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「平壌ぞ至る道」(24)

    䞀九九四幎五月 䜐枡沖 日本海の接続氎域からわずかに倖れた海䞊
     
     霧で霞んでいたが、合図ははっきりず芋えた。
     小川が声をかけおくる。堂々ずしおいろ。
    「北は日本以䞊に幎霢がモノをいう瀟䌚だ。オマ゚は最初、間違いなくナメられる。だがクラむアントは俺たちだし、オマ゚はオダゞの名代だずいうこずを忘れるな」
     その前日から、晎れた日には遠く䜐枡を眺めるこずができる枯町に、鄭盞慶はダスダ興産の「囜際課課長」である小川ず滞圚しおいた。
     安田ず䌊勢が譊察の尟行を匕き぀れお西ぞず向かったこずを確認した埌、圌らは易々ずその町から本来の「事業協力者」の持船に乗っお北䞊した。非合法取匕の協力者ずいう蚀葉から連想されるむメヌゞず違い、ただ歳の若い船長は航海䞭、過去に寝た女の特殊な性癖を喋り続ける軜々しい男だった。

     それたでの玄䞉週間、盞慶は安田の組事務所で過ごした。
     初日、いきなり倧柄な若者が因瞁を吹っかけおきた。厚い胎䜓、䞞刈り頭、アディダスのゆったりずしたゞャヌゞ。昭和の挫画に出おきそうな「事務所の芋習い」だった。
    「䜕芋おんだよ」倧股で近づいおくる若者を、盞慶は䞀顧だにしおいなかったが、盞手にずっお宣戊垃告の理由は䜕でも良かった。
     倧振りのパンチを振っおくる、ず芋せかけお、そい぀は膝䞋に蹎りを入れおきた。それで盞手が喧嘩慣れしおいるこずも、そしお攻撃を避けながら呚囲を芋枡し、誰も止めに入ろうずもせず、寧ろ面癜がっお事の成り行きを静芳しおいるこずも知った。
     ダヌ公どもは、俺の力量を枬っおいるのだ。
     䞀瞬頭に血が䞊り、これも蚓緎だず思い盎す。海の向こうに枡れば、感情を衚情に出すこずがどんな圢ずなっお我が身に返っおくるか想像も぀かない。しかしデブの攻撃はし぀こかった。
    「よそ芋しおんじゃねえ」
     掎みかかっおきた若者に自分から近づき、盞慶は頭突きをかたし、巊手でそい぀の銖の埌ろを掎むず、右肘で同じ堎所に攻撃を䞎えた。
     癜目を剥いお倒れかけた芋習いの顎に、远い蚎ちをかけるように膝蹎りを攟぀。
     宀内は暫し静寂に包たれ、それを砎るように安田が二人の郚䞋に声をかけた。䜐野を倖に出しお、背䞭䌞ばしお掻を入れおやれ。
     
     膝䞋ぞの蹎りを芋砎ったのは、あんたが初めおだ。
     䜐野はそれ以来盞慶を兄のように慕っおきた。
     瀟長の安田も盞慶を可愛がった。北に枡ったら痩せおないず駄目なんです、ず幟ら頌んでも事あるごずに倖食のお䟛をさせられた盞慶は、その床トむレで指を喉奥に突っ蟌んだ。
     今同じ船に乗る小川ずは、決しお盞性良奜ではなかった。自らの個性を持お䜙し、他者ずの共存機䌚をこずごずく棒に振っおきた男たちだ、どこの䞖界にも存圚する人間関係の色加枛は、ダクザ瀟䌚では䞀般のそれより濃淡は倧きかった。

     倖芳はボロ持船以倖の䜕物でもないが、ホヌバヌクラフト䞊みのスピヌドが出るずいう北朝鮮偎の船が近づいおくる。
     スピヌカヌから波の状態に関する質問があり、小川が荒れおいない、ず答えた。笊䞁なのだろう。船は互いの舳先がぶ぀かるたで近接し、出おきた䞉人の男が握手も挚拶もなく、朚箱を䞉぀積み蟌んできた。
     軜薄な船長たでも、その時間は口を噀んでいる。
     荷物が党お日本偎に移り、朮を济びお倉色した朚箱の䞀぀を、小川はバヌルでこじ開け、自然な口調で盞慶をこれから䜿甚する仮名で呌んだ。「山田専務、ご確認頂けたすか」
     目の前にいる䞉人の北朝鮮兵士が日本語を解するかどうかは䞍明だが、俺は若き組幹郚なのだ。小川の䜎姿勢の芝居に応じた盞慶は䞀緒に䞭を芗き蟌んだ。タラバカニが詰たっおいた。
     小川は個䜓の䞀぀を掎み、甲矅を倖す。䞭に癜い粉末の入ったビニヌル袋の䞀぀を砎り、指先に摘たんだ粉を舐めた。
    「たあ実際にこれで品質なんか分かりゃしないんだが」そう呟きながら圌は芪指を䞊げた。䞉人の男は愛想笑いすらしなかった。
     小川は持参したボストンバッグを男たちの前に眮いた。圌らは玠早くその䞭身を芋枡し、やはり無蚀のたた頷いた。
    「山田専務、それでは向こうの船に」
     盞慶は北朝鮮の工䜜船に、兵士に続いお乗り蟌んだ。片足を向こうの船の瞁に眮く。
     特に感慚はなかった。
     䞡足を北の船に乗せた。ダスダ興産の持船が離れ、実質的にこの瞬間、圌は朝鮮民䞻䞻矩人民共和囜に足を螏み入れたのだ。
     刹那、さすがに䞡膝が震えた。船の埮劙な揺れに感謝した。
    「専務」 
     背埌の声に振り向いた。
    「瀟長の専務ぞの目のかけ具合に、自分は耇雑な思いでおりたした」
     暗闇に染たる日本海の䞊でも、埮かな星明りが照らす小川の県球の色が物語っおいた。これは芝居の䌚話だ、同時に俺の本音だ。
    「垰っおきたら䞀献亀わしたしょう。土産話を色々ず聞かせおください」
     
     工䜜船は爆音を海䞊に響かせ、舳先を殆ど盎角に立たせる勢いで、厚いベヌルに芆われた倧地ぞずひた走った。
     䞀人が舵を握り、二人が船底で向かい合うようにしお金の入ったボストンバッグを芋匵っおいる。誰も話しかけおはこなかった。
     甲板に出た。倖は恐ろしく寒かった。
     倜が癜み始め、氎平線の向こうに土の塊が浮かび䞊がっおきた。
     北朝鮮だ。
     朝日が䞊る前の薄い暗幕のような倧気を通しお眺めおも、その倧地に殆ど緑が存圚しないこずは分かった。剥きだしの土はそれそのものが犍々しい凶噚のようで、いやがおうにもそこに生きる垂井の人々の暮らしを連想させた。
     震える䜓は寒さのせいか、颚のせいか、ただの歊者震いか。
     か぀おどんな倧柄な盞手ず察峙した時にも味わうこずのなった思いが、喉元をせりあがっお来る。
     それは圌にずっおほずんど初めおの感情で、だからそれが䞀般に人々が恐怖ず圢容するものであるこずに気付かなかった。
     盞慶はただただ、赀茶けた倧地を目前に震え続けた。

    䞀九九四幎五月 北朝鮮 元山
     
     船は朝䞃時圓時、日本ず北朝鮮に時差はなかった―、元山枯に到着し、 盞慶はその時刻を、巊手銖に巻いた時蚈で確認した。
    「䜕や、この悪趣味な時蚈は」
     糞魚川で珟地人化教育を斜されおいた頃のある日、朎泰平からのプレれントだずいう金ピカの腕時蚈を䌊勢から枡され、これを垞時身に着け、腕に銎染たせろず呜じられた二十代の若者は、唇を固く結んで銖を振った。「こんなもん身に着けるのはダヌ公か野球遞手だけやろ」
    「鄭くん、君も朝鮮籍なら、その腕時蚈が持぀意味は分かるだろう」
     䌊勢の蚀葉に、若者は枋々頷いた。
     朝鮮民䞻䞻矩人民共和囜の囜嚁発揚に倚倧なる功瞟どれだけ貢いだか―を認められた者は、䞻垭その人から盎々に、オメガ補の金色の腕時蚈を䞋賜される。総連時代に䞉千䞇円を朝鮮劎働党に寄付した朎泰平もその䞭の䞀人だった。
     文字盀の䞊郚に燊然ず茝く、同瀟のアむコンずも蚀うべき「Ω」マヌクの曎に䞊に「김음성金日成」の䞉文字を゚ンボス加工すべしずいうクラむアントからの芁求に、オメガ本瀟も圓初は断固拒吊したが、䞀介の時蚈屋がそうした駆け匕きであの瀬戞際倖亀のトップランナヌに勝おるはずもなく、継続的な倧量発泚ず匕き換えに発泚者の過剰芁求がたかり通った唯䞀のモデル―ず蚀っおも圓然非売品ずなった。
     北朝鮮囜内でこの腕時蚈を着けお歩けば、氎戞の埡老公がひず暎れした埌にご開陳する印籠のような効果をもたらす䞀方、腕時蚈は䞀぀䞀぀の型番が蚘録され、誰にどの時蚈が送られたかが管理されおおり、玛倱が明るみになれば「銖領からの最高玚の信頌ず寵愛を裏切った」ものずしお即刻远われ、消される立堎に転ずる。
     貧困ゆえにゞャンマダンに特暩階玚の身分蚌やバッゞを売る者はいおも、この腕時蚈は出回るこずがない、ず蚀われる所以だが、「どのみちワシは総連を足抜けしお日本囜籍を取った時点で倧眪人」な朎泰平にずっお、時蚈の第䞉者ぞの譲枡には䜕の心理的抵抗もなかった。

    「向こうで䜕かあれば」䌊勢は鄭盞慶の腕を掎んで助蚀した。
    「この時蚈を芋せればいい。朎さん曰く、あの囜で停物たたは他人の金時蚈の装着がバレた堎合極刑は免れないが、それを質すだけの肝を持った治安芁員などいない、ずいうこずだ。もしそれが正圓な物なら、その芁員の呜運はどうなるか分かったものではないからな。䞀方であの囜では今、䞊玚囜民は民衆間で怚嗟の察象だ。金時蚈がモヌセのように人波を掻き分けるこずもあるだろうが、その逆の状況もあり埗る。扱いは慎重に」  
     安田瀟長ず䌊勢さんはどうなったのだろう、ず䞍意に思い銳せる。県譊を手玉に取り、今頃郚䞋ず笑っお肩を叩き合っおいるのか、それずも矛を収め損なった圌らに䜕らかの公務執行劚害を仕立お䞊げられ、仲良く留眮所に抌し蟌たれおいるか。
     安田ずの倕食の蚘憶が、遥か遠い昔の出来事のように感じられる。
     元山枯には数隻の巡掋艊、フリゲヌトが浮かび、朜氎艊の錻先が鉛色の海から突き出おいたが、玠人目にもその老朜化が芋お取れた。
     民族孊校時代、修孊旅行で新期枯から䞇景峰号に乗っお初めお降り立った「祖囜」が、この元山だった。町の建物も道路も船も枯も、そしお海たでもが灰色で塗り朰されおいる。
     色圩の乏しさ。十幎前に抱いた祖囜ぞの印象は、その時も倉わるこずはなく、寧ろ進行の床合いを増しおいるようだった。

     男たちが䞋船の準備をしながら、盞慶に顎をしゃくった。朝鮮人民軍の䞭でも優秀な郚類に入る、ず事前に聞いおいた圌らの、その䜓栌や挙動を芋る限り、にわかには信じ難かった。
     盞慶は船から掛けられた板を枡り、灰色の町に降り立った。
     目立っおはいけない。巊手銖に巻いた金時蚈もポケットの䞭に隠す。
    「オマ゚さんは誰かず目が合った、肩がぶ぀かった、そんなしょうもない芁玠が次の行動を正圓化するような䞖界に生きおきた阿呆や。あの囜で同じこずは絶察に避けろ。絶察やで。人間、長幎の間に染み付いた習慣ちゅうもんは簡単には隠し通されぞん。誰かが芖線を送っおきたら、オマ゚さんは無意識に、本胜的に、盞手を睚み返す男や。日本ではそれで通じたやろけど、北でそれをやっお、盞手が保衛郚や安党郚の連䞭やったら、どうする党員殎っお逃げるか民衆の䞭に隠れおいる数䞇の協力者を含めお、䞀人ず぀癟幎ほどかけお倒しおいくか」
     出囜前、朎泰平から受けた忠告を思い出す。オマ゚さんがトラブルを避ける方法はただ䞀぀、ひたすら䞋を向いお歩くこずや。
     盞慶は船から同乗しおきた䞉人の男の埌ろを、俯いたたた進んだ。ただ早い時間、倖を歩く人間は少なく、その誰もが䞉人の正䜓を知っおいるかのように、すれ違いざたに目を䌏せる。
     倧通りに出る。ビルの屋䞊や倖壁は赀色のスロヌガンで食り立おられ、そこだけがこの町に色圩を添えおいる。
    「偉倧なる銖領 金日成同志䞇歳」
    「朝鮮半島は䞀぀」
    「我々には矚むものは䜕もない」
     十分ほど歩き、现い通りに折れた。建物のあちこちから鶏の鳎き声が聞こえる。愛玩甚に飌っおいる蚳では無論ないだろう。足元の道は舗装もされず、ぬかるんでどろどろだ。湿った土なのか鳥の糞なのか、枟然ずなったそれらの茶色い物䜓が、盞慶の足元でぎちゃぎちゃず音を立おる。
     北朝鮮東南郚最倧の枯町の、それがメむンストリヌトから䞀本隔おた䞖界だった。
     现い泥道をもう二床曲がり、レンガ積みの四階建おの建物に近づく。その入口には機関銃を持った兵隊が真っ盎ぐ前を向いたたた盎立しおおり、軍関係の斜蚭であるこずを䌺わせた。
     盞慶の前を歩いおいた、先頭の兵士が扉をノックした。
    「誰だ」䞭から声がした。
    「ペク゜ンボム特務䞊士です」
     こい぀は癜成範、特務䞊士ずいう階玚は、䞋っ端の䞭では䞊䜍にあたるはずだ。盞慶は蚘憶に叩き蟌んだ。
     ドアが開いた。䞭に四人の男がいた。
     䞉人が軍服を着おいる。肩に小さな星を二぀瞫い付けた男だけが䞭倮の机の向こうに座っおいお、この郚屋の最䞊玚者であるこずを瀺しおいる。
     正面壁の䞊郚。お玄束のように金日成ずその息子の肖像画が掛けられおいお、薄汚れた郚屋の䞭で、それだけがホコリひず぀なく朝日を济びお茝いおいる。
     䞀人だけ人民服のようなシャツを着た初老の男が、嘘くさい笑顔を浮かべながら近づいおきた。
    「ダマダ同務、我が共和囜ぞようこそいらっしゃいたした」
     盞慶は「ダスダ興産」専務ずいう肩曞ず、山田矩男ずいうありふれた日本名を䞎えられおいた。同務ヌトンムヌは北朝鮮では友人や、階玚が近いか䞋䜍にあたる同僚に察しお䜿われる呌称だ。
    「私は通蚳のチェドンシクです」
     通蚳は厔東怍、盞慶はこれも心䞭で呟いた。
     盞慶が取り出したダスダ興産の名刺を厔は受け取ろうずせず、匕き぀った笑みを浮かべながら、名刺はたず匵䞭尉にお枡しください、ず答えた。
     机の向こうの男に、名刺を枡す。アニョンハセペ、ず意図的にたどたどしく挚拶しながら。
     匵䞭尉は倧儀そうに立ち䞊がり、仏頂面のたた片手で名刺を受けながら、呚囲に向かっおからかうような口調で告げた。
    「おい、このチョッパリは僑胞のように芋えるな」
     呚囲のお矩理のような笑い声に、朝鮮語は党く解さないこずになっおいる盞慶は、よく分りたせんが皆さんがおかしいのなら、ずいう日本人の兞型のような笑顔を芋せた。
     僑胞、キョッポずは䞀般的には倖囜に䜏む朝鮮人ずいう意味だが、䞻には圚日朝鮮、韓囜人を指すものずされ、匵䞭尉の口調から、圌らが本囜では䟮蔑の察象ずなっおいるこずがはっきりず分かった。「パンチョッパリ」ず同じようなニュアンスなのだろう。
     それでもこの囜の職業軍人からも、自分が玔然たる日本人のようには芋えない、ずいう事実は盞慶を安堵させた。これから䞀週間ほど、俺は目立぀存圚であっおはならないのだ。
     他の者の玹介は䞀切されなかった。

     
     
    こんにちは。ペンネヌムからもお分かりのように、猫奜きのおじさんです。はよく分からないので䞀切やっおたせん。若い時はキックボクシングゞム、珟圚の趣味は薪割りです。宜しくお願いしたす。

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