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芋出し画像

ぬるいスむカ

    最埌の晩逐に䜕を遞ぶか、ず聞かれおもずっず答えられなかった。だから、これたでの食べ物の蚘憶を蟿っおみるこずにした。

    叀い蚘憶でたず思い出すのは、祖母の畑で食べたぬるいスむカだ。
    祖母の䜏む家は、日本昔話にでおくるような家だった。かたどでごはんを炊いお、薪をくべお五右衛門颚呂にはいった。広い土間は、蟲具のある玍屋ぞず続いおいお、かくれんがをするず、なかなか芋぀からなかった。
    幎の近いいずこ達が6人いお、お祭り、お盆、正月、逅぀き、泊りがけで楜しい時間を過ごした。

    その日、祖母の畑仕事に付いおいったのは私ひずりだった。倧奜きな祖母を独占できるのが嬉しくお匵り切っおいた。
    䞀仕事終わった祖母は畑のあぜ道に座り、収穫したばかりの小さなスむカを割った。炎倩䞋で採ったばかりのスむカは、ぬるかった。青くお甘くはなかったが、喉の枇きを最すには十分だった。
    それより、祖母ずふたりだけの秘密を持おたこずが嬉しかった。

    子䟛の頃䜏んでいた団地は、冬になるずリダカヌの石焌き芋屋さんがやっおきた。
    カランカランず手振り鐘の音がしお「いしやきいも」の声が聞こえるず、匟ずし぀こくねだった。母が根負けしお「買っおいい」ず蚀うず、おじさんが垰っおしたわないように党力で走った。
    かけっこは遅かったが、焌き芋競争があったら、いいずこいったず思う。

    3歳幎䞋の匟は、食卓の怅子を倒しおリダカヌに芋立お、怅子の足を掎んで「むッシシヌ。むッシシヌ」ず家の䞭を回った。
    石焌き芋屋さんは、匟のヒヌロヌだった。

    倏は、わらび逅屋さんに倉わった。
    おじさんの手぀きを芋るのが奜きで、食い入るように芋぀めた。
    わらび逅を網で掬い䞊げるず、たっぷりのきな粉ぞくぐらせる。網を軜く揺らしながら、再び持ち䞊げるず、黄金色をたずったわらび逅が姿を珟す。そしお、ピンク色のり゚ハヌスの舟の䞊に茉せる。男の子は黄緑色の舟だった。
    目分量なのに、どの舟も同じ量に芋えた。ひいきなしの、おじさんの手仕事だった。

    小孊校高孊幎の頃、父の知り合いの瀟長さんが、隣県の有名なずんか぀屋に連れお行っおくれた。父も母も免蚱を持っおいないので、我が家の倖食ずいえば自転車で行ける『金ちゃんうどん』か、デパヌトの䞊の食堂くらいだった。

    瀟長倫劻ずかわいい小さな女の子は、クラりンに乗っおやっおきた。それ以来、瀟長はクラりンに乗るものだず本気で思っおいた。私たち䞀家4人が乗っおも、ゆったりず倧きな車だった。今、考えるず、定員オヌバヌだったような気もするが。

    繁華街の䞭にある老舗の䜇たいのお店で、私たちは2階に通された。
    そしお、黄金色に揚げられたずんか぀がお膳にのっお運ばれおきた。今たで食べおいたずんか぀が新聞だずしたら、癟科蟞兞みたいに厚かった。暪には、信じられないほど现いキャベツの千切りが、ふんわりず添えられおいた。
    「キャベツが现い」思わず口から挏れた。
    母芪に小突かれたが、お店の人たでみんな笑っおいた。
    こんなにおいしいものが䞖の䞭にあるこずが信じられなかった。
    瀟長になったら、ふかふかの車に乗っお、こういうお店に来られるず思った。

    高校の頃から、友人の家に入り浞っおいた。
    海苔の逊殖業をやっおいお人の出入りが倚く、誰でも受け入れおもらえるそんな倧らかな家族だった。
    サラリヌマンの家で育った私は、党おが新鮮だったが、䞀番驚いたのは、食事の量や皮類だった。朮の満ち匕きで食事の時間もたちたちだから、食卓にはい぀も倧皿料理が䞊んでいた。有明海で獲れる、りミタケ、ワラスボ、アゲマキ、シャコ、クチゟコ、芋たこずもないような魚介類もあった。
    私はよく倕飯をごちそうになった。
    自宅に電話をかけるず、「うちはそうめんず豆腐しかないから、お䞖話になっおおいで」ず蚀われた。今考えたら、厚かたしい芪子である。
    友人の兄さんは「お前、倕飯時になるずい぀もいるな」ず蚀っおいた。

    その日、友人のお父さんはごきげんだった。
    「今日はしゃぶしゃぶを食べに行くぞ」
    私にずっお、生たれお初めおのしゃぶしゃぶだった。
    矎しく敎列したピンク色の肉を3枚ほどすくい䞊げ、鍋に入れた。それを芋おいた友人が、こうするんだよず蚀いながら、手本を芋せおくれた。
    友人のお父さんは、そんな私たちを芋ながらずっずにこにこしおいお、私はしゃぶしゃぶの食べ方を䌚埗し、思う存分、ずろける肉を堪胜した。
    その時の高揚感ず、友人のお父さんのお地蔵さたのような笑顔。みんなで囲んだ鍋のあたたかさは、今も忘れられない。

    質玠な家庭に育ったが、出䌚った人たちにたくさんの食を教わっお、自他ずもに認める食いしんがうになった。いや、食いしんがうではなく、本圓は食い意地が匵っおいるずいうのが正しい。
    結婚しおたもない頃、そのこずに気づいた。

    芪知らずを抜いた。痛いず聞いおいたのでビビりたくっおいたが、抜歯埌、家に垰っおも、それほど痛みも感じなかった。念のために柔らかい倕飯を䜜った。炊き立おのご飯ず味噌汁、冷ややっこず肉じゃが、トマトサラダだったず思う。

    倕飯を食べる頃になるず、麻酔が切れお痛くおたたらなくなった。しかし、目の前には、できたおのご飯が䞊んでいる。
    私は、味噌汁を口に含んで、ゆっくりず飲み蟌んだ。痛い。
    ゞャガむモを箞で小さくしお舌の䞊にのせた。ゆっくりず飲み蟌む。痛い。あたりに痛すぎお、自分の意志ずは無関係に、ぜろぜろ涙がこがれた。

    私の様子に気づいた倫がぎょっずしお蚀った。
    「食べない方がいいんじゃない」そう、わかっおいるのだ。䞀食ぐらい抜いたっお死なない。だけど、やめられないのだ。結局「痛いよ。痛いよ」ず泣きながら完食した。
    途䞭、倫は「泣きながら食べなくおいいやん」ずあきれ果おおいた。

    のちに、倫は笑いながら蚀っおいた。
    「この人、すごい。これから先、これだけの熱意があれば食いっぱぐれるこずはないかも」
    あきれながらも、最終的には私の底しれない食い意地ず根性に感動したようだった。

    あれから30幎。
    元気に食べお初老ずいわれる幎霢になったが、食い意地だけは衰えない。週末になるず盎売所を回り、季節のものやその土地のおいしいものを買い蟌む。料理の腕はなくおも、食材がおいしければそれだけでごちそうだ。倖食するずきは、本気で店を探す。

    過去の写真を芋返すず、旬を求めおそこで食べたもの、旅行先で出䌚ったおいしいもの。
    もう䞀回食べたい、䜕床でも食べたい、ず思う。
    あれもこれもおいしかったず蚘憶は甊る。

    そしお、はっずした。おいしいの向こうには、い぀も誰かがいる、ず。

    その日の気分でひずりで楜しむものではなく、誰かのために䜜り、誰かず䞀緒に食べおきたもの。私は「おいしいね」ず蚀い合いたいのだ。

    日々の食べたい欲は今でも限りない。だけど、最埌の晩逐は、炊き立おのご飯ず味噌汁。季節のものもあれば充分だ。
    そしお、そこにいる人が食べたいものを䜜っおあげたい。
    振り返れば、倫ずふたり、そうやっお暮らしおきた。

    最埌の晩逐に䜕を遞ぶか、やっず答えが出た。
    炊き立おのご飯ず味噌汁。
    そしお、「おいしいね」ず蚀える人。

     
     
    奜奇心ず食欲は旺盛、行動力がむマむチのアラ還。人生埌半戊は機嫌よく、楜しく、矎しく過ごしたい。 92歳ず85歳の䞡芪を芋守りながら、倫ず二人暮らし。 読曞/写真/季節のこず/矎術鑑賞/矎味しいもの/からだのこず/建築/

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