見出し画像

『愛せない』が『愛おしい』に変わるとき。17年の保育士が辿り着いた、押しつけない“声かけ”


プロフィール:
親子で優しい世界を生きるために

私は17年間、
保育士として現場に立ち続けてきました。

こどもたちと笑い、涙し、
保護者の皆様の悩みに寄り添う日々。

臨床心理士の先生から
「涙が出るほど素晴らしい」
と評価していただいた、押し付けない保育を軸に、こどもたちが目の前で劇的に変わっていく姿も数多く目にしてきました。


しかし、組織という枠組みの中では、
どうしても超えられない壁がありました。

目の前で苦しんでいるお母さんがいても、
園のルールや制約により、寄り添いきることができない。
制度の限界によって、本当に救いたい親子を救えないもどかしさ。
その「限界」を痛感したとき、私は決断しました。


保育士という肩書きのままでは救えなかったお子さんや、お母さん・お父さんを、本気で救いたい。
お子さんも、大人も安心に包まれた毎日を送ってほしい。
そのために、私は今の道を選びました。


───

安心の原体験と、母の温もり


私の「安心」に対する強い想いの原点は、
幼少期の記憶に深く根ざしています。


私の家庭は、幼いこどもにとって決して心休まる安全な場所ではありませんでした。

父は、仕事に対して責任が強く、面倒見がよく、尊敬する面もあるのですが、お酒に飲まれると、些細なことで急にキレて大きな怒鳴り声を上げる人でした。

特に記憶に焼き付いているのは、父の
「誰の金で飯を食ってると思ってるんだ!」
「そんなに嫌なら出ていけ!」
という言葉です。

経済力を盾に家族を支配しようとするその姿は、こどもだった私に深い絶望を与えました。
私は自分の部屋で一人、涙を流す夜を何度も過ごしました。


もともと私は感受性が強く、
4歳で保育園に入園した際も、
母との別れをこの世の終わりのように感じて泣き続けるようなこどもでした。

そんな繊細な私にとって、
唯一の逃げ場であるはずの家が緊張に満ちていたことは、常に足元が揺らいでいるような不安定さを意味していました。


そんな私の心を救ってくれたのは、
母の温もりでした。
小学4年生の頃、持病のアトピーが悪化し、
頭皮が乾燥してフケのようになっていることを男子にからかわれたことがありました。
ショックだったのは、仲が良いと思っていた女の子までもが一緒になって私を傷つけたことです 。

「自分は汚い存在なんだ」と自信を失い、
泣きながら家に帰り着いた私を、
母は膝の上に乗せてくれました。

何も言わずに、ただ私の背中を優しく、ゆっくりとさすり続けてくれました。
その時に感じた温かさ、
そして「存在していていいんだ」という感覚。
それこそが、冷え切っていた私が感じた最初の「安心」でした。


どんなに外の世界が過酷でも、
戻ってくることができる温かな場所さえあれば、また前を向いて歩き出せると信じられるのは、母の温もりがあったからです。


───

恩師がくれた勇気


幼少期からアトピーを抱えていた私は、
自分の容姿や存在に強い劣等感を持っていました。いつも教室の隅にいるような目立たない、自信のないこどもだったのです。

しかし、小学5・6年生の担任の先生との出会いが、私の閉ざしていた世界を一変させました。

先生は、私が「自分なんて」と諦めていた内側の正義感や芯の強さを、誰よりも早く見つけ、言葉にしてくれました。

本当は、誰かがいじめられているのを見て、居ても立ってもいられなくなる自分。
そんな、自分でも気づいていなかった私の小さな勇気を、先生は決して見逃さなかったのです。

「はなさんには、周りのことを自分のことのように考えられる優しさと勇気がある」

そう励まされた時、誰かに「自分のありのまま」をしっかり見てもらい、それを言葉にしてもらえることが、これほどまでに人を強くするのかと、こどもながらに衝撃を受けたのです。

その励ましに後押しされ、かつては想像もできなかった「学級委員」に立候補し、最後まで務め上げることができました。


先生が私の「そのままの姿」を信頼し、言葉にして伝えてくれたことで、
「一歩踏み出せば、世界は変えられる」
という現在の私の信念が形作られたのです。

───

育まれた自信と成功体験


この先生との出会いで得た「自分を信じる力」は、その後の私の人生で、周囲から「無理だ」と言われるような逆境を突破する大きなエネルギーとなりました。


高校受験で、志望校だった高校は、模試の結果では常に「D判定」。合格の可能性は極めて薄いと言われていました。
しかし、「平和な校風のあの学校で、自分らしく学びたい」という一心で、1日10時間近く机に向かい続け、合格を掴み取りました。

大学進学ではさらに高い壁が立ちはだかりました。文教大学教育学部を目指しましたが、判定は厳しい「E判定」、倍率は9倍。周囲は誰もが無理だと思っていました。
しかし、高校受験での成功体験が私を支えていました。
「私なら、きっと道が開ける」
と信じて死に物狂いで勉強し、9倍の壁を突破しました。


先生に、そして、母によって、つくってもらった自信のおかげで、努力することができ、成功を体験し、その結果、自信はさらに育まれていきました。

その自信は、今、新しい道へ踏み出した私にとって、何よりの大きな支えとなっています。


───

こどもが好きという想い


将来を考える際、祖母からは「安定した公務員」、母からは「手に職を」と繰り返し言われていました。

若い頃の私はその言葉に反発し、パティシエや美容師など華やかな職業に憧れ迷走した時期もありました。

しかし、どの道を選ぼうとしても最後に戻ってくるのは「やっぱりこどもが好きだ」という純粋な想いでした。


振り返れば、私の周りにはいつも、
自分より小さくて愛おしい存在がありました。

弟が少年野球を始めた際、私はいつもグラウンドについていっていました。
野球に興味があったわけではありません。
グラウンドで他の家の2〜3歳の小さなお子さんたちと遊ぶためです。その時間は、純粋に楽しいひとときでした。

近所の社宅でも小さなお子さんのお世話をしたり、一緒に遊んだりすることが日常でした。
私にとって、幼いこどもたちの純粋な笑顔は、夢中になっていたテレビ番組よりも、集めていた漫画よりも、ずっと見続けたいものでした。


担任の先生がかつて、教室の隅にいた私を見つめ、言葉にしてくれたように。
母が、私を優しさで守ってくれたように、
今度は私が、こどもたちの心の揺らぎを、
そしてお母さん・お父さんの頑張りをしっかり見つめ、言葉にして伝えていきたい。守り続けていきたい。

そう強く願い、私は保育士としての道を歩み始めました。

───



理想と現実の狭間で抱いた、保育への違和感


公務員保育士としてキャリアをスタートさせた私は、「理想と現実」の激しいギャップに何度も直面しました 。

最初に配属されたのは市内で最も規模の大きな園でしたが、2年目に状況は一変しました。

上司が労働組合の活動を最優先する先生で、
本来の保育業務とは無関係な署名活動や、
22時過ぎまで続く中身のない会議に忙殺される日々を送ることになったのです。

こどもたちの成長を願う純実な想いよりも、組織の論理や政治的な動きが優先される環境に、私は強い違和感と疲弊を抱えました。

その違和感に耐えきれず、行政面談で現状を泣きながら訴えました。結果、異例の異動になりました。(色んな角度から考慮していただいた結果だと思っています)

異動先の園は「オアシス」と呼ばれるほど温かい雰囲気の小規模な場所で、ようやく保育の楽しさを取り戻すことができました。


しかし、多くの保育現場では、
「お片付けしないなら、外に行かないよ!」
「静かにしないと、おやつは抜きだよ!」
といった、大人側の都合でこどもを動かそうとする「脅し」に近い言葉が溢れていました。

そのような光景を見るたびに、私の心は激しく波立ちました。

それは、かつて力による支配で私をコントロールしようとした父の姿と重なり、こどもたちの尊厳が削られていくようで、たまらなく苦しかったのです。


「こどもを動かすこと」ばかりが優先され、
「こどもの心を育てること」が置き去りにされている。

そんな違和感を抱えながらも、どう関わればいいのか正解が見つからないもどかしさに、私自身も疲弊していました。


───

押し付けない保育が教えてくれた、奇跡と絶望


そんな時に出会ったのが、臨床心理士の先生から教わった「実況中継」の保育でした。

それは、大人の理想を押し付けるのではなく、今この瞬間のこどもの姿を、ただ事実として言葉にする手法です。

「おもちゃ、一つ箱に入れたね」
「くつ、履けたね」

と、ジャッジをせずにそのままを伝える。


この声かけを始めた途端、
こどもたちの反応が劇的に変わりました。

当時、受け持っていたクラスは、周りからは「動物園のようだ」とまで言われた、非常に困難なクラスでした。

私はそこで「実況中継」を徹底し、こどもたち一人ひとりの「ありのまま」を言葉にして伝え続けました。

すると、こどもたちの瞳にみるみる生気が戻り、生き生きと活動し始めたのです。

その様子を見た愛着障がいのスペシャリストである臨床心理士の先生は、
「はな先生たちの保育は本当に素晴らしい。涙が出る。みんなに見てもらいたい」
と、泣きながら褒めてくださいました。


この手法の素晴らしさは、単にこどもが変わることだけではありませんでした。

否定的な言葉を投げかけなくて済むことで、
私自身の心も驚くほど穏やかになり、
こどもたちの存在を丸ごと「愛おしい」と、心の底から思えるようになったのです。

「実況中継」は、こどもに

「自分のことを見てくれている人がいる」
「ここにいていいんだ」

という圧倒的な安心感を与えます。


それは私が過去、恩師や母にもらったものでした。
そしてその安心感こそが、すべての自立と成長の土台になるのだと確信しました。



しかし、同時に「絶望」も経験しました。

ネグレクトのお母さんを持ち、愛着障がいを抱え、私に対して激しい「試し行動(殴る、蹴る、石を投げる)」を繰り返す子との出逢いです。

私は、1年以上にわたり、全身あざだらけになりながら、実況中継で向き合い続けました。
どんなに痛くても「どうした?」と返し続ける日々。

専門家の先生からは
「あなたがいたから、この子は救われた」
と言っていただけましたが、私の心は晴れませんでした。

家庭環境が変わらない中で、一人の保育士が救えることの限界に私は打ちのめされました。

その子を「かわいいと思えない」ほどに疲弊した私は、組織の限界を感じました。


───

組織の歪みの中で失った、保育士としての心


失意の中、異動した園は、これまでのどの職場よりも保護者対応がヘビーな場所でした。
園長をはじめとする管理職は、とにかく保護者からのクレームを恐れるあまり、何でも受け入れてしまう「事なかれ主義」を徹底していました。

例えば、本来はお迎えに来た親が行うべき「帰りの支度」を担任がすべて代行したり、時には自宅の玄関先までこどもを送り届けたりすることさえありました。
また、延長料金が発生する時間帯のルールを曖昧にし、一部の保護者の要望に合わせて例外を認めるといったことも常態化していました。


「こどものため」ではなく、
「親に文句を言われないため」の体制。

そこには、現場でこどもと向き合う保育士を守ろうとする姿勢は感じられず、私は組織の歯車として使い潰されているような、強い憤りを感じていました。


さらに私を追い詰めたのは、担任間のチームワークの欠如でした。

これまではどんなに大変なクラスでも、同僚と「かわいいね」と共感し合うことで乗り越えてこれましたが、その園ではそれが一切ありませんでした。

大人であるはずの職員同士が、まるでお手本にするべきでないこどものようなレベルで他人をいじめるような光景もあり、職場は常に冷え切った空気感に包まれていました。


誰にも相談できず、理想の保育からも程遠い環境の中で、私は17年間で初めて

「誰一人として可愛いと思えない…」

と感じるほど、心の余裕を失っていきました。



───

保育士という枠を超えて


心への負担は、やがて目に見える形で身体に現れました。

毎日、職場へ行くのが嫌でたまらず、どんどん眠れなくなり、やがてアトピーが悪化しました。
肌が痒くて仕方なくなり、さらに眠れなくなり、またアトピーがひどくなる…
そんな悪循環を辿りました。

17年間、どんなに辛い時も現場に立ち続けてきた私が、人生で初めて「病気休暇」を取らざるを得なくなりました 。


しかし、この強制終了ともいえる絶望的な時間は、私に一つの大きな気づきを与えてくれました。

「これほどのことが起きなければ、私はいつまでも『組織』に頼り、自分の人生を自分で切り拓く決意ができなかったのではないか…」


その想いは、私を「起業」という新しい道へと押し出してくれました。

保育士のままでは、どれほど努力しても組織の体制に阻まれ、本当に救いたい親子を救うことはできません。

この過酷な経験があったからこそ、
私は「親子が優しい世界を生きるためのコミュニケーション」を、自らの手で届けていく覚悟を決めることができたのです。


「保育士のままでは救えなかったお子さんや、お母さん・お父さんを本気で救いたい」

そのためには、24時間の保育の一部を預かるのではなく、親子関係の根源にある「コミュニケーション」を共に変えていく存在にならなければならない。
そう確信し、私は起業しました。


───

17年の保育士経験から見出した真実


17年間、保育士として沢山のこどもたちと全力で向き合ってきました。

言葉で気持ちを伝えられない乳幼児から、激しい「試し行動」でSOSを発する子まで、その一人ひとりの葛藤や成長を間近で見守ってきました。

そこで私が確信したのは、どんなに優れた教育メソッドよりも、「ここにいていいんだ」という圧倒的な安心感こそがこどもの心を動かすということです。


私が提唱するコミュニケーションは、
脳科学に基づいた「声かけ」の手法をベースに、この膨大な現場経験から抽出した「生きた知恵」を凝縮したものです。

私自身、繊細な気質であることで、かつては生きづらさを感じ、現場の人間関係に深く傷つくこともありました。

しかし今、その繊細さは、「こどもの揺らぐ気持ちや、言葉の奥にある真意を察知する才能」へと変わりました。


あるお母さんに、この「声かけ」の具体的な手法を伝えた時のことです。

お子さんのことを誰よりも大切に考えているそのお母さんでさえ、4歳の息子さんに対してつい感情的に怒ってしまうことが多く、悩んでいらっしゃいました。

そこで私は、声かけの手法を伝えました。
お母さんはすぐに実践してくださり、驚きとともに嬉しい報告を届けてくれました 。

「いつもなら反発してくる息子が、私の言葉をすんなりと受け入れてくれたんです。お互いに優しい気持ちのまま穏やかな夜を迎えられて、私自身も本当にホッとしました」

お母さんがこどものサインを正しく受け取り、適切な言葉をかけるだけで、家庭の空気はこれほどまでに劇的に、そして温かく変わるのだと確信を深めました。


お母さん・お父さんには理解しがたいお子さんの不可解な行動も、私には、その子が何に怯え、何を求めているのかが手に取るように分かります。

私はこの繊細な感覚をフルに活用し、親が気づけないこどものサインを「翻訳」して伝えることができます。
この「翻訳」こそが、親子が互いを理解し、優しい世界へ移行するための鍵となります。


私は、かつての私のように、一人で震えて泣いているこどもを絶対に放置したくありません。

同時に、育児の限界に達し、
「我が子をかわいいと思えない」
ほどに追い詰められ、自責の念にかられている親御さんも、一人にしたくないのです。

お母さん・お父さんが心から安心できて初めて、
その安心がこどもへと伝わります。
だからこそ、私はお母さん・お父さん自身のどんな感情も丸ごと肯定することから始めます。


優しく温かい親子関係をつくること、
そして親子が日々、幸せを感じながら歩んでいくこと。
そのために、私は「保育士」という枠を飛び出し、経験してきた17年の「光」と「影」、
そのすべてを、お子さんとお母さん・お父さんのために注ぎ込みます。

愛情が大きければ大きいほどに、
誤解が生じ、歪みが大きくなっていく。
そんな場面を今まで沢山見てきました。

だけど、その歪みは、
全て「声かけ」で解消できます。


せっかくの愛情を、
ちゃんとお子さんに感じてほしい。
そして、お子さんもお母さん・お父さんも安心に包まれ、笑顔で生きていってほしい。

そんな日々は、今日から、
たった一言の声かけから始まります。

親子で優しい世界を生きるための道を、
一緒に歩ませていただけたら幸せです。


個別体験セッション▼


声かけ動画講座▼

いいなと思ったら応援しよう!