
記憶の所在は、未だ不明
掴めたと思った記憶ほど、先にほどけていく。
それがどこにあるのか、はっきりとは分からない。
思い出そうとすれば、手応えはある。確かに触れているはずなのに、指のあいだからすり抜けていく。掴めたと思った瞬間に、形を変える。
それは、最初からそこになかったもののようにも見えるし、ずっと前からそこにあったもののようにも感じられる。
時間の中にあるのか、外にあるのかも曖昧だ。
過去の出来事に紐づいているはずなのに、その出来事自体が輪郭を失っている。細部は思い出せないのに、確かに何かがあったという感触だけが残る。
思い出しているのは、出来事なのか。それとも、思い出そうとしている自分なのか。
区別がつかなくなる。
名前を与えようとすると、少しだけ遠ざかる。言葉にした瞬間に、何かが削ぎ落とされる。削ぎ落とされたものの方が、本当は重要だったような気もする。
それでも、言葉にしようとする。何も残らなくなることの方が、怖いからだ。
あるとき、それは匂いに近いものだと思った。
はっきりとした形はないのに、確かにそこにあると分かる。消えたと思っても、ふとした瞬間に戻ってくる。
理由は分からない。ただ、戻ってくる。
たとえば、台所の隅で乾いた布巾を手に取る。少しだけ湿り気が残っている。水気はほとんどないのに、冷たさだけが指に残る。
その感触が、何かに似ている気がする。
何に似ているのかは分からない。でも、その分からなさの形だけは、どこかで触れたことがある。
はっきりと思い出せないまま、それでも確かに知っていると感じる。
思い出す、という行為は、取り戻すことではないのかもしれない。
むしろ、今ここにあるものに、あとから名前をつけているだけなのかもしれない。
そう考えると、記憶は過去にあるものではなく、現在の中に滲み出ているものになる。
触れているのは過去ではなく、今の中に残っている何かだ。
だから、完全には掴めない。
掴めたと思った瞬間に、それはすでに別のものになっている。
記憶は、出来事の中にあるわけではないのかもしれない。
出来事の外側に、わずかに滲み出たもの。形にならなかった部分。言葉にされなかったまま残ったもの。
そういうものの方が、長く残る。
確かめようとすると、消えてしまう。だから、確かめないままにしておく。
不確かなまま、置いておく。
それでも、完全には失われない。むしろ、その方が残る。
どこにあるのかは、分からない。それでも、ないとは言いきれない。
触れられないからといって、存在しないとは限らない。
そう思える程度には、近くにある。
思い出そうとしなくても、ふとした瞬間に立ち上がる。
理由もなく、前触れもなく、ただそこにあると分かる。
そのとき、それが何だったのかを知る必要はないのかもしれない。
分からないままでも、成立しているものがある。
名前がなくても、形がなくても、そこにあると感じられるもの。
それで、十分だと思うことがある。
記憶の所在は、未だ不明。
それでも、確かに、ここにある。