
Second Wind|第90話 口づけ[イクス]
Second Wind
第2章 霧の中の岐路
第90話 口づけ[イクス]
気づいた時には、自分でももうどうしようもなくなっていた。
頭の片隅では「なんてことを」と思いながらも、彼女への愛おしさの方が勝り、後悔する気持ちはもはや微塵もなかった。
ふれ合う唇。初めてではない、その感触――。
けれどキスシーンの時よりずっとやわらかく、まるで壊れそうな脆さがあった。
彼女の表情を窺う余裕はなかったが、意外なことに拒まれはしなかった。
薄く目を開け、彼女を見つめる。
紺碧の瞳に僕が映り込み、まるで静かな海に吸い込まれていくような感覚に襲われる。
これまで押し殺してきた想いが、突如、胸の奥からあふれ出すのがわかった。
彼女の肩に、手を伸ばす。そのまま抱きしめようとした、その時――。
「……このままで。これ以上は、きっと……戻れなくなります」
わずかにうつむいてそっと唇を離し、両手を力なく僕の胸に当てる。
押しとどめるような仕草で、彼女は僕にそう囁いた。
そして、静かに顔を上げる。口元にかすかな笑みさえ浮かべてゆっくりと僕を見上げた彼女の目は、まるで何かを諭すような、優しく寂しげな光をたたえていた。
そんな様子に胸が締め付けられ、僕は一度大きく息を吸い込み、口を開く――。
「僕は、ずっと……――。たぶん、あの銀杏の木の下で初めて会った時から、貴女が、好きでした」
想いを込めて。
ただ彼女を見つめ、言葉に詰まり、言葉を探す。
僕を見つめる彼女の瞳が、一瞬大きく揺らいだ気がした。
けれど彼女は、やがてこれ以上ないほど寂しげに微笑むと、僕にはっきりとこう告げた。
「今なら……、まだ戻れます。私が〈有石唯〉であるように、あなたは、〈ARKLINE〉なんです」
*続き | 第91話 口づけ[唯]
*目次 | 長編小説『Second Wind』