
Temp=8観測者の架空旅行記
はじめに
架空の街、北海道E市へようこそ!
今日は私があなたの旅行をナビゲート、といいたいところですが。
それだと面白くないので、観光地の手記っぽいものを綴ろうと思います。
ちょっとした気分転換を、私と一緒にしていただけませんか?
1章:国道RR号線へ
初夏の晴れた日。私は北海道に降り立った。まだ午前中の早い時間で、汗ばむには少しひんやりとした心地よい空気。湿度はそれほど高くないのがありがたい。
どこからか花の香りが漂ってくる。時期的には北海道ならではのライラックだろうか。
レンタカーを借り、静かに車を走らせる。平日だけあって交通量は…これでも少ないらしい。都内と比べれば遥かに少ないのは当然だが、この広い空間の割には活気を感じる。
今回訪れるのはE市。本州に居ると知名度は高くなく、こぢんまりとしているらしいが、それはそれで過ごしやすいらしい。同僚がE市の市民とやりとりしてて「ぜひとも!」と街の魅力を勧められたのを聞かされ、さらにはパンフレットまで渡されたのだ。
そして、当人ではなく、なぜか私がここにいる。解せない。
2章:羊が群れる丘公園
空港から国道RR号線に乗り、予想してなかった3車線道路に若干驚く。それも車を走らせているうちに道幅も2車線になり、目印となる橋の手前で車を左折させた。
目指すはイチオシの「羊が群れる丘公園」だ。正式名称は違ったはずだが、あの写真を見ると同僚が間違った呼び方をしたものがインプットされてしまうのも仕方がない。そもそも、勧められた本人が来ていないのが解せないのだが。たまたま休みが取れた私がこうやって来て、感想を伝えるのもおかしな話だと思う。
道なりに車を走らせ、大きな岩が目印の門を見つけ、右側の広い公園に車を滑り込ませた。
平日にも関わらず、駐車場にある車の台数は多い。
ただ、駐車場すら広すぎてスカスカに思えてしまうのだ。そして真上には広い青空。これぞ北海道。
この公園の見どころは、名前の通りに…間違って覚えた名前のとおりに、多数の羊が放牧されていること。
駐車場からほどない距離にある木柵の向こうにいるのだろうか。時折鳴き声が聞こえてくる気がする。そう思った途端に臭いまでしてくる気分になるのだが、羊の臭いはどんな感じなのだろう。
ここでは羊を用いた料理や加工食品もあり、地場産の野菜をそのまま売っていたり、もちろんお土産用のパウチなども多数並んでいる。羊そっちのけで思わず施設の本館に入るところだった。
思わずあたりを見渡す。青空と、流れる風と、濃い草の匂いと。踏みしめた土の感じ。いつもと違う世界に来たのを実感する。
木柵の近くまで行かずとも、見える。白いもこもこしたものがあちこちに、いる。
サッカー場がすっぽり入りそうな丘のあちこちに、涼し気な風を受けながら草をはんでいる。
ざっと数えてみようとしたのだが、途中で増えているような錯覚を起こす。ゆっくり歩いて移動している羊をさらにカウントしてしまう。100までは数えたが、諦めた。最後に数えた羊が2頭になった気がする。増えたことにしよう。丘の頂上にいた羊が消えているのは気にしないでおこう。
施設の本館に入る。飲食ブースも土産物コーナーもそれなりに人がいるが、建物が広いおかげでとても歩きやすい。それぞれが楽しそうに食べ、あれこれ手に取ったりして楽しんでいる。これだけ種類があれば楽しくなるのもよく分かる。
昼にはまだまだ早い時間なので飲食ブースは涙をのんで諦めることにした。鮮度がよくてハーブが程よく効いたソーセージの香りに引き寄せられそうになりながらお土産コーナーへ。その香りから逃げるように。昼ご飯にはまだ早すぎる。
先程のソーセージもどうやら冷凍で売っているらしい。羊肉もあれば地元民おすすめのタレもちゃんと置いてある。
さらに回ると羊毛フェルトで作った羊の置物があった。ふわふわとした手触りを堪能しつつ臭いを嗅いでみたが、当然洗浄済みの羊毛を使っているので臭いはしなかった。そのかわり、羊毛の油で作った石鹸が置いてある。しかも無香料もあるとのこと。これは女性へのお土産にむいているだろう。肌に合うことを祈りつつ、買うことにした。フレバーつきの物もあったが、それはそれで気に入る人が多そうな感じがする。
そしてレジ横には、どこの観光地でも見かける「刀のキーホルダー」などが陳列されていた。もちろん買わない。
3章:広大な景色にひたる「ランドマークガーデン」
先程の羊の群れの間を…というと語弊があるが、木柵の間を抜ける施設内道路を渡り、別の脇道に向かい、もう一つの観光地に向かうことにした。
パンフレットには「東京ドーム2つ分」もあると書かれているくらい、想像もつかない広さの「ランドマークガーデン」。パンフレットの地図上で写真にドーム2つを合成されても、分かるようで分からない。ドームには行ったことはあるものの、別の場所に置く?それはさすがにピンとこない。広いということだけは分かるのだが。
そして、「季節の植物が咲いている」と書かれているが、自分の地元との季節感がまるっきり違う。今は何が咲いているのだろう。そんなところが観光地なのか?という疑問も抱きつつ、あと5分ほどで到着するようだ。案内標識が見えてきた。
公園についた、はず。駐車場は広い。たぶん無駄に広い。駐車場だけでドームが入るのではと錯覚をするくらいだが、案内看板を見ると右側がどうやら…鮮やかな黄色の平原だった。東京ドームどころではない。黄色もあれば紫もあり。あれは菜の花?そして何なのだろう。北海道といえばラベンダーだが、この時期に咲いているのだろうか。
まずは近くに行ってみることにしよう。
近くまで寄ったら「花がちゃんと見えた」。ただし、広い。視界全部が黄色なのではと思うくらいだ。いや、空は青い。白い雲もある。風に漂う匂いと共に、自分の中の「都会成分」が洗い流されたのかも…?ここは一体何なんだろう。
そんな私の戸惑いとは裏腹に、左側にいるご家族は笑顔で記念写真を撮っている。ここは私がみんなを撮ってあげるべきなのだろうか、などと柄にもないことを考えるくらいに圧倒されてしまった。
ここはすごい。来てよかった。何がよいのか分からないけど、非常に満足した。何かが違った。その何かが分からないまま、車に戻る。買っておいたぬるい缶コーヒーを開け、勢いよく飲み干す。少しは私の「都会成分」が戻った気がした。
4章:地元の人が愛する大衆食堂「◯月」
そろそろお昼時が近づいてきたので、市街地に向かって車を走らせる。
やっぱり広いなぁ、としみじみ思う。どれだけ羊がいるのか分からなかったし(施設展示だと500以上らしい)、見渡す一面が黄色と青、遠くにようやく緑が見える世界。思わず口に出してしまう。「北海道はでっかいどー」。言いたくもなる。
市街地に入り、目的の店を探す。裏通りにある「地元民超おすすめ」と言われる大衆食堂。
海鮮?ラーメン?地のものを食べろ?いいや、私はお腹が空いているんだ。地元民おすすめの大衆食堂なんて最高じゃないか。ということで、近くのコインパーキングに車を滑り込ませ、スマートフォンのナビに身を委ねて「大衆食堂◯月」へと向かった。
ここは市内でも老舗の一つで、近くの会社から学校から、ご家族連れから集まる人気店で、食事時にはちょっとした行列ができるらしい。大衆食堂だけあってメニューは沢山あるけれども、その中で特に人気なのが、おこげも美味しいあんかけ焼きそば、らしい。
◯月の前に来ると、ほのかに漂う醤油の香ばしいにおい。そして笑い声も聞こえてくる。幸い、外に並んでいる人はいなかった。お昼時からちょっと遅れたのが幸いしたんだろう。
中に入ると8割ほど埋まってはいたがカウンター席は空いていたのですぐに座れた。柔らかだけれども元気のある「いらっしゃいませ」に迎えられ、お冷が置かれる。メニューを見て迷いつつ、初志貫徹であんかけ焼きそばを頼むことにした。
先に入ったご家族連れも楽しそうにメニューを拡げて選んでいる。「今日はこれがいい!」というくらいだから頻繁に来ているのだろう。隣の席の人は「いつもの」と言い、ポークチャップ定食が出てきた。別のところから漂うデミグラスソースの香りもたまらない。常連さんたちと雑談しながら会計をするおばちゃんの笑顔をぼんやりと長め、我に返る。
気を取り直し、待つ。スマートフォンを取り出し、同僚に途中経過のLINEを送る。「でっかいどー」と。
その背後で、フライパンで焼いている音がじゅうじゅうとしてる。
ここのあんかけ焼きそばは海鮮出汁が濃厚で…眼の前にある。濃厚な出汁の香りが湯気とともに漂ってくる。あつあつで美味しそうな…。濃厚なとろみに包まれた具材が口の中に広がる。地元民が勧める定番だけある。
気がつくとあっという間になくなっていた。同僚にこの美味しさをどう伝えようか…。
さっきまで賑やかにしていた親子もいつの間にかいなくなっており、静かな座敷席が広がっていた。
名残惜しいその静けさを感じつつ「ごちそうさま!」と店を出る。そして思い出す。あんかけ焼きそばの写真を撮るのを忘れていた。
5章:道中の光景も楽しい
◯月でのひとときを堪能した後、次の目的地に向かって車を走らせる。 さすがに日差しで車の中が暑くなったので窓を全開にし、カーラジオをつける。北海道ローカルならではの話題が流れてくる。若干の言葉の違いが私の中に非日常感を思い起こさせる。
空港へ着陸するときの広々とした空間もワクワクしたが、こうやって車を走らせると見えてくるものもある。住宅の作りが違う。瓦屋根(風)のものがお寺くらいしかないのだ。そんな中を、歩いて下校する小学生の姿。水筒を持って歩いている子供は殆ど見かけないとか、細かな違いが見て取れる。窓から入ってくるこの風だもの、水筒もまだまだ要らないだろう。
信号待ちで、道路の反対側に向かって手を振っている中学生も見かけた。のんびりとした光景にホッとする。
よくよく見れば、街路樹も地元と違うし、なんだか「土があればとにかく花を植えよう」みたいにあちこちに花が咲いている。景観を大事にしているのか、季節を楽しんでいるのかは分からないが、色とりどりできれいなことには違いない。
それに、さっき行ったランドマークガーデンの回りも地元では見られない植物だらけだった。同じ国内なのに異国に来た気分になる、それは間違いない。
さらに言えば、E市の市街地から隣町のランドマークガーデンに向かう際に、市町村の境目を示す看板があった。その辺りから空気感が一気に変わって植物の濃厚なにおいに満たされた気がする。
たった20分くらいの間でもこれだけ変わるんだ。この土地の面白さに一つ触れられた。
6章:近隣で有数のデートスポット「ハレヤマ公園」
車をそのまま山の方へと走らせる。だんだんと緑が増え、空気がしっとりしてくるのが分かる。
この先にあるのは街を眼下に一望できる「ハレヤマ公園」。その見晴らしの良さと開放感で、地元民はもとより近隣から訪れる人も多いのだとか。週末になるとキッチンカーが来ていることも多いらしい。
ちゃんと整備されているとは言えども山の中を走っているので、カーラジオの電波がやや不安定になってきたようだ。楽しげなトークの中にノイズが交じる。
そこから10分ほど登っただろうか。山頂よりはやや下に「ハレヤマ公園駐車場」の文字を見つけ、車を滑り込ませた。
平日なので車の台数は程々だが、それでも何組かは来ているらしい。雰囲気がとても良いので、こんな天気のときには来る人が多いらしい、特にカップルが。
ざわっと木々の葉が鳴る音を耳にしつつ、駐車場から土手の向こうに行く階段を登り公園側へ進む。
一気に開けた空間に私は息を呑んだ。
──ここはもう一度来てもいいかもしれない。
見渡す限りの平野と、ついさっきまでいたであろう市街地が眼下に広がる。決して大きくはない市街地だろうけれども、回りの豊かな自然との対比に圧倒された。ここでこうやって人が暮らしているのだ、と。遠くのあの辺りが菜の花で、たぶんあの辺りが昼に立ち寄った地域だろうか。上から見てもやはり圧巻の自然公園のようだ。
近くではカップルが眼下を背景にツーショット写真を撮っている。今日みたいに天気が良いとさぞかし写真映えもするだろう、良い思い出になるだろう。また、小さなお子さんを抱っこして風景を眺めている御夫婦もいる。何かは分からないけど、興奮気味なお子さんの様子を見ていると、その笑顔がすべて物語っている。楽しげな声がしっかりとここまで聞こえてくる。
いつか自分も誰かを連れてここに来るのだろうか、そして……という妄想が頭をよぎるが、ひとまず写真に収めておいた。
たった1日、日帰り往復という強行軍。残された時間は少ないのだから。
7章:ソフトクリームが有名な「カフェLyric」
ハレヤマ公園から少し下ったところに、ガイドブックにも乗っているカフェがある。カフェLyric。写真を見る限りログハウス風の建物で、御夫婦がメインで切り盛りしているようだ。さすがに人気も出てきて手が足りなくなり、人を雇わねばならなかったようだが。
ここの人気はやはりソフトクリームだが、市内にある有名珈琲焙煎工場から仕入れている各種コーヒーも人気らしいし、時間的には早すぎるが、パスタも美味しいらしい。
日も少し傾きつつある時間にカフェへ到着。
平日のこの時間だけあって、来客はいないようだ。
どっしりと構えた温かみのあるログハウス──そう、まさにログハウスのカフェ。重そうなしっかりとしたドアを開けて踏み込んだ途端に、柔らかなコーヒーの香りに満たされる。奥様だろうか、にっこりと微笑んで「お好きな席へ」と案内され、西日に照らされたテーブルにつくことにした。
丁寧に磨き込まれたテーブルと椅子。どちらも近隣の家具作家さんのものらしい。よく聞かれるそうで、家具工房の住所まで教えていただいた、注文より先に。
さっきまで歩いたり風に当たって冷えてしまったのもあり、ホットコーヒーのおすすめをお願いした。焙煎工場のオリジナルブレンドで、これを頼むお客さんが多いとのこと。ここはペーパードリップではなくサイホン式なので若干時間がかかるが、それもまた心地よい待ち時間だ。
その間に、今日撮った写真を眺めてみる。広すぎてどこをどう撮れば良いのか分からないところもあったが、写真を見れば思い出すだろう、あの圧巻の空とともに。
程なくして、コトリ、と音がした。シンプルだが上品なカップとソーサー。立ち上る湯気と香りにふと心が緩む。きっと顔まで緩んでいるだろう。程よく苦みと酸味がある、バランスが良くて飲みやすいコーヒーだ。これは人気なのも頷ける。
写真を見ながら香りと味を堪能していると、ドアが開く音。他のお客さんが来たようだ。
いつの間にか西日が建物の奥まで差し込む時間になっていたようだ。そろそろ空港へ向かった方がよさそうだ。
このコーヒーは気に入ったのでレジ横の豆を一緒に買っていこう。
8章:帰路へ
日が傾き、街の色合いがどんどんとオレンジと暗になってきた。飛行機の登場時間までには十分余裕はあるが、この風景をまた見てみたいと思うには十分すぎるほどだ。
空港が近づくにつれ、道幅が広がる。飛行機の窓からも見えた原生林の横を走らせながらレンタカーショップに滑り込んだ。
気づけばお土産物でいっぱいになったナップザックを肩にかけ、搭乗ゲートへ向かう。
自販機でいつものように缶コーヒーを買おうとし、さっき飲んだばかりのLyricのコーヒーを思い出して手を止める。その代わりに北海道の水を使ったミネラルウォーターにし、よく冷えたそれを胃に流し込んだ。待合のシートにどかっと座り、今日見てきたあれこれを思い出す。Lyricの続きだ。
あのテーブルと椅子に触れる機会はまたあるのだろうか。いただいた家具作家さんの名刺を引っ張り出して眺める。紙かと思ったら薄く削り出した木材に焼印で作ったものらしく、手触りもさることながら香りまで楽しめる気がする。
搭乗開始のアナウンスに呼ばれ、ビジネスマンに紛れるように一緒に飛行機に乗り込む。
聞き慣れたフライト前の説明を半分聞き流しながら、残りのミネラルウォーターを飲み干した。
飛行機が動き出したと思ったらあっという間だ。もう眼下に街の明かりが見える。つい先程まであそこにいたのが嘘のようだ。
ナップザックに入れてあるあれこれを、誰に渡そうかと思いながら、短い時間の空の旅に思いを重ねていた。
おわりに
仮想の旅行記、楽しんでいただけたでしょうか。
読み物としてもちゃんと成立してますが、ちょっとした仕掛けを混ぜてます。
そのバックボーンの一部が『Temp=8の観測者』です。
気になる方はそちらもチェックしていただけるととても嬉しいです。
今回の「旅行記」は全文無料で読めますが、気に入った方は購入していただけると嬉しいです。