宿坊で惟う
ある京の食事処で
清潔、シンプルな空間、新鮮な素材で必要な分だけ。過度に多すぎず、少なすぎないのがいい。
和食ならお出汁にこだわる。
思いやりや気遣いがあれば完璧で言う事なし。
それだけで、例えば滋味豊かな栄養満点のお雑炊だけで、お腹いっぱい、他には要らない。
それは究極の贅沢だと知った。
今からになるが、お出汁をとる修行を始めようかと本気で考えている。
和の空間と思索の時間
宿坊へ泊まった。
全体的に華美なデザインや印象はないが、過ごしやすく宿泊の満足度が高い。
何故か。
必要なものは全て揃っているからだ。
そして、周りの余計なものに煩わされず、自らの感情や思考がクリアに研ぎ澄まされていく。
和の空間とは、究極的にはそこが素晴らしいと私は思う。
だから、茶室や数寄屋造、禅寺の庭は好きだ。凝った内装にも関わらず、思惟の邪魔をせず、寧ろ考え事に向いている。
禅に関しては、シンプルさが更に強調、徹底されている。私は、物事をこれほどシンプルに考えられるだろうか、と考えさせられ、そのコンセプトにいつも感心する。
服はいつも同じ様な決まったデザインで、一日で判断する量を、余計なものは出来るだけ削ったというスティーブ・ジョブズも、アイデアを生み出せる環境を気に入ったのではないだろうか。
いつか、俵屋旅館に泊まってみたい理由を、また見つけてしまった。
理由づけをして、いつか雁字搦めになったら、私はその感情を俵屋に泊まる口実にするのだろう。
個人的に最近インテリアでは北欧に浮気していたが、北欧インテリアの理念にもシンプル・イズ・ザ・ベストという和に通じるものがある。
親和性は高いと感じるので、この二つを掛け合わせたインテリアが私の理想かもしれないと思った。
憧れと観念
しかし、案外産むが易しとはこのこと。
「お値段が高いから」という理由も、私の中の既成概念、凝り固まった古い観念のひとつ。
昨日、高くて手が出せなかったお店でやっとお食事させていただいた。
結果、何故今まで食べにいかなかったのだろう、という一点のみが残念という感想だった。
昔は昔、色々な理由づけをして行かなかった。
しかし、価値観を変える体験をした。昨日のあの場あの時、そのことを学ぶ為の体験料だと思えば、妥当である。
長く愛されるお高いものには、それだけの理由があると考えた方が良い。
得難い経験をするには、目の前の未知に集中して没入するといい。
俵屋もきっとそうだ。
そして、私はいつか泊まったときにこう言うのだろう。
「何で知っていたのにもっと早く泊まらなかったのか、それだけが残念だ」と。
早朝の気配がする中、辺りに梵鐘の音が響いた。