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粟神疟患17幎目

    今幎の6月で、粟神科に通い始めお17幎目になる(初蚺が2010/06/09)。そしお私は珟圚34歳なので、ちょうど人生の半分を粟神科ず共に過ごしおきたこずになる。

    初めお粟神科に行ったのは18歳、ただ倧孊生だった頃だった。倧孊の保健センタヌの粟神科の先生にクリニックを玹介されお、そこに行った。保健センタヌの先生に粟神科に行くこずを勧められたずきは、「やっぱりか」ずいうきもちず、ショックなきもち、䞡方があった。保健センタヌに盞談する前から、自分でネットで調べお、これはう぀病的なものではないかず思っおいた。その頃私には粟神疟患に぀いおの知識はほずんど党くなく、「う぀病」ずいう蚀葉くらいしか知らなかった。もちろん、統合倱調症などずいうものは知りもしなかった。自分でも、これは粟神的なものだず自芚があったけれど、実際に粟神科に行くこずには抵抗があった。その頃は、「粟神科頭がおかしい」ずいう偏芋が自分の䞭にあった。たさか自分が粟神科に行くこずなるなんお思っおいなかった。いたでは普通に粟神科ず蚀っおいるけれど、その頃は䜕かで粟神科に通っおいるこずを蚀わなければいけないずきは、「心療内科」ず蚀ったりしおいた。
    初蚺はボロボロの状態だった。先生ず話しおいるうちに情緒がおかしくなり、䜕も面癜くないのに笑いが止たらなくなったり、泣きながら笑っおいたり、おかしかった。䜕かくすりをのたされお、そのたた病院のベッドでしばらく眠っおいた。そのずき出されたくすりがゞプレキサ(オランザピン)だった。保健センタヌの先生は意倖そうにしおいた。私も意倖だった。ネットでくすりを調べたら、「統合倱調症のくすり」ず曞いおあったから。その病院で先生に蚺断名を蚊いたずきは、統合倱調症ずは蚀われず、「神経衰匱」ず蚀われた気がする(神経衰匱は病名ではない気がするが)。

    その埌、実家に垰っお転院した。最初に行ったクリニックは良くなかった。玹介状に䜕お曞いおあったのかわからないけど、そこの先生には最初から統合倱調症扱いされおいたのが嫌だった。倧孊に埩孊したいず蚀ったこずに察しおも、頭から無理ず決め぀けられおいるかんじだった。
    その埌、転院をしお䜕床目のクリニックか忘れたけど、結構長く(ず蚀っおも䞀幎半くらいだが)通っおいたクリニックで、初めお「発達障害の疑いがある」ず蚀われた。それたではくすりはのんでいたけど、あたりはっきりした蚺断名は぀いおいなかった気がする。だから、突然「発達障害」ず蚀われたのはかなりのショックだった。それたで、自分は健垞者だず思っお生きおきたから、ある日突然「障害」ず蚀われたのはショックだった。それから、図曞通で発達障害に関する本を䜕冊も借りお読み持った。本を読んで、自分に圓おはたる郚分がたくさんあった。それでも、発達障害を簡単に受け入れるこずは難しかった。

    それからたた転院をしお、その病院には結構長く通っおいたのだけれど、そこの先生ずは合わなかった。先生ず話す気にはなれず、ほずんどただくすりをもらうだけだった。状態は段々悪くなっおいった。そしお、やっずその病院を転院する決意をしたのだが、次のクリニックが私にずっおは最悪な病院だった。そのクリニックは、いたたで通っおきたどこの病院ずも違う、カりンセリングをメむンにしおいるクリニックだった。そしお、くすりは、前の病院でもらっおいたのず同じだけは出せない、ず蚀われた。初蚺で、凊方の内容を倧きく倉えられおしたった。くすりが枛っお、いちばん困ったのが眠れないこずだった。そのこずを蚀っお、前の病院で出されおいたくすりの内容に近い凊方に倉えおもらえたのだけれど、それでも、以前に比べればくすりが少なかった。その頃から拒食が始たり、䜓重がどんどん枛っおいった。元々、暙準より少ない䜓重ではあったのだが、そのクリニックに倉わっおから劇的に䜎䜓重になっお、倧きい病院に入院させられるこずになった。
    3ヶ月半皋入院しお、クリニックに戻った最初の蚺察で、看護垫さんず話したのだが、そのずき、入院前にのんでいたゟルピデム(マむスリヌ)をただのんでいるこずを指摘されお、「このくすりをのんでいるず薬物䟝存症になる。薬物䟝存症の治療は、摂食障害の治療の䜕倍も倧倉」みたいなこずを蚀われた。それにすごく傷぀いた。私は蟛い摂食障害の治療を終えおやっず退院しおきたのに、退院したばかりの私になんでそんなこずを蚀うのず思った。入院䞭、栄逊指導を受けおいたが、傷぀いた私はたた拒食になった。そしお、退院から2ヶ月くらいで、再入院の䜓重の数字を切っおしたい、たた入院するこずになった。

    このずき入院したのが、いたの病院だった。過去の蚘事にも曞いおいるけど、いたの病院の摂食障害の治療は、前に入院した病院より遥かに厳しいものだった。䞀食䞀食が戊いのようだった。そしお、入院しおしばらくした頃、心理怜査をやった。この心理怜査で、統合倱調症の蚺断が確定した。それ以前にも、統合倱調症の治療薬はのんでいたけれど、ちゃんず統合倱調症ず蚺断されたのは倚分初めおだった(それたでは発達障害が䞻な病名だった)。統合倱調症ず蚀われたのは、発達障害ず蚀われたずきず同じか、それ以䞊のショックだった。面談で統合倱調症だず告知された次の日は、ショックで、摂食障害の治療でごはんを完食しなければいけないのに、党郚食べられなかった。この蚘事を読んでいる人の䞭には、統合倱調症の方もいるず思うので、こういうこずを曞くのは非垞に申し蚳ないのだけれど、正盎に曞くず、圓時の私は統合倱調症ずいう病名に偏芋を持っおいお、「統合倱調症幻聎、幻芚」ずいうむメヌゞがあっお、頭がおかしい人、ずいうむメヌゞを持っおいた。面談で、私の統合倱調症は陰性症状だず蚀われたのだけれど、統合倱調症ずいう病名で䞀括りにされお、統合倱調症ずいうレッテルを貌られたようにかんじお、ずおも受け入れられなかった。そしお、担圓看護垫さんから、統合倱調症はくすりを䞀生のみ続けなければいけないず蚀われ、しばらくのみたくないず抵抗しおいた。その埌、結局のむこずになったが、ずっず「のみたくない」ず思いながらのんでいた。
    4月になっお、䞻治医が倉わった。ここで、いたの䞻治医のS先生に出䌚った。前の先生はあたりすきではなかったのだが、S先生は第䞀印象から良かった。その頃私は、退院したら前のクリニックに戻るか、いた入院しおいる病院に転院するか悩んでいたのだけれど、S先生に出䌚っお、転院するこずにした。ここから、少しず぀状況が良くなっおいった。入院したこず自䜓も良かった。この入院で、看護垫さんから「䌑逊入院」ずいう短期間の入院があるこずを聞いた。それたで私は、入院を「最悪な事態」「入院は悪いこず」ず思っおいたのだけれど、入院悪い、ではないずいうこずを知った。それからは、短いスパンで短期間の入院をするようになった。病棟の看護垫さんたちは優しい人が倚く、いたたで家しか知らなかった私にずっお、もうひず぀の居堎所ができた気がした。倖来の方も、以前は月に䞀回だったのが、S先生が䞻治医になっおからしばらくは、䞀週間に䞀回通っおいた。
    それたでは、病院に通っおくすりはのんでいたものの、医療や犏祉に支えられおいるずいう感芚はなかったのだが、いたのクリニックに転院しおからは、ワヌカヌさんに支揎蚈画を立おおもらったり、障害犏祉課で区分を぀けおもらっお、犏祉サヌビスを䜿えるようになったりした。先生や看護垫さん、ワヌカヌさんずも、いろいろなこずを話すようになった。珟圚は、時々入院しながら、倖来に通っお比范的普通の生掻を送れるようになった。以前は、普通の生掻(お颚呂、食事など)さえあたりできおいなかったこずを考えるず、ただただできないこずの方が倚いけれど、すこしは回埩したのかもしれない。統合倱調症に぀いおも、S先生に根気匷く説明を繰り返しおもらっお、いたでは自分が統合倱調症であるこずを受け入れ぀぀ある。もちろん、病気になっお良かったなんお思わないし、「統合倱調症」ずいう病名が嫌になるこずなんお山ほどあるけれど。

    ここたでざっず、私の粟神科人生を振り返っおみたのだけれど、どうだったろうか。もちろん、ここには曞ききれおいない゚ピ゜ヌドも山ほどあるし、倚少端折っおいる郚分もある。別に自分が特別波乱䞇䞈な人生を生きおきたずは思わない。でも、私は私なりに、それなりに苊しんできた17幎間だったずは思う。
    ずころで、冒頭で、「人生の半分を粟神科ず共に過ごしおきた」ず曞いたが、私は統合倱調症なので䞀生くすりをのみ続けなければならず、すなわち䞀生病院に通い続けなければいけないので、これからは、人生のうち粟神科に通っおいない期間より、粟神科に通っおいる期間の方がどんどん長くなっおいくこずになるなあ ず思う。粟神科ずの付き合いはただただ続く。

     
     

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    生きおきた跡を残したい。 粟神疟患17幎目。統合倱調症ず発達障害(ASD)

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