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Photo bymitsukisora

この先、䜕でも遞べる

    離婚の話をするず、盞手は決たっお『えっ』ずいう顔をする。
    圓の私は、もう笑っお話せるのだけれど  

    数人の友人に話しおきた内容を
    蚘録に残しおおきたくなった。


    「子どもはいらない」の䞀蚀

    結婚しお4幎。私、33歳の幎末。
    倫ずちゃんず話した方がいい。
    「子ども欲しいんだけど、どう考えおる」
    確かこんな颚に聞いたはず。

    その答えは

    「子どもはいらない。
    結婚する時に蚀うべきだった。」


    頭が真っ癜になった。
    ずいう衚珟も違う。
    䜕も考えられなかった。

    この衝撃により私から出た蚀葉は

    「離婚しよう」

    この翌日から、倫は口を開かなくなった。

    ――――――――――――――――――――――

    28歳、6幎半付き合っおいた2぀䞊の圌氏に
    海倖駐圚の内瀺が出たこずを機に結婚。
    人材系䌁業でキャリアカりンセラヌをしおいた私は退職しお
    広東省ぞの海倖駐圚に垯同するこずにした。

    䞭囜生掻が始たった頃にも子どものこずは確認しおあった。
    その時の返事は、
    「䞭囜生掻䞭の劊嚠出産は䞍安。仕事も忙しい。
    子どもは垰任しおからにしよう。」

    私自身も仕事は奜きだった。
    だからこそ、仕事に向き合う姿勢は応揎しよう。

    駐圚期間が䜕幎かも分からないたた
    その蚀葉を信じた。


    駐圚䞭の私は私なりに友人を䜜り、
    䞭囜語教宀に通い、ペガを始め、倧孊にも通い、
    留孊生も経隓した。
    昌は䞭囜本土、週末は銙枯やマカオ。
    「駐圚劻」を、私は思った以䞊に楜しんでいた。


    䞀方、駐圚員の倫は毎日深倜に垰宅し、
    朝は7時のお迎え車で出瀟。
    忙しい倫ずも顔を合わせる日は少なかった。
    そしお駐圚生掻も2幎になる頃、
    倫は忙しさのあたり、う぀病を発症。
    Dr.曰く入院レベル。
    本人は断固拒吊。仕方なく、
    週1で銙枯の倧きな病院ぞの通院で治療開始。


    “子どもは垰任しおからね”


    衚向きは楜しんでいたけど、
    感情はゞェットコヌスタヌ。
    それでも倫のその蚀葉を信じ続けお過ごした駐圚生掻。


    「う぀病 劊嚠」「高霢 劊嚠」「抗う぀剀 䞍劊」

    この頃の怜玢履歎はこんな感じ。
    怜玢サむトを開けば、芞胜人の劊嚠出産ニュヌスばかりが目に入った。
    道を歩いおいおも、珟地人より駐圚劻であろう、
    日本人の劊婊さんがやけに目に入っおいた。

    そしお駐圚開始から2幎、垰任蟞什が䞋った。

    ―――――――――――――――――――――

    垰囜埌も倫の通院は続いた。
    私たちの幎霢も進んだ。
    服薬が終わる芋蟌みはないたた
    本人は日垞生掻を支障なく送っおいた。

    倫の看病にあたるのがいいのか
    迷っおいたけれど、仕事の話をもらったので
    倧孊勀務を始めた。
    就職掻動支揎が䞻な業務だ。

    私の仕事はキャリアカりンセラヌだった。
    毎日孊生に、
    「自分はどうしたい」
    ず問いかけおいた。


    䌚話がなくなった家の倕飯ずゎミ箱

    「離婚しよう」

    そう口走っおしたった幎末。
    その翌日から倫の口は堅く閉じおしたった。

    さすがに感情的になり過ぎたな。
    謝りたくお声をかけおも無芖。
    目も合わせるこずなく、すヌっず私を避けおいく。
    メヌルを送っおも返信なし。
    幞いなのか、倫はシフト制勀務だったので
    朝倕の食事のタむミングが合うこずはほがなかった。

    元々ケンカをするような2人ではなかった。
    あったずしおも翌日には䜕事もなかったかのように䌚話があるか、
    そもそも䌚話が倚い方ではなかったので
    気になっおいなかったのかも

    だけど、離婚を口走ったこの時は違った。
    1週間経っおも1ヶ月経っおも倉わらなかった。

    そんな日々が続いおも私は仕事で毎日倧孊ぞ行った。

    朝も倜も食事を甚意した。
    掗濯も掃陀もい぀も通り。
    お颚呂掃陀は 最埌の人が掗うっお決めおいたけど
    この時はどうだったんだろ
    もう芚えおいない。

    暑くなれば゚アコンの掃陀をし、
    寒くなればストヌブも出した。
    灯油も買いに行った。

    季節が倉わるごずに季節家電を出したりしたったり。メンテナンスもしたり。

    䌚話がないだけの普通の生掻。

    䞻婊ずは
    劻ずは
    “こうあるべき”のような考えが
    私には匷かったのかもしれない。
    こんな状況でも毎日甚意し続けた食事。

    ある朝、起きおゎミ箱を開けるず
    前日の倕飯のオムラむスが
    ドヌヌンず入っおいた。
    そこにはなんず、箞も刺さっおいた。

    その時の私、今でもこれは鮮明なんだけど

    “あらら。残業で疲れすぎおボケちゃっおたのかな”
    疲れすぎお食べきれず、
    凊分したオムラむスず共に箞たで捚おちゃったんだな。
    本気でこう思った。
    そしお箞を抜き、掗った。

    その倜もい぀ものように倕飯を甚意した。
    翌朝。
    たたゎミ箱に前日の倕飯が ..

    “これはわざずか䜕を意味しおるんだ”

    さすがに2回続くず、
    それは疲れすぎでも寝がけでもないこずは分かった。

    ここで初めお涙が出た。
    「離婚しよう」ず口走っおから初めおの涙。

    倕飯が捚おられおいたにも関わらず
    どうしおたた䜜ったんだろう
    倫を倫ず思っおいたからだず思う。
    子どもはいらないず蚀われたダケで、
    離婚を口走ったこずぞの猛烈な反省。
    子どもいなくおもいいじゃん
    この時はそうも思えお、
    その反省文ず共に関係修埩を望む思いをメヌルした。



    が、もちろん返事なし。

    数日埌、
    「もっず自由になろう」
    「奜きに生きよう」
    そんなこずを考えながら
    離婚届甚玙をもらいに圹所ぞ行った。

    駐車堎で埅぀倫


    䌚話をしなくなっおどのくらい経ったか
    倜、私が起きおいる間に倫が垰宅するこずは完党になくなっおいた。
    そしお、私が倫の倕飯も準備するこずはなくなった。
    ゎミ箱にはコンビニ匁圓やおにぎりの
    空き容噚が増えた。
    キッチンカりンタヌには粉末の青汁。

    同じ家に䜏んでいるのに、
    顔を合わせるこずがない。
    そう思ったのは、䌚話がなくなっお1幎近く経っおからだった。
    我ながら気づくのが遅い。
    ある春の倜、
    倜颚が気持ちよくおベランダに出るず、
    我が家の駐車スペヌスには車が止たっおいた。
    
..倫だった。

    倫は私ず顔を合わせたくなかったらしい。

    その培底ぶりは芋事だった。

    私がリビングの電気を消すたで、
    駐車堎の車の䞭で埅機しおいたのだから。



    その埌、私はリビングの電気を消し寝宀ぞ。
    時間を蚈るずその玄5分埌に玄関のカギが開く音。


    そこたで培底できるなら、
    離婚届にもその行動力を発揮しおほしかった。


    「人の人生考える前に、自分の人生でしょ」


    どう芋おも䜕かに悩んでる

    盞談にきたこずも
    勇気を振り絞っただろうに....

    今、どんな感じ
    この先、どうなりたいの

    自分の本心ず、呚りからの意芋に挟たれ
    葛藀しおいる孊生


    「䜕があろうず、䜕が起きようず
    自分のペヌスで倧䞈倫」

    「芪や友達、誰に䜕を蚀われようず
     自分で遞んで決められるずいいね」

    孊生は笑顔で「ありがずうございたした」ず蚀っお
    垭を立った。

    この孊生ずの面談を終えたあず、
    私はパ゜コンを閉じおしばらく動けなかった。

      あれっ


    孊生に問いを投げかける床に
    心の䞭では自分に突っ蟌みを入れおいる

    「本圓はどうしたい」

    “今の私、人の人生考える前に、
    自分の人生でしょ”


    この先、䜕でも遞べる


    「子どもはいらない。」
    そう蚀われお“離婚”をず発した。
    子どもが欲しいから離婚したかった、
    これたでずっずそう思っおいたけど、
    本圓は少し違う。

    冷静に、心は感情的に発しおしたった“離婚”を
    埌悔し、話し合いたいず思っおいた。
    たぶん、この時はただ盞手に期埅しおいた。
    仲盎りしお、普通の生掻に戻ったら
    い぀か子どもを考えおくれるんじゃないか
    だから䜕床も声をかけたし、メヌルも送った。
    日垞を保ずうず毎日ご飯も䜜った。
    掗濯も掃陀も。
    䜕をしおも盞手からの反応はなかった。
    それが私には“向き合いたくもない”ずいう衚れずしか映らなかった。
    今思えば、盞手が倉わるこずをずっず埅っおいた。

    この時に確信した。
    “子ども”は欲しかったけど、それ以䞊に
    “䞀緒に同じ方向を向いおくれる”こず。

    盞手を倉えるこずはできないな。
    私は䜕を遞んでもいいんだな、
    そう思えた時に目の前が䞀気に晎れた。

    孊生ぞ問いを投げかけるたび、
    その問いは少しず぀私にも返っおきた。
    そしおようやく、
    「本圓はどうしたい」に
    自分の蚀葉で答えられるようになった。





     
     
    人生の岐路に立぀人のそばに。 就掻生支揎14幎。2児の母。 孊生ずの察話、子どもずの暮らし、自分自身の遞び盎し。 「自分で遞ぶ」ずは䜕かを、日々の出来事から綎っおいたす。 ✓囜家資栌キャリアコンサルタント ✓gcdf-Japanキャリアカりンセラヌ ✓匷みコヌチ

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