲載」などの形で共有されるようです。ただし、すべての神社が公開するわけではないそうですよ(結果は神域の情報)。
要するに、昔は「農民に伝えるための占い」だったが、現代では、形式的な神事というわけです。


ご神体は、この奥の山なのでなので、これはご神体に対する遥拝門という一位置づけなのかな?


金鑚神社(かなさなじんじゃ)は、関東でも特に古層が濃い“神体山信仰”の神社で、一般的な「本殿を建てて神を祀る神社」とはまったく構造が違う特異な存在です。
🏔 金鑚神社とは
■ 位置
埼玉県神川町(群馬県との県境、児玉郡エリア)
■ 最大の特徴:本殿がない神社
金鑚神社は本殿を持たず、背後の御室山(みむろやま)そのものを神体(ご神体)とする古代祭祀の形を今に残しています。これは奈良の大神神社(三輪山)と同じタイプで、関東では極めて珍しい。
🏞 神体山信仰の構造
• 拝殿の奥に本殿がない
• その奥に御室山がそびえ、そこに神が宿る
• 山に向かって祈る「原始神道」の形が残る
• 山の稜線や地形がそのまま祭祀の中心
🕊 祀られている神
• 天照大神(あまてらすおおみかみ)
• 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
• 日本武尊(やまとたけるのみこと)
特に日本武尊の東征伝承と深く結びついています。
🏯 神仏習合の痕跡:多宝塔
境内に**1534年建立の多宝塔(国指定重要文化財)**が残っています。
これは、
• 戦国期の丹党・阿保氏の寄進
• 神社に仏塔がある=神仏習合の名残
• 神体山信仰 × 仏教建築のレイヤーが重なる
という非常に珍しい構造。
📜 歴史的背景
• 創建は不明(古代からの山岳祭祀)
• 平安期にはすでに有力神社として記録
• 中世には武蔵七党(丹党・阿保氏など)の崇敬が強い
• 近世以降も地域の中心神社として存続
金鑚神社(かなさなじんじゃ、金鑽神社)は、埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮にある神社。式内社(名神大社)、武蔵国五宮(一説に二宮)。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
関東平野西縁、埼玉県北西部に立つ御獄山(標高343.4メートル)山麓に鎮座し、社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀る。山を神体山とするため、社殿には本殿は設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られる。また、「武州六大明神(武蔵六所大明神)」[注 1]の一社にも数えられる神社である。
境内では、参道脇に建つ多宝塔が国の重要文化財に指定されている。また、御獄山の中腹にある「鏡岩」は国の特別天然記念物に指定されている。
社名
社名「金鑚(かなさな)」は、砂鉄を意味する「金砂(かなすな)」が語源であると考えられている[1]。神流川周辺では刀などの原料となる良好な砂鉄が得られたと考えられており[2]、御嶽山からは鉄が産出したという伝承もある[1]。文献では当社について「金佐奈」と見えるが、「かなすな」がこの「かなさな」に転訛したとされ、表記は「金鑽(貝の上の字が先)」のち「金鑚(貝の上の字が夫)」と変遷して、近代以降は「かなさら」とも読むようになったとされる[2][注 2]。
上とは別に、砂鉄の採集地である「鉄穴(かんな)」を意味するとする説もある[3]。


旗懸銀杏(はたかけいちょう)とは、埼玉県・金鑚神社にある巨大なイチョウで、かつて源義家が戦勝祈願の際に“旗を掛けた”という伝承をもつ御神木です。樹齢:現在の木は「二代目」とされ、約550年と伝わる。初代も約400年生きたとされる長寿の系譜。

クマ鈴、忘れた^^;







金鑚神社の駐車場(標高約170m)から御嶽山山頂(標高343.5m)までは、およそ170m強の標高差があります。
🏯 御嶽城(=金鑚御嶽城)とは?
• 所在地:埼玉県児玉郡神川町(=金鑚神社の裏山)
• 形態:典型的な戦国期の山城(標高343m、比高約200m)
• 構造:
• 山頂の主郭を中心に、東西南北+北東の5方向に曲輪が伸びる放射状連郭式
• 堀切・切岸・帯曲輪などが明確に残る
• 東側には岩場の展望台(現在も眺望が良い)
🛡 阿保氏(安保氏)との関係
御嶽城は、**武蔵七党の一つ「丹党(たんとう)」の安保氏(阿保氏)**が築いたとされます。
■ 阿保氏の概要
• 出自:武蔵七党・丹党の一族
• 本拠:現在の神川町阿保(あぼ)周辺
• 築城者:安保吉兼(文明12年=1480年に築城と伝承)
■ 歴史的な動き
• 1552年:安保泰広が御嶽城を守る → 北条氏康に攻められ降伏
• 1569年:武田信玄が御嶽城を占拠し普請(埼玉県で唯一の“信玄ゆかりの城”)
• 1570–1571年:北条氏と武田氏の間で城が奪い合われる
🧭 金鑚神社との関係
• 金鑚神社の境内(多宝塔・参道周辺)は、御嶽城の居館エリアだった可能性が高いとされる
• 多宝塔(1534年)は安保氏の寄進

石仏群と展望エリアへ。



当初は88体の石仏があって四国88か所霊場を模したものらしいです。

特になにも書いてありませんでした。


この先までしばらく行ってみましたが、ちょっと危険なので引き返しました。

ここからは眺め良いです♪



下阿久原の集落南、埼玉国際ゴルフ倶楽部の敷地内に見える独立丘の物見または烽火台跡
ヤマキ醸造 直売喫茶糀庵
その後、ヤマキ醸造 直売喫茶糀庵へ。








以前は、見学できたんだけどコロナ渦以降は中止になっているらしい。


ヤマキ醸造は、埼玉県神川町に本社を置く、国産有機原料にこだわった味噌・醤油・豆腐などを製造する老舗の自然食品メーカーです。創業は1902年で、木桶仕込み・天然醸造など伝統技法を守りながら、神泉の名水を使ったものづくりを続けています。
🏭 ヤマキ醸造の特徴
🌱 1. 国産有機・特別栽培への徹底したこだわり
• 主原料は 国産有機JAS または 特別栽培
• 農薬・化学肥料を使わない自然農法の生産者と連携
• 遺伝子組み換え原料は不使用
💧 2. 神泉の名水を使った醸造
• 本社・工場は 神川町(旧神泉村) にあり、
豊かな湧水「神泉の名水」を求めて移転した歴史を持つ
🪵 3. 伝統の木桶仕込み
• 秋田杉の木桶を使い、天然醸造でじっくり熟成
• 明治期から続く製法を継承
🧑🏫 4. 工場見学・体験が充実
• 醤油搾り体験
• 豆腐づくり体験
• 冬季限定の味噌づくり体験
• 直売店「糀庵」や「ゆばカフェ紫水庵」も併設
📍 基本情報
• 所在地:埼玉県児玉郡神川町下阿久原955
• 電話:0274-52-7000
⭐ 総括(先に結論)
ヤマキ醸造グループは「製造(醤油・味噌・豆腐)」「販売」「農業」「自然エネルギー」の4部門から成る地域密着型の有機食品企業集団。
生産量・製品単価・業界平均から推定すると、売上規模は 15〜25億円レンジ が最も妥当。
神川町では“名水 × 有機 × 木桶醸造”を軸にした地域ブランドの中核企業で、観光・農業・食文化を結ぶハブ的存在。
ヤマキ醸造グループの構造(公式情報ベース)
ヤマキ醸造グループは 4つの事業体で構成される「垂直統合型の食品企業集団」。
■ 1. 製造部門:ヤマキ醸造株式会社
• 代表:木谷善光(五代目蔵主)
• 創業:1902年(明治35年)
• 事業:
• 醤油・味噌・米糀
• 豆腐・豆乳・湯葉
• 漬物・スイーツ
• 神泉水・甘酒
• 直売店「糀庵」、ゆばカフェ「紫水庵」運営
■ 2. 販売部門:株式会社ヤマキ
• 代表:木谷真実
• 設立:2004年
• 事業:
• グループ製品の販売・卸
• 有機野菜・自然食品の販売
• ネットショップ運営
■ 3. 農業部門:有限会社 豆太郎
• 設立:1996年
• 事業:
• 国産有機農産物(大豆・小麦・米・野菜)生産
• 有機生産者の育成
• ※「土づくり」から始めるヤマキの根幹
■ 4. 自然エネルギー部門:株式会社 神泉
• 設立:1993年
• 事業:
• 太陽光発電
• 低温穀物倉庫運営
• ※有機農業・醸造に不可欠な「安定した電力・保管環境」を担う
